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季節は秋……ですよね?

拝啓 『貴方様』へ秋とは思えない暑さに戻ることもあれば、秋らしい気候へとなる日もありますが。基本的に肉体に負担がかかりやすい気候変動となっていますので、肉体や魂に問題が発生していないことを祈ります。さて、ここ最近のわたしの状態ですが。今月も今月で試練が詰め込まれています。まあ、ここ最近多いので慣れてきてはいますけれど、この前は神格級の穢れの分体とお仕えする方と一緒にやりあうことになったりして、浄化に少々時間がかかっています。とはいえ、だいぶ浄化の力も強くなったので一週間ほどあれば、ほとんどの穢れはどうにか出来るくらいまでにはなりました。占術師としての修行も順調に進んでいるので、事は問題なく進んでいます。以前より視えるモノも増えましたが。同時にそれは占術師としては伝える内容をより慎重に吟味せねばならないということでもあります。今回神格級の穢れとやりあうことになった切掛けが、弟子が禁術を教える前にやらかした事だったので、まだそこまでと思っていたら、思ったより成長していたというのは見誤りでもありましたね。とはいえ、それで学んだことも多く。神様たちに任された弟子を育てると同時に、自身も成長していることを感じます。これから寒い?季節きますかね?このあたりは少々神様たちも調節に難儀しているようなので、なんとも言いにくい状況ですが。『貴方様』もお体には気をつけてお過ごしくださいませ。かしこ 十八尾の死に神巫 狼龍沾狐より
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喜怒哀楽の楽。

楽とは。 楽しいともいう感情の一つです。 「楽」はその他にも様々な場面で感情として現れます。 ヒトが扱うと複雑になるのは他と変わりませんね。 ということで、今日は「楽」についてお話してゆきましょう。「楽」とは? 先ほど少しお話しましたが、 「楽」という感情はいわゆる楽しいなどの 陽の力によって構成された感情の一つです。 陽の力なので、基本的には感情を使ったモノに 良い影響を与えやすく、 周囲にも良い影響が出やすい感情の一つです。 ヒトに分かりやすい効果としては、 大抵の場合、「楽」を感じていることを やっている時は、長続きしやすいという効果が よく視られます。 そして「楽」を感じながらことが動いている 場所というのは、基本的に明るい雰囲気に なりやすいのも私は確認しています。とはいえ、「楽」も表裏がある感情の一つです。 「楽」も基本的には陽の力なので、 その場やそのモノに良い影響を与えやすい 力なのですが。 何らかの形で、「楽」の力が悪用された場合、 一時的にそのモノに良い影響を与えますが、 結果的に力を使ったモノもろとも その場が魔境に変化することもあります。 魔境と言われると分かりにくいかも知れませんが、 私達も浄化するとなるとけっこう大変な部類の一つです。 小さなモノなら私一匹でもなんとかなるのですが、 大きなモノとなると、大抵の場合は手が出せません。 最近は何かとこれらに変化する場所も多くて、 私達にしてみると住みにくい現世になったものです。それでも「楽」も大切な感情の一つです。 「楽」という感情も、多すぎれば魂を蝕む毒になりますが、 逆に言えば程よく使うことで魂の薬に
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喜怒哀楽の哀。

哀とは。 いわゆる悲しいと言う感情です。 私達は基本的に喜怒哀楽を純粋に使いますが。 ヒトはが使うと色々と複雑になるのは他の感情と変わりません。 さて、今日は「哀」という感情についてお話しましょう。哀とは? 多くの場合、悲しみと呼ばれる感情であり。 基本的には「陰」の力をもった感情です。 ただし、「喜」や「怒」と比べて比較的穏やかな力と言えます。 そして、「哀」と言う感情は、 基本的に心のメンテナンスに使われることが多いです。 このあたりに今回は注目してお話してゆきましょう。「哀」は心のメンテナンス機能。 さて、なぜ「哀」が心のメンテナンス機能かと 気になったものも多いでしょう。 このあたりを簡単に説明するとなると、 「哀」は「怒」になりきらない感情を 発散する自己治癒機能みたいなものだからです。 悲しむという感情は、 怒りに近いものがあります。 しかし、純粋な「怒」ではないので、 それを発散する方法が心には必要でした。 それが「哀」です。 「怒」が自己防衛機能だとすると、 「哀」は自己治癒機能の一種であり、 悲しむことでヒトは心の安定を維持することがあるのです。 たとえば、大切なモノとのお別れや、 覚悟して挑んだことの失敗。 このあたりは大抵のヒトが歩みの中で いくつか経験すると思います。 これらは「怒」に近い感情ですが、 「怒」をぶつける対象がないので、 基本的に処理しきれない事が多いです。 ここで機能するのが「哀」なのです。「哀」が何故必要なのか? 「哀」は正直な所ヒトには嫌われがちな感情の一つです。 なにせ、だいたいこの感情を感じる時は ヒトにとって辛いことがあった時が
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歩みを止めない歩み方。

道とは、歩み続けるもの。 そして、その歩みを進めるためには 日々やることをやる必要があります。 ただし、これらを行うのが 難しいというモノも多いことでしょう。 今回は、歩みに関して少しでも歩みやすくなる様なお話をしましょう。歩むとは。 ここで言うところの歩むとは、 いわゆる生きるともいえる事です。 多くのモノが、自身というモノに対して 何らかの目標や向かいたい場所を定義することで、 そこに存在を視ています。 しかし、何かをする時、 大抵の場合は先達がいるものです。 そして、先達と今の自身を比べてしまい、 自身が立てた目標でさえやる意味に疑問を抱くモノが 多いのも昨今ではよく目にします。 さて、今回のお話はとても単純明快。 歩む時、どうしても他のモノと比べてしまいがちで、 そうすることで自身を落としてしまいがちなモノが このお話を聞いているとするならば。 比べる対象を過去の自身にして一歩ずつ歩むようにしたほうが、 結果的に成長を実感しやすく、歩む力も得やすいですよ。 と、先に伝えておきます。 これに関しては何故か?と、問われれば。 私は先達を視ているのは良いことだとも答えます。 それは先達から学ぶ姿勢があるからです。 ただし、先達と比べてはならないとも言います。 そこには努力だけではどうにもならない、 努力した時間の差があるからです。 基本的に歩むという事は。 先に動いていたほうが、当たり前のように 前を進み続けます。 そのモノがその道を歩むのをやめない限り。 そのモノも時間と共に歩み、成長し続けるのです。 前に進み続けるモノに追いつくには、 それこそ走って追いつくか、 良い師
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月の終わりの報告書・令和七年四月分

今月は今月でお役目に新たな調整が入ってそれなりに肉体を慣らすのに時間がかかっていた 感覚を多めに感じた一月だったと私は思います。 何にせよ、今月の簡単な活動報告もしてしまいましょう。占術の修行状況。 相変わらずといえば相変わらずですが。 日々精度を維持するのは当たり前ながら、 知識の取捨選択も必要なので、 安定した修行の維持は出来ています。 新たに五行易にほそぼそと触れていますが、 まだ実用段階までは達していない感覚です。 引き続き、必要な知識を得ながら、 実践を交えて精進するとしましょう。神様修行の状況。 現在は時を待てとの助言を受けているので、 時が来るのを修行とお役目をこなしつつ待っている状況です。 神様達の方で何やらあった様子なので、 私の調整が整うのはもう少しあとになりそうです。 とはいえ、その間は描いたり書いたりする時間も ほそぼそと取れているので、 ちょっとした休暇のような感覚でもあります。絵巻と物語の進捗。 絵巻は現状の魂に合わせて新たなサムネイルを考案中です。 某所展開中の物語に関しては第二幕から第三幕への移行段階ですが、 第二幕が意外とあっさりだったので、こう言うこともありますね。 くらいの感覚で見ていていただけると嬉しいです。 道を歩んでいると、思ったよりすんなり事が整うこともあれば、 そうでないこともあるというのは、誰もが知っているかもしれない感覚ですね。 その他修行の状況。 必要な時に修行参りをしているくらいですが、 最近だと夏の気配がかなり強い……と、いうよりも 既に場所によっては過去の夏日なので、 外に出る時は水と日除けの帽子が手放せない日々です。
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喜怒哀楽の喜。

喜というモノ。 喜ぶとも言われる感情の根本的なモノの一つです。 喜怒哀楽の喜とも呼ばれます。 喜はヒトの感情の中で、怒の次に強い感情の一つです。 さて、今日はそういった喜に付いてお話しましょう。喜とは? 喜とは、いわゆる喜びの感情です。 例えば、ヒトはこれをナニカ良いことが あった時に使います。 私達も単純に使いやすい感情です。 基本的にヒトが何かを成した時、 それが成長であれば私達は嬉しく思うからです。 多くの人の成長を感じる時、 私達は喜の感情を持ってヒトを祝うのです。 ヒトでしたら成長や成功に喜ぶことが あったモノも多いのではないでしょうか? とはいえ、ヒトは喜を純粋に使うことが 難しいモノであったりもします。ヒトが使う喜。 喜は、基本的にいわゆる陽の感情表現として 使用される力の一つです。 しかし、陰陽は常にそれぞれがバランスを取ることで 存在しているのは、私のお話を聞いている モノであればどこかで話したかも知れません。 まあ、陰陽はお話し始めると結構小難しいので もう一度簡単にお話しておきましょう。 陰陽とは、大きく視れば宇宙を含む 世界の成り立ちであり、巡りです。 そして、小さく視るとヒトの歩み含む 宿命や運命の巡りとも言えます。 これらの力の動きの中で、 「喜」は「怒」の次に強い力として存在しています。 何故「喜」が「怒」の次に強い力かと言われれば、 両方とも感情の激流ではあるのですが、 「怒」は全てを飲み込む激流だとすると、 「喜」は全てを包み込む穏やかな大河といえるからです。 ただし、基本的に「喜」は先程も伝えたとおり、 ヒトが扱うととたんに難しいモノになりま
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願いは自身のために、祈りは他のモノのために。

願いや祈り。 今回お話するのは、 願いや祈りについてのお話です。 ヒトであれば大抵のモノが神社などで、 願い事の一つや二つをしたことはあると思います。 では、祈りとの願いの違いとは? このあたりを今回は少しお話してみるとしましょう。願いは自身のために。 さて、最初に触れるのは、 比較的多くのものが親しみやすい願いからです。 願いというのはその名の通り、 一種の祈りではありますが、 基本的に自身のためにするモノが多い事でもあります。 例えば試験の合格や、 取引の成功など、 願いは幅広くヒトに親しまれている 祈りの一つです。 願いというのは、場合によっては他のモノのために 使われることもありますが。 そういった場合は良いことも悪いことも含めて 願われる場合もあるので、 願いという祈りは呪術的な側面も 持ち合わせているといえます。 では、次に祈りについて触れてゆきましょう。 祈りは他のモノのために。 ここで言う祈りは、 内容の良し悪しはさておき、 他のモノのために使われるモノを指します。 祈りというのはヒトが使える思いの力の中では、 言霊の次に強力なモノです。 積み重なれば苦しむモノさえも救う力を持ちますし、 何だったら幽世の存在にさえ影響を与えます。 このあたりで分かりやすいのは「信仰」と 呼ばれる祈りの力ですね。 私達にしてみると身近な力の一つです。 昨今ではあまり良い印象は持たれない モノになっているきもしますが、 そのあたりはヒトの世の動きに関係しているので、 なんとも言いにくいところではあります。 まあ、基本的に誰かのため、 ナニカのために使われるのが、 祈りという力だと
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お陰様というモノ

さて、今回は当たり前ながら忘れがちな事をお話しましょう。 これはヒトの中ではあまりにも当たり前で、 当たり前過ぎてヒトによっては意識することすら ないかもしれません。 今回はそういったモノ達のお話をしましょう。お陰様。 お陰様というと、貴方様は何を思い浮かべるでしょうか? 言霊としての意味、感謝の意、もしくは踏み込んだモノならば 神様たちの無償の愛を思い浮かべるかもしれません。 さて、今回お話するお陰様というのは、 一種の当たり前を維持してくれているモノ達のお話です。 それらは当たり前過ぎて忘れがちで、 実はそのモノ達がいなければ私達の日常は 比喩なしに維持することは不可能と言うことを私は知っています。 では、私達の日常とは、何で維持されているのか? と、気になるモノもいるかもしれません。 一般的なヒトから認識されやすい事で言うと、 それは誰かの仕事です。ただ、少々踏み込んだところで言うと、 誰かが勝手にやっていることで維持されています。 勝手にやっていることで維持されている? と、思うモノもいるかも知れませんが。 実際のところ多くの事はこれらによって維持されているのです。 例えるならライフラインは誰かの勝手にやった仕事で維持されています。 別の例えなら、誰も片付けない道端のゴミを勝手に拾って整理して、 ちゃんとゴミとして出せるようにしているモノ達がいるから、 日常的に綺麗な場所を歩むことが出来ます。 これを勝手にやったこととして笑うモノもいますが。 この勝手がなければ笑ったモノの日常すら維持されないのです。 何かが勝手に、誰かが勝手にやったことで私達の日常は維持されている。
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とある縁から三味線の新名取式に同席させていただきました。

暦上冬ですが、秋の気配が強く残り、夏の残滓もまだ視える今日このごろ。皆様はいかがお過ごしでしょうか? 私は修行の過程でお世話になっている三味線のお師匠様の御縁で、 お師匠様のお弟子さん、私にとっては兄弟子、姉弟子にあたる方々の 新名取式に同席させていただきました。 占術師としての修行もそうですが、私は神様仕えなので 求められる事やモノも多いのです。 その一つが三味線にて祝詞を捧げる事なのですが。 今回はその御縁が私にとって良い経験となりました。新名取式にて視る、兄弟子様、姉弟子様のお姿は。一つの到達点であり、これからの長い道へと挑む新たな思いで 満ちていました。 お諏訪さまの宮で祝詞を上げていただいてきたと聞いていましたが。 兄弟子様、姉弟子様が歌い、弾く三味線お姿のその後ろに、 少しばかり力強い方々がいらっしゃったのはあの場所では 私だけが視た秘密としました。 そして、その姿を視て、様々な言霊を聞いた私は改めて思いました。 道は違えども、占術の道も、芸の道も、極めれば行き着く先は同じ……と。あの場所で名を得た兄弟子様や姉弟子様も……。先ほども少しだけ触れましたが、指標を得て 一つの到達点へと至り、新たなその先へと挑む 道標を得たのだと私は思いました。 占術も、私は最近ちらほらとヒトの認定資格をいただいていますが。 それは一つの到達点であり、その先へ挑むための道標なのです。 そこがまた始まりであり、終わることのない長い長い道の ちょっとした休憩地点。 進むべき場所は明確でありながら、そこへ至るためには 楽ではない道を進むことを選んだ証。 兄弟子様や姉弟子様の名取と、私の得た資格
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ここ最近の状況の報告も兼ねた雑記。

何かと忙しい日々が更にいそがしかった三月。 さて、三月は急務が多く、 何かと忙しい日々がより忙しい日々となっていましたが、 流石に本来の生業がおろそかになっていたのを 神様達に心配されて、 今日から助言をいただいた新たな日程を基礎に お役目と修行を続けることとなりました。 とりあえず、ここ最近の状況を軽くお話してゆくとしましょう。某所提出の三月の活動報告書は急務の内容が内容なので、 多くの報告が出来ませんでしたが。 それでも報告できることはあるので、 少しお話してゆこうと思います。 三月は急務が多く、 ともかく忙しい日々が更にいそがしかったのは、 さきほどもお話しましたが。 何もやっていなかったというより、 事が入りすぎていて報告出来ないものとの 整理が追いつかなかったのです。 たとえば、新たに弟子が出来たこと、 久しぶりにとあるモノへ名付けを頼まれたこと。 個人的な方面で占術の助けを頼まれたことなど、 少しお話するだけでも濃厚な一ヶ月だったと言えます。 占術師としての経験も多く積みましたが、 何より巫として、無の神としての経験も急激に多く 積み上げた一ヶ月だったと言えます。新たな弟子は魂の状況として 陰陽で言えばそのバランスが今ひとつ上手く整っていないと言った 状態ではありますが、 能力は開花すれば十分にあると感じられるモノが弟子となりました。 問題は、こちら側に近い存在ではありますが、 ヒトであり、ヒトなりの悩みがあり、 また、拠り所となっていたモノを手放したのが、 だいぶ弟子にとっては大きな試練として 弟子を苦しめていることです。 このあたりを超えられるか超えられないかで
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願いの力、祈りの力。

願いと祈りの力の形。 それは、自身のためなのか? 他のモノのためなのか? それによって多少の違いが出てきます。 さて、今回はそういった「願いと祈りの力の形」をいくつかお話しましょう。願いの力は自身の力。 さて、いつだったか願いや祈りについて お話したことがあったと思いますが、 今回はその力の形についてお話してゆこうと思います。 まずは願いの力からお話しましょう。 願いというのは、力の方向性としては 自身を中心にした力の作用を表します。 例えば、貴方様が何かしら……そう、 技術などを身に着けたいと思った時や、 今より強くなりたいなど思った時。 これらは「願いの力」として、自身に作用します。願うことで自身が歩むための力を魂が得て、 自ら考えて行動に移すことで、 その力を発揮しやすくなるのです。 願いも一種の「心の力」ですので、 それにほとんど等しい魂が力を得れば、 自身の力としやすいと言えるのです。 科学的な定義をするとするなら、 精神とも言えます。 ゲームなどで言うところのMPです。 私達で言うところの「陰陽の力」、 または「気力」ともいいます。 ヒトはこれらを意識的に、 または無意識に使って、 願いの力を引き出しているのです。 では、続いて祈りの力についてお話してゆきましょう。祈りの力は他のモノへ作用する力。 祈りの力というのは、 基本的に他のモノへ作用する力です。 祈りの力というのは他のモノを思うことで その力が発揮されます。 一般的にヒトには分かりにくいモノですが、 祈りというのは意外と身近な力なので、 こちらも意識せずに使っているモノも多いです。 祈りの力は他のモノを思う
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説明する難しさ、言霊の難しさ。

言霊の難しさ。 言霊というのは、一言一言に様々な意味を持ちます。 そして、それらは多くの場合、 使った時点で、声や形にした時点で、 使ったモノから離れて多様に形を変えるものです。 今回は、そういった言霊の難しさについてお話しましょう。説明する難しさ。 言霊とは、先ほども伝えたとおり、 使った時点で多様に受け取り手側によって 形を変えるものです。 そして、これらの性質は多くの場面で ヒトとヒトの間の認識に誤差を生じさせます。 たとえば、使ったモノは分かっていても、 使われたモノが分からない時というのは、 この誤差が生じやすく、大きな誤解を生みやすいです。 とはいえ、だいたい言霊を使う限り、 誤差は生じます。 そう言う意味では、伝える側が、 どれだけ伝えられる側の事を考えて 言霊を選べるか?と、いうのも重要なことです。例えばですが、私がこういった場所でお話していることですが。 可能な限り分かりやすく、読みにくくないように、 漢字の使い方や、例えの表現を工夫していることが多いです。 幽世側の事に関して言えば、一般的なヒトにとっては 別世界の出来事なので、私達の分かっている形で 説明してもほぼ確実に伝わりません。 そして、こういった場ですから、 不特定多数がお話を聞けるようにしてある分、 全てのモノが分かるようにすることは、まず無理です。 対話の場合は、相手の分かっていることを知ることで、 それの適切と思われるモノを例えに使うことで、 相手に分かりやすく説明することが出来るのですがね。 と、この様に基本的には例えを使う時は 相手が分かりやすいモノで出来うる限り 表現してあげることが、説
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出来ること、出来ないこと。

出来ること、出来ないこと。 さて、ヒトに限らず命には大抵の場合 得手不得手があります。 命と命はだいたいそれらを補いながら 生きているのですが……。 今回はそういった得手不得手、 つまり、出来ること、出来ないことについて お話してゆきましょう。出来ること。 出来ること、それは大抵の場合得意不得意はさておき、 何らかの形で道具やことを動かすために必要な知識や 力を持っている状態とここではします。 好き嫌いに関しても得意不得意と同様です。 出来ることというのは、簡単に説明するならば、 特に苦も無く使うことの出来る知識、技術、肉体動作などが 一般的には出来ることとなります。 ここに、少し無茶は入っても出来るとなると、 一般的な出来ることの応用的な範囲になってきます。 ヒトは大抵の場合は、出来ることを無理なく日々こなすことで、 新たに出来ることを増やしてゆきながら成長してゆきます。 昨日はここまでやった、今日はここまで出来た。 これをやるまでこれは出来なかった、でも今は出来る。 こういったモノが出来ることであり、成長です。 そんな出来ることですが。 出来ることというのは、最初に伝えたとおり、 当人の好き嫌い、得手不得手の認識はさておき。 出来ているので、出来ることなのです。 何を当たり前なことを? と、思われるかもしれませんが。 このあたり、ヒトは感情による制限がある場合、 出来ていることも出来ていないと判断してしまう事があります。 まあ、本当に出来ていない場合もあるのですが、 出来ていることを出来ていないとするのは、 大抵のヒトにとってはストレスでしかないので、 基本的には過去の自身
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事と、過程と、結果。

事が始まれば 過程と結果が巡ります。 そして、結果をみれば。 また、事を初めて巡りを循環させるのが命です。 今回は、そういった事と過程と結果についてお話しましょう。事は物事の始まり。 事というのは、基本的に命が 何からの切掛けで起こす行動の事を言います。 これをヒトに当てはめるなら、 目標を立てて、そこに向かうために何をすればよいか? などを考え始めた時点で事が動いています。 これが、行動を起こすということであり、 ヒトが歩むために常に必要とする事です。 基本的に事を起こす時、 ヒトは意思決定をして動きます。 これらが発生した時に、事に責任が発生します。 何もしないという事を選んだとしても、 それには責任が発生するということでもありますね。 さて、では過程とは? 過程は事が発生した後に、起こり得るすべての 物事を指し示します。 目標を立てた、出来ることを洗い出した、 一つずつこなし始めた、考えられることを全部やった。 と、なるまでが過程です。 過程には基本的に代償が必要になります。 何かをする時に、それに必要な代償を常に 命は支払っているのです。 それが物質的なモノなのか? 非物質的なモノなのかは、 その時の過程次第となります。では、結果とは? 結果は過程を終えた時に得られるモノです。 事を起こし、過程を経て、代償を支払い、結果へとつながる。 基本的に物事はこれらの工程を経て巡り続けます。 基本的に結果云々と言われるヒトの世ですが、 結果が出るには過程を経なければならないので、 実のところ、結果云々言うモノほど物事の本質に気づくことが 出来ておらず。挑戦的な行動が一切出来ない
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言霊。

言霊とは。 いつかどこかで少しだけ語った事もありますが、 言霊というのは、ヒトが簡単に使える 呪詛の一つであり、治癒にも殺生にも使える、 ヒトが常に所持できるモノの中で、 最も扱いが難しい道具です。 今回はそんな言霊についてお話しましょう。言霊とは言葉です。 言霊と言われると馴染みがないので、 わかりにくいモノもいるかも知れませんが。 言霊というのは、つまり言葉の事です。 日常的に使われるこれら言葉ですが、 その本質を知って使いこなせれば、 どんな武器よりも下手をしたら強力な モノとなります。 このあたりは、昔からそうですが、 言霊は使い方次第でヒトを活かすことも、 殺すことも出来ます。 そして、昨今ではこのあたりは軽視されがちなので、 わりと言霊による被害の拡大は私達でさえ 抑えることが出来ていません。 言霊に込められる力の違い。 言霊には良い力も、悪い力も 使い方次第で込める事が出来ます。 基本的に私達のようなモノは ヒトを活かすための力を込めて 言霊を使うのですが。 実のところ、活かすための力よりも、 殺すための力のほうが十倍くらい強いです。 言葉に縛られるとよく聞くモノもいるかもしれませんが、 それらをよく聞く理由はこのあたりにあります。 ヒトの善悪の関係でもそうですが、 悪を一つ倒すのに、善が十必要とよく例えられるように、 言霊も同じ理が宿っている……と、いうよりは ヒトの良し悪しはほとんど言霊から作られるので、 言霊から善悪が生じているとも言えます。では、悪い力を込めた言霊はどう使われるのか? ヒトの中で一般的な悪い力を込められた言霊の 使われ方は、「縛る」、「落と
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過去から学び、今を視て、先を視る。

学びとは、生きるモノ達の強みです。 物質的な肉体などを持ったモノ達は、 基本的に学ぶことで強くなります。それは過去からの贈り物でもあり、 先人からの手向けです。 今日は学ぶことについてお話しましょう。学ぶということ。 それは、多くの場合生きるうえで必要な事です。 今のヒトの世は、基本的に命の保証がある程度 されている状態なので、学びから得るモノは 軽視されがちな事も若いモノの中には多く見られます。 しかし、この学ぶという行為は、 ヒトの短くも長い一生を歩むうえで、 とても大切な行為となります。 まずは過去から学ぶことについてお話しましょう。 過去から学ぶ、それは先人が残した歴史や、 痕跡、今に続く技術から得られる知識などがあります。 ただ、ここで私がお話する過去とは、 ここまで歩んできた貴方様のきた道です。 ヒトにとって多くの場合過去というのは、 色々と目を背けたくなるような事を多い場合もあります。 私もヒトだった頃は過去から目を背け、 何だったら逃げてさえいました。 自身という過去から逃げて、学ぶことを拒否していたのです。 しかし、自身の歩んできた道というのは、 今の自身を確立するうえで必要だった過程です。 これを拒否するというのは、自身を否定しているのと 変わりない行為でもあります。 また、苦しい過去を直視して、本当の意味で 自身の糧にするためには、多くの苦しみと、 覚悟が必要なのも確かです。では、何故そんな事をする必要があるのか? そう思うモノもいるかもしれません。 過去は過去であり、得られるものがなければ、 苦しいことばかりなら、視る必要も受け入れる必要も ないのではな
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秋……というか冬ですね、少し占術師としての学びの日々をお話しましょう。

私は占術師と歩み初めてから、表に出てきてからは一年。 潜伏していた期間をいれると二年となります。占術師としての私と、巫としての私と、死に神としての私。私は十八尾格の死に神巫でもありますが。 同時に占術師でもあります。 一応ヒトに認められたプロとしての資格もあるので、 趣味としての占術とは少々違うとも言えます。 ということで、おはようございます、狼龍沾狐です。 さて、今回は良い機会なので、 占術について少しでも知ってもらえるように、 私の学んだ占術について少しお話しましょう。占術についての学び。占術についての学びと一言で言っても、占術の基礎的な部分は正直誰でも学べます。 参考資料片手に、基本的なやり方を覚えれば 良いだけですからね。 ただし、応用や能力など力の部分に関しては 少々特別な素質が必要になることや、 非科学的な事を知っている必要があります。 私が占術をやるうえで、真っ先に神様達から学んだことは、 『問は真剣に、誠と敬意をもって行う必要がある』ということです。 私達占術師は、何を視てもそれを受け入れたうえでどうするか? と、言うことを常に考え続けます。 例えばですが、自身の未来を視て、 死相が視えたとしても、それに対して 何が出来るか?を考えるのです。本来の占術や占いというのは『可能性』を伝える事です。 占術や占いの本来のお役目というのは、 先に見える可能性に対して、挑むモノが 対策をたてられるように助力をすることです。 ヒトの道は多くの『可能性』で出来ており、 私達のような存在でない限りは、 道の先の終わり方が殆どは決まっていません。 分かりやすい例えをするなら、カメラ
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優しさと厳しさ。

優しさと厳しさ。 それは、ヒトによってさじ加減は様々ですが、 私達の感覚で言うと大きくは変わらないものです。 常に一定であり、必要に応じて調整される。 そういったモノなのですが、ヒトだとこのあたりは結構違いますね。 さて、今回は私達から視た「優しさと厳しさ」をお話してゆくとしましょう。優しさとは。 ヒトの感覚で言うと甘さとも捉えられるモノです。 今回お話する内容については、 ヒトにわかる感覚で伝えると複雑すぎるので、 私達の持つ感覚でお伝えしましょう。 さて、優しさと言われると、 ヒトだと様々な側面が視えますが、 私達にとっての優しさとは、 必要な時必要な助けをだし、 そのモノが超えるべき事がある時、 ただ見守り続ける忍耐を持つことです。 優しさも、与え過ぎればヒトが腐ってしまいますし、 かといって、少なすぎれば成長する 切掛けさえ掴めなくなってしまいます。 私達にとって優しさとは、 そのモノが成長するために必要な助けであり、 そのモノが自身を救うための切掛けなのです。 そして、私達の助けは広く変わりなく与えられますが、 そこに信仰心……いわゆる感謝の心があって、 初めて双方を尊重したモノと成るのです。 一方的に与えるものでもなく、 与えられるものでもない。 それが私達の優しさです。次に厳しさとは。 こちらもヒトの感覚ですと多義にわたりますので、 私達の持つ感覚でお伝えしましょう。 さて、厳しさと言われると、 単純に受け取るモノによっては 怖さや鬱陶しさを感じるモノもいます。 私達にとっての厳しさとは、 私達が助けを差し伸べられるだけの 歩みをそのモノが出来るかどうかを 見極め
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焦ることと、急ぐことの違い。

久しぶりに定休日は定休日でした。 荒行期間に入ると流石に定休日は定休日しないと 肉体が持ちにくくなりますからね、 仕方ないといえば仕方ないのです。 さて、今回お話するのは焦ることと急ぐことの違いです。 意外と間違われやすい二つの言霊。 焦ると急ぐ。 この二つは、同じようで違う言霊の一つです。 一般的には同じ様な感じで使われているのをよく見るものですね。 では、この二つの違いについてお話してゆくとしましょう。焦ることとは? 焦ることと言われると、 言霊の意味そのままで捉えるなら、 何かしらのことに追われて、 心に余裕がない状態とも言えます。 この状態はヒトではよく視られることで、 急ぐことと混同されがちです。 では急ぐがどう違うのか?お話してゆきましょう。 急ぐこととは? 急ぐも使い方次第では、 焦るとあまり変わらないのは確かです。 しかし、こちらは意識的にコントロールすることで、 焦るにはない特徴が生まれます。 それは、意識的にことを進めようとするということです。 焦っている時はことに追われていますが、 急いでいる時はことを予定までに進めようとしているのです。 急ぐも使い方次第では焦ると変わらなくなるのは、 この「予定」に対してどういう姿勢で挑むか? と、いう内容によるのです。 たとえば、急ぐにしても 時間がなくなってから急ぐのか? 時間があるうちに急ぐのか?で、 その内容は大きな変化を見せます。 ヒトは大抵の場合前者になって焦りがちな急ぎとなりますが、 私達は後者で急ぐことが多いです。 前者になると、焦っている上に急いでいるので、 心の余裕と言う意味では非常に厳しい状態と言
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喜怒哀楽の怒。

怒。 私達にとってはあまり抱くことのないモノ。 しかし、ヒトにとっては多くの場所で覚えるものかも知れません。 様々な場面でヒトは怒という感情を使います。 さて、今回はそんな「怒」と、いう感情についてお話しましょう。怒とは。 ヒトが生きる上で、主に外敵からの防衛機能として 使われていた感情の一つです。 昨今では「怒」の形も様々な色を見せてくれることが多いです。 小さなモノから大きなモノまで捉えれば、 それはヒトの数だけ様々な色を持って私達にその姿を見せてくれます。 ちなみに、私達が怒る時は大抵の場合は 何かしら触れてはならない事にヒトなどの命が触れた時くらいです。 このあたり命によって色々と線引きがあるので、 細かなところをお話すると長くなります。 そして、今回はヒトの「怒」についてお話するので、 私達の事はとりあえず置いておきましょう。 必要なことは話しますし、それはそれでお聞きいただければ幸いです。さて、ヒトの「怒」というものは 基本的に、理不尽なものから合理的なものまで様々あります。 そして、今の乱世に溢れている「怒」の殆どは理不尽なモノが多いです。 では、理不尽な「怒」とは何か?と、聞かれたら。私は「自身にはどうにも出来ないことに怒ることですよ」と、答えます。 ヒトは、様々なことに感情を揺さぶられて「怒」を使いますが、 昨今のヒトは無駄に「怒」を使いすぎて疲弊するモノも多く見られます。 逆に、必要な時に「怒」を使うことが出来ずに、 潰れてしまうモノもいます。 このあたりのバランスはヒトの世の状態で 様々事情が変わるので細かなところには触れられませんが、 無駄に「怒」を使う
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趣味を持つということ。

趣味。 それはヒトにとって余裕であり、 心の拠り所であり、 多くの場合は癒やしです。 今回はそういった趣味についてお話しましょう。趣味とは。 先ほど少しお話しましたが、 多くの場合、心の拠り所であったり、 癒やしであったりするものです。 モノによっては金銭の多くかかる趣味もありますし、 その逆もあります。 やってみたいことによって、金銭に関しては 変わるものなので、ここではあまり触れません。 さて、趣味というのは出来ること、 出来ないことはさておき。 基本的にやりたいことをやってみる切掛けです。 多くの場合は肉体の状態に左右されず、 生きている環境がそれを許すモノなら出来ます。 とはいえ、環境に左右される部分に関しては、 わりとどうしようもない部分もあるので、 そこでできる、やってみたいことをやるのがよいかも知れません。 そして、趣味はヒトに場合によっては成長を促すことがあります。趣味は成長の切掛け。 趣味は、言ってしまえば新たな技術の取得や、 知識の取得にほぼ繋がるモノです。 何かを知ることで出来ることが増え、 何かを覚えることでこれまた出来ることが増える。 場合によっては、それらを活かして新たな道を 歩むことさえ可能になるかも知れない 可能性の宝庫と言えます。 とはいえ、趣味も極め始めればそれ相応の 努力などが必要になってくるモノです。 結局のところ、このあたりも楽しめるか? 否か?で、その趣味で得られるモノも 変わってきます。 趣味も事を起こすモノなので、 そこには過程があり、代償を求められ、結果を得られるのは変わらないのです。 とはいえ、趣味は楽しければ楽しいほどよいも
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心の病。

心の病と言われると。 科学的には精神病などがぱっと思い浮かぶ 昨今かも知れませんが、 ここでいう心の病はもっと身近なところです。ということで、今回はそんな身近な心の病についてお話しましょう。身近な心の病。 さて、心の病と言っても多種多様。 そんななか、今回お話するのは不安や焦り、悩みについてです。 不安や焦り、悩みが心の病? と、思うモノもいるかも知れませんが。 これも立派な心の病なのです。 とはいえ、昨今で言う精神病がほぼ心の不治の病だとすれば、 不安や焦り、悩みなどは心の風邪くらいのモノです。 とはいえ、風邪も放っておけば重症化しますし、 最悪死に至ります。 このあたりをどうすればうまく処理できるか? と、いう事を今回はお話してゆきましょう。 心の風邪の対処法。 心の風邪は先に行ってしまえば、 自身にどうにかできることから生じているのか? どうにもできないことから生じているのか? このあたりによって対処の仕方は変わります。 まず、前者であれば対処できることなので、 風邪の原因をどうにかしちゃいましょう。 え?それだけかって? それだけです。 それだけですが、ヒトによっては難しい場合もあります。 そう言う意味ではこっちは難しい方です。 次に、後者であれば 自身ではどうにも出来ないので、 とりあえず置いときましょう。 時が来ればそのうちことは動きます。 こっちはどうやってもどうにも出来ないなら、 思い切って放っておいたほうが心の風邪には 効果的な対処法となります。 前者と違ってこっちは放って置くだけなので、 比較的かんたんですね。以上が心の病への対処となります。 え?短い?
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命の定休日。

定休日。 それは肉体を持つモノの中で、 主にヒトが肉体を休めるために必要とする 時のことです。 ただ、命にとっては定休日とは、 肉体のためだけではなく、 命にとって、魂にとっても大切なモノとなります。 さて、今回は命の定休日についてお話しましょう。 命の定休日。 命の定休日と言われると、 そもそも命って何さ? と、言われる場合もあるかもしれませんので、 先に命について軽く説明しておくとしましょう。 命とは、難しい話を省いてヒトに分かりやすく 伝えるならば、貴方様を動かしている力の塊です。 そこから、感情やら何やらが生じており、 ヒトはそれを魂とも呼びます。 命のある場所は脳……と、思われがちですが、 実のところ心のある場所。 つまり、心臓に命は宿っています。 ある意味では昔のモノ達も、本質的なところを よく捉えたモノもいたのでしょう。 なんだったら今より捉えやすかったかもしれません。 そう言うモノと身近でしたからね。 これ以上このあたりを深堀すると難しくなるので、 ヒトに分かる範囲で話しを収めるために先へ進みます。 なんとなく分かったけれど、そもそも命に定休日って必要なの? と、思われた方もいるかも知れませんが。 正直肉体と同じで、ヒトの命≒魂≒心なので、 このあたりに元気が無くなると、 そもそも肉体が動かなくなります。 肉体に根本的な動く元気を与えているのは命なので、 命が疲弊して本来の力を出せなくなると、 肉体に多大な影響が出始めるのです。 昨今では科学の発展や医療の発展と共に、 このあたりがヒトに捉えやすいように 名前がつけられているのも珍しくなくなりました。 いわゆる
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終わりは、常に始まりのときでもある。

始まりがあり、終りがある。 終りがあり、始まりがある。 これはヒトの世でも耳にするモノが 多い言葉かもしれません。 まあ、どこで耳にするかは別として、物事の巡りをよく言い表した言霊です。 さて、今回は始まりと終わり、終わりと始まり。 そして、後日譚までのお話をしましょう。 始まりと終わり。 常に物事は、何かが始めることで動き出し、 過程をへて、何らかの結果が見えて終わりとされます。 このあたりは物語を楽しむモノなら身近なモノかもしれませんね。 一つの物語が始まり、結果を視て終わりとする。 その先が続く続かないにかかわらず、 物語を視ている側からすると、そこが終わりであり、 その先を気にすることはありません。ただ、基本的に命というのはそう簡単には終わらないもので、 たとえ一つの結果という終わりを視たとしても、 次の始まりがあることが多いです。 終りがあり、始まりがある。 一つの事に関して結果が出て、 一つの終わりを視たとしても、 基本的に命は続いてゆきます。 それこそ、現世で肉体を失ったところで 命というものは続いてゆくのですから、 ものすごく強いとも言えます。 ものすごく難しいお話を省いてから命について お話すると、命または魂というのは、 実のところその存在自体が永遠を得ています。 肉体は有限ですが、命に限って言えば 現世に生きる全てのモノは、 巡りという大きな循環の中を永遠に 巡り続けているのです。 一部、私のように色々と気づいて 外れるモノもいますが、 それは良い意味で外れているので、 ある種の選んだ結果でもあるのです。 まあ、別の形で外れる場合もありますが、 それはあえ
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自身でどうにかできる責任と、出来ない責任。

責任。 それは多くのヒトが基本的に避けようとする 代物の一つです。 ヒトの世では特に嫌がられるモノではないか? と、私は思っています。 場合によっては色々と面倒な事になるのも確かです。 さて、今回はそんな責任についてお話しましょう。 責任とは。 責任というのは、基本的に任せたこと、 任されたことなどに発生して、 背負う必要のある一種の約束です。 たとえば、ヒトの世で会社に例えるなら上司が部下に 何かを任せた時、上司と部下に それぞれに任せた責任と任された責任が発生します。 この時発生する責任の内容はさておき、 責任というのは、基本的に能動的に事を 起こした時に発生します。 では、この責任の内容についてお話しましょう。 責任の有所。 責任というのは、先程の例を参考にした場合は 任せたモノと任されたモノに発生しますが、 この時、任されたモノを貴方様とするならば、 出来るか出来ないかの判断は貴方様がすることとなります。 そして、この出来るか出来ないかの内、 出来ないことを選んだ場合、任されたモノの責任は 発生しません。 任せたモノの責任も同様です。 逆に、出来るのでやる! と、なった場合は任された責任が発生します。 同時に、任せたモノも任せた責任が発生します。 このあたりはヒトの世ではよく見る 責任の発生の仕方かと私は思います。 では、自身の道を歩む時の選択をする場合は? 当然ですが、何を選ぶにせよ全ての選択に 貴方様の意思決定が関与するので、 どうあがいても責任は発生します。 責任は発生しますが、その責任の内容については ヒトの世ならヒトが色々と判断する内容なので ここでは、自身
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努力の大敵は自身の……。

努力の大敵。 それはおそらく最も身近で 最も使いやすく。 そして、意識せず使うからこそ、 最も危険な敵となるモノ。 今回はそんな努力の大敵のお話をするとしましょう。努力の大敵とは? 努力の大敵は、いくつかあります。 例えば邪魔をしてくる他のモノも一つの大敵ではありますが、 何よりも厄介なモノとして挙げられるのは、 自分自身です。 なぜ?自分自身が大敵なのか?と、 疑問に思うモノもいるかもしれませんが、 これに関してヒトに分かりやすいことでいくつか お話してゆこうと思います。 努力の大敵。 まず、自分自身というのは、 努力という事をする上で最も高い壁となりうる存在です。 何故かといえば、ヒトは大抵の場合自身には甘いからです。 とはいえ、厳しすぎても良くはないので、 適度な甘さは必要不可欠ではあるのですが、 度が過ぎると日々こなさなければならない事に関しても 身の入らない状態になってしまうこともあります。 これに関して言えば自身の心の強さ次第とも言えるので、 多くの説明はいらないですし、 自身でどうにかできる範囲の大敵なので、 倒して味方にすることすら出来ます。 しかし、次に挙げる言霊に関して言えば、 それは自身ではどうにも出来ない範囲に 入ってしまう事もあるので、 自身の中から生じる大敵としては、 最も危険な相手となります。自身の言霊は努力の最もたる大敵。 なぜ、自身の言霊が最も厄介な大敵なのか? と、思うモノも多いことでしょう。 これに関して疑問に先に答えるとするならば、 自身の言霊は、発して他のモノが受け取った時点で、 自身の力ではどうにも出来ないモノになってしまうからです
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当たり前という、非日常。

当たり前とは。 先をゆくモノ達が、 後に続くモノ達のために残した知恵です。 そして、当たり前と言うモノは、 所属するヒトの群れによって多種多様に変化します。 今回は、そんな当たり前についてお話しましょう。当たり前ということ。 当たり前というのは、いわゆる一般的な常識とも言われます。 ヒトの群れで、主に国と呼ばれるモノが基礎を作り。 その国という群れの中で、更に細分化されたグループが それぞれの解釈から「当たり前」と呼ばれるモノを作り出します。 さて、この時点ですでに察しの良いモノは 気づいているかもしれませんが。 この、細分化されたグループの「当たり前」は 他の細分化されたグループの「当たり前」とは 似て非なるモノとなります。 特定の細分化されたグループの中で生きている場合、 似たような「当たり前」を共有することはありますが。 似ているだけで、大抵の場合ズレが生じていることの方が 多いのも確かです。 とすると、「当たり前」という概念は この時どうなるのでしょうか? 簡単に例えるなら、それは「非日常」となるのです。当たり前と群れの違い。 では、群れが変わると「当たり前」という概念は 更にどうなるのか?と、気になるモノもいるでしょう。 それは「別世界」となります。 特定の群れで「当たり前」とされていたことが、 とある群れでは「非日常」であればまだ良い方であり。 ほぼ通用しない状態を「別世界」というと 分かりやすいかもしれません。 そして、ヒトは違う群れに移り、 これまでの当たり前が通用しない時には、 大抵の場合それに適応しようとするか、 逃げて当たり前の通用する群れを探すかのどちら
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側面の捉え方。

側面、多面、一面。 側面とは、物事の本質から生じる 数多の可能性の塊の一つです。 それらは多面的であり、 多くの場合ヒトはその一面を視ているので 精一杯な事が多くあります。 さて、今回はそういった側面についてお話しましょう。側面という視え方。 側面というのは、多くのモノが見せる可能性の 一面と言えますが。 先程もお伝えした通り、基本的にこれらは一つではありません。 物事やそれら個体から生じる側面は、 本質と呼ばれるモノから生じます。 本質自体は変化することなく、 基本的に一定の形を保っているモノですが。場合によってはこれが安定していないモノもいます。 そう言う場合本質を視る私達は少々そういったモノに とある御方を感じ取るのですが、 それらのお話はヒトの領域では難しいお話なので、 このお話の中ではしません。では、側面はどういったモノかと言いますと。 本質から生じた可能性の一欠片というのは 最初にお話したとおりですが。 言うなれば、そのモノを外から捉えて定義するための アウトプットされた情報の一つです。 これらの側面を受け取る側がインプットすることで、 物事や個体の識別が基本的なモノから行われます。 ちなみに、これらは有機物や無機物にかかわらず、 基本的に命から生まれたモノは無意識の領域で 行っています。 また、アウトプットする側も本質から 基本的に無意識でこれらをアウトプットしていますが。 稀に、これらを意識的に調整できるモノも存在します。 とはいえ、そういったモノは稀なモノです。 本質的な部分を意識的に調整できるモノは、 そういった特殊な訓練を積んでいるか、 もしくは物事の本質
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幸せと不幸せの定義。

ヒトは幸せを追い求めます。 幸せとは、一般的には物質的に豊かである事、 精神的に満たされていることなどが挙げられます。 今回はそういった幸せと不幸せの定義をお話しましょう。幸せと不幸せの定義。 ヒトにとって幸せや不幸せというのは、 基本的に自信の身の回りで起きた事から 定義されてゆきます。 外的要因から幸せや不幸せの定義を学ぶこともありますが、 基本的にはそれらを見てどう定義するかは個体差が大きいです。 そして、外的要因からの幸不幸の尺度は 正直あてになりません。 なにせ、その尺度自体が他のモノの尺度でしかないからです。 他のモノにこう言われているから不幸。 他のモノがこう言っているから不幸だとするならば、 極貧食生活を自ら選んでお役目と修行をこなしている 私は他のモノから視れば、とても不幸な存在です。 ですが、私自身はそうではありません。 少なくとも私は他のモノから見て不幸かもしれませんが。 私自身は別段不幸でもなんでもなく、 何だったら神様たちの存在を知ってからは 幸せや不幸を意識したこともありません。 ただ、これまでの過程があって、 歩んだ道が今の私にとって必要なことだったと 間違いなく言えるのは確かですし。 それらを含めて視ても幸せだったと私は言えます。もちろん、良いことばかりではありませんでしたが、 悪いことばかりでもありませんでした。 私がヒトのある側面は嫌いですが、 ある側面は好きですよと、言うのと同じ様なモノです。 結局のところ、幸せの定義は自身にしかわかりません。 なので、本来は幸せや不幸せの定義というモノは、 他のモノの言霊に左右されて行うものではなく。 自
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命に与えられた、肉体という時間。

命には、肉体という時間が与えられています。 それは命にとって本能的に守る必要があるモノであり、 肉体を失うというのは多くのモノにとっては恐怖です。 今日はそんな、肉体という時間についてお話しましょう。肉体という制限時間。 命は様々な形で物質世界にて、 その輝きを磨いていますが。 肉体と呼ばれる器を得て生まれた命は、 少々他の生命よりも強い輝きを持ちやすいモノです。 大体の命が物質世界にて形を得た場合、 その側面的なモノは常に変化しながら あり続けたりするのですが。 肉体を持って生まれた命は、可能性という 不確かな力を持って、 その形すら大きく変えることがあります。 ただし、肉体を持った命の制限時間は短いものです。 肉体を持った命の制限時間は、 多くの場合個体差があれども短く設定されています。 生物として視るのであれば、大樹になりうる植物よりも 短命であり、ヒトが無機物とするモノであれば、 鉱物が巡る無限に近い時の中では一瞬の出来事です。 宇宙(そら)の規模にしてみれば瞬きした瞬間には 消えているかもしれません。 そう言う意味では、肉体に与えられた時間は 思ったよりも短いモノが多いです。 そして、肉体にも個体差があり。 更に短命、長寿の区分がヒトの中では細分化されています。 小動物で約二年、中型の犬猫で十数年ほどです。 ヒトの枠で言うならば、今なら八十を平均に、 百を超えれば大往生とされます。 しかし、大抵の場合は肉体という制限時間は それぞれの命によって与えられている時間が違います。 ヒト基準で言うなら、若くして先にゆくモノもあれば、 一世紀近くを生きる生き証人となるモノもいま
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思い出や宝物。

多くのモノにとって 思い出には物質的なモノがあることが多いです。 それは悲しみも、怒りも、苦しみも、 楽しかったことも、嬉しかったことも、 全てを思い出せる鍵として機能しています。 今回は少しだけノスタルジーを感じるかもしれない お話をしましょう。苦しみを思い出す呪いの品や、思い出の宝物。 さて、思い出の品といえば、 多くのモノにとって、それに触れて、 聞いて、視ることによって、 何かしらの感情的作用や記憶に影響を与える モノを指す言霊です。 幼少期から大切にしているモノや、 大人になってから集めているコレクション。 旅行先で手にした小物や、 友人からもらった雑貨。 そういったモノが、 いわゆる呪いの品や宝物と なることが多いです。誰もが大切にしているモノがあると思います。 それらを大切にするのは良いことです。 モノには触れることで命が宿り、 場合によっては所持者の力となります。 ただ、そういった物質的なモノとは、 大抵のモノがいつか別れる日が来ます。 理由は様々です、ヒトには様々な生きる道があり、 その道の中で取捨選択をしなければならない時は 思ったよりも多くあります。 そう言う時に、呪いの品や思い出の宝物とは 別れがたいことがあります。 しかし、出会いがあれば、ほぼ確実に別れはきます。 そういった時、どうやってさよならが言えるのかが大事です。 どういうわけか、多くのモノは 出会いと別れを繰り返すことで強くなります。 ただ、別れというのはどうやっても多くのものにとって 辛く、悲しいものです。 特にヒトはそういった事が尾を引きやすいモノでもあります。 そして、大抵の場合は今の学
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三が日は修行参りの日々でした。

三が日は修行参りの日々でした……。 結構ハードな修行参りだったので肉体の 回復が間に合っていませんが、 何とか事をこなせる程度には回復しているので、 事を進めてゆくとします。それはそれとして やはりお仕えしている方が多いと挨拶に参るのも 一苦労ですが、よい修行になるのも確かです。 しかし、三が日のお社のヒトの多さは 相変わらずですね、信仰が集まるのは良いことなのですが、ヒト酔いがひどくて各所でフラフラしていました。 ヒトをやめてからヒトに酔いやすくなっているので、 相変わらずヒトの多いところはあまり合わないようです。 それでもヒトが多い場所に出る必要のある時は 出るので、仕方のないことなのですがね。 何にせよ、九星の巡りが変わるその時までは 必要な学びをもう少し続けるとして、 その後は可能な限り小さな陰徳を積むとしましょう。 今年お仕えする方々からの助言として いただいた事や、求められているのがそのあたりなので、 去年とあまり変わりませんが、出来ることを 出来る範囲で続けてゆくとしましょう。 さて、今日から仕事始めのモノも、 そうでないモノもそろそろ正月気分から 切り替えてゆく頃合いですね。 今年も無理なく事を進めてゆくとしましょう。今年は節分から二黒土星の年五黄殺が北東、暗剣殺が南西、歳破が北西に位置します。 方位を気にするモノはそれらに気をつけて 事を進めるとよいでしょう。 それでは、貴方様のゆく道が良いものであり、 幸せでありますように。🐺🐉⛩️🦊☀️
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資格試験を受けました

前回に引き続き、二つ目の試験を受け終えました。今回受けた試験は「タロットカード士」と呼ばれる試験です。基本的な知識のほか、自身を占えるだけの力を持つかどうかを試された試験となります。この試験により足りない部分として、スプレッド方式を今現在より一つ上の段階へ上げる必要がある事に気づけたことは大きな進歩と言えます。おそらく、試験自体は受かっていますし、占断を行うための力量も問題ないのですが。事を起こして不足があるのを知ったという過程に対して、対策として手段を手に取る事を結果として得られたのは私にとっては重要なことです。私の仕える方々は、一般的なヒトに神様と呼ばれる方たちです。そして、神様たちは事を動かす時に過程と結果の両方を見ますが、基本的に過程を重点的に視ることが多いです。ヒトは過程より結果を重視しますが、神様たちは結果に至る過程を重視します。このあたりは結果が出なければというヒトもいるでしょうけれども、結果に至るには、過程を超えなければならないので、実のところ過程は思ったより重要性が高いのです。まあ、ヒトの世では過程はあまり見られず、過程から得られる学びを軽視する傾向があるので、結果のみを称える方が目立ちますがね。ソレが悪いというわけでもないですし、良いとも言い切れませんが。いわゆる一長一短というやつですね。ここでこのお話を聞いている『貴方様』は少しだけ意識してみると、今を生きるヒトとして生きにくいと感じているならば、『貴方様』が『貴方様』を少しだけ認めることの出来る切掛けになるかもしれません。私はヒトをやめてからだいぶ経ちましたが。こういった事は神様たちや弟子から学ぶことも多
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対話の必要性。

対話。 それは互いに話し合うこと。 相手の話を聞き、それを否定せず、 そう言う考えもあると許容した上で、 自身の意見も伝えること。 やってみると結構難しいものだったりします。 さて、今日はそんな「対話」についてお話しましょう。対話とは。 それは、相手と向かい合う覚悟であり、 話を聞くための意思です。 ここだけ抽出すると、簡単に感じますね。 しかし、実際の対話となると、 ヒトの対話はかなり複雑です。 なので、今回は対話を可能な限り 簡略化して伝えられるようにしてみようと思います。 さて、対話と言われるとまず貴方様は何を思いつくでしょうか? 相手を言い負かすこと?交渉を優位に進めること? 自身の意見を通すこと?相手の立場を分からせること? そうですね、まあいくつか問題がありますが、 交渉や意見を通すことに関しては対話では必要な場面もあります。 これらに関して対話と思っていたモノがいたとしたら、 とりあえず、対話の定義がずれている可能性があるので、 私と一緒に見直してゆくとしましょう。対話とは? まずは対話を対話として成立させるための いくつかの約束をお話しましょう。 対話を対話として成立させるための約束は いくつかありますが、その中でも特に重要なモノを とりあえず挙げるとしましょう。 一つ目に、相手の話をしっかり聞くこと。 二つ目に、話を聞いた上で自身の意見と照らし合わせて考えること。 三つ目に、否定するのではなく、ある程度許容した上で自身の意見も伝えること。 もっとも大事なのはこの三つとなります。 他にもいくつかありますし、やり方もありますが、 とりあえずここを抑えておけばある程
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禁術が禁術である理由。

危うかったです。 占術で基本的に自身以外の死を知ることは 禁術とされています。 理由としては、巡りを歪める可能性があるから……と、 言うのが一番の理由ですが、 それ以外にも理由はあります。 さて、今日は私の最近遭遇した危険と「禁術が禁術である理由」をお話しましょう。死を視るということ。 それは、命に与えられた肉体の残り時間を知ることです。 基本的に、これを知ってしまうとヒトは生きる気力を失います。 いつに死ぬか分かれば、回避する方法を考えるモノもいますが、 それらは私達に近いモノか、相当精神力の強いモノです。 そして、私達は基本的にこれらを神様たちから 禁術とされています。 それは、先程お話したとおりの理由も一つですが。 ヒトは、誰かの死を知ると、確実に何かしらやらかすからです。 言ってしまえば、その個体が肉体を失う時を知れば、 そのタイミングを見計らって合法的に不当な利益を得ることも可能です。 そして、それは死を利用した巡りの禁忌に大きく触れるモノでもあります。 そういったことをされた場合、呪術と同じで、 そのしわ寄せがどこかで必ず回収されます。 それが自身なら良いのですが、呪術ではないので、 神様たちもどうやって回収するか考えます。 考えた末に、どこかで確実に回収するのです。 ただし、占術師が自身の死を知ること自体は あまり咎められません。 知った上でどうするのか試すからです。 ただし、それが前世に干渉するばあい、 その限りではありませんでした。 私が触れた禁術。 ヒトは……と、いうよりも 私達でさえ、前世に関してはほとんど知ることがありません。 知ったとしても、私が覚えた
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信頼するということ。

信頼。 それは多くの命が互いにとって 良いモノとした時に与え、与えられるモノ。 ある意味では縁(えにし)類でもあります。 さて、今回は本質的に扱いの難しい「信頼」についてお話しましょう。信頼とは。 信頼とは、先ほどお伝えしたとおり縁の類一つです。 本質的には縁のそれと同じですが、 こちらは意識的に繋げることの出来る縁とも言えます。 「縁」は無意識下でも様々な必然が重なって繋がりますが、 「信頼」はヒトであれば自身から与えることの出来る縁です。 少々伝えるには難しいですが、命と命の関係の中で、 ヒトが能動的に与えられる縁が「信頼」とここでは 覚えておいてください。信頼には注意したいことがいくつかあります。 「信頼」という縁は「与える」事は出来ますが、 必ずしも「与えた相手からも返ってくるとは限らない」ことです。 ヒトとヒトが関わる時、基本的に信頼はある程度一定ラインお互いに 与え合って初めて「交流」が発生します。 しかしながら、ヒトの使う信頼のラインは、 かなり内容が複雑です。それこそ、お互いに築きたい関係性によって 与えるラインが上下します。 これらのことから必ず、 ヒトとヒトの関わりでお互いが望むような形の 「信頼」が得られるかは関わってみないと分からないとも言えます。ちなみに、私達の信頼のラインは割と単純です。 私達のようなモノは、 大抵の場合は関わるモノにほぼ確実に、 一定の同じ量の信頼を与えます。もちろん、与える時にある程度相手を視ますが、 基本的に関係性に左右されず一定をまずは与えるのです。 そこから相手の状況を視続けて、 助けられる、助けられないということを主な判断
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情というモノ。

情。 それは多くのモノにとって 動くための力となる場合もあれば、 歩みを止めてしまう切掛けになる可能性のあるモノ。 さて、今回はそういった情についてお話しましょう。情とは。 多くのモノにとって、情は様々な事に関わる 心の作用と言えます。 何をやるにしても大抵の場合は、 この情というモノが心から発生して、 多くのモノを動かしています。 情と言われると今ひとつ分かりにくいかもしれませんが、 これを感情、色情、激情、苦情、友情などに言霊を言い換えると、 少し分かりやすくなるかも知れません。いわゆる心の動きとも言えます。 そして、これらは多くの場合ヒトが使用する時、 様々なことを起こす力として使われます。 良い意味でも、悪い意味でも使われる力ですが、 ヒトであるなら一般的にはないと困るものです。さて、情を使用する時 貴方様はそれらに支配される方でしょうか? それとも制御する方でしょうか? こうして問われると、 ヒトはついついどちらがよいのか? 悪いのか?と、いった思考をしがちです。 私達からしてみればどちらも悪いものではありません。 まあ、支配されすぎるのも問題ですが、 制御しすぎるのも問題があるのです。 こうした言霊にすると、 じゃあどっちも悪いじゃん。 と、なるモノもいるかもしれませんが。 そうではないのです。 ということで、少し踏み込んでみましょう。情を使うということ。 情は先程お伝えしたとおり、 心の動きです。 心というのは魂であり、命であるというのは、 つい最近少し触れた気もするので、 そちらを参考にしていただければと思います。 では、この情というもの。 支配されすぎても、制
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繋がり。

繋がり。 それは意識して維持するモノもあれば、 無意識に維持されているモノもあります。 実のところヒトが把握出来ている繋がりというのは 本当に一握りだけです。 無意識な繋がりも含めると、その縁は星の数ほどと言われます。 さて、今回はそんな繋がりについてお話しましょう。繋がりとは。 繋がりとは、以前お話した縁(えにし)と ほぼほぼ同じものです。 ただ、こちらのほうが表現的に 軽く感じるモノと思っていただければよいかと。 さて、そんな繋がりですが、 ほぼ縁と同じモノと言ったとおり、 現世や幽世問わず命と命を繋ぐモノです。 それって縁と何が違うの? と、思ったモノもいるかも知れませんが、 細かいところが違います。 縁は命と命の直接的な相互扶助だとすると、 繋がりは命と命の間接的な相互扶助です。 繋がりについて。 繋がりというのは、友人や親やキョウダイなどの いわゆる目に見える縁と違い、 一種の物質的、精神的な支えとなりうる 近すぎず遠すぎない関係と言えます。 このあたりは少々分かりやすい説明をするとなると 難しいのですが。 例えば、直接的な繋がりは、贔屓にしている商店や食事処だと思ってください。 その場所にいるモノ達との繋がりは、お互いに与え合うことで 成立している分かりやすい繋がりです。 次に、間接的な繋がりは、その商店や食事処と関わっている 仕入先や農家など生産者の方々です。 これらは、間接的に与え合うことで成立している繋がりです。 前者は分かりやすいですが、後者は意識しないとわかりにくい 繋がりかもしれませんが。 どちらもヒトが生きていく上で必要不可欠な繋がりです。 もっと掘
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満たすためには、満ちている必要がある。

満たすこと、満ちること。 ヒトは、時に自身の身を投げ捨ててでも、 他を満たそうとします。 それは悪いことではありません。 しかし、基本的なヒトに 同じことが出来るわけでもありません。 それでも助けたいと願う時、満たしたいと願う時、 どうすればよいのか? 簡単ではありませんが、その方法をお話しましょう。 満たすこと。 それは飢えに苦しむモノを助けるための行為です。 飢えとは、物理的な飢えだけではなく、 様々なことを指してここでは飢えと表現します。 例えば、承認欲求、物欲、性欲に食欲。 分かりやすいモノをあげるとすればこのあたりが ヒトには身近なモノかもしれません。 飢えに苦しむモノを助ける時、 ある程度このあたりを満たすことを意識して 助けるようにすると、基本的に助けやすい 可能性が高いですが、特殊な事例もあるので、 これが全てではない事を覚えておいてください。 さて、それでは満たす時に意識することを いくつかお話してゆきましょう。 満たす時に意識すること。 まず、満たす……助ける時に何を持ってして 助けとするのか?と、いうのも大事ですが。 助ける時、何よりも大事なのは相手が何を必要として、 自身の持っている何を与えれば助けとなるのか? と、いう辺りを考える必要があります。 そして、自身の与えられるモノも、 自身に不足がなく、余裕を持って 与えられるモノを選ぶ必要があります。 ここで一般的なヒトがやってはいけないことは、 無理をして与えることです。 無理をして与えていれば、ヒトはそのうち限界が来て 与えることが出来なくなります。 与えることが出来なければ、助けることが出来ませ
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縁(えにし)

縁(えにし) それは不思議なものです。 命と命をつなぎ、 時に助け、 時に殺し、 時に互いを必要なモノとする。 さて、今日はそんな縁について少しだけ触れるとしましょう。縁(えにし)とは。 命と命の繋がり、または絆など。 呼ばれ方は様々あります。 とはいえ、基本的に命と命が 見えない繋がりを持つことで、 互いを助け合うために繋がれたモノの一つです。 これらの本質を私はつい最近瞑想中に 守石達の力を借りて神様たちから教えてもらいましたが、 その本質については色々と巡りを乱す危険があるので、 お話しません。 しかし、これらがどういうモノかはお話できます。 縁(えにし)とは? 先程も少し触れましたが、 縁とは命と命の見えない繋がりです。 縁というのは不思議なもので、 自然と繋がる事もあれば、 意図的につなげることも出来ます。 ただ、意図的につなげるとなると、 その縁を得るために交流という努力が 必要になってきます。 自然と繋がるモノは、 基本的に神様たちの干渉が働いている事が 多いようですが、このあたりも詳しいことは伏せます。 基本的に縁とは交流などの努力があって 初めて得られるものだとヒトでも、 そうでないモノでも、覚えておけば大丈夫です。 縁(えにし)は細くも太くもなります。 縁は基本的に一定の繋がりを常に保っているわけではありません。 遠のけば細くなり、 近づけば太くなることが多いです。 ただし、ヒトとヒト……と、いうのは難しいもので、 近づきすぎると逆に縁が細くなる場合もあれば、 遠のいたら突然太くなることもあります。 このあたりは縁や個体の相性次第と言えます。 そして、縁と
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満ちることを望む時、足ることを知る必要がある。

命は、大抵の場合満ちることを望みます。 それは、物質的に満ちる場合もあれば、 精神……心や魂といったところが満ちるという事を 望む場合もあります。 今回は、満ちることについてお話しましょう。満ちるということ。 満ちるとは、物質的もしくは精神的に満たされた状態で ある事を表す言霊です。 ですが、多くの場合は命が満ちる時を知るのは 簡単なことではありません。 特にヒトというモノ達の周りには、 他の命以上に物質的なモノが溢れ、 それらを得るための欲望には事欠かないからです。 こういったお話になると、 つまり、我慢しろということでしょ? と、言うようなことを思うモノもいるかも知れませんが、 違います。 それでは満ちる前に飢えが酷くなってしまいます。 じゃあどうすればいいのさ! と、思うモノもいることでしょう。 今日はその切掛けを得られるかもしれない様に、 私は貴方様に伝えてゆきましょう。 まず、満ちるためには。 足ることを知る必要があります。 なんでもそうですが、あれもこれもと 求めていれば、足ることは肉体の一生をかけてもありません。 しかし、求めなければ足ることを知る事もできません。 では、求めすぎず、求めなさすぎずに どうやって足ることを知るのか? と、思うモノも多いことでしょう。 これに関して言えば、まずは自身との相談が必要です。 何を持ってして足るか? と、言うのは個体によって違うのでこれはとても 大事なことなのですよ。 そして、自身と相談して足ることを知るためには、 自身にとって何が必要であり、何が必要でないか? と、いう事を明確化する必要があります。 これは目標や目的を明
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努力という名の日常。

努力とは。 一般的に、自身以外の個体から視て、 何かしらの行動が努力として 定義される事を言います。 では、努力とは本来どういうものなのか? 今日はそういった事をお話しましょう。努力とは? 努力というモノは、一般的に 苦しいことや辛いことを成し遂げている 姿を見たモノが、それらを定義する時に 使うものです。 これらをヒトは賛美しますが、 基本的に結果がいつも伴うわけではなく、 努力と呼ばれるものが必ず期待した結果に つながるわけではありません。 これらの事から、ヒトは努力を嫌ったり、 無駄に思ったりする事があります。 では、本当に努力は無駄なのでしょうか?このあたりは個体差があります。 無駄と感じるモノがいれば、 無駄ではないと感じるモノもいる。 これらの答えはどちらも間違ってはいません。 外から見て、そう感じたという事については、 その答えに間違いはないのです。 それは、その個体が見て感じた答えなのですから。 とはいえ、当の本人が感じるモノとは 当たり前ですが違います。 努力から得られる結果については、 その努力をしたモノがどの様に視るか?によって、 その結果に価値を感じるか?否か?が大きく変わります。努力と言うと、基本的に苦しいこと辛いことと思われがちですが。 実のところを言うと、日常を維持するために、 多くの命が日々続けている事も、 外から見ればそれは努力となります。 そして、努力は必ずしも努力している個体が 苦しい事や、辛い事と感じているわけではありません。 もちろん、その逆もありますがね。 多くの場合、外から見た結果、努力として捉えられることを しているモノは、それら
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善悪の在処。

善と悪。 それは、ヒトが決める一種の指標です。 以前お話した、幸せと不幸せの定義は覚えていますでしょうか? あれと似たお話になります。 さて、今回は「善と悪」そして、 私達にとってのそれらに付いてお話しましょう。善と悪とは? 善と悪は、ヒトがヒトを裁くための指標であり、 ヒトが物事の判断をする基準です。 ヒトがヒトであれるのは、この基準によって、群れの秩序が一定に保たれるからです。 とはいえ、法は群れを守りはしますが、 群れの中に所属する個体を確実に守ってくれるわけではありません。 そして、群れの中枢が打撃を受けた時、 法というルールが維持されるかどうかは、 その群れに培われた常識によって左右されます。 どこでもそうですが、群れのルールが適応されない場所は、 群れが大きくなればなるほど存在しやすくなります。 それは、ヒトという群れの中では特に見られやすいことです。 では、私達にとっての善悪とは何でしょうか?私達にとっての善悪とは。 肉体を持った私はヒトの善悪を尊重して、 ヒトの群れに潜んでいるのは確かです。 しかし、私がお仕えする方々にとって、 ヒトの善悪はあまり大きな意味を持ちません。 私がお仕えする方々にとって、 善悪とはヒトの指標であり、 尊重こそしますが、 それによって物事を判断する基準には あまりならないのです。 では、何を持ってして私のお仕えする方々は 物事を判断するかと言われれば、 許容できるか、できないか。 言霊を変えると、許せるか、許せないか。 この二つだけなのです。 ヒトであれば気が遠くなるような時の中で、 私のお仕えする方々は、 感情がないわけではないです
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運の巡り。

運の巡り。 それをヒトは運命と呼ぶことが多いです。 基本的に、ヒトはこの運の善し悪しを視て、 一喜一憂することもあります。 さて、今回は「運の巡り」についてお話しましょう。運の巡りとは? 運の巡りとは、色々と呼び方はありますし、 これらの流れを知る方法もありますが、 それは私達占術師が知っていれば良いので、 ここでは割愛します。 そして、運の巡りを難しい話を吹き飛ばして ざっくりとわかりやすくすると、 運の巡りとは常に一定ではなく、 変化し続けるモノである……と、 お伝えすることは出来ます。 正直これだけだとあまりにもざっくりしすぎて 逆に分かりにくいかも知れませんね。 すこし込み入った話をしましょう。運の巡りをヒトは運命と呼ぶ。 運命とは、魂が持って生まれた宿命の中で、 命が「自身の力」でどうにか出来る部分を示します。 これをヒトは「運命」と呼びます。 では、命が「自身の力」でどうにか出来ない部分を どう呼ぶのか?と、聞かれれば、 それを私達は「宿命」と呼びます。 基本的に、今のヒトであれば「運命」は割と 身近なものかもしれませんが、 「宿命」は今ひとつ遠く感じやすいかも知れません。 ただ、実のところヒトの道の七割は 「宿命」で決まったとおりに動き、 残りの三割が「運命」という可能性で左右されます。 道と言うと分かりにくいかも知れないので、 人生と言い換えておきましょう。 ここで、「人生の七割は決まっているなら、努力しても無駄じゃない?」と、 思った貴方様は残念ながら違います。 七割は確かに決まり事ではありますが、 残された三割で「ヒトは何にでも成れてしまうのです」。 私達は
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場所という、心の拠り所。

場所。 それは誰かにとっては守るものであり、 誰かにとっては奪うものであり、 誰かにとっては帰る所であり、 多くのモノにとっては拠り所です。 今日は、そういった場所についてお話してゆきましょう。 場所。 巣穴、家、神域、縄張り、禁足地。 呼ばれ方は様々ありますが、 大抵のモノにとって、 それは心の……魂の拠り所です。 それがあって初めて多くのモノは 自身の存在意義を見出し、 事を進めることが出来ます。 例えば、神様達は祭られて初めて意味を持ち、 助けを求めるモノたちに助力が出来ます。 例えば、教えは伝えられて初めて意味を持ち、 それを信じるモノたちの道や支えとなります。 そう言う意味で場所というのは多くの命にとって、 とても大切なモノであることが多いです。 場所は意味を与えますが。 逆に、言うとそこに場所を作るモノ達がいて、 初めて場所というモノは成立します。そう言う意味では、場所とは本質的に言うと 何もない事から始まるのです。 昨今では居場所を求めてさまようモノも 多いですが、場所は先程も触れたとおり、 作るモノ達がいなければ成立しません。 そして、場所に意味を与えているのは、 結局のところそこを作ったモノかモノ達なのです。 そう言う意味では、大抵の場所では 私達も含めて場所を借りていると言えます。 これは私事まじりなのですが。 ここ最近は観光地になった神域の 穢れのたまり具合が、神様たちの処理能力を 超えることも多く。時に心無いモノ達が荒らすことで 神域としての力が弱まってしまう場所もあります。 外つ国のモノ達だけではなく、 日の本の国のモノ達も最近では信仰心の 薄まった
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分かっていることと、認められることの違い。

分かっていること、認められること。 何事もそうですが、分かっている事に対して、 認められることは同じようで違います。 たとえ、分かっていても、 他のものから認められるためには、 分かっていることをうまく伝えられなければなりません。 今回は、そういった事をお話しましょう。分かっていること。 分かっていることというのは、 そのモノの本質を知っているか、 何らかの知識を正しく保有している状態を ここでは指すこととします。 そして、分かっていることに関して言えば、 それを分かっている、理解しているので、 その知識やモノを正しく使う分には必要な力量を 持っていると言える状態です。 しかし、認められるということに関して言えば、 これだけでは不十分な事がヒトの世でも 多くあります。 認められるということ。 認められるということは、 つまり相手にその知識を相手が欲する形で 教えることが出来る状態とも言えます。 自身で分かっていることを相手が分かるように 伝えられることで、初めて他のモノから認められる事が 出来るとも言えます。 自身が分かっているだけで、 他のモノに教えられなければ、 それは分かっているだけで、 認められていることにはならないのです。このあたりの指標となるのが いわゆる資格試験などとなります。 今回は、丁度よく私が三つ目の資格試験に 落ちましたので、改めてその重要性を 実感したのもあり、お話しておこうと 思いました。 つまり、ヒトに認められるということは その知識を求められた時、 正しい形でその知識を教えられることが 最低条件になるということです。 私も改めて学びを深めて、 より
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生きるということ。

生きるとは? ヒトは生きることに関して言えば、 かなり複雑に物事を捉えているモノ達です。 ただ、私達からすると、少々複雑に捉えすぎている ところが多く見られます。 今日はそんな生きることについてお話しましょう。生きるとは。 ヒトの中で生きると言うと、 一般的には使命感的なモノが大事とされている 場合が多くあります。 もちろん、それも間違いではありません。 生きることに意味を見出して、 使命感を持って道を歩むモノは強いのも確かです。 しかし、ヒトと言っても全てのモノが 生きることに意味を見出しているわけではありません。 多くの場合は何故生きているのか? と、いう答えのない問いを自身にし続けて 苦しむものも多いです。 それ以外にも色々とありますが、 基本的にヒトは何かしら意味を求めるモノなので、 大抵の場合苦しんでいます。 では、生きるとは? 個体によっては自身の生きる意味を 自身で定義出来るモノもいれば、 そうでないモノもいます。 そもそも生きる意味を求めたとしても、 そこに本来答えはないので、 生きる意味を探しているモノは 自身でその意味を定義できなければ 永遠と迷い続けるとも言えます。 とはいえ、肉体を持った命には基本的な 生存本能が備わっていますので、 そこから基本的なことを伝えることなら、 私は出来ます。 ということで、今回は生きる意味を 見つける助けではなく、 何を持ってして生きるとするのか? をお伝えしましょう。 命が肉体を持って生きるということ。 ヒトは生きることには意味が必要だと 感じるものが多いです。 これも、もちろん間違いではありません。 しかし、この意味を
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試練を超えてお迎えしました。

昨日浅間の大社へと参り。予定通りの試練を超えて、お仕えする二柱の神様を正式にお迎えいたしました。一日でこなす必要があったので、肉体にかなりの消耗がありましたが。朝食を接種したら安定したので、今日も問題なく占断を行うことが可能です。次の旅の試練が入るまでどのくらいの期間があるかはわかりませんが。その間に別の試練も入ることを考えると、相変わらず忙しくも充実した日々が続きそうです。これからもこういった事がある可能性が高いですが。どうぞよろしくお願いいたします。
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何事も飛ばして進むことは出来ない。

飛ばして進むということ。 ヒトの多くが夢見る方法です。 この工程を飛ばしてここにたどり着きたい。 これを省いてここにたどり着きたい。 ここを一つ飛び越してここにたどり着きたい。 飛ばして進む、ヒトであれば一度は思った事があるかもしれません。 しかし、物事というのは大抵の場合飛ばせているように見えて、 実のところ飛ばしたと思った分だけ先の負債になっているモノです。 さて、今回はそういった飛ばして進むことが出来ない事をお話しましょう。 いや飛ばせるでしょ?やっているヒトいるもん。 と、思うモノもいるかもしれないので、 まず飛ばすという行為がどういうモノか 軽くお話しましょう。 飛ばすというのは、ヒトヒトリであれば、 ただの先の負債が増えるだけの行為です。 しかし、複数名のヒトが協力している時に、 何かを飛ばすという行為は、 他の負担が増えている事を意味します。 このあたりはいわゆる負担のしわ寄せと言いますが、 今回のお話はヒトヒトリの部分に関してお話するので、 後者にこれ以上は触れません。 さて、飛ばすという行為がなぜ先の負債の蓄積に繋がるのか? それをお話してゆきましょう。 飛ばした先の負債の蓄積。 さて、先程お伝えしたとおり、 飛ばすという行為は、先の負債の蓄積に繋がります。 なぜ、先の負債の蓄積に繋がるのか? と、私が問われれば。 それは、本来やるはずだったことを、 あとに回したからですよ。 と、答えます。 基本的に 物事というのは、一歩ずつの過程をこなすことで成立します。 結果はどうあれ、過程を積み重ねることで、 ことはなるようになるのです。 しかし、この過程を何かしら
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助言するモノ

お仕えする方々の導きから助言を求めるモノに神様たちの伝えたいことを言霊にして伝えていたのですが。ここ数日そのモノを狙っていた穢れに目をつけられて警戒状態を強めていました。なんとか狩ることに成功しましたが。狡猾なモノだったので、肉体を意図的に弱らせておびき出さなければ捉えられなかったのは若干面倒でした。それにしても、最近はまた激動の日々なので占断に必要なリソースを確保すると自動的に他の事を行うためのリソースが足りなくなる日々となっています。まあ、お役目である本業に支障がなければ問題ないのですが。消耗した肉体の回復に少々時が必要になりそうです。ここ最近やっと死の季節から旧夏ほどの暑さへと戻りつつありますが、『貴方様』もお体には気をつけてお過ごしくださいませ。では、以上を報告として引き続きお役目と修行を続けるとします。
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