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シリーズ:埼玉県民は埼玉の良い部分を知らなすぎるので、都民がその魅力を語る。その5

今回は埼玉の顔である氷川神社の参道の特集です。そう、メジャーではない身近な美しい風景のシリーズなので、あくまで参道。そして参道が美しい神社が氷川神社なのです。埼玉県民の心の故郷ともいえる神社ですから、私も赤ちゃんの頃からしょっちゅう行った神社です。氷川神社のある大宮公園は博物館あり、動物園ありの大きな公園で。生まれて初めて行った動物園はここの公園。夏休みの自由研究の調べ事といったら、埼玉県立博物館(現埼玉県立歴史と民俗の博物館)。そういう点では、専門的な分野は遠い都心まで行かないといけなかった、中学の頃からの八王子よりも恵まれていました。さて、皆さんは大宮駅から氷川神社に行く際には、こちらのどちらかのルートを使うかと思います。最も使う人が多い大宮駅南からの県道214号 新方須賀さいたま線は、やはり使う人が多いだけあり、参道周辺の通りも立派です。そのため南側に交番も設けられています。そしてさらに神社に近い、大宮駅北からの県道2号 さいたま春日部線からの参道周辺の風景はこんな感じです。ちなみに有名なお団子屋とお煎餅屋はここから先にあります。※有名なお団子屋は店舗が新しくなって、向かいに移転しました。しかし、実は氷川神社の参道は非常に長く、さいたま新都心からすこし北に行ったところから約2kmにわたって続きます。実は府中の大國魂神社も、国分寺駅は大國魂神社の参拝用に作られた。と言う話なんですが。一の鳥居は「けやき並木通り北」の交差点にあったらしいので、氷川神社の参道には遠く及びません。そんなわけで日本一長い神社の参道の、一の鳥居を抜けます。一の鳥居を途中の辻から眺めます。ここは大宮駅近
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シリーズ:埼玉県民は埼玉の良い部分を知らなすぎるので、都民がその魅力を語る。その14

今回はドマイナー自治体対決です。埼玉県の中でも特に特色がなく、元埼玉県民の私でさえ覚えていない(というか埼玉県だと思っていなかった)という、ドマイナーな自治体の良いところを紹介していきたいと思います。ドマイナーなうえに歴史関連なので、ちょっと時間がかかりました。まずは、2009年に久喜市と合併していた事を知らなかった「菖蒲町(しょうぶまち)」インパクトのある名前にも関わらず、菖蒲町だった地域はマジで何もありませんww菖蒲城という城があったにも関わらず。「菖蒲城古河公方足利成氏が、康正2年(1456年)に金田式部則綱に命じて築城させた。城の竣工が5月5日の菖蒲の節句にであったために命名された。(Wikipediaより)」こんな扱い・・・。自治体の名前ってここからなのに、これってどうなのよ。一応名前にちなんであやめ園にしているようですが。マジで何もない。というのを危惧してか、菖蒲町役場跡前を現在ラベンダー畑にしているようですが。「久喜市役所 菖蒲行政センター内には、没60年記念事業で整備した本多静六記念館が平成25年4月21日にオープンしました。」って、おいいいいいい!!!!!むしろこっちプッシュすべきだろ。ちなみにマジで何もありませんが、昭和沼という大きな池を囲んだ、県営ですが「久喜菖蒲公園」という公園があります。池の中に大きな噴水と、張り出したデッキにはお洒落なカフェが併設されていたり。一部で有名になった、どこでもドアが設置されています。このストリートビューの写真なんかは、どこか別の場所に来た感じがあってそれ感がありますね。ただ、県営公園にしてはこの公園はかなり規模が小さい・・
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よく言われる「引き寄せの法則」とはなんぞや

埼玉県民は埼玉の良い部分を知らなすぎるので、都民がその魅力を語る。序章ココナラで「引き寄せの法則」を扱うと。それを表現したことわざが多数あるように、非常に身近なものであるにもかかわらず「占い・スピリチュアル」カテゴリーになってしまうほど、この言葉はすっかり怪しげなものとなってしまいましたが。もしかして、引き寄せの法則が「怪しい」「宗教的」なものになってしまったのは、ことわざを使わなくなったせいもあるのではないか?と、思いこんなサービスをやって、一部公開していますが。特に「二度あることは三度ある」「噂をすれば影」「果報は寝て待て」など、引き寄せの法則そのままの意味です。すぐに達成したいことでも、焦らず気長に待てば、噂をするようにして現れて、更に二度あることはまたそれがやってくる。 引き寄せの法則のプロセスが、挙げたことわざの中で成立している訳です。 日本は自分が無宗教であると錯覚しているほど、信仰が生活の中に完全に溶け込んでいる文化ですから、その土地を愛し心穏やかでいることがいかに大切か。ということがよく分かっているはずなのですが。 戦争に負けるということは、国内で同じ民族がそれを忘れさせようと、精神的な破壊工作を行うわけですが。ことわざを使わない。というのもその一つなのかもしれません。 さて、焦らず気長に待てば願いが叶う。と言う事は、大きな願いが叶う前は小さな事も引き寄せている。 と、言う訳で。 最近、私が探し求めていたドーナツを出す店が、この前よく見ている、某地域紹介バラエティー番組のパロディーのYouTube多摩地域限定紹介チャンネルの動画にて、紹介されていました。 そのド
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シリーズ:埼玉県民は埼玉の良い部分を知らなすぎるので、都民がその魅力を語る。その16

朝霞(あさか)は私が学生の頃からしばらく務めていたバイトのあった場所で、JRと接続する私鉄の駅名が違うという事でも有名な場所です。ここで結構長い間ライターの仕事をしていました。朝霞駅は東武東上線にあって、JR武蔵野線は開業したのが1973年というかなり新しい路線のため、JRの駅は「北朝霞」というかなり控えめな名前になりました。ちなみに東武東上線が開業したのは1914年です。朝霞という場所は、池袋から直に行ける。東京が近い。荒川を超える。という環境から、これまで紹介してきた『THE埼玉』という雰囲気とはかなり異なります。朝霞といえば、陸上自衛隊朝霞駐屯地が有名ですが、もちろんそれだけではありません。歴史からも「戦乱の時代が終わり、江戸に幕府が開かれると、朝霞周辺は幕府領(天領)と旗本領として支配されるようになりました。 朝霞周辺には、将軍が鷹狩りを行う御拳場と、尾張藩の鷹場とが置かれました。鷹場の村々には様々な規制がかけられ、そのことが村の負担にもなりました。 朝霞市内では、台村、根岸村、岡村が御拳場となり、膝折村、溝沼村、浜崎村、田島村、宮戸村、上内間木村、下内間木村が尾張藩の鷹場となりました。これらの村には、鷹場の境界を示す杭が建てられ、その一部は現在も残っています。」というように、街道よりも天領で発達した地域のため、そこにある公園もこれまで湿地を中心としてきた平野部よりも、全く違う公園を有します。ここら辺に来ると、丘陵地帯の前座のようなものがぼちぼち出だします。それが「滝の根公園」 荒川水系で一部荒川に合流する新河岸川(しんがしがわ)の支流である、黒目川が削った河岸丘の段差
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シリーズ:埼玉県民は埼玉の良い部分を知らなすぎるので、都民がその魅力を語る。その10

さて、多くのシリーズものを書いている人は。「なんとこのシリーズも10回を迎えました」というのでしょうけれど。いやいや、このシリーズは最低でも30回は行きますので、これから何が出てくるのかお楽しみに。そういえば、埼玉のヒーローといえば。1988年の「さいたま博」のマスコット、さいたーマンですが。最強のさいたーマンがいるのを忘れていました。ワンパンマンことハゲマント「サイタマ」。しかし、現実の埼玉にはワンパンで強敵を倒すサイタマはいません。昨今なにかと騒がれている埼玉ですが、それもこれも物凄く長い間、肝心の埼玉県民が自分たちが住んでいる土地を、愛さなかったツケが回ってきている訳ですが。しかし、まだ手遅れではない。八王子市高尾に引っ越す際に、東京だから。といって排気ガスとスモッグに覆われた絵を送られた経験があるように、雀の涙程度のプライドはあるはずだから。私が東京を愛してやまないように、都民が嫌らしく埼玉の良いところを語りまくっているわけですが。今回は埼玉の市立、町立公園(平野部限定)の話。埼玉の公園といったら。用水路と貯水池が多いので、それを利用したとしても、こういうだいたいまっ平らで真ん中にでかい池があって、その周りを木が囲んでいる、マンガのような公園なのですが。公園の中に富士山型の山がそびえるこの公園のような。こうした個性的な市営、町営、村営公園も存在します。吉川市 永田公園こちらは吉川市にある通称「きよみ富士、吉川富士」と呼ばれている永田公園の築山です。しっかり子抱富士も再現している再現度の高さ。今回は以前紹介した大崎公園のような、個性的な素敵な公園(平地限定)を紹介します。
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シリーズ:埼玉県民は埼玉の良い部分を知らなすぎるので、都民がその魅力を語る。その1

東京には東京の良いところや絶景を語る人が多いのに、いざ埼玉となると、ことごとく数が減る。渋沢栄一も、盆栽町も、さきたま古墳群も、江戸時代から植木で栄えた安行も、知ったのは八王子に越してからだった。盆栽町の盆栽美術館は私の好きな場所の一つだ。今回からそんな実は魅力的な埼玉の風景を、元埼玉県民がストリートビューで紹介していきたいと思う。他でもやっているのだが、いまいちこのシリーズは反応が薄いのである🤔そんなところからも、肝心の埼玉県民がその魅力に気づいていないことがよく分かる。さて、サービスの一部公開でも紹介しているように。私にとって埼玉県はすさまじく嫌な思い出しかないのに。埼玉の風景は誰も気にも留めないところに、心に残る風景しか存在しない。東京が大好きで、今や住んで埼玉の頃よりも倍以上住んでいるからこそ、そこにはない風景に心が動かされるものだし、誰もそれが絶景だと思っていないから破壊されることも多い。まずはヘッダーに使ったストリートビューの場所。荒川の川沿いにある大きなお寺の前の道だ。川の向こうにはホンダの飛行場がある。ここにはよく飛行船が離発着するのを見に行ったものだった。まるで日本画のような風景だが、日本にはまっ平な場所が少ないため、実は向こうまで遮るものがなく見通せる風景というのは貴重なのだ。最近はここより先にある桜の名所が有名になったが、そこは私が小学校の頃から美しかった。埼玉の魅力といったら、やはり川が作り出した、蛇行した際に途切れてそのままになっている池や小川の数々だろう。東京には存在しない風景といったら、このまっ平らな風景と川が置いていった自然の池と天然の小川、また
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シリーズ:埼玉県民は埼玉の良い部分を知らなすぎるので、都民がその魅力を語る。番外編2

新年一回目の「埼玉県民は埼玉の良い部分を知らなすぎるので、都民がその魅力を語る。」は年末に続き番外編となります。皆さんは、東京都に不思議な形で入り込む埼玉県をご存知でしょうか?名付けて「東京都に侵食する埼玉県」。通常飛び地のようになるのは、このような川の流れが変化したり。昔そこに建物や田畑があったことによる名残で変な形になったり。明らかにそこにおそらく大地主の土地や集落の闘争があって、そこ一帯がまるごと埼玉県になっている例もありますが。中には謎な東京に食い込む埼玉の土地も存在します。結構多くの人が好きかと思いますが。私も例にもれずこういう飛び地的なもの大好きです😆それではまず最初に新幹線の荒川の鉄橋の近くにあるここ。こうした変な県境はたいがい、影響の少ないようにゴルフ場や公園になっていますが。こうした策も無駄にするようなこの形。ここにはなんかゴルフ場の中なのに消防車が置かれているのですが。果たしてここにあるのは、後ろにゴルフカートがあるのでもしかして私設?だとしても、緊急車両と同じ色や模様に塗ってはいけないはずなので、やっぱり公的なもの?法的には正面玄関や入り口が何処にあるかで管轄が決まるので、管轄は東京都になるのですが。埼玉県に置かれているのもなんというか?ちなみに皇居内の消防車もこんな色です。そんなわけでここは河川敷どころか、道路を超えて埼玉県が食い込んでいるので。あろうことか、そこにある都立浮間公園の入り口が埼玉県戸田市(ゴルフ場の名前も戸田橋練習場)にありますwwとりあえず、都立浮間公園のここは管轄は都なので公園の中のように、地図上では埼玉県ですが、住所は東京都板橋区と
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シリーズ:埼玉県民は埼玉の良いところを知らなすぎるので、都民がその魅力を語る。その12

今回は市立公園の中でも荒川のそばにある、その地形を生かした公園の数々を紹介します。埼玉県の荒川流域の特徴は、元海だった影響で内陸にもかかわらず、非常に低い。という特徴があります。そのため荒川がほぼ天井川状態なのです。実際、私が住んでいたところはたったの標高15mしかありませんでした。そのため非常に湿度が高く虫がわきやすい。という特徴がありました。中にはたったの1mしかないという地域さえあります。現在私が住んでいる東京都府中市が平均42mなので、驚異的な標高の低さというのがわかると思います。そのため埼玉県には農業用水のための水路のほかに、排水のための用水路も存在します。そんなわけで、埼玉県の平野部には第一回目で紹介したような、川が残していった池や、元々そこに広がっていた湿地帯を生かした公園も多く存在します。大宮花の丘農林公苑埼玉県は江戸時代から園芸品種の生産が盛んだった川口の安行や。関東大震災後、谷根千の植木屋が移住して作り上げた盆栽町がある影響か、植物に関わる公園も多くみられます。ここはすぐ横に上尾道路の通る、さいたま市と上尾市にまたがる大きな公園。その広い敷地内を存分に利用したお花畑と林。跳ね橋と石橋と池に映る空が特徴的なこの公園は。なんと1974年(昭和49年)から1981年(昭和56年)まで大宮市の一般産業廃棄物最終処分場として使用された場所。ここらへんは一帯が湿地帯のため、荒川の近くはゴミ捨て場として使用されることが多かったのです。東日本大震災の福島第一原発事故で、埼玉県の平野部荒川沿いがホットスポットになったのは、実はこの影響で、産廃処理場になっていたせいで、実は一概
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シリーズ:埼玉県民は埼玉の良い部分を知らなすぎるので、都民がその魅力を語る。その11

「浦和でわらう」私が埼玉県にいた小学生の頃の思い出といったら、当時はまだ合併前だったので多くの人が都会と考えている大宮市よりも浦和市である。今回の市立公園の話は、そんな浦和限定のお話。中学からの八王子で、クラスメートたちが「大宮は都会でしょう」という話をしてきて「いやいや、大宮より八王子の方が都会。大宮より浦和の方が都会だよ」と、よく返したものだった。浦和といえば俳優の反町隆史の出身地で有名だが、彼の出身地は現在の南区なので、浦和の中でも川口寄りになるが。(ちなみに私は『相棒』の神戸尊の大ファンだが、冠城亘はわざとらしくて嫌い)中浦和周辺は高級住宅街で、後に登場するが、ホテルが整備された市立公園がある。浦和駅周辺は奈良時代には律令制の政庁がおかれ、旗本領だった影響で周囲とは一線を画す品の良い場所。(なのに浦和レッズのサポーターは柄が悪いので有名・・・。)更にはここには関東大震災後、震災の被害が少なくかつ東京から20km圏内と交通の便の良い場所のため東京や横浜方面からの移住者が増加。つまり浦和と谷中・根津・千駄木界隈の焼け出された植木屋が作った氷川神社の北にある盆栽町は、東京の人間が作った街である。そのためか当時は埼玉の人間からは毛嫌いされることが多く、日曜日の特別編成となると高崎線も浦和を通過していたほどなのだ。そんな埼玉県民が毛嫌いしていた浦和のデパートに、元長野県民の両親はよく買い物に行っていたのだが。昔の浦和駅は現在の形になる前は通過車両用の高架線路があり、それがまるでお城か要塞の柱のようでなんとも特別感を醸していた。日本語版ウィキペディアより税理士会より昔の浦和駅ってこ
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シリーズ:埼玉県民は埼玉の良い部分を知らなすぎるので、都民がその魅力を語る。その8

前回、氷川神社と氷川女體神社の中間にある中氷川神社と、見沼の絶景を紹介しましたが。今回は見沼の絶景に焦点を当てます。見沼区には旧坂東家住宅という、立派なお屋敷があります。「坂東家初代の助右衛門尚重は紀伊国加田村の出身で、1675年(延宝3年)に江戸で暮らす傍ら見沼の一角に入江新田を開発したが、下流の村の反対にあい1718年(享保3年)、2代目四郎左衛門尚政の時に元の溜池に戻した。坂東家住宅が建てられたのは10代目助次郎の時で、13代目新助、14代目貞市は大正から昭和にかけて北足立郡片柳村の村長を務めた。(Wikipediaより)」基本こうした地主のいる場所の周辺は、神社仏閣はきれいなところが多いのですが。実際に区を超えて緑区になりますが、見沼代用水東縁(氷川女體神社は西縁沿い)沿いに「鷲(わし)神社」という比較的大きく、これまでに見てきた中では段違いに綺麗な神社があります。地元でもかなり愛されていた神社のようですが。しかし、残念ながら今年の7月に鎮守の森がこれ以上管理できないとして、売却してしまった模様。たしかにストリートビューでもかなり荒れていましたからね。山奥の静かな神社みたいだ。と、神社好きの人の間では人気の神社でしたが、それだけでは守る資金も人材も確保できなかったのでしょう。それは私が埼玉に住んでいた時、近所の神社の社殿が放火で火事になり、再建するために鎮守の森をすべて売ってしまったので、よく知っている事案です。この鎮守の森が見られるのもあとわずかと考えると、寂しいですね。さて、見沼代用水は菖蒲(しょうぶ)町の星川から取られ、上尾市瓦葺(地名なのに本当に「かわらぶき」と
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シリーズ:埼玉県民は埼玉の良い部分を知らなすぎるので、都民がその魅力を語る。その4

いかにも日本の川らしくぐねぐねとうねり、多様な景色を見せる元荒川とは対照的に。サムネイル画像の通り、全く日本の川の様相とはかけ離れた景色をみせるのが古利根川です。今回は上流からではなく、合流地点から上っていきましょう。「利根川水系中川の支流で、流路延長は26.7キロメートル。江戸時代以前は利根川本流がこの河道を流れ東京湾へ注いでいた。杉戸町・宮代町・春日部市・越谷市・松伏町の境界付近を流れ、中川に合流する。おおむね北葛飾郡市と南埼玉郡市の境界に沿っている。(Wikipediaより)」こちらも元荒川と同様、かつての利根川の本流。徳川家康が今の流れに変える前の、全部集まっちゃっていた時代の流れの跡で、こちらはぐねっていないので元荒川よりも半分以上も短い。そんなわけで、中川と古利根川の合流地点。埼玉県北葛飾郡松伏町の弥生橋から見た風景。合流地点から1kmほどで穏やか過ぎて既に外国の川っぽいですが。埼玉県越谷市大吉と言う、おめでたい名前の地名のところに堰が現れます。古利根堰という堰。堰といえば。そうです。流れの様相ががらりと変わります。堰の上流側。おわかりでしょうか?※古利根川です。※古利根川です。もはやここにセーヌ川を置いても気づかないでしょう。⚠フランスのセーヌ川です。↓なんと埼玉にはヨーロッパの川があるのです!ここはダンマリー=レ=リスという街からル・メ=シュル=セーヌという街側を見た風景。古利根川周辺は住んでいた頃にも、今も行ったことがないので(東武動物公園は川目当てじゃないですからね・・・。)。ストリートビューを見た時は驚きました!!そしてこのシリーズを始めようと思ったきっか
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シリーズ:埼玉県民は埼玉の良い部分を知らなすぎるので、都民がその魅力を語る。その29

埼玉県の川沿いには、全国にも先駆けてサイクリングロードやレンタサイクルが提供されていた件もあって、私が記憶している幼稚園の頃から、埼玉県はサイクリングブームでした。ただ、困ったことにあまりにもサイクリングロードがあるため、道に迷う事も多かったです。とはいえ、サイクリングロードを伝って行けば、元の場所には戻れるのでさほど深刻ではないのですが。そんなサイクリングの中でも印象的だったのは、市野川という荒川の支流にある鳥羽井沼自然公園という小さな沼の自然公園で。ここは元々地主がいて、地主が自然公園として公開していたのですが。今は川島(かわじま)町に寄進され、すっかり整備されてしまい、当時の面影はなくなってしまったのですが。桜の季節の風景と。遠くから見た風景。そして沼の真ん中にある九頭竜大権現の小さな神社は当時と変わりません。整備された中に数十年前と変わらないこんもりとした小さな神社。このシリーズを始めた最初に、私が住んでいた町は切り取った風景がそのまま「となりのトトロ」のようだ。と、紹介しましたが。ここもまさに「となりのトトロ」の風景を思い起こさせます。神社のそばにベンチがありますが、当時もベンチとテーブルがあって、それも変わっていません。ただ、当時はここにサイクリング客や釣り客が利用する売店があって、ちょっとした軽食と、お菓子やお土産を売っていたのですが。なくなってしまいましたね・・・。川島町といえば、なんといっても入間川と荒川の間にある広い河川敷の美しさでしょう。川越市の境にあるこの部分のストリートビューが非常に美しい。荒川と入間川の間の河川敷の幅はなんと1km以上あるのです。荒川
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シリーズ:埼玉県民は埼玉の良い部分を知らなすぎるので、都民がその魅力を語る。その26

「安比奈線は、埼玉県川越市の南大塚駅から安比奈駅を結んでいた西武鉄道の貨物線である。 1963年より50年以上の長期間にわたり休止となっていたが、2017年5月31日に正式に廃止となった。 当路線が延びていた入間川の対岸には安比奈新田という地名があるが、安比奈線の安比奈の読みは「あひな」である。」 ウィキペディア休止半世紀…復活ならず廃線 西武・安比奈線の歴史川砂利運ぶ貨物線 バブル期には車両基地構想も(日本経済新聞より)川越は入間川が囲んでいる関係から、コンクリートに使用するための砂利を採取する鉄道がふたつ存在しました。50年以上休止状態だったのが、2017年に正式に廃止となったのが、この西武安比奈線で。その影響から今でも線路や西武鉄道が持っている敷地が残っています。埼玉県営鉄道そして東武東上線 霞ヶ関駅から川越市的場の入間川河川敷を結び、川砂利を運んでいた埼玉県営鉄道。こちらは1957年(昭和32年)に廃業し、今では面影はありませんが。霞ヶ関駅から入間川の河川敷までの住宅の区割りが不自然のため、おそらく赤線の道が線路跡だったのだと思います。八王子に住んでいた頃、中島飛行機の秘密工場の線路跡の道の近くに住んでいたのと、昔は府中も軍事工場が多かったので、廃線跡がそのまま道になっているところが多いので、こういうのそそるんです😆川越電気鉄道そして1902年(明治35年)に川越馬車鉄道として発足したが、実際は電車だったためすぐに改称した、川越久保町駅(ピンをとめたところ)と大宮駅をつないだ川越電気鉄道があります。赤線は跡があるので、おそらくそこにあったのでは?という予想。川越久保町駅
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シリーズ:埼玉県民は埼玉の良い部分を知らなすぎるので、都民がその魅力を語る。その25

小江戸川越も、埼玉の宿命には抗えない。 前回、川口市の安行を紹介した最後に、埼玉なのに江戸と江戸袋と言う地名を紹介しましたが。 江戸袋の袋とは。 ご存知の方もいると思いますが、袋と言うのは水辺の湾曲した部分を意味します。 分かりやすいところでは「巾着田」でおなじみの「穿入蛇行」ですね。 ちょうど川が蛇行したところが、巾着袋のような形になっています。穿入蛇行は埼玉県日高市のものが有名ですが、そうしたところは実は珍しくもないんです。 さて、江戸と言ったら昔から小江戸で有名な川越がありますが。川越市にも水にまつわる地名は多くあり、埼玉県の運命には逆らう事が出来ません。 入間川沿いには。大袋大袋新田荒川沿いには。 上老袋 中老袋 下老袋 と言う、袋が3つも揃った地名が存在します。 上老袋 中老袋 下老袋は地形の形に川の蛇行の跡が残っていますが、大袋(オレンジ色)大袋新田(水色)という場所は飛び地だらけで、元々どんな場所であったのか見当が付きませんが。もしかしたら水色の部分は池だった場所なのかもしれません。そうなるとオレンジの地形がどんな場所だったのか見えてきます。確かに川の蛇行の跡が残っています。川越市といえば江戸への物流に使われた新河岸川ですが。新河岸川は川越の中心部を回り、大袋にある現在は観光地にもなっている卸売市場の近くまで流れています。川越の街自体が、大きな川の蛇行の中にあるんですね。しかも川越は新河岸川だけでなく入間川の蛇行した中の街があるのです。川は何かないとここまで大きく蛇行はしませんので、分かりやすい高台の縁を沿って流れ。その高台は入間川の蛇行の中にも存在するという事で
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シリーズ:埼玉県民は埼玉の良いところを知らなすぎるので、都民がその魅力を語る。その23

以前このシリーズで、旧騎西町の玉敷神社というところを紹介しましたが。大きな藤が有名な玉敷神社は『久伊豆神社の総社』という事を書きました。「ひさいずじんじゃ」と読むこの神社は「クイズ神社」と読めるため、クイズ関係者がよく参拝するようです。「クイズ神社」で有名なのはさいたま市の武州岩槻総鎮守と。 越谷市の越谷総鎮守になりますが。 そのほかにも小さな久伊豆神社があり、鎮座しているのは越谷市とさいたま市岩槻区が中心ですね。こちらはGooglemapの小さい久伊豆神社の検索リストです。氷川神社や諏訪神社といったメジャーな神社ではありませんが、小さなものでも15社あります。神社巡りをする人は多いですが、これは久伊豆神社縛りで回ってみても面白そうです。久伊豆神社があるのは越谷市とさいたま市岩槻区が中心になりますので、自然と埼玉観光になると思うのです。越谷市とさいたま市岩槻区が中心ではありますが、最も南にある「クイズ神社」は草加市の青柳4丁目にある久伊豆神社です。ここは神社の境内に遊具のある、田舎の神社という感じで、懐かしい気持ちにさせてくれますが。現在は住宅地の中にあるため、葛西用水のすぐ横にあるために、以前はもっと開けた場所だった事がわかります。神社の裏側からも入れます。とはいえ、ほかは越谷市とさいたま市岩槻区といった狭い範囲に収まっているため、回るには比較的楽だと思います。その中でもストリートビューで目を引いた、特にお勧めだと思う小さな久伊豆神社は。越谷市とさいたま市岩槻区谷下にある久伊豆神社と。さいたま市岩槻区南下新井にある久伊豆神社。さいたま市岩槻区箕輪にある久伊豆神社。埼玉県越谷市
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シリーズ:埼玉県民は埼玉の良いところを知らなすぎるので、都民がその魅力を語る。その19

前回は越谷の貨物ターミナル駅の近くにあり、2007年に開業、2012年に完成した越谷レイクタウンを紹介しましたが。 今回は新座の貨物ターミナル駅の周辺を紹介します。 この新座の貨物ターミナル駅と車両基地は、越谷のものより二倍はでかい。 武蔵野線に乗っていても、広くて大変目立つ場所になります。 そのため、ここから先は埼玉県ではなく東京都です。 南側の新座市と東京都の境。長い貨物列車のコンテナが見えます。新座市といえば。武蔵野における二次林を主体とした自然の残存地域として1968年(昭和43年)に境内の林が国の天然記念物になった平林寺と、野火止用水が有名な場所になります。平林寺の広い森の中には、境内に野火止用水が流れることでも有名です。そんなわけで、新座駅南口には野火止用水と平林寺の森をイメージした水車が設置されています。しかし趣のある駅前とは異なり駅の近くのショッピングモールには、何故かこんな不気味な像があるのですが・・・😅「葡萄の童子」という作品のようですが、奈良県のせんとくんの籔内佐斗司さんの作品ですが。これは不定形の物体からぼこぼこ顔が出ているようで、あまりにも不気味なのですが。新座の駅前にあった田中葡萄園というブドウ園のイメージで、2000年の作品の模様。もうちょっと違う表現はなかったのだろうか?この人の彫刻は府中市や多摩市を含め、あちらこちらにありますが。府中市にある「童々広場」1996年の作品で、広いスペースを使った楽しい作品。しかし古い作品のため作られた当時とは環境が変わっており。以前の桜が枯れてしまい桜の木が変わったり。かつて蓮池の彫刻の後ろにゴミステーションがあ
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結局自分の住む場所を守るのは、そこに住む人の地元愛なんだよ。

「埼玉県民は埼玉の良い部分を知らなすぎるので、都民がその魅力を語る。」というシリーズを始めたのは「翔んで埼玉」がギャグ映画として成り立っているのに、埼玉県民がもっとdisってくれ。と、大喜びだったという事から。私が住んでいた頃は、さいたま博覧会で紹介されるくらいまで、周囲の人は渋沢栄一の名前も知らなかったし、さきたま古墳群も草ぼうぼうの状態だった。今回はそんな「さいたま博」の話。埼玉県の凄さを知ったのは、八王子に越してから。当時はあまりのカルチャーショックで、眩暈がしたほどなのだが。まずは駅前がガムだらけではない事。映画館で途中で立つ人がいない事。勝手に商店街で露店を出す人がいない事。これが今でも最も記憶に残っているカルチャーショックだった。そこまで地元愛のない人たちは、自分たちの住んでいる環境で、命を及ぼしかねない。と思ったからだった。事実、八潮市の道路陥没事故も。下水道の破損が原因ではあるが。そもそもこれも川が作った砂州による軟弱地盤で土壌が流れやすい。という地盤の性質を無視した結果だ。実際、私が住んでいた場所の近所の森にも底なし沼があった。水を含んだ砂状の土壌が、地面に顔を出したものが底なし沼なわけだが。駅前のデパートの家電売り場で安売りされていたのを、可愛いというだけでジャケ買いしたものの。遊び方が分からなくてそのままになってしまった『ばってんタヌキの大冒険』の中で、底なし沼的な水たまりがあるのだが。そんなわけで私的にも底なし沼は身近な存在だった。以前にも中氷川神社という神社の池が底なし沼。というのを紹介したが。今回の水を含み底なし沼状態になってしまった八潮市陥没事故現
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シリーズ:埼玉県民は埼玉の良い部分を知らなすぎるので、都民がその魅力を語る。その9

埼玉県といったら、私は「ゴルフ場が多い」というイメージがあります。それは低山やまっ平らな地形という特徴がそうさせるのでしょう。私は地図を見るのが好きなので、子供の頃には埼玉県と千葉県のゴルフ場の多さに驚いたものです。実際、東京オリンピックで競技会場に使用された場所も、2017年11月にトランプ米大統領と安倍晋三総理のゴルフ外交の舞台となった、2017年まで女人禁制だった霞が関カンツリー倶楽部も、埼玉県川越市にあります。そんな場所ですから。ホームページもいきなり。「平安時代、入間川を見下ろす高台には関所があった。入間川の川面にたなびく春の霞が見下ろせ、やがてその美しい風景は和歌に詠まれるようになり「霞ヶ関」という歌枕になり、その後明治時代、この地域の村名になった。それが霞ヶ関カンツリー倶楽部の名称の由来である。」と、いかにもセレブ。な雰囲気を出しているところでもあります。まあ、ゴルフがそもそも貴族の遊びだったのですから致し方がありません。とはいえ、そんな最重要要人御用達のゴルフ場であるにもかかわらず、周辺はやや守りは固いな。という程度で、鉄壁の印象はない。それではほかのゴルフ場周辺も見ていきましょう。何か気づくことはありませんでしょうか?鴻巣市のゴルフ場の近く嵐山町のゴルフ場の近く霞が関カンツリー倶楽部の隣のゴルフ場飯能のゴルフ場の近く東松山市のゴルフ場の下寄居町のゴルフ場の入り口お分かりいただけただろうか?現在は多くの山の平らな場所といったら、太陽光パネルで敷き詰められてしまうパターンが多いのですが。小規模な太陽光発電所はあるものの、埼玉県はゴルフ場があるおかげで、山を崩されず
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シリーズ:埼玉県民は埼玉の良い部分を知らなすぎるので、都民がその魅力を語る。その6

氷川神社(主祭神 須佐之男命)の対になる氷川女體神社(ひかわにょたいじんじゃ 主祭神 奇稲田姫命)は。スサノオノミコトと、八岐大蛇の生贄になりそうだったところを助けたクシナダヒメの、夫婦神の文字通りの対となる神社。氷川神社から直線距離で約6kmほど南西に行った、埼玉の子供なら誰でも知っている、埼玉の大水田地帯『見沼田んぼ』の中の、こんもりとした小山の上にあります。見沼田んぼは、元々先に紹介した荒川や利根川の流れていた場所であり、大きなため池と縦横無尽に用水路が走る場所であり。代表的な用水路が氷川女體神社の前を流れる「見沼大用水」です。氷川神社が街の中の神社ならば、氷川女體神社はここにはかつて多くの貝塚が存在したように、クシナダヒメの別名「稲田姫命」のように食べ物の守り神なわけですね。地図で見てもわかるように氷川神社に比べ。氷川女體神社は街から離れた田んぼの中にあって、かなり静かな雰囲気です。しかし、最寄り駅の武蔵野線 東浦和駅から約2km。京浜東北線の北浦和駅からも約4kmと、かなり離れているせいで氷川神社よりもマイナーであり。参道と鳥居も住宅地の道と化しています。しかも京都の錦小路にある錦天満宮か?!と、思うレベルで鳥居が家の間に挟まれています。錦天満宮の方はあれで名物になっているのでまだ良いですが。こちらはそんなわけで、県内の様々な場所をストリートビューで巡っていますが、神社自体がかなりぞんざいに扱われている印象を受けます。こういうのを見たら、外国人が神道はすでに滅びた宗教と思う人がいても仕方がないかも。窓開けたら神社の鳥居が壁にくっついているってどうなんでしょう?建物自体
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シリーズ:埼玉県民は埼玉の良い部分を知らなすぎるので、都民がその魅力を語る。その2

1の方で「埼玉県民は埼玉の魅力に気づいていない」と、力説したが。しかしながら、埼玉県民が「埼玉には観光地と呼べる場所がない」と、ぼやくのはやや致し方ないような気もする。今回は「渓谷」の話。とはいえ長瀞のようなメジャーな場所の話ではない。けい‐こく【渓谷・谿谷】. 〘 名詞 〙 山にはさまれた川のある所。谷。谷間。とあるように、渓谷とは要は谷に流れる川のことなのだが、一般的に景勝となっている谷川のことを言う。さて、では何故そのような事が起きるかというと。東京の山や丘陵地は中央線や青梅線を見るとよくわかるが、急激に隆起していて見かけよりも険しい。都心から近い場所にある秋川渓谷でさえ、槻川(つきかわ)の嵐山渓谷に近い丘陵地帯の間にある渓谷の入り口でさえ、既に険しさがある。東京都 秋川渓谷都心部も建物で気づかない人が多いが等々力(とどろき)渓谷があるように、実は丘陵地のため、その標高差が美しい景色を生むのだ。事実、石神井(しゃくじい)川など完全な谷川であり、江戸時代からの景勝地であり今でも音無渓谷と呼ばれた時代の面影を残す。東京都 石神井川しかも東京は湧水が多いので、実は川も池も水が綺麗。しかし、槻川の作る嵐山町から小川町に続く嵐山渓谷は、迫力こそないが整備される前の東京の野川や仙川の流れを思わせ。懐かしさを感じ。ときがわ町の都幾川(ときがわ)の作る渓谷は、丘と丘の間を流れるために山の中を流れる川を思わせる。他の渓谷には劣るが、身近に迎えてくれる親しみやすいが、自然そのままのワイルドさを残す川といったところだろう。しかし、1でも述べたように。埼玉の川は自然の流れそのままのところが多いた
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シリーズ:埼玉県民は埼玉の良い部分を知らなすぎるので、都民がその魅力を語る。その32

埼玉県民にはお馴染み、国営武蔵丘陵森林公園のある滑川町にある東武東上線の駅に「つきのわ」というものがあります。ツキノワグマではありません。町の名前が「月の輪」なのです。そしてその「月の輪」を挟むように同じ字で「月輪」という町が存在します。そして予想通り「月の輪」も「月輪」も江戸期から明治中期まで同じ村だったそうで、元々「月ノ輪村」だったそうです。駅周辺だけが別の町になったのは、おそらく後につきのわ駅が出来たので、そこ一帯が「月の輪」になったのでしょう。また、この地名はの由来は、平安期にこの地域が関白九条兼実(月輪殿)の荘園であったことに由来すると言われており。(九条 兼実(くじょう かねざね)平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公卿。藤原北家、関白・藤原忠通の六男。官位は従一位・摂政・関白・太政大臣。月輪殿、後法性寺殿とも呼ばれる。通称は後法性寺関白(ごほっしょうじ かんぱく)。五摂家の一つ、九条家の祖であり、かつその九条家から枝分かれした一条家と二条家の祖でもある。五摂家のうちこの3家を九条流という。Wikipediaより)歴史も古く由緒ある地名であることや、さらに周知度、響きの良さなども勘案し、命名されました。とのことです。そしてここには西暦709年に建立された「月輪神社」があります。ここは元々氷川神社の分社だったそうですが、西暦1190年に九条兼実の御霊を合祀したことから、月輪神社という名前になったそうです。とても綺麗な名前の神社ですが。名前に反してスケールは小さめ・・・。鎮守の森もこんな感じ。神社の向かいにお寺(福正寺)があるのですが、おそらくかつては神社の境内にあっ
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シリーズ:埼玉県民は埼玉の良い部分を知らなすぎるので、都民がその魅力を語る。その31

川島町の隣にある坂戸市は、新興住宅地の多い街で変わった名前の町名の多い場所ですが。 新しい街が集まっているので目立った場所があまりないのですが。 その中で最も有名な観光地といったら、台湾の人が昭和56年(1981年)に作った道教の神社「五千頭の龍が昇る聖天宮」なのですが。 ここは有名な観光地のためここらへんにして。あまり有名でない場所としては、明治製菓のチョコレート工場「明治なるほどファクトリー坂戸」でしょう。 埼玉県は私が幼稚園や小学校の頃工場見学でよく行ったように、お菓子や食品の工場が多いのです。しかもこの工場、予約制で見学できるようです。 そして明治のチョコレート工場の南西にある団地との間に、千代田公園という長方形の公園があるのですが。 その公園がただの公園と侮るなかれ。これがとても美しい。しっかりと管理された木々と地面がまるで欧米の公園のようです。今時珍しい街の公園の中に高い木の林の広がる、懐かしい感じの公園です。80年代の公園のままですね。子供の頃を思い出します。 とはいえ、坂戸市には古いものは何もないのか?と言われればそんなことはなく。 坂戸市石井にある勝呂廃寺という場所は。7世紀後半に建立された埼玉県最古の寺院のひとつと考えられ。 寺域を廻る大溝が発見され、南北120m、東西70mの広大な寺域であったと推定され、基壇状の遺構や 大型掘立柱建築跡などが発見され、塔の相輪の一部や多量の瓦が出土しています。本格的な伽藍配置を伴った寺院の 可能性が高く、入間郡の有力豪族であった入間宿襺(物部直氏)一族によって建立されたと考えられています。 そして勝呂寺の発掘現場から200
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シリーズ:埼玉県民は埼玉の良い部分を知らなすぎるので、都民がその魅力を語る。その24

前々回に、埼玉は東京に近いために古いダムが残っており、そのレトロで魅力的な建造物を紹介しましたが。埼玉県と江戸との深いかかわりで、現在の川口市があります。川口市といえば昨今は悪いニュースばかりで有名ですが。しかし川口市安行といえば、植物が好きな人には植木で有名な場所。植木栽培の歴史は約400年にも及びます。安行の地名は、「新編武蔵風土記稿」によると、かつて中田安斎入道安行の領地であったことから名づけられた、とされています。(安行吉岡にある金剛寺という曹洞宗の寺も、明応5年(1496)に中田安斉入道安行が開基したと伝えられ、寺名も安行が金剛経を信奉していたことに由来している。 )そしてこの安行の地の植木栽培の起こりは、承応年間の頃、吉田権之丞によって始まったされ、彼は「安行植木」の祖とされています。安行が植木の里となったのは、吉田権之丞(1635~1703)は明暦の大火(1657年(明暦3年))の際に、江戸に植木を売り込んだのがきっかけとされ。江戸に近い安行は、そこから現在に至るまで植木の里となりました。川口緑化センターHPより江戸は盆栽や植木が盛んな街だった事で有名ですが、それもこれも安行がなければ成り立たなかったわけです。草花植木づくし 歌川芳藤(文政11年〈1828年〉 - 明治20年〈1887年〉)ちなみに現在は盆栽といえば大宮の盆栽町が有名ですが。盆栽町は関東大震災で焼け出された谷根千の植木屋が移り住んだ場所なので、歴史としてはかなり新しくなります。(とはいえ100年経っていますが。)さて、ひとえに「安行」と言っても安行と名の付く地域は。安行安行領家安行藤八安行出羽安行
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シリーズ:埼玉県民は埼玉の良いところを知らなすぎるので、都民がその魅力を語る。その22

埼玉には実は異世界のような風景が多く存在する要因に、湿地帯が多いために灌漑用の調節池が多く存在するものがありますが。古いダムの管理棟や取水棟はお洒落なデザインが多いですが。埼玉のダムは東京に近いせいか特に古いものが多く、その管理棟や取水棟は日本の風景ではないような雰囲気を醸し出します。●狭山湖埼玉県内の古くてお洒落な取水棟で特に有名なところでは、狭山湖の名前で有名な山口貯水池。これは第一取水棟。昭和2年に完成した多摩湖の、その7年後の昭和9年に完成。大正時代から昭和一桁という、様々なジャンルで特にデザイン性に優れた時代の建造物で。まるでヨーロッパの古城の塔のような、昔からそこにあるような、非常に優れたデザインです。ここは勝楽寺というお寺の名前のような場所ですが、埼玉県入間郡勝楽寺村という村の名前だったようです。そしてこの取水棟は第二もあります。しかし、美しい第一取水棟と比べて、第二取水棟はかなり新しい時代にできたのか。なんかものすごく安っぽい・・・。これはせっかくの異世界感に浸っていたところに、現実に引き戻されてしまうので、異世界感はないですね😅●間瀬ダムそして、古いダムで一部が国の有形文化財となっているダムが、本庄市にある間瀬ダムになります。昭和2年着工、昭和11年完成。通路のデザインも独特で擬木を合わせてあり、カッコいいですね。取水棟も趣のあるデザインで、窓が洋風の縦長の形と、お寺によくみられる釣り鐘型の花頭(かとう)窓の組み合わせが面白いです。本当に、大正から昭和一桁時代のデザインって、このようにお洒落なのに加えて面白いです。そして間瀬ダムのすぐ下にある水を調節する橋が、
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シリーズ:埼玉県民は埼玉の良いところを知らなすぎるので、都民がその魅力を語る。その20

埼玉のスターバックスといえば、こんなニュースが話題になりました。埼玉・行田の公園でスタバ出店計画見送り 「駐車場狭くなる」と懸念行田市の忍城跡の水城公園の駐車場にスターバックスが出店する。という計画に、少数の声の大きな市民団体が反対し、多数の出店希望の署名が集まったにもかかわらず、水城公園には出店しない事になってしまったニュースがありますが。スターバックスが出店予定だった、水城公園の駐車場をストリートビューで見てみたら。駐車場のそばに大きな池があり。店の窓から池が見られたり、テラスを作ったらちょうどよいような、まさにスターバックスコーヒー好みの風景です。しかも向かいにはカフェに改造された洋館と太鼓橋があるので、非日常的な雰囲気の中に入り込むにはちょうど良い場所になります。確かにこのような場所は人気が出そうですので、その風景を見に渋滞が起きる可能性はありますが。スターバックスコーヒー自体は今では埼玉にも何処にでもあるような状態ですので、結果として声の大きな人たちの妨害と考えてよいでしょう。そもそもスターバックスコーヒーのサービスは、日本の「おもてなし」精神をモデルにしたものだそうで。その特徴が大いに出ているのが、都立小金井公園のすぐ近くにあるスターバックスです。ここにはかつてよくテレビドラマのロケ地にもなった「くすの樹」というレトロな喫茶店がありました。(閉店間際に入ったことがあります。)しかし、建物の老朽化により惜しまれつつ閉店。建物は解体されてしまったのですが。この土地に出来たスターバックスは「くすの樹」のシンボルだった屋根やシャトーの面影を残す形であり、喫茶店のシンボルであ
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埼玉の謎の施設。これがあったらここが湿地帯だった証拠。

鴻巣に"北新宿ロータリー公園"という妙に東京っぽい謎の公園があります。通常「北新宿」といわれると、通常は新宿区の大久保駅と新大久保周辺を思い起こしますが。この新宿は「しんじゅく」ではなく「しんしゅく」と読みます。なので新宿区北新宿にある公園ではありません。この公園の特徴的なところは何と言っても、この奇妙な形です。土地柄古墳か何かと思ってしまいますが、色々調べてみましたが、特に形に関しての意味はないようです。とりあえずこの周囲をぐるっと回ってみましょう。お堀のように厳重に囲まれていますが、中に入れないわけではなさそうです。おや?下にいけるスロープがあります。おや?何かを図る測量計だろうか?スロープのところに入れる入り口かな?西側のところにも立ち入り禁止のところがあって、その中に物置のようなものがあります。おや?!このお堀のようなもののトンネルのようなものは隣とつながっていて、水で満たされるようになっているようです。ここは少し水が残っているようですね。西側にも入り口がありました。どうやら調節池の中に公園を作っただけのようで、形に関しては特に意味はないようですね。スタート地点に戻ってきましたが、こちらもトンネルは下に流れこめるようにというわけではなく、隣とつながっています。もしくは水量で開く扉のようなものがあるのかもしれませんが。埼玉の平野部には、これまで紹介したようないかにも調整池や調節池です。というようなものから。松伏町とその周辺にあるような、非常に美しい調整池もあれば。北新宿ロータリー公園のような、一見何が目的なのかよく分からない調節池も存在します。実際、地図上にも表示されない
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八潮市 道路陥没事故 考察

「埼玉県民は埼玉の良い部分を知らなすぎるので、都民がその魅力を語る。」シリーズをやっている手前、この話題は見過ごせないので、八潮市の道路陥没事故の発生した場所の考察をしてみたいと思います。ここは私もまったく土地勘のない場所なので、シリーズでも取り上げなかったのですが。頑張って探しましたが面白いとしたら「潮止」という地名くらいで。本当に取り上げる場所がないです。市役所隣にある中央公園もこの通り。荒れているところからも、察してください。ちなみに。陥没事故が起きた後、吉川市 越谷市 松伏町 三郷市で約3万7200戸が停電するなどの事故が発生し、陥没事故との関連が疑われましたが。送電設備のトラブルによる停電で、直接的な関連はないとの話ですが。東京に住んでいる人なら電車のケーブル切断や放火などのテロが度々あるので分かると思いますが。最近ではロシアや中国による海底ケーブル切断のように、極左テロは送電設備を狙う事が多いのです。実際私が埼玉に住んでいた80年代でも火炎瓶や、北朝鮮の指令テープが普通にそこらへんに転がっていたものです。2014年にも川口のマンションに迫撃砲が撃ち込まれる。なんて事もありましたからね。ただ、こうしたものは公には出ないので、送電線のトラブルが何だったのかの原因かはここまでとして。今回陥没事故が起きたところは八潮市役所のすぐそばの六差路。陥没した場所は当初は道路の真ん中でしたが、後にすぐそばにある和食店の看板も落ちてしまうほどの大きな陥没が発生します。報道によると、下水道が腐食してそこから土砂が流されてしまい、大きな穴が開いてしまった。という事ですが。そうなると、この六
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シリーズ:埼玉県民は埼玉の良い部分を知らなすぎるので、都民がその魅力を語る。番外編

今回は2024年も末なので、「埼玉県民は埼玉の良い部分を知らなすぎるので、都民がその魅力を語る。」というこのシリーズを書こうと思ったきっかけを書こうかと思う。 これまで書いてきたとおり、私は小学校を卒業するまで埼玉県にいた。 その当時は団塊の世代が家庭をちょうど持つような時代だったため、多くの不動産屋や自治体がファミリー向けの住宅地を作るために、曰く付きの土地を購入しニュータウンにする例が多く。 それによって一夜にして大金持ちになる土地成金も多く。その例にもれず私が住んでいた住宅地も、そんな住宅地のひとつだったが。 当時埼玉県は超一流の建築家を使っていたせいか、街並みは非常にスタイリッシュであった。 しかし、曰く付きの土地の影響からそこは文化程度は非常に低く、新しく入ってきたサラリーマン家庭は嫌がらせの標的となった。 そもそも80年代にもかかわらずサラリーマン自体が珍しかった。そんな訳で学校の先生の程度も低いために、当時大ヒットした猫版の「銀河鉄道の夜」 の影響で。その小学校では私以外、誰もジョバンニやカムパネルラが本当は人間である事を知らず。 原作を読んでいた私が『銀河鉄道の夜』の絵を人間で描いた事で「猫じゃない」と言う事でクラス中で騒動となり。 先生が「笠原さんは、猫じゃなくて人間に見えたのよね」と言った事がきっかけで。 教員を含む学校を巻き込んだ、凄惨を極めるいじめに発展した事で。両親は極力私をいろんな場所に連れて行ってくれたのだが。ある時、父が山岳地図上で見つけた珍しい名前の山のトレッキングコースの途中で道に迷ってしまい、なんとか道を見つけて廃村に紛れこんだものの。 家
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シリーズ:埼玉県民は埼玉の良い部分を知らなすぎるので、都民がその魅力を語る。その15

時期的に立て込んでいて更新がだいぶ開いてしまいましたが。もちろんネタ切れではありません。さて、今回は現在お札効果ですっかりメジャーになった深谷、熊谷、行田を飛ばしてそれよりも北に参りましょう。埼玉県本庄市は深谷市よりも北にあり、時に埼玉県より群馬県と揶揄されるような地域です。しかしそれだけに懐かしい風景がそのまま残っている場所も多く、こちらは東富田観音塚の松という、奥に観音堂のあるこの松の木は、本庄市の郷土かるた「を」のモチーフになっている。本庄城主 小笠原信嶺が1598年赤城山から100本の松樹を城内に植えた残りを領内に植え、現存する松がこれだとか。「終わりなき目出度き観音塚の松」日本画っぽくてカッコいい風景ですよね。しかし肝心の本庄城はというと・・・。本庄市役所の裏にありますが稲荷神社になっており、ここに城があったという石碑しか残っていません。しかし、富田観音塚の松という場所は上越新幹線の「本庄早稲田駅」という駅の近くにあるのですが。高崎線本庄駅からさほど離れていないせいか、よくある寂れがちな新幹線駅ではなく、新しいスポットも多く非常にお洒落な場所が多いのです。本庄総合公園という公園には、四季の里という新興住宅地からまっすぐ伸びる道があり。ゲートのようなオブジェの先に、地のモニュメントというオブジェがあります。なんだか不思議なオブジェでなんとなく異世界感がありますね。ちなみにこの先に「水のモニュメント」「火のモニュメント」「風のモニュメント」というものがあります。古代ギリシャの四大元素ですね。そんなわけでなんだか不思議な感じのするこの公園は、公園自体も都会の人間から見れば、
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シリーズ:埼玉県民は埼玉の良い部分を知らなすぎるので、都民がその魅力を語る。その13

さて。このサムネイルの氷川神社とは、何処の氷川神社でしょう?これまで「歴史と絶景過ぎる市立、町立公園」では整備された公園を紹介してきましたが。今回は、そこ一帯が歴史を色濃く残している場所の紹介です。前回紹介した桶川市の城山公園のすぐ北側の川と川の間には街道の跡があり、その周辺を「石戸宿」といいます。石戸宿という名称からもわかるように、ここには古くからの街道がありその跡が今でも数多く残されています。一時こうした野仏は道端から撤去されることが多かったのですが、最近は大切に残しているところが多いのが嬉しいですね。こうした風景などは、いかにも昔の街道の雰囲気が残ります。石戸宿には北条氏の築いた石戸城という城跡もあり、その周辺は現在埼玉県の自然保護区域になっています。自然保護地域の間にこんな公園もあります。森の中の滑り台楽しそう😊公園の雰囲気も、桶川より南の雰囲気とはがらりと変わり、都会の影響は受けていない、日本の原風景がまだ残っていますね。ここは鎌倉時代から江戸時代の街道の影響が色濃く残っています。そして、北条氏が一夜で築いたという堤は、現在は桜の名所であり。この一帯を「高尾」と呼ぶそうです。自然保護地区から北に1kmほど行ったところに、高尾阿弥陀堂というところがあり、高尾河岸という船着き場だったそうで。「中世の館(大宮館)跡であるといわれ、発掘された遺跡も保存されている。境内には二層の鐘つき堂のほか、亀御前の碑など文化財が多い。樹齢約200年のエドヒガンザクラは、北本市天然記念物に指定されていて、例年3月末にあでやかな濃いピンク色の花を咲かせる。(北本七福神めぐりポイントより)」現在
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シリーズ:埼玉県民は埼玉の良い部分を知らなすぎるので、都民がその魅力を語る。その7

氷川神社と氷川女體神社を直線で結んだちょうど中間に、中山神社という神社があります。ちょうど中間という場所の関係と氷川女體神社と同じく、崇神天皇の時代に建立されたといわれ。祀られているのが両神社と同じく、素盞嗚命(スサノオノミコト)とクシナダヒメの別名 稲田姫命と大己貴命(大国主命)のため、別名は中氷川神社といい、氷王子社とも呼ばれます。こちらは氷川女體神社とは違い、しっかりと参道が伸びています。それだけでもここは氷川女體神社よりも恵まれていて、近所の人々からとても愛されているのがわかりますが。しかしそこはしっかり埼玉県らしく鳥居自体はぼろいです。一の鳥居とはいえここは参道もしっかりとしています。県道一号線と交差する場所。参道の木々が立派です。道の向こうに二の鳥居と神社の境内が見えてきました。二の鳥居はとてもきれいな鳥居です。こちらは一の鳥居とは違って扁額もきちんと書かれています。しかし、神社の池は道路で切り離されこんな状態・・・。これはひどい・・・。今は底なし沼になっているそうですが、かつてはきっと澄んだ水で湛えられた美しい池だったと思います。せめて低木などを植えるなどする方法ってなかったんですかね?中氷川神社のある見沼区と、氷川女體神社のある緑区には、本来こういう風景だったのでは?という美しい風景であふれています。氷川女體神社のような扱いの場所もあれば、埼玉県らしく何でもまっ平らにしてしまう公園も多いものの。時々こうした湿地帯や池の中を木道で散策できる公園も存在します。こちらは合併記念見沼公園。水を浄化する葦原の中に木々が生える幻想的な風景。こうした日本画のような風景もあれば
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シリーズ:埼玉県民は埼玉の良い部分を知らなすぎるので、都民がその魅力を語る。その3

「元荒川は、埼玉県を流れる利根川水系で中川支流の一級河川である。古荒川とも呼ばれる。越谷市大字中島にて中川へ合流する。その名のとおり、かつては荒川の本流であり、近世以前の利根川へ合流していた。かつては荒川の本流であったが、1629年に伊奈忠治により熊谷市久下で荒川が締め切られ、本流からは切り離された(荒川の西遷)。」(Wikipediaより)つまり、元荒川は本流が切り離されてしまったので、支流のひとつが残ったかたちなんですね。上流域元荒川はこの熊谷の小さなせせらぎから、60.7 km(荒川は173.0 km)の小さな旅が始まります。荒川の本流だったという名残から元荒川の流れに沿い、旧中山道が続きます。元荒川の上流は、ムサシトミヨという絶滅危惧種の魚が、国内唯一野生の状態で生息している清流。最上流のここは、まるで農業用水路のように、家や田畑の間に沿って流れていきます。ムサシトミヨがいるので、川をきれいにしましょう。という看板があちらこちらに立っています。ストリートビューが春に撮られているので。まるで童謡の「春の小川」のようです。確かに水がすごくきれい!私が住んでいた頃は埼玉県の川は、ドブ川のイメージがあったので、30年くらいでずいぶん綺麗になったんですね・・・。おや?向こうに見えるのは・・・。荒川の土手です。しばらく元荒川は荒川と平行に並んで進んでいきます。ここらへんから元荒川の河岸に桜が植えられるようになります。橋の向こうに見えるのは、人工の滝のある小さな公園。30年前も河川のほとりは綺麗に整備され始めていましたが、それでもまだ汚かった川も多いので、あれからずいぶん川への意識が
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シリーズ:埼玉県民は埼玉の良い部分を知らなすぎるので、都民がその魅力を語る。その30

今回は非常に暑い地域なので、秋になるまで待っていました。秋になるまで待っていたら秋を過ぎて冬になってしまいましたが・・・。そんなわけで。すさまじく暑かった今年の夏を振り返りながら、ブログを再開したいと思います。 埼玉県の中でも連日最高気温をたたき出す非常に暑い町で有名な鳩山町は、実は暑いだけでなく「宇宙の町」でもあります。何故宇宙なのかというと、町の中にはJAXAの研究所があり。 事前に申し込めば平日の午前・午後各1回行われる見学ツアーに参加でき、春秋2回一般公開もされています。そんなわけで観測所なので、山の中に観測所があるのですが。ここは宇宙中心ではなく「地球観測センター」なので、地球の観測が中心なのだと思います。道も地球観測センターのある山をぐるりと回るように伸びており、赤い部分の道の名前は「観測センター通り」と言います。ストリートビューで見ると、鳩山カントリークラブのある方から入った方が道も広く分かりやすいですね。山の中にあり、公開日も予約が必要なため桜の穴場としても有名だそうです。入っていきなり巨大パラボラアンテナ。これぞJAXA!そして建物の屋根の上にもレーダーらしきものが・・・。まさに研究所!ちなみにパラボラアンテナは二基あるみたいです。こちらは真上に向けていますね。しかもこのJAXAの観測所のある山の麓には、あの宮沢賢治の銀河鉄道の夜をテーマにした公園が存在します。赤線を引いた地図上では緑道となっている公園は、「トロッコ公園」という1983年の7月、東北本線沿いにあったトロッコを撮影しようとした少年が、列車から転落して亡くなるという事故があり。その遺族や関係者がほ
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埼玉県民は埼玉の良い部分を知らなすぎるので、都民がその魅力を語る。その28

所沢市と入間市は東京から県境を大きな川を渡らず直接電車で行けるからか、高崎線沿線とは雰囲気が全く違うのだが。特に入間といったら、毎年航空祭で賑わう航空自衛隊基地で有名ですが。実は主だった部分は狭山市にある。そして隣は観光地の多い飯能市のため、実は入間市はかなり存在感がない。しかし、1938年から軍事基地があるということはそこに歴史も残るわけで。入間基地の入間市側のすぐそばに「ジョンソンタウン」という、かつて米軍に接収されていた時代の米軍ハウスが残っています。ジョンソンタウンとは、米軍接収時代にジョンソン基地と呼ばれていたためで、日本に完全に返還されたのは昭和53年(1978年)だそうで。確かに私が埼玉に住んでいた頃は、大人の中には入間基地を未だにジョンソン基地と呼んでいる人もいました。今では、米軍住宅はカフェやレストラン、雑貨屋などの店に改良され、異国情緒が味わえる場所として人気のスポットらしいですが。確かにカリフォルニアっぽいwwww緯度的にもちょうどカリフォルニア州のポイント・シエラ・ネバダ・トレイルヘッドというという場所と同じなので。そこから南に30kmほどの場所にあるサン・シミオンという町を意識しているのかな?※カリフォルニア州 サン・シミオンです。そんなわけで埼玉にはセーヌ川があったり。リアルに異国っぽい風景が多いのですが。入間は入間川という大きな川の名前がついているように、やはり川の風景が美しいですね。特に東京都青梅市の「青梅の森」を源流とする入間川の支流。霞川(かすみがわ)が美しい。※源流の青梅市ちなみにこの通り沿いにある永山公園という場所には鉄道博物館があるそう
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シリーズ:埼玉県民は埼玉の良い部分を知らなすぎるので、都民がその魅力を語る。その27

前回川越市限定で廃線跡の特集をしましたが。Wikipedia情報では埼玉県の廃線は前回紹介した。埼玉県営鉄道、西武大宮線(川越電気鉄道)、西武安比奈線のほかに、まだこれだけありますが。入間馬車鉄道(馬車鉄道) 行田馬車鉄道(馬車鉄道) 埼玉県営鉄道(専用鉄道) 上武鉄道 西武安比奈線(貨物線) 西武大宮線(路面電車) 千住馬車鉄道(馬車鉄道) 草加馬車鉄道(馬車鉄道) 中武馬車鉄道(馬車鉄道) 東武熊谷線 東武高坂構外側線(高本線) 東武西大家貨物線(貨物線・専用線) 東武根古屋線(貨物線) 武州鉄道 本庄電気軌道(路面電車) 秩父鉄道三ヶ尻線〔一部:三ヶ尻駅 - 熊谷貨物ターミナル駅間〕(貨物線)埼玉の廃線は馬で貨車を引く馬車鉄道が多いですね。他にも埼玉には武甲山があるため、セメント工場が多いので太平洋セメント専用線のような、会社が持っている専用路線を入れたら、もっと数がるかと思います。そしてこの太平洋セメント専用線は。日高市の高麗川駅から、太平洋セメント埼玉工場まで伸びる廃線跡が「ポッポ道」という名称で、鉄道の面影をそのまま残した緑道となっています。真ん中の奥が草に覆われる線路が「ポッポ道」になる、太平洋セメント専用線です。左がJR八高線、右がJR川越線です。そして盛土の上にある廃線は日高市の管轄になり、ポッポ道が始まります。この、一見何の変哲もない1kmほどの緑道が、ワクワクするような道に変貌します。出発して少ししてから見えてくるのが。早速見えてきました。はい。踏切です。公道側から見ると、踏切や鉄道っぽいものがあるのに緑道。という不思議な光景です。そんな光景が交差点に入る
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シリーズ:埼玉県民は埼玉の良いところを知らなすぎるので、都民がその魅力を語る。その21

入間、飯能には異世界がある。前回珍しい入間川の河川敷にあるスターバックスと。北欧風のスターバックスを紹介したので。今回はこの周辺にある異世界をご紹介します。前回紹介した通り、飯能にあるムーミンバレーパークは宮沢湖というダム湖の半分を囲むようにあるのですが。実際のところはゴルフ場の中にあるような状態です。まあ、そこがどこか外国のような雰囲気を醸し出しているわけですが。実はこの近くに無料で入れるムーミン谷が存在します。そこは同じく飯能市にあるトーベ・ヤンソンあけぼの子どもの森公園。位置関係としては、ムーミンバレーパークが日高市のそばにある丘の中にあるのに対して、トーベ・ヤンソンあけぼの子どもの森公園は、尾根道を飯能市と入間市の市境にした丘の中にあります。ちょうど盆地を囲む丘の中にある感じですね。交通の便もムーミンバレーパークが東飯能駅からかなり離れた場所にあるのに対して、トーベ・ヤンソンあけぼの子どもの森公園は西武池袋線の元加治駅から1.5kmほど先にあり、ハイキングがてらにちょうど良い感じの場所です。飯能市の市民球場と体育館がある場所の奥に、この公園は存在します。公園の入り口に自販機と観光バスが並んでいますが。ここは路線バスの車庫でもここにやって来た観光バスでもなく。バス会社が所有するバスらしいです。飯能は東京からアクセスの良い場所にあるので、元々こうした観光地が多く存在するのです。東京都との境も近いため、雰囲気もどこか垢抜けている感じがします。この公園がある丘の尾根道を通って、青梅まで縦走する人もいるようですね。入り口に入ればどうですか!この異世界感。公園の管理事務所もこんな感
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シリーズ:埼玉県民は埼玉の良い部分を知らなすぎるので、都民がその魅力を語る。その17

ロサンゼルス大火災の焼失地域の印象的な建物をストリートビューで探し、建物スケッチの練習をしていたので、少し時間が空いてしまいましたが。埼玉県すごいよ。シリーズ再開です。埼玉県の悪いところは明治神宮の森をつくった本多静六博士の資料館を最近作った旧菖蒲町のように、卑屈になりすぎて魅力的な部分を放置してきたり。それに最近気づいて大切にしようとする動きもみられるのですが。前回紹介した朝霞市の北にある志木市は史跡があるものの。貝塚を宅地のために削って半分の大きさになってしまったり。場所の痕跡はあるものの跡形もないものが多いため、何とも残念な気分になる事が多いのですが。しかしその反省なのか、志木市にあったという『柏の城』に関しては、すでにそこには全く城跡の面影はないものの。そこにあったという場所には、とても丁寧な解説が建てられています。曲輪跡城跡お堀跡しかし、それ以外志木市という場所はこれまでの市や町とは違い、これといった目立つものが本当に何もありません。しかし、何もないといっても人が住むところですから何かしらあるもので、志木市は運搬の拠点となった新河岸川(しんがしがわ)と柳瀬川(やなせがわ)の交わる三角州に作られた、市役所周辺が熱いのです。市役所じたいが普通は公園になるような、変なところにある。というのもそうですが。現在志木市の市役所の前は大きな広場になっており。向かいの公園は移築した古い薬局の建物と公園。そして和風の外観のお洒落なカフェが併設されていますが。しかし、2019年までは市役所の向かいの公園は奥に見える、「村山快哉堂」という古い薬局の建物があるだけで他は何もなかったらしい。「
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シリーズ:埼玉県民は埼玉の良い部分を知らなすぎるので、都民がその魅力を語る。その18

しばらく元埼玉県民で埼玉の土地勘があるために、埼玉ブログの内容に当てはまるのと。美大で授業を受けた関係でもあり八潮市の陥没事故のメカニズムを連載しましたが。その件で嫌がらせもあり、しばらくブログはお休みしていましたが。落ち着いてきましたので再開します。さて、埼玉県を代表する路線といえば、JR高崎線、西武池袋線、東武東上線、秩父鉄道、JR八高線と並びJR武蔵野線がありますが。朝霞市と志木市の隣にある新座市(にいざし)と、越谷レイクタウン駅と越谷駅の中間には、武蔵野線の大元となった施設があります。JR貨物 新座貨物ターミナル駅JR貨物 越谷貨物ターミナル駅「武蔵野線は、山手貨物線のバイパス路線として日本国有鉄道(国鉄)が建設した貨物線で、同時に旅客用にも供用された首都圏の外環状路線である。南関東の東京都多摩地区、埼玉県南部、千葉県西部(東葛地域)など首都圏の郊外を結ぶ通勤・通学路線でもあり、東京都心部から放射状に延びるJRや私鉄の各路線との交点に乗換駅が設けられている。旅客営業の起点は府中本町駅であるが、府中本町駅 - 鶴見駅間は現在でも貨物専用路線として機能しており、この区間は旅客営業区間と区別して通称「武蔵野南線」と呼ばれる。武蔵野線は、山手貨物線を代替する「東京外環貨物線」として計画され、1927年の鉄道敷設法に取り入れられていたが、第二次世界大戦などの影響で計画は凍結された。戦後になり山手貨物線の貨物列車本数が増加したことから、1952年に首都外郭環状線の一環として所沢 - 浦和 - 流山 - 我孫子間の路線が埼玉県より申請され、1957年に鉄道建設審議会で玉葉線(ぎょくよ
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