善悪の在処。

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善と悪。

それは、ヒトが決める一種の指標です。
以前お話した、幸せと不幸せの定義は覚えていますでしょうか?
あれと似たお話になります。
さて、今回は「善と悪」そして、

私達にとってのそれらに付いてお話しましょう。

善と悪とは?

善と悪は、ヒトがヒトを裁くための指標であり、
ヒトが物事の判断をする基準です。
ヒトがヒトであれるのは、
この基準によって、群れの秩序が一定に保たれるからです。

とはいえ、法は群れを守りはしますが、
群れの中に所属する個体を確実に守ってくれるわけではありません。
そして、群れの中枢が打撃を受けた時、
法というルールが維持されるかどうかは、
その群れに培われた常識によって左右されます。

どこでもそうですが、群れのルールが適応されない場所は、
群れが大きくなればなるほど存在しやすくなります。
それは、ヒトという群れの中では特に見られやすいことです。

では、私達にとっての善悪とは何でしょうか?

私達にとっての善悪とは。

肉体を持った私はヒトの善悪を尊重して、
ヒトの群れに潜んでいるのは確かです。

しかし、私がお仕えする方々にとって、
ヒトの善悪はあまり大きな意味を持ちません。

私がお仕えする方々にとって、
善悪とはヒトの指標であり、
尊重こそしますが、
それによって物事を判断する基準には
あまりならないのです。

では、何を持ってして私のお仕えする方々は
物事を判断するかと言われれば、
許容できるか、できないか。
言霊を変えると、許せるか、許せないか。
この二つだけなのです。

ヒトであれば気が遠くなるような時の中で、
私のお仕えする方々は、
感情がないわけではないですが、
感情で物事を決めるわけではなくなったのです。

物事の本質を見て、
その本質が何を示して、
示した本質が巡りなどの理に対してどの様な影響を及ぼし、
それが許容できるモノか?否か?
そういった形でヒトの言うところの善悪が判断されます。

善悪とはいいますが、
お仕えする方々の中に善と悪の意識はありません。
そこにあるのは、決まりであり、
物事のバランスを保つための最善です。

つまり、善と悪とは、

ヒトがヒトであるための指標であり、
仏教が何故ヒトのための教えなのか
という一つの答えでもあるのです。

逆に言うと神道は神様たちの教えです。
そこにあるのはヒトのための教えではなく、
神様たちに至るための教えであり、
本質に気づくには割と難しいものだったりします。

どっちも神様を大切にしているのは変わりませんが、
仏教はヒトがヒトであり、ヒトとして巡るための教え。
神道は神様がヒトをヒト成らざるところまで引き上げるための教え。

うまくゆけば神様たちと同じところに立つことが出来るのは、
どちらも変わりませんが、
こうしてみるとその教えには大きな違いがあるのが分かるかも知れません。

さて、今回のお話はこのあたりにしましょう。

善悪の話ではありましたが、
少しだけ仏教と神道の違いみたいなモノも
お話しましたね。

まあ、このあたりはヒトにより個体差がある認識ですが、
少なくとも私の知っているものだとこう言う感じという
一つの指標だと思っていただければ良いと思います。
そう言う考えもあるのですね、
くらいに捉えていただければ幸いです。

今回のお話は少々難しかったかも知れませんが、
貴方様がナニカに気づく切掛けや、
学ぶ切掛けとなれば、私は幸いに思います。
そして、貴方様のゆく道が良いものであり、
幸せでありますように、今日も私は祈ります。

では、またナニカお話できそうなときにお会いしましょう。🐺🐉⛩️🦊☀️

2024年9月1日神格絵巻・真打ち.jpg

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