世界を救った男の話

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ウクライナ・ロシア戦争では、劣勢に回っているロシアが核兵器を使うのではないかという懸念が広まっています。

核戦争・第三次世界大戦の危機とも言われています。

この報道に接していて、私は一つの逸話を思い出しました。

核戦争に最も近づいた日の話です。

1983年当時、世界は東西冷戦の真っただ中でした。
アメリカのレーガン政権は、ソ連を「悪の帝国」と非難し、強硬路線を敷いていました。

そんな中、9月1日 ソ連領空を侵犯した大韓航空機をソ連軍が撃墜する事件が発生します。乗員乗客併せて269人全員が死亡しました。
この中に、アメリカ下院議員も含まれており、米ソ間は一触即発の事態に陥っていました。

9月26日 今度はソ連側に衝撃をもたらす情報が入りました。

対米のミサイルの監視業務を行っている軍の当直責任者には、スタニスラフ・ペトロフという将校が当たっていました。
その日、ミサイル監視システムから、アメリカによる核ミサイル発射を示すアラートが鳴り響きます。最初は1発 続いて4発の核ミサイルがソ連に向けて発射されたというものでした。

ソ連着弾まで約30分の予測でした。

ペトロフは、発射情報が出たら、すぐさま報告する義務を負っていました。
しかし、当時のソ連首脳部は、対米強硬論が主流で、アメリカが打つ前に核ミサイルを打つべきという意見すら上がっていました。

その状況下で報告があがったら、即座に核ミサイルの反撃を命じるのは明白でした。

しかし、ペトロフにはこのアラートには違和感を抱きました。

ペトロフは、もし、アメリカが核を打つならば、ソ連の反撃能力を殲滅するため、何百発ものミサイルを打つはずだと考えました。また、当時の衛生探知能力にも疑問を持っていました。
そして、地上のレーダーも何分間経過しても何らの追加の証拠を拾いませんでした。

ペトロフはシステムの誤作動と判断し、報告をしませんでした。
※したという説もあります。

結果として、ペトロフの判断が正しかったのです。
あわや核戦争の開始の危機となるところを、一人の合理的な判断が世界を救うことになりました。



しかし、ソ連はペトロフを英雄にはしませんでした。

厳しい尋問の末、信頼できない将校とされ、軍を追われることになりました。

ペトロフの行為は、ソ連崩壊後の1998年にようやく世間に知られるようになりました。

晩年になって功績を世界に知られた男は、2017年5月19日 77歳で死去しました。

最近の世界情勢は、核兵器使用の可能性が高まっています。

核戦争に関して、核兵器の開発に結び付く法則を発見したアインシュタインが、第三次世界大戦が起こったらどうなるのかという質問に対し、このように答えています。
「私には第三次世界大戦がどうなるかわからないが、第四次世界大戦ならわかる。人々は石を投げつけあって戦うだろう」


ロシアには、第二のペトロフがいることを願います。







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