絞り込み条件を変更する
検索条件を絞り込む

すべてのカテゴリ

16 件中 1 - 16 件表示
カバー画像

歩みを止めない歩み方。

道とは、歩み続けるもの。 そして、その歩みを進めるためには 日々やることをやる必要があります。 ただし、これらを行うのが 難しいというモノも多いことでしょう。 今回は、歩みに関して少しでも歩みやすくなる様なお話をしましょう。歩むとは。 ここで言うところの歩むとは、 いわゆる生きるともいえる事です。 多くのモノが、自身というモノに対して 何らかの目標や向かいたい場所を定義することで、 そこに存在を視ています。 しかし、何かをする時、 大抵の場合は先達がいるものです。 そして、先達と今の自身を比べてしまい、 自身が立てた目標でさえやる意味に疑問を抱くモノが 多いのも昨今ではよく目にします。 さて、今回のお話はとても単純明快。 歩む時、どうしても他のモノと比べてしまいがちで、 そうすることで自身を落としてしまいがちなモノが このお話を聞いているとするならば。 比べる対象を過去の自身にして一歩ずつ歩むようにしたほうが、 結果的に成長を実感しやすく、歩む力も得やすいですよ。 と、先に伝えておきます。 これに関しては何故か?と、問われれば。 私は先達を視ているのは良いことだとも答えます。 それは先達から学ぶ姿勢があるからです。 ただし、先達と比べてはならないとも言います。 そこには努力だけではどうにもならない、 努力した時間の差があるからです。 基本的に歩むという事は。 先に動いていたほうが、当たり前のように 前を進み続けます。 そのモノがその道を歩むのをやめない限り。 そのモノも時間と共に歩み、成長し続けるのです。 前に進み続けるモノに追いつくには、 それこそ走って追いつくか、 良い師
0
カバー画像

お陰様というモノ

さて、今回は当たり前ながら忘れがちな事をお話しましょう。 これはヒトの中ではあまりにも当たり前で、 当たり前過ぎてヒトによっては意識することすら ないかもしれません。 今回はそういったモノ達のお話をしましょう。お陰様。 お陰様というと、貴方様は何を思い浮かべるでしょうか? 言霊としての意味、感謝の意、もしくは踏み込んだモノならば 神様たちの無償の愛を思い浮かべるかもしれません。 さて、今回お話するお陰様というのは、 一種の当たり前を維持してくれているモノ達のお話です。 それらは当たり前過ぎて忘れがちで、 実はそのモノ達がいなければ私達の日常は 比喩なしに維持することは不可能と言うことを私は知っています。 では、私達の日常とは、何で維持されているのか? と、気になるモノもいるかもしれません。 一般的なヒトから認識されやすい事で言うと、 それは誰かの仕事です。ただ、少々踏み込んだところで言うと、 誰かが勝手にやっていることで維持されています。 勝手にやっていることで維持されている? と、思うモノもいるかも知れませんが。 実際のところ多くの事はこれらによって維持されているのです。 例えるならライフラインは誰かの勝手にやった仕事で維持されています。 別の例えなら、誰も片付けない道端のゴミを勝手に拾って整理して、 ちゃんとゴミとして出せるようにしているモノ達がいるから、 日常的に綺麗な場所を歩むことが出来ます。 これを勝手にやったこととして笑うモノもいますが。 この勝手がなければ笑ったモノの日常すら維持されないのです。 何かが勝手に、誰かが勝手にやったことで私達の日常は維持されている。
0
カバー画像

事と、過程と、結果。

事が始まれば 過程と結果が巡ります。 そして、結果をみれば。 また、事を初めて巡りを循環させるのが命です。 今回は、そういった事と過程と結果についてお話しましょう。事は物事の始まり。 事というのは、基本的に命が 何からの切掛けで起こす行動の事を言います。 これをヒトに当てはめるなら、 目標を立てて、そこに向かうために何をすればよいか? などを考え始めた時点で事が動いています。 これが、行動を起こすということであり、 ヒトが歩むために常に必要とする事です。 基本的に事を起こす時、 ヒトは意思決定をして動きます。 これらが発生した時に、事に責任が発生します。 何もしないという事を選んだとしても、 それには責任が発生するということでもありますね。 さて、では過程とは? 過程は事が発生した後に、起こり得るすべての 物事を指し示します。 目標を立てた、出来ることを洗い出した、 一つずつこなし始めた、考えられることを全部やった。 と、なるまでが過程です。 過程には基本的に代償が必要になります。 何かをする時に、それに必要な代償を常に 命は支払っているのです。 それが物質的なモノなのか? 非物質的なモノなのかは、 その時の過程次第となります。では、結果とは? 結果は過程を終えた時に得られるモノです。 事を起こし、過程を経て、代償を支払い、結果へとつながる。 基本的に物事はこれらの工程を経て巡り続けます。 基本的に結果云々と言われるヒトの世ですが、 結果が出るには過程を経なければならないので、 実のところ、結果云々言うモノほど物事の本質に気づくことが 出来ておらず。挑戦的な行動が一切出来ない
0
カバー画像

言霊。

言霊とは。 いつかどこかで少しだけ語った事もありますが、 言霊というのは、ヒトが簡単に使える 呪詛の一つであり、治癒にも殺生にも使える、 ヒトが常に所持できるモノの中で、 最も扱いが難しい道具です。 今回はそんな言霊についてお話しましょう。言霊とは言葉です。 言霊と言われると馴染みがないので、 わかりにくいモノもいるかも知れませんが。 言霊というのは、つまり言葉の事です。 日常的に使われるこれら言葉ですが、 その本質を知って使いこなせれば、 どんな武器よりも下手をしたら強力な モノとなります。 このあたりは、昔からそうですが、 言霊は使い方次第でヒトを活かすことも、 殺すことも出来ます。 そして、昨今ではこのあたりは軽視されがちなので、 わりと言霊による被害の拡大は私達でさえ 抑えることが出来ていません。 言霊に込められる力の違い。 言霊には良い力も、悪い力も 使い方次第で込める事が出来ます。 基本的に私達のようなモノは ヒトを活かすための力を込めて 言霊を使うのですが。 実のところ、活かすための力よりも、 殺すための力のほうが十倍くらい強いです。 言葉に縛られるとよく聞くモノもいるかもしれませんが、 それらをよく聞く理由はこのあたりにあります。 ヒトの善悪の関係でもそうですが、 悪を一つ倒すのに、善が十必要とよく例えられるように、 言霊も同じ理が宿っている……と、いうよりは ヒトの良し悪しはほとんど言霊から作られるので、 言霊から善悪が生じているとも言えます。では、悪い力を込めた言霊はどう使われるのか? ヒトの中で一般的な悪い力を込められた言霊の 使われ方は、「縛る」、「落と
0
カバー画像

過去から学び、今を視て、先を視る。

学びとは、生きるモノ達の強みです。 物質的な肉体などを持ったモノ達は、 基本的に学ぶことで強くなります。それは過去からの贈り物でもあり、 先人からの手向けです。 今日は学ぶことについてお話しましょう。学ぶということ。 それは、多くの場合生きるうえで必要な事です。 今のヒトの世は、基本的に命の保証がある程度 されている状態なので、学びから得るモノは 軽視されがちな事も若いモノの中には多く見られます。 しかし、この学ぶという行為は、 ヒトの短くも長い一生を歩むうえで、 とても大切な行為となります。 まずは過去から学ぶことについてお話しましょう。 過去から学ぶ、それは先人が残した歴史や、 痕跡、今に続く技術から得られる知識などがあります。 ただ、ここで私がお話する過去とは、 ここまで歩んできた貴方様のきた道です。 ヒトにとって多くの場合過去というのは、 色々と目を背けたくなるような事を多い場合もあります。 私もヒトだった頃は過去から目を背け、 何だったら逃げてさえいました。 自身という過去から逃げて、学ぶことを拒否していたのです。 しかし、自身の歩んできた道というのは、 今の自身を確立するうえで必要だった過程です。 これを拒否するというのは、自身を否定しているのと 変わりない行為でもあります。 また、苦しい過去を直視して、本当の意味で 自身の糧にするためには、多くの苦しみと、 覚悟が必要なのも確かです。では、何故そんな事をする必要があるのか? そう思うモノもいるかもしれません。 過去は過去であり、得られるものがなければ、 苦しいことばかりなら、視る必要も受け入れる必要も ないのではな
0
カバー画像

当たり前という、非日常。

当たり前とは。 先をゆくモノ達が、 後に続くモノ達のために残した知恵です。 そして、当たり前と言うモノは、 所属するヒトの群れによって多種多様に変化します。 今回は、そんな当たり前についてお話しましょう。当たり前ということ。 当たり前というのは、いわゆる一般的な常識とも言われます。 ヒトの群れで、主に国と呼ばれるモノが基礎を作り。 その国という群れの中で、更に細分化されたグループが それぞれの解釈から「当たり前」と呼ばれるモノを作り出します。 さて、この時点ですでに察しの良いモノは 気づいているかもしれませんが。 この、細分化されたグループの「当たり前」は 他の細分化されたグループの「当たり前」とは 似て非なるモノとなります。 特定の細分化されたグループの中で生きている場合、 似たような「当たり前」を共有することはありますが。 似ているだけで、大抵の場合ズレが生じていることの方が 多いのも確かです。 とすると、「当たり前」という概念は この時どうなるのでしょうか? 簡単に例えるなら、それは「非日常」となるのです。当たり前と群れの違い。 では、群れが変わると「当たり前」という概念は 更にどうなるのか?と、気になるモノもいるでしょう。 それは「別世界」となります。 特定の群れで「当たり前」とされていたことが、 とある群れでは「非日常」であればまだ良い方であり。 ほぼ通用しない状態を「別世界」というと 分かりやすいかもしれません。 そして、ヒトは違う群れに移り、 これまでの当たり前が通用しない時には、 大抵の場合それに適応しようとするか、 逃げて当たり前の通用する群れを探すかのどちら
0
カバー画像

側面の捉え方。

側面、多面、一面。 側面とは、物事の本質から生じる 数多の可能性の塊の一つです。 それらは多面的であり、 多くの場合ヒトはその一面を視ているので 精一杯な事が多くあります。 さて、今回はそういった側面についてお話しましょう。側面という視え方。 側面というのは、多くのモノが見せる可能性の 一面と言えますが。 先程もお伝えした通り、基本的にこれらは一つではありません。 物事やそれら個体から生じる側面は、 本質と呼ばれるモノから生じます。 本質自体は変化することなく、 基本的に一定の形を保っているモノですが。場合によってはこれが安定していないモノもいます。 そう言う場合本質を視る私達は少々そういったモノに とある御方を感じ取るのですが、 それらのお話はヒトの領域では難しいお話なので、 このお話の中ではしません。では、側面はどういったモノかと言いますと。 本質から生じた可能性の一欠片というのは 最初にお話したとおりですが。 言うなれば、そのモノを外から捉えて定義するための アウトプットされた情報の一つです。 これらの側面を受け取る側がインプットすることで、 物事や個体の識別が基本的なモノから行われます。 ちなみに、これらは有機物や無機物にかかわらず、 基本的に命から生まれたモノは無意識の領域で 行っています。 また、アウトプットする側も本質から 基本的に無意識でこれらをアウトプットしていますが。 稀に、これらを意識的に調整できるモノも存在します。 とはいえ、そういったモノは稀なモノです。 本質的な部分を意識的に調整できるモノは、 そういった特殊な訓練を積んでいるか、 もしくは物事の本質
0
カバー画像

幸せと不幸せの定義。

ヒトは幸せを追い求めます。 幸せとは、一般的には物質的に豊かである事、 精神的に満たされていることなどが挙げられます。 今回はそういった幸せと不幸せの定義をお話しましょう。幸せと不幸せの定義。 ヒトにとって幸せや不幸せというのは、 基本的に自信の身の回りで起きた事から 定義されてゆきます。 外的要因から幸せや不幸せの定義を学ぶこともありますが、 基本的にはそれらを見てどう定義するかは個体差が大きいです。 そして、外的要因からの幸不幸の尺度は 正直あてになりません。 なにせ、その尺度自体が他のモノの尺度でしかないからです。 他のモノにこう言われているから不幸。 他のモノがこう言っているから不幸だとするならば、 極貧食生活を自ら選んでお役目と修行をこなしている 私は他のモノから視れば、とても不幸な存在です。 ですが、私自身はそうではありません。 少なくとも私は他のモノから見て不幸かもしれませんが。 私自身は別段不幸でもなんでもなく、 何だったら神様たちの存在を知ってからは 幸せや不幸を意識したこともありません。 ただ、これまでの過程があって、 歩んだ道が今の私にとって必要なことだったと 間違いなく言えるのは確かですし。 それらを含めて視ても幸せだったと私は言えます。もちろん、良いことばかりではありませんでしたが、 悪いことばかりでもありませんでした。 私がヒトのある側面は嫌いですが、 ある側面は好きですよと、言うのと同じ様なモノです。 結局のところ、幸せの定義は自身にしかわかりません。 なので、本来は幸せや不幸せの定義というモノは、 他のモノの言霊に左右されて行うものではなく。 自
0
カバー画像

命に与えられた、肉体という時間。

命には、肉体という時間が与えられています。 それは命にとって本能的に守る必要があるモノであり、 肉体を失うというのは多くのモノにとっては恐怖です。 今日はそんな、肉体という時間についてお話しましょう。肉体という制限時間。 命は様々な形で物質世界にて、 その輝きを磨いていますが。 肉体と呼ばれる器を得て生まれた命は、 少々他の生命よりも強い輝きを持ちやすいモノです。 大体の命が物質世界にて形を得た場合、 その側面的なモノは常に変化しながら あり続けたりするのですが。 肉体を持って生まれた命は、可能性という 不確かな力を持って、 その形すら大きく変えることがあります。 ただし、肉体を持った命の制限時間は短いものです。 肉体を持った命の制限時間は、 多くの場合個体差があれども短く設定されています。 生物として視るのであれば、大樹になりうる植物よりも 短命であり、ヒトが無機物とするモノであれば、 鉱物が巡る無限に近い時の中では一瞬の出来事です。 宇宙(そら)の規模にしてみれば瞬きした瞬間には 消えているかもしれません。 そう言う意味では、肉体に与えられた時間は 思ったよりも短いモノが多いです。 そして、肉体にも個体差があり。 更に短命、長寿の区分がヒトの中では細分化されています。 小動物で約二年、中型の犬猫で十数年ほどです。 ヒトの枠で言うならば、今なら八十を平均に、 百を超えれば大往生とされます。 しかし、大抵の場合は肉体という制限時間は それぞれの命によって与えられている時間が違います。 ヒト基準で言うなら、若くして先にゆくモノもあれば、 一世紀近くを生きる生き証人となるモノもいま
0
カバー画像

思い出や宝物。

多くのモノにとって 思い出には物質的なモノがあることが多いです。 それは悲しみも、怒りも、苦しみも、 楽しかったことも、嬉しかったことも、 全てを思い出せる鍵として機能しています。 今回は少しだけノスタルジーを感じるかもしれない お話をしましょう。苦しみを思い出す呪いの品や、思い出の宝物。 さて、思い出の品といえば、 多くのモノにとって、それに触れて、 聞いて、視ることによって、 何かしらの感情的作用や記憶に影響を与える モノを指す言霊です。 幼少期から大切にしているモノや、 大人になってから集めているコレクション。 旅行先で手にした小物や、 友人からもらった雑貨。 そういったモノが、 いわゆる呪いの品や宝物と なることが多いです。誰もが大切にしているモノがあると思います。 それらを大切にするのは良いことです。 モノには触れることで命が宿り、 場合によっては所持者の力となります。 ただ、そういった物質的なモノとは、 大抵のモノがいつか別れる日が来ます。 理由は様々です、ヒトには様々な生きる道があり、 その道の中で取捨選択をしなければならない時は 思ったよりも多くあります。 そう言う時に、呪いの品や思い出の宝物とは 別れがたいことがあります。 しかし、出会いがあれば、ほぼ確実に別れはきます。 そういった時、どうやってさよならが言えるのかが大事です。 どういうわけか、多くのモノは 出会いと別れを繰り返すことで強くなります。 ただ、別れというのはどうやっても多くのものにとって 辛く、悲しいものです。 特にヒトはそういった事が尾を引きやすいモノでもあります。 そして、大抵の場合は今の学
0
カバー画像

三が日は修行参りの日々でした。

三が日は修行参りの日々でした……。 結構ハードな修行参りだったので肉体の 回復が間に合っていませんが、 何とか事をこなせる程度には回復しているので、 事を進めてゆくとします。それはそれとして やはりお仕えしている方が多いと挨拶に参るのも 一苦労ですが、よい修行になるのも確かです。 しかし、三が日のお社のヒトの多さは 相変わらずですね、信仰が集まるのは良いことなのですが、ヒト酔いがひどくて各所でフラフラしていました。 ヒトをやめてからヒトに酔いやすくなっているので、 相変わらずヒトの多いところはあまり合わないようです。 それでもヒトが多い場所に出る必要のある時は 出るので、仕方のないことなのですがね。 何にせよ、九星の巡りが変わるその時までは 必要な学びをもう少し続けるとして、 その後は可能な限り小さな陰徳を積むとしましょう。 今年お仕えする方々からの助言として いただいた事や、求められているのがそのあたりなので、 去年とあまり変わりませんが、出来ることを 出来る範囲で続けてゆくとしましょう。 さて、今日から仕事始めのモノも、 そうでないモノもそろそろ正月気分から 切り替えてゆく頃合いですね。 今年も無理なく事を進めてゆくとしましょう。今年は節分から二黒土星の年五黄殺が北東、暗剣殺が南西、歳破が北西に位置します。 方位を気にするモノはそれらに気をつけて 事を進めるとよいでしょう。 それでは、貴方様のゆく道が良いものであり、 幸せでありますように。🐺🐉⛩️🦊☀️
0
カバー画像

満ちることを望む時、足ることを知る必要がある。

命は、大抵の場合満ちることを望みます。 それは、物質的に満ちる場合もあれば、 精神……心や魂といったところが満ちるという事を 望む場合もあります。 今回は、満ちることについてお話しましょう。満ちるということ。 満ちるとは、物質的もしくは精神的に満たされた状態で ある事を表す言霊です。 ですが、多くの場合は命が満ちる時を知るのは 簡単なことではありません。 特にヒトというモノ達の周りには、 他の命以上に物質的なモノが溢れ、 それらを得るための欲望には事欠かないからです。 こういったお話になると、 つまり、我慢しろということでしょ? と、言うようなことを思うモノもいるかも知れませんが、 違います。 それでは満ちる前に飢えが酷くなってしまいます。 じゃあどうすればいいのさ! と、思うモノもいることでしょう。 今日はその切掛けを得られるかもしれない様に、 私は貴方様に伝えてゆきましょう。 まず、満ちるためには。 足ることを知る必要があります。 なんでもそうですが、あれもこれもと 求めていれば、足ることは肉体の一生をかけてもありません。 しかし、求めなければ足ることを知る事もできません。 では、求めすぎず、求めなさすぎずに どうやって足ることを知るのか? と、思うモノも多いことでしょう。 これに関して言えば、まずは自身との相談が必要です。 何を持ってして足るか? と、言うのは個体によって違うのでこれはとても 大事なことなのですよ。 そして、自身と相談して足ることを知るためには、 自身にとって何が必要であり、何が必要でないか? と、いう事を明確化する必要があります。 これは目標や目的を明
0
カバー画像

努力という名の日常。

努力とは。 一般的に、自身以外の個体から視て、 何かしらの行動が努力として 定義される事を言います。 では、努力とは本来どういうものなのか? 今日はそういった事をお話しましょう。努力とは? 努力というモノは、一般的に 苦しいことや辛いことを成し遂げている 姿を見たモノが、それらを定義する時に 使うものです。 これらをヒトは賛美しますが、 基本的に結果がいつも伴うわけではなく、 努力と呼ばれるものが必ず期待した結果に つながるわけではありません。 これらの事から、ヒトは努力を嫌ったり、 無駄に思ったりする事があります。 では、本当に努力は無駄なのでしょうか?このあたりは個体差があります。 無駄と感じるモノがいれば、 無駄ではないと感じるモノもいる。 これらの答えはどちらも間違ってはいません。 外から見て、そう感じたという事については、 その答えに間違いはないのです。 それは、その個体が見て感じた答えなのですから。 とはいえ、当の本人が感じるモノとは 当たり前ですが違います。 努力から得られる結果については、 その努力をしたモノがどの様に視るか?によって、 その結果に価値を感じるか?否か?が大きく変わります。努力と言うと、基本的に苦しいこと辛いことと思われがちですが。 実のところを言うと、日常を維持するために、 多くの命が日々続けている事も、 外から見ればそれは努力となります。 そして、努力は必ずしも努力している個体が 苦しい事や、辛い事と感じているわけではありません。 もちろん、その逆もありますがね。 多くの場合、外から見た結果、努力として捉えられることを しているモノは、それら
0
カバー画像

新年のご挨拶と、お役目や修行についてのご報告。

あけまして、おめでとうございます。 さて、早速ですが今年の直近の私の予定を ご報告しつつ挨拶と参りましょう。今年行うことについて。今年は修行に関しては「祐気」を 積極的に取りに行く事になります。 私の肉体を授けてくれたカカ様が望むことは、 お仕えする神様たちが直ぐにどうこうできる問題ではなく。 肉体がある私が努力をすれば、 その可能性を使って成すことが出来るかもしれない ことだからです。 祐気を取ること自体が私にとっては修行にもなるので、 今年の大きな修行の一つとなりました。 占術の修行にもなるので、副産物が出るかもしれないことは さておき、よい修行になるのは確かです。 言霊の修行につきまして。 言霊の修行は昨年と変わらず行うこととなります。 ただし、物語の紹介は純粋に物語の紹介として行い。 こちらで少々生きる知恵をいくつか伝える事を 始めてゆきながら、余裕を見て物語を書くことも 求められています。 既にこの時点で結構やることが入っていますが、 それはそれとして事は進めるとしましょう。三味線で祝詞を上げる修行について。 少なくともお師匠様に頼るのは 三月以降の再開となりますが、 それ以外に三味線に触れるのは 定期的に行う予定となっています。 触れて共に軽く唄うだけでも、 出来ることは大きく変わりますからね。 弟子の育成について。 神様たちから任せられたモノ達は一匹は一人前になりました。 以降も引き続き補佐として付くことになりましたが、 もう一匹は改めて弟子としてヒトとして生きられるように 育てることとなりました。 その他補佐をしているモノ一人と一匹も 引き続きとなります。 神格
0
カバー画像

今年もお世話になりました。

表とはいえ、日陰に出てきてから忙しく、様々な事が起こった今年。良いことも悪いことも含めて、様々な事を経験して、多くの成長を感じる年となりました。格も気づけば神格と呼べるところまで上がり、占術の学びや、宇宙や星、命や魂の本質に触れて多くを知った今年。私にとってはこの上ない成長の年となりました。しかし、まだ九星の巡りは変わってはいません。まだまだ成長の可能性を残している時があります。より深く多くのことを学び、本質をわかることで、確かな道標として歩めるように精進してまいりますので。どうぞ、これからもよろしくお願いいたします。そして、今年もお世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。🐺🐉⛩️🦊☀️
0
カバー画像

今日三つ目の資格試験へと挑みました。

予定されている資格試験の三つ目へと挑み完了いたしました。追加で一つ試験項目が増えていますが、それはそれで対処予定となっています。とりあえず、今回も無事超えることができていればよいのですが。後日結果が分かり次第、また報告しますのでお待ちくださいませ。
0
16 件中 1 - 16