絞り込み条件を変更する
検索条件を絞り込む

すべてのカテゴリ

53 件中 1 - 53 件表示
カバー画像

喜怒哀楽の楽。

楽とは。 楽しいともいう感情の一つです。 「楽」はその他にも様々な場面で感情として現れます。 ヒトが扱うと複雑になるのは他と変わりませんね。 ということで、今日は「楽」についてお話してゆきましょう。「楽」とは? 先ほど少しお話しましたが、 「楽」という感情はいわゆる楽しいなどの 陽の力によって構成された感情の一つです。 陽の力なので、基本的には感情を使ったモノに 良い影響を与えやすく、 周囲にも良い影響が出やすい感情の一つです。 ヒトに分かりやすい効果としては、 大抵の場合、「楽」を感じていることを やっている時は、長続きしやすいという効果が よく視られます。 そして「楽」を感じながらことが動いている 場所というのは、基本的に明るい雰囲気に なりやすいのも私は確認しています。とはいえ、「楽」も表裏がある感情の一つです。 「楽」も基本的には陽の力なので、 その場やそのモノに良い影響を与えやすい 力なのですが。 何らかの形で、「楽」の力が悪用された場合、 一時的にそのモノに良い影響を与えますが、 結果的に力を使ったモノもろとも その場が魔境に変化することもあります。 魔境と言われると分かりにくいかも知れませんが、 私達も浄化するとなるとけっこう大変な部類の一つです。 小さなモノなら私一匹でもなんとかなるのですが、 大きなモノとなると、大抵の場合は手が出せません。 最近は何かとこれらに変化する場所も多くて、 私達にしてみると住みにくい現世になったものです。それでも「楽」も大切な感情の一つです。 「楽」という感情も、多すぎれば魂を蝕む毒になりますが、 逆に言えば程よく使うことで魂の薬に
0
カバー画像

喜怒哀楽の哀。

哀とは。 いわゆる悲しいと言う感情です。 私達は基本的に喜怒哀楽を純粋に使いますが。 ヒトはが使うと色々と複雑になるのは他の感情と変わりません。 さて、今日は「哀」という感情についてお話しましょう。哀とは? 多くの場合、悲しみと呼ばれる感情であり。 基本的には「陰」の力をもった感情です。 ただし、「喜」や「怒」と比べて比較的穏やかな力と言えます。 そして、「哀」と言う感情は、 基本的に心のメンテナンスに使われることが多いです。 このあたりに今回は注目してお話してゆきましょう。「哀」は心のメンテナンス機能。 さて、なぜ「哀」が心のメンテナンス機能かと 気になったものも多いでしょう。 このあたりを簡単に説明するとなると、 「哀」は「怒」になりきらない感情を 発散する自己治癒機能みたいなものだからです。 悲しむという感情は、 怒りに近いものがあります。 しかし、純粋な「怒」ではないので、 それを発散する方法が心には必要でした。 それが「哀」です。 「怒」が自己防衛機能だとすると、 「哀」は自己治癒機能の一種であり、 悲しむことでヒトは心の安定を維持することがあるのです。 たとえば、大切なモノとのお別れや、 覚悟して挑んだことの失敗。 このあたりは大抵のヒトが歩みの中で いくつか経験すると思います。 これらは「怒」に近い感情ですが、 「怒」をぶつける対象がないので、 基本的に処理しきれない事が多いです。 ここで機能するのが「哀」なのです。「哀」が何故必要なのか? 「哀」は正直な所ヒトには嫌われがちな感情の一つです。 なにせ、だいたいこの感情を感じる時は ヒトにとって辛いことがあった時が
0
カバー画像

月の終わりの報告書・令和七年四月分

今月は今月でお役目に新たな調整が入ってそれなりに肉体を慣らすのに時間がかかっていた 感覚を多めに感じた一月だったと私は思います。 何にせよ、今月の簡単な活動報告もしてしまいましょう。占術の修行状況。 相変わらずといえば相変わらずですが。 日々精度を維持するのは当たり前ながら、 知識の取捨選択も必要なので、 安定した修行の維持は出来ています。 新たに五行易にほそぼそと触れていますが、 まだ実用段階までは達していない感覚です。 引き続き、必要な知識を得ながら、 実践を交えて精進するとしましょう。神様修行の状況。 現在は時を待てとの助言を受けているので、 時が来るのを修行とお役目をこなしつつ待っている状況です。 神様達の方で何やらあった様子なので、 私の調整が整うのはもう少しあとになりそうです。 とはいえ、その間は描いたり書いたりする時間も ほそぼそと取れているので、 ちょっとした休暇のような感覚でもあります。絵巻と物語の進捗。 絵巻は現状の魂に合わせて新たなサムネイルを考案中です。 某所展開中の物語に関しては第二幕から第三幕への移行段階ですが、 第二幕が意外とあっさりだったので、こう言うこともありますね。 くらいの感覚で見ていていただけると嬉しいです。 道を歩んでいると、思ったよりすんなり事が整うこともあれば、 そうでないこともあるというのは、誰もが知っているかもしれない感覚ですね。 その他修行の状況。 必要な時に修行参りをしているくらいですが、 最近だと夏の気配がかなり強い……と、いうよりも 既に場所によっては過去の夏日なので、 外に出る時は水と日除けの帽子が手放せない日々です。
0
カバー画像

久しぶりに神格絵巻です。

ざっくりアイコン用であり、今後のサムネイルになります。
0
カバー画像

喜怒哀楽の喜。

喜というモノ。 喜ぶとも言われる感情の根本的なモノの一つです。 喜怒哀楽の喜とも呼ばれます。 喜はヒトの感情の中で、怒の次に強い感情の一つです。 さて、今日はそういった喜に付いてお話しましょう。喜とは? 喜とは、いわゆる喜びの感情です。 例えば、ヒトはこれをナニカ良いことが あった時に使います。 私達も単純に使いやすい感情です。 基本的にヒトが何かを成した時、 それが成長であれば私達は嬉しく思うからです。 多くの人の成長を感じる時、 私達は喜の感情を持ってヒトを祝うのです。 ヒトでしたら成長や成功に喜ぶことが あったモノも多いのではないでしょうか? とはいえ、ヒトは喜を純粋に使うことが 難しいモノであったりもします。ヒトが使う喜。 喜は、基本的にいわゆる陽の感情表現として 使用される力の一つです。 しかし、陰陽は常にそれぞれがバランスを取ることで 存在しているのは、私のお話を聞いている モノであればどこかで話したかも知れません。 まあ、陰陽はお話し始めると結構小難しいので もう一度簡単にお話しておきましょう。 陰陽とは、大きく視れば宇宙を含む 世界の成り立ちであり、巡りです。 そして、小さく視るとヒトの歩み含む 宿命や運命の巡りとも言えます。 これらの力の動きの中で、 「喜」は「怒」の次に強い力として存在しています。 何故「喜」が「怒」の次に強い力かと言われれば、 両方とも感情の激流ではあるのですが、 「怒」は全てを飲み込む激流だとすると、 「喜」は全てを包み込む穏やかな大河といえるからです。 ただし、基本的に「喜」は先程も伝えたとおり、 ヒトが扱うととたんに難しいモノになりま
0
カバー画像

願いは自身のために、祈りは他のモノのために。

願いや祈り。 今回お話するのは、 願いや祈りについてのお話です。 ヒトであれば大抵のモノが神社などで、 願い事の一つや二つをしたことはあると思います。 では、祈りとの願いの違いとは? このあたりを今回は少しお話してみるとしましょう。願いは自身のために。 さて、最初に触れるのは、 比較的多くのものが親しみやすい願いからです。 願いというのはその名の通り、 一種の祈りではありますが、 基本的に自身のためにするモノが多い事でもあります。 例えば試験の合格や、 取引の成功など、 願いは幅広くヒトに親しまれている 祈りの一つです。 願いというのは、場合によっては他のモノのために 使われることもありますが。 そういった場合は良いことも悪いことも含めて 願われる場合もあるので、 願いという祈りは呪術的な側面も 持ち合わせているといえます。 では、次に祈りについて触れてゆきましょう。 祈りは他のモノのために。 ここで言う祈りは、 内容の良し悪しはさておき、 他のモノのために使われるモノを指します。 祈りというのはヒトが使える思いの力の中では、 言霊の次に強力なモノです。 積み重なれば苦しむモノさえも救う力を持ちますし、 何だったら幽世の存在にさえ影響を与えます。 このあたりで分かりやすいのは「信仰」と 呼ばれる祈りの力ですね。 私達にしてみると身近な力の一つです。 昨今ではあまり良い印象は持たれない モノになっているきもしますが、 そのあたりはヒトの世の動きに関係しているので、 なんとも言いにくいところではあります。 まあ、基本的に誰かのため、 ナニカのために使われるのが、 祈りという力だと
0
カバー画像

開門日の神様達からの日の本の国に生きるヒトへの助言。

占術所でのお役目をこなすために、 休みの日は休みの日でお役目をこなして力を蓄えますが、 同時に、しっかりと休んで占断の精度を維持してもいます。 さて、今日の助言もいただいてきましたので、 早速ともに視てゆくとしましょう。タロット・正義の逆位置。 オラクル・歌うように軽やかに。 陽光は陰り、天秤の均衡は崩れつつある。 しかし、影が強くなればこそ、希望の歌声も強くなってゆくだろう。ふむ、何かしらヒトの群れで均衡が崩れつつあり、 それによって影が強まりつつあるようですね。 とはいえ、そこには絶望しか無いわけではないようです。 影……つまり、闇が深まれば、その中に残った光。 その名の通り、希望もまた光を増し続けるそうなので、 時間はかかりますが、いずれは均衡もまた整ってゆくことでしょう。 とはいえ、長ければ整うまでに十一週ほどの時間が必要になるそうなので、 長期戦と言えるかもしれませんね。それでは、今日の助言を聞いた縁のある貴方様のゆく道が良いものであり、 幸せでありますように。
0
カバー画像

ここ最近の状況の報告も兼ねた雑記。

何かと忙しい日々が更にいそがしかった三月。 さて、三月は急務が多く、 何かと忙しい日々がより忙しい日々となっていましたが、 流石に本来の生業がおろそかになっていたのを 神様達に心配されて、 今日から助言をいただいた新たな日程を基礎に お役目と修行を続けることとなりました。 とりあえず、ここ最近の状況を軽くお話してゆくとしましょう。某所提出の三月の活動報告書は急務の内容が内容なので、 多くの報告が出来ませんでしたが。 それでも報告できることはあるので、 少しお話してゆこうと思います。 三月は急務が多く、 ともかく忙しい日々が更にいそがしかったのは、 さきほどもお話しましたが。 何もやっていなかったというより、 事が入りすぎていて報告出来ないものとの 整理が追いつかなかったのです。 たとえば、新たに弟子が出来たこと、 久しぶりにとあるモノへ名付けを頼まれたこと。 個人的な方面で占術の助けを頼まれたことなど、 少しお話するだけでも濃厚な一ヶ月だったと言えます。 占術師としての経験も多く積みましたが、 何より巫として、無の神としての経験も急激に多く 積み上げた一ヶ月だったと言えます。新たな弟子は魂の状況として 陰陽で言えばそのバランスが今ひとつ上手く整っていないと言った 状態ではありますが、 能力は開花すれば十分にあると感じられるモノが弟子となりました。 問題は、こちら側に近い存在ではありますが、 ヒトであり、ヒトなりの悩みがあり、 また、拠り所となっていたモノを手放したのが、 だいぶ弟子にとっては大きな試練として 弟子を苦しめていることです。 このあたりを超えられるか超えられないかで
0
カバー画像

願いの力、祈りの力。

願いと祈りの力の形。 それは、自身のためなのか? 他のモノのためなのか? それによって多少の違いが出てきます。 さて、今回はそういった「願いと祈りの力の形」をいくつかお話しましょう。願いの力は自身の力。 さて、いつだったか願いや祈りについて お話したことがあったと思いますが、 今回はその力の形についてお話してゆこうと思います。 まずは願いの力からお話しましょう。 願いというのは、力の方向性としては 自身を中心にした力の作用を表します。 例えば、貴方様が何かしら……そう、 技術などを身に着けたいと思った時や、 今より強くなりたいなど思った時。 これらは「願いの力」として、自身に作用します。願うことで自身が歩むための力を魂が得て、 自ら考えて行動に移すことで、 その力を発揮しやすくなるのです。 願いも一種の「心の力」ですので、 それにほとんど等しい魂が力を得れば、 自身の力としやすいと言えるのです。 科学的な定義をするとするなら、 精神とも言えます。 ゲームなどで言うところのMPです。 私達で言うところの「陰陽の力」、 または「気力」ともいいます。 ヒトはこれらを意識的に、 または無意識に使って、 願いの力を引き出しているのです。 では、続いて祈りの力についてお話してゆきましょう。祈りの力は他のモノへ作用する力。 祈りの力というのは、 基本的に他のモノへ作用する力です。 祈りの力というのは他のモノを思うことで その力が発揮されます。 一般的にヒトには分かりにくいモノですが、 祈りというのは意外と身近な力なので、 こちらも意識せずに使っているモノも多いです。 祈りの力は他のモノを思う
0
カバー画像

歩むことの難しさ。

歩むこと。 それは、私達側のものでさえ、 時に難しいと感じるモノ。 ましてやヒトであればより難しく感じるモノ。 今日は歩むことの難しさについて、少しお話しましょう。歩むことの難しさ。 歩むこと、それは生きることです。 私達にとって、それは何をすればよいか 分かっていることなので、 大きく迷うことはありません。 しかし、ヒトであれば歩むことは常に 分からないことばかりで、 迷い続けながら進むことでもあります。 一般的にヒトは先を視ることが出来ません。 これは昨今の当たり前ですし、 何だったら何を言っているんだこいつはという お話に繋がるような内容です。 ただ、それでも確かなのは私達は 先を知った上で、歩みを止めずに 常に対策と回避と最善を選んで、 進み続けているとも言えます。 迷わないことを羨ましいと、 先が見えることをすごいと、 そういうヒトもいます。 ただ、先が視えて迷わないというのは、 並大抵の精神力では出来ません。 知ることは、生きる力をなくしてしまうのと 表裏一体であることなのです。 ヒトは先が分かれば安心して歩みを止めやすい、 その逆もよくある話なのです。 これはおそらく多くの占術師が知っていることでもあります。では、何故それでも私達が歩む必要があるのか? と、言われれば。 知った上で、知ったからこそ出来ることがあるからです。 私達は知ることで絶望するのではありません。 知ることでどうするのか? それを常に考えて、実行して、一つでも多くを 助けるために動き続けるのです。 ただ、当たり前ですが助けられるモノ、 助けられないモノは常に存在し続けます。 そして、私達は先見と
0
カバー画像

説明する難しさ、言霊の難しさ。

言霊の難しさ。 言霊というのは、一言一言に様々な意味を持ちます。 そして、それらは多くの場合、 使った時点で、声や形にした時点で、 使ったモノから離れて多様に形を変えるものです。 今回は、そういった言霊の難しさについてお話しましょう。説明する難しさ。 言霊とは、先ほども伝えたとおり、 使った時点で多様に受け取り手側によって 形を変えるものです。 そして、これらの性質は多くの場面で ヒトとヒトの間の認識に誤差を生じさせます。 たとえば、使ったモノは分かっていても、 使われたモノが分からない時というのは、 この誤差が生じやすく、大きな誤解を生みやすいです。 とはいえ、だいたい言霊を使う限り、 誤差は生じます。 そう言う意味では、伝える側が、 どれだけ伝えられる側の事を考えて 言霊を選べるか?と、いうのも重要なことです。例えばですが、私がこういった場所でお話していることですが。 可能な限り分かりやすく、読みにくくないように、 漢字の使い方や、例えの表現を工夫していることが多いです。 幽世側の事に関して言えば、一般的なヒトにとっては 別世界の出来事なので、私達の分かっている形で 説明してもほぼ確実に伝わりません。 そして、こういった場ですから、 不特定多数がお話を聞けるようにしてある分、 全てのモノが分かるようにすることは、まず無理です。 対話の場合は、相手の分かっていることを知ることで、 それの適切と思われるモノを例えに使うことで、 相手に分かりやすく説明することが出来るのですがね。 と、この様に基本的には例えを使う時は 相手が分かりやすいモノで出来うる限り 表現してあげることが、説
0
カバー画像

出来ること、出来ないこと。

出来ること、出来ないこと。 さて、ヒトに限らず命には大抵の場合 得手不得手があります。 命と命はだいたいそれらを補いながら 生きているのですが……。 今回はそういった得手不得手、 つまり、出来ること、出来ないことについて お話してゆきましょう。出来ること。 出来ること、それは大抵の場合得意不得意はさておき、 何らかの形で道具やことを動かすために必要な知識や 力を持っている状態とここではします。 好き嫌いに関しても得意不得意と同様です。 出来ることというのは、簡単に説明するならば、 特に苦も無く使うことの出来る知識、技術、肉体動作などが 一般的には出来ることとなります。 ここに、少し無茶は入っても出来るとなると、 一般的な出来ることの応用的な範囲になってきます。 ヒトは大抵の場合は、出来ることを無理なく日々こなすことで、 新たに出来ることを増やしてゆきながら成長してゆきます。 昨日はここまでやった、今日はここまで出来た。 これをやるまでこれは出来なかった、でも今は出来る。 こういったモノが出来ることであり、成長です。 そんな出来ることですが。 出来ることというのは、最初に伝えたとおり、 当人の好き嫌い、得手不得手の認識はさておき。 出来ているので、出来ることなのです。 何を当たり前なことを? と、思われるかもしれませんが。 このあたり、ヒトは感情による制限がある場合、 出来ていることも出来ていないと判断してしまう事があります。 まあ、本当に出来ていない場合もあるのですが、 出来ていることを出来ていないとするのは、 大抵のヒトにとってはストレスでしかないので、 基本的には過去の自身
0
カバー画像

今日は神格絵巻(占術用サムネイル)

ざっくり描けたのでサクッと載せるのです。さて、少しずつですが歩みの速度も整えるとしましょう。🐺🐉⛩🦊☀️
0
カバー画像

優しさと厳しさ。

優しさと厳しさ。 それは、ヒトによってさじ加減は様々ですが、 私達の感覚で言うと大きくは変わらないものです。 常に一定であり、必要に応じて調整される。 そういったモノなのですが、ヒトだとこのあたりは結構違いますね。 さて、今回は私達から視た「優しさと厳しさ」をお話してゆくとしましょう。優しさとは。 ヒトの感覚で言うと甘さとも捉えられるモノです。 今回お話する内容については、 ヒトにわかる感覚で伝えると複雑すぎるので、 私達の持つ感覚でお伝えしましょう。 さて、優しさと言われると、 ヒトだと様々な側面が視えますが、 私達にとっての優しさとは、 必要な時必要な助けをだし、 そのモノが超えるべき事がある時、 ただ見守り続ける忍耐を持つことです。 優しさも、与え過ぎればヒトが腐ってしまいますし、 かといって、少なすぎれば成長する 切掛けさえ掴めなくなってしまいます。 私達にとって優しさとは、 そのモノが成長するために必要な助けであり、 そのモノが自身を救うための切掛けなのです。 そして、私達の助けは広く変わりなく与えられますが、 そこに信仰心……いわゆる感謝の心があって、 初めて双方を尊重したモノと成るのです。 一方的に与えるものでもなく、 与えられるものでもない。 それが私達の優しさです。次に厳しさとは。 こちらもヒトの感覚ですと多義にわたりますので、 私達の持つ感覚でお伝えしましょう。 さて、厳しさと言われると、 単純に受け取るモノによっては 怖さや鬱陶しさを感じるモノもいます。 私達にとっての厳しさとは、 私達が助けを差し伸べられるだけの 歩みをそのモノが出来るかどうかを 見極め
0
カバー画像

焦ることと、急ぐことの違い。

久しぶりに定休日は定休日でした。 荒行期間に入ると流石に定休日は定休日しないと 肉体が持ちにくくなりますからね、 仕方ないといえば仕方ないのです。 さて、今回お話するのは焦ることと急ぐことの違いです。 意外と間違われやすい二つの言霊。 焦ると急ぐ。 この二つは、同じようで違う言霊の一つです。 一般的には同じ様な感じで使われているのをよく見るものですね。 では、この二つの違いについてお話してゆくとしましょう。焦ることとは? 焦ることと言われると、 言霊の意味そのままで捉えるなら、 何かしらのことに追われて、 心に余裕がない状態とも言えます。 この状態はヒトではよく視られることで、 急ぐことと混同されがちです。 では急ぐがどう違うのか?お話してゆきましょう。 急ぐこととは? 急ぐも使い方次第では、 焦るとあまり変わらないのは確かです。 しかし、こちらは意識的にコントロールすることで、 焦るにはない特徴が生まれます。 それは、意識的にことを進めようとするということです。 焦っている時はことに追われていますが、 急いでいる時はことを予定までに進めようとしているのです。 急ぐも使い方次第では焦ると変わらなくなるのは、 この「予定」に対してどういう姿勢で挑むか? と、いう内容によるのです。 たとえば、急ぐにしても 時間がなくなってから急ぐのか? 時間があるうちに急ぐのか?で、 その内容は大きな変化を見せます。 ヒトは大抵の場合前者になって焦りがちな急ぎとなりますが、 私達は後者で急ぐことが多いです。 前者になると、焦っている上に急いでいるので、 心の余裕と言う意味では非常に厳しい状態と言
0
カバー画像

喜怒哀楽の怒。

怒。 私達にとってはあまり抱くことのないモノ。 しかし、ヒトにとっては多くの場所で覚えるものかも知れません。 様々な場面でヒトは怒という感情を使います。 さて、今回はそんな「怒」と、いう感情についてお話しましょう。怒とは。 ヒトが生きる上で、主に外敵からの防衛機能として 使われていた感情の一つです。 昨今では「怒」の形も様々な色を見せてくれることが多いです。 小さなモノから大きなモノまで捉えれば、 それはヒトの数だけ様々な色を持って私達にその姿を見せてくれます。 ちなみに、私達が怒る時は大抵の場合は 何かしら触れてはならない事にヒトなどの命が触れた時くらいです。 このあたり命によって色々と線引きがあるので、 細かなところをお話すると長くなります。 そして、今回はヒトの「怒」についてお話するので、 私達の事はとりあえず置いておきましょう。 必要なことは話しますし、それはそれでお聞きいただければ幸いです。さて、ヒトの「怒」というものは 基本的に、理不尽なものから合理的なものまで様々あります。 そして、今の乱世に溢れている「怒」の殆どは理不尽なモノが多いです。 では、理不尽な「怒」とは何か?と、聞かれたら。私は「自身にはどうにも出来ないことに怒ることですよ」と、答えます。 ヒトは、様々なことに感情を揺さぶられて「怒」を使いますが、 昨今のヒトは無駄に「怒」を使いすぎて疲弊するモノも多く見られます。 逆に、必要な時に「怒」を使うことが出来ずに、 潰れてしまうモノもいます。 このあたりのバランスはヒトの世の状態で 様々事情が変わるので細かなところには触れられませんが、 無駄に「怒」を使う
0
カバー画像

趣味を持つということ。

趣味。 それはヒトにとって余裕であり、 心の拠り所であり、 多くの場合は癒やしです。 今回はそういった趣味についてお話しましょう。趣味とは。 先ほど少しお話しましたが、 多くの場合、心の拠り所であったり、 癒やしであったりするものです。 モノによっては金銭の多くかかる趣味もありますし、 その逆もあります。 やってみたいことによって、金銭に関しては 変わるものなので、ここではあまり触れません。 さて、趣味というのは出来ること、 出来ないことはさておき。 基本的にやりたいことをやってみる切掛けです。 多くの場合は肉体の状態に左右されず、 生きている環境がそれを許すモノなら出来ます。 とはいえ、環境に左右される部分に関しては、 わりとどうしようもない部分もあるので、 そこでできる、やってみたいことをやるのがよいかも知れません。 そして、趣味はヒトに場合によっては成長を促すことがあります。趣味は成長の切掛け。 趣味は、言ってしまえば新たな技術の取得や、 知識の取得にほぼ繋がるモノです。 何かを知ることで出来ることが増え、 何かを覚えることでこれまた出来ることが増える。 場合によっては、それらを活かして新たな道を 歩むことさえ可能になるかも知れない 可能性の宝庫と言えます。 とはいえ、趣味も極め始めればそれ相応の 努力などが必要になってくるモノです。 結局のところ、このあたりも楽しめるか? 否か?で、その趣味で得られるモノも 変わってきます。 趣味も事を起こすモノなので、 そこには過程があり、代償を求められ、結果を得られるのは変わらないのです。 とはいえ、趣味は楽しければ楽しいほどよいも
0
カバー画像

心の病。

心の病と言われると。 科学的には精神病などがぱっと思い浮かぶ 昨今かも知れませんが、 ここでいう心の病はもっと身近なところです。ということで、今回はそんな身近な心の病についてお話しましょう。身近な心の病。 さて、心の病と言っても多種多様。 そんななか、今回お話するのは不安や焦り、悩みについてです。 不安や焦り、悩みが心の病? と、思うモノもいるかも知れませんが。 これも立派な心の病なのです。 とはいえ、昨今で言う精神病がほぼ心の不治の病だとすれば、 不安や焦り、悩みなどは心の風邪くらいのモノです。 とはいえ、風邪も放っておけば重症化しますし、 最悪死に至ります。 このあたりをどうすればうまく処理できるか? と、いう事を今回はお話してゆきましょう。 心の風邪の対処法。 心の風邪は先に行ってしまえば、 自身にどうにかできることから生じているのか? どうにもできないことから生じているのか? このあたりによって対処の仕方は変わります。 まず、前者であれば対処できることなので、 風邪の原因をどうにかしちゃいましょう。 え?それだけかって? それだけです。 それだけですが、ヒトによっては難しい場合もあります。 そう言う意味ではこっちは難しい方です。 次に、後者であれば 自身ではどうにも出来ないので、 とりあえず置いときましょう。 時が来ればそのうちことは動きます。 こっちはどうやってもどうにも出来ないなら、 思い切って放っておいたほうが心の風邪には 効果的な対処法となります。 前者と違ってこっちは放って置くだけなので、 比較的かんたんですね。以上が心の病への対処となります。 え?短い?
0
カバー画像

命の定休日。

定休日。 それは肉体を持つモノの中で、 主にヒトが肉体を休めるために必要とする 時のことです。 ただ、命にとっては定休日とは、 肉体のためだけではなく、 命にとって、魂にとっても大切なモノとなります。 さて、今回は命の定休日についてお話しましょう。 命の定休日。 命の定休日と言われると、 そもそも命って何さ? と、言われる場合もあるかもしれませんので、 先に命について軽く説明しておくとしましょう。 命とは、難しい話を省いてヒトに分かりやすく 伝えるならば、貴方様を動かしている力の塊です。 そこから、感情やら何やらが生じており、 ヒトはそれを魂とも呼びます。 命のある場所は脳……と、思われがちですが、 実のところ心のある場所。 つまり、心臓に命は宿っています。 ある意味では昔のモノ達も、本質的なところを よく捉えたモノもいたのでしょう。 なんだったら今より捉えやすかったかもしれません。 そう言うモノと身近でしたからね。 これ以上このあたりを深堀すると難しくなるので、 ヒトに分かる範囲で話しを収めるために先へ進みます。 なんとなく分かったけれど、そもそも命に定休日って必要なの? と、思われた方もいるかも知れませんが。 正直肉体と同じで、ヒトの命≒魂≒心なので、 このあたりに元気が無くなると、 そもそも肉体が動かなくなります。 肉体に根本的な動く元気を与えているのは命なので、 命が疲弊して本来の力を出せなくなると、 肉体に多大な影響が出始めるのです。 昨今では科学の発展や医療の発展と共に、 このあたりがヒトに捉えやすいように 名前がつけられているのも珍しくなくなりました。 いわゆる
0
カバー画像

終わりは、常に始まりのときでもある。

始まりがあり、終りがある。 終りがあり、始まりがある。 これはヒトの世でも耳にするモノが 多い言葉かもしれません。 まあ、どこで耳にするかは別として、物事の巡りをよく言い表した言霊です。 さて、今回は始まりと終わり、終わりと始まり。 そして、後日譚までのお話をしましょう。 始まりと終わり。 常に物事は、何かが始めることで動き出し、 過程をへて、何らかの結果が見えて終わりとされます。 このあたりは物語を楽しむモノなら身近なモノかもしれませんね。 一つの物語が始まり、結果を視て終わりとする。 その先が続く続かないにかかわらず、 物語を視ている側からすると、そこが終わりであり、 その先を気にすることはありません。ただ、基本的に命というのはそう簡単には終わらないもので、 たとえ一つの結果という終わりを視たとしても、 次の始まりがあることが多いです。 終りがあり、始まりがある。 一つの事に関して結果が出て、 一つの終わりを視たとしても、 基本的に命は続いてゆきます。 それこそ、現世で肉体を失ったところで 命というものは続いてゆくのですから、 ものすごく強いとも言えます。 ものすごく難しいお話を省いてから命について お話すると、命または魂というのは、 実のところその存在自体が永遠を得ています。 肉体は有限ですが、命に限って言えば 現世に生きる全てのモノは、 巡りという大きな循環の中を永遠に 巡り続けているのです。 一部、私のように色々と気づいて 外れるモノもいますが、 それは良い意味で外れているので、 ある種の選んだ結果でもあるのです。 まあ、別の形で外れる場合もありますが、 それはあえ
0
カバー画像

自身でどうにかできる責任と、出来ない責任。

責任。 それは多くのヒトが基本的に避けようとする 代物の一つです。 ヒトの世では特に嫌がられるモノではないか? と、私は思っています。 場合によっては色々と面倒な事になるのも確かです。 さて、今回はそんな責任についてお話しましょう。 責任とは。 責任というのは、基本的に任せたこと、 任されたことなどに発生して、 背負う必要のある一種の約束です。 たとえば、ヒトの世で会社に例えるなら上司が部下に 何かを任せた時、上司と部下に それぞれに任せた責任と任された責任が発生します。 この時発生する責任の内容はさておき、 責任というのは、基本的に能動的に事を 起こした時に発生します。 では、この責任の内容についてお話しましょう。 責任の有所。 責任というのは、先程の例を参考にした場合は 任せたモノと任されたモノに発生しますが、 この時、任されたモノを貴方様とするならば、 出来るか出来ないかの判断は貴方様がすることとなります。 そして、この出来るか出来ないかの内、 出来ないことを選んだ場合、任されたモノの責任は 発生しません。 任せたモノの責任も同様です。 逆に、出来るのでやる! と、なった場合は任された責任が発生します。 同時に、任せたモノも任せた責任が発生します。 このあたりはヒトの世ではよく見る 責任の発生の仕方かと私は思います。 では、自身の道を歩む時の選択をする場合は? 当然ですが、何を選ぶにせよ全ての選択に 貴方様の意思決定が関与するので、 どうあがいても責任は発生します。 責任は発生しますが、その責任の内容については ヒトの世ならヒトが色々と判断する内容なので ここでは、自身
0
カバー画像

努力の大敵は自身の……。

努力の大敵。 それはおそらく最も身近で 最も使いやすく。 そして、意識せず使うからこそ、 最も危険な敵となるモノ。 今回はそんな努力の大敵のお話をするとしましょう。努力の大敵とは? 努力の大敵は、いくつかあります。 例えば邪魔をしてくる他のモノも一つの大敵ではありますが、 何よりも厄介なモノとして挙げられるのは、 自分自身です。 なぜ?自分自身が大敵なのか?と、 疑問に思うモノもいるかもしれませんが、 これに関してヒトに分かりやすいことでいくつか お話してゆこうと思います。 努力の大敵。 まず、自分自身というのは、 努力という事をする上で最も高い壁となりうる存在です。 何故かといえば、ヒトは大抵の場合自身には甘いからです。 とはいえ、厳しすぎても良くはないので、 適度な甘さは必要不可欠ではあるのですが、 度が過ぎると日々こなさなければならない事に関しても 身の入らない状態になってしまうこともあります。 これに関して言えば自身の心の強さ次第とも言えるので、 多くの説明はいらないですし、 自身でどうにかできる範囲の大敵なので、 倒して味方にすることすら出来ます。 しかし、次に挙げる言霊に関して言えば、 それは自身ではどうにも出来ない範囲に 入ってしまう事もあるので、 自身の中から生じる大敵としては、 最も危険な相手となります。自身の言霊は努力の最もたる大敵。 なぜ、自身の言霊が最も厄介な大敵なのか? と、思うモノも多いことでしょう。 これに関して疑問に先に答えるとするならば、 自身の言霊は、発して他のモノが受け取った時点で、 自身の力ではどうにも出来ないモノになってしまうからです
0
カバー画像

月の終わりの報告書・令和七年五月

さて、今月も終わりが近いですね。 いつものように、活動をまとめて 伝えるとしましょう。占術の修行状況。 神様たちの音のない言霊を 常日頃から正確に聞けるようになりました。 受け取った神様たちの助言を翻訳するのに 様々考える必要はありますが、 ヒトに分かるように整える修行は継続中です。 五行易の学びについてですが、 今は止まっていますね、 もう少し余裕が出てからもう一度 やるようにといった感じです。神様修行の状況。 流れを視ることが出来るようになりました。 物事がどうなってゆくのかを 川の流れのように感じ取り、 視ることができますが。 それに対する干渉は基本的にやりません。 視えてもやらないのは、 その流れを変えるような干渉をすれば、 どこかでそれに伴う代償が発生するからです。 それが、場合によってはヒトの群れや、 他の生命の脅威や危険になる可能性があるのです。 絵巻と物語の進捗。 物語に関しては進みましたが、 進んだタイミングで少々お役目が忙しい事に なり始めたので、進むまで時が必要になる可能性が高いです。 絵巻も下地はあるのですが、 着手まではいけていません。 その他修行の状況。 こちらは大きな動きはありません。 今は主力のお役目があるので、 そちらに集中しています。お役目の状態。 事が動き始めたので、 後は流れにそって私がやることをしてゆくだけです。その他報告。 別所の占術所での活動にて、 一件依頼をこなしました。 神様たちの主力のご依頼は三件こなしました。 開門日の助言は修行なので、 こちらの報告には含めません。以上を報告とします。 2025年5月28日 無の巫神 狼龍
0
カバー画像

開門日の神様達からの日の本の国に生きるヒトへの助言。

さて、急務が入るなど色々と忙しくなり始めましたが、 私にとっては予定通り時が動き始めたと感じる今日このごろです。 動き始めた時は止めることも、止まることもなく。 予定されたことへとただ進みゆくのみと言えます。 それでは、今日の神様達の助言を視てゆくとしましょう。タロット・棒の三の逆位置。 オラクル・情熱を蓄える。 見送るものがいて、見送られるものがいる。 履物は見送るものの手向けであり、 見送られるものの歩みを助ける。 始まりは終わりであり、終わりは始まりである。 その時は確実に力を蓄えてヒトを出迎えるであろう。ふむ、今日は旅立つものがいて、 その旅立ちを見送るものが多いのかもしれません。 始まりが生だとすれば、終わりは死かもしれません。 終わりが陰だとすれば、始まりは陽かもしれません。 どうあれそれは多くのヒトが迎える時のようです。何にせよ、私から伝えられるのは、 出来うる限り悔いなく歩みなさいという一言だけですね。 そして、この助言を聞いた縁のある貴方様の行く先が良いものであり、 幸せでありますように。
0
カバー画像

開門日の神様達からの日の本の国に生きるヒトへの助言。

さて、今日明日は開門日となります。 今日の神様達からの助言を持ってまいりましたので、 お時間ありましたらともに視てゆくとしましょう。タロット・隠者の正位置。 オラクル・誇りを持って進む。 手に持った灯籠の灯火は、 確かな光を持って輝いている。 その役目に責任を持ち、 前を向いて進め。 その力が貴方には備わっている。 今日は責任あるモノ達の不安が多そうですね、 ただ、貴方にはその責任をこなせるだけの力があり、 その力は道を照らすのに十分な光として 輝いているようです。あとは、暗い道を一歩ずつ歩み続ける 勇気があれば道に迷うこともないでしょう。 自身のこれまでの努力と力を信じて進めば、 結果的に良いことがあるかもしれませんね。それでは今日の神様達の助言を聞いた、 縁のあった貴方様のゆく道が良いものであり、 幸せでありますように。追記:お試し用の占術始めました。
0
カバー画像

開門日の神様達からの日の本の国に生きるヒトへの助言。

この助言を伝えるのもだいぶ慣れてきましたね。さて、開門日の神様達からのご助言をお持ちしましたので、 今日も視てゆくとしましょう。タロット・棒の十の逆位置。 オラクル・情熱を蓄える。 完成の時が過ぎ、一段落を迎えた今、受けた恩恵に感謝を捧げる必要がある。 次の一歩に向けて、力を蓄えるために静かに先を見つめ、 その身と魂を休めよ。ふむ、今日は何かしらの事が一段落したモノ達が多そうですね。 事が済んだばかりなので、おそらく肉体的にも精神的にも疲労の 蓄積があるのかもしれません。一度しっかりと休んでから、 次の一歩を踏み出すための力を十分に備えて、 次へと進むと良い結果が出やすいかもしれませんね。それでは、この助言を聞いた貴方様のゆく道が良いものであり、 幸せでありますように。
0
カバー画像

対話の必要性。

対話。 それは互いに話し合うこと。 相手の話を聞き、それを否定せず、 そう言う考えもあると許容した上で、 自身の意見も伝えること。 やってみると結構難しいものだったりします。 さて、今日はそんな「対話」についてお話しましょう。対話とは。 それは、相手と向かい合う覚悟であり、 話を聞くための意思です。 ここだけ抽出すると、簡単に感じますね。 しかし、実際の対話となると、 ヒトの対話はかなり複雑です。 なので、今回は対話を可能な限り 簡略化して伝えられるようにしてみようと思います。 さて、対話と言われるとまず貴方様は何を思いつくでしょうか? 相手を言い負かすこと?交渉を優位に進めること? 自身の意見を通すこと?相手の立場を分からせること? そうですね、まあいくつか問題がありますが、 交渉や意見を通すことに関しては対話では必要な場面もあります。 これらに関して対話と思っていたモノがいたとしたら、 とりあえず、対話の定義がずれている可能性があるので、 私と一緒に見直してゆくとしましょう。対話とは? まずは対話を対話として成立させるための いくつかの約束をお話しましょう。 対話を対話として成立させるための約束は いくつかありますが、その中でも特に重要なモノを とりあえず挙げるとしましょう。 一つ目に、相手の話をしっかり聞くこと。 二つ目に、話を聞いた上で自身の意見と照らし合わせて考えること。 三つ目に、否定するのではなく、ある程度許容した上で自身の意見も伝えること。 もっとも大事なのはこの三つとなります。 他にもいくつかありますし、やり方もありますが、 とりあえずここを抑えておけばある程
0
カバー画像

禁術が禁術である理由。

危うかったです。 占術で基本的に自身以外の死を知ることは 禁術とされています。 理由としては、巡りを歪める可能性があるから……と、 言うのが一番の理由ですが、 それ以外にも理由はあります。 さて、今日は私の最近遭遇した危険と「禁術が禁術である理由」をお話しましょう。死を視るということ。 それは、命に与えられた肉体の残り時間を知ることです。 基本的に、これを知ってしまうとヒトは生きる気力を失います。 いつに死ぬか分かれば、回避する方法を考えるモノもいますが、 それらは私達に近いモノか、相当精神力の強いモノです。 そして、私達は基本的にこれらを神様たちから 禁術とされています。 それは、先程お話したとおりの理由も一つですが。 ヒトは、誰かの死を知ると、確実に何かしらやらかすからです。 言ってしまえば、その個体が肉体を失う時を知れば、 そのタイミングを見計らって合法的に不当な利益を得ることも可能です。 そして、それは死を利用した巡りの禁忌に大きく触れるモノでもあります。 そういったことをされた場合、呪術と同じで、 そのしわ寄せがどこかで必ず回収されます。 それが自身なら良いのですが、呪術ではないので、 神様たちもどうやって回収するか考えます。 考えた末に、どこかで確実に回収するのです。 ただし、占術師が自身の死を知ること自体は あまり咎められません。 知った上でどうするのか試すからです。 ただし、それが前世に干渉するばあい、 その限りではありませんでした。 私が触れた禁術。 ヒトは……と、いうよりも 私達でさえ、前世に関してはほとんど知ることがありません。 知ったとしても、私が覚えた
0
カバー画像

信頼するということ。

信頼。 それは多くの命が互いにとって 良いモノとした時に与え、与えられるモノ。 ある意味では縁(えにし)類でもあります。 さて、今回は本質的に扱いの難しい「信頼」についてお話しましょう。信頼とは。 信頼とは、先ほどお伝えしたとおり縁の類一つです。 本質的には縁のそれと同じですが、 こちらは意識的に繋げることの出来る縁とも言えます。 「縁」は無意識下でも様々な必然が重なって繋がりますが、 「信頼」はヒトであれば自身から与えることの出来る縁です。 少々伝えるには難しいですが、命と命の関係の中で、 ヒトが能動的に与えられる縁が「信頼」とここでは 覚えておいてください。信頼には注意したいことがいくつかあります。 「信頼」という縁は「与える」事は出来ますが、 必ずしも「与えた相手からも返ってくるとは限らない」ことです。 ヒトとヒトが関わる時、基本的に信頼はある程度一定ラインお互いに 与え合って初めて「交流」が発生します。 しかしながら、ヒトの使う信頼のラインは、 かなり内容が複雑です。それこそ、お互いに築きたい関係性によって 与えるラインが上下します。 これらのことから必ず、 ヒトとヒトの関わりでお互いが望むような形の 「信頼」が得られるかは関わってみないと分からないとも言えます。ちなみに、私達の信頼のラインは割と単純です。 私達のようなモノは、 大抵の場合は関わるモノにほぼ確実に、 一定の同じ量の信頼を与えます。もちろん、与える時にある程度相手を視ますが、 基本的に関係性に左右されず一定をまずは与えるのです。 そこから相手の状況を視続けて、 助けられる、助けられないということを主な判断
0
カバー画像

情というモノ。

情。 それは多くのモノにとって 動くための力となる場合もあれば、 歩みを止めてしまう切掛けになる可能性のあるモノ。 さて、今回はそういった情についてお話しましょう。情とは。 多くのモノにとって、情は様々な事に関わる 心の作用と言えます。 何をやるにしても大抵の場合は、 この情というモノが心から発生して、 多くのモノを動かしています。 情と言われると今ひとつ分かりにくいかもしれませんが、 これを感情、色情、激情、苦情、友情などに言霊を言い換えると、 少し分かりやすくなるかも知れません。いわゆる心の動きとも言えます。 そして、これらは多くの場合ヒトが使用する時、 様々なことを起こす力として使われます。 良い意味でも、悪い意味でも使われる力ですが、 ヒトであるなら一般的にはないと困るものです。さて、情を使用する時 貴方様はそれらに支配される方でしょうか? それとも制御する方でしょうか? こうして問われると、 ヒトはついついどちらがよいのか? 悪いのか?と、いった思考をしがちです。 私達からしてみればどちらも悪いものではありません。 まあ、支配されすぎるのも問題ですが、 制御しすぎるのも問題があるのです。 こうした言霊にすると、 じゃあどっちも悪いじゃん。 と、なるモノもいるかもしれませんが。 そうではないのです。 ということで、少し踏み込んでみましょう。情を使うということ。 情は先程お伝えしたとおり、 心の動きです。 心というのは魂であり、命であるというのは、 つい最近少し触れた気もするので、 そちらを参考にしていただければと思います。 では、この情というもの。 支配されすぎても、制
0
カバー画像

繋がり。

繋がり。 それは意識して維持するモノもあれば、 無意識に維持されているモノもあります。 実のところヒトが把握出来ている繋がりというのは 本当に一握りだけです。 無意識な繋がりも含めると、その縁は星の数ほどと言われます。 さて、今回はそんな繋がりについてお話しましょう。繋がりとは。 繋がりとは、以前お話した縁(えにし)と ほぼほぼ同じものです。 ただ、こちらのほうが表現的に 軽く感じるモノと思っていただければよいかと。 さて、そんな繋がりですが、 ほぼ縁と同じモノと言ったとおり、 現世や幽世問わず命と命を繋ぐモノです。 それって縁と何が違うの? と、思ったモノもいるかも知れませんが、 細かいところが違います。 縁は命と命の直接的な相互扶助だとすると、 繋がりは命と命の間接的な相互扶助です。 繋がりについて。 繋がりというのは、友人や親やキョウダイなどの いわゆる目に見える縁と違い、 一種の物質的、精神的な支えとなりうる 近すぎず遠すぎない関係と言えます。 このあたりは少々分かりやすい説明をするとなると 難しいのですが。 例えば、直接的な繋がりは、贔屓にしている商店や食事処だと思ってください。 その場所にいるモノ達との繋がりは、お互いに与え合うことで 成立している分かりやすい繋がりです。 次に、間接的な繋がりは、その商店や食事処と関わっている 仕入先や農家など生産者の方々です。 これらは、間接的に与え合うことで成立している繋がりです。 前者は分かりやすいですが、後者は意識しないとわかりにくい 繋がりかもしれませんが。 どちらもヒトが生きていく上で必要不可欠な繋がりです。 もっと掘
0
カバー画像

無事、予定していた三種の資格を取得することが出来ました。

本来予定していた三種の指標となる資格の取得は完了しましたが。まだ追加の資格の取得が残っています。引き続き精進するのは変わりません。とはいえ、ここまで見守ってくださった貴方様に感謝いたします。改めて、どうぞこれからもよろしくお願いいたします。
0
カバー画像

満たすためには、満ちている必要がある。

満たすこと、満ちること。 ヒトは、時に自身の身を投げ捨ててでも、 他を満たそうとします。 それは悪いことではありません。 しかし、基本的なヒトに 同じことが出来るわけでもありません。 それでも助けたいと願う時、満たしたいと願う時、 どうすればよいのか? 簡単ではありませんが、その方法をお話しましょう。 満たすこと。 それは飢えに苦しむモノを助けるための行為です。 飢えとは、物理的な飢えだけではなく、 様々なことを指してここでは飢えと表現します。 例えば、承認欲求、物欲、性欲に食欲。 分かりやすいモノをあげるとすればこのあたりが ヒトには身近なモノかもしれません。 飢えに苦しむモノを助ける時、 ある程度このあたりを満たすことを意識して 助けるようにすると、基本的に助けやすい 可能性が高いですが、特殊な事例もあるので、 これが全てではない事を覚えておいてください。 さて、それでは満たす時に意識することを いくつかお話してゆきましょう。 満たす時に意識すること。 まず、満たす……助ける時に何を持ってして 助けとするのか?と、いうのも大事ですが。 助ける時、何よりも大事なのは相手が何を必要として、 自身の持っている何を与えれば助けとなるのか? と、いう辺りを考える必要があります。 そして、自身の与えられるモノも、 自身に不足がなく、余裕を持って 与えられるモノを選ぶ必要があります。 ここで一般的なヒトがやってはいけないことは、 無理をして与えることです。 無理をして与えていれば、ヒトはそのうち限界が来て 与えることが出来なくなります。 与えることが出来なければ、助けることが出来ませ
0
カバー画像

縁(えにし)

縁(えにし) それは不思議なものです。 命と命をつなぎ、 時に助け、 時に殺し、 時に互いを必要なモノとする。 さて、今日はそんな縁について少しだけ触れるとしましょう。縁(えにし)とは。 命と命の繋がり、または絆など。 呼ばれ方は様々あります。 とはいえ、基本的に命と命が 見えない繋がりを持つことで、 互いを助け合うために繋がれたモノの一つです。 これらの本質を私はつい最近瞑想中に 守石達の力を借りて神様たちから教えてもらいましたが、 その本質については色々と巡りを乱す危険があるので、 お話しません。 しかし、これらがどういうモノかはお話できます。 縁(えにし)とは? 先程も少し触れましたが、 縁とは命と命の見えない繋がりです。 縁というのは不思議なもので、 自然と繋がる事もあれば、 意図的につなげることも出来ます。 ただ、意図的につなげるとなると、 その縁を得るために交流という努力が 必要になってきます。 自然と繋がるモノは、 基本的に神様たちの干渉が働いている事が 多いようですが、このあたりも詳しいことは伏せます。 基本的に縁とは交流などの努力があって 初めて得られるものだとヒトでも、 そうでないモノでも、覚えておけば大丈夫です。 縁(えにし)は細くも太くもなります。 縁は基本的に一定の繋がりを常に保っているわけではありません。 遠のけば細くなり、 近づけば太くなることが多いです。 ただし、ヒトとヒト……と、いうのは難しいもので、 近づきすぎると逆に縁が細くなる場合もあれば、 遠のいたら突然太くなることもあります。 このあたりは縁や個体の相性次第と言えます。 そして、縁と
0
カバー画像

開門日の神様達からの日の本の国に生きるヒトへの助言。

さて、今日は開門日です。 少々ヒトからの頼まれごともあり忙しい日ですが、 お役目である助言を伝えるとしましょう。タロット・戦車の逆位置。 オラクル・高い志を持つ。 星は低い位置で輝いているが、 進むべき先は見えているようだ。 心が望むままに、思うままに信念をもって進みなさい。ふむ、星……つまるところ希望でしょうか。 今日は自信はないものの、 どうすればよいかは分かっているモノが多そうですね。とはいえ、希望が見えており、 進む先も分かっているのであれば、 ただそこに向かって力強く歩むだけでよいでしょう。 誰よりも、貴方が一番どうすればよいかは知っているのですからね。 強い心を持って一歩ずつ進みなさい。それでは、今日の助言を受け取った、 縁のある貴方様の行く先が良いものであり、 幸せでありますように。
0
カバー画像

開門日の神様達からの日の本の国に生きるヒトへの助言。

水曜日ですね、一般的なヒトであれば週の折り返し、 休みまでもう一息といったところでしょうか? 何にせよ、開門日となりましたので、 いつものように、神様達からの助言をお伝えするとしましょう。タロット・剣の女王の逆位置 オラクル・情熱を蓄える。 悲しみと慈愛がせめぎ合い、 行場のない怒りがただ積もってゆく。うーん、今回はヒトへ向けた助言ではありますが。 神様達からの苦しみのメッセージとも言えるものですね。 聞き方はいつもどおりだったのですが、 何かしら意味があるからこその助言だとは思います。ただ、私が知っている限りで言えば、 神様達は愛していたいのに、 それをヒトが許してくれない。 そういった苦しみを今日は伝えられたのかもしれません。どうあれ、今日の助言を聞いた、 縁のある貴方様のゆく道が良いものであり、 幸せでありますように。
0
カバー画像

開門日の神様達からの日の本の国に生きるヒトへの助言。

さて、今日も昨日に引き続き開門日となります。 明日明後日は別のお役目に時間を使い、 力を回復するための休息のための日取りとなりますので、 よろしくお願いいたします。 それでは、早速今日の助言を視てゆきましょう。タロット・棒の小姓の逆位置。 オラクル・羽ばたく力。 先を見て駆け上がってゆくことは悪いことではありません。 しかし、足元を疎かにしていると、 思わぬところで転んで怪我をするかもしれないので、 よくよく注意しなさい。今日は前に進むために頑張っているモノ達が多い様子ですね。 ただ、だからこそ地に足のつかない行動に気をつけたほうが良さそうです。 頑張っているときだからこそ、 基本的なところを大事にしながら進むことで、 その頑張りが実になりやすいのかもしれませんね。それでは、今日の助言を受け取った、縁のある貴方様のゆく道が良いものであり、 幸せでありますように。
0
カバー画像

開門日の神様達からの日の本の国に生きるヒトへの助言。

開門日恒例の神様達のご助言を受け取ってきましたので、 今日もお伝えいたします。タロット・太陽の正位置。 オラクル・静寂の決断。 陽光の輝きを享受するために、 冷静に覚悟を持って決断する時がきた。ふむ、今日は結果という一つの節目を見るために、 必要な選択をする可能性があるモノ達が多そうですね。 その先の結果は決して悪いものではないはずです。 しかし、その結果を見るためには向き合うための覚悟と、 見誤らないための冷静さを持って、 事を選択する必要がありそうです。 ですが、忘れないでください。 覚悟と冷静な選択のその先には、 どうあれ温かな光が待っている可能性が高いです。 恐れず進むこと、冷静に選択することが鍵ならば、 ここまで歩んできた貴方ならその意味を、 貴方自身が一番知っているかもしれませんね。それでは、この助言を視た縁のある貴方のゆく道が良いものであり、 幸せでありますように。
0
カバー画像

開門日の神様達からの日の本の国に生きるヒトへの助言。

さて、今日明日は開門日なので、 開門日恒例となってきた助言をいただいてきました。 早速ですがともに視てゆくとしましょう。 タロット・勾玉の十の正位置。 オラクル・エネルギーを解き放つ。 成してきたことが実になる可能性がある。 今こそ得てきた力を思う存分に振るう時。今日はこれまでの何かしらの努力が実になりやすいモノが多い日のようですね。 得てきた経験、実績、いわゆる努力で得た力を 思う存分に使って、 最後の仕上げをするには良い日なのかもしれません。とはいえ、仕上げこそ焦らずに行うことも 必要と言えます。 しかし、焦るのはよくありませんが、 急ぐことは悪いことではありません。 その辺りを取り違えないようにすると 良いかもしれませんね。以上が今日の神様達の助言と私の解釈となります。 それでは、この助言を視た貴方様のゆく道が良いものであり、 幸せでありますように。
0
カバー画像

開門日の神様達からの日の本の国に生きるヒトへの助言。

さて、今日は開門日ということで、 神様達から日の本の国に生きるヒトへの 助言をいただいてきましたので、 ともに視てゆくとしましょう。タロット・鏡の士の逆位置 オラクル・冷静な選択 その鏡に映るものは本当に誠と言えるのだろうか? 陰と陽のバランスを見て、冷静に選ぶ必要がある。どうやら今日は何かしらを選ぶ必要があるモノが多そうですね。 ただし、それらに関して嘘偽りないか? 見落としがないか?などに注意したほうが良さそうです。 何事も表と裏のバランスが崩れない範囲で選んでゆくことで、 貴方の歩みは確かな一歩となるかもしれません。さて、今日の神様達からの助言と私の解釈は以上となります。 この助言を聞いた縁のある貴方のゆく道が良いものであり、 幸せでありますように。
0
カバー画像

開門日の神様達からの日の本の国に生きるヒトへの助言。

さて、遅くなりましたが今日も開門日なので、 神様達からの一言助言をいただいてきました。 不特定多数へと向けた助言なので、 視たものすべてに役立つわけではないかもしれませんが、 お伝えするとしましょう。タロット・勾玉の一の正位置。 オラクル・羽ばたく力。 始まりは遅く、早くとも一ヶ月、遅ければ一年の時がかかる。 しかし、それは始まりまで準備する時間があるということでもある、 その背を押すための翼に力を蓄えよ。何かはわかりませんが、 始まる前の準備段階にいるモノ達が多いのかもしれませんね。 ただし、始まりは遅く、焦っても仕方のない状況なのでしょう。 とはいえ、始まりまで何もしないのは得策とは言えないのかもしれません。 出来る準備はしておいて損はないと私は思います。 以上が今日の神様達からの助言と私の解釈でした。 それでは、この記事を見た縁のある貴方様のゆく道が良いものであり、 幸せでありますように。
0
カバー画像

今日の神様達からの日の本の国のヒトへの助言。

ついこの間といっても、四月中に神様達からのご助言で、日の本の国のヒトへ、開門日に合わせて一言の助言を伝えるようにと伝えられましたので、早速やってゆこうと思います。ということで、本日の神様達からの助言はこちらです。タロット・棒の六の正位置 オラクル・静寂の決断 静かなる選択に対して、多くの備えが必要となる。 早くて六時間、遅くて六日後までに事を整えよ。 不特定多数への助言なので、誰に向けてのモノかは私にもわかりませんが、もしも心当たりのあるお方がいれば、十分な準備をして事に挑むようにしてくださいね。それでは、貴方のゆく道が良いものであり、幸せでありますように。
0
カバー画像

資格証も無事届きましたので

改めて、資格試験合格のご報告をいたします。以上となります、これからも精進してまいりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
0
カバー画像

何かと事が詰まっていて忙しい日々ではありますが

先月受けた資格試験の二つも無事合格しましたので、 ご報告とさせていただきます。 なお、今回取得した資格は、 スピリチュアルタロット士と、 パワーストーン鑑定士の二つです。 引き続き占術精度向上のほか、 相談に訪れた方々のゆく道の助けと成れるように、 日々精進してまいります。 資格認定書に関しましては、 届き次第掲載いたします。
0
カバー画像

善悪の在処。

善と悪。 それは、ヒトが決める一種の指標です。 以前お話した、幸せと不幸せの定義は覚えていますでしょうか? あれと似たお話になります。 さて、今回は「善と悪」そして、 私達にとってのそれらに付いてお話しましょう。善と悪とは? 善と悪は、ヒトがヒトを裁くための指標であり、 ヒトが物事の判断をする基準です。 ヒトがヒトであれるのは、この基準によって、群れの秩序が一定に保たれるからです。 とはいえ、法は群れを守りはしますが、 群れの中に所属する個体を確実に守ってくれるわけではありません。 そして、群れの中枢が打撃を受けた時、 法というルールが維持されるかどうかは、 その群れに培われた常識によって左右されます。 どこでもそうですが、群れのルールが適応されない場所は、 群れが大きくなればなるほど存在しやすくなります。 それは、ヒトという群れの中では特に見られやすいことです。 では、私達にとっての善悪とは何でしょうか?私達にとっての善悪とは。 肉体を持った私はヒトの善悪を尊重して、 ヒトの群れに潜んでいるのは確かです。 しかし、私がお仕えする方々にとって、 ヒトの善悪はあまり大きな意味を持ちません。 私がお仕えする方々にとって、 善悪とはヒトの指標であり、 尊重こそしますが、 それによって物事を判断する基準には あまりならないのです。 では、何を持ってして私のお仕えする方々は 物事を判断するかと言われれば、 許容できるか、できないか。 言霊を変えると、許せるか、許せないか。 この二つだけなのです。 ヒトであれば気が遠くなるような時の中で、 私のお仕えする方々は、 感情がないわけではないです
0
カバー画像

運の巡り。

運の巡り。 それをヒトは運命と呼ぶことが多いです。 基本的に、ヒトはこの運の善し悪しを視て、 一喜一憂することもあります。 さて、今回は「運の巡り」についてお話しましょう。運の巡りとは? 運の巡りとは、色々と呼び方はありますし、 これらの流れを知る方法もありますが、 それは私達占術師が知っていれば良いので、 ここでは割愛します。 そして、運の巡りを難しい話を吹き飛ばして ざっくりとわかりやすくすると、 運の巡りとは常に一定ではなく、 変化し続けるモノである……と、 お伝えすることは出来ます。 正直これだけだとあまりにもざっくりしすぎて 逆に分かりにくいかも知れませんね。 すこし込み入った話をしましょう。運の巡りをヒトは運命と呼ぶ。 運命とは、魂が持って生まれた宿命の中で、 命が「自身の力」でどうにか出来る部分を示します。 これをヒトは「運命」と呼びます。 では、命が「自身の力」でどうにか出来ない部分を どう呼ぶのか?と、聞かれれば、 それを私達は「宿命」と呼びます。 基本的に、今のヒトであれば「運命」は割と 身近なものかもしれませんが、 「宿命」は今ひとつ遠く感じやすいかも知れません。 ただ、実のところヒトの道の七割は 「宿命」で決まったとおりに動き、 残りの三割が「運命」という可能性で左右されます。 道と言うと分かりにくいかも知れないので、 人生と言い換えておきましょう。 ここで、「人生の七割は決まっているなら、努力しても無駄じゃない?」と、 思った貴方様は残念ながら違います。 七割は確かに決まり事ではありますが、 残された三割で「ヒトは何にでも成れてしまうのです」。 私達は
0
カバー画像

場所という、心の拠り所。

場所。 それは誰かにとっては守るものであり、 誰かにとっては奪うものであり、 誰かにとっては帰る所であり、 多くのモノにとっては拠り所です。 今日は、そういった場所についてお話してゆきましょう。 場所。 巣穴、家、神域、縄張り、禁足地。 呼ばれ方は様々ありますが、 大抵のモノにとって、 それは心の……魂の拠り所です。 それがあって初めて多くのモノは 自身の存在意義を見出し、 事を進めることが出来ます。 例えば、神様達は祭られて初めて意味を持ち、 助けを求めるモノたちに助力が出来ます。 例えば、教えは伝えられて初めて意味を持ち、 それを信じるモノたちの道や支えとなります。 そう言う意味で場所というのは多くの命にとって、 とても大切なモノであることが多いです。 場所は意味を与えますが。 逆に、言うとそこに場所を作るモノ達がいて、 初めて場所というモノは成立します。そう言う意味では、場所とは本質的に言うと 何もない事から始まるのです。 昨今では居場所を求めてさまようモノも 多いですが、場所は先程も触れたとおり、 作るモノ達がいなければ成立しません。 そして、場所に意味を与えているのは、 結局のところそこを作ったモノかモノ達なのです。 そう言う意味では、大抵の場所では 私達も含めて場所を借りていると言えます。 これは私事まじりなのですが。 ここ最近は観光地になった神域の 穢れのたまり具合が、神様たちの処理能力を 超えることも多く。時に心無いモノ達が荒らすことで 神域としての力が弱まってしまう場所もあります。 外つ国のモノ達だけではなく、 日の本の国のモノ達も最近では信仰心の 薄まった
0
カバー画像

分かっていることと、認められることの違い。

分かっていること、認められること。 何事もそうですが、分かっている事に対して、 認められることは同じようで違います。 たとえ、分かっていても、 他のものから認められるためには、 分かっていることをうまく伝えられなければなりません。 今回は、そういった事をお話しましょう。分かっていること。 分かっていることというのは、 そのモノの本質を知っているか、 何らかの知識を正しく保有している状態を ここでは指すこととします。 そして、分かっていることに関して言えば、 それを分かっている、理解しているので、 その知識やモノを正しく使う分には必要な力量を 持っていると言える状態です。 しかし、認められるということに関して言えば、 これだけでは不十分な事がヒトの世でも 多くあります。 認められるということ。 認められるということは、 つまり相手にその知識を相手が欲する形で 教えることが出来る状態とも言えます。 自身で分かっていることを相手が分かるように 伝えられることで、初めて他のモノから認められる事が 出来るとも言えます。 自身が分かっているだけで、 他のモノに教えられなければ、 それは分かっているだけで、 認められていることにはならないのです。このあたりの指標となるのが いわゆる資格試験などとなります。 今回は、丁度よく私が三つ目の資格試験に 落ちましたので、改めてその重要性を 実感したのもあり、お話しておこうと 思いました。 つまり、ヒトに認められるということは その知識を求められた時、 正しい形でその知識を教えられることが 最低条件になるということです。 私も改めて学びを深めて、 より
0
カバー画像

三つ目の資格の試験結果がでました。

さて、今回三つ目の資格の試験結果が出ました。 結果としては、残念ながら不合格となりました。 私の中で最も難関と感じていた占術試験なので、 分かっていることと、認められる事は違うという よい経験に成ったとも言えます。 九星術の知識と気学の知識を持ち合わせて ハイブリッド化しているので、 改めて気学の知識を再確認する必要性がありそうです。 二月の九星の動きに合わせて行うように言われている 修行に関しても、気学の知識の実践となりますので、 実際に感じながら改めて挑むことにいたします。 どうあれ、日々精進が大切なので、 引き続きお役目と修行を続けながら、 学び続けるとしましょう。
0
カバー画像

生きるということ。

生きるとは? ヒトは生きることに関して言えば、 かなり複雑に物事を捉えているモノ達です。 ただ、私達からすると、少々複雑に捉えすぎている ところが多く見られます。 今日はそんな生きることについてお話しましょう。生きるとは。 ヒトの中で生きると言うと、 一般的には使命感的なモノが大事とされている 場合が多くあります。 もちろん、それも間違いではありません。 生きることに意味を見出して、 使命感を持って道を歩むモノは強いのも確かです。 しかし、ヒトと言っても全てのモノが 生きることに意味を見出しているわけではありません。 多くの場合は何故生きているのか? と、いう答えのない問いを自身にし続けて 苦しむものも多いです。 それ以外にも色々とありますが、 基本的にヒトは何かしら意味を求めるモノなので、 大抵の場合苦しんでいます。 では、生きるとは? 個体によっては自身の生きる意味を 自身で定義出来るモノもいれば、 そうでないモノもいます。 そもそも生きる意味を求めたとしても、 そこに本来答えはないので、 生きる意味を探しているモノは 自身でその意味を定義できなければ 永遠と迷い続けるとも言えます。 とはいえ、肉体を持った命には基本的な 生存本能が備わっていますので、 そこから基本的なことを伝えることなら、 私は出来ます。 ということで、今回は生きる意味を 見つける助けではなく、 何を持ってして生きるとするのか? をお伝えしましょう。 命が肉体を持って生きるということ。 ヒトは生きることには意味が必要だと 感じるものが多いです。 これも、もちろん間違いではありません。 しかし、この意味を
0
カバー画像

近況報告をいたします。

荒行に急務が重なって一日ほど肉体が使い物にならなくなっていました、今はこんな感じで動けなくなることがあるかも知れませんが、最低限肉体が動けば、魂はいつでも元気なので占術を使うのには問題ありません。とはいえ、肉体が動かない時は大人しく休んでいることにしましょう。無理をしてもちゃんとした助けが出せなくては、私が任されたお役目の一つである、占術でヒトを助けるというお役目はこなせませんからね。以上を簡単な近況報告といたします。
0
カバー画像

何事も飛ばして進むことは出来ない。

飛ばして進むということ。 ヒトの多くが夢見る方法です。 この工程を飛ばしてここにたどり着きたい。 これを省いてここにたどり着きたい。 ここを一つ飛び越してここにたどり着きたい。 飛ばして進む、ヒトであれば一度は思った事があるかもしれません。 しかし、物事というのは大抵の場合飛ばせているように見えて、 実のところ飛ばしたと思った分だけ先の負債になっているモノです。 さて、今回はそういった飛ばして進むことが出来ない事をお話しましょう。 いや飛ばせるでしょ?やっているヒトいるもん。 と、思うモノもいるかもしれないので、 まず飛ばすという行為がどういうモノか 軽くお話しましょう。 飛ばすというのは、ヒトヒトリであれば、 ただの先の負債が増えるだけの行為です。 しかし、複数名のヒトが協力している時に、 何かを飛ばすという行為は、 他の負担が増えている事を意味します。 このあたりはいわゆる負担のしわ寄せと言いますが、 今回のお話はヒトヒトリの部分に関してお話するので、 後者にこれ以上は触れません。 さて、飛ばすという行為がなぜ先の負債の蓄積に繋がるのか? それをお話してゆきましょう。 飛ばした先の負債の蓄積。 さて、先程お伝えしたとおり、 飛ばすという行為は、先の負債の蓄積に繋がります。 なぜ、先の負債の蓄積に繋がるのか? と、私が問われれば。 それは、本来やるはずだったことを、 あとに回したからですよ。 と、答えます。 基本的に 物事というのは、一歩ずつの過程をこなすことで成立します。 結果はどうあれ、過程を積み重ねることで、 ことはなるようになるのです。 しかし、この過程を何かしら
0
カバー画像

三つ目の資格試験に関して、追加のご報告。

後になってメールが届いて分かったのですが。 合格していました。 嬉しい誤算ではあるのですが、 どうあれ気を緩めるなという、神様たちからの 言伝だと思って引き続き精進してまいります。 改めて、三つ目の資格試験に合格いたしましたことをご報告いたします。
0
53 件中 1 - 53