欧州の帝国墓場:低地三国

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アフガニスタンはよく帝国の墓場だと比喩されています、これはアフガニスタンを侵攻するとみんなが負けてしまい全く利益がないからです。イギリス、ソ連、アメリカいずれも同じ運命を辿りました。

とくにソ連はアフガニスタンの侵攻により国が崩壊してしまったほど悲惨でした。

実はこのような超大国が小さな国を侵攻して失敗する例がよくあります。最も典型的なのは低地三国と言われているオランダ、ベルギー、ルクセンブルク三国。

最近数百年、ここを侵略しようとする国の結末がほとんどよくなかった。

ルイ14世時代のフランスがその一つです。ルイ14世の父ルイ13の基本国策がオランダと戦わないことでした、それはオランダだけがイギリスと対抗できる海軍があったからです。実はイギリス海軍の旗艦がオランダに拿捕されたことがあり(今もアムステルダムの博物館にある)、オランダ海軍が強かったです。

しかし、オランダの陸軍が弱かった上、国がすごく富裕でした。ルイ13世がこの誘惑に耐えましたが、ルイ14世になってから変わりました。

ルイ14世に三つの趣味があります、一つは戦争、ルイ14世在位72年、彼は人類史上在位時間が最も長い君主です。そのため、フランスは約60年間ずっと戦争していました。

二つ目は宮殿を造ること、ヴェルサイユ宮殿は彼が建てました。

三つ目は愛人を作ること。

この三つの趣味どちらもお金がかかります、金策のためオランダが狙われました。ルイ14世はイギリスと結託してオランダを殴りました。結果としてお金はもらえましたが、欧州の公敵ともなりました。

何故なら他の国はフランスが強くなるのは容認できなかったからです。オランダから奪ったお金は結局他国との戦争に使われ、なんのメリットもなかった。しかし、オランダが弱体化されたことにより、イギリス海軍唯一の敵もなくなり、海外での植民地をさらに拡大し、やがて太陽の沈まなぬ帝国となりました。この意味ではルイ14世の功績が高い。

フランスはこれで終わりではなく、ナポレオン時代になると、またオランダに手を出し、自分の弟を国王にしました。結果は同じ、周辺国々がフランスを恐れて反仏同盟を作りました。ナポレオンがいくら戦争の天才とは言え、連続の戦争により優秀な指揮官が戦死し、統率できる人がなくなり、フランス帝国が最終的失敗に終えました。

フランスはいい教訓になったはずですが、また同じことを考えたドイツが現れました。第一次世界大戦の時、ドイツはフランスに勝つため、ベルギーに出兵しました。結果は国境の要塞が廃墟となり、ベルギー90%の国土がドイツに占領され、見た目はドイツの勝利に終わりましたが、実はベルギーの後ろにイギリスの存在がありました。

フランスとドイツが戦争になってもイギリスが参戦するつもりがなかったが、ベルギーの侵攻により、イギリスが参戦してしまいました。イギリス海軍はすぐ港を封鎖し、ドイツの対外貿易を断ち、戦争もドイツの失敗に終わりました。

低地三国は欧州の帝国墓場、何故ならここは大変重要な場所からです。スイスが中立できたのは守りやすい山地及び部隊が強い、しかし、低地三国は全く逆、守られる地形もなければ、軍隊の戦闘力もない。いつも強国に狙われてしまいます。誰でも届きそうなので、フランスが可能なら、ドイツもイギリスも可能です。そのため、誰が手を出してしまったら他の国々が必ず干渉します。ここの存在が欧州のバランスを維持しています。
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