定休日。
それは肉体を持つモノの中で、
主にヒトが肉体を休めるために必要とする
時のことです。
ただ、命にとっては定休日とは、
肉体のためだけではなく、
命にとって、魂にとっても大切なモノとなります。
さて、今回は命の定休日についてお話しましょう。
命の定休日。
命の定休日と言われると、
そもそも命って何さ?
と、言われる場合もあるかもしれませんので、
先に命について軽く説明しておくとしましょう。
命とは、難しい話を省いてヒトに分かりやすく
伝えるならば、貴方様を動かしている力の塊です。
そこから、感情やら何やらが生じており、
ヒトはそれを魂とも呼びます。
命のある場所は脳……と、思われがちですが、
実のところ心のある場所。
つまり、心臓に命は宿っています。
ある意味では昔のモノ達も、本質的なところを
よく捉えたモノもいたのでしょう。
なんだったら今より捉えやすかったかもしれません。
そう言うモノと身近でしたからね。
これ以上このあたりを深堀すると難しくなるので、
ヒトに分かる範囲で話しを収めるために先へ進みます。
なんとなく分かったけれど、そもそも命に定休日って必要なの?
と、思われた方もいるかも知れませんが。
正直肉体と同じで、ヒトの命≒魂≒心なので、
このあたりに元気が無くなると、
そもそも肉体が動かなくなります。
肉体に根本的な動く元気を与えているのは命なので、
命が疲弊して本来の力を出せなくなると、
肉体に多大な影響が出始めるのです。
昨今では科学の発展や医療の発展と共に、
このあたりがヒトに捉えやすいように
名前がつけられているのも珍しくなくなりました。
いわゆる精神病とも言われます。
とはいえ、ここで病についての詳しいことを
お話するためにこのお話をしているわけではないので、
少し想像しやすくするとしましょう。
心が疲弊するとはどういうことか?
心が疲弊するとはどういうことか?
と、問われれば、私は心の怪我と答えます。
心は魂であり、命です。
そして、命は魂であり、心です。
そして、心は感情を生み出すヒトにとっては
ある意味厄介でありながら、最も大切なモノとも言えます。
そして、心が疲弊するというのは、
軽いもので言えば小さな擦り傷や切り傷が、
ヒトは生きていると心に増えてゆくモノです。
当たり前ですが、小さくとも擦り傷や切り傷が
多くなってゆけば、どんなに小さな怪我でも治癒が
追いつかなければ致命傷になってゆくのは肉体と同じ原理です。
昨今ではヒトとヒトの関わりが複雑化していますので、
打撲や打ち身、最悪刺し傷や大きめの切り傷を負っている
心もよく目にします。
これらを治癒するために、心にも定休日というのは
大切なものなのです。
とはいえ、昨今の情勢から
休めないモノも多くいるのも確かです。
そういった場合には、短くともよいのでしっかりと
休憩を取るようにすれば、ある程度肉体も心も
休めることが出来ます。
とはいえ、そう言っていられないモノたちもいるので、
そこは生きている場所によるとしか言えません。
ちなみに、心の休息が十分でないと
大抵の場合ヒトは狂うか壊れるかします。
どちらも良い状態ではないので、
そうなる前に休める時はしっかり休んでおくことが大切です。
なってからだと手遅れの場合もありますので、
一般的なヒトは手遅れになる前に本当にしっかりと休みましょうね。
私みたいに一回壊れてから復活するどころか
ヒトでないモノになると、かなり大変な道を歩まないとなりませんからね。
とはいえ、なってしまった時は
しっかりと心を治癒することが大事です。
一度致命傷になってしまえば、
最悪十年近くの時を使って心を立て直す必要があります。
数年あれば何とかなるのは特殊な事例ですし、
数年で何とかなるならまだ傷は浅い方です。
周囲の理解や協力も必要不可欠になってくるので、
そうなる前に再度言いますが心にも定休日を与えてあげてくださいね。
さて、今回のお話はこのあたりにしましょう。
今回は少々センシティブなお話だったかもしれませんが、
今回のお話から貴方様がナニカに気づく切掛けや、
学ぶ切掛けとなれば、私は幸いに思います。
そして、今回も貴方様のゆく道が良いものであり、
幸せであるように、私は祈ります。
では、またナニカお話できそうな時にお会いしましょう。🐺🐉⛩️🦊☀️