今生きることが辛かったとしても

記事
コラム
前回のブログでは連続テレビ小説おちょやんのあらすじと感想、どん底から這い上がるために、信頼できるカウンセラーやメンターを作る必要性を書いた。今回もおちょやんから私が学び感じたことを書いていきたい。
(ここからネタバレのため、ドラマを観たい方はスルーしてください)

ドラマおちょやんの主人公千代と一平の離婚の原因は、千代の所属する劇団の団長でもある一平と、千代が可愛がっていた劇団員との間に子供ができたことだった。

劇団員に子供ができたと知る前、千代は彼女のことも許そうとしたし、千代も一平も別れるつもりはなかった。腐れ縁に見える二人だったが、心の底からお互い愛しあい、必要としあっていたのだ。
だが劇団員に子供ができたことを知ると、千代は離婚届けを記入。一平も、自分の心に素直になったところ、千代ではなく愛人を取った。千代と一平の間には子供がおらず、一平は子供が欲しかったのだ。

千代と別れ愛人と子供との生活を選んだ一平だが、あまり幸せそうではなかった。罪悪感や後ろめたさがそうさせたのだろう。

一方千代は人生のどん底を味わいながらも、自分をずっと見守ってくれていた存在を知ることと、守るべき存在ができたことで生きる意味を見つける。千代は実子ではない子供を育てることとなった。

実子にこだわって大事な人を捨て苦しそうな一平と、大事な人に捨てられ実子ではない子を育て幸せそうな千代。
とても対照的な描写がされていた。

だが朝ドラは、裏切った人が不幸でい続ける勧善懲悪で終わるわけがない。
テーマが深いのだ。

最終的に千代と一平は和解する。

一平は自分の半生を投影した喜劇を書くことで罪悪感や自責の念から解放されるし、千代は一平に捨てられたトラウマを乗り越える。

ドラマの最終回、これまで何度も二人が演じてきた劇中劇にこんなセリフを足すことになる。

千代「もし私らあのまま一緒になっていたら、どないな人生になってたやろか」
一平「そないなこと、考えてもしゃあないがな」
千代「そうですなあ。今ある人生、それが全てですなあ。あんたと別れへんかったら大切な人たちと出会うこともでけへんかった。あんさんも私も、愛する我が子と出会うことがでけへんかった。あんたと出会うて辛い思いもぎょうさんしましたけど」
一平「それもまた、面白い人生やったやろ。わしのお陰や」
千代「ほんに。って、それ自分で言ってどないしますねんな」

一平「なあ。テル、おおきに」
千代「おおきに。なおどん」

千代「生きるっちゅうのは、ほんまにしんどうて、おもろいなあ」

生きるということは選択の連続だ。

ときに選択を間違えたと後悔することもあるだろう。
だが長い目で見ればそれは、実は失敗ではなく、成長のきっかけなのだ。

選択を間違えたと引きずらず、その選択をしたからこそできた体験に焦点を当てれば、自分が唯一無二の存在で特別な体験ができたことに気づき、その体験がこれから多くの人の役に立つ日が来ることを確信できるだろう。

一般的に成功や幸せは、レールから外れない人生を送ることと思われているが、本当はレールから外れ自分で選んだ道なき道を進み続けることこそが、成功や幸せなのではないだろうか。

レールから外れない生き方は順風満帆で羨ましく見えるかもしれないが、それは他者が敷いたレールなのだ。他者が敷いたレールを生きることに何の意味があるのか。

他人にどう思われバカにされようが、レールから外れ自分の足で立ち、悩み抜き葛藤したことは、レールから外れたことのない人は体験していないことだ。自分の進みたい方向に進むことで得られたこと、自分で考え模索し乗り越えたことは、あなたしか体験していない素晴らしい出来事なのだ。

どうか、レールから外れた生き方を選んだことに誇りを持ってほしい。
いつかきっと、レールから外れた過去の自分を誉める日が来ることだろう。
サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す