所沢市と入間市は東京から県境を大きな川を渡らず直接電車で行けるからか、高崎線沿線とは雰囲気が全く違うのだが。
特に入間といったら、毎年航空祭で賑わう航空自衛隊基地で有名ですが。
実は主だった部分は狭山市にある。
そして隣は観光地の多い飯能市のため、実は入間市はかなり存在感がない。
しかし、1938年から軍事基地があるということはそこに歴史も残るわけで。入間基地の入間市側のすぐそばに「ジョンソンタウン」という、かつて米軍に接収されていた時代の米軍ハウスが残っています。
ジョンソンタウンとは、米軍接収時代にジョンソン基地と呼ばれていたためで、日本に完全に返還されたのは昭和53年(1978年)だそうで。
確かに私が埼玉に住んでいた頃は、大人の中には入間基地を未だにジョンソン基地と呼んでいる人もいました。
今では、米軍住宅はカフェやレストラン、雑貨屋などの店に改良され、異国情緒が味わえる場所として人気のスポットらしいですが。
確かにカリフォルニアっぽいwwww
緯度的にもちょうどカリフォルニア州のポイント・シエラ・ネバダ・トレイルヘッドというという場所と同じなので。
そこから南に30kmほどの場所にあるサン・シミオンという町を意識しているのかな?
※カリフォルニア州 サン・シミオンです。
そんなわけで埼玉にはセーヌ川があったり。
リアルに異国っぽい風景が多いのですが。
入間は入間川という大きな川の名前がついているように、やはり川の風景が美しいですね。
特に東京都青梅市の「青梅の森」を源流とする入間川の支流。霞川(かすみがわ)が美しい。
※源流の青梅市
ちなみにこの通り沿いにある永山公園という場所には鉄道博物館があるそうですが。リニューアルのためしばらく休業らしい。残念・・・。
さて、源流も美しい霞川ですが。
入間市は東京都と隣接しているんです。
青梅市
入間市
なんとなく川の感じが違いますね。
少しいくと良い感じの崖の道が・・・。
まっすぐ行くと崖の上を八高線が通っています。
少し南に行ったところにJR金子駅があります。
高くなった場所に線路が通ってます。
そしてここから少し趣が変わります。
坂の上に何か植わっているのが見えますか?
実は入間市は狭山茶の産地なんです。
狭山の名前がついているためてっきり狭山市が産地だと思っている人が多いかと思いますが、地図で見ると分かりますが茶畑はむしろ狭山市よりも入間市の方が多いのです。
茶畑と火の見やぐらがいい感じです。
実際霞川の南に広がる広大なお茶畑の真ん中を通る道は。
「茶どころ通り」という名前がついています。
お茶畑に無数に立っているプロペラは、お茶の葉に霜が降りないようにするためのもので、防霜(ぼうそう)ファンというらしい。
断じて暴走が好きなわけではないので。
以前は高尾駅でも線路の凍結防止のために、何本か車両を置ける場所で見かけました。
そしてこの道をまっすぐ行くと。
茶畑の真ん中にとても雰囲気の良い三峰神社があります。
一面お茶畑!!!
これは圧巻です!!!
茶畑の中にポツンと存在している森がいい感じ。
茶どころなので川のそばにはお茶工場もあります。
この建物は何なのか地図にはないけれど、向こうの橋の方には看板があるので、おそらくこれも場所柄お茶工場だと思います。
時々こうした原風景が現れるのがこの川の魅力。
下流になるにつれ街の中の川のようになってきますが。
思い出したように懐かしい風景へと変化していきます。
さすがに圏央道周辺は味気ない風景になりますが。
ここから先はまた驚くべき風景が顔を出すのです。
またなんとなく崖のような風景となり、しばらく行くと川沿いによくある長く桜が植えられた桜の名所となるのですが。
西武池袋線の線路を越えた先。
一見どこにでもある市街地の風景ですが。
川沿いを走る国道16号を少し行ったところに。
国の有形文化財に指定されている洋館が現れます。
おそらく入間市のスポットの中でも、国の有形文化財なのにドマイナースポットであろう「旧石川組製糸西洋館」!!
明治から昭和の初めにかけて全国有数の製糸会社であった石川組製糸により外国商人を招くための迎賓館として、いまから約100年前に建てられた洋風木造建築。
そして洋館にはよくあることで「家政婦は見た」シリーズなど、数々の映画やドラマのロケ地になっています。
玄関で靴を棚に収めスリッパに履き替えて入館正面左手の受付で入館料を支払い見学。
入館料は200円で個人での使用限定であるが撮影も可能だそうです。
なんとこの霞川沿いを入間川に向かって行くと、壮大な茶畑の風景と荘厳な洋館まで見られてしまう。
歴史と文化が詰まった川なのです。
最後に、西武池袋線元加治駅から飯能のトーベ・ヤンソンあけぼの子どもの森公園へ行く道の途中にある、入間川の橋の遺構です。
西武池袋線(旧武蔵野鉄道)の旧入間川橋梁。
この鉄道橋は西武池袋線の前身、武蔵野鉄道の開業した1915年(大正4年)に架けられたもので、西武鉄道になってからも1969年に複線化と線形の改善のため、現在の入間川橋梁が作られるまで使用されていました。
大正4年ということは、東京駅が出来た次の年ですね。
この時代のお洒落かつ重厚なつくりは非常に人気があるようで、ストリートビューでもこの橋梁が眺められる上橋から眺める人が写っており。
「旧入間川橋梁」で検索すると多くのサイトがヒットします。
レンガの構造ももちろんですが、なんといってもかつてレールを支えた金属製の頑丈な骨組みが美しい😍
まさに用の美がここにありますね。
たまらんです🥰
なんといっても使われなくなって半世紀以上経つのに、これを残してくれているという事に奇跡を感じます。
何故ならこれがあることで、橋台部分の下を通る歩道の高さが大変低くなってしまっているのです。
川辺の緑道は橋の下をくぐる際、河岸でくぐらないといけないところもありますが、その感覚でしょうか?
そんなわけで、入間市はこのシリーズを書いていても、これまでで最も楽しめる場所だと思います。
このシリーズは「#埼玉県民は埼玉の良い部分を知らなすぎるので、都民がその魅力を語る」でまとめています。