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自分を好きになるためにはどうしたら良いか?

今回は、「自分を好きになるためにはどうしたら良いか?」というテーマにつきまして、思うところをお話させて頂きます。 上記のYouTube動画でもお話させて頂きましたので、よろしければそちらもご覧頂けますと大変有難いです。 まず最初にお伝えしておきますと、私自身、必ずしも自分を好きになる必要はないと思っておりますので、「絶対に自分を好きになった方が良い!」というような押し付けをするつもりはありません。 ただ、これまで公私共に色々な方と接してきましたが、自分を好きな人と、自分を嫌いな人を比べますと、やはり前者の自分を好きな人の方が充実した人生を歩んでいるように見受けられます。 ですので、自分を好きになるという事は、これからより一層充実した人生を歩んでいきたいと考えている人にとりましては、一つの重要なポイントではないかと考えられるのです。 では実際、「自分を好きになるためにはどうしたら良いのか?」と言いますと、それはやはり自分に自信を持つ事であり、そして自分に自信を持つためには、自分の良いところを自覚する事が大切であると思っております。 そして自分の良いところを自覚するために、最も効果的な方法は成功体験や幸福体験を味わう事だと言えるでしょう。 やはり自分の良いところを自覚する上で、そのきっかけとなる成功体験や幸福体験がない状況にも関わらず、無理やり自分を好きになろうと思っても、なかなか難しいと思うからです。 もちろん、個人の性格も影響してきますので、特に成功体験や幸福体験がなくても、自分を好きになれるようなポジティブ思考の人も中にはいらっしゃると思います。 しかし、そもそもそういったポ
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自分が好きか嫌いか

時々、「どうしてそこまで自分を責めるの?」という方がいます。何を考えても、何をやっても、主体である自分をとことん嫌ってしまう。例えば、大事な用事のある日の朝、どうしても着ていく服を決められない、というとき。「こんな簡単なことなのに、私ってどうしてこう優柔不断で、落ち着いて考えられないんだろう。センスもないからいけないのね」こんな風に、1.優柔不断2.冷静に考えられない3.センスがないあらゆる角度から自分を否定してしまっていますね。この末路は、「もうなんでもいい。どうでもいい。出来るなら出掛けたくない」ヤケクソ。意欲喪失。その日一日が、残念な気分の日になってしまうこともあります。些細なことのはずなのに、どうしてネガティブな方へ、方へと自分自身を誘ってしまうのでしょう。自分を褒めるには、自分を好きになるには、いったいどうしたらいいの?
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【自分を好きになる♡】と周りの人からも愛されちゃう♡

ご縁いただきありがとうございます💖 電話相談をしている〖安心する心の拠り所 〗 やまみです(♡´∀`♡)今日は、8月10日 ハート♡「愛」の日ですね~❤️ もしも、今あなたが寂しく感じているとしたなら… 他の人から「愛」をもらうことに意識が向いてるかも・・・自分に「大好きだよ〜❤️」 って伝えてあげて下さいね☺️ 違和感がある方は特に🫶🙏 【 自分を好きになる 】と 周りの人からも愛されます💞 ぜひ、実験みたいに試してみて下さい🤲🏻では、最後までお読みいただき ありがとうございます💕 今日もあなたにとって 笑顔あふれるステキな一日に なりますように٩(๑❛ᴗ❛๑)۶ ✧*。 ps. 画像は我が家の愛猫🐈   家族になって今日で3年が経ちました𓈒 𓂂𓏸  いつも癒しをありがとう~♡ˡºᵛᵉ  ずっとずっと大好きだよ💗  ♡┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈♡  ❥︎:❥︎【 電話相談 】受付中  わたしはあなたの味方です ੈ❤︎(*ˊᵕˋ*)  いつでもお気軽にいらしてくださいね♡  ♡┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈♡ ❥︎:❥︎【チャット相談】受付中  電話では相談しづらいあなたへ❤︎ˊᵕˋ )  LINEみたいに気軽にやり取りできる   チャットもご用意しております♡  なんでも相談してくださいね♡
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自分を”否定する”か”好きになる”か。あなた次第で人生が大きく変わる!

「自分を好きになりましょう!」 自分に自信を持つために、自己肯定感を高めるために、 「自分を好きになる」ことが大切。 そんな言葉を聞いたことはありますか? この言葉を聞いて、あなたはどんなことを感じましたか? 「そんなこと言われても・・・」 「そりゃあ、好きになれたらいいとは思うけど、難しい。」 「好きになるなんて無理。」 「そもそも、”自分を好きになる”ってどういうこと?」 こんな風に感じた方もいるかもしれません。 「自分を好きになるということは」・・・ まるごと、ありのままの自分を認められるようになる、ということです。今、この瞬間を生きている自分。その自分をそっくりそのまま、まるごと認めるということです。 そっくりそのまま認める。 つまり、そこに”理由”は必要ありません。 「いまの自分はこれでいい」と、自分を認められるようになることが、自分を好きになるための第一歩です。 「まるごと受け入れる」ということは、今の自分に対して一切ジャッジをしないということです。なぜなら・・・「いまの自分はこれでいい」からです。 否定しません。批判もしません。人と比べることもしません。自分自身をジャッジをすることは、自分をどんどん嫌いになることに繋がってしまいます。「いまの自分にはここが足りないからダメなんだ!」とジャッジせず、 「今の自分には、こういう所があるんだな~」 「今の自分はこう感じているんだな~」 と、気づいたことも、感じたことも、全て受け止めて、認めます。 大切なのは”認めること”。まずは「いまの自分はこれでいい」と認めて、自分の一番の味方になりましょう。今すぐ「自分が好き!」とは
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自分を 好きになるとは どういうことか

自分の良いところを見つけないと いけないわけではない 自分のすごいところを見つけないと いけないわけではない 「自分はすごい」と わざわざ思わなくていい 自分に対して特別なことを 思わなくていい 自分のことを良い悪いで ジャッジしなくていい 自分はこれでいいんだと思えばいい=======-まとめ- 自分を好きな人は「自分ってすごいなあ」なんて わざわざ思っていません 自分を好きな人はどういう状態かというと 自分に対して「何も思っていない」という状態です 空気とか水のようにこれが普通だという感覚です 自分が生きていて何の違和感がないのです 要は自分のことを受け入れられているから 「私はいいんだ」「私はこれでいいんだ」 「こんな見た目でいいし」「こんな声でいいし」 「こんな性格でいいし」「こんな生活でいいし」 とにかく自分にOKを出せています だから「私はすごいな」なんて思わなくていいです そのままの自分を素直に受け入れてあげましょう==========明日は すぐやる男は 成長がバカ早いを投稿します 見てね♪
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【婚活】婚活で良いと思える人が居ない…

婚活で良い人が居ない、なかなか思うような出会いが無いというお悩みの原因は自分で自分が理解出来ていないという事が多いです。婚活は相手探しではなく、自分探しですよ。自分を理解出来ていないと結婚相手に求める条件も何となくで決めてしまいがちです。周りと比べた時の平均値より少し上を取ってしまうんです。相手に求める条件をあれもこれも、多分これも必要かな?と大は小を兼ねる、保険という感覚で条件を出してしまうんです。お見合い(マッチング)すら出来ない、したい人が居ない全て平均値を持っているパーフェクトな相手を探していませんか?ご自身も全て平均値を持っているパーフェクトな相手となり得ますか?そうでないなら条件を見直しましょう。人生で本当に必要な物はそんなに多くはないと思います。自分を知れば絶対に譲れない項目も分かります。お見合い(マッチング)は出来るけどピンと来ない会えているという事は出した条件をほぼ満たしているハズです。それでもピンと来ないという事は、あなたが出している条件はあなたの本当に求めてる結婚相手の条件とはズレているのだと思いますよ。そもそも本当に結婚したいですか?ご自身が結婚したいと思っていないのに婚活をしてもなかなか上手く行きませんよ。本当にその条件はあなたの求める事ですか?あなたの人生に必要な要素は他にあるのではないでしょうか?それを知る為に自分を探す必要があるのです。婚活が早く終わる人は妥協している訳ではありません。自分を知っているからこそ求めるモノが明確なので、そこを満たした相手を見つけて結婚しているのです。自分が求めるお相手がよく分からないまま婚活をスタートするのが悪いとい
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自分を受け入れる✩.*˚

yokoです!投稿をご覧頂きありがとうございます✩.*˚あなたは自分のことが好きですか?好きではないと思った方は自分のどういうところが好きではないのでしょうか? そういう私も以前は自分のことが嫌いでした自分の理想があってそこからほど遠いと感じていたのかも知れません私が自分を好きになれたのはコーチングと出逢ったからですきっかけについては割愛しますが自分自身にとらわれていたことを知りいまは自分が好きだと言えますそして・・悩みもありませんいろいろと上手くいかないことや壁にぶつかることもありますがそれを楽しめるというかポジティブに受け止められます以前の自分が見たらきっと別人だと思うでしょう自分を受け入れることで自分らしい人生を歩めますこれからの人生を楽しく過ごしたい方興味を持って下さった方はお話ししてみませんか!yoko
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たった一つ、必要な努力【スピリット編】

こんにちは😊ご訪問ありがとうございます!!*****************妊活環境を整えるために必要な情報を【ボディ】【マインド】【スピリット】【パートナーシップ】【お金】【仕事】の6つの切り口でお伝えしている妊活環境クリエイターの真紀子です*****************妊活を頑張っている方はもうすでに沢山の努力をされていると思います。でももし、もう十分やってるのに状況が変わらない、、という状態だったら本当に必要な努力はたった一つ。それは「自分を好きになる努力」かもしれません。「自分を好きになる努力」とは★「自分が」いい気分でいること★「自分が」気持ちいいことをすること★「自分が」大好きなことをやることこれを日常の中で行動してコツコツ積上げるそして☆「自分が」今持っているもの☆「自分が」今できること☆「自分が」誇れること☆これまで生きてきた「自分」に目を向け続けてみることこれらは全部自分に愛を注ぐ行為詳しい説明吹っ飛ばしちゃってるけどこれを続けてるとエネルギーが湧いてくるの。胸の奥の炎に気づくいてくるよ。どんな状態であったとしても。もう前に進めないと思っていても。。。徐々に徐々に少しずつ、少しずつ。。私はまず、自分が好きなことぜーんぶ思い出してみるところからやってみました。
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自分のこと好き?

きゅなの認知行動療法が好きーって思うところは自分をもっと好きになっていいんだよって教えてくれるところ自分を好きになるって簡単そうで難しいこともあってまずは自分を知る事が大切でそれが出来れば生きる上でたくさんのメリットがありますよもともときゅなは小学校の時にいじめにあって3年生まで学校にいけなかったんですだから今でも勉強は苦手だし幼少期の思い出はちょっと複雑恥ずかしくて隠すし自分を飾ろうとするしちょっとしたことで認知の歪みがでてきて負のループをだどるそうなると何をしても自信がなくってそんな自分が情けなかったなんでいつもこうなんだろうなんで私だけなんでだろうってそう思いながら生きてきた時がありましたでもそれでは同じことの繰り返しで何をしても楽しくないししんどくなるだけでそれではだめだと分かっていてもなかなか自分が変えられないんですよねそーんな自分が嫌いでしたきゅなは学生時代に看護学校の先生にあなたの看護は患者さんには寄り添えているね言ってもらえたことがあってそこでエンパワメント(人に元気や勇気を与えること患者が持つ力を沸き出させるような援助)を知りました患者さんに興味があっていつもベッドサイドに話を聞きに行っていました看護師って意外と患者のベッドサイドにいくことって苦手な方多いんですきゅなは患者さんの話を聞くことが好きでこれは天性?(´▽`*)笑両親に感謝です♡はい(;^ω^)話を戻しますが患者さんと話して傾聴・共感・受容していくと自分知るきっかけにもなっていたんですよね話す中で自分を振り返ることもするし自分を知っていないと話せないこともあるし患者さんに寄り添えないんですよねいつも
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もったいない!?  思いを伝えることの大切さ

みなさんは、自分の気持ちを置き去りにして毎日を過ごしていまいせんか。とはいえ、言えないことや伝えづらいことっていっぱいあります。私なんか、自分さえ我慢すればいいって思ってしまうタイプで。いつも自分を苦しめていると反省しちゃってます。もったいないですよねーでも、昨日は思いを伝えることに成功しました。変る勇気です。言ったことで後悔がくるんじゃないかって思ったりしましたが、その逆でちゃんと伝えられた自分を褒めちゃいました。よく頑張った自分。今日はバッキンチョコアイスをご褒美に食べちゃいました笑美味しかったー職場の上司もなんか察知したのか、、、、、、お褒めのお言葉をいただいたのでした。思いを吐き出すって、大事だなあって再認識思いを吐き出せている人は穏やかになれます人に優しくなれる相手に対して思いやりの心が生まれますそして自分を好きになれるんですね。なんでも吐き出してくださいね♡                       きゅなでした。
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自分を好きになる方法

自分のことが嫌い ・仕事ではどんくさい・コミュニケーションが苦手・虚弱体質・メンヘラ気味・何をやってもうまくいかない こんな話を聞きました。 自分が嫌いでも幸せになれる・成功できる というものです。 どういうことかと言うと、自分が好きになれなくても、 「一点集中」すれば必然的に幸せになれるということです。 あれやこれやと手をつけてしまうと意識がいろんなところに飛んでしまい 結果的には全てが中途半端に終わってしまい不完全燃焼 次へ進む力も失ってしまいます。 それでも「やりたいこと」を一つには絞れないしやりたいことなんてないよ〜と感じてしまいます。  その場合は「恐怖」を明確にすること 私の場合は・人混み(満員電車)が嫌い・お金にも換えられないぐらい会社が嫌い ということに中年という年齢に達してから気づきました。 確信を得たのが昨日の社労士試験です。 試験会場は今まで見たことない数の人・人・人・・・・・。 試験中も隣の人の「音」が気になって仕方がありません。 ぐ〜るぐる ぐ〜るぐる(マークシートを塗り潰す音)ガッガッがダンダン (消しゴムで解答を消す音)ガタガタガタ    (振動で机が動いている音)ゴホゴホ ウウウ   (遠くから咳払いの聞こえる音)   コロナ禍でソーシャルディスタンスと言いながらもやはり受験者は多く 試験終了後、「群れ」をなして、試験会場を後にします。  最寄り駅まではもう人だらけで、人間で渋滞中 駅構内も帰宅する人の「ラッシュ」でした。 3年も在宅勤務を続けた後メンタル休職をしました。 それでも必要ならば、嫌々でも人混みの中に行くかもしれない・・・。 と思って
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下着姿の自分に色気を感じますか?

おはようございます☆ティーリーフです。今日のテーマ、「下着姿の自分に色気を感じますか?」です。結構際どいタイトルですかね😅べつにいやらしい内容でもなんでもなく、これも私の気づきや経験にもとづくもので。軽く読んでいただけたら嬉しいです😊私はもともと、性格的にそれこそ昨日のブログにも書いた「男性性」の要素が強い性質なんですね。明るい、元気サバサバしてる気になったらすぐ行動受け身じゃなく積極的感情よりも思考こんな感じで、外見的には女性的な服装を身にまとっていても、中身は、男性的な性質が大きくて、それは自分自身でも自覚していて、昔から、どうしても自分のことを性的に好きになれない、というか自分自身に色気を感じられないところがありました。外見にはすごく気を使うのですが、身につけていた下着はスーパーで適当に買った安価なもので、それでいて何年も使い続けてヨレヨレのもの。おまけに上下セットではなくバラバラのものしか持っていなかったので、まあ、身につけてもちぐはぐな感じで。。。そんな感じで、洋服さえ小綺麗にしていればいいと思い、下着には全く興味がなかったのです。(本当にどうでもいいと思ってました)ただ、お風呂に入る前に自分の下着姿を鏡で見るたびに、どうも、嫌な気持ちになるのです。自分の姿を見たくないというか、気持ち悪いというか。当時の私は、自分の中にある女性性を全然大事に扱っていなかったので、ぜんぜんイケてない自分の下着姿をみるたびに、「色気なんて全く感じないわ」「自分に魅力を全く感じないわ」「自分に性欲すらわかないわ」と本気で思っていました。しかしある時、きっかけはなんだったか忘れてしまったので
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ADHDだから何ぞや?

こんばんは。たくちゃんです。29歳の時ADHDと診断受けてから思っていたこと私も思っていたのですが【発達障害があるから夢は叶わない】とか【彼女いらない】とかマイナス発言をよくしていたあの日を今でも覚えています。仕事もできることとできないことと分かれてきてミスをよくやらかして今では怒られたことしかイメージないのではないでしょうか(笑)ただ、ADHDってすごい特殊能力あるんですよそれはね夢中になることはずっとやっちゃうことなんです(笑)最高な能力だよねただ、遊びにずっとはまると大変だけど(笑)仕事になるとすごいですよね。私も、パソコン打ち込むのは夢中になり、今は楽しくブログを書いてます(笑)ADHDは確かに抜けてるとこあったりとかしますが人間誰でも抜けてるとこあるよねと思います(笑)私も最初は、ADHDって嫌いだった(笑)けど、パソコン入力だけは夢中でやめられなくて(笑)楽しい時間です。これが仕事になればと思って今は、プログラミング関係の勉強をしています。ADHDを好きになろう。発達障害だろうけど立派な特徴です。というか、みんな人間完璧じゃないから。発達障害も含めて自分を好きになるって大事なことなんです。このブログを読んで力になれたら幸いです。読んでいただき、ありがとうございます!商品にご興味がありましたらよろしくお願いしますね!
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自分を愛せるようになるには

あなたは自分のことが好きですか?大切にできていますか?自己肯定感を上げるといっても具体的にどうしたらいいのかよく分からないですよね。私もそうでした。鏡に毎晩「かわいい」「大好き」と唱えたりしたけど効果のほどは、う~ん(笑)速く走るようになるにはがむしゃらに練習するよりまずはフォームを見直すところからですよね。自己肯定感を上げるのも同じです。やみくもに「私、大好き」と唱えるのではなくどうやって好きになるかが大切です。好きの反対は無関心。好きの反対は嫌いではなくて無関心。よく言われますよね。つまり、関心は、好きや愛情につながるということです。自分に興味関心をもつということが自分を愛することへの第一歩です。自分に関心を持つとは?自分に関心を持つとはどういうことなのか。あなたは自分の好きな食べ物を即座に答えられますか?では嫌いな食べ物は?これは簡単でしたかね(*^^*)では、次はどうでしょう?あなたの得意なことは何ですか?ちょっと難しくないですか?さらに難しくしてみましょう。人に褒められるよいところは何ですか?大人になってから人に褒められる経験って減りますよね。褒められたとしても自己肯定感が低い人ほどお世辞だと思って聞き流してしまいます。このように「自分に関して」知ることが自分に関心を持つということです。どうやって関心を持てばいいの?では、どうやって関心を持てばいいのでしょう。やみくもに自分のことを考えても欠点ばかりに目が向いてしまいます。それでは本末転倒。自分のことがますます嫌いになってしまいます。ポイントは三つです。①紙に書き出す。頭の中で考えれば自己嫌悪の感情に飲まれてしまいます
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自分に「プレッシャー」を掛けすぎない

過去にアメブロをやっていたむらいちです。(2010年頃) 正直、ブログのフォローワーが1万人という方を見ると、ずっとやっておけばよかったと思っています。 今からでも遅くはないと思うので、5年ぐらい継続してみたいですね。 今回のテーマは「自分に「プレッシャー」を掛けすぎない」です。 時間管理をやっていく上で、自分に期待するというのは良いと思うのですが、 「自分にプレッシャーを掛けすぎる」 というのはあまりオススメできません。 例えば、 ◯毎日24時間、勉強を続ける ◯やり終えるまで、寝ない(何も食べない) ◯TODOリストを何十個も入れておく などの「今の自分には厳しすぎる「ルール(縛り)」」になります。 強制的であるならまだしも、強制力がない状態での「ルール」は厳しすぎると、反動が来てしまいます。 それは「食欲」なのか「金欲」なのか、はたまた「性欲」なのか。 (やはり、プレッシャーをずっと掛けてこられるとムカッと来ますよね?それを自分にもしてあげないことです!) ですので、解決策としては ◯1日の「最低、勉強したい時間」を決めておく ◯「ここまで終わったらお菓子を食べる」などの優しいルール ◯TODOリストは基本、3個まで(それが終わったら、3個ずつ増やす) などと少しずつ決めておくのがおすすめです。 また、1つのテクニックとして 「次の日の分をやっているつもりで、今日やる」 というのも、自分にプレッシャーを掛けないのでオススメです。 他にも 「どんな風に考えると、今の勉強・副業にプレッシャーが掛からないかな?」 と考えていくと、あなたにとって良いやり方が見つかるかも知れません
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自分を好きになって楽に生きる方法

自分の自信が持てないときには自分はダメな人間だと思い込んでしまいます。 自分の評価が下がると、何をするにも不足を補うための行動になってしまいがちです。 例えば、「わたしは記憶力が無いからもっと勉強をしなきゃ」 とか「わたしは人づきあいがダメだから、もっと社交術を磨かなきゃ」 など「人並にならなくては」という想いが強くなる結果「~しなきゃ、ねば」という考えが多くなってくるのです。 一方、自分が好きな人は「わたしは記憶力がない」ではなく、「すぐに嫌な事を忘れられる」と解釈します。 「人づきあいがダメ」ではなく、「1人でいるのがとっても好き」と思えるのです。 そうしていくと「~しなくきゃ」という想いも発生せずに行動の多くが「もっと~したい」という判断基準になります。 自分を好きになった方が人生を楽しめるでしょう。 今回は自分を好きになる方法を紹介します。 自分を好きになる方法 それは「ノートに自分の良いところを書き出す」です。 いくつくらい書くか、というと、100個です。 「え?そんなに書くの?自分の良いところなんて10個もないんだけど。。。」と思うかもしれません。 なので、他の人から見たら当たりまえのこと、または自分の思いこみでもOK。 「運転が上手い(気がする)」とか「歯がキレイ」「ご飯を全部食べられる」 もっとハードルを下げて「朝起きれる」とかでも良いです。 それでもなかなか100個書き出すのは難しい場合は何日かかけて書き足していくと良いでしょう。自分の良いところを書き出すと確実に変わってきます。 仮に落ち込んだときでも 「わたしにはこれだけできるんだ!」と視覚的に確認すること
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自分の中にある我慢の感情を手放す方法♪

苦しい、嫉妬・我慢の感情を手放す方法♪昨日は、 自分の本音と対話する方法を ご紹介しました。 本日はそれの実践編です。 昨日の記事をご覧になっていない場合は 先にこちら ↓ https://coconala.com/blogs/1047250/128361をどうぞ♪モヤモヤのその残り半分は どう解消していくの?? 『気づく』→『実践』です。 これが一番、最短距離で解消できる方法です♪ まず気づきのステップ 具体例を挙げますね。 【ある方の(*'ω'*)もやっとポイント】 毎シーズン、夫婦で旅行に行っている 友人夫婦の話を聞くたびに 『いつも遊んでばかりで、子育て大丈夫なのかしら』 ともやっとする。 ✳気づきのステップその1 →あなた自身遊ぶことを我慢していませんか →旅行に行く事を贅沢だと思っていませんか →自分への楽しみを禁じていませんか →夫婦仲はうまくいっていますか →子育てに負担を感じていませんか →子育ては自分を犠牲にしないといけない思っていませんか →自分にお金を使う事に抵抗感を感じていませんか いろいろな事が見えてくるわけです。 気づきのステップを もう一段階ふかめて 実践の形に変換していきます♪ ✳気づきのステップその2 ●遊ぶことを我慢していませんか →自分が楽しいと思える遊びの時間をちゃんと作る →自分の好きな映画を好きなお菓子とともにみる →友達を誘ってアフタヌーンティーに行く →あなたにとっての『遊び』をすることが大事 ●旅行に行く事を贅沢だと思っていませんか →『旅行』がポイントなら、 ちゃんと計画をして出かけてみる♪ →『贅沢』がポイントなら ちゃん
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好きなものは好きと堂々と言おう♪

人を好きになれない人は自分が好きではない人だったりする、と前にブログで書きました。ではどうやって自分を好きになれば良いのでしょうか?個人ブログでもこのテーマで記事をUPしましたが、こちらでもコピペではなく今日は同じテーマで行こうと思います。ごくたまにですが、自分の恋人を人に紹介するのを恥ずかしがる人っていませんか?俺の彼女はブスだから友達に紹介するのはちょっと💧彼のことは好きだけどイケメンじゃないから友達に紹介するのは恥ずかしい・・・とか。自分の恋人を恥ずかしいと思っているあなたが1番恥ずかしいと気づきましょう。これは例え話として出しましたが、自分を好きになれない人は自分が好きだと思うものや好きな人さえ恥ずかしいと思う人が多いように感じます。言いたいことが言えない、嫌なこともイヤだと言えない、食べたいものすら相手に合わせてしまい自分を出さないようにしている。それはどうしてでしょう?他人にどう思われるかばかり考えて生きているから。自分に自信がないから。誰を好きと思うか何が食べたいかなんて人それぞれで1番自由な部分です。それを誰も何も言っていないうちから自分で恥ずかしいと思ったり、自分の気持ちにフタをしていたら、そりゃ自分を好きになれるハズがない。私はふなっしーが大好きなっしー💛誰が何と言おうが内心笑われていようが、イタイおばはんと陰口言われていようが全く気にならない(笑)好きなものを好きと言えない理由がどこにあると言うのでしょうか❓人のために生きているのではないのです。自分が生きたいように生きてこそ価値のある人生。もちろん他人に迷惑をかけたり意図的に傷つけたり陥れたりしてはいけな
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人を好きになるってどういうこと?

毎週楽しみに見ている『推しの王子様』というドラマの中で、これまで人を好きになったことがないという男性に、登場人物たちが「人を好きになるってこういうことだと思う」と教える回がありました。結婚相談所で働いていた頃、結婚したい!と相談所に入会しているにも関わらず「人を好きになったことがありません」「誰にも興味がありません」という会員様が何にもいて・・・(;'∀')お見合い ➡ 仮交際(友達的な感じなので何人いてもいい) ➡ 本交際(結婚を前提とした1対1の真剣なお付き合い)という流れで婚活は進んで行くわけですが、人を好きになるという感覚がわからない人は本交際の手前かプロポーズ直前で必ずと言っていいほど、「まだ好きじゃないのですが、このまま結婚しても大丈夫ですか?」と言い出すか、「無理ですやっぱり結婚なんてできません💦」と言い出します。いくら恋愛と結婚は別、条件ありきで相手を探す結婚相談所とは言えやっぱり(ほんの少しでも)好きでもない相手とは結婚できなくて当たり前ですよね。人を好きになれない人はそもそも自分を好きじゃない人が多いです。自分の気持ちを大事にしないで生きて来た人の多くは、相手に合わせたり迷惑をかけないように振舞うことにかけては素晴らしいのですが、本当の自分を隠したまま好きでもない人もしくは信頼関係も築けていない人と、大切な話し合いができていないまま結婚なんてして大丈夫か?!と思うのでしょう。人といると気を遣うので、お見合いの1時間や数時間程度のデートなら何とか平気でも、毎日顔を合わせて一緒に生活をすると考えた時、思ったことも言えず合わせてばかりいる人と一緒にいるなんて疲れる
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自分の人生を歩むためには

前回・前々回に引き続き、今回もドラマおちょやんを参考にして生きることは何かを考えていきたい。 どんだけおちょやん好きなんだよと言われるかもしれないが、それだけ心に響いた作品なのだ。私が本当に辛かった時期に放送していて、その辛さを千代と一緒に乗り越えた感じがするのだ。またその辛さを演じた、主役千代役の杉咲花さんと親友みつえ役の東野絢香さんの演技が素晴らしい。親友みつえ役の東野絢香さんは鬱の演技が本物にしか見えなかったし、杉咲花さんは泣きの演技と、自分の人生は自分のもので、自分で選択していいと気づきを得たときの演技が圧巻だった。ドラマ終盤の副題「うちの原点だす」の週。89話目。千代が演劇を志すきっかけとなった「人形の家」の台詞を一人で2分半もの長時間の演技。この台詞は、これまで何度もドラマの中で引用されてきたが、千代はまだその言葉を言わされてる感があったのだが、この回で自分のものにする。これまでの言わされてる感はこの回のための伏線だった。さすが半沢直樹の脚本家である。「気づき」を得た瞬間の演技を若干23歳でできることに驚く。静と動の演技が素晴らしい。いったい、杉咲花さん自身、どんな人生を歩んできたのだろうか。またこのシーンは千代の心理描写を表現しているカメラワークも素晴らしく、何度見ても目が離せない2分半なのだ。このシーンを私は何度も繰り返し見たし、多分私はこれからもことあるごとに観ると思う。背中を押されるし、人が成長できた瞬間に立ち会える喜びがあるし、気づきを得ることは次の試練を乗り越えるための力がつく瞬間だからだ。私にとってこのシーンは、これまで自分にはできないと思っていたこと
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今生きることが辛かったとしても

前回のブログでは連続テレビ小説おちょやんのあらすじと感想、どん底から這い上がるために、信頼できるカウンセラーやメンターを作る必要性を書いた。今回もおちょやんから私が学び感じたことを書いていきたい。(ここからネタバレのため、ドラマを観たい方はスルーしてください)ドラマおちょやんの主人公千代と一平の離婚の原因は、千代の所属する劇団の団長でもある一平と、千代が可愛がっていた劇団員との間に子供ができたことだった。劇団員に子供ができたと知る前、千代は彼女のことも許そうとしたし、千代も一平も別れるつもりはなかった。腐れ縁に見える二人だったが、心の底からお互い愛しあい、必要としあっていたのだ。 だが劇団員に子供ができたことを知ると、千代は離婚届けを記入。一平も、自分の心に素直になったところ、千代ではなく愛人を取った。千代と一平の間には子供がおらず、一平は子供が欲しかったのだ。 千代と別れ愛人と子供との生活を選んだ一平だが、あまり幸せそうではなかった。罪悪感や後ろめたさがそうさせたのだろう。 一方千代は人生のどん底を味わいながらも、自分をずっと見守ってくれていた存在を知ることと、守るべき存在ができたことで生きる意味を見つける。千代は実子ではない子供を育てることとなった。 実子にこだわって大事な人を捨て苦しそうな一平と、大事な人に捨てられ実子ではない子を育て幸せそうな千代。 とても対照的な描写がされていた。 だが朝ドラは、裏切った人が不幸でい続ける勧善懲悪で終わるわけがない。テーマが深いのだ。最終的に千代と一平は和解する。 一平は自分の半生を投影した喜劇を書くことで罪悪感や自責の念から解放される
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あなたが好きになる♪子宮ヒーリングレッスン

目次1.はじめに 2.ヒーリングについて 【天と地につながるワーク】3.子宮について 【子宮呼吸・子宮ヒーリングのやり方】 【子宮さんからメッセージをもらおう】4.子宮からつながる魂からのメッセージ5.あなたを愛すること、女性性と男性性について6.あなたの体を愛すること7.おわりに1.はじめにあなたは、あなたのことが好きですか?それとも、嫌なところや出来ないことばかり気にしてしまうでしょうか。頭で考えている自分は、本来のあなたのひとつの側面に過ぎません。本来のあなたを心や体で感じてみましょう。子宮ヒーリングをすることによって子宮からあなたの本音や欲求を引き出しあなたが知らないうちに作り出していたセルフイメージや枠を飛びこえてその先にいる新しいあなたに出会うお手伝いをします。ありのままのあなたがどれだけ愛おしく美しい存在か愛にあふれているのか、ぜひ体感していただきたいと思います。それでは、はじめていきましょう。
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自分に優しくするって、こういうこと。

私はココナラで悩み相談・心理セラピーを承っております。中には、いっぱいいっぱいの中で踏ん張っている方も。今は無理しない方が良いな、と感じた場合は、「自分に優しくしましょう♪」とお伝えします。ところが、「自分に優しく」って難しい。悩まれている方は、自分に厳しい方が多い。そもそも自分に優しいならば、そんなに落ち込む必要もなかったりします。また、「自分に優しくってどういうことだろう?」と分からなかったりする方もいらっしゃると思います。自分に優しく。ここを私なりの言葉でご説明しようと思います。生き方が不器用だった私も、ずっと生きやすくなりました。***例えば、目標に全然たどり着けなかったとします。自分が思っていた成果が出なかった。失敗したと思う箇所もある。反省は大事です。あの点がいけなかったんだな、次はこうしてみよう。するとこうなって、ずっと上手くいくかもしれない。こんな風に、ステップアップへの道も見えてきます。脳科学者はこう言っています。「反省した日の夜、睡眠中に脳は同じ失敗を繰り返さないように記憶を整理し、思考回路を育てている。なので失敗することは脳を鍛えるに良いことなのです。決して人のせいにはせず、正しく反省をしましょう。失敗したら大いに喜びながら反省しましょう」と。でも「こんな自分は駄目だ、情けない」と思うのは自分に優しくない。自分を責めるのは、自分を虐めていることです。後悔に圧されると、頑張ったことの印象が薄くなります。一生懸命だった自分が可愛そうですね。頑張った自分を認めながら反省をしましょう。自分を責め立てずとも、それで充分なのです。ダメだ私なんて…こんな風に考えてしまっ
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第160話「立場と役割の違い」

この記事は、大貫智也のサラリーマン時代の話であり、ここからは、ただの従業員から店長になっていく過程、そして、店長になってからのことについて書いていきます。店長の仕事とは、『働く人の心を創る』では、そのために必要なこととは?シンプルに『信頼される』ということ。自分目線で、店長をするのではなく、従業員目線で、どんな店長であれば信頼できるかを常に問い続けること。これは別に、従業員のいうことを全て聞き、気に入られるようにしろ、というわけではない。人にやられて、嫌なことはするなこれである。自分は店長だから、とかを一切考えることなく店長も従業員も立場は何も変わらない。役割が違うだけである。これをしっかり理解して相手の気持ちに寄り添うこと。大貫が店長になって1番最初に決めたことは意外にも、あることだった。最後までご覧頂き、ありがとうございます。初回ブログは以下よりご覧頂けます。https://coconala.com/blogs/1957729/21724少しでも興味をもって頂けましたら、気軽にメッセージください。
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第159話「リーダーの役割」

この記事は、大貫智也のサラリーマン時代の話であり、ここからは、ただの従業員から店長になっていく過程、そして、店長になってからのことについて書いていきます。店長の仕事の本質とは?僕は、『働く社員、従業員の心を創る』だと思う。言い方を変えると働きやすい環境、やりがいのある環境給料や時給以上のものが得られる環境とも言える。実際、パートやアルバイトの人は、シンプルに言えば、お金を稼ぎにきている。ただ、稼げればどこでもいいわけではない。時給がいい、というのも一つの条件だと思うが、時給で仕事を選ぶ人は、今よりいい時給があればいずれそっちに行く。だから、時給は優先事項ではない。1番大切なことは、この店で働いていて良かった。と思える瞬間を何回店長、リーダーが用意することができるか。これに尽きる。続最後までご覧頂き、ありがとうございます。初回ブログは以下よりご覧頂けます。https://coconala.com/blogs/1957729/21724少しでも興味をもって頂けましたら、気軽にメッセージください。
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第158話「応援される自分」

この記事は、大貫智也のサラリーマン時代の話であり、ここからは、ただの従業員から店長になっていく過程、そして、店長になってからのことについて書いていきます。リーダーたるものなんでも知ってる、なんでもできるこれって重要なことである。質問されたことに答えられなかったら信用を失う可能性もある。ただ、完璧な人間なんていないだから、能力も重要な上でもっと大切なことは、『想い』である。リーダーとして・お店をどうしていきたいか・その中で、みんなにどうなって頂きたいか・それを実行すると何が起こるか単純にやれ!では、人はついてこない。『応援される自分になる』これが本当に大事である。どんなに有能な能力があっても応援される自分でなければ人が想像する以上の結果は残せないし、残らない。人が到底叶えられないと思う結果が出る時とは、結局、人の想いが通じ合ってる時である。会社からの要求云々の前に自分は、どうしたいのかどうなってほしいのかこれが何より大事。続最後までご覧頂き、ありがとうございます。初回ブログは以下よりご覧頂けます。https://coconala.com/blogs/1957729/21724少しでも興味をもって頂けましたら、気軽にメッセージください。
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第157話「1人では何もできない」

この記事は、大貫智也のサラリーマン時代の話であり、ここからは、ただの従業員から店長になっていく過程、そして、店長になってからのことについて書いていきます。自分のやりたいことをやる時間を増やすために・定時業務・会社からの要望を早く終わらせていく。その前に1番重要なことは、『チーム改革、組織改革時に根底にあるのは自分1人では、何もできない。ってことを理解しているかどうか。』結局、うまくいかないリーダーは全部1人でやろうとしているかうまくいかなくなってから部下や下の人に無理矢理お願いする。だから、信用されなくなるのである。そうではなく、最初からみんなに助けていただきたいってことを伝える。これは本当に重要なこと。だから、最初からみなに、同じゴールを設定し、方向性を合わせる。続最後までご覧頂き、ありがとうございます。初回ブログは以下よりご覧頂けます。https://coconala.com/blogs/1957729/21724少しでも興味をもって頂けましたら、気軽にメッセージください。
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第156話「オンリーワンな存在」

この記事は、大貫智也のサラリーマン時代の話であり、ここからは、ただの従業員から店長になっていく過程、そして、店長になってからのことについて書いていきます。店長になって1番初めに取り組んだことは、『時間を作る』ことその意味は、皆さんも含め1日の中の流れは①定時業務(朝礼、会議など)→毎日、毎週あるもの②会社からの要望→セールがあるから、それを売り込むための準備など③自分のやりたいことをやる時間→僕の場合、店長として店舗を良くするために取り組む内容この中で③をする時間を圧倒的に増やしたかった。確かに会社からの要望を実行していくことは大事。もちろん、これもやった。ただ、それだけでは他の人、他の店と何も変わらない。自分の独自性、自分のカラーを出す必要があり、それがやがて従業員の人に伝わるとオンリーワンな店になる。とにかく①.②を高速で終わらせる仕組みを構築したかった。続最後までご覧頂き、ありがとうございます。初回ブログは以下よりご覧頂けます。https://coconala.com/blogs/1957729/21724少しでも興味をもって頂けましたら、気軽にメッセージください。
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第155話「1番初めに取り組んだこと」

この記事は、大貫智也のサラリーマン時代の話であり、ここからは、ただの従業員から店長になっていく過程、そして、店長になってからのことについて書いていきます。1回目の店長は、10月から10月末までの1か月間。限りれた時間の中で自分のやりたいことを実感していく場所として最高の環境だった。同期には、改善計画書を出したことで軽く引かれたけどもともと軽く知っている中だったのでうまくいったと思う。伝説の営業所長の森さんには『V字回復』ってめっちゃプレッシャーをかけられましたがそれも含めて最高の経験でした。僕が店長になったこのお店はかなり売上が低かったので改善すればすぐに効果が出ると思いました。何より1番初めに取り組んだことは、『時間を作る』ことでした。その『時間を作る』の真意とは?続最後までご覧頂き、ありがとうございます。初回ブログは以下よりご覧頂けます。https://coconala.com/blogs/1957729/21724少しでも興味をもって頂けましたら、気軽にメッセージください。
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第154話「改善計画」

この記事は、大貫智也のサラリーマン時代の話であり、ここからは、ただの従業員から店長になっていく過程、そして、店長になってからのことについて書いていきます。大貫は10月から店長に任命された。そして、同じ店舗で働くのは、同期3名で、全員男子であった。そこで、全員が集まったときに大貫がしたことは、『寺○3丁目店、改善計画』をみなに配った。笑A4の紙で、15枚くらいあった。その中には、まず、コンビニはどこで儲けるのか?今後、何をしていくのか?どこが強み、弱みであるか?今、いるスタッフさんの特徴と今後の育成方針みなには、どんな社員であって欲しいか?このように多くのオーダーを出した。店長になりたくて大貫は、店長ノートを作成していた。店長ノートとは、店長になったときに取り組むことの一覧である。それから必要なものを全て、その改善計画書に込めた。改善計画に1番大切なことは、結局、大貫が店長をすることで『このお店をどうしたいのか?』という想いである。もはや技術なんてなかったので、オール想いであった。そして、店長としての日々が始まった。続最後までご覧頂き、ありがとうございます。初回ブログは以下よりご覧頂けます。https://coconala.com/blogs/1957729/21724少しでも興味をもって頂けましたら、気軽にメッセージください。
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第153話「店長スタート」

この記事は、大貫智也のサラリーマン時代の話であり、ここからは、ただの従業員から店長になっていく過程、そして、店長になってからのことについて書いていきます。10月から店長になる人は、約50人当時僕らがいた直営店の店長を一個上の先輩から引き継ぐわけである。そのなかで、多くの同期は、『店長になりたくない』と思っていた。それは、店長を発表をした後の雰囲気でわかった。人によっては、泣き出す人もいたりした。よっぽど嫌というか店長が務まるのか?の不安も結構あったと思う。かくいう大貫は、10月から店長に任命された。自分が半年間研修した店舗で 店長になることになった。期間は、1ヶ月。自分で店長になりたいと思っていたもののさて、どうするか?と思ったときに  僕はある行動に出ました。僕的には、結構当たり前だと思ったけど、それをやった同期は当時誰もいなかったと思う、いや、いないね。同じ店舗になった同期たちも少し引く、大貫がとった行動とは?続
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第152話「店長になれるの?」

この記事は、大貫智也のサラリーマン時代の話であり、ここからは、ただの従業員から店長になっていく過程、そして、店長になってからのことについて書いていきます。7.8月は殿堂入り店舗での研修。それが終わり、現実的に見えてきたのが10月に店長になるか、ならないかである。当時の僕ら新入社員は、職場体験という店舗以外に本社のいろんな部署や関東圏の営業所に約2ヶ月間、研修に行くことになっていた。当時、僕はBというグループで10.11月は本社への研修が決まっていた。しかし、10月から店長に任命される場合は、Cグループ、12.1月の研修グループの人と入れ替わる可能性があると人事部から言われていた。当時の僕はとにかく店長に最短でなりたかった。しかし、その一方で多くの同期はこう思っていた。その内容とは?続最後までご覧頂き、ありがとうございます。初回ブログは以下よりご覧頂けます。https://coconala.com/blogs/1957729/21724少しでも興味をもって頂けましたら、気軽にメッセージください。
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第150話「この本をどう活かすか?」

この記事は、大貫智也のサラリーマン時代の話であり、影響を受けた本の内容から考えるシリーズである。本から考えるシリーズの第一弾『嫌われる勇気』は、本日の投稿で最後になります。僕が本を読む上で1番大事にしていることは、『読んだことで、満足しない』です。多くの人は、セミナーや本、素晴らしい人との出会いをして『得た気づき』をそのままにしている人が9割だと思います。これは単純にもったいないです。そこで僕が実践していることは、・本から学んだことを3つに絞る・その3つを、日々の行動に変える・その行動を3週間継続する仕組みを作る・その行動を毎日振り返りするこれです。いうのは簡単ですが、実践するのは難しいかも。(そもそも、難しいと思ってる人は最初からできない。笑)僕の場合は、人から決められたことは ほとんどできません。笑その理由は、頭で分かっていても、腹落ちしていないから。なので、僕は腹落ちするまでひたすら深堀します。そもそも、本を読んだり、セミナーに出たり人に教えを乞う理由ってなんですか?『自分を変えたい、よくしたい』だと思います。そうでなければ、何の意味もないです。結局、自分を変革する方法は、『行動』しかありません。あなたは、勉強して自己満してませんか?何の意味もないですよ。続最後までご覧頂き、ありがとうございます。初回ブログは以下よりご覧頂けます。https://coconala.com/blogs/1957729/21724少しでも興味をもって頂けましたら、気軽にメッセージください。
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第149話「大貫が感じたこと」

この記事は、大貫智也のサラリーマン時代の話であり、影響を受けた本の内容から考えるシリーズである。今回は、大貫がこの本を読んで感じたこと、気づいたことを書いていきたいと思う。人生のタスクなるものが存在し、・愛のタスク・仕事のタスク・交友のタスクの3つが人生を決める上で非常に大きな要素を占める。また、アドラーは『全ての悩みは、対人関係である。』と言い切っている。人間は1人では生きていかないし、多くの人は、人に対して、何らかの悩みがある。そして、その多くは、過去の出来事が関係していることが実は多い。そのため、本人でも自覚していないことが多々ある。いま、奥さんを大切にできていないのは、あなたは、自分のお母さんを大切にしていないからである。と言われて、なるほど!!となる人は、ほとんどいない。過去に全ての原因があるとは思わないし、アドラーも原因論、トラウマを否定してる。ただ、過去に縛られて今もそれに苦しめられてる人をたくさん見てきた。あなたの悩みは、どこが根本の原因だと思いますか?この本の主人公の青年のような人を僕はこの2年でたくさん見てきました。・やる気はある・ただ、どうしたらいいかわからない・やりたいこともない・答えばかりを探してる・そもそも自分とは何か?・幸せとは何か?これを永遠に自分に問い続けている。そして、うまくいかない自分を見て、毎回、自分を責めている。自分を変えるってすごく難しく思える。変えなくてもいい。ただ、自分を戻しましょう。小学校の時の無邪気なあの頃の自分に。純粋に笑っていたあの頃の自分に。そうすれば、アドラーのいう『導きの星』他者貢献をし続ける自分になれます。もし、ど
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第148話「アドラーの言葉」

・自分だけの道・導きの星=他者貢献青年「自らの上空に他者貢献という星を掲げていればつねに幸福とともにあり、仲間とともにある!」哲人「そして、刹那としての『いま、ここ』を真剣に踊り、真剣に生きましょう。過去も見ないし、未来も見ない。完結した刹那を、ダンスのように生きるのです。誰かと競争する必要もなく、目的地もいりません。踊っていれば、どこかにたどり着くでしょう。」青年「誰も知らない『どこか』に!」哲人「わたしは長年アドラーの思想と共に生きていき、ひとつ気がついたことがあります。」青年「なんでしょう?」哲人「それは『ひとりの力は大きい』、いや『わたしの力は計り知れないほど大きい』ということです。」青年「どういうことでしょうか?」哲人「つまり、『わたし』が変われば『世界』が変わってします。世界とは、他の誰かが変えてくれるものではなく、ただ『わたし』によってしか変わりえない、ということです。」青年「わたしが変われば、世界が変わる。わたし以外の誰も世界を変えてくれない・・・ああ、わたしは悔しいですよ!心の底から悔しい!あと10年、いや5年でいいから早く知りたかった。」哲人「もう一度、アドラーの言葉を贈りましょう。『誰かが始めなければならない。他の人が協力的でないとしても、それはあなたには関係ない。わたしの助言はこうだ。あなたが始めるべきだ。他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく。わたしはあなたが水を呑んでくれたのだと、信じます。さあ、先を歩く若い友人よ、ともに歩こうではありませんか。」------------------------------------------誰かのせいに
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第147話「導きの星」

哲人「あなたはご自身の人生に迷っておられる。なぜ迷っているのか。それはあなたが『自由』を選ぼうとしているからです。すなわち、他者から嫌われることを怖れず、他者の人生を生きない、自分だけの道を。」青年「そうです!わたしは幸福を選び、自由を選びたい!」哲人「人が自由を選ぼうとしているとき、道に迷うことは当然あるでしょう。そこでアドラー心理学では、自由なる人生の大きな指針として『導きの星』というものを掲げます。」青年「導きの星?」哲人「旅人が北極星を頼りに旅するように、われわれの人生にも『導きの星』が必要になる。それがアドラー心理学の考え方です。この指針さえ見失わなければいいのだ、こちらの方向性に向かって進んでいれば幸福があるのだ、という巨大な理想になります。」青年「その星はどこにあるのですか?」哲人「他者貢献です。あなたがどんな刹那を送っていようと、たとえあなたを嫌う人がいようと、他者に貢献するのだという導きの星さえ見失わなければ、迷うことはないし、なにをしてもいい。嫌われる人には嫌われ、自由に生きてかまわない。」--------------------------------------人間は矛盾した生き物である。人から嫌われたくないと思えば、思うほど人から嫌われる。もういいや、自分らしく生きよう!と思うと、嫌われないものである。本当に、逆って大事。続最後までご覧頂き、ありがとうございます。初回ブログは以下よりご覧頂けます。https://coconala.com/blogs/1957729/21724少しでも興味をもって頂けましたら、気軽にメッセージください。
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第146話「一般的な人生は意味はない」

・いま、ここを真剣に生きる・深刻でなく、真剣に哲人「過去も未来も存在しないのですから、いまの話をしましょう。決めるのは、昨日でも明日でもありません。いま、ここです。もはや、議論は水辺に達しているでしょう。水を呑むかどうは、あなたの決心次第です。」青年「ああ、アドラー心理学、そして先生の哲学は、たしかにわたしを変えようとしているのかもしれません。わたしは、『変わらない』という決心をやめ、新しい生き方を、新しいライフスタイルを選ぼうとしているかもしれません。でも、でも、最後にもうひとつだけ聞かせてください。」哲人「なんでしょう。」青年「人生が連続する刹那であったとき、人生が、いま、ここにしか存在しなかったとしたとき、いったい人生の意味とはなんなのでしょうか?わたしはなんのために生まれ、この苦難に満ちた生を耐え抜き、死を迎えるというのでしょうか?その理由が、わたしにはわからないのです。」哲人「人生の意味とはなにか?人はなんのために生きているのか?ある人からこの質問を向けられたとき、アドラーの答えは『一般的な人生の意味はない』というものでした。そして、こう語ったあと、こう続けています。『人生の意味は、あなたが自分自身に与えるものだ』と。」青年「自分自身に与える?どういう意味です?では、教えてください!わたしはどうすれば、無意味な人生にしかるべき意味を与えられるのでしょう?わたしにはまだ、その自信がないのです!」-----------------------------------------なんのために生きているか?そんなことは、わかりません。笑だって、人によって違うから。誰かが、あな
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第145話「深刻ではなく、真剣である」

・過去、未来ではない・いま、ここを生きる青年「いま、ここを真剣に生きること、ありもしない線を設けないことたしかに認めますよ!ですが、先生、わたしには夢や目標も見つかっていません。踊るべきダンスさえわからない。わたしのいま、ここには、まったく無益な刹那しか存在しないのです!」哲人「目標など、なくてもいいのです。いま、ここを真剣に生きること、それ自体がダンスなのです。深刻になってはいけません。真剣であることと、深刻であることを取り違えないでください。」青年「真剣だけど、深刻ではない。」哲人「人生は、いつもシンプルであり、深刻になるようなものではない。それぞれの刹那を真剣に生きていれば深刻になる必要などない。そして、もう一つ覚えておいてください。人生はつねに完結しているのです。あなたも、そして、わたしもたとえいま、ここで生を終えたとしてもそれは不幸と呼ぶべきものでは ありません。」青年「もしも、わたしがいま、ここを真剣に生きていたとしたらその刹那はつねに完結した物であると、と?」哲人「そのとおりです。ここまでわたしは、何度となく人生の嘘という言葉を使ってきました。そして、最後に人生における最大の嘘はなにかを話しましょう。人生における最大の嘘、それはいま、ここを生きないことです。--------------------シンプルに悩みすぎるな!ってことだと思う。笑悩みを次の日にひきづらない。これができたらだいぶ楽になれると思う。続最後までご覧頂き、ありがとうございます。初回ブログは以下よりご覧頂けます。https://coconala.com/blogs/1957729/21724少しで
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第144話「強烈なスポットライト」

・人生は点の連続・ダンスのように生きる哲人「ダンスを踊っているいま、ここが充実していれば、それでいいのです。」青年「いまを踊れば、それでいい?」哲人「自分が劇場の舞台に立っている姿を想像してください。このとき、会場全体に蛍光灯がついていれば客席のいちばん奥まで見渡せるでしょう。しかし、自分に強烈なスポットライトを当てていたら、過去も未来も見えなくなるでしょう。われわれはもっといま、ここだけを真剣に生きるべきなのです。過去にどんなことがあったかなど、あなたのいま、ここにはなんの関係もないし、未来がどうであるかなど、いま、ここで考える問題ではない。いま、ここを真剣に生きていたら、そんな言葉など出てこない。-------------------今、この瞬間を全力で生きる。これって簡単そうに見えてとても難しいことである。それはなぜか?悩みが絶えないから。余計なこと、いらないこと、自分では変えられないことをひたすら悩んでしまう。では、どうしたら今、この瞬間を生きれるか?それは、自分の軸を決めること。あなたは、軸がありますか?続最後までご覧頂き、ありがとうございます。初回ブログは以下よりご覧頂けます。https://coconala.com/blogs/1957729/21724少しでも興味をもって頂けましたら、気軽にメッセージください。
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第143話「ダンスのように生きる」

・特別な存在になろうとする・普通であることの勇気哲人「なぜ特別になる必要があるのか?それは普通の自分が受け入れられないからでしょう。だからこそ、特別によくあることがくじかれたとき、特別に悪くあることへと極端な飛躍をしてしまうのです。しかし、普通であること、平凡であることは、ほんとうによくないことなのか。なにが劣ったことなのか。じつは誰もが普通なのではないか。そこを突き詰めて考える必要があります。」青年「先生は、わたしに普通であれ、と?」哲人「自己受容は、その重要な一歩です。もし、あなたが普通であることの勇気を持つことができたなら、世界の見え方は一変するはずです。普通であることを拒絶するあなたは、おそらく普通であることを無能であることと同義でとらえているのでしょう。普通であることとは、無能なのではありません。わざわざ自らの優越性を誇示する必要などないのです。」青年「いや、特別であることをめざす危険性は認めます。しかし、あえて普通であることを選ぶ必要がありますか?誰の記憶にも残らない無益な人生を過ごすために自分はその程度の人間なのだと満足しなきゃならないのですか?冗談じゃない。そんな人生、いますぐ打ち捨ててやる。」哲人「どうあっても特別でありたいのですね?」青年「違います!いいですか、先生のおっしゃる普通を受け入れることは、怠惰な自分はを肯定することにつながるのですよ!」哲人「つまり、人生には高慢なる目標が必要だと。」青年「当たり前でしょう!」哲人「アドラー心理学の立場は違います。人生を登山のように考えている人は、自らの生を『線』としてとらえています。そうではなく、人生は点の連続な
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第142話「普通であることの勇気」

・自己実現的な幸福・自らの幸福とは哲人「わかりました。このあたりについては、問題行動に走る子どもを例に考えるとわかりやすいかもしれません。多くの子どもたちは、最初の段階で特別によくあろう、とします。具体的には、親のいいつけを守って、社会性をもった振る舞いをし、勉強やスポーツ、習い事などに精を出します。そうやって親から認めてもらおうとする。しかし、特別によくあることが叶わなかった場合今度は一転して特別に悪くあろう、とします。」青年「なぜです?」哲人「特別によくあろうとすることも、あるいは特別に悪くあろうとすることも、目的は同じです。他者の注目を集め、普通の状態から脱し、特別な存在になること。それだけを目的としているのです。本来、勉強であれ、スポーツであれなにかしらの結果を残すためには、一定の努力が必要になります。ところが、特別に悪くあろうとする子ども、すなわち、問題行動に走る子どもたちは、そうした完全な努力を回避したまま、他者の注目を集めようとしています。アドラー心理学では、これを安直な優越性の追求と呼びます。」青年「非行に走る子どもたちもまた、安直な優越性の追求なのですか?」哲人「そうです。そして、親に叱れるこそ、問題行動をやめないのです。」青年「しかし、しかしですよ?すべての人間が特別によくあることなど、不可能ですよね?人間にはどうしたって得意不得意があるし、差がでてしまう。天才などこの世にごく一握りしかおらず、誰もが優等生になれるわけではない。だとすれば、敗れた者はみな特別に悪くあるしかない。」哲人「そうなのです。そこで、アドラー心理学が大切にしているのが、普通であることの
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第141話「特別な存在になること」

・いまこの瞬間から幸福になれる・最大の不幸は自分を好きになれない青年「先生はなんでも対人関係のなかに閉じこもってしまって自己実現的な幸福についてなにも語ろうとされない!わたしに言わせれば、それは逃げです!」哲人「なるほど。よくわからないのですが、あなたの考える自己実現的な幸福とは、具体的にどういうものでしょうか?」青年「わたしはまだ、自分がなにを求めているのか、将来なにをやりたいのか、よくわかりません。でも、なにかをやらなきゃいけないことはわかっています。いつまでも大学図書館で働いているわけにもいかない。生涯をかけてめざすべき夢を見つけ自己実現が達成できたときにこそ、わたしは真の幸福を実感するでしょう。」-------------------・なにをやりたいかわからない・目標がないこういう人がすごく多い気がします。目標とか、やりたいことは誰かが与えてくれるものではありません。では、どうやって探すのか。まずは、自分に向き合うことがはじめの一歩。嫌な記憶、嫌なことすらも一回向き合ってください。逃げていたら、ずっと迷子のままですよ。続最後までご覧頂き、ありがとうございます。初回ブログは以下よりご覧頂けます。https://coconala.com/blogs/1957729/21724少しでも興味をもって頂けましたら、気軽にメッセージください。
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第140話「この瞬間から幸福になれる」

・ワーカホリックの人・仕事を言い訳に、責任から逃れてる青年「先生はすべての悩みは対人関係の悩みであるとおっしゃっる。裏を返せば、われわれの幸福もまた、対人関係のなかにあるのだ、と。しかしわたしには、このあたりがまだ納得できません。人間にとっての幸福とは、たかだか良好な対人関係にあるのでしょうか?つまりわれわれの生とは、そんなちっぽけな安息や喜びのために存在しているのでしょうか?」哲人「あなたの問題はよくわかります。わたしがはじめてアドラー心理学の講演に出席したとき、講師は、次のように語りました。今日わたしの話を聞いた人は、いまこの瞬間から幸福になれることができます。しかし、そうでない人は、いつまでも幸福になることはできません。と。人間にとっての幸福とはなにか。これは哲学が一貫して問い続けてきたテーマのひとつになります。わたしは幸福の正体について、深く考えてきた。答えを探し求めてきた。けれども、『自分がどうやって幸福になるか?』については、必ずしも深く考えてこなかった。わたしは哲学の徒でありながら、幸福でなかったのかもしれない、と。」青年「なるほど。先生とアドラー心理学の出合いは、違和感から始まったのですね?」青年「では、聞きましょう。先生は結局、幸福になれたのですか?」哲人「もちろん。」青年「なぜそう断言できるのです?」哲人「人間にとって最大の不幸は、自分を好きになれないことです。この現実に対して、アドラーはきわめてシンプルな回答を用意しました。すなわち。『わたしは共同体にとって有益である』『わたしは誰かの役に立っている』という思いだけが自らに価値があることを実感させてくれるの
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第139話「ワーカホリックの人」

・調和を欠いた生き方・なににフォーカスするか哲人「対人関係がうまくいかないのは、ほんとうは自己受容や他者信頼、または他者貢献ができていないことが問題なのに、どうでもいいはずのごく一部にだけ焦点を当てて、そこから世界全体を評価しようとしている。それは人生の調和を欠いた、誤ったライフスタイルなのです。たとえば、ワーカホリックの人。この人たちもまた、明らかに人生の調和を欠いています。」青年「ワーカホリックが?なぜです?」哲人「ワーカホリックの方々は、人生の特定の側面だけに注目しています。おそらく彼らは仕事が忙しいから家庭を顧みる余裕がないと弁明するでしょう。しかし、これは人生の嘘です。仕事を口実に、他の責任を回避しようとしているにすぎません。本来は家事にも、子育てにもあるいは友人との交友や趣味にもすべてに関心を寄せるべきであって、どこかが突出した生き方などアドラーは認めません。」青年「ああ…。わたしの父が、まさにそんな人でした。ワーカホリックになって、ただただ仕事に打ち込んで成果を出す。そして、自分が稼いでいることを理由に家族を支配する。非常に封建的な人でした。」哲人「ある意味それは、人生のタスクから目を背けた生き方なのです。仕事とは、会社で働くことを指すのではありません。家庭での仕事、子育て地域社会への貢献、趣味、あらゆることが仕事なのであって、会社など、ほんの一部にすぎない。会社の仕事だけしか考えないのは人生の調和を欠いた生き方です。」続最後までご覧頂き、ありがとうございます。初回ブログは以下よりご覧頂けます。https://coconala.com/blogs/1957729/
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第138話「人生の調和を欠いた生き方」

・わたしが他者にのなにをしているか・生き方まで変えるには、生きた年数の半年かかる哲人「世の中は善人ばかりではありません。対人関係のなかで不愉快な思いにさらされることは、多々あるでしょう。しかし、このとき間違っていけないのは、いずれの場合も攻撃してくる『その人』に問題があるだけであって、決してみんなが悪いわけではない、という事実です。神経症的なライフスタイルを持った人は、なにかとみんな、いつも、すべてといった言葉を使います。みんな自分を嫌っているとかいつも自分だけが損をするとかすべて間違っているというように。もし、あなたがこれら一般化の言葉を口癖としているようなら、注意が必要です。」青年「まあ、思い当たるところはあります。」哲人 「アドラー心理学では、こうした生き方のことを人生の調和を欠いた生き方だ、と考えます。物事の一部分だけを見て、全体を判断する生き方です。」青年「人生の調和?」哲人「ユダヤ教の教えに、こんな話があります。『10人の人がいるとしたら、そのうち1人はどんなことがあってもあなたを批判する。あなたを嫌ってくるし、こちらもその人のことを好きになれない。そして10人のうち、2人はお互いにすべてを受け入れ合える親友になれる。残りの7人は、どちらでもない人々だ』と。このとき、あなたを嫌う1人に注目するのか。それともあなたのことが大好きな2人にフォーカスをあてるのか。あるいは、その他大勢である7人に注目するのか。人生の調和を欠いた人は、嫌いな1人だけを見て、世界を判断しています。」----------------何にフォーカスするのか。それだけで人生は大きく変わる。できたこと
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第137話「生き方まで変えるには」

・他者貢献・他者貢献とは労働青年「仕事には他者貢献の側面があることは認めましょう。ですが、表向きには他者に貢献しているといいながら結局は自分のためだとするロジックは、どう考えても偽善以外の何者でもありません。先生は、これをどう説明されるのです?」哲人「次のような場面を想像してください。ある家庭で夕食を食べ終わった後、食卓用の上に食器が残っています。子どもたちは部屋に戻り、夫はソファで座ってテレビを見てる。妻が後片付けをするほかない。しかも家族は、それを当然だと思っていて手伝う素振りも見せない。普通に考えれば、なぜ手伝ってくれないのか?なぜわたしだけ働かないといけないのか?という状況です。しかし、このとき、たとえ家族から『ありがとう』の言葉が聞けなかったとしても食器を片付けながらわたしは家族の役に立っていると考えてほしいのです。他者がわたしのためになにをしているかではなく、わたしが他者になにをできているかを考え、実践していきたいのです。自己受容、他者信頼、他者貢献はいわば円環構造として結びついています。ありのままの自分を受け入れるつまり自己受容するからこそ、裏切りを怖れることなく他者信頼することができる。そして他者に無条件の信頼を寄せて人々は自分の仲間だと思えているからこそ他者貢献することができる。さらには他者に貢献するからこそわたしは誰かの役に立っていると実感し、ありのままの自分を受け入れることができる。自己受容することができる。アドラー心理学の掲げる目標・自立すること・社会と調和して暮らせることこの行動を支える心理面の目標・わたしには能力がある、という意識・人々はわたしの仲間
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第136話「労働とは」

・他者信頼・ただ自分がどうするか青年「わかりました。じゃあ仮にわたしに自己受容ができたとしましょう。そして、他者信頼もできた、と。それでわたしにどんな変化があるというのです?」哲人「まず、交換不能なこのわたしをありのままに受け入れること。それが自己受容です。そして他者に対して無条件の信頼を寄せることが、他者信頼になります。自分を受け入れることができて、なおかつ他者を信頼することができる。この場合、あなたにとっての他者ては、どんな存在になりますか?」青年「……仲間、ですか?」哲人「そのとおりです。他者に信頼を寄せることは、すなわち他者を仲間だとみなすことにつながります。仲間だからこそ、信頼を寄せることができる。仲間でなければ、信頼にまでは踏み出せません。そして、もしも他者が仲間であれば、自分の属する共同体に居場所を見出すことにつながっていきます。「ここにいてもいいんだ」という所属感を得ることができるわけです。青年「つまり、『ここにいてもいいんだ』と思えるためには、他者を仲間だとみなす必要がある。そして他者のことを仲間だとみなすためには、自己受容と他者信頼の両方が必要になる、と。」哲人 「共同体感覚とは自己受容と他者信頼だけで得られるものではありません。そこには3つ目のキーワードである他者貢献が必要になってきます。仲間である他者に対して、なんらかの働きかけをしていくこと。貢献しようとすること。それが他者貢献です。つまり、他者貢献とは、わたしを捨てて誰かに尽くすことではなく、むしろわたしの価値を実感するためにこそなされるものなのです。」青年「他者に貢献するのは自分のため?」哲人「もっ
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第135話「信用と信頼」

・自己受容、他者信頼、他者貢献・変えられるものと変えられないもの哲人「自己への執着を他者への関心に切り替えていくとき、ぜったいに欠かすことのできないのが第2のキーワードが『他者信頼』になります。ここでは、信じるという言葉を、信用と信頼とに区別して考えます。まず、信用とは、条件つきの話なんですね。これに対して、対人関係の基礎は信用ではなく、信頼によって成立しているのだ、と考えるのがアドラー心理学の立場になります。」青年「その場合の信頼とは?」哲人「他者を信じるにあたって、いっさいの条件をつけないことです。無条件に信じる。それが信頼です。信頼の反対にあるものは、なんですか?懐疑です。仮にあなたが、対人関係の基礎に懐疑を置いていたとしましょう。他者を疑い、友人を疑いいったいそこから、どんな関係が生まれるでしょうか?アドラー心理学の考えはシンプルです。あなたはいま、『誰かを無条件に信頼したところで裏切られるだけだ」と思っている。しかし、裏切るのか裏切らないのかを決めるのは、あなたではありません。それは他者の課題なのです。あなたはただ『わたしがどうするか』だけを考えればいいのです。信頼することを怖れていたら、結局は誰とも深い関係を築くことができないのです。」--------------------------------人は鏡である。自分が相手を信頼したら相手は信頼してくれる。自分が必要以上に気遣うと相手も気遣う。逆にいうと、自分がしてほしいことを先に相手にやると返ってきます。まずは、自分から与える人になりましょう。あなたは、周りの人にどんな自分で接していますか?続最後までご覧頂き、あり
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第134話「幸福とはなにか?」

・横の関係を築く・ライフスタイルの大転換哲人「自意識がブレーキをかけ、無邪気に振る舞うことができない、という話。これは多くの人が実感している悩みかもしれません。ひとりであれば、誰もが王のように振る舞える。要するにこれも、対人関係の文脈で考えるべき問題なのです。『無邪気な自分』がいないのではなく、ただ人前でそれができないというだけのこと」青年「では、どうしたらいいのです?」哲人「やはり、共同体感覚です。具体的には、自己への執着を他者への関心に切り替え、共同体感覚を持てるようになること。そこで必要になるのが、自己受容・他者信頼・他者貢献の3つになります。まずは、自己受容から説明しましょう。最初の夜、わたしはアドラーの『大切なものはなにが与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかである』という言葉を紹介しました。覚えていますか?」青年「もちろんです。」哲人「自己肯定とは、できもしないのに『わたしはできる』『わたしは強い』と自らに暗示をかけることです。これは優越コンプレックスにも結びつく発想であり、自らに嘘をつく生き方であるともいえます。一方の自己受容とは、仮にできないのだとしたら、そのできない自分をありのままに受け入れ、できるようになるべく、前に進んでいくことです。自らに嘘をつくものではありません。」青年「ううむ、ポジティブなようにも聞こえるし、どこかネガティヴな響きも持った話ですね。哲人「そこでわたしは、『肯定的なあきらめ』という言葉を使っています。課題の分離もそうですが、『変えられるもの』と『変えられないもの』を見極めるのです。」--------------------
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第133話「ライフスタイルの大転換」

・感謝の言葉・自らの価値を感じる青年「いやいや、ご冗談もほどほどにしていただきたいですね。ここに存在しているだけで誰かの役に立っているとは、いったいどこの新興宗教ですか!」哲人「まさに共同体の問題について、アドラー本人に向かって同じような質問をした人がいました。このときのアドラーの答えはこうです。『誰かが始めなければならない。他の人が協力的でないとしても、それはあなたには関係ない。わたしの助言はこうだ。あなたが始めるべきだ。他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく。」青年「わたしはここに生きている。他の誰でもない『わたし』がここに生きている。しかし、自分に価値があると思えません。それは、対人関係が原因です。普段図書館でやっている仕事もわたしであろうが他の誰かであろうとあるいは機械であろうとなんの関係もない。誰ひとりとして『このわたし』のことを求めていない。そんな状態で、自分に自信が持てますか?自らに価値があると実感できますか?哲人「アドラー心理学から見た答えはシンプルです。まずは他者との間に、ひとつでもいいから横の関係を築いていくこと。そこからスタートしましょう。青年「馬鹿にしないでください。わたしだって、友人くらいいますよ。彼らとは横の関係を築けていますよ。」哲人「とはいえ、あなたは親や上司、また後輩やその他の人々に対して、縦の関係を築いているはずです。青年「もちろん、使い分けています。誰だってそうでしょう。」哲人「ここは非常に重要なポイントです。縦の関係を築くか、それとも横の関係を築くか。これはライフスタイルの問題であり、人間は自らのライフスタイルを臨機応変に使い分け
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第132話「存在のレベル」

・ありがとうと感謝の言葉を・うれしいと素直な喜びを青年「しかしですよ、はたして『ありがとう』の言葉が、勇気を取り戻すほどに大きな力を持ち得るものでしょうか?たとえ縦の関係からの言葉であったとしても、やはりほめられることのほうがうれしいと思いますが。」哲人「ほめられるということは、他者からよいと評価を受けているわけです。そして、その行為がよいか、悪いのかを決めるのは他者の物差しです。一方、ありがとうは評価ではなく、もっと純粋な感謝の言葉です。人は感謝の言葉を聞いたとき、自らが他者に貢献できたことを知ります。」青年「他者からよい、と評価されても貢献できたとは感じない?」哲人「そのとおりです。これは今後の議論にもつながってくるところですが、アドラー心理学はこの『貢献』という言葉を非常に重く考えています。」青年「どういうことでしょうか?」哲人「人は、自分には価値があると思えたときにだけ、勇気を持てる。」青年「自分には価値があると思えたとき?」哲人「いたって、シンプルです。人は『わたしは共同体にとって、有益なのだ。』と思えたときにこそ、自らの価値を実感できる。これがアドラー心理学の答えになります。共同体、つまり他者に働きかけ、『わたしは誰かの役に立っている』と思えること。他者からよい、と評価されるのではなく、自らの主観によって『わたしは他者に貢献できている』と思えること。そこではじめて、われわれは自らの価値を実感できる。青年「誰かの役に立ててこそ、自らの価値を実感できる。逆にいうと、他者に役立てない人間に価値はない。そうおっしゃるのですね?」哲人「あなたはいま、他者のことを行為レベルで見
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第131話「他者を評価しない」

・縦の関係ではなく、横の関係・援助=勇気付け哲人「人は他者からほめらめるほど、自分には能力がないという信念を形成していく。よく覚えていてください。青年「どこにそんな馬鹿がいますか?ほめられてこそ、自分には能力があることを実感する。当然じゃありませんか!」哲人「違います。もしあなたが、ほめてもらうことに喜びを感じているとすれば、それは縦の関係に従属し、『自分には能力がない』と認めているのと同じなのです。ほめることとは、能力のある人が、能力のない人に下す評価なのですから。ほめてもらうことが目的になってしますと結局は他者の価値観に合わせた生き方を選ぶことになります。あなたはこれまでの人生で、ご両親の期待に応えながら生きることにうんざりしてたのではなかったのですか?」青年「い、いや、まあ。では、具体的にどうアプローチすればいいのですか?ほめるのでもなければ、叱るのでもない。他にどんな言葉、どんな選択肢がありますか?」哲人「子どもでもなく、対等なパートナーがあなたの仕事を手伝ってくれたときのことを考えれば、答えはおのずと出てくるでしょう。たとえば、友人が部屋の手伝いをしてくれたとき、あなたはなんと声をかけますか?」青年「まあ、『ありがとう』と。」哲人「そう、パートナーに『ありがとう』と感謝の言葉を伝える。あるいは、『うれしい』と素直な喜びを伝える。『助かったよ』とお礼の言葉を伝える。これが横の関係に基づく勇気づけのアプローチです。」青年「それだけ、ですか?」哲人「ええ。いちばん大切なのは、他者を評価しない、ということです。評価の言葉とは、縦の関係から出てくる言葉です。もしも横の関係を築け
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第130話「自分には能力がない」

・叱ってもほめてもいけない・ほめるのは、上から見下す側面がある哲人「ほめることの背後にある目的とは、自分よりも能力の劣る相手を操作することなのです。他者をほめたりしかったりするのは、アメを使うのか、ムチを使うのかの違いでしかなく、背後にある目的は操作です。」青年「いやいや、そこは違いますよ。例えば、子どもの場合親からほめられたいことは無上の喜びでしょう?ほめてもらいたいからこそ、勉強をする。これは理屈を抜きにした、本能的な感情です!」哲人「誰かにほめられたいと願うこと。あるいは逆に、他者をほめてやろうとすること。これは対人関係全般を縦の関係としてとらえている証拠です。アドラー心理学ではあらゆる縦の関係を否定し、すべての対人関係を横の関係とするを提唱しています。」青年「それが同じではないけれど対等という言葉に表れているのですか?」哲人「そうです。対等すなわち横です。対人関係を縦の関係で見ていると、劣等感を感じます。アドラー心理学では、介入と援助を分けて考える必要があります。課題の分離の時の話を思い出してください。子どもが勉強すること。これは、子どもが自ら解決すべき課題であって親や教師が肩代わりできるものではありません。そして、介入とは、こうした他者の課題に土足で踏み込み、勉強しなさい。とかあの大学を受けなさいと指示することです。一方の援助とは、大前提に課題の分離があり、横の関係があります。勉強は子どもの課題であると、理解した上で、できることを考える。こうした横の関係に基づく援助のことをアドラー心理学では勇気づけと呼んでいます。」青年「人は他者からほめられたとき、自分には能力がある
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第129話「ほめてはいけない」

・関係が壊れることを怖れない・横の関係哲人「わかりやすいところで親子の関係を例に考えていきましょう。子育ての場面において、あるいは部下の育成などの場面でも、一般にはふたつのアプローチがあるとされています。叱って育てる方法とほめて育てる方法です。」青年「ああ、よく議論される問題ですね。」哲人「あなたは叱ることとほめることどちらを選びますか?」青年「もちろん、ほめて育てるべきでしょう。」哲人「なぜ?」青年「動物の調教を考えればわかります。『芸を身につける』ということをする場合叱られるからやる、とほめられたくてやる、では対象に向かうモチベーションがまったく違います。後者の場合、そこに喜びが加わっている。叱っていては相手を萎縮させてしまうだけです。ほまて叱るからこそ、すくすく伸びる。当たり前の結論でしょう。」哲人「面白い観点ですね。アドラー心理学の立場をご説明します。アドラー心理学では、子育てをはじめとするコミュニケーション全般について『ほめてはいけない』という立場をとります。青年「ほめてはいけない?」哲人「叱ることも認めません。ほめてもいけないし、叱ってもいけない。それがアドラー心理学の立場です。青年「いったいなぜ?」哲人「ほめるという行為の内実を考えてください。たとえば、わたしがあなたの意見に対してよくできました。とほめたとしましょう。この言葉、なんとなく違和感を覚えませんか?そうなんです。ほめるという行為には『能力のある人が、能力のない人に下す評価』という側面が含まれています。」--------------------------------ほめるのもダメ叱るのもダメこれは、初め
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第128話「横の関係」

・もっと大きな世界が広がっている・コップの外にいく哲人「学校なら学校という共同体のコモセンスで物事判断せず、より大きな共同体のコモセンスに従うのです。青年「でも、目の前の教師に異を唱えるのは、相当にむずかしいでしょう。」哲人「いえ、これは『わたしとあなた』の関係でもいえることですが、もしあなたが異を唱えることによって崩れてしまう程度の関係なら、そんな関係など最初から結ぶ必要などない。関係が壊れることだけを怖れて生きるのは、他者のために生きる、不自由な生き方です。」青年「まあ、いいでしょう。しかし、お気づきですか?先生は肝心なところに触れていません。つまり、『課題の分離』から『共同体感覚』へと進むための道筋ですよ。」哲人「ええ、大切なのはそこです。課題を分離することがどう良好な関係につながるのか?」つまり、どうすればお互いに強調しあって、協力し合うような関係につながるのか?ここで登場するのが『横の関係』という概念になります。」----------------------------------関係が壊れることを怖れていたら、今より深い関係になることはない。喧嘩するほど仲が良い、という言葉があるように自分のため、その人のために思っていることは言った方がいい。あなたは、自分の意見をちゃんと言っていますか?続最後までご覧頂き、ありがとうございます。初回ブログは以下よりご覧頂けます。https://coconala.com/blogs/1957729/21724少しでも興味をもって頂けましたら、気軽にメッセージください。
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第127話「より大きな共同体の声を聴け」

・世界の中心に君臨していない・わたしはこの人になにを与えられるか?青年「ちょっと整理させてください。対人関係の入り口には『課題の分離』があり、ゴールには『共同体感覚』がある。そして共同体感覚とは、『他者を仲間だと見なし、そこに自分の居場所があると感じられること』である、と。ここまではわかりやすいし、納得できる話です。でも、『共同体』なるものは宇宙全体に広がるという意味がわかりません。」哲人「ここでは、共同体の範囲が無限大なのだと考えればいいでしょう。たとえば、仮にあなたが学生で『学校』という共同体を絶対視していたとします。つまり、学校こそがすべてであり、わたしは学校があるからこそ、『わたし』なのだ、それ以外の『わたし』などありえない、と。しかし、当然、その共同体のなかでなんらかのトラブルに遭遇することはあるわけです。つまり、学校という共同体に対して『ここにいてもいいんだ』という所属感を持てない可能性は。」青年「ええ、ええ。大いにありえるでしょう。」哲人「このとき、学校こそがすべてだと思っていると、あなたはどこにも所属感を持てないことになります。しかし、ここで注目してほしいのは、『もっと別の共同体があること』『もっと大きな共同体があること』なのです。学校の外には、もっと大きな世界が広がっています。ひとたび世界の大きさを知ってしまえば、自分が学校に感じていた苦しみが、『コップのなかの嵐』であったことがわかるでしょう。コップの外に出てしまえば、吹き荒れていた嵐もそよ風に変わります。」青年「引きこもったところで、コップの外にはいけない、と。」哲人「はい。そこで覚えていてほしい行動原則が
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第126話「所属感」

・自分への執着・自己中心的な人哲人「他者からどう見られているかばかりを気にかける生き方こそ、『わたし』にしか関心を持たない自己中心的なライフスタイルなのです。」青年「ははっ、これは驚くべき発言ですね。」哲人「あなただけでなく、わたしに執着している人は、すべて自己中心的です。だからこそ、『自己への執着』を『他人への関心』に切り替えていかないといけません。」青年「たしかに、わたしは自分ばかり見ている。しかし、わたしの人生が一本の長編映画だとした場合、主人公は間違えなく『わたし』なのですよね?主人公にカメラを向けることがそんなに糾弾されるべきことなのですか?」哲人「自分の人生における主人公は『わたし』である。ここまでの認識は問題ありません。しかし、『わたし』は、世界の中心に君臨しているのではない。『わたし』は人生の主人公でありながら、あくまで共同体の一員であり、全体の一部なのです。われわれはみな『ここにいてもいいんだ』という所属感を求めている。しかし、アドラー心理学では、所属感とはそこにいるだけで得られるものではなく、共同体に対して自らが積極的にコミットすることによって得られるものだと考えます。」青年「積極的にコミットする?具体的にどういうことですか?」哲人「『人生のタスク』に立ち向かうことです。つまり、仕事、交友、愛という対人関係のタスクを回避することなく、自ら踏み出していく。自分の足で立ち、自分の足で対人関係のタスクに踏み出さなかればならない。『この人はわたしになにを与えてくれるのか?』ではなく、『わたしはこの人になにを与えられるか?』を考えなければならない。それが共同体へのコミ
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第125話「自己中心的」

この記事は、大貫智也のサラリーマン時代の話であり、影響を受けた本の内容から考えるシリーズである。・共同体感覚・幸福なる対人関係のやり方を考える哲人「共同体感覚のことを英語で訳すと『社会への関心』です。社会学が語るところの社会の最小単位は何だかご存知ですか?」青年「社会の最小単位?さあ、家族でしょうか。」哲人「いえ、『わたしとあなた』です。ふたりの人間がいたら、そこに社会が生まれ、共同体が生まれる。アドラーの語る共同体感覚を理解するには、まずは『あなたとわたし』を起点にするといいでしょう。」青年「そこを起点にどうするのです?」哲人「自分への執着を、他者への関心に切り替えていくのです。では、具体的に考えていきましょう。ここでは、わかりやすく自己への執着という言葉を『自己中心的』と言い換えます。あなたの頭のなかにある自己中心的な人とは、どんな人物でしょうか?」青年「まず思い浮かぶのは、暴君のような人物ですね。そして、暴君でなくても集団の輪を乱すような人物もまた、そう言えますね。」哲人「たしかに、一般的なイメージは、そのあたりでしょう。しかし、もうひとつのタイプを付け加えないといけません。じつは『課題の分離』ができておらず、承認欲求にとらわれている人もまた、きわめて自己中心的なのです。承認欲求の内実を考えてみてください。他者はどれだけ自分に注目し、自分のことをどう評価しているのか?つまり、他者をみているようで、実際には自分のことしかみていません。他者への関心を失い、他者を見ているようで、実際には『わたし』にしか関心がない。すなわち、自己中心的なのです。」----------------
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第124話「共同体感覚」

この記事は、大貫智也のサラリーマン時代の話であり、影響を受けた本の内容から考えるシリーズである。・カードはわたしが握っている・全体論哲人「対人関係は、課題を分離したところで終わるものではありません。むしろ、課題を分離することは、対人関係の出発点です。」青年「では、シンプルに結論だけお答えください。先生は課題の分離は対人関係の出発点だとおっしゃいました。じゃあ対人関係のゴールはどこにあるのですか?」哲人「結論だけ答えよというなら『共同体感覚』です。これはアドラー心理学の鍵概念であり、その評価についてもっとも議論が分かれるところでもあります。」青年「おもしろそうじゃありませんか。それで、どういう概念なのです?」哲人「他者のことを敵と見なすのか、あるいは仲間と見なすのか、という話をしましたよね?ここではもう一歩踏み込んだところを考えてください。もしも他者が仲間だとしたら、仲間に囲まれて生きているとしたらわれわれはそこに自らの居場所を見出すことができるでしょう。このように、他者を、仲間だとみなし、そこに『自分の居場所がある』と感じられることを、共同体感覚といいます。」そして共同体感覚とは、幸福なる対人関係のあり方を考えるもっとも重要な指標なのです。」----------------人は孤独を感じると弱くなる。人と繋がっているという感覚が非常に重要である。コロナの状況だからこそ人との繋がりをより大切にしてほしいです。あなたは、いろんな人と繋がっていますか?続最後までご覧頂き、ありがとうございます。初回ブログは以下よりご覧頂けます。https://coconala.com/blogs/19
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第123話「全体論」

・父に殴られたという過去・対人関係のカード哲人「課題の分離です。たしかに、父とわたしの関係は複雑なものでした。実際、父は頑固な人でしたし、あの人の心がそうやすやすと変化するとは思えませんでした。それどころか、わたしに手を上げたことさえ忘れていた可能性も高かった。けれども、わたしが関係修復の『決心』をするにあたって、父がどんなライフスタイルを持っているか、わたしのことをどう思っているかわたしのアプローチに対してどんな態度をとっているかなど、ひとつも関係なかったのです。たとえ向こうに関係修復の意思がなくても一向にかまわない。問題はわたしが決心するかどうかであって、対人関係のカードは常に『わたし』が握っていたのです。」青年「カード?」哲人「わたしは『父を変えるため』に変わったのではありません。それは他者を操作しようとする誤った考えです。わたしが変わったところで、変わるのは『わたし』です。」青年「課題の分離について考えました。それは結局『わたしはわたし、あなたはあなた』と境界線を引いていくような発想です。しかし、ほんとうにそんな生のあり方がほんとうに正しいといえますか?アドラー心理学の正式名称は『個人心理学』だとおっしゃいましたよね?そもそもおかしくないですか?」哲人「個人心理学のことを分解すると、語源的には『分割できない』という意味です。しかし、たとえばカッとなって他者を怒鳴りつけたときそれは『全体としてのわたし』が怒鳴ることを選んだのです。」青年「わたしがウェイターに怒鳴りつけた、あの話ですね?」哲人「ええ。このように人間をこれ以上分割できない存在だととらえ『全体としてのわたし』を
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