シリーズ:埼玉県民は埼玉の良い部分を知らなすぎるので、都民がその魅力を語る。その6

記事
コラム
氷川神社(主祭神 須佐之男命)の対になる氷川女體神社(ひかわにょたいじんじゃ 主祭神 奇稲田姫命)は。
スサノオノミコトと、八岐大蛇の生贄になりそうだったところを助けたクシナダヒメの、夫婦神の文字通りの対となる神社。

氷川神社から直線距離で約6kmほど南西に行った、埼玉の子供なら誰でも知っている、埼玉の大水田地帯『見沼田んぼ』の中の、こんもりとした小山の上にあります。
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見沼田んぼは、元々先に紹介した荒川や利根川の流れていた場所であり、大きなため池と縦横無尽に用水路が走る場所であり。
代表的な用水路が氷川女體神社の前を流れる「見沼大用水」です。

氷川神社が街の中の神社ならば、氷川女體神社はここにはかつて多くの貝塚が存在したように、クシナダヒメの別名「稲田姫命」のように食べ物の守り神なわけですね。
地図で見てもわかるように氷川神社に比べ。
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氷川女體神社は街から離れた田んぼの中にあって、かなり静かな雰囲気です。
しかし、最寄り駅の武蔵野線 東浦和駅から約2km。
京浜東北線の北浦和駅からも約4kmと、かなり離れているせいで氷川神社よりもマイナーであり。
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参道と鳥居も住宅地の道と化しています。
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しかも京都の錦小路にある錦天満宮か?!と、思うレベルで鳥居が家の間に挟まれています。
錦天満宮の方はあれで名物になっているのでまだ良いですが。
こちらはそんなわけで、県内の様々な場所をストリートビューで巡っていますが、神社自体がかなりぞんざいに扱われている印象を受けます。
こういうのを見たら、外国人が神道はすでに滅びた宗教と思う人がいても仕方がないかも。
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窓開けたら神社の鳥居が壁にくっついているってどうなんでしょう?
建物自体そんなに古くないですからね。
この氷川神社も祀っている大きな神社のある街に住んでいる私としては、かなりショックですし悲しいです。
こんなんだったらまだ撤去した方が良いような・・・。

こんな状態ですからもちろん参道は住宅街の中。
もはやその面影もありません。
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鳥居があるのでここからどう行くのか見ていきますが。
※あくまで住宅地の中ですので検証のみです。
鳥居から辻を曲がらずまっすぐに進んで。
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五叉路の真ん中の道をとにかくまっすぐ。
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こんもりとした森が神社なので、そこを目指してまっすぐに進みます。
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神社の入り口へは突き当りの道をカーブすると、神社の横に出ます。
神社へは見沼代用水の横の道で曲がるのが正式ですが。
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公衆トイレの横から入っても入れるようです。

こんもりとした森と大きな銀杏。トトロがいるのはやっぱり、所沢ではなく大宮周辺なんじゃないかな。

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そんな雰囲気の風景です。
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奥の方に赤い橋が見えますが、そこが氷川女體神社の入り口です。
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そのすぐ前に自動販売機と案内板がありますが。
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見沼田んぼのある見沼区は、実は観光スポットとなるような美しい風景の宝庫なのです。
知らない埼玉県民。もったいないですよ。
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橋の右側にもこんな看板が用意されています。
昭和56年ですからかなり前のものですが、その当時からメジャーではない事に、埼玉県も頭を悩ませていたのかもしれませんね。
恥ずかしながら私もここは数年前に知りました。

先ほどの鳥居もそうですが。
大宮公園(明治18年 当時氷川公園という名称だったそう)のような超一流の学者や建築家によって整備された日本最古の県営公園ように、先人の思いに顔向けできないですよね。
大宮公園を整備したのはなんと、明治神宮の森を作った本多静六博士だそう。
本多静六博士も埼玉県出身。
ということは。明治神宮は埼玉県によって作られたんですね!(渋沢栄一、本多静六)
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八岐大蛇から助けてくれた素戔嗚尊ばかりが目立って、私は目立たない。
と、櫛名田比売様も寂しがっていますよ。

それでは、赤い橋を渡って神社の南側にある見沼氷川公園にいきますが。
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赤い橋を渡ってまっすぐ行ったところに「氷川女體神社 磐船祭 祭祀遺跡」という広場の真ん中に木が4本立つ不思議な空間があります。
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ここの由来を調べると
「平安時代より、御船祭という見沼に船を浮かべる祭祀を執り行っていましたが、川の流域の改変や、享保の改革の新田政策の干拓により行えなくなり、当地にて代わりの磐船祭を執り行われるようになった。」
とのことです。
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この場所を取り囲む沼はその当時の見沼を見立てているのでしょう。
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不思議な空間からなんとなくずっと、洒落コワの「姦姦唾螺」みたいだと思っていましたが、とんでもなかったです。
本当にごめんなさい。
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そう考えると、色々と分断されてしまいましたが。
この空間だけは氷川女體神社は死守したということなのでしょう。
見沼公園.PNG
ちなみに文部省唱歌の「案山子」の作詞家 武笠三は現在のさいたま市、氷川女體神社のある緑区出身の国学者で。
この歌は見沼田んぼに立つ案山子の様子を歌った歌になります。
この銅像はそれを記念して建てられた銅像で、下に歌詞も彫られています。

さて、日本の原風景的な風景の広がる見沼ですが。
実は氷川神社は夫婦ですので、お母さん側の見沼に子供がいるのです。
お父さんの氷川神社とお母さんの氷川女體神社のちょうど中間に、中山神社という神社があり、中氷川神社とも呼ばれ通称「氷王子社」と呼ばれます。
中氷川神社.PNG

次回はその中山神社とともに、見沼の美しい風景も紹介します。

このシリーズは「#埼玉県民は埼玉の良い部分を知らなすぎるので、都民がその魅力を語る。」でまとめています。
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