当たり前とは。
先をゆくモノ達が、
後に続くモノ達のために残した知恵です。
そして、当たり前と言うモノは、
所属するヒトの群れによって多種多様に変化します。
今回は、そんな当たり前についてお話しましょう。
当たり前ということ。
当たり前というのは、いわゆる一般的な常識とも言われます。
ヒトの群れで、主に国と呼ばれるモノが基礎を作り。
その国という群れの中で、更に細分化されたグループが
それぞれの解釈から「当たり前」と呼ばれるモノを作り出します。
さて、この時点ですでに察しの良いモノは
気づいているかもしれませんが。
この、細分化されたグループの「当たり前」は
他の細分化されたグループの「当たり前」とは
似て非なるモノとなります。
特定の細分化されたグループの中で生きている場合、
似たような「当たり前」を共有することはありますが。
似ているだけで、大抵の場合ズレが生じていることの方が
多いのも確かです。
とすると、「当たり前」という概念は
この時どうなるのでしょうか?
簡単に例えるなら、それは「非日常」となるのです。
当たり前と群れの違い。
では、群れが変わると「当たり前」という概念は
更にどうなるのか?と、気になるモノもいるでしょう。
それは「別世界」となります。
特定の群れで「当たり前」とされていたことが、
とある群れでは「非日常」であればまだ良い方であり。
ほぼ通用しない状態を「別世界」というと
分かりやすいかもしれません。
そして、ヒトは違う群れに移り、
これまでの当たり前が通用しない時には、
大抵の場合それに適応しようとするか、
逃げて当たり前の通用する群れを探すかのどちらかです。
この時無理に適応しようとして過負荷によって
潰れる個体もいないわけではありません。
そう言う意味でも、自身にとっての「当たり前」というのは、
常に何かの「非日常」と思っておいたほうが良いとも言えます。
実際、私のようなモノをヒトが見れば、大抵の場合は
「非日常的なモノ」として見えます。
実際そうなので、間違いではありません。
そして、私達はそれを知っているので、
ヒトの群れに紛れ込む場合は、
必要最低限、ヒトが分かる範囲で事を動かすように
注意していることが多いです。
逆に言えば、こちら側に入り込んできたモノには
容赦なくこちら側の方法で対処しているとも言えます。
このように、「当たり前」という概念は不安定なものであり。
常に自身の「当たり前」が他のモノの「当たり前」と
どれくらい違うのか?どれくらい似たような事が通用するのか?
という距離感を図っておく必要があります。
場合によっては自身の「当たり前」とあまりにも違う相手と
ある程度許容し合う場合は、「当たり前」をすり合わせて
距離感を図り、そのお互いの許容範囲で接するというのが
大切になってきます。
ここで、どうしても許容できない場合は、
あえて触れることなくそれなりの距離をとるか、
離れることも大事な選択肢となってきます。
このあたりはヒトに限らず多くの命が行っている事です。
お互いの「当たり前」をすり合わせて、
許容範囲を探り合い、その距離感を保ってうまく付き合ってゆく。
それが共生するということでもあります。
今風に言えば、これが本来の多様性の形とも言えます。
ただ、最近のヒトの中ではこのあたりの調節が
うまく出来ないモノも多く見られるようになっているので、
自身もそうなっていないか?と、常に気をつけるのも
大事なことだと私は思います。
さて、今回のお話はこのあたりとしましょう。
今回のお話から貴方様が何かを学べたり、
気づくことが出来たりしたなら、私は幸いに思います。
貴方様のゆく道が良いものであり、
幸せであるように、今回も祈らせていただきます。
では、また何か伝えられそうな時にお会いしましょう。🐺🐉⛩️🦊☀️