こんばんは。
涼しくなってきましたね。
それにしても平和だなあという心地が増している気がしますね。
相方さんは
”今日、感情動くことあったかなあ・・・”
なんて話していました。
思考の無い静けさの中に存在しているのを
傍にいても感じます。
植物と同じ感じような・・・
サラさんの行動言動にも
当たり前のようにノージャッジですし、
癒しが自然に起きてきてる感じもします。
今日は『怪獣の子ども』という映画を観ていました。
劇中の中の表現に、
”生き物はみんな同じ原料でできている
この世の全ては同じものでできてる
すべてがひとつのものの部分なのだとしたら
太陽も海も人間も 同じなんだ
空も海も僕も そしてほかの誰かとも・・・”
このような表現がありました。
同じ原料・・・
生命、愛、全体・・・
ひとつ。
私たちはそのひとつの部分。
部分を通してそのひとつを味わっているのですね。
それはここの身体の様子や
湧き上がるものを注意深く観ていくと
あれもこれも”自分”というものがしていない。
それを感じ、その塊のようなものが
溶けていく感じなのです。
そうなると全体の動きしかないではないかというように・・・
すべてがいのちの完璧な表現として現れてる。
ノージャッジは自然な状態として落ち着いてくるように感じます。
言葉が現れたとたんに思考がはじまり
ジャッジの世界が生み出されます。
言葉が現れる前
思考が現れる前は、ただただ静かで平安なのですね・・・