善悪の概念から離れる

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こんにちは。
光の翼ここみんです。

いつもブログをお読みくださり、
ありがとうございます♪


「私」たちの無意識は、

善悪の概念に
拘束されています。

目に映るもの、起こる出来事
どんな状態にも
無意識のうちに
判断して
意味づけをしますが、

出来事そのものに
意味はありません。
ただ在るだけです。

何の意味のない
ニュートラルなものに

善or悪と
意味づけして
ジャッジしているのは
他ならぬ
自分自身です。

自分が意味づけする前は、
その出来事は意味もなく
ただそこに
存在しているだけでした。

出来事は
ただ起こっているだけで

それらの出来事は
善も悪もなく
ニュートラルです。

しかし、
個人的な
主観による

正義の定義に準じているものを善
正義の定義に反するものを悪
として

それらの状態に
意味づけする善悪の概念が
集合無意識に
根強く刻まれています。

すべての意識は
繋がっているので

善悪の概念から離れるには
振動数を上げて
意識を拡大していけば

自然と
善悪の概念から
離れていき
自由になります。

ポジティブは善
ネガティブは悪

多くの者が
こういった意味づけをして

ポジティブな感情を
感じていれば、

今はいい状態だ。
調子がいい。

しかし
二元の領域では、

「善い」状態が生み出されれば
同時に
「悪い」状態も生み出されます。

「善い」状態のポジティブ以外は、
「悪い」状態のネガティブ。

必然的に
そうなります。

善悪の定義に従っていれば、

正義の定義に反した
「悪い」感情を感じる
「私」を
到底好きにはなれません。

感情を嫌ったり
排除しようとするでしょう。

そこで
「悪い」感情を感じまいとして
抑圧したりして

自然に現れる
感情を
コントロールしようとしたり、

「悪い」感情が
湧き上がらないように

「善い」感情を
感じられるような
出来事を選んで
過ごそうとします。

それでも
出来事の中でついうっかり
「悪い」感情を
感じてしまえば、

そんな「私」を
「悪い感情を感じる私は、ダメなやつだ…。」
…と、
ジャッジします。

「私」を
ジャッジしているなら

「悪い」感情を感じる
「他者」をも
ジャッジします。

「悪い」感情を感じる
「他者」は嫌いだし、

そんな「他者」と
過ごしていると

さらに「私」は
「悪い」感情を
感じてしまうので
「他者」を
排除したくもなります。

正義に反した悪を行う
「私」のことも
「他者」のことも
好きになれません。

ネガティブな感情を
悪と定義しているなら

人前では
そんな感情をまるで
感じてもいない風に
振る舞いもします。

感情に
善も悪もない

…という定義ならば、

どんな感情であっても
人前であっても
堂々と
感じられます。

堂々と
どんな感情でも
感じている他者をみて

内面でジャッジする者は
善悪の概念を持っている為に
ジャッジしているのです。

しかし、

幼い頃から
母親から毎日のように、

「あなたが、
どんな感情を感じていても
あなたがどうであっても
お母さんは
あなたを愛しているよ♡」

…と
育てられたとしたら、

子供は
自分のことを
「ダメな私」とは思いません。

心から安心して
無条件に
「私」を肯定しながら
生きていくことが
容易くなります。

「どんな感情を感じていても関係なく
私はあなたを愛している。」

…という
無条件の愛で

「私」や「他者」を
受け入れてくれているのが
ハイヤーセルフです。

「私」の中の
光だけを愛し
闇を嫌っている間は、

無条件に
「私」を愛し
受け入れることができません。

ハイヤーセルフには、

ポジティブとネガティブ
光と闇の
区別がなく

「私」たちが
どちらであろうと
永遠に変わらずに
受け入れてくれています。

どんな感情を
感じていても

事象を起こして
すべてを吐き出させてくれて
そのエネルギーを解放してくれます。

個の主観による
正義の定義に準じているものを善
正義の定義に反するものを悪として
善悪の概念が生まれますが、

あくまでも
主観なので
置かれている立場や状況が変われば
善悪はいくらでも
反転します。

たとえば、

多くの者が
「不倫した」夫は、
「悪」だと判断すると思いますが、

そうなると必然的に

「不倫された」妻は
「善」ということになります。

しかし、
それはあくまで
妻の立場側に立った
正義感からの判断で

「不倫した」側の夫を
「悪」と
ジャッジしていますが、

もしも
日常的に妻からの
モラハラを受けていて

精神的に
限界を感じていた
その夫が
逃げ場と安らぎを求めて
「不倫した」としても

妻の座の権利を振りかざして
一方的に
夫の不貞を責めるのは、

はたして
「善」だといえるのか…??

実情を知らないままで
行為そのものだけで
善悪の判断など
できないのではないかと
思います。

「不倫」
ひとつをとっても
善でも悪でもなく
ニュートラルです。

私個人でも
恋愛成就のヒーリングも行っており
「不倫」に関するご相談も
数多く受けますが、

もしも
「不倫」を悪と
ジャッジしていれば、

依頼を受けて
悩みを伺う度に
お客様をジャッジする
…ということになります。

「おいおい…。やばいな。ダメなものはダメだろ…汗」

…と
心のなかで
お客様をジャッジしながら
表面では
平静を装いながら
悩みを伺っているとしたら…汗

むしろそちらの方が
お客様から
料金をいただくプロとして
どうなの…??

…と
疑問を持ちます…。

私なら絶対に
相談したくないですね。

善悪の概念を
抱えたままでは、

お客様の
あらゆる悩みを
オールマイティに伺うことすら
困難になります。

物事はすべて
ニュートラルで、
起きていることに
意味はありません。

捉える側が
「悪」と意味づけすれば、
事象はそのように
展開していきます。

その事象を
観察する側の
捉え方によって

「私」や「他者」の
あるがままを
許すこともできるし

主観による意味づけで
歪めることもできるのです。



























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