歴史の「流れ」2

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歴史学習の鍵になるのは「流れ」の把握です。

そのために必要なのは、過去から現在までの経緯を「言語化」することだと前回書きました。

「言語化」ですが、どのようなものか。
具体的に書くと、こんなようなものです。

狩猟採集が中心だった縄文時代から弥生時代には水稲栽培を中心にする生活に変わっていった。水稲などを中心に作物を生産することで、計画的な生産や備蓄が可能となり、貧富の差が発生する。
また、集団生活を営むようになり、ムラが生まれ、ムラが集まって、クニが生まれた。そして、クニ同士の間で争いも起こる。クニ同士の争いは、クニの統合を進め、やがて大きな政権ができる。ヤマト政権である。天皇を中心とするヤマト政権は、豪族連合であったが、飛鳥時代には蘇我氏の力が天皇を上回りかねない力関係ができた。そこで、乙巳の変で蘇我氏を滅ぼし、天皇中心の国家に再編した。

しかし、政治の運営は徐々に天皇からその側近の公家が担当するようになり、平安時代には藤原氏の栄華が最盛期を迎えた。藤原氏は天皇の権威を使えるように天皇家とを婚姻を通じて親戚になり、摂政や関白などの要職を独占し、天皇に代わって政治を行っていく。

しかし、藤原氏の権力独占を愉快に思わない天皇家側も、天皇退位後のフリーの存在である上皇の座について、政治を行う人物も現れた。こうした権力争いの際に、実際の武力を担ったものが登場する。武士である。

上皇と藤原氏の権力争いが武力衝突に発展する中で、軍事を担う武士がやがて力をつけていく。その武士をまとめる勢力が生まれる。それが源氏と平氏だ。

源氏と平氏の戦いも生じ、やがて平氏が勝利した。平氏の力は、やがて、天皇や藤原氏を上回り、武家初の政権が誕生した。しかし、平氏の政権は長く続かず、源平の争いの末、源氏が勝利を収め、源頼朝による鎌倉幕府が誕生する。
鎌倉幕府は、頼朝含め三代で直系が途絶え、側近の北条氏による執権政治が始まる。

その鎌倉幕府は元寇以後、力を徐々に失っていき、後醍醐天皇に味方する足利尊氏などによって滅ぼされる。
その後、後醍醐天皇と足利尊氏が対立し、朝廷が分裂する南北朝の騒乱が発生した。
足利尊氏は、その間に幕府を京都に開く。室町幕府の誕生である。

しかし、室町幕府は有力武士による連合政権の傾向が強く、トップである将軍の力があまりなかった。そのため、武士同士の争いを調停する力に欠けた。
その結果として、大規模な内乱・応仁の乱が発生する。
これを機に、全国で幕府の影響を抜けて、自分の力を背景に領地・国を治める武士が生まれ、戦国時代に突入する。
お仕着せの権威でなく、実力本位で力を持つものが力を持たぬ大名に取って代わる下克上が起こる。
この戦国時代も、織田信長・豊臣秀吉を経て、徳川家康によって終焉し、戦乱の世は終わる。

徳川家康による徳川幕府は、絶対的な力をもつ将軍を中心に、全国の大名を統制する安定した武家政権だった。
250年にも渡る長い安定を日本にもたらしたが、アメリカの開国要求に屈して開国したのを契機に、幕府の権威が揺らぎ、やがて、天皇を中心にした勢力による倒幕運動が起こり、江戸幕府は終焉する。

幕府に代わった明治政府は、積極的な近代化に乗り出した。他の欧米諸国に負けないよう、海外にも進出する。その結果、外国との戦争を経験する。日清戦争・日露戦争の勝利を経て、大国の一角になった日本は、第一次世界大戦も勝利した。
しかし、戦争後の不況で世界経済が冷え込む中、日本は中国大陸に進出することで不況を打開しようとした。その結果、日本と中国は戦争に突入する。
この戦争は、国際的に承認されず、日本は国際的に孤立していく。

日本の海外進出を阻みたいアメリカや中国は、欧米諸国に日本への石油の輸出を禁じるように動いた。

このため、日本は中国だけでなく、アメリカと戦うことになる。同じく欧米と対立するドイツと同盟を結んだ日本は、アメリカと開戦。太平洋戦争に突入する。
この戦いで敗戦した日本は、現在の民主主義国家として歩みをはじめ、現在に至る。

即興で仕上げました。

こんな感じで、流れを自分なりに言語化できるようになれれば、歴史学習は楽になっていきます。


即興で仕上げたので、出来は不問にしてください。
突っ込みどころも多数あるので。

でも、大事なのは流れをつかむことであり、完成度の高い文章を作ることが目的ではないですからね。

次回は、こうした言語化が必要な理由についてお伝えしますね。
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