今回は2024年も末なので、「埼玉県民は埼玉の良い部分を知らなすぎるので、都民がその魅力を語る。」というこのシリーズを書こうと思ったきっかけを書こうかと思う。
これまで書いてきたとおり、私は小学校を卒業するまで埼玉県にいた。
その当時は団塊の世代が家庭をちょうど持つような時代だったため、多くの不動産屋や自治体がファミリー向けの住宅地を作るために、曰く付きの土地を購入しニュータウンにする例が多く。
それによって一夜にして大金持ちになる土地成金も多く。
その例にもれず私が住んでいた住宅地も、そんな住宅地のひとつだったが。
当時埼玉県は超一流の建築家を使っていたせいか、街並みは非常にスタイリッシュであった。
しかし、曰く付きの土地の影響からそこは文化程度は非常に低く、新しく入ってきたサラリーマン家庭は嫌がらせの標的となった。
そもそも80年代にもかかわらずサラリーマン自体が珍しかった。
そんな訳で学校の先生の程度も低いために、当時大ヒットした猫版の「銀河鉄道の夜」 の影響で。
その小学校では私以外、誰もジョバンニやカムパネルラが本当は人間である事を知らず。
原作を読んでいた私が『銀河鉄道の夜』の絵を人間で描いた事で「猫じゃない」と言う事でクラス中で騒動となり。
先生が「笠原さんは、猫じゃなくて人間に見えたのよね」と言った事がきっかけで。
教員を含む学校を巻き込んだ、凄惨を極めるいじめに発展した事で。両親は極力私をいろんな場所に連れて行ってくれたのだが。
ある時、父が山岳地図上で見つけた珍しい名前の山のトレッキングコースの途中で道に迷ってしまい、なんとか道を見つけて廃村に紛れこんだものの。
家の周辺は荒れていたけれど、まだ道や電柱はしっかりと残っていて。
人がいなくなってからさほど時が経っていなかったおかげで、無事山から抜けられた思い出が強烈に覚えているのだが。
肝心のその山の名前を長らく忘れていたのだが。
この前「若御子山(わかみこやま)」と言う名前であった事を思い出した。
調べてみると。
「「若御子」とは若御子神社の祭神・神日本磐余彦尊(かんやまといわれびこのみこと)と呼ばれる神武天皇の別呼称「若御毛沼命」からきているのではと言われている。
広く知られる神武という名は、8世紀後半の命名による漢風諡号(しごう)。※貴人や高徳の人に、死後おくる名前。おくりな。」
だそうだ。
実はすごい名前だったんですね。
山道から抜けてしばらく行った谷筋に洞窟のあるお寺があり、秩父の巡礼道の札所の一つでちょっとした観光地となっていて。
その谷筋とお堂と鍾乳洞のある崖が素敵だったのをよく覚えている。
当時からストリートビューにあるお堂の食堂も存在した。
絶景の寺院のために当時から観光客は多かったが、今は当時からあった食堂も綺麗になっているようだ。
若御子山にある廃村は、そんなわけで山の暮らしの様子を残してくれていたので、大学の「民俗学」の論文にも色々と重宝してくれた廃村なのだが。
山の名前を忘れていたので、特定することもできないでいた。
調べてみると案外知られた廃村らしく、住民がそこを離れたのは昭和50年代だったらしい。
だから私がそこを見たのは、廃村になってまだ10年ほどしか経っていなかったのだ。
しかもそこのすぐそばには若御子(わかみこ)神社と言う、ホームページもあるような、なかなかに大きな神社があり。
その神社が戦火で焼けた後、再建された400年前には既にその集落は存在したらしいのですが。
そのすぐそばにある浦山ダム(秩父さくら湖)は1998年に稼働しはじめたのですが、その工事中の1970年代から既に影響が出始め、井戸が枯れたなどで人々はこの村を捨てたらしい。
しかし最近は廃村になって40年の月日が経ち、道も消えてしまいすっかり集落は朽ち果て、熊も頻繁に出没する危険な場所になってしまったらしい。
だからここに行くにはこのYouTuberのように、熊鈴と犬を連れて行った方が良いようだ。
ストリートビューにUPされた頂上からの写真を見てみると、そこにあったであろう神社が完全に朽ちていたり。
山の名前の由来が忘れられているように、名前だけが残り、山自体はすっかり忘れられてしまった場所のようで。
麓に立派な神社があるので、おそらく若御子山自体がご神体だったと思うのだが、そうなれば神武天皇とも何らかの関係もあったはず。
若御子神社は天平年間(730年代)創建らしいので。
そうした由緒正しい名称が忘れられてしまっているのは残念ですね。
ここ周辺は洞窟が多いので、祠がよく作られたのでしょうね。
そんなわけで2025年も埼玉ネタをどんどん書いていきたいと思います。
それではよいお年を。
※このシリーズは「#埼玉県民は埼玉の良い部分を知らなすぎるので、都民がその魅力を語る。」でまとめています。