執着を手放す方法:恋愛や人間関係に依存しない心の作り方
世界に一人しかいない、自分です。
代わりのいない自分です。
この自分の一番の味方は自分です。
自分の味方は厳密にはあの人や彼、親ではありません。
このことを知るために
自分にしっかり向き合うことが日本人の最重要項目なのです。
どんなに経済的に恵まれても
どんなに物をたくさん所有していても
どんなにキャリアが良くっても
どんなに仲間がいても
自分で自分を嫌ってるか、自分を憐れんだり虐げたりしてて
自分を大切にできないのであれば
幸せを感じることができないようです。
満足しないようにできているようです。
自分のことを嫌い、
で振り切っていればそれはそれで幸せを感じるかもしれません。
ですが、私も自分のことを嫌いだった頃がありますが、
幸せだと思ったことはありません。
満足せず、粗探しをし、
人と比べて「足りない」自分に嫌気がさしていました。
それを埋めてもらおうと
彼にしがみついていたこともありました。
つまりそれは何を意味するかと言いますと
何度も同じ嫌なシーンを繰り返す、
気がつくとまた繰り返してる。
同じ悩みのために時間を費やすということです。
自分の幸せは自分が作ります。
自分の成長を喜べるのは自分です。
自分の痛みを和らげるのは自分です。
どんなに小さくても日々成長しています。
他人と比べるのではなく
ちょっと前の自分と比べて、成長したね!と喜びを分かち合うのです。
自分との対話を通して、自分を知るのです。
しかし自分と向き合うことは、時間もかかり、地味な作業です。
決して華やかではなく
変化も目で見てわかるものではなく
面白くもなく
向き合いたくない気持ちが出てくる時もあるでしょう。
でもそんな風に自分を雑に扱っていると
周りからも雑に扱われてしまうのです。
雑に扱われるのは、雑に扱っていいよ、と言ってるようなもの。
ですが誰だって大切に扱われたいので、
自分で自分を大切にすることをするのです。
自己肯定感、自尊心自体は売っていませんし
あの人が与えてくれるものではありません。
あの人はあの人の人生を生きるのに必死です。
あの人の人生を奪うことのないように
自分で修復するしかありません。
あの人と幸せになりたいと思うなら
まず自分が幸せであることです。
自分が幸せであるということは
自分の気持ち、感情、思いを全肯定して
自分との信頼関係を育むことです。
自分との関係が育むにつれて
外側の世界、目に映る世界に信頼が増していきます。
あなたは何も誰も失うことが怖くなくなります。
去っていく人に未練もなくなります。
誰かが悪口を言ってたとしても気になりません。
まるで別世界になります。
例え彼を失っても、その仕事を失ってもです。
だってあなたにはあなたがいるからです。
自分には自分がいる、と言えた時
身体中があたたかくて、なんとも言えない至福感に包まれます。
信頼関係とは温もりでした。
自分が温かいので周りも温かいのです。
世界が温かいのです。
あなたはあなたという宝をいつも持っています。
そんな自分と向き合ってるあなたは本当に素敵なんです。
あなたの人生は幸せになることが決まっています。
自動的にそうなっています。
一見嫌なことは、幸せから遠ざかってる・・・と思いますが
自我の勘違いです。
自我=エゴは思考を司どり尤もらしく様々なことを正当化し主張します。
それでもいいのですが、エゴは苦しみを作り続けます。
そう、苦しみや執着の正体はエゴなのです。
愛や感謝、喜びや自由から自分自身を遠のけます。
そうして人生が幸せではない・・・
と悲劇のヒロインになってしまうのです。
この世界は二極の世界です。
明るいと暗い、男と女、善と悪、良いと悪い、正しいと間違い、
偽物と本物、、、全て隣り合わせで一対です。
明るいの裏は暗い、暗いの裏は明るい、
常にどちらもあって、本来はどちらでもいいのです。
明るいのがいいとか
暗いのがダメとか、ジャッジメントは不要なのですね。
出来事はただニュートラルにあるだけで
自分の思考パターンで見方を捉えているだけなのです。
こんなに人間が長く生きるのは
どれだけ多角的な見方ができるか、、、
の成長ゲームのようなものでもあるのです。
いやいやそんなことないよ。。。
これは不幸、この状況は絶対不幸!と言っても
目を凝らしてみると
『幸せ』が潜んでいます。
それを見つけた時の感動を感じたくて
嫌だな〜・・・なことが現れているだけだったり、
絶対不幸!を
いいえ絶対幸せなんだ!!と『幸で覆い被せる』こともできるのです。
つまりポジティブに振り切ってしまう、ことができるんです。
ネガティブに振り切って悲劇のヒロインをやっているなら
ポジティブに振り切って喜劇のヒロインをやってもいいですよね。
あなたの人生は生まれる前から
幸せになるように設計済みです。
今がどうあっても幸せにしかなりません。
だったら学ぶ必要もなければ
自分を大切にする必要もないじゃないか?と
幸せの設計図と自分の選択
その「設計図」をどう生きるかは、
私たち自身の選択に委ねられています。
幸せというゴールが約束されていても
そこに至る道筋をどう進むかは自分次第です。
①幸せは「状態」ではなく「プロセス」
幸せとはゴールではなく、
日々の選択や体験を通じて感じるプロセスでもあります。
自分を大切にしないまま過ごすと
幸せの設計図を見逃してしまうこともあります。
学びや自己理解は、設計図を読み解き、
自分の道を進むためのツールなのです。
②幸せに気づくために必要なこと
たとえば、幸せになるための設計図が目の前にあったとしても、
自分の内面が不安や自己否定でいっぱいだと
その設計図を正しく受け取れないかもしれません。
せっかく席を譲ってくれても、
怪訝な表情で避ける=受け取らないかもしれませんね。
せっかく愛してるって言ってくれても
私にはそんな資格ない、と自尊心がないことで
与えられた愛を受け取れないかもしれませんね。
自分を大切にすることは、心のスペースを整え、
幸せに気づくための準備でもあります。
③幸せを体験する深さが変わる
もし学びも自分を大切にすることもせずに人生を過ごした場合、
その幸せの「質」や「深さ」が浅くなってしまうかもしれません。
自分を大切にすることは、幸せをより深く味わい、
人生を豊かにするための鍵なのです。
例え話があります。
幸せが設計された家だとしましょう。
その家に住むための鍵はすでに持っていますが
家の中を快適に整えるかどうかは自分の選択次第です。
掃除をしないままでは、蜘蛛の巣やGが出てきて
せっかくの家も心地よく感じられません。
自己啓発の学びや自分を大切にする自己愛(利他愛にもなるのです)は、
家を心地よく保つための「掃除道具」のようなものです。
つまり、「幸せにしかならない」のは確かですが
その幸せをどれだけ深く、豊かに体験するかは
あなたの行動や心の在り方次第なのです。
そのことをしっかり頭の中に刻み込んでくださいね。
あの人を必死に追いかける前に
まずはあなた自身に恋してください。
自分の人生に恋してください。
そうすると何が起きるかもうお分かりですよね。
読んでいただきありがとうございました。