出来ること、出来ないこと。
さて、ヒトに限らず命には大抵の場合
得手不得手があります。
命と命はだいたいそれらを補いながら
生きているのですが……。
今回はそういった得手不得手、
つまり、出来ること、出来ないことについて
お話してゆきましょう。
出来ること。
出来ること、それは大抵の場合得意不得意はさておき、
何らかの形で道具やことを動かすために必要な知識や
力を持っている状態とここではします。
好き嫌いに関しても得意不得意と同様です。
出来ることというのは、簡単に説明するならば、
特に苦も無く使うことの出来る知識、技術、肉体動作などが
一般的には出来ることとなります。
ここに、少し無茶は入っても出来るとなると、
一般的な出来ることの応用的な範囲になってきます。
ヒトは大抵の場合は、出来ることを無理なく日々こなすことで、
新たに出来ることを増やしてゆきながら成長してゆきます。
昨日はここまでやった、今日はここまで出来た。
これをやるまでこれは出来なかった、でも今は出来る。
こういったモノが出来ることであり、成長です。
そんな出来ることですが。
出来ることというのは、最初に伝えたとおり、
当人の好き嫌い、得手不得手の認識はさておき。
出来ているので、出来ることなのです。
何を当たり前なことを?
と、思われるかもしれませんが。
このあたり、ヒトは感情による制限がある場合、
出来ていることも出来ていないと判断してしまう事があります。
まあ、本当に出来ていない場合もあるのですが、
出来ていることを出来ていないとするのは、
大抵のヒトにとってはストレスでしかないので、
基本的には過去の自身と見比べてどれくらい出来ているか?
と、いう判断基準で出来ることは視るほうが、
結果的にはよい歩みとなりやすいです。
では、出来ないことをお話しましょう。
出来ないことは、言葉通りどうやっても出来ないことです。
知識もある、技術もある、しかしどうやっても出来ない。
そう言うモノです。
そういった場合は得手不得手と好き嫌いはさておき、
出来ないこととなります。
出来ないことは基本的にどれだけやっても出来ないままです。
稀に、とんでもない努力の末に出来るようになるモノもいますが、
一般的なヒトにとって、出来ないものは出来ないのです。
そして、出来ないことを無理して続ければ、
まずは精神……魂に異常が発生し、
次に、気づかないうちに肉体に異常が発生し、
最悪肉体を失います。
出来ない事というのは、無理してやればやるほど、
実は肉体の消耗を余分に増やしてしまい、
結果的に肉体を失う時を早めてしまうのです。
しかし、出来ないことも。
実際の所出来るものの、
あえてやらないモノもいれば、
単純に失敗を恐れてやらないモノもいます。
前者はそれを使うことが危険であると
分かっているものや、
使えるが使う必要性を感じないモノである場合もあります。
しかし、後者は十分な力量も技術も知識もありますが、
一歩踏み出すことが出来ない状態と言うと分かりやすい
かもしれません。
このように。
出来ること、出来ないことも実のところ裏と表の様な
関係性になっています。
基本的なところでは、出来ることでも無理はしてはいけない。
出来ないことはあえてやらないのでなければ、
無理してやらないで助けを求める事が、
ヒトであれば大事なことになってきます。
大抵の場合、命と命はこうした得手不得手を
互いに補うことで、助け合って生きているのが本質的なところです。
とはいえ、これは生きる場合に限った話であり、
趣味などに関して言えば好き嫌いでやれる余裕をもてるのが、
現在のヒトというモノたちです。
つまるところ、一人で何でも出来るのもよいですが。
少し足りないなと思った時や、
無理しないと出来ないなと思った時は、
助けを求めるのも一つの手です。
それに答えるモノがいるかどうかは別として、
声を上げなければ大抵の場合ヒトは無関心ですからね。
興味をひかなければ、助けてもらうことも出来ないのです。
ただ、助けてもらった時は、その助けてもらったという経験を
次に繋げるために、助けてもらったモノに返すのもよいですが、
助けてもらった時の経験を他のモノに伝えるように、
同じく出来ることで助けてあげられるとよいですね。
そうすることで、命の群れというのは良い意味で
巡ってゆくのですからね。
さて、今日のお話はこのあたりにしましょう。
今回のお話も貴方様のナニカの気付きや、
学びになれば幸いに思います。
そして、今回も貴方様のゆく道がよいものであり、
幸せであるように、私は祈りましょう。
では、また何かお話できそうな時にお会いしましょう。🐺🐉⛩️🦊☀️