関羽と張遼

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関羽と張遼は、三国志が好きな人なら絶対知っている二人です。

関羽はご存知、蜀の劉備玄徳の義弟として並外れた武勇と知略で活躍した武将です。
一方、張遼も、魏の曹操の下で名将として名を馳せた武将です。

で、実はこの二人は、互いに人物を認め合った間柄でした。

張遼が呂布の配下であった時分の話です。
呂布が曹操に敗れて処刑される際に、張遼も処刑される所を関羽のとりなしで助命され、曹操に仕えました。
関羽が呂布との戦いの中で、張遼の人物を知ったからでした。

その後、関羽が劉備の留守を守っている所を曹操に攻められたことがありました。
関羽は死のうとしますが、それを説得したのが張遼です。
劉備の妻子を守ることもせずに死に急ぐことを匹夫の勇だと非難し、関羽に曹操へ降ることを勧めます。
関羽は、劉備の生存が確認できたら去るという条件を述べます。
この条件に難色を示す曹操を説得したのが張遼でした。

そして、関羽が劉備が生きていると知ります。
その心の内を知るために曹操が話をさせたのが張遼でした。
関羽は、張遼に劉備の許に行きたいが、曹操への恩返しもしたいという本音を漏らします。

関羽と張遼は、互いに主君を違えていましたが、お互いを認め、信頼しあっていました。

なぜ、このような話をしたかというと、野田元総理の安倍元総理への追悼演説の全文を読み、この二人の関係を思い出したからです。

互いに主君のためならば、関羽と張遼は戦うことを躊躇わないでしょう。
しかし、一方では、互いの人物を認め、信頼していることがわかります。

また、互いに一度は降伏という道を歩んでいて、その時の悔しさも知っているわけです。

演説の中で、親任式での行を読んでいると、このことを思い出しました。

関羽が張遼を許すよう曹操に説得する場面
張遼が関羽に曹操へ降るように説得する場面

互いの気持ちがわかるからこそ、従ったのでしょう。

自民党の安倍元総理
民主党の野田元総理

政治家なので、賛否・批判・毀誉褒貶は常ではありますが、野田元総理の演説は素直に素晴らしいと感じました。

今日のニュースで思ったとりとめのないことでした。


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