学びとは、生きるモノ達の強みです。
物質的な肉体などを持ったモノ達は、
基本的に学ぶことで強くなります。
それは過去からの贈り物でもあり、
先人からの手向けです。
今日は学ぶことについてお話しましょう。
学ぶということ。
それは、多くの場合生きるうえで必要な事です。
今のヒトの世は、基本的に命の保証がある程度
されている状態なので、学びから得るモノは
軽視されがちな事も若いモノの中には多く見られます。
しかし、この学ぶという行為は、
ヒトの短くも長い一生を歩むうえで、
とても大切な行為となります。
まずは過去から学ぶことについてお話しましょう。
過去から学ぶ、それは先人が残した歴史や、
痕跡、今に続く技術から得られる知識などがあります。
ただ、ここで私がお話する過去とは、
ここまで歩んできた貴方様のきた道です。
ヒトにとって多くの場合過去というのは、
色々と目を背けたくなるような事を多い場合もあります。
私もヒトだった頃は過去から目を背け、
何だったら逃げてさえいました。
自身という過去から逃げて、学ぶことを拒否していたのです。
しかし、自身の歩んできた道というのは、
今の自身を確立するうえで必要だった過程です。
これを拒否するというのは、自身を否定しているのと
変わりない行為でもあります。
また、苦しい過去を直視して、本当の意味で
自身の糧にするためには、多くの苦しみと、
覚悟が必要なのも確かです。
では、何故そんな事をする必要があるのか?
そう思うモノもいるかもしれません。
過去は過去であり、得られるものがなければ、
苦しいことばかりなら、視る必要も受け入れる必要も
ないのではないか?
そう考えるモノもいるでしょう。
これには私は否と答えます。
過去がなければ今はなく、
そして過去がなければ未来すらないのです。
このお話を聞いている一分一秒でさえ、
既に貴方様にとっては過去の事となっているのですからね。
過去と向き合うには?
とはいえ、過去と向き合うのも、
受け入れるのも並大抵の努力や覚悟で出来ることでは
ないというのは先にお話した通りとなります。
過去というのは大抵の場合苦しいことの方が目立ち、
それがあったことすら辛すぎて封印するモノもいるほどです。
なので、私が過去に向き合った方法を伝えるとしましょう。
過去に向き合う。
過去と向き合う時は、ヒトであれば
ナニカのツケを精算する時である事が多いです。
私も過去というツケを今の場所に至るまで精算してきました。
なんでしたら、今はお役目として先に進むための支払いを
命で続けているとも言えます。
そして、私が本当の意味で過去と向き合うために
費やした時間は、十数年ほどとなります。
それくらいに過去と向き合うというのは難しい事なのです。
逆に言えば、過去と向き合って力にすることが出来れば、
過去は力強い味方となります。
私で言えば、ヒトの中で生きていく中で、
自身の異常性に気づいてそれを押し殺していた事も、
押し殺していても、その異常性が漏れ出て虐められてしまった事も、
それによって一度本当の意味で壊れてしまい、
ヒトでなくなったこともありました。
今もヒトではないのは変わりませんが、
ヒトの中で無理に生きる必要のない、
ヒトではないモノとなったと言う意味では、
昇華したといえます。
とはいえ、お役目や修行の観点から
ヒトとの関わりを完全になくすことは出来ません。
それもまた、生きるということであり、
学ぶということでもあります。
さて、私の過去は軽くですが視ることが出来たと思います。
過去と向き合い、学ぶためには、私にはこれくらいの
時間が必要でした。
当たり前ですが、苦しくなかったわけではありません。
ただ、私は今もそうですが、神様たちの存在を知り、
出会ったことで多くと向き合い、力とすることが出来たので、
とても幸運だったと言えます。
このあたりはどの様な切掛けで過去を力に出来るか?
という違いはありますが、切掛けさえ掴めれば、
過去を力に出来る可能性はあるということです。
そして、学ぶ時に最も大切な事は無理をしない事です。
出来ることを一つずつこなすことが、
最も良い学びを得る切掛けとなります。
次は、今から学ぶことについて話しましょう。
今から学ぶというのは、
多くの場合、過去を受け入れてからが本当の意味で
学ぶ姿勢が整った状態と言えますが。
それがまだ上手くできなくとも、
今から学ぶ方法はあります。
それは、自身が起こした事に責任を持つことです。
何をするにしても、事を起こせばそこに
責任は自然とついてきます。
自身が起こした事に責任を持って、
事を進めることが出来れば、
その経験は確実に貴方様の経験となり、
今から学ぶことの成功例となります。
このあたりは難しく考えすぎるモノもいるかもしれません。
だからこそ覚えておいてほしいのは、
自身が起こした事に責任を持つのは大切ですが。
他のモノが起こした事に責任を持つ
必要性はないということを覚えておいてください。
自身でどうにか出来る事は、
ほとんどの場合、自身で起こした事か、
選んだことの方が多いです。
しかし、自身ではどうにも出来ない事や、
助けは出せても最終的にそれをどうするか
決めることが自身以外にある事は、
基本的にどうやっても責任を持つことは出来ません。
それを決めるのが自身ではないからです。
なので、今から学ぼうとする時。
必ず責任の場所を正確に把握しておくことが大切です。
自身で選んだこと、起こした事は自身が責任を持って
学びを得られる事。
自身ではどうすることも出来ないけれど、
助けは出せることに関しては、その物事で選択するモノや
事を動かしてゆくモノに責任がある事。
今から学ぶために必要な本質はこの二つだけです。
前者であれば、自身の直接的な経験から学び。
後者であれば、他者からの間接的な経験から学ぶ。
これが、今から学ぶ時に必要な心構えとなります。
とはいえ、間接的な経験から学ぶ時、
他者に助けを出した場合は、その度合に応じて、
責任が発生する場合もある事を忘れないでください。
最後に先から学ぶことについてお話しましょう。
先から学ぶ……と、言われると、
未来から学ぶのか?と、考えるモノもいるかもしれません。
ある意味ではあっていますが、
ここで言う先とは、「先達」達のことです。
今現在では何かと煙たがられる事の多い「先達」達ですが、
ここまでにお話した事をこなしてこられている「先達」に
出会うことが出来れば、
それは貴方様にとってこの上ない学びとなります。
「先達」の開いた道が、
「先達」の知った事が、
「先達」の学びが力となるのです。
問題は、そういったモノと出会えるかどうかは、
縁(えにし)次第なところが大きいということです。
私も師匠と呼べるお方と出会えたのは、
偶然のような必然の縁からでした。
そして、この縁を手繰り寄せるには、
常に動き続ける必要があるのです。
つまり、事を起こし続ける行動力が、
良い縁を引き寄せる切掛けとなります。
問題は、縁というものは、
良い悪い関係なく、事を動かせば手繰り寄せることになります。
なので、先から学ぶ時は、
相手を見る目も必要になってくるということです。
それがヒトの世というモノでもありますからね。
さて、今回のお話はこのあたりにしましょう。
今回のお話から、貴方様が何かを学ぶことが出来れば、
私は幸いに思います。
今回も貴方様のゆく道が良いものであり、
幸せであることを祈らせていただきます。
では、また何か気づいた時にお会いしましょう。🐺🐉⛩️🦊☀️