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捉え方

私は昔から多くの人が絶対失敗しないような事を失敗することが多いです。多くの人が一回でできることを私は何度も繰り返さないとできないことが多いです。大人達からは、呆れられたり、時には叱られたりしましたし、私自身も【ダメな自分】というレッテルを自分に貼り付けていました。できないことが多すぎて恥ずかしかったり落ち込んだりたくさんしました。そんな自分を見られたくなくて小さく縮こまって生きてきました。何度も何度もこのような経験を繰り返す中で、ある時ふと気が付きました。『誰も失敗しないような経験を自分はできている。これって自分にしかできないことでは!?逆にすごいんじゃない!?』と(笑)目の前のことはできていない。でも、”できていない”経験を私は”できている”ということに胸を張るようにしました。同じ”できていない”状況でも、捉え方一つで自分の感じ方、現実の見え方が全く変わります。自分の経験したことは、どんなことも誰かの道標にもなります。”できていない””失敗”の中にもポジティブな意味を持たせることができます。人間はいつも自分の都合の良いように意味を持たせ、良し悪しを判断します。だから、全部自分の都合の良いように捉えて、いつも自分をご機嫌にしてあげられると良いなと思います(*´꒳`*)
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ひどいことをされた

ひどいことをされた。何とかしたい私もね、サラリーマンをやると必ず部長がひどいことをやっていじめてきます笑ながらやめてくれよというとさらに5歳児のように攻めてきますとある魔法のカードをね、会社のロッカーと壁の隙間に縮小印刷して入れましたそしたら、3か月後に自己破産。奥さんとは離婚 一家はちりじりバラバラで 家は人手に渡ります僕は何もしません。 通常業務してただけさらに魔法のカード追加そしたら 肺の病気が発覚しましたが、11月に旭川のさらに北の出張所の所長に追いやられて同1月、出張所が子会社になってその人は社長になりけれども業績が悪いので5月に解任で会社は解散。その先どうなったか知りません。何もあなたがやいばを持つ必要はありません。ひどいことをした商社の人がいました。 部下の超美人な中年女性がその男の不倫関係に飽きて会社を追い出されて伯母に相談をしたのです。叔母は受けませんでしたが私が受けて魔法のカードを渡したら日付は言えませんがその男自殺なさって、当時新聞に出ました因果関係は不明です でもそこそこの会社にいたのとそこそこの役職だったのと あの当時その会社かなり悪いことをしておりましたが自殺と同時にいろいろな子会社と本社が合弁しわけわからなくして会社の体制を取り持ち悪いことは全部その自殺した男に押し付けたのです小麦、コメ、不動産、海外でしくじった資本などだから遺族には会社からは何も支払われなかったと。長期信用銀行支店長 あとちょっとで本社勤務確定で熱を入れていろいろやっておりましたが毎日パワハラでとある女性の部下に相談され、魔法のカードを授け貴方のお部屋の枕元に貼りなさいとでそれか
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離れていく他者を引き止めない

こんばんは。光の翼 ここみんです。いつもブログをお読みくださり、ありがとうございます♪怒涛の恐れの大解放からしばらくは、残り香のような僅かな負のエネルギーが消えては、またジワジワと感じそしてまた消えて…。…を繰り返して全体的にスッキリして負のエネルギーが気にならなくなってくると、ようやく新しい物事の捉え方ができるようになってきます。抜けきらないと新しい視点には切り替わらないのですね…。その新しい情報は、自然の流れで自分の元に引き寄せられてきます。それまでは、どんなにネガティブな思いでも構わず、そのネガティブなままを感じきり、味わいましょう。ハイヤーセルフは、「私」たちがどんなネガティブを感じていても「良い」とか「ダメ」とか一切、ジャッジしません。そもそもハイヤーセルフには、ポジティブもネガティブもなくポジティブとネガティブの区別すらありません。あなたがどんな反応をしていてもすべてを肯定的に受容してくれます。一切ジャッジのない無条件の愛だからです。そのネガティブを「ダメじゃん…。アカン奴やな。」とジャッジするのは、3次元意識を持つ人間だけですので、もし他者があなたの反応をジャッジして、あなたの元を離れていったとしても自然の流れに任せ、そのまま他者に離れてもらいましょう…。ここで嫌われることを恐れて離れようとする他者を引き止めたとしてもいずれまたありのままのあなたに対してジャッジすることを幾度も繰り返すだけなので、何度引き止めてもムダです…。あなたがどうであってもあなたがただそのままで在る…ということを許せる意識の他者としか、もう、噛み合わなくなってきているのです…。あなたをジャッ
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評価に気をつけて

寒いですね。日本中寒波に覆われているそうで、被災地の雪も心配です。さて、時々とんでもない評価をいただきます。最近も30分以上和やかに進んだ電話鑑定に、エッ?と思うような評価をいただきました。いつも言っていますが、ご相談者と占い師は一期一会です。その時初めて会う人に対して何か悪い気持ちを持っていたりするわけがないのです。その方の相談内容に沿ってカードを出し、カードが言いたい言葉が出てくるという形ですので、そこに私個人のどうこうしてやろうというのはありません。どちらかというと、へぇ、そういうことを言うんだ私・・・という感じです。それなのに、そうなんです、だいたい和やかに話ができた人に限って、星を一つ減らす、二つ減らす、そして意外と辛辣な評価を書くという人が多いんです。こういう方だからこそ、人生を損していると感じます。つまり、他人の行為を素直に受け取れない。自分が評価を少し悪く書くことは正当な行為だ。私は悪くないと思っている。もちろん悪くはないです。でも、そこで☆を一つ減らす必要がどこにあるでしょうか?その時に占い師は我に返って思います。「ああ、あえてこの評価をしてくる人だからそういうことになっているんだ。」と。そしてその思いは私が好む好まないに関わらず念として届いてしまいます。もちろん私にも跳ね返ります。なので、そんなことを思った自分には塩をまきます。シャワーをします。占いの結果は、欲しかった結果でも、欲しくなかった結果でも一度ちゃんと受けとめることが必要です。受け取ってどうするのかは自分で決めてください。でもその結果を出した占い師に評価でジャッジするのは自分がそういうジャッジを同
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来たよの合図、そして1機の訳

ハイ、05です。 ご機嫌いかがですか? 自他へのジャッジは外してますか?今朝のミサイルのニュースは驚きましたね。東北地方の方々は朝からお辛かったでしょう。そして、最近UFOたちが少ないのも、最近のこの件が原因だったかと。澄みきった夕焼けの素敵な空。来てるよ~のサインの合図はいつも通り。なのに、多くて2機。星も少なげ。いつものシチュエーション時の出方よりすごく少ないな~と感じていた今日この頃。あまりに隅々まで探す私をあやすかのように、ようやくぼわ~んと朧げに現れてくれる優しい1機。このところ連続で発射されてましたが、この件で太平洋区域に集合してたのでしょうね。そして、これは外側で起こっている事件ではなく、私たち一人一人の内側で起こっている事件です。自他をジャッジしたり、攻撃したりしていませんか?それらに気付いて手放していくことを求められています。さて、誰から求められているか?それは勿論、高次の自分自身から、です☆05
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恋愛とスピリチュアル・・・その4

写真で、北海道の自然を感じてください。今は暑くて、お出かけどころではないですよね・・・自然の人を癒す力はとっても大きいです。さて、シリーズ化するつもりはなかったのだが、どーしても 皆様に伝えたく、そうなってしまった。 何人の方が読んでいるのか、わからないけれど・・・ 沙織は【ツインレイミッション】を進めていくうえで、 ジャッジをしない、という立場になった。 ただ、お客様がジャッジしたい場合、そこに共感はある。 いくらスピリチュアルと言っても、人間社会、 この三次元の地球上で生きていく以上、ルールはあるからだ。 とはいえ、沙織自身はもう、ジャッジは辞めている。 スピリチュアル的にはジャッジは苦しくなる方向性だからである。 かといって、犯罪を認める、とかそういうことではないよ。 相手の自由を尊重する、ということである。 暑い中、出かけると、「今日も暑かったな。」と思う。 だから、ペンタくんに「いつも暑い中、来てくれて、ありがとう。」 とLINEで伝えた。 「会いたいし、楽しいからね。」と返事が来た。 ちなみにペンタくんはブログネタになっていることは知っている。 沙織が話しているからだ。 読んではいないと思うけど・・・ 「そんなに沙織のことが好きなの?」と質問してみたが、 はぐらかされた。 しかし、それはそれで、いいと思っている。 ペンタくんは、今、そういう気持ちでいるんだな・・・と。 会いたい、会えば、楽しい、話しているのも楽しい、 それだけでいいんだな、と思える。 ジャッジをしないでいられるのは、不安がないからかもしれないな・・・ ジャッジをして、楽になるんだったら、ジャッジして
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ノージャッジ

こんばんは。涼しくなってきましたね。それにしても平和だなあという心地が増している気がしますね。相方さんは”今日、感情動くことあったかなあ・・・”なんて話していました。思考の無い静けさの中に存在しているのを傍にいても感じます。植物と同じ感じような・・・サラさんの行動言動にも当たり前のようにノージャッジですし、癒しが自然に起きてきてる感じもします。今日は『怪獣の子ども』という映画を観ていました。劇中の中の表現に、”生き物はみんな同じ原料でできているこの世の全ては同じものでできてるすべてがひとつのものの部分なのだとしたら太陽も海も人間も 同じなんだ空も海も僕も そしてほかの誰かとも・・・”このような表現がありました。同じ原料・・・生命、愛、全体・・・ひとつ。私たちはそのひとつの部分。部分を通してそのひとつを味わっているのですね。それはここの身体の様子や湧き上がるものを注意深く観ていくとあれもこれも”自分”というものがしていない。それを感じ、その塊のようなものが溶けていく感じなのです。そうなると全体の動きしかないではないかというように・・・すべてがいのちの完璧な表現として現れてる。ノージャッジは自然な状態として落ち着いてくるように感じます。言葉が現れたとたんに思考がはじまりジャッジの世界が生み出されます。言葉が現れる前思考が現れる前は、ただただ静かで平安なのですね・・・
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自分を愛するという土台

おはようございます。生命そのものであるという感覚が思い出されてくると緩んできます。思考の中に無意識に入っているときはそこからは離れてしまい、やはり重さを感じます。今こことずれるという感じ。様々な経験が起きての今だけど、やはり完全に自分を愛するというところが土台の上にこの今の心地が現れてきたように感じています。自他を愛そうとする必要もなく愛しかなかったという心地。生命だということも愛だということも表現方法の違いであって同じことを指しています。昨日も表現したけれど様々な動きが先に起きているということは私たちが介入できる隙なく生命、愛の表現は起き続けてるということ。そこに誰も判断する隙がないということですね。自分や他人と表現されるものも本当はその生命、愛ひとつの表現で、分かれていない。これを感じてもやはり、慣れ親しんだ私という感覚は発動し、ジャッジが生まれることもあります。そのときはサラさん、それ、サラさんのフィルターだよという気づきが起きてくるのでした。ジャッジが起きることもそのとき起きたこと。それもまた生命、愛の現れですね。
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目を醒ますというのはジャッジを手放すこと!

並木良和さんによると、目を醒ますというのは、自分の内側にある光だけでなく自分の中にある闇をも受け入れる事。そこに対して良い悪いのジャッジを手放すこと。私たちは日常の些細な事でも私は正しい、こっちが正しい、そんな風にジャッジをしています。なぜ人は、ジャッジをするかというと心の奥底に自分を認めてほしい。とかみんなこうあるべきという気持ちが潜んでいるからです。私は正しくて、相手は間違っていると一方に偏った考え方を持ち続けているとしたら自分は光で向こうは闇と言ってるようなもの。それでは一向に統合されることはなく、分離の状態を生み続けます。ジャッジを手放し、これまでの常識とされてたことや、報道に惑わされず真実を見極め、自分軸に沿った選択をすること。大切なことは、一人一人が調和の意識をベースにして行動する電波塔になれば、周りの人もその調和の周波数の良い影響を受けることになるのです。今日も読んでいただきありがとうございました。並木良和さんのメッセージが必要な方へ届きますように!!!
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文章化すると気づきが現れる

こんにちは。光の翼 ここみんです。いつもブログをお読みくださり、ありがとうございます♪文章に落とし込むことでこれまでなかなか気づけなかったことが、ある時ふとピシャーン?!…と突然、腑に落ちることがあります。この体験が幾度となくあります。しかも結構、苦戦するようななかなか重要度の高い気づきばかり…。アタマだけの理解で終わっている気づきも文章にすることで腑に落としやすいようです。アタマで漠然と考えているよりも文章化してみることで自分の置かれている状況が客観視しやすいからかもしれません。内側から現れるままに文章化していると自分でも気づけなかった「私」の本音にも気づいたりします。感情は重複していて色々と複雑に絡み合っているからです。書くことによって「私」が整理されていき「私」にとっての大切なものが少しづつ見えてきます。文章作成中のときというのは、限りなく「今ここ」に集中しているからか、これまでの認識にストン…!と気づきが降りてきてジグソーパズルのピースがカチッとハマる瞬間のような気持ちのいい符合を体験できます。文章化に一点集中している間は、同時に他のことを考えることはできません。だから、ハイヤーセルフはブログを書くことを勧めてくるのですね。ブログ作成に集中した後の爽快感がたまりません。余分なエネルギーが削ぎ落とされてかなりスッキリして毎回クセになります。思考が止まっている時間が長い…というのは、こんなにもエネルギー感覚が変わるんだな…。そしてピシャーン?!…と突然、腑に落ちて「あーー!!わかった!」…となっていると、「OK!気がついたね。」…っていう感じでハートの奥が強力なエネルギーを
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創造主のチャネラーをチャネリングする私

ハイ、05です。 ご機嫌いかがですか? 自分と向き合ってますか?先日の朝、実におもしろい体験をしました。それは明け方、起きているような、夢の中のような感じで、またもや女性の声が聞こえました。その女性は姿が見えず、意識だけな感じで、白いもやか、雲の中にいるような風景だけがみえてました。先日の「私です…」と言った女性と同じかどうかはわからないけれど、存在的に、やっぱり「私」の分身のような気がしたんです。魂はワンネスだから、誰であれ私の分身に違いはないですけどね^^その女性は、何かに耳を傾けながら、誰かの言葉をチャネリングして私に伝えている様でした。私は、一語一句聞き逃さない様にと、半分意識がある中で、ベッドの枕元にいつもおいているメモを手さぐりで取り、横になったまま聞いたままを殴り書きしていました。後で読み返してみると、その女性のことをはっきりと、「神様のチャネラー」と書いていたのです。ん? っていうことは・・・この女性は創造主のチャネリングをしているってことで、その女性チャネラーを私がチャネリングして、メモに書き残していたということ??ちょっと複雑な状況設定でしたが、そんな感じでした。笑そして、言葉を受けとり、目を瞑ったままメモにペンを走らせながら、一体この状態って何?!と、私は様子を伺ってもいたんです。寝ているのか、起きているのか???もうこの時点で結構ふしぎな感覚ですよね^^;波動講座の生徒さんにも画面越しにちらっとメモを見てもらったんですが、やはり驚いてました。字の乱雑さが臨場感を醸し出していたんでしょうね~でも。それ以上に驚いたのは、その内容・・・はっきりとカタカナ9文字
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善悪の概念から離れる

こんにちは。光の翼ここみんです。いつもブログをお読みくださり、ありがとうございます♪「私」たちの無意識は、善悪の概念に拘束されています。目に映るもの、起こる出来事どんな状態にも無意識のうちに判断して意味づけをしますが、出来事そのものに意味はありません。ただ在るだけです。何の意味のないニュートラルなものに善or悪と意味づけしてジャッジしているのは他ならぬ自分自身です。自分が意味づけする前は、その出来事は意味もなくただそこに存在しているだけでした。出来事はただ起こっているだけでそれらの出来事は善も悪もなくニュートラルです。しかし、個人的な主観による正義の定義に準じているものを善正義の定義に反するものを悪としてそれらの状態に意味づけする善悪の概念が集合無意識に根強く刻まれています。すべての意識は繋がっているので善悪の概念から離れるには振動数を上げて意識を拡大していけば自然と善悪の概念から離れていき自由になります。ポジティブは善ネガティブは悪多くの者がこういった意味づけをしてポジティブな感情を感じていれば、今はいい状態だ。調子がいい。しかし二元の領域では、「善い」状態が生み出されれば同時に「悪い」状態も生み出されます。「善い」状態のポジティブ以外は、「悪い」状態のネガティブ。必然的にそうなります。善悪の定義に従っていれば、正義の定義に反した「悪い」感情を感じる「私」を到底好きにはなれません。感情を嫌ったり排除しようとするでしょう。そこで「悪い」感情を感じまいとして抑圧したりして自然に現れる感情をコントロールしようとしたり、「悪い」感情が湧き上がらないように「善い」感情を感じられるような
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魂のレベルが上がる度に楽になる

ariosu(ありおす)です。魂のレベルが上がって楽になる事の1つに「ノンジャッジメント」があります。「ノンジャッジメント」とは、自分の価値観で判断しない。という事なのですが、エンジェルリンクの大天使ミカエルの伝授を受ける16年前まで、この意味がわかりませんでした。自分の価値観で判断しないなら誰の価値観で判断するの?って真剣に思っていました。それが、大天使ミカエルの伝授を受けた後から「ノンジャッジメント」の意味が分かってしまったのです。(これは自分自身で気づいてこそ、魂のレベルが1つ上がる為、ここでは答えは書きません)魂のレベルが1つ上がるというのは自分の中の枠が1つ取れる事でもあります。気づいた事がもう1つあって他の方はどうかわからないけど私は「ノンジャッジメント」のエネルギーで満たされるようになってから「分からない事はわからない」と素直に言えるようになっている自分もでてきていて驚いています。「ノンジャッジメント」はチャクラで言うと第4チャクラの愛のエネルギーが第4チャクラを超えて第5チャクラ迄満たされてくると「ノンジャッジメント」がでてくると言われています。このテーマ、クリアできていない人は、時期が来ると必ず来るものなのかな?と思いました。というのもそれまでは自分でテーマを作ってヒーリングをしてきましたが、ヒーリングを始めて5年目のある日、「ノンジャッジメント」というのが赤い文字で書かれているのが空間で見えて、それでノンジャッジメントが必要なんだわかり、伝授を受けました。結果受けて良かったです。エネルギー伝授の良さは、本来なら電車で進むところを新幹線に乗り換える感じです。そ
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「ジャッジしない」に疲れた人へ - 本当の自分を受け入れる方法

はじめにスピリチュアルな教えのひとつに、「ジャッジしない」という考え方があります。今回はこのことについて、私なりに感じてきたことをお話ししたいと思います。※この記事は、私自身の経験や観察に基づく考察です。「ジャッジしない」という教えの落とし穴スピリチュアルな教えの中には「ジャッジしない」という、善悪や正誤を判断したり、自分や他者を批判することを手放すという考え方があります。しかし、「ジャッジしてはいけない」という思いが強すぎると、自然な感情や直感的な判断までも否定してしまうことがあります。人間の自然な判断機能について私たちの日常を振り返ってみると、実はさまざまな判断をしながら生活していることに気づきます。「この食べ物は美味しい/美味しくない」「この人は信頼できそう/少し注意が必要かも」「この行動は適切/もう少し考えた方が良さそう」これらはすべて一種の「判断」であり、生きていく上で自然に備わった機能です。ジャッジの大小はあれど、人は生きていく上でそれを避けることはできません。なぜなら、選択の判断基準のひとつになるからです。「詐欺をする人とは付き合えない」というのも判断のひとつです。自己一致から自己受容へ「ジャッジしない」に振り回されないために重要なのが「自分に正直になる」ことです。これを心理学では「自己一致」といいます。自分の本当の気持ちと行動が一致している状態のことで、心の中の矛盾が減り、精神的に安定しやすくなります。この「自分に正直になる」プロセスが、ありのままの自分を認める「自己受容」へと繋がります。自分を丸ごと受け入れられると内側が整い、他人と比較して優劣をつける必要がな
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問題をジャッジする人は本当の加害者ですぐ人に挑発をかける

問題をジャッジしてすぐに「誰がやっているの?」って騒いでいる人いますよね?そうゆう事に興味が深々とある人なのでしょう。しかし、そういった人は一番の加害者なのです。ジャッジをすると言う事は争いが好き、もめ事が大好き、そして問題でもない事を問題にして騒ぎたい…ただのかまってちゃんです。人は自分に関係がない事はジャッジしませんし興味がありません。でも自分の中に何か共鳴するものがあったり、自分自身に疚しい事があると、すぐに問題をジャッジして騒ぎ立てます。そして問題探しに更に追い打ちをかけて「誰がやっているの?」と犯人探しを言い出して騒ぐのです。しかも自分関係ない事なのに「あの人じゃない?」とか言い出すのです。そういった人は一番の加害者であり真犯人であると言って間違いありません。そして構ってほしい人に挑発をかけてきます(笑)自分に疚しい事がなく何も関係なければ何を聞いても流してしまうのが人間の心理。でも、何か罪悪感がある人はジャッジして問題にする。そして誰も相手にしなくなると次は自分が被害者になって問題を引き起こすのです。まさにサイコパス。いや中二病かも…なので相手にしてはいけません。何か問題が発生した時騒ぎ立てる人は一番の加害者であり真犯人です。自分い関係ない事は他人に問題。他人の問題は自分の問題ではありませんので気にかける事もありません。騒ぐ人は自分が真犯人で加害者だから騒ぐのです。そういった人は人に挑発をかけてきます。絶対に相手にしない事です。そうしてゆくと一人演技で自ら尻尾を出してきます。
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ジャッジ

おはようございます。窓の外から聴こえる様々な音、さらりと届いてくる風の心地がとても気持ちのいい朝です。昨日のお話の中でジャッジということについてでてきたのだけどジャッジする隙なく、事は起きています。”起きたもの”に私たちはジャッジしているのですものね。起きたことや現れたものは気付いた時にはもう起きちゃってるし現れちゃってる。それが完璧だし、自然なのですね。そして、それぞれの人には生きてきた中で理想のようなものが自然にできていてそのイメージが正解になってしまっていることが無意識にあるのかもしれません。固く自分というもの、今まで作りあげられてきた”私”や、”私の人生”を握りしめていることでどうしても思考、想像の中から抜けられず雲となって、ここが見えにくいかもしれません。な~んにもない。でも、満ちていて・・・その時その時まっさらなのです。引き継いでいるものは頭の中だけにしかないのでした。ジャッジが起きたらそれが起きたこと。それもいのちの表現。完璧な理想というものもなくただただ、ただの いのち というのかこの様子だけ。でもそのただの様子がパワフルな全体そのもので特別。あなたもわたしも、特別だし、ジャッジなんてできないいのちの表現なのです。み~んな良し〇なのでした。
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自分を信じる

自分を信じて自分の魂を信じて歩いていた私が関わると人は笑ってパワー頂戴って冗談交じりに言いながらポンと肩を叩いて来たそんな人が何人もいた私も自分の思う事には何も間違いがないって思ってた関わる人は大方幸せになっていったからでも、これは正しいことだからこれは導かれている方向だからと自分の判断だと思ってやったことで人に迷惑かけたな失敗したななんて思う事も昔やったことがあってそれがなかなか手放せず決めること自分を信じる事から逃げるようになってそれがとてつもなく長かった私だけじゃなくて多くの人がそれをやっている と今日聞いた人に迷惑かけたから人を傷つけてしまったからだから私の決断、したことは失敗だったんだ・・・そう思って自分を信じること先頭を歩くこと決める事それを避けている人がどうやらとてもとても多いらしい今時代の節目にいる気がするずっとずっと苦しんでいた白か黒かのジャッジメントの意識だけじゃなくて愛する気持ちが湧き上がるようになった赦すこともできるようになった自分は正しいと胸を張っていた昔の私とは違う私自分を信じるっていうのは自分が正しい結果を出せるから その自分を信じるっていうのではないのだな
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「私」の意識が「あれは善だ」「それは悪だ」と決めて創造している

こんばんは。光の翼 木村 心美です。いつもブログをお読みくださりありがとうございます♪今後、風の時代約20年間の主要パラレル世界線が決定づけられる超重要大転換点の2月も早くも後半戦に差し掛かりました。皆様、現実創造は順調でしょうか…?もしも各個人の意識が善悪の概念から自由になっていなければ、パラレルシフトの際に大きく誤って選択してしまうので細心の注意が必要です。2025年からは、分離した現実世界が創造されまったく同時進行で統合意識では光のラインを創造しながら分離意識では闇のラインを創造する2極化の大転換点となるのがこの2月です。生と死に関わる最重要地点となるので常にこの瞬間瞬間を慎重に意識的に選択しなければ、すぐにも足元をすくわれてしまいます。そのためにも日々の浄化を継続して負のエネルギーを手放し解放し続けていかなければ、自分でも無意識のうちに「…は、素晴らしいね」「…は、良くない。罰を受ければいい」…と、他者をジャッジをしてしまいます。自分にとっての価値観から大きくズレている他者を「悪」と排除してしまえば、同時にその他者が持つ「善」の恩恵を受けることまでできなくなります。ちなみに私の持つ価値観は、そのほとんどが世間一般他者たちの価値観とは180度真逆ですべての二元性の対局側です。それでもまだテーマによっては分離はあと僅か残っており、気の遠くなるような作業ですが毎日ひとつひとつの分離を癒やし統合しています。事象や出来事、物事はつねにニュートラルでありこれらには「善」も「悪」もありません。離婚→善でしょうか?それとも悪でしょうか?不倫→善でしょうか?それとも悪でしょうか?ギャンブ
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潜在意識を感じてみる

こんにちは、◇のぞみ◇です。ご覧いただき、ありがとうございます。今日は潜在意識を感じてみる​​​​​​​というテーマでお話ししたいと思います。”潜在意識”とは無意識のことで、”本人が自覚していない意識”のことを言います。この潜在意識は脳の90%を占めると言われています。潜在意識が90%以上であるなら思考できる顕在意識はほんのわずかということになりますね。私たちが普段、思考しているのは意識のたった数%しか使用していないということです。その数%とという狭い思考可能領域によって日常様々なジャッジがされ、善悪や、損得、可能か不可能かなどを決めてしまっています。残りの90%以上の潜在意識内ではもっと広々とあなたの心が自由に動き回っているかもしれません。広くて大きくて深い海を自由に泳ぐように。あなたの知らない情熱や衝動が潜在意識の中に秘められているかもしれません。潜在意識は常にあなたにノックし続けています。いきなり涙が溢れたり、急に切なくなったり、怒りが込み上げてきたり。あなたが気がつけるように教えてくれています。自分のわずかな顕在意識でガチガチに固めないでください。あなたには無限の可能性があるのです。あなたの中の広くて大きくて深い海を感じてみてください。
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「ジャッジ」を意識レベル7段階で手放す流れ

スピリチュアルではよくジャッジを手放していくことを推奨しています。ジャッジを手放すと「生きやすく、自由になる」ということらしい。ジャッジするな!!ジャッジをやめろ!!そんなこと簡単にいわれても…「えっ、それはジャッジじゃないんですか!?」と思ったりしませんか?言うは易く行うは難しで、ジャッジを手放すことはすごく難しいことだと思います。そもそも「ジャッジを手放す」って、今の私からすると天井を見上げている状態だから、天井までの梯子が見当たらない状態で天井まで上がろうとしている感じ?空中に足をかけている掴めそうで、つかめない指標があれば良いかな?と思い、意識レベルの観点から「ジャッジを手放す」までの道のりを模索してみました。《ジャッジを手放す7段階》〇ステージ1:意識レベル200目標:生きることに肯定自他に命(生きている)があるということを認識できる〇ステージ2:意識レベル350 目標:白黒の手放し自他を受け入れ認める段階〇ステージ3:意識レベル400 目標:損得勘定の手放し損得勘定を乗り越えることを学ぶ〇ステージ4:意識レベル500 目標:自他を分け隔てない愛が深まり自他を区別しないことを学ぶ〇ステージ5:意識レベル600 目標:非2元性の初歩どっちでもいいよ、オールオッケーを頭で理解する自分のものにするために実践し、学び体得する段階〇ステージ6:意識レベル700 目標:外界からのジャッジを乗り越える「導き手」として適性を問われる段階他者から受ける批判・批評に振り回されなくなることを学ぶ〇ステージ7:意識レベル800 目標:内側(自分自身)からのジャッジを乗り越える「覚醒した師」を
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切り札としてジャッジ

世間には「わかった」と言っている人たちがいます。それは何かわかったんでしょう。でも、それを「わかった」と思うことで、周りにいる人たちを違う世界の人たちのように見たり、むしろ下に見ているような態度を感じることもあります。私がどんな時に感じるかといえば、「ワクチンを打たないことが正しい」「まだTVを信じるなんて」といった、どこか見下すような発言を目にした時です。「わかっているなら、ジャッジは必要?上から目線になんでなれるんだろう」そんなふうに感じてしまうのです。この世の真実を知って、「やっぱりね」「ほらね」と満足しているように見えること。私は、わかったなら、ただ好きに生きればいいだけなんじゃないかと思います。なぜそれを言いたいのか、それを知らないまま言葉を発しているように感じます。以前、スピリチュアル界隈ではアセンションや覚醒のブームのようなものがありました。「波動が軽い人が素晴らしい」「あの人は波動が重いから」そんな話が出てくると、「その思考こそ波動が重いのでは?」と思ってしまいます。ジャッジという言葉「ジャッジしている」という言葉にも、私は違和感を覚えます。「あなたはジャッジしている」と言って、何も言わせなくする空気。でも、私も当然「判断」はします。誰と合うか、どの話題が心地良いか、それは個性の違いで自然に起こりますよね。「この人とはここが合う、でもここは合わない」そうやって関わることもあるし、離れることもある。それは善悪ではなく、自分の感覚による判断です。本来、ジャッジとは「合う・合わない」を知って心地よく過ごすためのもので、相手を否定することではありません。本質を見失わない
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他人をジャッジするということ

人が生きていると、他人をジャッジしてしまう場面がたくさんあります。もちろんその中には仕事の成果など、ジャッジするべきものもあります。ただ、ほとんどの場合、そのジャッジは不要なものだと気が付いている方はあまり多くないようです。  人はそれぞれ違う個性を持っているので、同じことに同じ価値を感じるとは限りません。それは親子や夫婦であっても同じなのですが、Aさんにとっての喜びは、Bさんにとっては負担になるかもしれません。例えば連絡頻度です。毎日毎朝連絡が欲しい方もいれば、用事があるときだけでいいという方もいらっしゃいます。どちらが悪いわけではなく、それが人それぞれの価値観です。  このふたりが恋人同士だとするとどうでしょうか。Aさんは連絡をくれないBさんに対して不満をもち、「Bさんは連絡をくれない不誠実」とジャッジするかもしれません。BさんはAさんを負担に思い、「Aさんは依存がひどくて自立できない」とジャッジするかもしれません。でもAさんBさんが連絡頻度に同じ感覚や価値観を持っていれば、問題になりません。  人間関係が拗れるきっかけは、最初はとても些細なことです。連絡頻度を例にあげましたが、価値観があっていれば問題ないこと、話し合って相手の価値観を尊重できれば乗り越えられることを、話し合うことなく不満に思い負担に感じてしまうと、人間関係には簡単に亀裂が入ってしまいます。  他人をジャッジする前に考えてみましょう。それは自分だけの価値観ではないでしょうか。相手に伝えて落とし所を探せないようなことでしょうか。相手を尊重し、相手に尊重してもらえれば、案外解決する問題は少なくありません。  そ
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善悪の判断を一度やめてみる。科学と人間らしさの狭間で考える哲学

善悪で判断するほどに、 問題、衝突、排他的になる、 ということは、 いろいろ学ぶと得られる内容かと思います。 それは、正義、という風に置き換えられることも多いですね。 とても難解と言われている哲学の本を、 サラッと学ぶ30分番組を見ています。「科学が進みすぎて、“人間らしい心”や“日々の生活の大切さ”を忘れてしまいそうになっているよ、と教えてくれる本 」 が今回のテーマになっています。 1936年に書かれた近代の本です。 科学が進むことで、 効率的で、経済的で、出来ないことが出来るようになっていきます。社会貢献、つまり人々を幸せにする、 という風に考えてそういったものが進化してきたが、それによる弊害を、 哲学者や、社会活動家、小説家、 という方々が指摘していたというのが、 その1930年代頃でした。 別にヨーロッパに限らず、 日本においても同じように危機感を感じている人が発信をしていました。 科学的なことの弊害というのは、善悪を生みやすいということです。科学的に判断をするとすると、正しいということが立証する必要があります。ですので、判断基準が正しい間違っているとなり、善悪というものが明確になりやすい、 ために、危機感を持たれやすい対象になります。ただ実際には、善悪のみで片付けられるものばかりではありません。例えば不倫。そのことだけを見ると善悪がはっきりしそうですが、それでも100%悪と決めてしまうと、その感情が動いたとしても、それを無いものにする、という人間に備わっている感情というそのものを否定することになってしまいます。とすると、感情で結婚するのは良いのか?ということになって
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○○って、な~に?

前回の記事を受けて、質問を頂きました。「ジャッジ(判断)って何ですか?」という質問です。そうですよね。あまり一般的には、話題にならないかもしれません。私は今、某芸能プロダクションに所属して、レッスンを受けているのですが、その中では【判断しない】ということがとても大事だったりします。芸能界には、表立っては言わないけど、結構スピリチュアルな考えを持っている方が多いです。それは、仕事の中でも活かされる考え方だからなんだってことが分かりました。ちょっと脱線してしまいましたが、【ジャッジ(判断)する】とは何なのか?簡単な例を挙げると、信号無視をしている人が居たとします。その人を見て、『交通ルールが守れない人なんだな』って思う。これが【ジャッジ(判断)】です。あとは・・・グチを言っている人を見た時、『この人は、ネガティブ思考な人なんだな』って思う。これも【ジャッジ(判断)】です。前者の場合、あなたが見た時は、信号無視をしたかもしれないけど、その時は、たまたま急いでいただけかもしれない。普段は、車が通らないような所でも信号を守っているかもしれない。だから、【交通ルールが守れない人】ではない可能性もあるワケです。後者の場合、たまたま、その時はグチを言っていたかもしれないけど、いつもは前向きで、周りを元気にしている人かもしれない。本当は、どんな人なのか分からないのに、たったひと言、たった一つの出来事で、『あ~、○○なんだ』って決めつけてしまうこと、ないですか?その、【この人は、こういう人】それが、【ジャッジ(判断)】です。他者にだけじゃないですよ。あなた自身についても、してる可能性はあります。『
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すぐ人をジャッジする自分が大嫌いだったけれど、今は楽な人間関係になりました♪

「なんであの人はあんな言い方をするの?」「もっとちゃんとすればいいのに…」「なんか、この人とは合わないな」——昔の私は、気づけば人の言動をジャッジしてばかりいました。でもそのたびに、胸の奥ではこんな気持ちが渦巻いていたんです。「そんなことばかり考えてる私って、性格悪い…」「本当は優しい人になりたいのに…」自己嫌悪のループでした。ジャッジしちゃうのは、自分に厳しすぎたから当時の私は、誰よりも「自分自身」に厳しくしていました。・ちゃんとしなきゃ・人に迷惑かけちゃダメ・失敗しちゃいけないそんな思い込みを持っていたから、無意識のうちに“基準”を他人にも当てはめていたんです。その基準に合わない人を見たとき、イライラしたり、責める気持ちが出てくる。でも本当は、その“基準”に縛られて一番苦しんでいたのは、私自身でした。気づきと変化のきっかけある日、ヒーリングのセッションで言われた言葉が心に残りました。「ジャッジするってことは、あなたが一番“良くなりたい”と思っている証拠だよ。」そのとき初めて、「人を裁く気持ち」は、優しさの裏返しかもしれないと思えたんです。——「本当は、みんなが幸せでいてほしい」——「本当は、自分も安心していたい」そんな願いが、ねじれて表現されていただけだったんだと気づきました。人間関係がラクになった理由それから私は、まず自分をジャッジしない練習を始めました。・失敗しても、「ま、いっか」・感情が爆発しても、「そういう日もある」・できなかったことよりも、「できたこと」に目を向ける自分をゆるせるようになっていくと、不思議と他人への見方もゆるくなっていきました。「完璧な人なんていな
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2021.5.12 10:50  ギフト

人は人の役に立った時 すっごく嬉しいですよね! 喜んでもらえた以上に自分が最高に喜んでる それって、自分ってやるじゃん♪と思えるから 自分が何か出来てるって実感するのは 何物にも勝る喜びですよね☆ 自分が他人に与えることができてダブルで嬉しいんですから、 とっても素敵なこと♡ では、出来ない自分ってダメダメですか? 実はね、出来ない自分っていうのは 天からのギフトなんです! あえて出来ない自分を演じていられているんです って、なんのこっちゃでしょうが 何でもできる本来の自分は なぜこの地球に生まれてきたのか どうやって地球にきたのか この答えが判れば、出来ないで右往左往 七転八倒している自分が愛おしくなります そして、周りの人のそんな様子も愛おしくなります 占い師はこのスピリチュアルな視点を得ることで 目の前のクライアントをジャッジなく ありのままに受け止めて愛おしく思えることが 出来るようになります それは全ての悩みの解決に通じる視点なのです。
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物事を良し悪しで判断しない~ジャッジしない~

気持ちよく生きるために大事なこと遅刻はダメ約束は守らないとダメ怒ったらダメ礼儀正しいのがいい収入は高い方がいいなどなど、日々の生活の中で「良し悪し」を判断することは誰でもありますよね。これなくして社会の中では生きていけないかもしれません。でも、それが自分自身を苦しくしているかもしれません。特に自分自身の行動について「良し悪し」で判断してしまっていませんか?物事を「良し悪し」で判断するとだんだんありのままの事実を見ることが出来なくなります。事実の「解釈」ばかりにとらわれてしまうからです。そして、その「解釈」はどこまでも個人の価値観や固定観念から逃れることが出来ません。つまり、頭が凝り固まっていってしまうということです。「最近少し苦しいな・・・」と思ったら、ジャッジすることをやめて見ましょう。自分自身の心の動きに興味を持ち、ただのんびり観察することをしてみましょう。ただそれだけで、見える世界は変わってくるはずです。ただそれだけで、少し心が軽くなるはずです。
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同じ土俵に立たない

SNSなんかで、他人を誹謗中傷する実はその人が苦しくて、苦しすぎて書かずにはいられないその人の中では正当な理由があります自分だけじゃないとか、私の方がマシって明るい気持ちになれるから私はこんなにも正しいって主張できるからそんなことに物申す必要はないですよね評価、ジャッジがを当たり前にしていると、つい言いたくなるかも知れませんが、そこにはあなたが握っている正しさを知る機会が訪れていますどれだけ私は違うと感じたとしても、同じ土俵に立った時点で同じです
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