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自分に戻る

宇宙の神様と守護天使を愛する皆さん!こんにちはスピリチュアルヒーラーの沙耶美です年末年始、かなりあわただしかったのですが、2022年2月3日からは、「自分に戻る」ということをテーマに生きていくつもりです。 今年全体のテーマでもあるのですが、意外と日常生活で、自分が自分らしく生きているという感覚を得るのは、難しいものですよね。 だって、 そもそも、「自分らしいって何よ」とか 「自分は自分だし、、、」という感覚があると思うんですね。 ほんと、何でしょう。 自分らしさとか、自分に戻るって、、、、、 人間は、日常生活でいろんな顔を持っています。 お仕事の顔、親に対する顔、子に対する顔。 友人の顔とか、、、いろんな顔。 それが、たくさん集まって自分なのですが、 自分が一番リラックスして、一番いい気分でいられるときの自分。それが本来の自分。 お風呂に入った瞬間の、体が伸びる感じ。 その状態が続いているのが、一番いい状態なんですよね。 それが自分に戻るという状態。 この状態を維持し続けられると、望んだことは何でも引き寄せられるようになってゆくんです。 2022年もなかなかハードな1年になりそうですね。 でも「自分に戻る」ということを意識してゆけば、必ず乗り越えられますよ。 お互いに頑張りましょうね!!!
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[内側で何かが組み替わるとき」

妊娠がわかる前、あの不快感はただの不調だった.身体が重い。眠いのに眠りが浅い。胃の奥に、理由のわからないざらつき。自分の身体なのに、微妙に噛み合っていない感じ。どこかが、ずれている。でも、何がずれているのかはわからない。生理が来ない。もしかして、と思う。検査で「やっぱりそうだ」とわかった瞬間、不快感の意味が変わる。さっきまで「邪魔」だった下腹部の重さが、「中で何かが始まっている合図」になる。同じだるさなのに、その受け取り方がまるで違う。体調が悪い、ではなく、身体が組み替わっている途中、という感覚。腹の奥に、わずかな密度が生まれる。まだ形もわからないのに、重心だけが少し下がる。立っているとき、無意識に下腹部をかばっている。座るとき、脚の開き方が変わる。人混みでは腹を守るように身体を置く。考える前に、身体がそう動く。時期によって食べたいものが変わる。昨日まで平気だった匂いが刺さる。空腹でも満腹でもないのに、食べられたり、食べられなかったり、止まらなくなったり。内側が、むずむずする。身体の中で、しだいに増えていく自分とは違う重さ。やがて、動く。最初は、泡がはじけるような小さな感触。腸の動きとは違う、規則性のない揺れ。「あ、今のは違う」そう、はっきりとわかる。一度その動きを感じてしまうと、無意識に常に探してしまう自分。内側から、指で押されるような感覚。肋骨の内側を、硬いものがゆっくりなぞる。私の身体の中に、私ではない意思がある。じっとしていても、動きたいみたいに。私が動けば、向こうも揺れる。二つのリズムが同時に存在する。常に神経は下腹部に集まる。ほんの少しの張り、ほんの少しの違和感。ふ
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OPFの4層は、あとから見えてくる「人の構造」

ariosuヒーリングセンターのありおすです。OPFヒーリングの説明をしている時に、「4つの層」という言い方をすることがあります。理解の層反応の層無意識の層基準の層でもこれは、OPF特有の理論というより、人を観察していく中で見えてくる「構造」をわかりやすく整理したものです。私たちは日々、出来事を頭で理解し、感情や身体で反応し、無意識に意味づけをしながら、ある「自分なりの基準」に立って生きています。普段は意識していませんが、その働きを分けて見ていくと、自然と4つの層に分かれて見えてくるのです。OPFは、もともと備わっているこの構造の中で、その時の状態に応じて、触れられる部分が整っていく。それを「再設置」と表現しています。だから、「何回受けたから深くなる」というよりも、「その時の自分がどこに立っているかで、触れられる層が変わる」という見方になります。特別なことを起こしているというより、もともと精妙にできている人の構造が、静かに整っていく。そう捉えると、変化を焦らずに見守れるようになります。派手さはなくても、確実に少しずつ。それが自然な変化の形なのかもしれません。※それぞれの層についての内容は、https://coconala.com/mypage/blogs/edit/709567
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「景色の見える会話」

背景が見えないと、理解は止まる。 例えば、冷蔵庫の中身。「飲んでいい?」『ダメ』「......はい」理由はわからないけれど、とりあえず従う。日常の中で、結論だけが渡されることがある。 「それはダメ」 「そういうものだから」 「前に言ったよね」 言っている側には理由がある。 でも、その理由が共有されていないと、受け取る側は“従う”ことはできても、“納得する”ことはできない。 従うことと、理解することは違う。 背景がわかれば、 ・なぜそうするのか ・どこに配慮しているのか ・何を大事にしているのか が見えてくる。 すると人は、自分の意思で協力できる。 点で見ていた出来事が、面として見えてくる。逆に、理由が見えないままだと、 「なんとなく言われたから」 「そう言われたから従う」 という形になる。 そこに小さな摩擦が生まれる。 すべてを細かく説明する必要はない。けれど、共同で動く場面では、最低限の前提共有があるだけで空気は変わる。背景は、相手を説得するためのものではない。場を整えるためのもの。もちろん、すべてを伝える必要があるわけではありません。あえて伝えないという場面もあるでしょう。理解とは、結論に同意することではなく、そこに至る道筋を知ること。 ほんの一言の背景が、すれ違いを減らしてくれることもあるのかもしれません。その会話で、あなたは“何を理解してほしい”と思っていますか?
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居場所を探す時間

朝4時。今日は早くから予定があり、家を出た。朝食だけ確保しようと、近所のコンビニに寄ることにした。駐車場はがらんとしていた。店の前の暗闇では、若い男女が二人、柵に腰をかけて煙草を吸っている。私が車を停めると、ふとこちらに視線を流し、少し気にするような様子を見せた。けれどすぐに、二人の時間へ戻っていく。高校生の娘と同じくらいかな、と思いながら、私はそっとその姿を視界に入れた。気づいていながら、知らないふりをして店内へ入る。中には客の姿はなく、おにぎりとコーヒーを手にして、さっと出るつもりだった。コーヒーマシンに向かうと、同じスペースのイートインコーナーにも若い男女の背中があった。私が近づくと、後ろをちらちらと気にする気配がする。でもその気配も一瞬で、またすぐに二人の世界へ戻っていく。猫みたいだな、と思う。逃げはしないけれど、一瞬身を固めて、全身で何かを探るような、あの感じ。昼間なら、わざわざ入ってきた人をあんなふうに気にすることはないのかもしれない。でもこの時間は、誰かが来るだけで少し空気が揺れる。寝ているはずの時間。私にとっては早起きでも、そこにいる人たちにとっては、まだ終わらない一日の途中なのかもしれない。寝静まった闇で過ごす時間。完全に自由なように見えて、案外まわりを気にしてしまう。ただ、自分たちの時間を邪魔されたくないだけなのに。そういえば私も、同じような時間にこっそり家を出て、あてもなく散歩したことがあった。何かをしたかったわけではない。ただ少しだけ、いつもと違う場所に立ってみたかったのだと思う。なんとなく悪いことをしているような気持ちを楽しみながら、私はただ、それだけ
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やってあげたのに、という言葉

「やってあげたのに」なんだか引っ掛かる言葉だと思う。さらにそこに「せっかく」がつくと、なんとも言えない気分になる。「せっかく、やってあげたのに」あなたのために、自分の時間を犠牲にしてまで行動したのに。なぜ、その行為を無駄にするの。なぜわかってくれないの。受け取る側としては、そんな重たすぎる怨念に近いものがくっついてくる感覚がある。何か言わずにいられないのなら、「やってあげた」ではなくせめて「できてるよ」くらいのほうが、受け取る側としては気が楽だ。でも本当は、見返りを求めるでもなく、その時に必要なこととして、もしくは自分がやりたいこととして静かに渡す。そんな行動のほうが、受け取る側をはっとさせる。言葉で伝えられたことは頭で処理される。でも言葉なしに伝わってきたものは、胸に届く。そこに相手の思いを感じて、自然と言葉として現れる。言葉で回収しようとすると、相手の「ありがとう」が遠ざかる。黙って行動すると、相手のほうから「ありがとう」が生まれてくる。ただ、親子のような近い関係では、その無言の行動が日常に溶け込んで、「やってもらうこと」が当たり前になっていく。それが日常というものかもしれない。でも、当たり前のようにやってもらっていることにこそ、相手の時間と意図がある。それを一度でも想像してみると、無意識に口にしていた「ありがとう」の温度が、少し変わってくるかもしれない。同じ四文字なのに。言葉で与えると言葉は遠ざかり、行動で示すと言葉が返ってくる。そういうこともある。
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「さて、やるか」で始まる感じ

中々片付かないキッチンを横目に、日常を過ごしていた。でも、気にはなっている。なんとかしなきゃと思いながら、目の前の忙しさを理由に、見えないふりを続ける。なぜだかふとした時に、やるか、という気分になる。何がきっかけだったのかと問われても、はっきりとしたものはないのかもしれない。ただ、誰かに言われたからではなく、自分の中で「今だ」と思ったタイミングで動く。あんなにやりたくないと思っていた片付けが、そんな時は不思議なくらいスイスイ進む。そして、すっきりとしたキッチンを見ると、気持ちまで少し軽くなる。開かなかった瓶のふたが、やっと開いた時のような軽やかさ。固まっていた眉間がゆるみ、口角が少し上がる。そんなわかりやすい自分に気づく。目の前のほんの小さな出来事が、ちょっとだけ自分をウキウキさせてくれる。身体の中に響いた小さな合図「さて、やるか」
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音の波に、本来の自分を思い出す

☆シンギングボウル体験記☆ 先日お話ししていたシンギングボウルのセッション、受けてきました♪ 一言で言うなら、それは「不思議で、どこか懐かしい時間」でした。 細胞が共鳴する、懐かしい振動 実は私、長く合唱をしていた経験があります。 そのせいか、ボウルの音が響いた瞬間、頭や頬骨、そして指先にまで伝わる振動をダイレクトに感じて・・・。 「あぁ、人間の体は、そのほとんどが水でできているんだな」 そんな当たり前のことを、理屈ではなく細胞レベルで再確認するような感覚。 最初は少しだけ落ち着かないような、でも同時に心地よいような・・・。 不思議な揺らぎの中に身を置いていました。 「今だからこそ」の響き ふと、「もっと数年前、どん底で苦しかった時にこの音に出会っていたら、どうなっていたかな?」という考えが頭をよぎりました。 でも、きっと「今」だったのだと思います。 劇的に人生を変えるための魔法ではなく、ただ、今の自分のポテンシャルを静かに確認する作業。 大げさな意味づけをせずとも、今の自分に必要だったから、この響きを引き寄せた。 そう確信できる穏やかさがありました。 「ある」ものを、もう一度発見する旅 今回の体験で一番おもしろいと感じたのは、自分の中にある「ありか」を探したくなったことです。 本当は、答えも場所も、すでに自分の中に「ある」と分かっているのに(笑)。 その矛盾すらも、今の私にはとても愛おしく感じられます。 施術してくださった方の、日常を慈しむような優しい空気感。 そこから学んだのは、「これで成長した!」と鼻を高くすることではなく 「ただ、このままの自分を味わいながら進んでいく
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基準に戻るだけなのに、なぜ体感が出ることがあるの?

ariosuヒーリングセンターのありおすです。OPF(オリジン・ポイント・フィールド)ヒーリングは、何かを足したり、変化を起こしたりするヒーリングではありません。どこかを操作するものでもなく、ただ「自分の基準に戻る」という静かな働きです。私自身に行った時は、「あ、これが基準点なんだ」と感じる位で、特に反応はありませんでした。ただ、人によっては眠気が出たり、だるさを感じたり、時には痛みのような体感が出ることがあるようです。それは何かを起こしているからではなく元の自然な位置に戻る過程で起こる、身体や意識の自然な反応です例えば、無意識に力が入っていた部分が緩む時や固まっていた流れが動き出す時少しずつ本来のバランスに戻っていく時その過程で、違和感のように感じる事があります。でもそれは、「良い反応」「悪い反応」というものではありません。何も感じないことも自然ですし、体感があることも自然。どちらが正しい、というものではありません。OPFは、何かを起こそうとする「場」ではなく、ただ、その人が本来持っている基準に戻っていく「場」。体感の有無は個人差が大きく、その人の状態やタイミングによって変わります。どちらが良いという評価は不要です。ただ、通過していく途中のプロセスだから。OPFは、ヒーリングが終了した時には、既に基準に戻っています。後は馴染んでいくだけです。
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「新しい場所へ行く前の、あの感じ」

新しいコミュニティに参加する。自分から参加を希望して、少し高揚した気持ちで迎える朝。今日はどんな一日になるんだろう。そんなことを考えながら、服を選び、メイクをして、髪を整える。その場に合わせて「自分はこういう人です」という輪郭をつくっていく時間。それは、いつも通りの自分かもしれないし、少し大人びた自分、あるいは何も飾らない自分かもしれない。場面に合わせて自然に自分を演出することは、きっと誰もが日常の中で無意識にやっていることなのだと思う。一方で、新しい場所へ行くときには、楽しさと同時に、少しの怖さも顔を出す。どんな人がいるんだろう。自分はどう見られるんだろう。話が合わなかったら。嫌なことを言われたら。そんなネガティブな想像が浮かぶことも、正直ある。それでも行こうと思えるのは、その不安を上回る理由が、今の自分の中にあるからなのだと思う。前向きさと怖さ。そのどちらも抱えたまま、今日も私は新しい場所へ向かう。さて、今日のあなたは、どんな演出で過ごしていますか。
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スピリチュアル的に、日常に取り入れる実践ワーク 第16話

🌌 第16話『“宇宙とつながれない”私へ。スピリチュアルを優しく見直す時間』🕊️オープニング 「宇宙とつながるって、どういうこと?」 「感じようとしても、何も起こらない…」 「自分にはスピリチュアルな感覚がないのかな?」 そんな風に思っているなら、どうか安心してください🌿 スピリチュアルは“特別な才能”ではなく、“静かに感じる力”のこと。 今回は、スピリチュアルがうまく感じられないときの優しい見直し方をお届けします✨ 1. 宇宙とつながれない=ダメじゃない 🌟① 感じないのは「鈍い」んじゃなく「繊細」なだけ ✔ 情報が多すぎる時代、自分の感覚が一時的に閉じてしまうのは自然なこと ✔ 敏感な人ほど、無意識にシャットダウンしてしまうこともある 🌟② 「つながる=特別な体験」ではない ✔ 宇宙や高次元とつながる感覚は、静かでさりげないもの ✔ ドラマチックさよりも、“内側の静けさ”を大切に 🌟③ つながれない時期も、実は“守られている” ✔ 感じられない期間は、魂が「地に足をつける練習」をしていることも ✔ 安定こそが、スピリチュアルの基盤になる 2. スピリチュアルを優しく見直すヒント 🌸① 「何も感じなくてもOK」と許可を出す ✔ 無理に感じようとすると、心が閉じてしまう ✔ 感じなくても、あなたの本質はちゃんとつながっている 🌸② 「自分の感覚」を優先する ✔ 誰かのスピリチュアル体験を真似する必要はない ✔ あなたにとっての“心地よさ”がいちばんの道しるべ 🌸③ 小さな“今ここ”に目を向ける ✔ 空の色、風の香り、深呼吸… ✔ 目の前の現実が「宇宙との一体感」を教えてくれる
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マナカードはどんな人に向いている?受けるタイミングもやさしく解説

「マナカードって気になるけれど、私に向いているのかな?」 そんなふうに感じている方も、 多いかもしれません。 気になっていても、 「今の自分が受けていいのかな」 「どんなときに受けるものなんだろう」 と、少し迷うこともありますよね。 マナカードは、私にとって、 今の自分の気持ちや、 本当はどうしたいのかを整理するための時間です。 頭の中がいっぱいになっているときや、 気持ちがうまく言葉にならないときほど、 カードを通して見えてくることがあります。 だからこそ、 * モヤモヤしている * 頭の中がぐるぐるしている * 何を選べばいいかわからない * 本当の気持ちが見えなくなっている そんなときに、 やさしく背中を押してくれることがあります。 今回は、 マナカードがどんな人に向いているのか、 どんなタイミングで受けると役立つのかを、 やさしく解説します。 マナカードが向いているのは、こんな方です 1. モヤモヤしているけれど、うまく言葉にできない方 「なんだか苦しい」 「このままでいいのかな」 そう感じていても、 自分の気持ちがうまく言葉にならないことがあります。 マナカードは、 今の状態をやさしく映し出しながら、 「本当はこう感じていたのかもしれない」 と、自分の気持ちに気づくきっかけを くれることがあります。  2. 人に合わせすぎて、自分の気持ちがわからなくなっている方 人の期待に応えようとして頑張っているうちに、 「私はどうしたい?」がわからなくなってしまうことがあります。 そんなとき、マナカードは、 外の正解ではなく、 自分の中にある気持ちや望みに 目を向ける時間をつくっ
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「何かに重ねながら」

私の犬の誕生も、七月の終わりだった。 ふわふわした頭の毛並みも、妙に私になついてくるところも、じっと見つめてくる目も、 抱き上げた時に、ほんのり体重を預けてきたり、ぺろりと耳を一舐めしてくるあの感じも。 どこか重なって見えてしまう。 きっと代わりに私のところへ来てくれたのだと、勝手に思って、勝手に可愛がっている。 そんなこと、 犬の散歩をしながら歩いていた時に、ふと浮かんだ。 ああ、私はこんなふうに何かに重ねてまで、誰かのことを思うのかもしれない、と。 ただ、自分がそこまで誰かを思うことができているということに、驚いている。その素直な感覚を、素直なままに受け取っていることに少し意外だった。 ふと感じる温かさや、心の引っかかりみたいなもの。 そういうことに、少しずつ正直になれるようになってきたからこそ、触れられた感覚なのだと思う。 そんなふうに、誰かを深く思って、何かを重ねて、切なくなる。 そんな自分に戸惑いながらも、こっちを見つめるけなげな犬の顔を眺め、今は面白がっているのかもしれない。自分の中にある感情に、ちゃんと気づいていくこと。それだけで、少し楽になることがある。
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「何でもない時間のすぐ隣で」

複合施設のスーパーで買い物をしたあと、エレベーターの前で少し時間をつぶしていた。すると、すぐ後ろのエレベーターが開いた。その瞬間、聞き慣れた音が耳に入る。モニターの波形を表す、あの電子音だった。数名の人に囲まれたストレッチャーが出てくる。「出口どこ?」「あっち?」「いいよ、続けて」「はい、行くよ」静かで、穏やかな声だった。けれど、そのひとりは心臓マッサージを続けている。いつのまにか医療者として見ていた自分が、静かに見ていた。ストレッチャーの上で、心臓マッサージのリズムと一緒に動く身体。反応のない表情。その上で飛び交う、穏やかで冷静な会話。確かな処置が、淡々と進んでいく。何があったのかはわからない。この先どうなるのかもわからない。けれどそこには、ひとつの命に向き合う人たちの姿があった。その後ろから、家族なのか数名の大人が降りてきた。不安そうな表情で、ただ後を追っていく。穏やかな声。不安を隠せない表情。同じ場にいながら、そこに流れている時間はきっと違う。でも、私にとっては、これは日常の延長にある一場面だった。命の切迫も、処置の確かさも、不安を抱えた家族の表情も、どれも医療の現場では確かにあるもの。何でもない時間のすぐ隣で、そういう時間が動いている。それを見ながら、これもまた日常の一コマなのだと思った。だけど誰かにとっては、それは非日常の光景なのかもしれない。
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「継続の中に見える、生き方」

久しぶりに着付け教室で会った方が、きれいに着られるようになっていた。3か月前、初めて会った時は、着物に触ることも着ることも、全部が初めてだと言っていた。見よう見まねで紐を結び、何とか形にしている。そんな始まりだったと思う。でも今日は違った。手つきが自然で、着終わった姿もすっきり整っていた。きっと、ただ回数を重ねただけではない。着付けの手順にある意味や、形になる理由が、少しずつ身体に入ってきたのだと思う。最初はわからなくていい。できなくていい。続けるうちに、意味が身体に馴染んでいくことがある。継続って、同じことを繰り返すだけではないのかもしれない。理想との差を感じながら、今の自分に何が必要かを見ていくこと。少しずつでも、そこに近づこうとすること。途中で、向いていないのかもしれない、無理かもしれない、そう思うこともある。やめてしまいたくなることも。でも、自分がやりたいことって「どうしたら、もっとできるようになるかな」そんな風に、その先を知りたくなってくる。ただ、そこに誰かの期待が乗りすぎると、少し苦しくなることも。「頑張れ」は、ときどきこわい。励ましのようでいて、他人の都合まで乗ってしまうことがあるから。私は、頑張れを正義にはしたくない。頑張る、という形で、信念を曲げずにまっすぐ進んでいく人もいるのだと思う。それも、ひとつの継続のかたちなのだろう。でも私は、そんなに力を入れすぎなくても、楽しいから続いている、そのくらいの気持ちでいたい。継続の意味は、人それぞれ。どんなふうに続けていくのかにも、その人の生き方が少しずつ出るのかもしれない。継続は、できるなら自分のためのものであってほし
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「足の裏の米粒?」

何かのきっかけで、昔言われた嫌な言葉をふと思い出すことがある。もう終わったことのはずなのに、なぜか少しだけ胸に引っかかる。そんなときの感覚は、足の裏に米粒がついたみたいな感じ。硬くても、つぶれていても、歩くたびに、なんとなく気になる。痛いわけじゃない。歩けないほどでもない。でも、確かにそこにある。なんか、気になる…うれしくない思い出って、そんなふうに残るのかもしれない。消えるわけでもなく、強く刺さるわけでもなく、ただ、違和感としてそこにある。つい踏んでしまった足の裏の米粒。本物の米粒みたいに、そこから取り除けたらもう少し気持ちは楽になるのに。そんなことを思いながら、今日も歩いている。何かを踏んだような違和感を、感じたことはありますか?
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「手をつなぐ」

自然に見える仕草ほど、見えないところで誰かが少し寄っている。手をつなぐ、というのもたぶんそういうことなのだと思う。親と子の手には、命をつなぐような強さがある。そこにいることを確かめるような、まっすぐなぬくもりがある。思い合う二人の手には、つながりを確かめるような儚さがある。近づきたい気持ちと、壊したくない気持ちが、そっと重なっている。同じように触れているように見えても、そこに流れているものは少し違う。けれど、そこにあるのはただ触れるだけではない相手を求めた時に自然と生まれる静かなぬくもりなのだと思う。何でもないふうに見えるその一瞬に、言葉にしない歩み寄りがある。人はきっと、そういうものに触れた時、少し遅れて胸の奥が熱くなる。距離が隙間になる時、あなたは何を思うのでしょうか。
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「既読と返信のあいだにあるもの」

LINEの返信について、時々考えることがある。私は、LINEは基本的に急がない連絡手段だと思っている。だから連絡が来ても、急ぎでなければすぐには返信しない。何なら忘れてしまうこともある。本当に急ぎなら電話をすればいい。すぐに連絡が欲しいなら、そう書けばいい。私はそういう温度感で使っている。もちろん、それがすべてではないことは、わかっている。すぐに既読がつかない。返信がない。それだけで「なぜ気がつかないのか」「なぜ返事がないのか」と思う人もいる。もしかして避けられているのではないか。軽く扱われているのではないか。そんな気持ちからの思いなのかもしれない。同じツールでも、使い方や意味づけは人それぞれ違う。でも、だからこそ必要なのは想像力だと思う。相手は今、何をしているのか。すぐに返せない状況かもしれない。とか。伝えたいことははっきりと書けばいい。何を求めているのかを分かりやすく。しかし、長文で書き連ねればいいとは言えない。結局、何が言いたいのかわからなくなることも。それは読む側の時間を奪い、負担になっているかもしれないと、考えたことはないだろうか。私はすべてに目を通し、いつ反応するかは自分で決めている。すぐ返すこともあれば、あえて時間をあけることもある。スルーすることもある。それも私の選択。こじらせるのが面倒な時は、あえて即レスすることもある。どう思われるかも含めて計算のうち。それで関係が揺らぐなら、それまでの関係だと思っている。便利なものは、便利に使えばいい。ツールに振り回され、軸がぶれた時、自分がぐらついていませんか?私は自分のスタンスを守る。理解されないこともある、それも織り込
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「同じ話なのに、 なぜか聞ける人と聞けない人がいる」

先日、子どもが入学する学校の保護者会があった。先生たちの説明を聞きながら、ふと思ったことがある。なぜか人によって、話が聞こえる時と聞こえない時がある。1人目の先生の話も、資料通りに始まる。また、つまらない話を聞かなくてはいけないのかもしれない。そんなことを思いながら資料を見ていた。文字ばかりの資料。読めば内容はわかる。きっとまた、眠くなる時間だ。その時、ふと疑問が浮かんだ。どんな条件なら、眠くならないのだろう。きっちりとした資料に沿って、ほぼ同じ内容の説明が続く。手元にも資料、スクリーンにも同じ資料。基本的には、その内容を読み上げていく形だ。同じトーンで、テンポも一定。息継ぎや間も短く、少しまくし立てられるような印象。熱量だけが多く、頭の中では飽和状態。気づくと、何も入ってきていない。そんな説明が二人続いた。そして三人目で、空気が変わる。資料は同じ。スクリーンも同じ。違うのは、話し方だった。目線は会場を見ている。資料ではなく、本人の言葉から話が始まる。間がある。呼吸を感じる。テンポやトーンにも強弱がある。そのリズムに合わせて、話が頭の中に入ってくる。単にその人のキャラクターということではなく、きっと「聞かせる技術」なのだと思う。表情が見える。言葉に温度がある。話の上手な人は、自分がどんな喋り方をしているのかをきっとわかっているのだろう。でも、もう一つ思ったことがある。ただ聞こえてくるのではなく、聞こうと思って聞く時には、聞く側にも何かしらの目的がある。同じ場所で同じ話を聞いていても、人によって反応が違うのは、その目的の違いなのかもしれない。さて、私はどうだろう。話の内容が見えた
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「歌に映る、秘めた思い」

その時に、なぜか聞きたくなる歌はありませんか。気がつけば、同じような曲ばかりを繰り返し聴いている。そして後になって歌詞を眺めてみると、今の自分の状況や感情と、どこか重なっていることに気づく。自分ではうまく言葉にできない気持ちを、音楽が代わりに語ってくれているような感覚。無理に整理しなくても、それだけで少し心が整うことがあります。以前、忙しさで余裕をなくしていた時期がありました。一人で残業をしていた夜、ラジオから流れてきた一曲。誰かがリクエストしたもので、もちろん私に向けられたものではありません。それでも、その瞬間、「私は一人じゃない」と思えました。状況が変わったわけではありません。けれど、張りつめていた心がほんの少しだけ、緩んだのです。自分で選んだ音楽でなくても、受け取れるものはあります。誰に向けられたわけでもないからこそ、自分の心に沿う形で受け取れる。今はいつでも音楽がそばにある時代です。無意識のうちに、私たちはその時の自分に必要な音を選んでいて、何かを受け取っているのかもしれません。最近よく聴いている曲は、どんな歌ですか。そこに、今のあなたの思いが映っているかもしれません。
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基準に戻ると、言葉を足さなくなる理由

ariosuヒーリングセンターのありおすです。基準に戻ったあと、少し不思議な変化を感じることがあります。それは、自分の状態を人に説明したくなくなること。以前は、わかってほしかった伝えたかった理解してもらいたかったそんな気持ちが、自然とあったかもしれません。でも戻ったあと、その衝動がふっと静まることがあります。話せなくなったわけでも、言葉が出なくなったわけでもありません。ただ、説明する必要を感じなくなるのです。これは、冷めたからでも、人に興味がなくなったからでもありません。基準が内側に戻ると、「分かってもらうことで自分を保つ必要」がなくなるからです。人に説明したくなる時、私たちは無意識のうちに基準を外側に置いています。理解されているか正しく伝わっているか誤解されていないかその確認が必要な位置に立っている。戻ると、その確認がいらなくなります。だからといって、孤立するわけではありません。余計な言葉が減ることで、関係はシンプルになります。説明しなくても通じる人とは、自然に通じる。通じない人とは、無理に合わせなくなる。OPFやPFHは、「分かってもらえる自分」になるためのものではありません。分かってもらわなくても揺れない位置に、「戻る」ための「場」です。その位置に立つと、言葉は本来の役割に戻ります。証明のためでも、説得のためでもなく、ただ伝えるための道具として。結果として、話す量は減るかもしれません。でも残る言葉は、とても静かで、とても正確になります。「戻る」ということは、人に説明できる状態になることではなく、説明しなくても成り立つ状態に戻ること。その静けさが、次に進む時の本当の基準にな
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「ー食べないーの裏側にあった、言葉たち」

最近、娘の「食べない」が、 ただの体調や気分の問題ではないことを知った。 きっかけは、彼女の部屋にあった、開かれたままの一冊のノートだった。 そこには、誰にも見せないつもりで書かれたであろう言葉たちが、 静かに並んでいた。 食べることの拒否 食べることへの渇望 見られたくない彼女 見てほしい彼女 痩せたままの彼女 太ることへの恐怖 眠れない彼女 寝ることが怖い彼女 その狭間が心地よい彼女 そこにいる彼女 行動の裏には、きっと何かがある。 それは、本人にさえうまく説明できない形で、 心の奥に沈んでいることもある。 見えているのは行動だけで、 本当の理由は、ずっと内側に隠れている。 あのノートは、 抱えきれなくなった感覚たちが、 行き場を探して辿り着いた場所なのかもしれない。 墓場のようでもあり。避難所のようでもあり。 秘密基地のようでもあり…言葉にすることで、輪郭を持ってしまう感情。 そうすることで、 向き合うこともできる。 吐き捨てることもできる。そしてふと、気づいた。 私もまた、言葉をつかい、違和感の輪郭をなぞっていく。形は違っても、似ているのかもしれない。 そう思うと、 娘との距離が、ほんの少しだけ縮まった気がした。 そんなことを考えながら、 ごみの日だったことを思い出し、そっと部屋を出る。
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「矢印を自分に戻すということ」

自分と相手の方向が合わない時。止められたり、違う意見を向けられたりすると、心の中で一度「どうしようかな…」と立ち止まる瞬間があります。少しだけ相手に寄せるのか。そのまま受け入れるのか。それとも、自分の思いを大切に進むのか。どの道を選んでも、あとに残る感覚は「何を選んだか」よりも“自分がどう受け取ったか”で変わる気がします。同じ行動でも、「受け入れた」と思うと少し前向きで、「妥協した」と思うと、どこか苦さが残る。出来事は同じなのに、自分の中に残る温度の違いを、感じたことはありませんか?きっと大事なのは、正解を探すことよりも、最後に自分へ矢印を向けられるかどうか。「私はこれを選んだ」そう思えると、少しだけ景色が明るくなる感じがします。相手に合わせたとしても、自分の気持ちを通したとしても、そこに自分の意思が重なると、不思議と残る温度もやわらかくなります。どんな道でも、最終的にハンドルを握っているのは自分。その感覚をそっと思い出せるだけで、どんな答えの後にも、前を向いている自分がそこにいるかもしれません。正解は、きっと誰にもわからない。だからこそ「自分はこう感じた」という、心の奥の小さな声に耳を傾けながら、相手には内緒で、そっと自分の温度を整える。
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「違和感の中に見つけることのできる、癖の種」

人と話していて、同じ出来事なのに受け取り方がこんなに違うのか、と気づくことがあります。ある人は「自分の言葉が届かなかった」と悲しくなり、私は「この人はこう受け取ったんだな」と少し引いて見ている。どちらが正しいわけでもなく、そこにあるのは性格というより“受け取りの癖”なのだと思いました。言葉への反応や感じ方は、これまでの経験の積み重ねで形作られていく。だから簡単には変わらない。でも、自分がどんな反応をしやすいのかを、知ることはできます。そのヒントになるのが、日常会話の中でふと生まれる違和感。なぜ今、少し引っかかったのかな。なんでモヤッとしたんだろう。大きな出来事ではなくても、会話の中の小さなズレを感じることありませんか?その違和感を無視せずに、自分に戻してみる。そこに目を向けると、自分の癖の輪郭が少しずつ見えてくる感じがします。そこにある違和感は、不快なものではなく、自分を知るための、小さなサインなのかもしれません。自分の中に生まれるモヤッとしたもの、知らんぷりして過ごしていませんか?
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「ギフトのような、透明な時間」

寝静まる深夜。 カタン。 バタン。 ガサガサ。 微かに、けれど確かに聞こえてくる音がある。 その音は、私には  「ここにいるよ」という声のように聞こえる。 私はいつも、眠っているはずなのに、眠れてはいない。 神経だけが、ずっと起きている。眠い目のまま、ベッドから起き上がり、 私は音のする方へ向かうどうか、そこにいてほしい。 どうか、生きていてほしい。 そんな祈りを、無意識に抱えながら。 今日は珍しく、友達の家に泊まりに行っている。彼女のいない夜。心のどこかで、ほっとしている自分がいる。いつも、あそこにいてほしいと願っているはずなのに。家の中は静かで、私はいつもより早く、ベッドに入っていた。かすかな物音に、耳を澄ますこともなく、何も考えずに、深い眠りに落ちることが許される日。そのとき、ようやく気づく。自分が、ずっと疲れていたことに。明日はどんな日になるのかを想像しながら、眠りに落ちたこの瞬間、私の一日は、ようやく終わる。母親という役を脱ぎ、透明になれる時間。そんな夜もある。そして、日々は続いていく。あなたには、ふと力を抜いていい時間はありますか?
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③何もしなくていい時間の過ごし方 ― 基準に戻る段階で大切な事

ariosuヒーリングセンターのありおすです。自分の基準に戻り始めると、「では、何をすればいいんですか?」と聞かれる事がありますが、この段階で積極的にやる事は、ほとんどないんですね。頑張らなくていい整えようとしなくていい前向きにならなくていい「何かしなきゃ」という衝動が出る時ほど、それは外の基準に戻ろうとしているサインかもしれません。OPFは、「何もやりたくない人が怠けるためのヒーリング」ではなく、自分の基準に戻るために、余計な力を抜くためのヒーリングです。この時期にしていい事をもし1つ挙げるとしたら、「今、私は何を感じているか」に気づくことでしょうか・・・答えを出す必要や何かに意味づけをする必要は、ありません。今日は静かでいたい人と話したくないなぜかわからないけど落ち着かないその感覚を直そうとせずに認めるだけで十分です。多くの人は、感じる前に整えようとします。安心する前に理解しようとします。でもOPFで戻っていく順番は逆です。感じる → 余計なものが落ちる → 自分の基準に戻るだから、途中で止まっているように見えても、何も進んでいないわけでもなく、一番深いところで調整が起きている時間なのです。この段階を飛ばしてしまうと、また外の基準で動き出してしまいます。何もしなくていい時期は、実はとても貴重。自分を信じる練習をしている時間だからです。静かで、わかりにくくても確実に戻っていく。OPFは、そのプロセスを邪魔せずに支える為のヒーリングです。
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「例えば、ある犬の話」

散歩をしていると、「お利口だなあ」と思う犬に出会うことがある。反対に、ちょっと大変そうだな、と思う犬を見ることもある。でも、その違いって、本当に犬だけのものなんだろうか。その子がそこにたどり着くまでに、どんな時間があったのか。どんな関わり方をされてきたのか。うまくいったことも、うまくいかなかったことも、きっと全部、今の姿に滲んでいる。と、私は犬を見ながら、その背景を想像してみる。目に見えている姿だけで判断してしまうと、いちばん大事なところを、なんだか見落としてしまう気がするから。目の前に見えているものは、ほんの一部。その奥に、どんな積み重ねがあったのか。そう考えてみると、視野が広がるような気がする。目の前にある姿には、そこに至るまでの時間が、きっとある。見えているものだけで、決めてしまっていないかな。目の前に見えることがすべてではなく、そこに、ドラマが見えてくるかもしれない。
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「こころの処方箋」

「頑張って」と「応援してるよ」贈る側にとっては、どちらも同じような気持ちで使っている言葉かもしれない。でも、受け取る側に立ったとき、その言葉の温度感は、少し違って感じられることがある。「頑張って」は、どこか行動を求められるような感じ。前に進んでほしい、乗り越えてほしい、そんな期待が、無意識に含まれている。一方で「応援してるよ」は、相手の“今”に添える言葉だと思う。何かを成し遂げるかどうかよりも、あなたの存在そのものを思っている、というメッセージ。無意識に相手を変えようとする言葉は、時に厳しく、残酷になることがある。そこに、本人の意思やタイミングが置き去りにされてしまうから。でも、贈る側を主語にした言葉は、静かで、温かい、そんな風にも感じられる。「私は、あなたを気にかけている」その思いだけが、そっと添えられていく。そういう言葉は、その場ですぐに力にならなくてもいい。後になって、ふと思い出されたとき、じわじわと、その人の支えになることも。言葉にも、即効性のものと、時間差で効いてくるものがあるのだと思う。あなたは今、どんな風に言葉を選んでいますか。
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「何もできない日の私」

何もしない日があってもいい。そう思いたいのに、「何かをしなければ」という感覚が、どこかでずっと離れない。やるべきことも、やったほうがいいことも、頭ではわかっている。でも、体が動かない。気持ちが動かない。起きて、食べて、飲んで、テレビを見て、スマホを見て。着替えもせず、ただ時間が過ぎていく。…それを、誰がダメだと言えるのだろう。誰もが、いつも他人に評価されるために生きているわけじゃない。それでも、何もできなかった日には、理由のない罪悪感が残る。誰かに言われる前に、自分で自分を責めているのかもしれない。でも、その日そのときの体と心が、ただ存在することを、選んだ。ただ、それだけだったのだと思う。何もしていないように見えても、日々は少しずつ進んでいる。生きている限り、時間も感覚も、進んでいく。必要なタイミングで、 見えてくるのだと思う。それは「できなかった自分」なのか 「しないことを選んだ自分」なのか、 あなたには、どんな風に見えているのでしょうか?
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一言で片付くシステム求む

散らかったテーブルの前で、私は今日も文章を書いている。 開きっぱなしのノート。 飲みかけのペットボトル。 どこから来たのかわからない紙切れ。 決して整っているとは言えない光景だ。 そもそも、家の中に「私の場所」という特定のスペースはない。 子どもには子ども部屋があり、 夫には書斎がある。 私はいつも、食事を囲むためのテーブル。 このテーブルは、みんなの場所だ。 だからここには、 誰かの忘れ物が少しずつ残っていく。 子どものプリント。 夫のペン。 私のメモ。 少しずつ、少しずつ重なって、 なんとなく散らかったままの状態が続く。 本当は、 「一言で片付くシステム」 みたいなものがあったらいいのにと思う。 「はい、リセット」 「はい、最適化完了」 ワンクリックで、机も人生も整うようなやつ。 でも現実は、 散らかったまま、今日も私はここに座っている。 そしてふと思う。 散らかりは、 片付かない結果ではなく、 何かをしている途中なんだと思う。 今まさに、考えて、動いて、生み出している途中。だから、散らかっている。 止まっていない証拠だ。 そう考えると、 この光景は失敗ではなく、経過なのだと思えてくる。 だから、悲観する必要はない。 もちろん、片付ける必要はあるけれど。 ふと気がづく。 これは机だけの話じゃない。体も同じなんだと。。 疲れが抜けきらず、あちこちが重たくて、調子がいいのか悪いのかもよくわからない。 思考も、感情も、身体も、全部がきれいに整列しているわけじゃない。 でもそれは、 人生が停止していないということでもある。 整ってはいないけれど、稼働している。 きれいに片付いた人生
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「その日の私を、着る」

変わらない日々の中で、服を選ぶことは、ただの作業になる日もある。何を着るか考えるのがめんどうで、毎日同じものでいいと思うこともある。そんな気分の日が続くことだって、よくあること。それが今の自分であり、それでいいのだと思う。気づけばそのときの自分が、いちばん過ごしやすい服を、自然と選んでいる。着飾ることだけが、服じゃない。日常の自分を、静かに、やさしく包んでくれる服。それもまた、その日の私が選んだ一枚だ。流行に合っているかどうかより、誰かにどう見られるかより、その服で一日を過ごしやすいかどうか。さらに、自信を持って着ている服は、不思議とその人の立ち姿に表れる。無理に背筋を伸ばさなくても、そのままで、ちゃんと立っているように見える。服を選ぶことは、その日の私を、着るということ。あなたは今日、どんな自分を選びましたか?
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「そして、1日が始まる」

彼女の部屋に入るとき、私はいつも耳を澄ませる。 かすかに聞こえる呼吸の音。 ベッドの中に人の形を見つけて、つぎに視線を机に移す。 散らかった机。 彼女の心の中みたいだと思う。 そこには、見たくないものがあった。 茶色く汚れた、無造作に丸められたティッシュ。 同じ色のついた、鈍く光る「ソレ」。 一瞬、時間が止まる。 怒りでも、悲しみでもなく。 胸の奥に広がる、冷たいもの。 すぐそこで眠る彼女の背中。 生きている。 今は、ここにいる。 机の上を片付け、 もう一度、寝顔を確かめて部屋を出る。 また今日も、一日が始まる。 この子の「生き方」は、 こんなふうに、ぎりぎりの場所にあるのかもしれない。 見失わないように、私は今日も、彼女の温かさを探す
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「正しい言葉が出なかった夜」

その日は、娘と話をしていました。何か大きな出来事があったわけではなくてでも、言葉を選ばないとすれ違ってしまいそうな空気がありました。励ましたほうがいいのか。整理して伝えたほうがいいのか。何か言わなければ、と思えば思うほど正しい言葉が出てこなくなりました。沈黙が、少し長くなって。その時間が、うまくできていない証拠のように感じた瞬間もありました。結局、その夜私は多くを語れませんでした。そのあと、もっといい言い方があったのではないか。あのとき、何か伝えられたのではないか。そんな考えが、頭の中を巡りました。でも、しばらくしてからふと思ったことがあります。あの夜には、沈黙が必要だったのかもしれない、ということ。正解を出せなくても、整った言葉がなくても、何かを言おうとしなかったこと自体があの時間を守っていたのかもしれません。ただ、そこにいる。同じ時間を、共に過ごす。それもまた、関わり方のひとつなのだと思います。正しい言葉が出なかった夜。それは、何もできなかった夜ではなくてそのままでいてよかった夜だった。そう思えるようになったのは少し時間が経ってからでした。。。もし、 一人で考えるのが少しつらいときは話すことで呼吸が楽になることもあります。 必要なときに、思い出してもらえたら。
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「変わってないわよ」

仕事の帰り道、目の前に楽しそうに話している二人の女性がいた。年齢は60代くらいだろうか。横を通り過ぎたとき、会話がふと耳に入ってきた。「久しぶり。こんなところで会うなんて、びっくりしたー」「でも、よくわかったねぇ」「いやー、変わってないわよ」「そうよね」『その姿!!』笑い合うその二人が、なんだか微笑ましかった。連絡も取らなくなった人と、たまたま会えることがあるんだな、と感心した。それよりも、昨日の晩ごはんすら怪しいのに、あっという間に記憶が戻ってくる——あの感じがおもしろかった。懐かしさというのは、いったいどこに仕舞われているのだろう。二人がどんな関係だったのかはわからない。昔の同級生か、以前の職場の仲間か、若い頃の近所の誰かか。ただ、長い時間が流れていたことだけは伝わった。そしてその時間を飛び越えて会えたことを、二人ともちゃんと嬉しそうにしていた。変わってないわよ。その言葉が、通り過ぎたあとも少し残った。人は変わる。歳を重ねるし、顔つきも変わる。生活も変わる。あの頃のままでいる人なんて、きっといない。それなのに、久しぶりに会った相手には「変わっていない」と見えることがある。顔や声ではなく、その人がそこにいるときの空気みたいなものかもしれない。見た目は変わっても、その人らしさだけは残る——あるいは、自分がそう見たいだけなのかもしれない。そんなことを考えながら、私の中にも顔のぼやけた懐かしさが浮かんだ。当時、とても好きだった人。絶対に忘れないと思っていた。けれど今となっては、顔も曖昧だ。声も思い出せない。どんな匂いだったかも、もうわからない。忘れてしまった、というより、フィルター
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相手の顔色が気になって疲れる人へ|本音が見えなくなる理由

「また気にしすぎてしまった」 「相手の反応が怖くて、言いたいことが言えなかった」 そんなふうに、 相手の顔色が気になって 疲れてしまうことはありませんか。 この記事では、 相手の顔色が気になって疲れてしまう理由と、 本音が見えにくくなる心の流れを やさしく整理していきます。 顔色が気になるのはなぜ?相手の顔色が気になるとき心の中では何が起きているのでしょうか。 「この人、怒ってないかな」 「今の発言、変だったかな」 「嫌われてしまったかな」 こうした不安が浮かぶたびに、 自分の気持ちより先に 相手の反応を確認しようとしています。 つまり、 判断の基準が相手の側にある 状態です。 相手が笑顔なら安心する。 相手が黙ると不安になる。 相手の機嫌で、自分の気持ちが変わってしまう。 これが続くと、 どっと疲れてしまうのは当然です。 本音が見えなくなる理由 顔色をうかがい続けると、 あるときから 「自分がどうしたいのか」 がわからなくなっていきます。 それは、 ずっと相手の反応に合わせて 自分の気持ちを調整してきたからです。 「相手が喜ぶならこうしよう」 「波風を立てないようにしよう」 そうして動くうちに、 本当の自分の気持ちが どこかに置いてきぼりになっていきます。 「私は本当はどうしたかったんだろう」 そんな疑問すら、 浮かびにくくなっていくことがあります。 顔色をうかがうのをやめようとしなくていい「気にしないようにしよう」 「もっとどっしり構えなきゃ」 そう思って頑張ってきた方も 多いかもしれません。 でも、 顔色をうかがうことをやめようとするより、 先にやることがあります。 それ
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混み合うレジで、妙に目を引いた子

夕方18時ごろ。スーパーの店内はかなり混んでいて、レジには長い列ができていた。並んでいる人たちも、前の進み具合を気にしながら、ちらちらとレジの様子を見ている。少しでも早く進んでほしい。そんな空気が、じんわり漂っていた。私が並んだレジに立っていたのは、「初心者マーク」をつけた高校生のバイトのような女の子だった。初心者とはいえ、手つきは思いのほか慣れている。商品をかごからかごへ移しながら、次々にバーコードを読み取っていく。たどたどしさはなく、むしろ落ち着いて見えた。私の番がきて、その子はそれまでと同じようにてきぱきと会計を進めていった。かごの中に、4割引のシールが貼られた肉があった。レジを通すと、アラームが鳴る。もう一度通してみても、やはり同じだった。すると彼女は表情を変えず、すぐ近くにいたフォロー係に向かって、手を挙げながら大きな声で言った。「すみません、お願いします!」その声が、妙に清々しかった。混雑した店内の、少し苛立ちのにじむレジまわりの空気の中で、そのハキハキとした様子がとても新鮮に見えた。割引商品の打ち方を教えてもらっているあいだも、彼女は相槌を打ちながらしっかり聞いていた。そして終わると、「ありがとうございました」と、これまたはっきりした声で答え、そのままスムーズに会計を終わらせていった。ただそれだけの出来事だった。でも、ああいう場面では、焦ったり、申し訳なさそうに小さくなったり、助けを呼ぶこと自体が遅れる人もいる。初心者マークをつけていれば、なおさらそういう空気に飲まれやすい気がする。けれど彼女は、困ったことを困ったままにせず、自然に助けを求めていた。教わることにも
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今いる場所で、ひと呼吸

こんにちは。今週も、もう金曜日がやってきました。1週間を過ごして、少しだけ肩の力が抜けるような時間でもあり気づかないうちに、心や体に疲れが溜まっている頃かもしれません。今日は、そんな時ほんの少し立ち止まって、ひと呼吸できる時間になればと思いこの文章を書いています。• • • ✴︎ • • •今いる場所でゆっくり遠くを見てみましょう。もしくは布団に仰向けになって天井をぼーっとみながらまたは温かい飲み物を用意してソファにゆったりと腰掛けてひと呼吸ー。いまというここにしかない時間がゆっくりとまるで大きなブランケットで包まれるようにあなたを包み込んでいるのをイメージして感じてみよう。• • • ✴︎ • • •このひと時が、忙しい日常やマインドからなかなか離れられないあなたを守ってくれるひと時になりますように... 🌿
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女神の1枚 ー テンパランス(逆位置)

今日は、バランスが少し崩れやすい日。気持ちと現実。理想と行動。どこかでズレを感じやすくなりそうです。無理に整えようとしなくても大丈夫。「あ、今ちょっと偏ってるな」って気づくだけで流れは自然と戻っていきます🌈補足の1枚目は デビル(正位置)🃏執着やクセ、抜け出せない思考に引っ張られやすいとき。でもそれは “悪いもの” ではなく自分がどこに縛られているのかを教えてくれているサインです💫補足の2枚目は ワンドの3(逆位置)🃏先の見通しが立ちにくく、不安になりやすい流れ。「このままでいいのかな」と立ち止まる感覚もあるかもしれません。でも、ここで焦らなくて大丈夫。むしろ今は、外に広げるよりも内側を整えるタイミング🌌🪄🌙女神はこう伝えています。整っていない自分も、そのままでいい。無理に進まなくても、流れはちゃんと続いている🌹✨💫ひらめき「今、何に引っ張られてる?」それに気づいたとき、少しだけ自由になれる。皆様からの励まし、いつも受け取っています!毎日ありがとうございます☺️🩷「女神の1枚」では毎日カードをお届けしています🃏個別のリーディングは、こちらからどうぞ。👉 サービスページはこちら👉初めての方は、こちらのお試し1枚引きからどうぞ🃏お試し価格で体験してみてください!👉あなたの中に在る思考を形にしてみませんか🌹?
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お土産に乗っているもの

お土産とともに、父親が出張から帰ってきた。そのたくさんのお土産には、ご当地お菓子だけではなく、選んだ人の気持ちも乗っているのだと思う。これ好きそうかな。喜ぶかな、喜んでくれるといいな。そんなふうに相手の顔を浮かべながら選んだ時間も、きっと一緒に持ち帰ってくるのだろう。早く見てほしい。食べてほしい。感想を聞きたい。と思うのも、自然なこと。でも、受け取る方にもタイミングがある。その場ですぐに箱を開けられるとは限らない。平日の朝には、いつもあわただしい。テーブルの上だけ、ちらっと見ていく。たぶん、そこで小さなすれ違いが起きる。気持ちを渡した側は、その反応まで、できればすぐにでも受け取りたい。でも受け取る側は、いつもの流れの中で受け取ることになる。それは、テーブルに置いてあるのを横目に見る程度かもしれない。どちらが悪いわけでもない。ただ、気持ちを返す速さは人それぞれなのだと思う。お土産に乗っているのは、お菓子だけではなく、渡した人の期待や嬉しさや、少しの寂しさ。そして受け取る側は帰ってからのお楽しみ、として。日常のすれ違いもまた、家族の時間なのかもしれない。時間差で伝えられた気持ちの分だけ、旅の余韻として味わってみるのも悪くない。
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「同じ言葉なのに、 どうしてこんなに違うのだろう。」

「なんで、あんなこと言われなきゃならないんだ!」憤慨している人の反応を見て、不思議に思うことがある。道を歩いていて通れない場所に入ろうとしてしまい、警備員に「そこは通れませんよ」と声をかけられた。ただ、それだけのこと。そこは通れない。知らなかった。だから教えてもらった。私なら、たぶんそれで終わる。でも、その一言を余計なことを言われたとか、今そんなことを言われたくないとか、そういうふうに受け取る人もいる。同じ言葉なのに、どうしてそんなに、受け取り方が違うのだろうと思う。教えてもらった、と受け取るのか。指示された、と感じるのか。ただの案内として入ってくるのか。自分を邪魔するものとして引っかかるのか。言葉そのものが違うというより、その言葉に何を乗せて受け取るかの違いなのかもしれない。人の話をそのまま聞ける時もあれば、そこに余計な感情を足してしまう時もある。自分にとって都合の悪いことを、ただの情報として受け取れるのか。それとも、責められたように感じてしまうのか。その違いひとつで、出来事のあとの気分は、ずいぶん変わる。同じ日常の中にいても、穏やかに過ごせる人と、何かに引っかかる人がいるのは、こんなことなのかもしれない。
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「眠くなる時間の正体」

式典って、どうしてあんなに眠くなるんだろう。最初は単純に退屈だからだと思っていた。だから、少し周りを観察してみた。吹奏楽の学生たちはきちんと起きている。この後も出番がある。タイミングがある。自分が動く瞬間を待っているから、適度な緊張があるのかもしれない。親たちはスマホを触ったり、本を読んだり、堂々と寝ている人もいる。先生の話を「聞いている風」に座っている人も多い。そこで、私も聞き方を変えてみた。この先生は、子どもたちに何を伝えたいのだろう。どんなふうに、伝えようとしているのだろう。そう考えながら聞くと、少しだけ眠気がひいた。同じ話でも、意識の置きどころが変わると、体の反応が変わる。思えば、これは式典だけの話ではない。家族の話でも、職場でも、友達でも。正直あまり興味のない話題をだらだら聞いているうちに、いつの間にか別のことを考えていたり、ふっと意識が遠のいていたりする。でも、相手の話そのものに強い興味が持てなくても、話し方や表情、言葉の癖、声のトーン。どこか一つに焦点を当てると、感覚が少し変わる。退屈だった時間が、観察の時間に変わる。受け身でいると、思考は止まりやすい。問いを一つ置くだけで、景色が少し動き出す。眠くなる時間は、つまらない時間というより、自分が何も置いていない時間、なのかもしれない。つまらない時間を、少しだけ遊んでみませんか?
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夢の中の「精算」は何を意味するの?OPF後に起きた構造変化

ariosuヒーリングセンターのありおすです。先週の水曜日に2度目のOPFヒーリングを受けてから、朝方夢を見る状態が続いています。特徴は二つあって、1つは、夢の途中でトイレに起きる事。以前までは、夢が終わってからトイレに起きていました。2つ目は、起きた後、夢の途中にもかかわらず物語がそこで終了。以前だと物語の続きを頭の中で作っている自分がいました。今回の夢は、三人で食事をすることになって、一人が私に食事代を「払わなくていい」と言ったので、それなら「一緒に食事します」といって三人で食事をしました。しかし会計の場面で「まとめて払うから後で払って」と言われました。と、そこでトイレに行きたくなり目が覚めました。起床後、一瞬だけ思考が動いていました。「割り勘?もちろん自分が食した分は払う。」しかしその思考は広がらず、そこで終了。これは何を伝えたい夢なのかを知る為に叡智の核に聞いてみるとここで重要なのは、夢の「内容」よりも「反応」と教えてもらいました。夢の中の「お金」や「精算」は、エネルギーの負担や責任の境界を象徴する事が多いらしく今回動いていたのは、金銭そのものではなく、「どこまでを自分が引き受けるのか」という基準の層らしいのです。以前なら、言っていることと違うと気持ち的に「モヤモヤが残ったり」続きを考え続けたり、感情が付随したりというという流れが起こっていたのに今回は、全然違っていました。物語を作っているのではなく、未完部分の整合を一瞬取り、そこで終了。さらに注目するところは、夢が途中で切れることだそうです。これは「完結させなくても安定している」状態らしくOPFヒーリングは積み上げでは
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「揺れる」

揺れる。揺れる。揺れる。何もできない時間に、名前をつけなくていい、とか意味をつけなくていい、とか。それは自分が安定している人が、言える言葉だと思う。何もできないことに、名前を付ければ理由ができる。「今は不安定だから」と言えば、逃げられる。そうやって自分の心を守っているのかもしれない。揺れていることを、誰かに評価されてしまうかもしれない。そんな風に、勝手に気にしている自分もいる。ちゃんとしていないと思われるかもしれない。口だけだと思われるかもしれない。本当の私は、強くありたいと思っているだけで、強いわけじゃないことを知っている。自分は何者でもいいと思う。特定の何かになりたい自分もいる。何者でも無くてもいい自分で居れたら、とも思う。その矛盾になんなんだよ、となる。呼吸が浅くなる。人の言葉がいつもより突き刺さる。どんな顔をしているか、怖くて見れなくなる。そこから消えてしまえたらいいのに。不安定な自分。そのままでよしと言えたらいいのに。揺れている自分を、そのまま置いておけたらいいのに。本当に揺れているのか沈んでいくのか感覚が分からなくなって、それが少し怖い。強い人は、堂々と生きているように見える。そして、自分以外はみんな強く見える。揺れ方すらも、しなやかな枝のように揺れているのだろうか。揺れながら、怖がりながら、自分を知り、そして受け止めて。勝手な想像を膨らませ、また不安になる。揺れていることを、ただ感じて。どんな感情がわいたとしても、それが今の自分。安定しない自分を怖がってもいい。人と比べてもいい。何かに理由をつけて逃げてもいい。自分の心の癒し方。その時の自分に必要なことは、頭で考え
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あの時に戻る瞬間

久しぶりに、早朝に家を出た。出た時はまだ暗かったのに、気づけば空は朝の色に変わっている。その瞬間、ふと懐かしい感覚がよみがえった。以前、珍しく早朝からの仕事で、彼と車で移動したことがある。夜から朝へと変わっていく時間帯。仕事とはいえ、二人きりの車内。移り行く色を眺めながら、取りとめのない会話をしていた。「今日も始まるね」そう言って、二人で同じ空を見ていた。ただ、それだけのこと。色や音、匂い。ほんの小さなきっかけで、私はあの頃に引き戻される。思い出すのは、良いことばかりではないかもしれない。でも時間が経つと、その頃の自分を、少し距離を置いて見ている自分がいる。あの時の私は、あの時なりに必死で、ちゃんとその時間を生きていたのだと思う。いつもの生活の中、あちこちにちりばめられている過去への扉。それは「あの時に戻れる瞬間」の入り口なのかもしれない。今日もどこかで、静かに開いた扉があったかもしれません。
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「その一言に引っ掛かった時、交通整理してみませんか?」

日常の会話の中で、ふと引っかかる一言はありませんか?悪気がないのは分かっているのに、少しだけ心がざわつく瞬間。たとえば、子どもの「なんで駅の近くに住まなかったの?近かったら便利なのに」という何気ない言葉。わかる。その通りだと思う。そう、子供にしたら単純なこと。でも、家を建てるまでの自分の時間や労力を、一瞬で飛び越えられたように感じて、少しだけイラっとする。そんな時、私ならどうするか。まず「いま引っかかったな」と自分の感覚に気づき、一呼吸置いてから言葉を返す。「そうだよね、便利だよね」答えを求める会話ではなく、ただの気分の共有だとわかっているからこそ、受け止め方を選ぶ。そこに必要なのは、正論なのか、自分の思いなのか、相手への共感なのか。もしくは、単純にテンポだけなのか。イラっとしない人になるのではなく、イラっとした自分に気づいて整える。その小さな間が、その後の空気をやわらかくしてくれることが、あるかもしれません。
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「反応の癖を見てみる、ということ」

料理が運ばれてきて、手を伸ばしかけた時に気づく。あ、カトラリーがない。ほんの一瞬の引っかかり。大したことじゃないのに、身体が止まる。身体の奥にひっかかる、言葉にするほどでもない小さな違和感。その違和感に、どう反応するのか。多分それは無意識で起きている反応だと思います。スタッフを呼んで「これ、どうやって食べるの?」と出るのか、「カトラリーをいただけますか」と出るのか、それとも黙って周りを見渡すのか。どれも正解でも不正解でもない。ただ、その瞬間の“癖”がにじむだけ。準備不足は、忘れているだけかもしれない。もしかすると、忙しかったのかもしれない。そんなこと、頭ではわかっているのに、違和感は先に身体に来る。だけど、その違和感に乗せる言葉で、その場の空気の温度が少し変わる。相手に向く矢印なのか、自分の必要を伝えるのか。ほんの数秒のやりとりなのに、そこに自分の反応の輪郭が見えるように思います。言ってやった、でもなく、遠慮した、でもなく、ただ「自分はこう反応するんだ」と気づく瞬間。日常の小さな場面は、感情が大きく揺れるわけでもないのに、自分の初期設定がそのまま出るのではないでしょうか。大きな決断よりも、こういう些細な違和感のほうが、よほど素の反応が見える気がします。カトラリーが置かれるまでの、ほんの数秒。その短い時間に、自分の中の癖や温度や向きが、静かに表に出ている。こんな風に夫との外食時、ふとした場面の反応の違いをこっそり楽しんでみました。よくある日常の中で、なんとなく違和感を感じることありませんか?
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選ばなくても大丈夫 ― 自分の基準に戻ると起きる事

ariosuヒーリングセンターのありおすです。OPF(オリジン・ポイント・フィールド)やPFH(プレゼンス・フロア・ヒーリング)を体験した後、それまで「何か決断しなきゃ」と思っていた人ほど、少し拍子抜けしたような感覚になることがあります。選ばなくてもいい決めなくてもいい答えを出さなくてもいいそんな状態が自然に訪れるからです。私たちは普段、選ぶこと=前に進むこと決めること=成長だと思いがちですが、実際には、基準がズレたまま選び続けていることも少なくありません。疲れている状態で選ぶ焦った状態で決める誰かの基準に立ったまま動くその結果、「選んだはずなのに、しっくりこない」という現象が起きます。OPFやPFHで起きているのは、選択肢を増やすことではありません。選ばなくてもいい位置に一度戻ること。自分のフロアに戻ると、選択そのものが静かになります。迷いが消えるのではなく、「迷う必要がなくなる」のです。すると、無理に決めなくても考え込まなくても自然と「こっちでいいか」ではなく、「もう決まっていた」という感覚が残ります。これは直感を鍛えたわけでも、意識を高めたわけでもありません。自分の基準点に戻った結果です。PFHは、自分のフロアに戻ることで「他人の判断軸」から降りるヒーリング。OPFは、判断そのものが生まれる前のもっと静かな位置に戻る場です。どちらも共通しているのは、「何かをしなくていい」こと。戻ったあと、人は無理に選ばなくなります。そしてその結果、選ぶべきことだけが自然に浮かび上がってくる。それはとても静かで、でも確かな変化です。
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「優しさと、優しいふりの違い」

仕事でミスをしたとき、「大丈夫」「次はきっとできる」そう言われて、なぜか苦しくなることがある。怒られたいわけじゃない。責められたいわけでもない。ただ、起きたことを、起きたこととして扱ってほしい。なぜそうなったのか。何を確認すればよかったのか。次にどうすればいいのか。それを飛ばして無かったことにされるような対応は、優しいように見えて、実は関わりを放棄されている、ように感じることがある。言いにくいから言わない。空気が悪くなるから触れない。それは、相手のためというより、自分を守るための選択かもしれない。優しさと、優しいふりは違う。本当の優しさには、少しの重さと、覚悟がある。起きたことを曖昧にしない。相手を当事者として信じる。それが、誠実さなのだと思う。仕事だけじゃなく、日常の中にも。ふとした場面で、「まあいいか。そのくらい」そうやって、本当は指摘したいけど飲み込んでしまうようなこと。それは、優しさなのか、それとも…その思いの方向は、どちらに向いているのでしょうね。
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落ち着くはずなのに不安になるのは、戻る途中だから?!

ariosuヒーリングセンターのありおすです。「自分の基準に戻る」と聞くと、「ほっ」と、安心する人もいれば、逆に理由のわからない不安を感じる人もいます。落ち着くはずなのに、なぜかソワソワする何かを失いそうな気がするこのままで大丈夫なのかわからなくなるOPFを受ける前後で、こうした感覚が出てくる人が時々います。それは、長い間、自分の基準から離れて生きてきた時間があるからです。自分の基準で生きている時、人はそのように感じたとしても説明する事はほとんどありません。「今はこれでいい」と、自然に受け入れているからです。ですが、外側の基準で生きていると、正しさ評価役に立つかどうか安心できる居場所 等に無意識に頼り、自分の立ち位置を確認する癖がついてしまいます。OPFで調整が始まると、こうした「確認の拠り所」が少しずつ薄れていきます。すると、判断材料がなくなったように感じる今までのやり方が使えなくなる安心していたはずの考えがしっくりこなくなるこれが、不安の正体です。でもこれは、自分の基準に戻り始めているサインなのです。外に合わせていた感覚が静まり、内側の基準が表に出ようとする時、人は一瞬、足場を失ったように感じます。だから、この段階では「無理に答えを出そうとしなくていい」「前の自分に戻ろうとしなくていい」大切なのは、「何かをつかもう」としない事。「判断や結果を急ごう」としない事。OPFは、不安を消すヒーリングではありません。不安が出ても、元の基準からズレない状態へ戻すヒーリングです。揺れを感じる今は、調整がちゃんと進んでいる途中。安心は作るものではなく、後から自然に戻ってきます。
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「雪と共に降り積もる温度」

朝起きて外を見ると、深々と降っていた雪が積もっていた。早朝の雪は、夜と朝の間でわずかに青を帯び、時間とともに静かな白へと変わっていく。降り積もる雪は、そこに残っていた足跡を消し、一面の光る白へ。雪が降ると、いつも思い出す。切なさや、恋しさのような感情。それは説明できるものではなく、ただ、ふと胸に戻ってくる感覚だ。思い出には、温度があると思う。冷たいはずなのに、どこか温かく感じる、その不思議な感覚。印象に残った時間ほど、色や匂い、音まで一緒によみがえる。それだけ、心に深く刻まれていたのだと思う。雪と共に降り積もるのは、忘れたつもりでいた感情と、今の私を形づくってきた、記憶の温度。あなたの中に、懐かしい温度はありますか。
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気づきの種

認識のズレ、感覚のズレ。よくある話だと思う。ある時、デスクを作ってもらった。私の専用の場所がない、という話から、寝室の一角に用意してくれたものだった。私の中では、そこは「私の場所」だった。どう使ってもいいし、何を置いてもいい。そう受け取っていた。でも、夫にとっては違ったようだ。あくまで自宅の一部で、必要なときには誰もが使える場所。共有される空間、という認識だったのだと思う。あの日、机の上には、すぐ使うわけではないけれど、置き場に困るものをいくつか置いていた。それを見て、夫に言われた。「邪魔くさいから、早く片付けてね」その一言で、私たちの間にある認識の違いに気づいた。自分の場所を守るため、私は夫に伝えてみた。そこは私の場所として作ってくれたものだと思っていたこと。だから、好きなように使っていいと受け取っていたこと。でも、明確な答えは返ってこなかった。たったそれだけの出来事。大きな喧嘩になるわけでもない。でも、確かにそこには、ズレがあった。伝え方と、受け取り方。違いに気づいたとき、言葉にするのか。それとも、飲み込むのか。そんな小さな選択の積み重ねで、日常はできているのだと思う。何かが壊れたわけじゃない。でも、気づいてしまった感覚は、なかったことにはできない。その違和感は、責めるためのものでも、白黒をつけるためのものでもなくて、ただ、そこにある「気づきの種」なのかもしれない。あなたは、そんな小さな違和感とどう向き合っていますか。
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「揺らぎの中で見えてくるもの」

私は夫に愛されている。それなのに、その中にいる自分が、どこか落ち着かない。幸せなはずなのに、胸の奥に小さな引っかかりが残る。私は長い間、その感覚を見ないようにしてきたのかもしれない。「こんなに愛されているのに」そう思うたびに、違和感を覚える自分のほうが間違っている気がしていた。私は、自分の感覚を大切に生きている。そう言いながらも、ふと自分の中を見せたときに返ってくる、視線や言葉を、無意識に気にする自分がいた。意図せず評価されること。方向づけられること。やんわりとでも否定されること。だから、自分を守るために、少しずつ、出す量を減らしていったのだと思う。愛されている。でも、そのままの私ではない。その矛盾を、ずっと自分の中で処理しようとしていた。最近、自分のとらえ方が変わってきた。違和感を、消そうとするのをやめた。苛立つ自分がいる。未熟だと感じる瞬間もある。それを、良いとも悪いとも決めずに、ただ、そう感じている、とそのまま受け取る。それだけで、少し気持ちが楽になる。心の余裕は、前向きになることで生まれるのではなく、抱え込まなくなったときに、静かにできるものなのかもしれない。今も揺れている。でも、その揺れをなかったことにしなくなった。この揺らぎの中で、自分をどう感じるのか。そこからまた、見えてくるものがある。
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「ある夫婦の形」

穏やかに眠ったような彼の頬に妻はそっと「愛しています」とキスをする。自宅のベッドには、もう、目を覚ますことのない伴侶。身体には数本の医療機器の管がつながれている。 それでも妻は、最期の最期まで同じベッドで眠ることを選んだ。 細心の注意を払いながら、添い寝を貫いた。 夫婦であることを、特別に守ろうとしたのではなく、 ただ「いつも通りに一緒に過ごしていただけ」と妻は笑う。見た目はとても派手で活動的な妻。 一方で、夫は物静かで硬派な雰囲気。 アンバランスな夫婦だな、という印象だった。いつもそこにあったのは、静かで、深い愛。 最期は、こうでありたい。 心から「愛しています」と言える自分でいたい。 胸の奥の、もっとも深いところを貫かれたような感覚とともに、 私の理想とする関係が、はっきりと輪郭を持った瞬間だったように思う。
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「寄せ鍋のように」

カフェの真ん中のテーブル。 楽しそうに響く笑い声。 隣のおばちゃん達の会話が、やけに賑やかだ。 話のテーマは、コロコロ変わる。 テンポよく、結論なんて出ないまま。 ただ、それぞれが話したいことを放り投げて、 周りがそれに少しずつ肉付けしていく。 誰かの一言がきっかけになって、 別の誰かの記憶が重なり、 思いもよらない方向へ転がっていく。 時に笑い、時にけなし、 とりあえず頷きながら、また次の話題へ。 次は何がくるのか。 自分はどこで味付けするのか。 辛くする? 甘くする? そこに正解はない。 それぞれの感覚で、 それぞれの立場で、 その場にいる全員が、少しずつ鍋に手を伸ばす。 そうしていつの間にか、 ひとつの「楽しい時間」ができあがっている。 特別なことは何もない。 ただの、いつもの日常。 いつもの会話。 いつもの仲間。 でも、その軽さの奥には、 ふだんは隠している本音も、 スパイスとして、少しだけ滲んでいる。 そうやって毎日が積み重なり、 気づかないうちに、人生の地層になっていく。
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「吐き出していい言葉たちの話」

あの人は本当に存在していたのだろうか。今となっては、幻のように何の連絡も取れない。気配すら感じられない。それでも、確かにそこにいた。近づくと、ふっと力が抜けるような感覚があって言葉を交わさなくても、視線だけで通じている気がした。不思議と不快じゃなかった。ただ、見ていてほしかった。私は家庭を持っている。だから、最初から「そういうつもり」ではなかった。でも気づけば、過酷な日々の中でその人の存在が心の支えになっていた。夫には話さないことを、彼には話せた。答えを出されることもなく、評価されることもなく、ただ、受け止められていた。無責任な優しさだと、わかっていた。それでも、人はそこに安らぎを見つけてしまう。そして、知らないうちに自分の輪郭が、少しずつ曖昧になっていく。彼が残した言葉がある。「あなたは人のことばかり心配している。あなたの尊厳はどこにあるの?」痛かった。でも、その言葉は、私の足元を照らした。恋だったのかどうかは、今でもわからない。ただ確かなのはこの曖昧な関係がきっかけで私は自分の生き方を見直し始めたということ。今、私は人の話を聴いている。答えを出すためではなく、その人の言葉が、ちゃんとそこに在るために。吐き出していい言葉たち。置いていっていい言葉たち。それらすべてが自分の言葉だったと感じられるように。言葉にならない気持ちを、無理に整えなくていい場所として。もし、どこにも置けない想いを抱えていたらここにいます。。。
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「できない私を、ちゃんと見てみたら」

できない自分を見るのは少し勇気がいります。理由が欲しくなったり早くできる側に戻りたくなったり。ときには、誰かのせいにしてしまえたら楽なのに、と思うこともありました。見ないで済むならそのほうが気楽な気もします。私も、できない自分を前にするとどこかで目を逸らしていました。気合が足りないのかもしれない。考えすぎなのかもしれない。そのうち動けるようになるはず。そうやって、「今の私」から少し距離を取っていたように思います。でもあるとき、できないままの自分をそのまま見てみようと思いました。責めるためでも、変えるためでもなく。ただ、「そうなんだね」と確かめるように。すると、不思議なことにできない理由を無理に探さなくなりました。代わりに見えてきたのは疲れていたこと。守ろうとしていたものがあったこと。これ以上、無理を重ねたくなかったこと。できない私は、何も怠けていなかったし、止まっていたわけでもなくて。ちゃんと、立ち止まる理由を持っていました。できない自分をどうにかしようとする前に、ちゃんと見てみる。それだけで、少し呼吸がしやすくなることがあります。何かができるようになる前にまず、ここにいる自分を置いていかない。それもまた、進み方のひとつなのだと思います。もし、 一人で見つめるが少しつらいときは話すことで呼吸が楽になることもあります。 必要なときに、思い出してもらえたら。
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「わからないまま、今日はここにいていい」

何をどうしたいのか自分でもよくわからない。進みたい気持ちはある。でも、どこに向かえばいいのかが見えてこない。そんな状態のまま、時間だけが過ぎていくと、つい焦りが出てくることがあります。「何か決めなきゃ」「ちゃんとしなきゃ」「このままでいいわけがない」以前の私は、わからない状態にいることをとても不安に感じていました。答えがない=ダメ立ち止まっている=遅れているそんなふうに思っていたからです。でもあるとき、わからないままでもちゃんと息はできていることに気づきました。何かを決めていなくても、前に進んでいなくても、今日一日はちゃんと過ぎていく。それなら、無理に答えを出さなくてもいい。焦って方向を決めなくてもいい。「今日は、ここにいる」それだけでいい日があってもいいのかもしれません。わからない状態は、何も起きていない時間ではなくて、内側で何かが静かに動いている途中のこともあります。今はまだ言葉にならないだけ。形が見えていないだけ。わからないまま今日はここにいていい。その許可を出せたとき、心の奥の緊張が少しだけゆるむことがあります。もし、ひとりで抱えるのが少しつらいときは、話すことで呼吸が楽になることもあります。必要なときに、思い出してもらえたら。
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「頑張れない日の自分を、置いていかない」

今日はどうしても、頑張れない日だった。やらなきゃいけないことはある。頭ではわかっている。でも体も心も、前に進まない。そんな日はつい、「こんなんじゃダメだな」「またできなかった」と、自分に厳しい言葉を向けてしまいがちです。以前の私は、頑張れない自分を置いて“ちゃんとできる自分”だけを連れて前に進もうとしていました。でもそれを繰り返すほど、心の中に置き去りにされた部分が増えていった気がします。ある日、何も立て直さないで、励ましもしないで、ただ「今日は無理なんだな」とそのままの自分と一緒にいることにしました。何かが解決したわけでも、元気が出たわけでもない。でも、不思議とそれ以上つらくはならなかった。頑張れない日の自分を置いていかないでいると、心はこれ以上傷つかなくて済むみたいです。元気な自分だけを大切にしなくていい。ちゃんとできる日だけを自分だと思わなくていい。今日は動けなくても、それも含めてちゃんと「私」。そう思えた日は、少しだけ呼吸が深くなりました。もし、 一人で整えるのが少しつらいときは、 話すことで呼吸が楽になることもあります。 必要なときに この場所を思い出してもらえたら。
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ルミナスダイアリー 〜心のあかりをともす365日〜

Day218|12月5日(木)ふたご座満月|“自分の光に戻る日”꙳✧˖°⌖꙳✧˖°⌖🌱 今日のスピリチュアルメッセージ今日は ふたご座の満月。11月末に “土星逆行終了”“水星逆行終了”が続き、閉じていた扉がふわっと開く瞬間を迎えています。だから今の世界は、まるで「みんながいっせいに走りだす交差点」のようなエネルギーにあふれています。この満月が届けてくれるメッセージはひとつ。「自分のペースで、自分の行きたいところへ進んでいいよ」まわりのスピードが速いほど、心は自然と“静かな場所”を求めます。いろんな誘いも、チャンスも、ワクワクもやってくるけれど、“あれ?本当はどこへ行きたいんだっけ?” と立ち止まってしまったら…深呼吸して、こうつぶやいてください。「私が最優先だとしたら、いま何をしたい?」その答えが、あなたの“今日の羅針盤”になります。꙳✧˖°⌖꙳✧˖°⌖🔮 本日のタロットカードソードのエース|“迷いが晴れる瞬間”ソードのエースは「核心」「決意」「思考のクリアさ」を表すカード。ふたご座満月と同じく、“霧が晴れて、進む方向が照らされる” という象意があります。頭の中に流れ込む情報が多い日だからこそ、今日のあなたに必要なのは 一本の光。   •   やるべきこと   •   言うべき一言   •   行きたい場所   •   大切にしたい関係そのどれかが、スッと定まる瞬間が訪れるでしょう。迷っていた理由が、ほどけていく日。꙳✧˖°⌖꙳✧˖°⌖✨ 今日の“こころのチューニング”1|自分の「今日の最優先」を決める紙に1つだけ書き出すと、満月の力で実現しやすくなります。2|情報は“取捨選
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🌿第4章 第6話:「まとめ:自然はいつでもあなたとつながっている」

🌳第4章:「自然と話す――土地や木々と心を通わせる方法」第6話 自然は、いつも“静かに待っている存在” 風の音、木のざわめき、石の冷たさ、水の流れ。 それらは、自然が放つ“声”のようなもの。 でも、自然は決してこちらに踏み込んでは来ません。 ただ、こちらが「ひらいたとき」に、そっと響き始めます。 つながることに特別な力は要らない。 あなたの“感覚”が戻ってくるだけでいいのです。 触れる・感じる・つながる――それが日常にあるということ 木に触れる 空を見上げる 水に手をひたす 風を頬で感じる それだけで、自然はあなたと“ひとつ”になります。 スピリチュアルなワークではなく、 ただ“自然体でそこにいること”が、いちばんのワーク。 感覚がひらけば、日常のあちこちにメッセージが宿り始めます。 自然との関係が“心の安定軸”になる 悩んでいるとき、不安なとき、 自然の中にいると、なぜか少し安心する。 それは、“生命としてのあなた”が本来のリズムに戻ろうとしている証。 自然は、あなたが「自分らしさ」を思い出すためのチューニングパートナー。 気づいたとき、また会いにいけばいい。 自然はいつでも、あなたのことを覚えていてくれます。 あなた自身が“自然の一部”であることを思い出して 自然と話すとは、 本当は“自分と話す”ことかもしれません。 外側にあるように見えて、 あなたの中にも風が吹き、水が流れ、根が張っている。 だからこそ、自然とつながることで、 あなた自身の魂の声が聞こえてくるのです。 ✨エネルギーメッセージ 「自然は、あなたといつもつながっている。  それは、あなたが“本来の自分”と出会
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