やってあげたのに、という言葉

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「やってあげたのに」

なんだか引っ掛かる言葉だと思う。

さらにそこに「せっかく」がつくと、なんとも言えない気分になる。

「せっかく、やってあげたのに」

あなたのために、自分の時間を犠牲にしてまで行動したのに。
なぜ、その行為を無駄にするの。
なぜわかってくれないの。

受け取る側としては、そんな重たすぎる怨念に近いものがくっついてくる感覚がある。

何か言わずにいられないのなら、
「やってあげた」ではなくせめて
「できてるよ」くらいのほうが、
受け取る側としては気が楽だ。

でも本当は、見返りを求めるでもなく、その時に必要なこととして、もしくは自分がやりたいこととして静かに渡す。
そんな行動のほうが、受け取る側をはっとさせる。

言葉で伝えられたことは頭で処理される。
でも言葉なしに伝わってきたものは、胸に届く。
そこに相手の思いを感じて、自然と言葉として現れる。

言葉で回収しようとすると、相手の「ありがとう」が遠ざかる。

黙って行動すると、相手のほうから「ありがとう」が生まれてくる。

ただ、親子のような近い関係では、その無言の行動が日常に溶け込んで、
「やってもらうこと」が当たり前になっていく。

それが日常というものかもしれない。

でも、当たり前のようにやってもらっていることにこそ、
相手の時間と意図がある。
それを一度でも想像してみると、無意識に口にしていた「ありがとう」の温度が、少し変わってくるかもしれない。

同じ四文字なのに。

言葉で与えると言葉は遠ざかり、行動で示すと言葉が返ってくる。
そういうこともある。
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