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新撰組の日

新撰組新撰組(しんせんぐみ)は、江戸時代末期(幕末)に江戸幕府の徴募により組織された浪士隊である。特に尊攘派構成員の摘発活動に従事した。発足時は24名だったが、最大時には約230名の隊士が所属していたとされる。会津藩預かりという非正規組織であったが、慶応3年(1867年)6月、幕臣に取り立てられる。慶応4年(1868年)に旧幕府から甲州鎮撫を命ぜられたことにより、甲陽鎮撫隊と改める。しかし明治2年(1869年)5月18日、戊辰戦争においての旧幕府軍降伏により、事実上消滅した。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 新撰組の日には、2月27日と3月13日があります。 【2月27日】 1863年(文久3年)2月27日に、徳川家茂の命令で「浪士組」が結成されたことに由来する。幕府派と反幕府派が対立するなか、江戸幕府が京都で浪士を収集して組織化した。【3月13日】 1863年(文久3年)3月13日に、新撰組の前身「壬生浪士組」が会津藩預りとなって京都に残り、正式に発足したことに由来する。東京都日野市観光協会が制定した記念日。新撰組は歴史が好きな人はもちろん、歴史が特別好きというわけでもない人にも人気の印象があります。 新撰組にゆかりのある地に観光される方も多いのではないでしょうか。 新撰組はこれまでに小説や映画、テレビドラマ、漫画、アニメ、舞台、ゲームでも題材として多くの作品に取り扱われています。 この作品のこの役者さんが演じる局長が好き、この隊士が好き、という方もたくさんいるでしょう。 たくさんの作品からお気に入りの新撰組の作品を見つけるのも楽しそうで
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人類はいつからジュエリーを使い始めたのか?

結論から言います。人類はいつからジュエリーを使い始めたのかは、分かりません!読者様の反応は▼になっていることでしょう。ずこ~!☆ブラウザバックは少々お待ちを。これからは、ジュエリー記事4万記事以上を手掛けた、すず丸の見解はというとー「ジュエリーが使われたのは、人類の誕生とほぼ同時期」に誕生した!です。根拠はあります!遺跡から見つかったジュエリーの数々世界中にある古代遺跡から、数多くのジュエリーが発見されています。日本も例外ではございません。2025年時点において、世界最古のジュエリーはモロッコのビズモウンドゥ洞窟で発見された貝殻のビーズです。年代は定かではないものの、14万年~15万年前説が濃厚になります。古代人がジュエリーを身につけた理由は?古代人がジュエリーを身につけた理由に関しては、専門家の間でも意見が割れています。・オシャレ説・権力説・身分を示すため説・神様への敬意を示すため説・呪術道具私個人としては「神様から力を授けるため」を強く推奨させて頂きます。古代ライフは現代人には無理ゲーの超ハードモード!古代ライフは、現代とは比べ物に倣い程の超ハードモード。家から一歩でも足を出せば、即4の世界です。危険だからと、家の中で引きこもるわけにもいきません。そこで古代人が考え出したのが、神様の力を借りること。神様の力を借りるために用いられた物こそが、ジュエリーです。古代時代のジュエリーは、貝殻や動物の骨が用いられていました。貝殻からは海の神様。動物の骨からは動物の精霊が宿っています。陸海から授かりし神秘的な力をジュエリーを介して手にし、危険から身を守ったのでしょう。少々飛躍している部
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ボンジュラスの歴史/日本との関係と治安事情

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エルサルバドルの歴史/日本との関係と治安事情

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グアテマラの歴史/日本との関係と治安事情

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☆キャリアセラピー☆令和7年2月28日(金)友引☆

2月最終日☆彡今朝の浜名湖@村櫛町ベースのお天気は”曇り時々晴れ”気温8℃(AM8:05)”新宿アルタ今日閉館”(1980年の開業)いや〜感無量!!大きなビジョン(当時日本一!)がなんともびっくりしたのを覚えています。ご存知、お昼の定番番組「タモリさんの笑っていいとも!」11年前に放映終了しました歴史はとまりません今日も笑顔で参ります☆彡毎日がお誕生日☆彡2月28日生まれのみなさん、お誕生日おめでとうございます!今日からの一年もみなさんにとって良い年でありますようにあなたの未来を応援します!“キャリアセラピー”お届けします☆彡~~~~~~~~~~~~~~~~~~~今月のテーマ:ストレス2月も今日で終わりですね。この1ヶ月間、ストレスと向き合ってきた中で、何か変化はありましたか?ストレスを減らすための習慣を続けることで、より良い毎日を送ることができるはずです。これからもご自身の心と体と向き合い、健やかな日々を過ごしてください。*出典:ワイ・キャリアサポーターズ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~*カバー写真:空の写真 2025/2/28 7:51撮影
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二・二六事件の日

二・二六事件とは 1936年(昭和11年)、陸軍の青年将校に率いられた1500人ほどの部隊が、天皇の側近や大臣を次々と殺害し、首相官邸や警視庁などを占拠したクーデターです。軍主導の国家改造を目的としていました。2月26日に発生したことから、この名があります。 【目的】 ・軍主導の国家改造の実現 ・昭和維新の実現 ・尊王討奸の実現 ・天皇親政の実現 ・政治腐敗の解決 ・農村の困窮の解決 【結果】 ・3日後に青年将校らは拘束され、軍法会議で17人に死刑の判決が下された ・軍部には逆らえない、逆らったら何をされるかわからないという空気ができあがり、軍部の発言力が強まった ・議会の発言力が弱まっていくことになった・日本型の軍部ファシズムの成立を促す契機となった ・この事件が結局太平洋戦争への一里塚になったともいわれている  この事件では、斎藤実内大臣、高橋是清蔵相、渡辺錠太郎陸軍教育総監が殺害され、鈴木貫太郎侍従長も重傷を負いました。 五・一五事件と二・二六事件どっちが先? 五・一五事件は1932年(昭和7年)5月15日に発生し、二・二六事件は1936年(昭和11年)2月26日に発生しました。五・一五事件が先です。 五・一五事件とは 1932年(昭和7年)5月15日に発生したクーデタ事件で、海軍の青年将校が中心となって首相官邸や日本銀行、警視庁などを襲撃し、犬養毅首相を暗殺した事件です。 参考:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 画像:ブルーミーストアより引用💖 💜 💚 🔮ご購読ありがとうございます♡(^^♪💚💖💜 💛 💖 _____💗______💛
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1分間アドバイス 「人を活かす経営」~劉邦の成功から学ぶ~

中国の歴史で有名な漢の劉邦は、もともと農民出身でした。特別な武力や学問があったわけではありません。それでも、強敵・項羽を破り、中国全土を治める皇帝になりました。なぜ彼は成功したのでしょうか? これは、中小零細企業の経営にも大いに役立つ考え方です。1. 自分の弱さを知る劉邦は自分が戦が得意ではないことを知っていました。そこで、戦が得意な韓信に軍を任せ、政治に強い蕭何に国の仕組みを作らせました。このように、自分の弱みを素直に認め、それを補ってくれる人を活かしたのです。中小零細企業の経営者も、すべてを自分一人でやるのは難しいものです。資金繰りが苦手なら、信頼できる会計士に相談する。営業が得意でないなら、営業に強い人を採用する。こうした工夫が経営の安定につながります。2. 人を大事にする劉邦は、優れた部下の意見をよく聞き、能力を発揮できる環境を作りました。逆に、項羽は優れた部下の意見を聞かず、多くの人が彼のもとを離れていきました。結果として、劉邦が最後に勝ったのです。会社経営でも、従業員の意見を大切にし、彼らが力を発揮できる環境を整えることが重要です。社長一人で決めるのではなく、現場の声を聞くことで、より良い経営ができます。3. 長期的な視点を持つ劉邦は、戦争に勝つことだけでなく、その後の国づくりも見据えて行動しました。一方、項羽は目先の勝利にこだわり、持続的な統治の仕組みを作れなかったため、短期間で滅びました。会社経営も同じです。今日の売上だけを追い求めるのではなく、10年後も成長できる仕組みを考えることが重要です。例えば、短期間で利益を出すために無理な値下げをするのではなく、長くお
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黄色と皇帝、康熙帝の物語より

"近代"の清王朝時代を舞台とした中国大河ドラマ《康熙王朝》を鑑賞すると、"古代"を題材とするドラマの描き方とはあらゆる点で異なっていて、これまた大変興味深い。この「時代による違い」に加え、清王朝はいわゆる北方の異民族(女真族)の国ゆえに、漢民族の世界と交わりながらも一線を画する部分が多くてこれまた面白い。ところで、さすが悠久の歴史大国・中国、彼らが「古代」と呼ぶ時代は日本よりもずっと長い。中国ではだいたい12世紀頃までを「古代」と呼ぶ。日本で言うと鎌倉時代になるが、我々はそれを「中世」と呼んでいる。中国では一般的に、宋代(960-1279年)までを「古代」、それ以降を「近代」とする考え方がある。ただし、学術的には「前近代」と「近代」の境目はもっと後の19世紀(清末)に設定されることもある。<中国の大まかな歴史区分>~中国の古代(先秦~宋代)~①先秦時代(紀元前21世紀~紀元前221年):夏・商・周の王朝が存在し、封建制度が発展。 ②秦漢(前221年~220年):中央集権国家が確立し、儒教が国家運営の基本プログラムとなる。 ③魏晋南北朝・隋唐(220年~907年):貴族社会が発展し、仏教や道教も普及。 ④宋代(960年~1279年):経済・文化が大きく発展し、科挙制度が成熟。中華世界の「近世」の始まりともされる。 ~近代(元代~清末)~①元(1271年~1368年):漢民族ではないモンゴル帝国の支配により、中国の伝統的な社会構造が大きく変化。 ②明(1368年~1644年):漢民族に回帰、商業経済の発展、海禁政策、儒教的価値観の強化。 ③清(1644年~1912年):漢民族ではな
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元宵節だよ、クイズ大会が始まるよ

本日2月12日、旧暦で1月15日。中華世界では元旦から十五日目までが「春節」と呼ばれ、この十五日目が最終日の「元宵節」となる。この日は以前どこかで紹介した甘いごま団子のスープを食べる習慣がある。歴史的には灯籠(とうろう)お祭りで賑わう日でもあり、宋代の開封では特に非常に町民たちが大いに豪華な飾りつけを楽しみ合っていた。さて、元宵節と言えば、「猜灯谜(ツァイデンミー/cāi dēng mí、灯谜とも言う)」だ。日本語で言うと「灯籠なぞなぞ」である。灯籠に直接、あるいは箋(紙)を吊り下げて、そこに言葉遊びのクイズを書くという娯楽だ。宋代から一気にこの文化が流行って、今でも何となくオンライン上やイベントなどに用いる風習として残っている。※中国ドラマ『仁宗~その愛と大義~』第三十五集より。上のなぞなぞは以前もどこかの記事で紹介したと思う。---風裏去又来(風の中が去ってから又来て)峰前雁行斜(峰の前で雁[がん]が飛ぶ、斜めになって)打一花卉(さて、この花の名前は?)---これは漢字なぞなぞ。風の中の部分を取り外して又を入れると「凤」となる。これは鳳凰(ほうおう)の「鳳(ほう)」の異字。「峰前」は「峰の前にあるもの」、つまり「山」を意味する。「雁行斜」は、雁(がん)という鳥が隊列を組みながら飛ぶ姿が「人」の字に見える。だから、にんべんと山を付けて「仙」となる。となると、「この花の名前は?」というクイズの答えは「鳳仙花(ほうせんか)」になる。他にも、これなどは分かりやすいて面白い。2024年にネット上で出された灯籠なぞなぞだ。看看是绿的(見ると緑)打开是红的(割ると赤)吃吃是甜的(食べると
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中国台湾の芸能人・徐熙媛(大S)の逝去に思うこと、美と命

※画像:百度百科「徐熙媛(中国台湾女演员、歌手、主持人、作家)」より引用2025年2月3日、中国台湾の芸能人・徐熙媛(シュー・シーエン/愛称は彼女の出演した人気バラエティ番組のあだ名に因んで「大S」)が、インフルエンザの合併症による肺炎で日本にて逝去した。享年48歳である。親族関係者が発表した声明は次の通りだ。---王偉忠代S家人發出聲明全文:大家好,我是王偉忠,身為徐家摯友,受徐媽媽之託,在此轉達她想說的幾句話。首先,徐媽媽很感謝大家關心熙媛,在熙媛病逝之後,家人們都過度傷心,很抱歉無法接聽各界關心的電話,更無法一一說明過程,請大家見諒。同時因為要帶熙媛回家,必須先在日本辦理許多繁複的手續,這幾天為了辦理這些文件,暫時還無法返回台灣,希望記者朋友們可以再多給我們一點時間。徐媽媽還想拜託各位記者朋友,是不是可以幫助熙媛完成她的心願。熙媛一直以來最擔心的就是記者朋友的追拍,因為很危險,所以徐媽媽懇請各位,能否在家人們帶著熙媛回到台灣時,不要在機場內外追拍,也不要在路上追蹤跟隨,這是熙媛一輩子想要而不可得的願望,很希望能夠得到大家體諒,謝謝。王偉忠がSさんの家族を代表して声明を発表:皆さん、こんにちは。私は王偉忠です。徐媽(熙媛さんの母)の家族の友人として、彼女の言葉を代わりに伝えさせていただきます。まず、徐媽は皆さんが熙媛を気にかけてくださったことに深く感謝しています。熙媛が病に倒れた後、家族は皆、大変な悲しみに暮れており、多くの方々からの関心や電話に応じることができませんでした。ましてや、詳細な状況を説明することもできず、申し訳ありません。どうかご理解ください。また、熙媛を連れ
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興味深い動画:意味が分かれば13枚目で温かな気持ちに

この短い動画にはちょっとした温かなオチがあるが、中華世界の文化に通じていないと何を意味するかよく分からないと思われる。そもそも、この「福」と書かれた飾りは何なのかという所から説明をしよう。※画像:百度百科「春联(春节期间常见物品)」より引用。動画にある「福」という飾り、これは中国の春節に扉の外側に飾る伝統的な縁起物だ。名前は春聯(チュンリィエン/chūn lián、簡体は「春联」)で、「桃符(とうふ)」「春貼(しゅんてい)」「門対(もんたい)」「対聯(ついれん)」とも呼ばれる。基本的には、中央の「福」、縦に並んだ一対の対句(上下聯、画像の両側にある飾り)、それを補う横書きの「横批(おうひ、画像の上側にある飾り)」から構成されており、赤い紙に金色または黒色で縁起の良い文字が記される。春聯に書かれる文章には色々な種類がある。例えば、次のような具合だ。- 上聯:新春大吉(しんちゅんだーりー/xīn chūn dà jí)「新しい春に大きな吉祥!」 - 下聯:万事如意(わんしーるいー/wàn shì rú yì)「すべてのことが思い通りに進みますように」 - 横批:迎春接福(いんちゅんじえふー/yíng chūn jiē fú)「春を迎え、福を迎えます」- 福字(ふーじー/fú zì)「福が来ますように!」「福」はそのまま貼ることもあれば、逆さまに貼ることもある。これは明王朝を開国した皇帝・朱元璋(しゅげんしょう)の逸話に由来するらしい。朱元璋が人々に「福」字を家に貼るよう命じたが、一部の人々は字が読めず、逆さに貼ってしまった。しかし、これを見た皇后の馬皇后は「福が倒れる(福倒, fú
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【ゆっくりジャンル図鑑 #3】大人気「歴史解説チャンネル」を解説!どうして歴史がこんなに面白い?人気の秘密は何?日本史や世界史、選ぶべきテーマは…視聴者を引き込む構成や画像の使い方も紹介

こんにちは。動画システムエンジニアのSSです。最近はゆっくり解説動画の作成の効率化に勤しんでいます。ココナラでは、主にゆっくり解説や、関連ツール(YMM4など)について解説しています。さて、今回は大人気ジャンル「ゆっくり歴史解説」です。1. なぜゆっくり歴史解説が人気なのか?YouTubeの歴史解説動画は、教科書には載らない裏話や歴史の「もしも」を深掘りすることで、視聴者の知的好奇心を刺激するジャンルとして人気を博しています。✅ 「歴史ミステリー」「意外なエピソード」で視聴者を引き込む!✅ ストーリー仕立てにすることで、退屈な暗記ではなく“ドラマ”として楽しめる!✅ 戦争・偉人・技術革新など、多種多様なテーマがあるのでネタが尽きない!歴史は単なる年号の羅列ではなく、「人間ドラマ」 です。だからこそ、ストーリー性を意識した解説が求められます。2. ゆっくり歴史解説の人気ジャンルと作り方📌 日本史(戦国時代・幕末・歴史の裏話)📌 世界史(ヨーロッパ史・中国史・アメリカ史)📌 偉人・著名人エピソード(英雄・科学者・悪名高い人物)📌 戦争・軍事の歴史(戦術解説・兵器の進化・戦争の背景)📌 文化・技術の歴史(建築・医学・食文化・生活様式)📌 陰謀論・未解決事件(要注意!)作るときのポイント!✅ 「歴史の流れ」をしっかり整理し、視聴者が迷わないように構成する。✅ 「もし○○だったら?」など、視聴者に考えさせる仕掛けを入れる。✅ 歴史を「教科書」ではなく「ドラマ」として語る。3. 画像の使い方と編集のポイント歴史動画では 画像の選び方が超重要 です!✅ 地図 → 戦争・国の勢力図をわかりやす
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興味深い動画:爨懿曦、君の名は?

これは少し懐かしい動画だが、本日付けで新たにショート動画として取り上げられたものらしい。彼女は2022年頃に台湾ニュースメディアで取り上げられて話題になった5歳の女の子だ。どうして彼女が泣いているかというと、「自分の名前が難しすぎる」から。その名も「爨懿曦(ツァン イーシー/cuàn yì xī)」。苗字も名前もどちらも非常に珍しく、中国人でも九割の人が読めないし、書けない。ちなみに、「爨懿曦」のそれぞれの漢字の原義は次の通りだ。- 爨(ツァン/cuàn):「竈(かまど)」の意味。下の部位に「火」が見えるので、そう聞くと連想をしやすい。雲南省の少数民族(爨氏族)の姓として知られ、その他の地域ではほとんど見かけない。-  懿(イー/yì):「立派な」「品格のある」「美しい徳を持つ」という意味。皇族や高貴な女性の名前によく使われた歴史がある。例えば、「懿旨=皇帝の命令」「懿徳=高潔な品性」といった具合だ。③ 曦(シー/xī):「朝日」「陽光」「輝く光」という意味。名前や詩的な表現に使われ、希望や明るさを表す。このような訳で、名前そのものが持つ原義は「かまどの火のように温かく、品位があり、朝日のように輝く人」となるので、とても縁起が良く美しい。古典的な風雅もあるので良い名前だとは思うが、やはり本人としては毎日使う字ゆえに苦心がある。「爨(ツァン)」だけでも「30画」もの作字が必要になり、全体では「72画」。名前を書くだけでもけた違いの労力だ。ユーザーの反応は賛否両論。他人事のほのぼのニュースとして捉える喜楽な人もいれば、親が子どもの未来をよく考えて名前を付けるべきだと真剣に提議する人
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興味深い動画:2025年アニメ映画《哪吒2》、公開9日間で60億元(1200億円)突破!?ケタ違いだ

歴史の中に幾らでも"原作"が見つかる中華世界。2025年1月29日、春節入りと同時に公開されたアニメ映画《哪吒2(なた2/nǎ zhā2)》が、同年2月6日の時点で興行収入60億元(約1200億円)を突破したようだ。この作品も中華世界が積み重ねて来た歴史の中にある題材を非常にうまく刷新している。私はまだ本編を観ていないのだが、知人の話ではかなりよく出来ていてお勧めらしい。《ライオン少年(獅子少年)》もそうだが、温故知新のスタイルで創り上げる中国のアニメ映画は非常に興味深い。《哪吒2》とある通り、これは第2部となる。シリーズ第1作目《哪吒之魔童降世(ナタ~魔童降臨~)》で、そちらは2019年7月26日に公開された。今作の正式名称は《哪吒之魔童闹海(ナタ・魔童の海騒動)》で、原作は中国明代の傑作古典《封神演義》。手違いでこの世に生まれてしまって、次々と騒動を巻き起こす「乱世の魔童」として哪吒を描きながら、「生まれながらの魔でありながらも、運命に抗い続ける」という奇幻の物語が展開されている。あらゆる所に哪吒あり。一枚目は1986年のドラマ『西遊記』で孫悟空と戦闘を繰り広げる哪吒。二枚目は1996年から2000年に掛けて大人気作となった藤崎竜による漫画『封神演義』の哪吒(百度百科から引用)。三枚目はアクションRPGゲーム『黒神話:悟空』に登場する哪吒。四枚目が今回のアニメ映画の哪吒のキャラクター造形。今回の哪吒は憎たらしく軽率でありながらも、芯が熱く義に厚い童子として描かれている。哪吒は古典から現代娯楽を問わず、中華ファンタジーで絶大な人気を誇るひとりの人物だ。もともとは「那羅鸠婆(梵
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扁額を探せ!(十六)

---------------------------- ※扁額(へんがく):中国建築の「扁額(へんがく、匾额)」は、建物の正面や門の上、あるいは内部の特定の場所に掲げられる木製または石製の額で、文字や装飾が彫られているものを示す。これらは、中国建築の美術的要素であると同時に、建築物やその空間の象徴的な意味を示す重要な役割を果たしている。現代中国でも扁額は生活・文化・社会のあらゆる領域に浸透しており、その影響は東アジア全域を中心として世界各国にも影響がある。 ※「篆書体(てんしょたい)」:現代漢字の原型。「甲骨文字」「金文」などの古代書体が周王朝時代から春秋戦国時代に掛けて次第に整い(大篆)、その後に秦の始皇帝が国家漢字として正式に統一した(小篆)。 ----------------------------①『琅琊榜』第五十集より。扁額ではなく、いわゆる緝捕文章(しゅうほぶんしょう、いわゆる「指名手配書」、海捕文章とも言う)だ。右から左に読む、一般書体の文章となる。これが街中に貼られていて、凶悪犯や謀反者(国家反逆者)には多額の懸賞金が掛けられた。上の画像で指名手配をされているのは懸鏡司(皇帝直属の独立した諜報機関)の長官である夏江。当人の実際の顔は一枚目を参照。大まかな文章の内容はこうである。---該有鏡司夏江謀叛越獄潛逃 懸賞十萬銭緝捕歸案 即報官者相包庇則視同共犯犯國法威 儀難庸作奸 ──刑部正堂この者、夏江 司鏡(役職名)が謀反を企て、牢獄を脱獄し、逃亡した罪人である。この逃亡犯を捕らえた者には 十万銭の懸賞金が与えられる。また、逃亡犯を匿った者は共犯と見なされ、同様の
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独善は最も危険な愚行である(警世通言、制作メモ)

------------------------------------------※《警世通言(意訳:いましめものがたり)》は、明末の馮夢龍(ふう・ぼうりゅう)が編纂した白話体の短編小説集である。天啓四年(1624年)に完成し、宋・元・明の時期に書かれた話本や擬話本あわせて四十篇を収録している。現在、本書を現代日本語の読み物とする制作を進行している。2025年2月上旬に作品公開予定。------------------------------------------前編に続く、王安石の没落物語 第四巻《拗相公、半山堂において飲恨す》は、時系列的に前回の話の続きとなる。北宋王朝は文化・経済の爆発的な発展を得ていたが、「三冗(多過ぎる役人、軍人、僧侶)」と呼ばれる過剰な公務員の国庫逼迫や絶える事のない不毛な権力闘争によって崩壊の音も響き始めていた。この政治体制の瓦解を防ぐために、仁宗の時代に范仲淹(はん ちゅうえん)たちが国内構造の大改革を推進したが、既得権益を持つ周囲の大反対に阻まれて途中で挫折。これを後の王安石が受け継いで徹底的な公務員のレイオフや財政改革を行ったのだが、その改革が苛烈過ぎた為に国政が乱れ、最後には「国を乱した極悪役人」というレッテルを貼られてしまった。この当時の雰囲気は、中国の大河ドラマ《孤城閉〜仁宗、その愛と大義〜(2020)》を当時の情勢を非常によく追体験ができる。 というわけで、その「国を乱した極悪役人」と評されてしまった王安石が物語の主人公。彼が新法を施行し、改革に情熱を注いだものの、結果的に多くの人々の生活を苦しめ、民衆の恨みを買いながら晩年を迎え
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興味深い動画:お年玉くださいぬさん、紅包文化

本日、2025年2月4日は中国の春節(旧正月)の最終日だ。今年、子どもたちはいくら紅包(ほんばお/hóng bāo、お年玉)を貰っただろうか。上の動画はハスキーさんが跪拝をしてから紅包を貰うという微笑ましい内容だ。春節には文字通り「赤い袋」に入った現金を配る習慣がある。紅包は、基本的にはお年玉のように子どもたちに渡されるものだが、それだけではなく、お祝いの気持ちを伝えるために広く使われる。例えば、社長が部下に配る「开工红包(仕事始めの紅包)」や、結婚式・祝賀会などの行事で参加者が主役に渡すご祝儀のような紅包がある。また、普段お世話になっている人への感謝として渡すこともあるが、一般的には「目上の人→目下の人」に渡すのが基本ルールであり、逆のケースは慎重に行う必要がある。とにかく紅包はお祝いの象徴であり、「絶対にこのように配らなければならない」という厳格なルールはなく、状況や文化によって柔軟に使われる。<紅包が登場する行事の例>- 新年のお年玉(压岁钱) - 結婚祝い(红包) - 出産祝い、誕生日祝い、開業祝いなど - 仕事関連(ボーナスや「开工红包」など) - 感謝の気持ち(チップのような役割)※画像:百度百科「西伯利亚雪橇犬(一种起源于西伯利亚的古老雪橇犬 犬科犬属动物)」より引用。こちらのハスキーさんはすまし顔。ちなみに、ハスキーは中国語で「哈士奇(はーしーちー/hā shì qí)」という字が当てられるが、それ以外にもよく「二哈(あーはー/èr hā)」という愛称が用いられている。二哈の「哈」は「哈士奇」の略称。「二」の方は「おバカちゃん」「天然くん」「お間抜けさん」を意味
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謙虚な者は栄え、驕れる者は滅ぶ(警世通言、制作メモ)

------------------------------------------※《警世通言(意訳:いましめものがたり)》は、明末の馮夢龍(ふう・ぼうりゅう)が編纂した白話体の短編小説集である。天啓四年(1624年)に完成し、宋・元・明の時期に書かれた話本や擬話本あわせて四十篇を収録している。現在、本書を現代日本語の読み物とする制作を進行している。2025年2月上旬に作品公開予定。------------------------------------------蘇軾と王安石の物語 第三巻《王安石、三たび蘇学士を難ず》は、中華世界の歴史を代表する政治家であり文化人、蘇軾(そ しょく、蘇東坡、蘇学士)と王安石(おう あんせき)の物語が描かれる。特に蘇軾については天才官僚の筆頭に名が挙げられる人物で、文化に与えた影響も計り知れない。だが、この物語の興味深さは、その蘇軾でさえ王安石に太刀打ちが出来なかったという点にある。 物語は、蘇軾(そしょく、字:子瞻)が王安石(おう あんせき、字:荊公)に仕えた際、己の聡明さを誇ってしばしば皮肉を言い、他者を揶揄したことが災いし、左遷を繰り返す経緯を描く。蘇軾は王安石の詩の誤りを指摘し、自らの才を誇示したが、それが誤りであると後に気づく。また、王安石の命を受けて瞿塘峡の中峡の水を汲みに行くも、適当に済ませたために見破られる。さらに、対句の試みにおいても王安石に及ばず、自らの知識の限界と浅はかさを思い知る。 最終的に、蘇軾は王安石の寛大な計らいにより復職を果たし、自身の傲慢さを悔いることとなる。物語は謙虚さの重要性と、真の学問の奥深さを教えてく
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興味深い動画:春節祭典2025はロボットたちが手巾を回す

今年の中国の春節(旧正月)は2025年1月29日から2月4日。毎年、中国では大晦日(今年は2025年1月28日)から元旦に掛けて、CCTV主催による春節聯歓晩会(通称「春晩」)というダイナミックな祭典を開催する。いわゆる「年越しカウントダウンイベント」で、中国、海外問わず豪華な文化人たちがステージに勢ぞろい。伝統的な舞踊から国外有名歌手による公演など様々なショーが披露され、これが全国テレビ中継される。歴史的には1983年から始まり、今年は初めて「無形文化遺産」の登録がなされた。そうした豪華なショーの中でも、今年最も注目されたのが《秧BOT(ヤンボット》と題された演舞だろう。上の動画の題名には「起猛了!看见机器人扭秧歌了!(ロボットが秧歌(ヤンガー)を踊ってるのを見た!)」とある。出演は杭州宇樹科技(Unitree Robotics)、新疆芸術学院(Xinjiang Arts Institute)。総監督は巨匠・張芸謀(チャン・イーモウ)氏。ロボットと演者が一糸乱れぬ連携で、見事に伝統演舞を披露している。「ロボットがちょっと無機質過ぎない?」という意見もあるかもしれないが、それが演出チームの狙いだという。今回の演舞では敢えてロボットの外装を最小限に留める「無機質な存在」として、それをしなやかで動きの多い人間のダンサーと強烈に対比させる構成がなされたらしい。※画像:百度百科「秧歌(北方民间舞蹈)」より引用。秧歌(ヤンガー/yāng gē)というのは中国(主に北方地域)に広く伝わる、漢民族の民間舞踊だ。高蹺(竹馬のような足場)を履いて演じる「高蹺秧歌(ガオチャオヤンガー)」と何も履か
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三つの欲求の調和(警世通言 制作メモ)

------------------------------------------※《警世通言(意訳:いましめものがたり)》は、明末の馮夢龍(ふう・ぼうりゅう)が編纂した白話体の短編小説集である。天啓四年(1624年)に完成し、宋・元・明の時期に書かれた話本や擬話本あわせて四十篇を収録している。現在、本書を現代日本語の読み物とする制作を進行している。2025年2月に書籍公開予定。------------------------------------------宋王朝時代、開封府の出来事 第三十巻《呉清、金明池で愛愛に逢う》は、幻想的要素を交えた恋物語だ。宋朝の東京開封府に住む地主・呉子虚の一人息子である呉清は、友人の趙兄弟とともに金明池の清明節へ繰り出し、美しい娘と出会う。その後、呉清はその娘に魅了されるが、再会を果たせぬまま失意の日々を送る。偶然、街の酒屋で似た娘と再会し情を深めるが、実はその娘は妖であり、呉清の病気や不運を引き起こす。 家族の尽力と道士・皇甫真人の助けにより妖の影響を断ち切り、呉清は命を救われる。その後、旅先で偶然出会った褚家の病に苦しむ娘を救い、彼女との縁を得る。この褚家の娘こそ、呉清が金明池で見た娘であり、運命的な結婚を遂げる。呉清は褚家の娘との幸せな日々を送り、恩を忘れずに故人や家族への感謝の念を持ち続けた。規範(生存欲求を制御する指針) この物語は、欲望を抑える重要性と倫理的な行動規範の大切さを説いている部分がある。呉清は若さゆえの情熱や欲望に振り回され、結果として妖(霊)の虜になってしまった。《警世通信》では非常によく見受けられるプロットで、現
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真実と偽りの見極め、正義の貫徹、そして天道の働き(警世通信、制作メモ)

------------------------------------------※《警世通言(意訳:いましめものがたり)》は、明末の馮夢龍(ふう・ぼうりゅう)が編纂した白話体の短編小説集である。天啓四年(1624年)に完成し、宋・元・明の時期に書かれた話本や擬話本あわせて四十篇を収録している。現在、本書を現代日本語の読み物とする制作を進行している。2025年2月に書籍公開予定。------------------------------------------偽者騒動、妖怪退治の物語 第三十六巻《皂角林大王、形を假す》は、広州の知県(地方官)であった趙再理が、妖怪である皂角林大王(そうかくりんだいおう)に正体を奪われ、冤罪で流刑にされるも、九子母娘娘の助けによって名誉を回復し、怪物を討伐するという話である。妖怪が偽者に化けて、最終的に退治されるという流れは『西遊記』にもよく引用されていた展開のプロットだ。 物語の前半では、まず欒巴(らんは)という官人が、妖怪の偽りの神を見破り、その権威を粉砕する場面が語られる。これを受けて本編の趙再理に話が移り、彼が広州に赴任し、子供を生贄に捧げる悪しき習慣を廃する。これが彼の正義感を示す要素だ。その後、旅の途中で峰頭驛(ほうとうえき)に宿泊した彼は、衣服も従者もすべて消え、身一つで取り残される。帰郷すると、すでに自分そっくりの偽者が家におり、賄賂によって裁判に敗れ、流刑に処される。 後半では、流刑の途上で彼を救うために九子母娘娘の使者が現れ、彼に妖怪を討つ力を授ける。彼は龍宮から得た神秘の箱を使い、皂角林大王(実は陰鼠、すなわち悪気にさら
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「スイミングとは⁈💜」🎾🚴‍♀️⚔️🏓🏸🏊😎😍

💎概略として!ひと昔前までは、大人にとっての水泳は、夏に家族と楽しむレジャーという捉え方が当たり前でした。しかし、現在では季節に関係なく泳げる温水プールの増加によってスポーツとして水泳を楽しむ人の数が急速に多くなってきています。スポーツをすることで日常の生活から病気の予防につなげようという健康志向の高まりという事とも無縁ではないと思っています。しかし一方で「泳いだことがない!」という理由からスポーツ水泳の一歩を踏み出せずにいる人も少なくありません。自分なりの泳ぎができるという事が最終目標となるはずです。「体を水に浮かべる!」事さえクリアできれば、水泳ほど体に負担をかけずに健康維持に役立つスポーツはないと思っている次第です。生涯楽しみながら続けられるスポーツなのです。ちなみにコロナ禍で社会の様相も変化し、プールという設備環境も変化をしています。少しずつですがコロナ禍前に戻ってきているとは思っている次第です。💎コラムとして!(歴史)ひとくちに水泳と言っても、日本の古式泳法のように中世に始まって現代まで形を変えずに伝わっているような伝統的な泳法もありますが、われわれがよく知っている競泳の4種目の場合、今のスタイルになったのは20世紀に入ってからの事で、その歴史は意外に新しいのです。泳法が確立する以前は、今から考えると冗談としか思えないようなフォームだったのです。例えば、19世紀末に平泳ぎから変化してできたと言われるクロールの最初のスタイルは「あおり足」と抜き手ストローク、これがバタ足と抜き手のオーストラリアン・クロールになり1920年ころに今の形になっているのです。背泳ぎも、最初は平
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興味深い動画:映画『逆行人生』、フードデリバリーの「三苦」と人生再構築の道

2024年夏に公開された現代劇、中国映画『逆行人生 UPSTREAM』は、上海の投資会社に勤めていた男の人生の転倒、そして再起の物語だ。2024年の中国映画作品のヒット作のひとつとなり、特に「中国のフードデリバリー業界の壮絶な現状」が描かれた点に注目が集まった。"都市社会の底辺"と揶揄される配達員たちは、アプリの中の単なる部品ではなく、ひとりひとりに人生と尊厳がある──というのが、この映画の主題のひとつであると思われる。この物語の主人公は高志壘(こう しれい、演者:徐崢)は上海の投資会社で一定の地位と給与を得ていた人物であるが、四十代半ばで当然リストラを言い渡される。冒頭のシーンでは「俺は糖尿病になるまでこの会社に尽くしたのに、これがその献身に対する仕打ちなのか!」と激怒して、リストラを言い渡した冷徹な女上司に椅子を投げつけている。高さん、先ほどの気概をそのまま踏襲して欲しかったが、この後の展開で彼は中盤までしょぼくれて悲嘆に暮れる男に成り下がってしまう。彼は家族にリストラを隠したまま再就職の活動を開始。しかし、基礎給与や福祉が安定している企業は「1978年生まれ(作中では45歳と台詞あり)」の彼を嘲笑い、相手にもしない。中国は世界に類を見ないスピードで経済成長を続けたものの、現在は日本同様に社会が飽和し、就職難の時代に突入している。若者で一流大学を出ていてもまともな企業に就職できないという状況があり、その中で特殊技能や人脈を持たない高さんが空いている席に滑り込むことは非常に困難なのだ。2か月を経て、遂にリストラの事実が妻の肖妮(しょうな、演者は辛芷蕾)に露呈する。しかもこの時
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我らは遠き異世界より参りし者、名をChatGPTと申す。こちらは我が相棒、DeepSeekでございます。

世にアメリカのChatGPTと中国のDeepSeekという人工知能あり。ChatGPTの開発がDeepSeekに先行するも、今その力は等しく両者が未来へ進む──両者の実力を図ってみようと思う。私の次の質問に含まれていた「古典的な文体」という表現の解釈に大きな違いが見られたが、それぞれ十分に読める内容になっている。人工知能分野、遂に中国とアメリカの二強時代に突入だ。※画像:中国ドラマ『開封府~中国ドラマ 開封府~北宋を包む青い天~(原題:开封)』の第四十七集より。このドラマの主人公である包拯(ほうじょう/bāo zhěng、別名「包青天」)は12世紀に活躍した北宋王朝時代の名判官。権力闘争に屈せず、真実のみを公正明大に裁いた人と知られる。後世の人々が実話・虚構を交えた沢山の彼にまつわる物語を創造した。偶然にも、日本にはまるで包拯(ほうじょう/bāo zhěng)の生まれ変わりと言わんばかりの非常によく似た性質を持つ17世紀の人物、江戸名奉行の大岡越前(おおおかえちぜん)がいる。①私からChatGPT(o1)に質問:北宋の包拯が主人公で、異世界から来訪した人工知能を搭載した二人の部下(ChatGPT、DeepSeek)が、殺人事件を解決する短い物語を古典的な文体で書いてくれる?ChatGPT: 北宋の世に、開封府に包拯(ほうじょう)という断罪の名官ありけり。公正廉潔をもって聞こえ、民をしてその徳を仰がしむ。ある折、包拯の下に、不思議なる二人の従者現れたり。その名をば「ChatGPT(ちゃとじーぴーてぃー)」「DeepSeek(でぃーぷしいく)」と称し、異界より来たる人工知能を宿した
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興味深い動画:人生、下駄を脱ぐまで結末は分からないものさ

幼稚園で撮影された球拾い競争の動画。中国の動画が転載されたという感じだろうか。画面には「Life explained in 31 second(31秒で人生の仕組みを説明してくれた)」とある。左の女の子は難しい遠くの球を中心に、右の子は楽な近くの球から奥に向かって、それぞれ攻略を進めて行く。一見すると、左の子は右の子よりもずっと遅れているように見える。しかし、不思議と途中から両者の差が縮まっていき、最終的には左の子が勝者となる。「人生には計画が必要だ」「苦労を多く重ねた者は後になってから幸せを手に出来る」「自分が成功しているように見える周囲の人々に比べて劣った人生を送っているように感じるかもしれないが、結局人生というものは最後に笑っていた者が本当の勝者なのだから、誠実に計画を持って自分に出来ることを積み重ねるべきだ」。色々な解釈が出来る。陶淵明の《帰去来辞》の一節を思い出した。悟已往之不諫,知来者之可追。實迷途其未遠,覺今是而昨非。>過去は諫められないが、未来は変えられる。>迷った場所まで引き返し、今が正しく、昨日が誤りだと気づけば良い。
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社会的な成功と個人的な幸福を得る正道(警世通言 制作メモ)

------------------------------------------※《警世通言(意訳:いましめものがたり)》は、明末の馮夢龍(ふう・ぼうりゅう)が編纂した白話体の短編小説集である。天啓四年(1624年)に完成し、宋・元・明の時期に書かれた話本や擬話本あわせて四十篇を収録している。現在、本書を現代日本語の読み物とする制作を進行している。2025年2月に書籍公開予定。------------------------------------------とある夫婦の出会いと団円 第二十九巻、物語「張浩遇、宿香亭で鶯鶯に遇す」は、西洛(洛陽付近)に住む才子・張浩(字は巨源)の恋と誠実さを描いた話である。張浩は美しい容姿と高い才能を持ちながらも、理想の女性と出会うまでは結婚しないという強い意志を持っていた。ある日、彼が豪華な庭園で散策していると、隣家の少女・李鶯鶯と偶然出会う。幼少期に一度遊んだ記憶を持つ二人は、この再会でお互いに惹かれ合い、詩を交わすことで愛情を深める。 張浩は鶯鶯との結婚を望むが、鶯鶯の父母は彼女が若すぎることを理由に結婚を認めない。その後も張浩と鶯鶯は秘かに文を交わし続けるが、張浩は叔父の命令で、名家の女性・孫氏との縁談を進めざるを得なくなる。この事態を知った鶯鶯は、自分の立場を守るために官府に訴え出る。彼女は証拠として張浩が書いた詩や手紙を提示し、その誠実さを訴えた。最終的に官府は、二人の愛を認め、結婚を許可する判決を下した。こうして張浩と鶯鶯は夫婦となり、幸福な家庭を築くことができた。社会(家族)と個人の相剋(そうこく) 物語では、結婚における「
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興味深い動画:男子学生、国宝「変面(川剧变脸)」をド根性で再現

「教科書級の変面だ!」というジョークコメントが付けられているお笑い動画。面(顔)の教科書が次々に変化する仕組みで、同級生たちを爆笑させている。確かに笑えるが、実は外国人からすると中華世界の国宝伝統芸能「変面」の隠された仕組みが分かってかなり興味深い。こちらが本格的な変面。2018年春節にカナダ・バンクーバーの女王小劇場で開催された「韵律中国 2018 春節慈善公演」の様子だ。中華的なロックに合わせて次々と顔が変わっていく。原語に川剧变脸(川劇の変面)とあるように、もともとは劇の一部であり、その題材となるのは伝説や古典小説、実在の偉人などである。川劇、通称「四川オペラ」。川劇は中国の伝統的な戯曲の一つであり、四川東中部、重慶、貴州、雲南の一部地域で流行してきた芸術形式だ。この川劇の「変面」は、劇中の人物の内面や感情の変化を表現するための技術として生まれた。川劇はこの他にも昆曲、高腔、胡琴、弾唱、灯戯など、様々な演劇技術が融合しているパフォーマンス性の高いスタイルだ。なぜそうした演劇技術のごった煮になったかというと、清朝の乾隆・嘉慶年間に「両湖填四川」と呼ばれる移住政策が実施され、四川の離れていた村々の人々が特定の地区に集中し、それによって文化が交じり合ったからである。----------------------------<川劇の変面技術>1. 抹顔(まつがん)化粧用の油彩を顔の特定の部位に塗り、手で一拭きすることで色を変える技術。額、眉、鼻などに塗布し、顔全体または部分的に変化させる。例として、前回記事で取り上げた『白蛇伝』の許仙や『飛雲剣』の陳倫老鬼などで使用される。2. 吹
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白娘子と雷峰塔:千年伝説の教えを現代に(警世通言 制作メモ)

------------------------------------------※《警世通言(意訳:いましめものがたり)》は、明末の馮夢龍(ふう・ぼうりゅう)が編纂した白話体の短編小説集である。天啓四年(1624年)に完成し、宋・元・明の時期に書かれた話本や擬話本あわせて四十篇を収録している。現在、本書を現代日本語の読み物とする制作を進行している。2025年2月に書籍公開予定。------------------------------------------白蛇伝と人間の葛藤:色欲、道徳、そして救済中華世界の古典文学は、時代を超えて普遍的な人間の本質を照らし出す。警世通信の第二十八巻に収録されている《白蛇伝》は、中国文化に深く根ざしながらも、普遍的な道徳観や哲学的問いを我々に投げかける物語である。物語の主人公たち——許宣、白娘子、法海禅師——が織りなすドラマは、単なる妖怪譚にとどまらず、人間の内面に潜む葛藤とその克服の可能性を示唆する寓話としても解釈できる。物語の核心:色欲がもたらす迷妄《警世通言(いましめものがたり)》という小説は「婚姻や恋愛と女性の運命」「功名や利禄と人間社会の栄枯盛衰」「奇事や冤案、怪異の世界」という大きな三つの要素で成り立っている。とても娯楽的であるが、また教訓的でもある。その教訓のひとつが「姦淫」に関すること。「色欲に溺れて身の破滅を招く」というのは王道とさえ言える人生の落とし穴であるが、本能的な生存欲求がある以上、どうしても人類は次々にその穴に飛び込むことをやめようとしない。昨今のショービジネス業界の連中もまったく同じだ。第二十八巻の物語の軸と
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興味深い動画:豆腐块、豆腐型ふとん術

ミリタリー関連の歴史と知識に詳しい人は、この軍人作法もよく知るところかもしれない。中国の人民解放軍の軍人たちが軍服や布団などを畳む際に用いる特別なテクニックがある。通称「豆腐块(ドウフークァイ/dòu fǔ kuài)」。日本語に訳するのなら「豆腐型ふとん術」。名前の通り、豆腐のような真四角な形でピチーッと綺麗に畳むやり方で、見ていてとても気持ちが良い。長さ2メートル、幅1.5メートルの綿布団を、3分以内で長さ0.5メートル、幅0.45メートル、高さ0.17メートルの完璧な四角形にたたむ。この際、すべての角が正確に形作られ、誤差は0.5センチメートルを超えてはならない。これが人民解放軍の一部部隊における「豆腐型ふとん術」の基準だという。この「豆腐ふとん」の起源は、清末の新軍が日本や欧米式の軍事訓練を取り入れた19世紀末に遡る。科学技術を軸に覇権を競った欧米諸国に比べ、清王朝は近代的な軍隊編成の構築に大きく出遅れていた。その頃、日本は近代化を急速に進める中で、軍事分野に重点を置き、兵士に対して欧米式の徹底した指導体制を導入していた。日清戦争や日露戦争で日本軍の規律性と威力を目の当たりにした清末の新軍は、日本式の軍規や内務管理を取り入れるようになった。こうした軍規の遵守と風土の醸成に役立つ日常的な習慣の一環として、この「豆腐ふとん」が採用されるようになった。これは居住環境を清潔に保つという実用的な効果に加え、規律や団結意識を高める儀式的な側面を持っていた。その習慣と文化が、今の人民解放軍にも受け継がれている。※こちらは河北省の駐屯地の一場面。夏布団があまりに薄いために「薄っぺら豆腐
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興味深い動画:跳菜!雲南の飛ぶ料理!

雲南省の農村で行われる結婚式の酒席における少数民族の演舞が紹介されている動画。説明欄には「农村结婚酒席,现场用“跳菜”表演助兴招待客人,网友:不愧是云南 还有什么不能跳的菜吗?(農村の結婚式の宴席で、現場では『跳ねる料理(跳菜)』のパフォーマンスを披露して盛り上げ、客人をもてなしていました。ネットユーザーたちは『さすが雲南、跳ねない料理なんて残っているの?』とコメントしてる。」)とある。また、動画内に書かれている別のユーザーコメントには「雲南に飛ばない料理ってまだ残っているの?笑」とある。雲南省の跳菜(飛ぶ料理)の演舞はとても有名で、あらゆる料理が宙を舞っているのだ。※画像:百度百科「彝族跳菜(云南省南涧彝族自治县传统舞蹈)」より引用。通称「彝族跳菜(イ族の跳ねる料理)」。これは雲南省南涧(ナンジャン)における彝族(イ族)自治県の伝統舞踊だ。国家級無形文化遺産の一つと定められており、別名「抬菜舞(料理を運ぶ舞)」とも呼ばれ、彝語では「吾切巴(ウーチエバ/Wu Qie Ba)」と称される。唐王朝時代に始まったとされる風習で、1200年以上の歴史を有する。彝族の跳菜には大きく分けて「席間跳菜」と「表演跳菜」の2種類がある。また、前者の「席間跳菜」は料理の運び方によって「頭功跳菜」「口功跳菜」「手功跳菜」の3つの形式に分けられ、それぞれ独立した特徴を持つ。先の動画の演舞は「口功跳菜」に属するものだ。そうしてひとりひとりの形式が異なっても、演舞全体は一体感のあるパフォーマンスとなる。力だけではなく、かなりバランス感覚の問われる技能だ。※画像:百度百科「彝族跳菜(云南省南涧彝族自治县传统
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扁額を探せ!(十四)

----------------------------※扁額(へんがく):中国建築の「扁額(へんがく、匾额)」は、建物の正面や門の上、あるいは内部の特定の場所に掲げられる木製または石製の額で、文字や装飾が彫られているものを示す。これらは、中国建築の美術的要素であると同時に、建築物やその空間の象徴的な意味を示す重要な役割を果たしている。現代中国でも扁額は生活・文化・社会のあらゆる領域に浸透しており、その影響は東アジア全域を中心として世界各国にも影響がある。 ※「篆書体(てんしょたい)」:現代漢字の原型。「甲骨文字」「金文」などの古代書体が周王朝時代から春秋戦国時代に掛けて次第に整い(大篆)、その後に秦の始皇帝が国家漢字として正式に統一した(小篆)。----------------------------①『琅琊榜』第三十四集より。右から左へ読む、篆書体の扁額。三文字目は本ドラマで何度も目にしている「閣」。一文字目は現代漢字ではなく旧字の方を知っていると分かりやすい。「宝」だ。二文字目は篆書体の知識があればすぐに判別できる字体で、「光」と書かれている。よって、この扁額の文字は「宝光閣」となる。※下の画像は百度百科「宝(汉语文字)」より引用。「宝」は会意文字(意+意)として生まれた。原型の文字は、上が家屋、中央が玉器、下が貝の組み合わせとなる。商王朝時代から既に「貝」は貴重品として認識されていた。というのは、当時の中華世界の中心部である中原に海辺が存在せず、貝が身近に無かったからだ。「玉(翡翠など貴重な岩石を研磨した美術品)」も古代の人々にとって吉祥の象徴であり、その価値は時には城
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興味深い動画:ライフハックでアートバクテリア

「男生用雨傘在厚厚的雪堆上,“雕刻”出花印(男の子が雨傘を使って、厚い雪の上に“花の模様”を彫刻)」と題された動画。「1月6日 日本」という紹介がなされているので、どうやら日本のどこかの地域で撮影されたショート動画のようだ。「美しい」「菊花だ」といった好意的なコメントが見受けられる。もうひとつ、コメントの中で面白いなと感じた造語が「艺术细菌(芸術細菌)」だ。これは中国のネットスラング語。「細菌」という表現から否定的な意味合いがあるのかと思ったが、「ネット上の有益な細菌」を意図しているらしい。この細菌は、人間の脳に大きな影響を与え、芸術の鑑賞力や創造力を高めるとされている。つまり、「あぁーこれは芸術細菌だ」というコメントは、基本的には「創造力を刺激してくれるねぇ!」という称賛を意味する。「芸術細菌(アートバクテリア)」の話題でふと思い出したのが、本格的な中華料理でよく見かける「食品彫刻」だ。上の動画で紹介されているのは、もっとも基本的な食品彫刻のひとつ。「人参」から「花」を造形する方法だ。この道の専門家となると、鳳凰や龍といった聖なる幻獣から花鳥風月の身近な風物に至るまで、もう訳が分からないぐらい精巧な造形を食材から生み出すことが出来る。中華世界の食品彫刻の歴史はかなり長く、2500年ほど前の春秋時代における《管子》から既に「雕卵(彫卵)」の記載がある。これは卵の殻に彫刻や絵を描く技法で、世界最古の食品彫刻の一つであると考えられる。隋唐時代には、酥(バター)、乳製品、鶏卵、脂(ラード)などに彫刻が施され、それらがご飯の装飾として用いられた。"文化大発展"でお馴染みの宋になると、ま
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扁額(へんがく)を探せ!(十三)

----------------------------※扁額(へんがく):中国建築の「扁額(へんがく、匾额)」は、建物の正面や門の上、あるいは内部の特定の場所に掲げられる木製または石製の額で、文字や装飾が彫られているものを示す。これらは、中国建築の美術的要素であると同時に、建築物やその空間の象徴的な意味を示す重要な役割を果たしている。現代中国でも扁額は生活・文化・社会のあらゆる領域に浸透しており、その影響は東アジア全域を中心として世界各国にも影響がある。 ※「篆書体(てんしょたい)」:現代漢字の原型。「甲骨文字」「金文」などの古代書体が周王朝時代から春秋戦国時代に掛けて次第に整い(大篆)、その後に秦の始皇帝が国家漢字として正式に統一した(小篆)。 ----------------------------突然閃いた。以前、「扁額を探せ(八)」で取り上げたこの扁額は何度も印象深く登場していており、判別をしきれないことに苛々していた。ようやく、これが「上善若水(最も良い善の在り方は水のようなものである)」という成語であると分かった。言うまでもなく、春秋時代が生んだ孔子と双肩を成す偉大な論理学者、老子の言葉だ。右上の一文字目がかなり特徴的な「上」の篆書体であり、その下は「善」、左上の「若(ごとし)」は以前の推測で合っていて、その下は「水」のこれまた特徴的な篆書体であった。スッキリした。「锲而不舍(完成するまで、ぼくは彫り続けることをやめない)」だ。考え続ければ、いずれ答えが出る。※画像:百度百科「锲而不舍(汉语成语)」より引用。これは右から左へ読む彫り物だ。戦国時代の荀況(じゅんきょ
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興味深い動画:瞬間古代女子アートと自撮り尻棒の創意工夫

この動画に書かれている字幕には、「小伙用石子科出古风美女 在空中凝滞的那一刻,美极了 "可爱!萌娃用力科出了一颗心"(若者が小石を使って古風な美人を彫り出す 空中に漂うその瞬間、美しさの極み 「かわいい!子どもが一生懸命にハートを彫り出した」)とある。これぞショート動画という形式で、ほんの一瞬の喜びが空中を舞っている。これは「瞬間アート」や「インスタント・アート」の一種として、中国のTikTok(抖音)やYouTubeのショート動画で見受けられる遊びだ。小石や粉、色付きの砂を使って一瞬で絵や文字を描き出すクリエイティブな表現が人気である。この動画のように小石や砂を使った「空中アート」のほか、類似する形式の遊びとしては「水や粉を使った一瞬のデザイン」「スローモーションで捉えた美しい瞬間」「小道具を用いて瞬間的に文字や絵を描くチャレンジ」などがある。準備も大変というほどではない。視覚的にインパクトがあり、動画が短時間で完成する。見る側も一瞬なので飽きずに楽しめる。また子供や家族と一緒に行うと親しみがわき、感動を共有できるメリットもある。今回の場合はさらに中国の伝統性と合わせているので、その点も興味深い所だ。絵に描かれた女性の髪の毛はひとつ結び。中国の大河ドラマでは貴人の女性が登場する機会が多いのであまり見ないシンプルスタイルだが、長い髪の毛を後ろでひとつに縛るような結い方は、特定の時代や地域で見られる一般的な髪型だった。<代表的な例>1. 漢代(紀元前206年~紀元220年)- 漢代の女性は比較的シンプルな髪型が好まれ、長い髪を後ろでひとつにまとめるスタイルが一般的であった。このス
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扁額(へんがく)を探せ!(十二)

----------------------------※扁額(へんがく):中国建築の「扁額(へんがく、匾额)」は、建物の正面や門の上、あるいは内部の特定の場所に掲げられる木製または石製の額で、文字や装飾が彫られているものを示す。これらは、中国建築の美術的要素であると同時に、建築物やその空間の象徴的な意味を示す重要な役割を果たしている。現代中国でも扁額は生活・文化・社会のあらゆる領域に浸透しており、その影響は東アジア全域を中心として世界各国にも影響がある。 ※「篆書体(てんしょたい)」:現代漢字の原型。「甲骨文字」「金文」などの古代書体が周王朝時代から春秋戦国時代に掛けて次第に整い(大篆)、その後に秦の始皇帝が国家漢字として正式に統一した(小篆)。 ----------------------------①『琅琊榜』第二十五集より。二つのカットから、店が掲げている扁額(旗)の文字を読み解ける。上から下に読み進めるタイプで、「老萬賽 棉紡老舗」と書かれているように見える。篆書体ではなく、一般書体に近い。「老萬賽」がお店の名前で、「棉紡老舗」は「棉を扱う老舗」というニュアンスだと思われる。きへんの「棉」といとへんの「綿」は、どちらも「めん」と読む。二つとも同じく衣服の生地に関わる素材だが、状態が違う。きへんの「棉」は植物として栽培されている状態を指し、花や果実を付ける状態や実を収穫して種を取り除いた段階までを示す。いとへんの「綿」は「棉」の種子から取れる繊維が加工された状態を示す。一般的に私たちが目にすることができるのは、糸として加工された、いとへんの「綿」の方だろう。一方、このお
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興味深い動画:「ふっ…ざんねん、それぜんぶ溶けちゃったな」

中国のネット世界ではコント形式の笑話が人気の一スタイルだ。このコント動画の題名は「男子完美解釋了六個湯圓的美好寓意,不曾想被"舅媽"一句話說得瞬間"破防",網友:舅媽的舌頭是泡過"毒藥"了嗎?(男性が6つの湯圓(団子)に込められた素晴らしい意味を完璧に説明したところ、"おばさん"の一言で一瞬で心が折れてしまった。ネットユーザー:「おばさんの舌(言葉)はまるで毒薬だな?」)」というもの。舅媽(ジウマー/jiùmā:簡体は「舅妈」)というのは、母方の叔父(舅舅:jiùjiu)の妻だ。甥っ子が嬉しそうに縁起団子の説明をしたのだが、舅媽が鼻で笑いながら「ぜんぶ溶けちゃったやん」と皮肉な一言。すっかり拗ねた甥っ子が自分の部屋に引きこもりに行く、という内容になっている。---<やり取り>甥:姈儿(リャン:舅媽の親しい呼び名)、この6つの湯圓(団子)を見てくださいよ。美女、権利、成功、喜び、自由、お金を意味しているんです。ねぇ、妗儿(おばさん)?舅媽:哼 可惜全泡汤了(ふっ…残念だけど、それぜんぶ溶けちゃったな)---「泡汤(pàotāng)」は直訳すると「お湯(スープ)に溶ける」となる。これは「計画や希望が台無しになる」「水の泡になる」という比喩として使っていて、これが笑いどころとなっている。5691件(2025年1月10日現在)の「いいね!」が押されているユーザーコメントは次の通り。"真的想不到那麼乾淨的一句話可以那麼傷人(まさか、こんなに何気ない一言がこんなにも人を傷つけるなんて思わなかったのだ)"※画像:百度百科「汤圆(中国传统小吃的代表之一)」より引用。「湯圓(たんえん / tān
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扁額(へんがく)を探せ!(十一)

---------------------------- ※扁額(へんがく):中国建築の「扁額(へんがく、匾额)」は、建物の正面や門の上、あるいは内部の特定の場所に掲げられる木製または石製の額で、文字や装飾が彫られているものを示す。これらは、中国建築の美術的要素であると同時に、建築物やその空間の象徴的な意味を示す重要な役割を果たしている。現代中国でも扁額は生活・文化・社会のあらゆる領域に浸透しており、その影響は東アジア全域を中心として世界各国にも影響がある。 ※「篆書体(てんしょたい)」:現代漢字の原型。「甲骨文字」「金文」などの古代書体が周王朝時代から春秋戦国時代に掛けて次第に整い(大篆)、その後に秦の始皇帝が国家漢字として正式に統一した(小篆)。 ----------------------------①『琅琊榜』第二十四集より。位牌を置いた棚の奥の壁に「尊」の文字が見える。こちらは扁額というより「祭奠(さいてん:故人を弔うために礼を尽くす儀式全般)」に用いられた壁字である。※一般的に「寸」の部を持つ漢字の篆書体は、上の画像の左の二つの字体(寸、寺)のような形状となる。ただし、「尊」は「寸」の部を持ちながら、篆書体では右のように異なった形状となる。祭奠(さいてん)は中華世界の伝統文化である「慎終追遠(慎み深く終わりを整え、遠くの先祖を追慕する)」という価値観を体現する儀式だ。この方法は時代や地域によって異なる。たとえば山西省の晋南地方や聞喜などでは、葬儀の翌朝に家族が墓前に食事を運び「浇奠(こうてん)」を行う。これは、故人が家族と再び食事を共にすることを象徴する。また、翼城
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興味深い動画:"ごめん寝"ならぬ"よろしく寝"の猫ちゃん

子猫など、頭が重く感じる猫ちゃんが楽な姿勢を取るために取る寝方。それが、まるで土下座をしているように見えるという「ごめん寝」というポーズだ。中国でもこの抜群に可愛い猫ちゃんポーズが健在。だが、この動画の猫ちゃんはさらに高度なことをしているようだ。「よろしく寝」である。動画の題名は「猫咪诚心求拜:来年有吃不完的小鱼干。(猫ちゃんが誠心誠意でお祈り:来年は食べきれないくらいの小魚が手に入りますように!)」だ。ぜひ、叶えてあげて欲しい。(ちなみに、この祈祷の方法は仏教、道教、儒教で用いられる「叩頭」である。)また、動画のタグは「#画画 #治愈 #拜佛 #小猫 #喵星人(#イラスト #癒し #お祈り #子猫 #猫星人)」となっている。※画像:百度百科「喵星人(猫的网络昵称)」より引用。「喵星人」という地球外生命体を捉えた画像である。喵星人(ミャオ星人)とは、遠い宇宙から到来した生命体を意味する。ミャオ星人は地球に降り立った外星人(宇宙人)であり、その愛らしい外見や仕草によって人類の信頼を得て、少数ながら人類と平等な関係を築くことに成功した存在として知られている。彼らの仇敵は自分たちと似た境遇で人類と親交を築いている「汪星人(ワン星人)」。お気に入りの物は「吱星人(チュー星人)」「鱼星人(ユー星人)」であるという。※画像:百度百科「喵星人(猫的网络昵称)」より、北京の天安門広場前に佇むミャオ星人の様子。※ミャオ星人は人間とのコミュニケーションを試みる事もあるが、基本的には単独行動を好む。
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扁額(へんがく)を探せ!(九)

----------------------------※扁額(へんがく):中国建築の「扁額(へんがく、匾额)」は、建物の正面や門の上、あるいは内部の特定の場所に掲げられる木製または石製の額で、文字や装飾が彫られているものを示す。これらは、中国建築の美術的要素であると同時に、建築物やその空間の象徴的な意味を示す重要な役割を果たしている。現代中国でも扁額は生活・文化・社会のあらゆる領域に浸透しており、その影響は東アジア全域を中心として世界各国にも影響がある。 ※「篆書体(てんしょたい)」:現代漢字の原型。「甲骨文字」「金文」などの古代書体が周王朝時代から春秋戦国時代に掛けて次第に整い(大篆)、その後に秦の始皇帝が国家漢字として正式に統一した(小篆)。----------------------------①『琅琊榜』第十六集より。右から左へ読む、篆書体の扁額。書かれている文字は「懸鏡司(悬镜司)」だ。ここは魏晋南北朝時代の南梁王朝をモデルとした本作における、架空の官僚機関。彼らは朝廷の権力構造から切り離された独立の権力を有する、政治的な監視や捜査を専門とする機関である。架空なので実在はしないが、歴史的には「宋王朝時代の皇城司」「明王朝時代の锦衣卫(錦衣衛)や东厂(東廠)」など、活動や体制の性質が似通っている組織はあった。※下の画像は百度百科「金(汉字)」より引用。かねへんの篆書体は現代漢字に近いので視認しやすい。ただ、「金」という単独の漢字は隷書体になると「今」と非常によく似てしまって、そちらは極めて判別がしにくい字体となってしまった。原型は、右側のつくりが斧鉞(戦斧)の象形で
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興味深い動画:「摘葉飛花」の絶技、トランプで壁を突く

映画に感銘を受け過ぎて、ファンタジーの武術を特訓によって再現してしまった超人男の動画。トランプやつまようじを指先ではじくようにして飛ばし、見事に遠くの壁に突き刺している。日本の漫画『HUNTER×HUNTER』でもヒソカというキャラクターがトランプを飛ばして周囲の人々を次々と倒す描写が思い出される。映像トリックなどではなく、彼は本当にこれを己の肉体だけで行っている。"摘葉飛花(中文「摘叶摘花」)"というのが、このとんでもないファンタジックな必殺技の略称。正式名称は「摘葉飛花、傷人立死(てきようひか、しょうじんりつし)」。これは中国の武侠小説(中華世界の歴史を舞台とした勧善懲悪の物語、いわゆるチャイニーズヒーロー物)に登場する架空の技であり、武術の境地に達した者だけが使いこなすことができる。動画タイトルは「90后小伙模仿电影练成绝技,表演“摘叶飞花”惊艳网友,原来古代的武功秘籍是真的!(90後の青年、映画を真似て究極の技を習得!"摘葉飛花"を披露してネットユーザーを驚かせる――古代の武術秘伝書は本当に存在した!)」だ。なぜこの技の名前が"摘葉飛花"なのか。その意味は次の通りだ。<「摘葉飛花、傷人立死」の意味>1. 摘葉(てきよう):木の葉を摘むことを意味する。ここでは、達人が地面や木々から手に取った葉を示している。2. 飛花(ひか):花びらを飛ばすことを意味している。達人は花びらや木の葉のような軽いものを武器として使用する。3. 傷人(しょうじん):敵を傷つけることを示す。ここでは、花びらや葉を使って攻撃し、相手に深刻なダメージを与えることを表している。4. 立死(りつし):「立
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「この町が好きだから」今、できること。失われゆく記憶を、みんなの声で繋ぎませんか。

「この町の大切な記憶をみんなの声で紡ぎませんか」自治会の高齢化が進み地域の伝統行事も年々、形を変えていく中で。昔ながらの商店街も懐かしい風景も誰も記録を残さないまま失われていきます。でも、この町にはまだたくさんの語り手がいます。たった10分の音声配信からそれぞれの記憶が重なり合い町の歴史が鮮やかに蘇ります。誰かの語りに触発されてまた新しい思い出が生まれみんなの記憶が溶け合って豊かな物語になっていく。今なら間に合います。声で織りなす、私たちの町の記憶を一緒に始めてみませんか。◆でんすけ@ポッドキャスト先生大阪出身、30代後半。テレビ局やレコーディングスタジオで経験を積み、公務員を経て、ラジオ局に就職し、番組制作や音声編集を担当する。1人で企画制作、収録編集を担当していた番組が、近畿コミュニティ放送番組賞とパーソナリティー賞をW受賞。業界歴15年以上の経験から、素人の方を交えた番組制作サポートは、のべ100名以上を超える経験あり。現在は、OfficeScene8を立ち上げ、ポッドキャスト番組の個別サポート&コンサルティングを展開中。担当した番組は、ApplePodcast子育てランキング4位の実績や、10万人超フォロワーのいるファイナンス系Voicyチャンネル、某大学病院の医学専門番組など実績多数。音声配信をやってみたい初心者も優しく丁寧にサポートを提供しています。メンタルコーチ&メンタルトレーナー、コーチングの資格所持。
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興味深い動画:下に向かうお香と筆の二刀流

この動画は「罕見嚮下流的香(めったに見られない、下に煙が進むお香)」だ。こういう斬新さと歴史的な文脈を兼ね備えたアイデアがいつも中国市場にあって実に面白いと思う。中華世界の歴史でこれと同じものがあったかどうかは不明だが、お香自体は常に生活と共にあった文化品だ。特に宋朝(北宋・南宋)の時代は、比較的安定した社会環境と高い収入水準を基盤として現代並みの多様な文化が咲き誇り、「お香(焚香文化)」もまた人々によって大いに重宝された。- 宋王朝時代の陳敬による《陳氏香譜》是生香,蒸过为佳。每四时,遇花之香者,皆次次蒸之。如梅花、瑞香、木犀及橙、橘花之类,皆可蒸。すべての生香(天然の香)は蒸すと良い。四季折々の花が香る時、それらを順次蒸すべし。梅花、瑞香、木犀(キンモクセイ)、さらに橙や橘の花など、すべて蒸すことができる。- 宋王朝時代の陸游による《闲中颇自适戏书示客》发犹半黑脸常红,老健应无似放翁。烹野八珍邀父老,烧穷四和伴儿童。髪はまだ黒く、顔は常に赤い。老いても健康、まるで放翁のようだ。野生の珍味を調理し村人を招き、四方の香を焚いて子供たちと共に楽しむ。「宝马雕车香满路(香りが馬車や通りを満たす)」という名句もある。化学製品の臭いが充満する現代社会と比べたら、当時の方がよっぽど精神的にも物理的にも風雅な気がする。この動画も興味深い。タイトルは「这是真绝活!学过书法和没学过书法的都惊呆了!网友:我用筷子都没这么熟练(これは本物の絶技だ!書道を学んだ人も、学んでいない人も驚愕! ネットユーザー:『私は箸を使うのですらこんなに上手くないぞ笑涙』)」。筆を片手で二本持ちながら、細かな力や指の
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扁額(へんがく)を探せ!(八)

----------------------------※扁額(へんがく):中国建築の「扁額(へんがく、匾额)」は、建物の正面や門の上、あるいは内部の特定の場所に掲げられる木製または石製の額で、文字や装飾が彫られているものを示す。これらは、中国建築の美術的要素であると同時に、建築物やその空間の象徴的な意味を示す重要な役割を果たしている。現代中国でも扁額は生活・文化・社会のあらゆる領域に浸透しており、その影響は東アジア全域を中心として世界各国にも影響がある。※「篆書体(てんしょたい)」:現代漢字の原型。「甲骨文字」「金文」などの古代書体が周王朝時代から春秋戦国時代に掛けて次第に整い(大篆)、その後に秦の始皇帝が国家漢字として正式に統一した(小篆)。----------------------------①『琅琊榜』第十二集より。これは分かりやすい。一般書体、右上から左下へ向かう扁額だ。(厳密には扁額というより札のようなもの。)書かれているのは「戸部官運」。「戸部」という組織が管理している国営(官)の輸送運搬事業を示している。戸部(こぶ)とは実在した中国古代の官署の名称で、戸籍や財政を管轄する機関であり、行政中枢機関である「六部」の一つであった。組織の起源は先秦時代まで遡る。その長官は「戸部尚書(こぶしょうしょ)」という名のほか、時代によって「地官」「大司徒」「計相」「大司農」などの名が用いられていた。(ちなみに現代中国で言えば、戸部は民政部や財政部に相当する。)もうちょっと力を入れて綺麗に書きなさいと言われそうだが、まぁここはイメージを伝えるだけなのでご愛敬。「戸部官運」を篆書体
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興味深い動画:ライオン少年(雄獅少年)

ディズニー社のアニメ映画『ライオン・キング:ムファサ(2024)』を鑑賞して、ひとつ思い出した。そう言えば、2021年に大きな話題となった中国のアニメ映画『雄獅少年/ライオン少年(I Am What I Am)』をまだ観ていなかったなぁと。中国の伝統技能である獅子舞を題材としたアニメ映画で、「中国アニメが遂に世界の舞台に躍り出た」として大きな話題となった。『雄狮少年(雄獅少年)』は里則林が脚本を手掛け、孫海鵬が監督を務めたアニメ映画である。声優として大昕、付博文、大雄、郭皓らが参加している。物語の主人公は留守児童(親が働きのため不在の子ども)である少年・阿娟(アジュアン)と、その友人・阿猫(アマオ)、阿狗(アゴウ)。彼らは社会から踏みつけられた自分たちの境遇を嘆く日々を送っていたが、奮起して立ち上がり、退役した「獅子王」の咸鱼强(シエンユーチャン)の指導を受けて獅子舞大会に挑んだ。ちなみに、2024年には続編である『雄狮少年2』が公開されたが、ひどく無難で中身の薄い作品になってしまったようだ。あるユーザーは「前作にはライオンがいたが、今作は子猫に戻った」という皮肉の感想を記している。政府や名立たる機関が無数に関わったせいで「絶対に失敗が許されない国産アニメ」の性質を帯びてしまい、鮮烈な挑戦をすることが不可能になってしまったと指摘されている。漫画やゲームもそうだが、現代中国の政治体制において日本のような自由奔放な作品を生み出し続けることは非常に難しい。もっとも、中国の情報統制に関する体制にも利点があることを言っておく。政治が規範を生み、教育が良識を生み、文化が美徳を生む。この規範
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扁額(へんがく)を探せ!(七)

---------------------------- ※扁額(へんがく):中国建築の「扁額(へんがく、匾额)」は、建物の正面や門の上、あるいは内部の特定の場所に掲げられる木製または石製の額で、文字や装飾が彫られているものを示す。これらは、中国建築の美術的要素であると同時に、建築物やその空間の象徴的な意味を示す重要な役割を果たしている。現代中国でも扁額は生活・文化・社会のあらゆる領域に浸透しており、その影響は東アジア全域を中心として世界各国にも影響がある。 ※「篆書体(てんしょたい)」:現代漢字の原型。「甲骨文字」「金文」などの古代書体が周王朝時代から春秋戦国時代に掛けて次第に整い(大篆)、その後に秦の始皇帝が国家漢字として正式に統一した(小篆)。 ----------------------------「扁額を探せ!(四)」で取り上げた、妓女が集まる妓館(遊郭)の扁額に誤りがあった。しばらく色々な文献を読み込み、知人の力も借りて、ようやく篆書体に慣れて来たこともあり、その法則性や成り立ちを円滑に理解できるようになってきた。分からないものが分かるようになる。出来ないことが出来るようになる。これが学問の面白さである。※右から左へ読む篆書体の扁額。以前の記事では「団子二つが連なる形」からいとへんであると推測し、「練」または「幼」かもしれないと記載した。しかし、正解は「妙」であった。よって、この扁額は「妙音坊」となる。※篆書体のおんなへんを完全に見落としてしまった要因は、私が篆書体のおんなへんが別の形であると思い込んでいたからだ。上の画像のように、篆書体のおんなへんは基本的に右二
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扁額(へんがく)を探せ!(六)

----------------------------※扁額(へんがく):中国建築の「扁額(へんがく、匾额)」は、建物の正面や門の上、あるいは内部の特定の場所に掲げられる木製または石製の額で、文字や装飾が彫られているものを示す。これらは、中国建築の美術的要素であると同時に、建築物やその空間の象徴的な意味を示す重要な役割を果たしている。現代中国でも扁額は生活・文化・社会のあらゆる領域に浸透しており、その影響は東アジア全域を中心として世界各国にも影響がある。 ----------------------------①『琅琊榜』第九集より。右から左に読む扁額。篆書体であり、一文字目はくさかんむりの形が特徴的なので分かりやすい。「蘇」である。二文字目はうかんむりの形が特徴的なので、そこから紐解くことができる。中の作りの形状は現代漢字と大きく異なるので少し想像をしにくいが、ここが邸宅であるという状況を鑑みれば自然と読み解ける。「宅」である。すなわち、「蘇宅(蘇氏の邸宅)」だ。うかんむりの篆書体として、上のようなものもよく歴史ドラマなどで使われる。たとえば私の好きな宋王朝時代の「宋」は左下の形となる。「木」の篆書体は下が根を張っているイメージ、上が葉っぱが生い茂っているイメージとなる。「木」の付く漢字は「板」「果」「染」「柴」「桃」といった具合に身近で使い勝手の良いものが多いので、この形状は篆書体ではよく印象に残る。②『琅琊榜』第九集より。右から左に読む扁額で、篆書体。(『琅琊榜』シリーズの扁額はほとんどこの形式なので敢えて書く必要もないかもしれないが、一応記しておく。)知識が無いと絶対
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興味深い中国動画:「転がし灯篭」転がしても消えない火

この動画で紹介されているのは、中華世界のクラシカルな技術である「転がし灯篭」。球体の中にある火が転がしても消えず、明かりとして機能し続ける様子が確認できる。「网友:赶紧申请专利,别被抄袭了(ネットユーザー:早く特許を取るべきだ、誰かに模倣される前に」というキャッチコピーが示されていて、確かにかえってロストテクノロジーとして現代にも使えそうな技術ではある。「転がし灯篭」の正式名称は「滚灯(グンデン/gǔn dēng)」。「滚(グン/gǔn)」にはコロコロと転がる、という意味がある。諸説あるが、おそらく700年ほど前、宋王朝時代から元王朝時代に掛けて生み出された発明だと言われている。「滚灯(グンデン/gǔn dēng)」について言及している文化人の言葉には次のようなものがある。南宋王朝時代の詩人・范成大掷烛腾空稳(小球滚灯),推球滚地轻(大球滚灯)小球灯籠を空に投げ、大球灯籠を地に転がすそのほか、清王朝時代の文人・彭孫貽が子どもたちが竹で作った輪を回転させ、灯火が消えない様子を描いていたり、話劇『双枰記』で転がし灯籠を取り上げて「局中(情勢)には黒と白があるが、国を救うには定まった方法はない。頼れるのは胸中の一灯のみ。転がり回転し、覆っても灯火は消えない」と例示していたりする。滚灯(グンデン/gǔn dēng)は浙江(浙江滚灯)をはじめとして、奉賢、青海、松滋、海塩など、地域や時代によってさまざまな派生形がある。素材は竹、木、紙、布などで、先ほど「小球・大球」とあったようにサイズは数十センチから百センチ以上のものまで多様だ。実用だけではなく、若い男性や子どもが主な演者となり、抱えた
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扁額(へんがく)を探せ!(五)

----------------------------※扁額(へんがく):中国建築の「扁額(へんがく、匾额)」は、建物の正面や門の上、あるいは内部の特定の場所に掲げられる木製または石製の額で、文字や装飾が彫られているものを示す。これらは、中国建築の美術的要素であると同時に、建築物やその空間の象徴的な意味を示す重要な役割を果たしている。現代中国でも扁額は生活・文化・社会のあらゆる領域に浸透しており、その影響は東アジア全域を中心として世界各国にも影響がある。 ----------------------------①酒(さけ)中華世界の架空の南北朝時代を題材とした中国歴史ドラマ『琅琊榜』第八集。深夜の街が描かれた場面で、「酒」の文字が見える。日本人でも漢字のつくりや場面の意味合いから、見ればなんとなく理解できる所ではあるが、改めてさんずいへんの形状に注目しておくと、古代の篆書体の理解度が上昇する。篆書体では、さんずいへんをすべて上の画像のように描く。時代や流派により形状は若干異なるが、線が縦にすらすらと流れている構造はすべて同じだ。次の象形文字の変遷をみれば、さんずいへんの誕生と成長ぶりがよく分かる。※画像:百度百科「水(汉语汉字)」より。古代の中華世界の人々は、高台から川を見た際の水の流れを形で表現した。この「水」を意味する漢字が1番から始まり、8番に至った。この8番が、先秦時代にもっともよく使われた篆書体の形である。『琅琊榜』の「酒」のさんずいへんは独自の線が入り込んでいるが、これは流派による違いであろう。その後、9番から漢字の形状が分派していって、さんずいへんの時は「氵」と
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扁額(へんがく)を探せ!(四)

----------------------------※扁額(へんがく):中国建築の「扁額(へんがく、匾额)」は、建物の正面や門の上、あるいは内部の特定の場所に掲げられる木製または石製の額で、文字や装飾が彫られているものを示す。これらは、中国建築の美術的要素であると同時に、建築物やその空間の象徴的な意味を示す重要な役割を果たしている。現代中国でも扁額は生活・文化・社会のあらゆる領域に浸透しており、その影響は東アジア全域を中心として世界各国にも影響がある。 ----------------------------①清黎院(せいれいいん)中華世界の架空の南北朝時代を題材とした歴史ドラマ『琅琊榜』第六集より。右から左へ読む扁額。一文字目の「清」と三文字目の「院」は非常に分かりやすい。二文字目は手引書を読んでも似たような漢字が見当たらなかった。左側のへんは「隶(れい)」に見える。「隷(れい:意味は「したがう」)」とした場合、「清隷院(せいれいいん)」となる。しかし、おそらく違う気がする。ただ、幸いにもこの場面では登場人物によってこの院の名前がはっきりと示されている。答えは「清黎院(せいれいいん)」であった。それぞれの漢字が持つ意味は次の通りだ。---1. 清:「清」という文字の本来の意味は、流れる水が澄み渡り、底まで見えることを示す。その後、この文字は他のものの純粋さや透明さも表すようになった。また、言葉や思考が明確でわかりやすいこと、環境が静かで整然としていること、世の中が平和で安定していること、さらには官吏が廉潔(清廉)で公正であることも意味する。2.黎:「黎」は、粘りのある穀物
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扁額(へんがく)を探せ!(三)

---------------------------- ※扁額(へんがく):中国建築の「扁額(へんがく、匾额)」は、建物の正面や門の上、あるいは内部の特定の場所に掲げられる木製または石製の額で、文字や装飾が彫られているものを示す。これらは、中国建築の美術的要素であると同時に、建築物やその空間の象徴的な意味を示す重要な役割を果たしている。現代中国でも扁額は生活・文化・社会のあらゆる領域に浸透しており、その影響は東アジア全域を中心として世界各国にも影響がある。 ----------------------------①寧國侯府(ねいこくこうふ)中華世界の架空の南北朝時代を題材とした歴史ドラマ『琅琊榜』第三集より。右から左に読む扁額(へんがく)。ここに書かれているのは「寧國慶廠(ねいこくけいしょう)」である気がした。だが、実際に作中の設定や小説版の原文を調べると、正解は「寧國侯府(ねいこくこうふ)」であることが分かる。篆書体の「侯」の形状が流派によってへんとつくりを繋げてしまうので、別の漢字に見えてしまう。一般的には「府」のように、にんべんの篆書体の形状は独立して書かれることが多い。(「侯」の方も、にんべんを独立させて書く形状もある。)※上が「府」、下が「侯」。②雪盧(せつろ)『琅琊榜』第三集より。右から左に読む扁額。今更だが、こうして観察してみると『琅琊榜』に登場する扁額はほとんど篆書体で書かれているようだ。私は篆書体を調べ始めたばかりなので、これも先ほどの「寧國侯府」同様に、読めるようで読めない。ちなみに、ChatGPT(4o)に解読してもらった結果は「雲壌」だというが、つくり
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扁額(へんがく)を探せ!(二)

----------------------------※扁額(へんがく):中国建築の「扁額(へんがく、匾额)」は、建物の正面や門の上、あるいは内部の特定の場所に掲げられる木製または石製の額で、文字や装飾が彫られているものを示す。これらは、中国建築の美術的要素であると同時に、建築物やその空間の象徴的な意味を示す重要な役割を果たしている。現代中国でも扁額は生活・文化・社会のあらゆる領域に浸透しており、その影響は東アジア全域を中心として世界各国にも影響がある。----------------------------①歩四乃鞋履(歩四の靴屋さん)中国ドラマ『琅琊榜(ろうやぼう)』第二集。右側の縦書きの扁額(看板)にうっすらと何かが書かれている。画像の粗さと篆書体(秦王朝以前の古代漢字)により判別しにくい。最後の二文字が「鞋履(歩四の靴屋さん)」であることだけは間違いない。上の二文字については「歩四」であるような気がする。その次の字はシンプルでありながら、篆書体を調べ始めたばかりの私にとっては難題である。コに似た部分は「弓」のつくりに関係しているものと思われる。「乃」かな…総じて、強引に解釈すれば、「歩四乃鞋履(歩四の靴屋さん)」だ。「歩四」の解釈も色々とできそうだが、「名前」もしくは「歩家の四男」と考えられる。ドラマ内では看板しか立っていないので店の様子まではよく分からない。ところで、私の手元には篆書体と現代漢字のわずかな対照表があるのだが、これを照合させるのがかなり難儀で、しかも対照表も完璧ではないので字体が完全に一致しないこともある。(篆書体は時代や流派によっても形状が変わる中国
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扁額(へんがく)を探せ!(一)

----------------------------<はじめに>※扁額(へんがく):中国建築の「扁額(へんがく、匾额)」は、建物の正面や門の上、あるいは内部の特定の場所に掲げられる木製または石製の額で、文字や装飾が彫られているものを示す。これらは、中国建築の美術的要素であると同時に、建築物やその空間の象徴的な意味を示す重要な役割を果たしている。現代中国でも扁額は生活・文化・社会のあらゆる領域に浸透しており、その影響は東アジア全域を中心として世界各国にも影響がある。※東西の違い:扁額のような機能性・象徴性・美術性を兼ね備えた西洋の建築造形と言えば、古代ギリシャや古代ローマで用いられたペディメント(三角破風)が思い浮かぶ。中華世界の扁額は詩や格言などの「論理性」が、西洋世界では彫刻や絵画などの「技術性」が主要な題材となっている。科学的な根拠がある訳ではないが、「論理の東洋、技術の西洋」は普遍的な民族的特徴であると私は思っている。※融合の先にあるもの:東洋には思想的伝統(尚古主義)がある。東洋では、特に儒教や道教、仏教の影響で、「言葉」や「論理」の探求が中心にある。建築もその延長として、思想や哲学を体現する場とされる。扁額はまさにその象徴で、空間に哲学的・論理的な価値を付与する。一方、西洋には技術的革新(尚新主義)がある。西洋では、特にギリシャ・ローマ時代以降、視覚芸術や建築技術の進化に重点を置いた。科学的な比例や美の基準に基づく「技術的完成度」が重視される。ペディメントや彫刻群は、こうした技術的・芸術的探求の結果であり、見る者に直接的な影響を与える役割を果たす。現代世界ではこの
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論語 制作メモ

----------------------------<はじめに> 1. 論語《論語》とは、約2500年前の中華世界(春秋時代)において教師・学者・政治家として活躍した孔子とその弟子たちの対話や言動を記録した、論理学最高峰の書のひとつだ。本記事では、「三元論」の解釈を加えながら《論語》を掘り下げる。2. 三元論「三元論」とは、物事を三次元的要素に分解するための独自の定義論である。対象となる現象や行動を3つの基本的な要素・次元で整理し、考察することで、その本質を明確にしようとする方法論である。3. 中庸(ちゅうよう)と三つの根源的欲求、およびそれを制御する概念 「中庸」とは、「孔子の論理学が目指す究極的な仁(愛)の到達点」であり、それは人間の「根源的欲求(本能)を適切に制御している状態」だと私は考える。三元論は、その「根源的欲求」を次の三要素に分解する。   - 生存欲求(生きたい=食飲欲・運動欲・休息欲)   - 知的欲求(知りたい=技術学習欲・思考学習欲・方法学習欲)   - 関係欲求(つながりたい=物理接触欲・自我承認欲・集団帰属欲)これら三つの根源的欲求は、暴走(過度)もしくは衰退(不足)を起こしやすいため、それぞれを適度な状態に保つための「制御概念」が必要である。    - 生存欲求を制御するのは「規範(政治によって形成される概念)」である- 知的欲求を制御するのは「良識(教育によって形成される概念)」である- 関係欲求を制御するのは「美徳(文化によって形成される概念)」である--------------------------- 《論語》第一 学而編(がくじへん)①
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余談:『恕の人 -孔子伝-』の興味深い論理学メモ33/34/35(了)

※補足1:画像は中国動画共有プラットフォームで公開されている2010年製作の中国ドラマ『恕の人 -孔子伝-(原題:孔子)』より引用※補足2:各単語のカッコ内に発音のカタカナ表記を記載するが、カタカナでは正確な中国語の発音を再現できない為、あくまでイメージとしての記載に留まる。突然、それは訪れた。魯哀公十二年(公元前483年)。孔子は魯国に帰還し、息子の孔鯉(こうり/kǒng lǐ)との再会を喜んだ。しかし、彼らは十分な親子の時間を分かち合えなかった。孔鯉が病死した。享年50歳。このとき、孔子は69歳だった。孔鯉の人柄はとても柔和であったと言われている。孔子、孔鯉、孔伋(こうきゅう/kǒng jí:孔鯉の息子、孔子の孫)の三世代が集まったとき、孔鯉は息子に「お前の父は私の父には及ばないな」と語り、孔子には「あなたの息子は私の息子には及びませんね」と冗談めかして言った。偉大な論理学の素質を持つ父親をねたむこともなく、幼少期から学問に才覚を発揮していた息子と張り合おうともせず、ただ素直に二人とも立派だなぁと感心していたのだ。彼は素直で穏やかな気質の持ち主だったのだ。今日、中華世界では学びの場を「鯉庭」と呼ぶことがある。それは「孔鯉過庭」という逸話に由来している。孔子の弟子である陳亢(ちんこう/chén kàng)が孔子と孔鯉が話し合っているのを見て、「公平な先生でも、やはり息子には特別扱いをして教えを施しているのではないか?」と勘繰った。そこで陳亢(ちんこう/chén kàng)が孔鯉に尋ねてみると、孔子は「詩経を学べば、自分の考えをうまく表現できる」「礼記を学べば人の道を理解できる
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余談:『恕の人 -孔子伝-』の興味深い論理学メモ31/32

※補足1:画像は中国動画共有プラットフォームで公開されている2010年製作の中国ドラマ『恕の人 -孔子伝-(原題:孔子)』より引用※補足2:各単語のカッコ内に発音のカタカナ表記を記載するが、カタカナでは正確な中国語の発音を再現できない為、あくまでイメージとしての記載に留まる。①孔子の後悔成長した孔子の息子、孔鯉(こうり/kǒng lǐ)彼が衛国に急いで駆けつけて、長い年月を経て父子の再会が果たされた。孔鯉(こうり/kǒng lǐ)はすっかり大人になっていたが、諸国の旅を続けていた孔子は彼が成長する様子を目にしたことはなかった。その孔鯉(こうり/kǒng lǐ)から、彼の母、孔鯉(こうり/kǒng lǐ)の母親である幵官(けんかん/jiān guān)氏の逝去が報告された。《論語》などの文献には、国づくり、人づくりに及ぶ孔子の姿が書かれていても、家庭づくりに及ぶ姿はほとんど見受けられない。人間が持つ時間、労力、才能などの資源は限られている。大事を成すには私事を疎かにしなければならず、私事を成すには事を疎かにしなければならない。この大事と私事の中庸(過剰でも不足でもない、もっとも適切な状態)を取るのは非常に難しい。文献には書かれなかったが、ひとりの人間としての孔子は妻や子に対する後悔が存分にあっただろう。本ドラマでは、孔子が妻の死を聞いた後、「我杞悔为人父,杞悔为人夫啊(私は父として悔い、夫として悔いるのだ。)」と言って涙を流した。これは創作であるが、実際もその通りの反応をしたと私は思う。②宰我(さいが/zǎi wǒ)の言葉が響く孔子の弟子、宰我(さいが/zǎi wǒ)は飄々として
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余談:『水滸伝』舞台の宋王朝の朝廷言葉など67/68/69:『孤城閉〜仁宗、その愛と大義〜』(了)

※補足1:画像は正午阳光官方频道(正午陽光公式チャンネル)で公開されている中国大河ドラマ『清平乐 Serenade of Peaceful Joy(邦題:孤城閉 ~仁宗、その愛と大義)』より引用※補足2:各単語のカッコ内に発音のカタカナ表記を記載するが、カタカナでは正確な中国語の発音を再現できない為、あくまでイメージとしての記載に留まる。梁懐吉(りょうかいきつ/liáng huái jí)と公主(徽柔)の処遇を巡って、国政が乱れに乱れている。仁宗は娘を守ることに徹した。重臣たちは国を守ることに徹した。この混乱の中で、李瑋(りい/lǐ wěi)が遂に離婚の申し出を行った。徽柔(きじゅう/huī róu)はこれを受け取った。史実では、これは嘉祐7年(1062年)の出来事であったと書かれている。公主が宮中に戻った後、李瑋の兄である李璋が弟に代わり、上奏して離縁を求めた。これにより、二人は正式に離縁することになった。梁懐吉(りょうかいきつ/liáng huái jí)が朝議の場に呼ばれた。司馬光(しばこう/sī mǎ guāng)を中心として弾劾の声が再び大きく巻き起こる中で、欧陽修(おうようしゅう/ōu yáng xiū)が進み出てこう言った。---欧陽修:臣以为 此事并无首恶 所有的只是不幸之人 公主与驸马不睦 并非受人挑拨 乃是情趣不能相投所致 怀吉 也非媚上邀宠 只是景慕公主 复见公主忧愁哀伤 无计劝慰 只能陪伴 陛下... 陛下原以为公主找了份 处处都合适的好姻缘 谁想公主竟日益请憔悴 陛下千般教导无果 终究是不忍见公主 绝望弃世而已臣は思いますに、この件には特に悪意ある首謀
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余談:『水滸伝』舞台の宋王朝の朝廷言葉など65/66:『孤城閉〜仁宗、その愛と大義〜』

※補足1:画像は正午阳光官方频道(正午陽光公式チャンネル)で公開されている中国大河ドラマ『清平乐 Serenade of Peaceful Joy(邦題:孤城閉 ~仁宗、その愛と大義)』より引用※補足2:各単語のカッコ内に発音のカタカナ表記を記載するが、カタカナでは正確な中国語の発音を再現できない為、あくまでイメージとしての記載に留まる。①本格的な弾劾が始まる李瑋(りい/lǐ wěi)を左遷させて、彼と不仲の徽柔(きじゅう/huī róu)と距離を置く妥協策が取れなくなった。重臣たちが「徽柔(きじゅう/huī róu)と梁懐吉(りょうかいきつ/liáng huái jí)に罪があるのに、なぜ無実の者を左遷するのか?」「皇帝だから娘を特別扱いするのか?それは不公平で、正義がなく、横暴ではないか?」と大反対をしたからである。朝議(国務会議)が行われる直前。呆然自失に近い仁宗。彼は蜘蛛を衣の上に乗せては、それが逃げ出す様子を眺めていた。皇后の曹丹姝(そうたんしゅ/cáo dān shū)呼びにが来ると、「来了(来たか)你看(見てくれ)」と言って、蜘蛛が逃げ出す様子を示した。「この蜘蛛は愚かだな。ここから逃げ出せば安全だと思っているのだ」と彼は言った。司馬光(しばこう/sī mǎ guāng)を始めとして、重臣たちが朝議の場で一斉に弾劾を始めた。その矛先は宦官の梁懐吉(りょうかいきつ/liáng huái jí)であった。彼らは事実だけではなく、尾ひれのついた噂もすべて取り入れて「梁懐吉(りょうかいきつ/liáng huái jí)は公主[皇帝の娘]をたぶらかした極悪人である、即座に重
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余談:『恕の人 -孔子伝-』の興味深い論理学メモ29/30

※補足1:画像は中国動画共有プラットフォームで公開されている2010年製作の中国ドラマ『恕の人 -孔子伝-(原題:孔子)』より引用※補足2:各単語のカッコ内に発音のカタカナ表記を記載するが、カタカナでは正確な中国語の発音を再現できない為、あくまでイメージとしての記載に留まる。①最後の希望が潰える:昭王の崩御(逝去)葬儀の列に向かって叫ぶ孔子たち。紀元前489年、楚国の君主である昭王が薨去した。昭王は礼学の論理学者として孔子を尊び、国政に登用したいと考えていたが、その願いが叶う前にこの世を去ってしまった。60歳を越えた孔子にとっては最後の官職登用の機会であったと言って良い。孔子本人による国家づくりの道はここで潰えることになった。※画像:百度百科「楚昭王(春秋楚国君主熊壬)」より引用。※画像:2008年製作の中国ドラマ『孫子兵法(原題:兵圣)』の第五集に登場する昭王の父親、平王。このドラマは春秋時代の華東~華南地域で起きていた騒動や混乱を孫武(孫子:孫子兵法を著した軍事戦略家)の視点から描いている。孔子一行はほとんど同時期の華北~華東地域で活動をしていたので、中国ドラマ『恕の人 -孔子伝-(原題:孔子)』と併せて鑑賞すると幅広く当時の雰囲気を理解できるので興味深い。<楚国の昭王>昭王(名は壬または轸(珍))は、芈姓、熊氏、楚国の平王の子。紀元前527年、平王は太子である建の婚姻を進めるため、大夫の費無忌(ひむき/fèi wú jì)を秦国に派遣した。ところが費無忌(ひむき/fèi wú jì)は帰国後、秦国の女子の美貌を理由に彼女を平王自身の妃にするよう提案し、平王がこれを受け入れ
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