「教養としてのヨーロッパ史について!」💜🎾🚴‍♀️😎😍

記事
コラム
💜まずは、ローマ帝国です。
「愛は全てに勝つ」「健全な肉体には健全な精神」「急がば回れ」
これらのことわざが、古代ローマ人の言葉だったことをご存じでしょうか!
ウェルギリウス、ユウェナリスの詩に出てきます。
最後のことわざは、初代皇帝(エンペラー)アウグストゥスが好んだと言われています。
他にも、西洋のことわざ、格言には古代ローマに起源をもつものがたくさんあります。西洋で教養と言えば、古典、ギリシャ・ローマに関する知識の事です。西洋文明の源流なのです。
「ローマ式」が各地で大流行します。
ローマ帝国は、地中海を中心に、
ヨーロッパ、小アジア、中東、北アフリカまで支配を広げました。

(各地に大帝国の遺跡が残っています。)
トルコ:エフェソスの古代遺跡
シリア:ボスラの古代劇場
エジプト:コム・エル・ディッカの共同浴場
イギリス:ハドリアヌスの長城
スペイン:セゴビアの水道橋
チュニジア:カルタゴの古代港

(フォロ・ロマーノ)
(ローマの中心地で政治経済の中心地でもあったローマ人の広場)
帝国の心臓部です。
神殿や議事堂、裁判所などがある広場に人々は集まりました。
クーリア:元老院議事堂
タブラリウム:公文書館
アエラリウム:公金保管庫
バシリカ:会堂
トラヤヌス:市場
フォロ・インペリアーリ(皇帝たちの広場)

(神殿と教会)
カストルとポルクスの神殿&ウェスタ神殿
アントニヌス帝と皇妃ファウスティーナの神殿
メリダのディアナ神殿
パンテオン神殿
サン・ピエトロ大聖堂

(街道&水道)
縦横無尽にはりめぐらされた2つの道。
巨大な帝国を支えるのに欠かせない2大インフラストラクチャーが
領土の隅々までくまなく建設されました。
(街道)軍隊が素早く安全に移動できるように敷かれた道が
    のちに商用に利用。
アッピア街道:街道途中の休憩所は、お墓でした!
       イタリアのオスティエンセ駅前にあるピラミッド型の墓。
       街道沿いに建てられた富裕者の墓。
フランスのポン・デュ・ガール橋。
メリダの水道橋・フェリーチェ水道橋。
水道は、水源地との高低差を利用して引かれました。
川や谷間では水道橋を立てたり、パイプの圧力を利用した
サイフォンの原理で水を上げて運んだのです。

(水回り)
水道によって都市部へ運ばれた水は、飲食、入浴、トイレ、洗濯などに
大量消費されました。
共同浴場跡が多数あり、風呂は娯楽の一つだったと考えられています。
トレヴィの泉
エフェソスの公衆トイレ
カルタゴのアントニヌス浴場
ローマのカラカラ浴場
イギリスのバース浴場
ひと風呂浴びて本を読む!:浴場の敷地内には図書館が併設されることが
             多かったようです。
             トルコのエフェソス遺跡にあるセルシウス図書館

(闘技・競技場)
ローマ帝国では、皇帝たちが提供する「見世物」が市民の娯楽の一つでした。
中でも戦車競走や闘技場での戦いには人気があったようです。
ローマのコロッセウム(円形闘技場)
ローマのチルコ・マッシモ(大競技場)
エルジェムの円形闘技場
メリダの円形闘技場

(劇場)
祝祭日に、劇場へ出かけるのは帝国市民の楽しみでした。
合唱、踊り、パントマイム、演劇など
多彩な項目が上演されました。
ちなみに、入場料は必要ありませんでした。
イタリアの円形劇場
トルコの古代劇場
アレキサンドリアの古代劇場
メリダの古代劇場
オスティア劇場の装飾

(記念碑)
ローマ帝国は、強い軍事力で有名です。
戦いに勝利すると将軍や皇帝をたたえて凱旋式が行われたり、
記念碑が建てられたのです。

オペリクス(古代エジプトの記念碑。)
戦利品としてエジプトから持ち帰り帝国内に飾られました。

コンスタンティヌスの凱旋門
戦争に勝利をして、凱旋式の記念碑として建てられたものです。

トラヤヌス帝の記念柱
ダキア戦争での勝利の記念として建てられたものです。

💜(神話からローマ誕生!)
周辺の国との戦いによってイタリア半島を統一!
昨日の敵は今日の友がローマの支配スタイル!
莫大な戦利品の獲得!
負け戦を負けたと思わない、これローマ流!

・地中海の覇権を求めイタリア半島の外へ戦いに出ます!
 第一次、二次、三次ポエニ戦争(カルタゴ)
 最終的にカルタゴに勝利をして、地中海世界の支配をしました。

・戦い続きで農地が荒らされる結果になりました。
・格差社会へ。
 富裕層の拡大とともにフリーターも増大。 
 ローマ軍がフリーターの受け皿になりました。
「富裕層」
(大土地所有者):没落した中小農民から土地を買い集め公有地を占有。
         広大な土地と多数の奴隷を使ってオリーブやぶどうなどを
         作って輸出し、大もうけしたのです。
(経済活動をする「騎士」)
         元老員議員は、商業活動が禁じられていたため
         あえて議員にはならず商業活動に専念する
         富裕者も。彼らを「騎士」と呼んだのです。
(属州の総督): 任期を終了した政務官は属州総督として任地に
         派遣をされました。
         総督の権力は絶大で属州民を搾取して財を築いたのです。
「貧層」
 (都市部) : 無産市民は、急速な発展を遂げる都市部に流入。
         多くが公共事業の日雇い労働者になったのです。
         職人や小売商などに転身する人もいたのです。
 (農村部) : 自分の土地を手放してなお農村部に残った人は
         大土地所有者に季節労働者として雇われ労働力を
         提供することで生き延びたのです。
 ・農地改革
 ・軍改革
 ・国政改革
 ・奴隷反乱

  💜(個性の違う三人衆が出現しました。)
  元老院を無視して、密約を結んで政治を牛耳る事になります。
  ①ユリウス・カエサル
   名門貴族の出身。
   マリウスの甥で「民衆派のリーダー」として期待されました。
   派手な見世物を提供するなど市民に人気がありました。
   イタリア語ではチェーザレ、英語ではシーザーと呼ばれました。
   ガリア総督になりました。
   ちなみに、モテモテ伝説があります。
   「ハゲの女たらし」
   「すべての女性の男であり、全ての男性の女だ」といわれるように
   周囲の人々を魅了しました。
   「人たらし」として多くの逸話が残っています。
  ②ポンペイウス
   カエサルの娘と結婚。
   ヒスパニア総督。
  ⓷クラッスス
   ローマのお金持ち。
   シリア総督。

💜カエサル軍団は、戦闘力だけではなく技術力にも長けていたのです。
侵略と共に地中海文明をもたらします。
侵攻した地は、現在のフランス、イギリス、ドイツ。
アルファベットや石造建築、ワインなどの文明が
カエサル軍団によってはじめてアルプス以北に広がったのです。
ガリアを征服後、三頭政治は崩壊をします。
ポンペイウス&元老院保守派の議員とカエサル軍団との戦いが
始まりました。
カエサルは、ポンペイウス軍を追って、エジプトへ向かいます。
ポンペイウスは、エジプト人によって暗殺されました。
カエサルは、クレオパトラと恋に落ち、支配権をエジプトにまで
及ぼすことになったのです。
カエサルは、小アジアで勝利、アフリカで勝利、ヒスパニアで勝利
そして、かつての敵である元老院までも味方につけたのです。
ところが、カエサルの独裁に反発が強まり元老院の議場にて、
数十人の共和政派に殺害されました。
最後の言葉は、「ブルータス、お前もか」?
この言葉は、シェークスピアの悲劇「ジュリアス・シーザー」で
カエサルが暗殺されるときに放つ有名なセリフです。
カエサルは、民衆に深く愛されていましたので
共和政復活はならず、暗殺者たちはローマから逃げ出しました。
そして、第2回三頭政治が始まったのです。
アントニウス&レピドゥス&オクタウィアヌスの三人です。
アントニウス&クレオパトラ軍は戦いに敗れ死を選びました。
レピドゥスは引退に追い込まれてしまいます。
そこで、オクタウィアヌスがエジプトを属州として併合をしました。

💜(オクタウィアヌスが大改革でローマ帝国の繁栄の基礎を作ります。)
行政サービス:スピーディーなトップダウンできめ細かい手当をしましょう!
       都市をきれいに整備しましょう!
属州の統治
常備軍の整備
領土拡大
同盟国君主
エリートの条件
葬式と結婚式
日常生活
キリスト教の始まり
皇帝崇拝とキリスト教

💜(私の思う事)
織田信長=カエサル
明智光秀=ブルータス
豊臣秀吉=皇帝アウグストゥス
徳川家康=ティベリウス帝即位~ローマの平和200年
ローマの平和が200年続きます。(日本の江戸時代)
五賢帝時代:人類史上最も幸福な時代とされています!
今も変わらない事と思うのですが
内紛等に発展をしても、巻き込まれでもしない限り国民にはどうでもよいことと思います。人々が求めるのは「パンと見世物」です。
その要求を満たしてくれる人ならば誰であろうと支持したのです。
キリスト教、国教へ!
内乱&異民族の侵攻により、ローマ帝国滅亡へ!(江戸時代終了)

(追伸)
私思うのですが、人々(国民)が求める事をどうやって察知し
答えを出すのでしょうか。
それも誰が?
今なら電話して聞き取り調査をして、答えを出しているとありますが
ウソでしょう!
やはり、こういうことこそ、歴史に学ぶべきことだと思います。
「こういう状況だと人々の感覚はこうなるのだ」という事は
歴史からでしょう、皆さん!

オアトはよろしいようで!退散します!!!💜


古代(ヨーロッパ世界の形成時期)
・ローマ帝国の誕生
・フランク王国の誕生
 ゲルマン民族の統合化により建国。
 フランク王国から、フランス人とドイツ人が分立
 ヨーロッパ北部&ヨーロッパ東部の動向
・アングロサクソン王国の誕生
 アンゲル人・サクセン人・ユトラント人

中世(ヨーロッパ世界の展開)
・十字軍遠征
・キリスト教会の分裂
・自主と独立を求める二小国(スイス&オランダ)
 ハープスブルク一族は、1273年以降神聖ローマ帝国に歴代皇帝を
 輩出してきた名門でした。
 ですから、独立を要求する諸州や地域の動きを見逃すわけには
 行きませんでした。
 スイスの三地域である、ウーリ、シュビーツ、ウンターヴァルデン州
 の住民たちは解放運動を起こします
 三州は勝利をして独立に成功します。
 「ヴィルヘルム・テル」描写の通りです。
・オランダに対する国際上の承認は、ウエストファリア講和条約の
 批准を持ってなされ1648年独立を果たしました。
・「国家、それは世の所有物だ!」ルイ14世とフランス絶対主義

近代(ヨーロッパ世界の変革)
・自由の旗手イギリス
・ロシア帝国の動向
・プロイセン王国の台頭
・大英帝国とアメリカ(新世界):合衆国の独立戦争
・フランス革命の遺産(自由、平等、友愛)
・ナポレオン支配下のヨーロッパ(革命の挫折と王政復古)
・産業革命:イギリスからスタート

現代(ヨーロッパ世界の分裂)
・アメリカ大陸とヨーロッパの植民政策
・分立国家イタリアの独立
・近代国家の誕生(ドイツ帝国と宰相ビスマルク)
・「ヨーロッパ諸国は、ドイツに学ぶが良い!」皇帝ヴィルヘルム二世
・第一次世界大戦の導火線(バルカン半島の政治情勢)
・第一次世界大戦の勃発(ヨーロッパ秩序崩壊の開始)
・ソヴィエト連邦の誕生
・ヨーロッパ北部(新生諸国家の成立)

現代(ヨーロッパ世界の再統合)
・ドイツの右傾化(総統ヒトラーに全土が屈服)
        (狂気に近いヒトラーの人種理解)
・全面戦争へ突入(第二次世界大戦とヨーロッパの分裂)
・廃墟からの復興と再建(戦後ヨーロッパの苦闘)
・「ヨーロッパ共同体」実現に向けて!ジャン・モネの構想
・再軍備への道程と危機(米ソ対立とヨーロッパの苦悩)
・「ヨーロッパ経済共同体」(EEC)創設
・新しいヨーロッパ像の模索(諸国家の連合体もしくは運命共同体?)

◆21世紀の展望&課題として
ヨーロッパ合衆国(USE)実現に向けて!

・(新しいヨーロッパ像の模索)
フランス大統領シャルル・ド・ゴールは
ヨーロッパ全域の統合化プロセスにとって”足かせ”の役割を果たした
と言ってよいでしょう。
ド・ゴールの頭の中にあるのは、国民国家という思想であり発想です。
国民国家フランスの地位の確立と向上にあると理解していました。
それぞれの国家がそれぞれ祖国を持つうえに成立する
「国家連合体としてのヨーロッパ」がド・ゴールの最も重要なヨーロッパ像で  した。
諸国家の連合機構としてのヨーロッパ、それがドゴールの
ヨーロッパ共同体構想でした。
イギリス政府の加盟は、1961年です。
ドゴールはこれに反対しました。
理由は、こうです。
イギリスは、アメリカ合衆国がひそかに送り込んできた”トロイアの木馬”では
ないかという疑念があったからです。
それから、アメリカ合衆国大統領(1962年七月)
ジョン・F・ケネディ ”ケネディ構想”を発表。
これにも、ド・ゴールは受け入れませんでした。
イギリスの2度目の加盟申請も拒否しました。
1963年一月二一日、フランス・ドイツ友好条約締結されました。
(特殊同盟)
ド・ゴールの後継者ジョルジュ・ポンピドー大統領誕生。
イギリス・イタリア・デンマーク共同体に加入。
ノルウェーは、国民投票の結果「加盟反対」の結論のため非加入へ。
(スペイン・ポルトガル・ギリシャ他 )補助金支給の申し出。
補助金支給の是非をめぐり議論と対立起こる。
案件には、(全会一致の原則の遵守)が存在
加盟12か国
イギリス政府(マーガレット・サッチャー首相)
内部不一致の現実へ
アメリカ政府のコメント
「我々は、いったいヨーロッパ経済共同体に加盟しているどの国と交渉したら
いいのか全く分からない」と....。
アメリカ政府の多少思い上がった感もするこのコメントは
しかし、この時期におけるヨーロッパ経済共同体の赤裸々な現実を
的確に言い当てた言葉であると言えるのではないでしょうか。
不一致の現実を前にして加盟国の中にも反省が起きます。
加盟諸国の中にこの事態をなんとか変えていかなければヨーロッパの未来は
ないという切なる声が聞かれるようになってきたのです。
モスクワ:ソ連邦ミハイル・ゴルバチョフ権力の頂点へ(ペレストロイカ)
ドイツ:ベルリンの壁崩壊。1989年11月9日
1999年ヨーロッパ連合に新しく導入された共通通貨「ユーロ」
ベルギーの首都ブリュッセルに拠点「ヨーロッパ連合」
 (ヨーロッパ委員会の最強権限行使が可能とされている場所です)



















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