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Mー1グランプリ2023スペシャルツアーに行ってきました!

たまにはよいかな、と趣味丸出しの記事を書いてみました(笑)M-1グランプリのツアーがあるの、ご存知の方はどれぐらいおられるでしょうか?いつからやっているのか、僕も定かではないのですが恒例になりつつあるイベントです。前年のMー1を盛り上げた錚々たるメンツが全国各地でライブをしてくれるという、地方のお笑いファンにはありがたすぎるイベントなのです。というわけで行って来たのですが…席遠い!前説中は写真を撮ってもよいとのことでしたのでありがたく撮らせて頂きましたが、画像のとおり。かなり早くチケットを確保していたんですけど2階席の上の上でしたね…。さすがに豪華メンバーということもあってなかなかの倍率なのか。ライブは藩飛礼(前説)⇒ ママタルト⇒ ドーナツピーナツ⇒ きしたかの⇒ くらげ⇒ シシガシラ⇒ ダンビラムーチョ⇒ カベポスター⇒ マユリカ⇒ さや香⇒ 令和ロマンと改めて見ても贅沢と思える共演を楽しめました!(抜けがあったらごめんなさい)ドーナツピーナツは生で見るの2回目でしたけど、前回も今回もトップクラスに面白かったです。M-1向きか分からないですが、舞台映えするというか安心して笑える技量と、赤ちゃんの泣き声などのハプニングを自然と笑いに変えられるセンスがすごいと思います。一番笑ったのはシシガシラですかね…お腹痛くなりました。ハゲネタって分かっているのに、なんと巧みなことか…コンプライアンス完全無視ですが、不思議と嫌な気持ちにならず笑ってしまいます。ダンビラムーチョはお客さんからお題をもらって即興でネタにするなど、さすがの達者ぶり!やっぱり面白い!令和ロマンはチャンピオンなのに、一
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【購入者事例】”イエスマン”ココナラでの出会いが漫才を続ける力に!無いだろうと思っていた「漫才の家庭教師」をココナラで見つけた社会人漫才師

イエスマン元官僚芸人まつもとさんと、慶應OBのコメさんから成る、松竹芸能所属のお笑いコンビ。プロ1年目にしてM-1グランプリ3回戦進出。・ココナラを活用したもの○漫才・ものまねの指導・ココナラを選んだ理由○他では見つからなかったサービスがココナラにはあった○ストレスの無いプラットフォームで利用しやすい(インタビュイー:イエスマン松本さん)ココナラ活用の経緯:漫才師の夢を叶える社会人として歳を重ねる中で、自分なりの特徴を作り、他と差別化していかなければ生き残れないと考えるようになりました。差別化のためのひとつの方法として「知名度を上げる」ということを考え、あえて自分から最も遠いと思っていた「お笑い」の世界に挑戦することにしました。元々官僚の仕事をしていたため、「医者芸人」や「弁護士芸人」のように「○○芸人」としてやっていけるかな、と思ったのも芸人になろうと思ったきっかけのひとつです。ココナラご利用のきっかけ:「漫才の家庭教師」のような存在を求めて漫才師になるために、芸人を養成する学校に入ったのですが、自分では「ウケるだろう」と思ってネタを披露しても全く上手くいかずにスベッて失敗してしまうことが重なりました。学校は成績順にクラスが分けられるのですが、一番下のクラスになってしまい、どうしたものかと悩んでいました。学校以外のところで漫才を教えてもらったり、ネタを見てもらったりできる「漫才の家庭教師」のような存在を求めて、ネット上で検索してみたところ、ココナラがヒットしました。正直、見つからないだろうなと思っていたので、ココナラでまさに望んでいたサービスが見つかったときは「いるんだ!!」
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【漫才】「暴漢」

A:心配し過ぎかもしれないんだけどさ、   最近、街中で急に暴漢に襲われたらどうしようかな   って考えてるんだよね。 B:いやいや、全然心配し過ぎじゃないよ。   暴漢なんてどこにいるか分からないんだから。 A:そう言ってくれるとありがたいわ。   悪いんだけど、街中で急に暴漢に襲われた時の   シミュレーションさせてくれない? B:え?じゃあ俺が暴漢の役するってこと? A:うん、悪いけどやってくれない? B:いや、全然、むしろありがとう。   やろうやろう。 A:ありがとうって何? B:俺が暴漢として襲えばいいのね? A:え?うん。   じゃあここが夜の人気のない道だってことにして、   俺が歩いて来るから襲って来て。 B:分かった。 A:(歩いて来る。) B:(一緒に歩きながら声をかける。)   あ、こんにちはお兄さん、あの、ちょっと…… A:キャッチみたいになってるわ。   ちゃんと暴漢やってよ。 B:キャッチみたいになったらダメなの?   キャッチも路上で犯罪してるから暴漢と一緒だと思ってたけど。 A:……まあ、そういう意味ではキャッチも暴漢みたいなもんだけど。 B:暴漢ってどういうのだっけ? A:大声を出しながら真っ正面から向かって来るやつだよ。 B:大声を出しながら真っ正面から……?   ああ分かった、あれね。イメージできたわ。 A:分かった?じゃあもう一回やって。 A:(歩いて来る。) B:久しぶりー!! A:女子か!   久しぶりに友達に会った女子みたいになってるから。   確かに大声出しながら向かって来るけど。 B:ちゃんと大声出しながら行ったんだけどな。
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物語 第七話 コミカル漫才風「新人」

今回のお話はコミカルなのを書いてみました。大阪弁の先輩と標準語の後輩のやりとりのお話です。                「新人」 先輩 大坂太郎(おおさか たろう)38歳 新人 東 京子(あずま きょうこ)23歳 太郎「おはようさん、今日から君のメンターの大坂やよろしく」 京子「おはようございます。 東 京子です。 宜しくお願い致します」 太郎「課長から、君は素直な子やと聞いてるで」 京子「素直さだけがとりえです」 太郎「そやな、素直が一番や! 今日は得意先に行くからな、俺の言う通りに    したらええわ」 京子「いよいよ外回りですね。楽しみです! 宜しくお願い致します」 太郎「嬉しそうやな。まっ気楽にな」 京子「もうワクワクしてます! 頑張ります!」    得意先に着く二人。太郎「着いたで。 俺の言う通りにな」 京子「わかりました」 太郎「まいど! ヤマト物産の大坂です」 京子「いつもどうも! ヤマト物産の大坂です」 太郎「大坂は俺や! すんません、この子、新人なもんで」 京子「大坂は貴方です! ごめんなさい、この子、新人なんです」    太郎は京子を見て首をかしげる。太郎「何言うてるん?」 京子「何をいわれてます?」 太郎「何を言われてます? ちがうがな!」 京子「何を言われてます? 違うでしょ!」    太郎は京子をにらみつける。太郎「コラコラ! ええ加減にしいや!」 京子「コレコレ! いい加減にしなさい!」 太郎「何がコレコレや!」 京子「何がコレコレですか!」 太郎「あのな~!」 京子「あのね~!」    太郎は真っ赤な顔で大声で怒鳴る。太郎「怒るで~!」 京子「怒
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【漫才】「野球に例える」

A「よろしくお願いします」 B「お願いします」 A「最近さ、そろそろ結婚したいなと思ってるんだよね。」 B「そうなんだ。」 A「良い相手を見付けて、人生のバッテリーを組みたいなって思って。」 B「まあ分かるよ。」 A「どれ程離れた塁に進んでも、帰って来られるホームがあるって素晴らしいことだなって思って。」 B「それはそうだけだな。」 A「俺というピッチャーと、嫁というキャッチャーがさ、」 B「ん?」 A「会話のキャッチボールをするんだよ。」 B「ちょっと待て。」 A「何だよ?」 B「野球の例え多いな。」 A「え?」B「お前の話は野球の例えが多すぎる。バッテリーだのキャッチボールだの。」 A「別にいいだろ。野球が好きなんだよ。」 B「俺は別に好きじゃないから。」 A「でも言ってる意味は分かるだろ。俺誰でも知ってるような野球の単語しか使わないし。」 B「だとしても、わざわざ例える意味が分かんないんだよ。」 A「分かりやすいからに決まってんだろ。」 B「そうか?前から思ってたけど、野球の例えって的を得てないこと多いぞ?」 A「そんなことないだろ。ホームは家庭って意味だから、そこにいるキャッチャーは嫁、帰って来るランナーは旦那。な?頭にすっと入って来るだろ。」 B「なんで夫婦が同じチームにいないんだよ。」 A「え?」 B「帰って来た旦那をアウトしようと待ち構えている嫁って意味分かんないから。」 A「……時には喧嘩だってするだろ。だから敵同士なんだよ。でも本心で憎み合ってるわけじゃない。スポーツマンシップに則る野球も一緒。文句あるか?」B「さっき人生のバッテリーを組むって言ったじゃん。」
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ある落語家の思い上がった発言

ある高齢(80歳)の落語家が、以下のように語っていました。「日本語っていうのは日本の文化。その文化を1番、使っているのが、我々、噺家だと思いますよ。それも笑いに持っていっている。失礼ですけど、日本語を使わないで笑いを取っている芸能人の方が大勢いるじゃないですか。これも、言っちゃ失礼ですけど裸でお盆持って出てきて何が芸なんですか。私は違うと思うな。ああいうのを見て、面白いな、うまいなと思われちゃ困るんです。やっぱり日本の言葉を使って笑いを取るのが芸人であり、我々、噺家だと思いますよね。だから大いに日本人に聞いていただいて、日本語というものを、もっともっと理解していただきたい」どうですか。我田引水を絵にかいたような発言ですね。落語家の矜持から来た言葉なのでしょうが、完全に落語以外の演芸を馬鹿にしています。もともと、落語家は漫才その他を色物といって下に見ていたんですが、この人はそうした考えを今でももっているようです(実は、私も裸にお盆の芸は好きではありませんが、それは別の話です)。まず、日本語という日本の文化を1番使っているのが落語家というのは間違った自負心ですね。落語は、日本のある時期に、ごく一部の地域で使われていた話し方を受け継いだものです。それを日本全体を代表する言葉のように言うのはおかしい。この言葉は、現在では落語を演じる時以外には使えません。文化かも知れませんが、保護の対象になるような、要するに時代遅れなんですね。この落語家は「・・・ああいうのを見て、面白いな、うまいなと思われちゃ困るんです」といっています。しかし、面白いかどうかを決めるのは客でしょう。演者が押し付けるもの
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チャットGPTと格闘した話。

OpenAIが提供する、チャットGPT。最近ニュースでも取り上げられていますよね。ある程度の会話や質疑応答、文章作成をこなすことができ、非常に便利なAIです。例えばこちらが「ココナラ電話相談で売れるにはどうすればいい?」と質問すると、私:どうしたらココナラ電話相談で売れる?こんな返事が返ってきます↓ありきたりな内容ではあるものの、言っていることは正しい。実際にやり込んだ者しか知らないような情報は出てきませんが、ちょっと調べれば分かるような表面的な内容なら、すぐに調べられます。しかしこのチャットGPT、他の使い方もできまして。例えば、話し方を指定することができます。ためしにお嬢様口調で天気予報をさせてみると、私:漫画でよくある、誇張されたイメージのお嬢様の口調で、明日の天気予報をしてください。こんな返事が。チャット:ほほう、明日の天気予報ですか?そちらの地域のお天気をお教えするのですね。 では、明日の天気はどうでしょうか?おおっ、まるで天空に輝く太陽が私たちを優しく包むかのような、素晴らしい晴天が期待できるようですわ!気温は昼間で30℃を超え、夜間も20℃以上の予想です。なので、軽めの装いでお出かけいただけると心地よいかと思いますわ。 ただし、太陽が強く輝くため、紫外線対策はしっかりと行いましょう。そして、突然の天候の変化に備えて、日傘や折りたたみ傘を持参することをお勧めしますわ。 それでは、明日は素晴らしいお天気に恵まれることを祈っておりますわ。 おもしろい。まるで「おーっほっほっほ!」と高笑いしそうな語り口調。こんな遊び方もできるんですよね。というわけで試しに、チャットG
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ユーモアは世界共通か?

少し前にモジャモジャ頭の脳科学者が日本の笑いは政治風刺がないからレベルが低いといった発言をして話題になりました。芸人からものすごい反発を受け、いったんは謝罪したものの、すぐに同じ趣旨の主張を繰り返しています。それはいいとして、その時に少し考えたことがあります。基本的にユーモアは難しいということです。特に、外国のものはその国の人間だったら常識的な基本的知識の欠如と言葉の問題がありますから。件の脳科学者がどのくらい英語ができるかは知りませんが、おそらくネイティブと同じようには笑いを理解することは無理でしょう。外国の微妙なユーモアのジョークを理解できずにあんなことを口走っている可能性が高いと思います。もともと欧米人と日本人ではユーモア感覚がぜんぜん違います。映画でも、アクションものや犯罪もの、ホラーなんかは割りと共通性があるので、アメリカでヒットしたものは日本でも当たることが多いんですが、コメディ映画はほとんど駄目ですね。さらに云えば、アメリカと他の欧米諸国でもユーモア感覚はかなり違いますし、同じ英語圏でもイギリスなんかとも結構差があります。イギリス人はかなりひねくれているんですね。ブラックと言うか。いい例が有名な「モンティパイソン」です(しかし、知っている人は少ないだろうなあ)。アメリカ映画で云うと、チャップリン(彼自身はイギリス出身)なんかは動きが面白いから日本でも受けたんでしょう。後年は人情ものになりましたし。本当の意味でのドタバタ喜劇(スラップスィック)の典型であるマルクスブラザースの映画は日本ではあまり評価されていません。反対に「男はつらいよ」シリーズは欧米人にはなかなかわ
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【テロップ=ツッコミ】理論

似鳥鶏さんの『推理大戦』を読んで、こういう話を書ける人ってすごいなぁ…っていつも思います。推理用AIが出てきたり、100%嘘を見抜く人がいたり、超高速の演算能力など、超能力のような特殊な異能を持った名探偵たちが集って謎を解いていく…というお話です。面白かった。さて、前回、漫才についてブログを書いてみましたが、その中で漫才の一つのシーンは、前フリ、ボケ、ツッコミでできていると言いました。そうやって考えたときに、動画の編集として何ができるかを考えると、ツッコミだな、という結論に至りました。例えば、動画を1人で撮影しているとしたら、ボケとツッコミの両方はできないわけです。いや、やれないこともないんですけど、ちょっと、うーん…寒い感じがしてしまいます(笑)ボケがない段階で動画でツッコミを撮影するのも難しいので、やっぱり出演者のボケに対して、テロップでツッコミを入れるのが最適解になるのでしょう。というわけで、今回はいくつか編集で使えそうなツッコミの種類について見てみましょう。否定ツッコミ王道のツッコミで、「なんでやねん!」というようなツッコミですね。たとえツッコミ足がブルブル震えてたなら「生まれたての子鹿か!」のように何か他のものに例えるツッコミです。例えたもののイラスト素材があればイメージしやすくなりますね。無視ツッコミボケに対して、何もしないツッコミですね。「…」というテロップだったり、映像にエフェクトを足して寒いように見せるのも好いかもしれません。一刀両断ツッコミボケを全否定するツッコミです。編集で好くあるのは、そこで映像を全カットしてしまう感じですかね!説明ツッコミボケの間違いを
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漫才に学ぶ動画の構成

ようやくちょっと暖かくなってきて嬉しい、だいちゃんです。やっぱり暖かくないと頭が回らないですよね。本をじっくり読むのにもやっぱり暖かい方が読むスピードも早くていい感じです。さて、笑いを生み出すためには、やっぱりお笑いを勉強するのが一番だと思って、さいきん漫才関係の本を読んでみました。僕の読んだ本によると、笑いには「緊張と緩和」が重要ということです。この落差が大きければ大きいほど笑いにつながりやすいというわけですね。このとき、"緊張"とは前フリで、"緩和"がボケやオチになります。ここにさらに"フォロー"としてツッコミがあることで、漫才の1場面が描かれるようになるわけです。前フリとは、自分のキャラクターや状況がどのようなものになっているかです。その前フリとその後の状況に差があればあるほど、緊張と緩和の落差が大きくなります。例えば、クールなキャラがひどく慌てていると落差が大きくなりますよね。ただし、落差が大きすぎると、お客さんがボケについて来れない可能性が出てきます。そのため、漫才では、徐々に落差を大きくしていくように構成されています。はじめは現実にもありそうなボケを使ってから、だんだん”そんなことありえないでしょ!?”って感じのボケになっていくわけですね。これを、動画でどう活用したら好いのでしょうか?例えば、あなたの動画にまだ慣れていない新規の視聴者さんに向けて動画を作るときは、最初にあんまり突拍子もないことをしないほうが好いかもしれません。新規の方はまだあなたに対する好感度がほとんどない状態なので、「なんだこの人…?」と思われて、動画を閉じられてしまったらそこで関係が終わってしま
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お客さんに話しかけるのがうまい漫才師とヘタな漫才師の違い

劇場のお客さんの反応が全体的に重かったときに,和牛の川西さんが「いつもより客席に話しかけていた」というツイートをみました。「川西さんさすが!」と思いましたし,「そこに注目してツイートしたお客さんもさすが!」と思いました漫才師の中には,お客さんに話しかけるのがかなり苦手な人もいます。そのような人が(誰かにアドバイスされたのか)意識してお客さんに話しかけようとすると,結構わざとらしく話しかける形になってしまう場合があります川西さんは,これがものすごくうまい漫才師です。「お客さんの反応が重かったからいつもより客席に話しかける」という対応からも分かるように,お客さんの反応を見ながら,本気で話しかけているので「うまい」と感じます。これが苦手な人は,「台本のこの部分でお客さんに話しかける」と前もって決め,意識してそれをやるので,わざとらしくなってしまいます
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和牛とかまいたちの「声」の話

和牛とかまいたちは,ボケの水田さんと山内さんのタイプがなんとなく似ていて,ツッコミの川西さんと濱家さんはめちゃくちゃ漫才がうまいという共通点があるので,この二組がネタを交換してやってみたら,どちらもかなりしっくりくるような気がします。どちらもみてみたいですそれと,さらにどうでもいい妄想ですが,コンビをシャッフルした漫才もみてみたいです。ただその場合,声の問題があるかもしれません。山内川西は結構声にクセがあるコンビで,水田濱家はそこまで声に特徴がないコンビになりそう・・・でもこの4人は全員,声が高すぎず低すぎず,聴き取りやすいしゃべり方をしていて,それでいて,4人のうち誰と誰の声が似ているというかんじでもないので,誰と組んでも聴きやすい漫才になりそうです(本当にどうでもいい妄想で申し訳ありません)
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最初の"笑い"が起こるまでの時間

和牛の漫才は,「つかみがない」とか「最初の笑いが起こるまでの時間が長い」と言われることがあり,M-1の採点でもここがマイナス要素になったりもしていました競技漫才の場合は特に,最初の笑いが起こるまでの時間が長いと,緊張感や変な空気が生まれてしまいます。コントであれば,この緊張感も含めて「芝居」としてみることができるので,最初の笑いが起こるまでの結構長めの緊張感も楽しめたりしますが,漫才の場合はそれが減点対象になることもあります和牛のお二人は,コントの導入のような緊張感を作りたくてわざとそうしているわけではく,ネタの作り方が丁寧なだけだと思います。「嘘や矛盾が生じないように必要な情報をしっかりと入れる」という意味で丁寧持ち時間が長ければ,最初に丁寧に説明する部分でもボケる時間があるので,それがつかみになりますが,4分だとそういう時間的余裕がないため,結果的に「つかみがない」という状態になっただけなのだと思います
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子供に対してものすごく子供扱いをしたしゃべり方をする大人ってどういう感覚なんですか?

Eテレの「わらたまドッカ〜ン」という子供の前でネタをやるという芸人にとってはなかなか大変な番組があります。和牛のお二人も何度か出ていますが,子供にも分かるようなネタ選びや工夫はしているものの,「しゃべり方は結構普通にやっている」という印象を受けました漫才だけでなく普段の生活でもそうですが,子供に対してものすごく子供扱いをしたしゃべり方をする大人がいますが,あれはあまりよくないと思います。漫才にしても,普段の会話にしても,子供は結構理解できます。子供にも分かるように表現を変えることと,子供扱いしたしゃべり方をするということは,別物だと思います子供に対してものすごく子供扱いをしたしゃべり方をする人って,どういう感覚でああいうしゃべり方をするんだろう?
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進化し続ける和牛

和牛のように,M-1の予選で毎回違うネタをやったり,5年連続で出場した決勝でも毎回違うかんじのネタをやったりして,M-1でここまである意味"自由"に漫才をやり尽くしたコンビはほかにいないような気がしますただ,お二人にとっては4分という"超不自由"な中での最大限"自由"な漫才というかんじだったと思うので,これだけやれば,「4分の漫才でみせられるものはもう全部出せたからM-1は出ない」という決断をしたのもうなづけます4分の競技漫才というのは,漫才の世界のごくごく一部に過ぎません。和牛が得意とする長尺漫才でなら,潜在的な「みせられるもの」はまだまだたくさんあって,今でも進化し続けています。たぶん無限です・・・
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ローズとヒヤシンス現象

和牛が「ローズとヒヤシンス」というネタをやると,「劇場のファンも,ネット上のファンも,かなり湧く」という現象が起こります。このネタはある程度の尺がないとできないので,結果的に時々しか披露されないのではないかというのが私の予想ですが,そういうレア感もあって湧きますでもこれは,レアであるかどうか以前に,このネタが名作だからこその反応だと思います。有名な漫才師であればだいたい代表的なネタはあるものですが,「ローズとヒヤシンス」はたぶん一般的にはそこまで有名ではなく,それでいて,ファンの間では大大大名作で,「いつか生でみたいと思っているファンが大勢いる」という珍しいケースです多くの漫才師の代表作は,鉄板であると同時に,何回もみている人には飽きられてしまうこともありますが,和牛のように完成度の高いネタをいくつも大切に育て続けると,こういう現象が起こるのだと思います
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和牛はなぜM-1の予選で毎回違うネタができたのか

予選のネタもYouTubeでどんどん公開されるようになってきているM1グランプリ。みる側からするとうれしいですが,演者側は,「知名度が上がっていい」という気持ちと,「ネタバレするから勘弁してくれ」という気持ち,両方あるのではないかと思います和牛のように,予選で全部違うネタをやるようなコンビであれば全然問題ないですが,M-1で勝負できるネタが1,2本しかないコンビにとっては結構きついです和牛がなぜ毎回違うネタをできたのかというと,M-1のためにネタを作っているわけではなく,日頃からネタを育て続けていたからです。それを何年もずっとやってきたからです「予選のネタも公開される」というシステムによって,和牛のようにネタを育てるコンビが増えるのであれば,それはとてもいいことだと思います
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和牛の漫才コントはめちゃくちゃ正統派

最近はそういう印象も薄れてきたかもしれませんが,和牛は(特にM-1で)漫才コントをすることが多く,しかも,川西さんが役に入ったままツッコむという独特のスタイルゆえに,「正統派ではない」とか,「漫才じゃない」とまで言われたりもしましたその後,もっと漫才じゃないっぽい漫才がどんどん登場したので,今はもう和牛の漫才を「漫才じゃない」と言う人はかなり減ったような印象を受けますが,実際には,「漫才じゃない」どころか,めちゃくちゃ正統派漫才だと思います。なぜなら和牛の漫才コントは,凄まじい漫才の掛け合いだからですしかも,役に入ったままの漫才の掛け合いを,まったく不自然さを感じさせることなくこなすというかなり高度なことをやっています。「あんなのただのコント」と思っている方はぜひ,二人の掛け合いに注目してみてください!
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動画でみてもあまり飽きないタイプの漫才とは?

漫才には,同じネタでも「何回もみたい」と思えるものもたくさんありますが,そうは言っても,動画で"まったく同じネタ"を何回もみていると,結構すぐに飽きてきてしまうことがあります漫才の場合,"同じネタ"と言っても,実際には演じるたびに変化するので飽きませんが,動画の場合は当然ながら"まったく同じネタ"をみることになるので,飽きます(「全然飽きない」という方もたまにおられますが・・・)ところが,動画でみてもあまり飽きないタイプのネタがあります。それは,アドリブ満載のネタです。例えば,「スマホ劇場」で披露された和牛の「カツ丼の歌」というネタはまさにそれです最近はYouTubeに漫才をアップする漫才師も増えてきましたが,「何回もみたい」と思うのはこういうアドリブ満載のネタなので,完璧な漫才をアップすることを目指すよりも,同じネタでもいろんなアドリブを入れているいろんなバージョンをどんどんアップしたほうがいいのではないかと思います和牛のお二人も,そんなかんじでYouTubeに漫才アップしてくれないかな〜
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漫才での"へりくつ"は爽快?

和牛の漫才の水田さんのヘリつくがものすごく苦手という方もいらっしゃると思いますが,「共感を覚える」という方ももちろんいます。とんでもないへりくつもたくさん言っていますが,「よーく考えてみると水田さんが言ってることのほうが"普通"」というようなことも結構言っていたりします例えば,「服屋の店員が苦手」というネタでは,実際にいそうな店員を川西さんが演じていて,店員界では普通でも,よーく考えてみると変な言い方を,水田さんが容赦ないへりくつ,もしくは正論でガンガンぶった斬るので,「服屋の店員のああいう言い方は変だし嫌だ」と思っている人にとっては,あのへりくつがむしろ爽快だったりします正直,私もああいう言い方をする服屋の店員さんはかなり苦手です・・・
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「僕の中ではM-1チャンピオンになってる」

オール巨人さんは和牛のことを,「僕の中ではM-1チャンピオンになってる」と言っておられますが,最近の若い方の中には,オール巨人さんが凄まじい掛け合いをする現役の漫才師であることをご存じない方ももしかしたらいるかもしれません。「M-1の審査員でしか見たことがない」という方は,オール阪神・巨人の漫才,絶対にみたほうがいいです!それだけでなく,巨人さんといえば「漫才愛」が半端ないです。若手のネタもよくみていて,古い考えで新しいものを否定するようなことはせず,むしろ,評価できるものはどんどん評価するし,「自分の笑いの感覚が絶対に正しい」などとは思っていない,そういう方なのだと思いますそんな巨人さんの「僕の中ではM-1チャンピオンになってる」という言葉には,ものすごく重みがあります
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漫才の"一期一会感"

「ライブ」というのはみな一期一会ですが,漫才の,そして,その中でも和牛のネタの"一期一会感"は半端ないです例えば歌であれば,歌い方が違うとか,アレンジが違うとか,そのライブならではの楽しみ方がありますが,そうは言っても,まるで違う曲にしてしまうということはそこまでありませんし,「原曲通りにやってほしい」と思うお客さんもいたりします漫才の場合は,知ってるネタなのにアドリブで別のネタみたいなっても全然大丈夫ですし,そのほうが喜ばれることもあります。「元ネタの台本通りにやってほしい」と思う人も,そんなにはいません。ものすごく自由です和牛の漫才は元ネタがカッチリしているので,アドリブを入れるとそれが余計に際立ち,"一期一会感"がすごいです
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最終的にはどっちが強い?

ダウンタウンの松本さんが「優勝しなくてもオモロイやつには必ず陽があたる」と言っていましたが,和牛のお二人の場合は,M-1で3年連続準優勝というもしかしたら優勝するよりも難しいかもしれないことを成し遂げているので,陽があたるのは当然だと思いますテレビではそれほどみないので「陽あたってないでしょ」と思っている方もいらっしゃるかもしれませんが,漫才ではめちゃくちゃ陽があたっています「漫才メインで陽があたる」というのも相当難しいことだと思いますが,テレビで陽があたっていないと一般的にはそこまで評価されないという風潮がいまだにあるような気がしますテレビで売れるより,漫才メインで売れたほうが,最終的には強いような気がするのですが・・・
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「横山やすし・西川きよし」という伝説的な漫才師

1年前の今日,西川きよしさんが漫才師として初めて #文化功労者 に選出され,その記者会見で,「これからは,千鳥とか和牛,ミキの二人とか,そういう若い方々が新しい時代の笑い,漫才の形を作っていくと思うんです。今後は若手にも,また続いてもらいたい」とおしゃっていました最近の若い方は,「西川きよしさん」と言われても,あまりピンとこないかもしれません。関西に住んでいない方は余計に。西川きよしさんといえば,「横山やすし・西川きよし」という昭和を代表する伝説的な漫才師です。一般的にはやすしさんのことを「天才漫才師」と言う方が多いですが,私はきよしさんのほうがより天才ではないかと思っています。どちらにしても,とにかく凄まじい掛け合いの漫才をするコンビでしたやすきよ漫才を知らない方にはぜひ一度みていただきたいです!
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アンタッチャブルと和牛の「漫才コント」はどう違う?

和牛は台本通りのガッチガチの漫才コントをしていると思っている方がいまだにいらっしゃるのは,やはりM-1での和牛の漫才のイメージが強いからだと思いますガッチガチとは正反対の漫才コントをするコンビといえば,アンタッチャブル が代表的だと思いますが,アンタッチャブルのお二人の場合は,台本は箇条書きのようなかんじで,あとはアドリブでやるので,そもそもガッチガチにはなり得ないスタイルです一方,和牛のお二人の場合は,台本ほ存在していないもののネタはかなりカッチリと作り込まれていて,M-1のようにネタ時間があまりないときはカッチリと演じ,劇場など時間に余裕があるときはそれをアドリブ満載で演じたりしますどっちのほうが「いい」とか「すごい」とかそういうものではなく,それぞれのスタイルがあり,みる側の好みもあります。ただ,M-1での和牛の漫才しかみたことがない方には,それとはまったく違うスタイルの劇場などでの和牛の漫才もぜひみてほしいなぁと思います
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「にわかファン」をバカにする人は「本当のファン」ではない

和牛をアイドル的に応援するファンを批判する方もいらっしゃいます。漫才の最中に迷惑をかけるような応援の仕方をする場合には,親切丁寧に漫才をみる際のマナーをお伝えしたほうがいいと思いますが,ファンになる最初のきっかけは人それぞれで,どんな形でもありだと思いますにわかファンについてもそうです。にわかをバカにする人もいますが,最初は誰もがにわかです。ただ好きになった時期が違うだけです。早くファンになった人はむしろ,にわかファンが本当のファンになってくれるような接し方をしたほうがいいと思いますにわかファンをバカにする人は,「自分は本当のファンではありません」と公言しているようなものだと思います。芸人にとって不利益となるようなことをしているわけですから
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"正論"も漫才になり得る

「『どうしたらいいの?』 じゃなくて『どうしたいの?』」は,M-1 2015でも披露された和牛の「結婚式を抜け出す」というネタの中に出てくるセリフですが,このネタは「へりくつ漫才」ではなく「正論漫才」と呼ばれたりもしていますボケが非常識なことを言うことによって漫才が成立するのが普通の形ですが,このネタは,「結婚式を抜け出す」という実際にやるとすればかなり非常識な花嫁に対してひたすら「正論」を言うことがボケになるという珍しい形の漫才です「結婚式を抜け出す」という映画やドラマではありがちな設定なのに,それを実際にやるとなると非常識すぎるという構図を利用することによって成立しています水田さんの場合は「へりくつ」でしたが,その人が持つ独特の感覚を存分に活かして漫才を作ると,独特のネタができると思います
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コントをわざわざ「漫才」としてやる意味

和牛の「お会計でどっちが払うか」という漫才コントは,「ただのコントじゃん」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが,あれは漫才でやるからこそおもしろいネタだと思います「どっちが払うかでもめる」というのは実際にもよくある話で,ネタでも「本当にありそうだな」と思うようなセリフがたくさん出てきます。このようなネタをコントでやるとかなり平凡なネタになってしまいますが,漫才コントであれば,漫才独特のテンポのいい掛け合いでみせることができるので,ネタとしてものすごくみやすくなり,おもしろくなります和牛の漫才コントはこのネタに限らず「掛け合い」に注目しながらみると,コントではなく漫才としてやる意味がよく分かると思います
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「相方の川西さんについて」

2020年10月21日芸人リモートーク水田信二テレビのイメージよりは根暗。楽屋の端っこで一人で静かにゲームをやっているのが好き「お互いに嫌な思いすることはないな」という間柄じゃないとご飯に誘わない。それはぼくも一緒相方も頑固なほう。ネタでも仕事でも,自分が「正しい」と思っているところから外れると絶対に譲らない話し合いがヒートアップして,まわりからしたら「喧嘩やんけ」みたいなのはしょっちゅうある。「マジで解散したい」みたいになることはないコンビは一番の唯一の味方だからそんなに言うことはないが,強いて言えば,いっぱいいっぱい笑ってほしい。テレビとかラジオで,10のうち1くらいのボケだったら2くらい笑ってほしい。そのほうがぼくも乗る。ただ,やりすぎると甘やかすことになるから,相方はその辺も考えていると思う
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漫才に対する熱量のバランス

漫才に対する熱量が二人とも同じくらいあると本当に死ぬまで漫才をしてくれる可能性が高いということが,おぼん・こぼんのお二人の件で証明されたような気がします。もちろん,「熱量さえあればなんとかなる」というわけではなく,ほかにも様々な要素が関係していますが,その中でも,漫才を続けるうえで二人が「同じ熱量を持つ」というのはものすごく大切な要素だと思います和牛のお二人にも,漫才に対する熱量が二人とも同じくらいあるというのを強く感じます。どちらかの熱量が上回るとバランスが崩れてしまいますが,和牛の漫才はいつも二人が対等で,協力し合いながら戦い合い,戦い合いながら協力し合っているあのかんじが,みていて清々しいです
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和牛川西さんの変化

和牛の漫才の昔と今を比べると,水田さんはそこまで大きく変わっていませんが,川西さんは相当変わりましたね昔は今もよりもかなり声を張っていて,「『漫才師とはこうあるべき,ツッコミとはこうあるべき』というイメージでやっていたのかな」という印象を受けます川西さんが大きく変化する「タイミング」や「きっかけ」が何かあったのか,それとも少しずつ少しずつ変わっていったのかは分かりませんが,水田さんのへりくつを漫才でやり出したことも関係があるような気がします。水田さんの「素」が漫才に出れば出るほど,川西さんも「素」が出るようになったのではないかと・・・この予想が当たっているかどうは分かりませんが,漫才に「素」が反映されるようになると,ものすごくおもしろくなります
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二人の会話や個性を漫才に"昇華"する

和牛の場合,水田さんがボケで,川西さんがツッコミというのが基本のスタイルですが,M-1 2019で披露された「物件選び」のネタでは,後半は水田さんが小ボケで,川西さんが大ボケという形に変化します(川西さんもボケるネタはほかにもたくさんありますが・・・)和牛のように二人でしゃべりながらネタを作っていると,こうなるのはむしろ自然だと思います。普段の会話でも,片方がボケ続け,もう片方がツッコみ続けるというパターンはあまりなく,ボケに対して乗っかったりすることで盛り上がる場合もよくあります。和牛の漫才も,川西さんが水田さんのボケに乗っかることによって後半ドンっと盛り上がったりしますボケとツッコミを最初から完全に分けてネタを作ると単調になる恐れがありますが,二人の会話や個性を漫才に昇華することができれば,その二人にしかできない漫才に仕上がります
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漫才を中心にしている漫才師のほうが強い?

和牛のお二人のように,漫才を中心にすることによってテレビでの露出が減るのはファンにとっては残念という気持ちもあると思いますが,私の感覚では安心感が半端ないですガンガンテレビに出ているのを見ると,健康面とか精神面とか,いろいろと心配になってしまいます(大きなお世話かもしれませんが・・・)テレビと比べると,漫才のほうがはるかに自分たちのペースで,自分たちの思うようにできる場合が多いので,体調を維持しながら末長く続けられる可能性が高いと思いますテレビでの人気が落ちてから再び漫才に力を入れる方もいますが,それだと,ずっと漫才を中心に続けている漫才師にかなり差をつけられることになります結局,漫才を中心にしている漫才師が"強い"と思います
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競技漫才の苦しみ

和牛のお二人のように,「M-1のために長尺漫才を4分にする苦しみ」を味わっている漫才師はそんなに多くはないと思いますが,これは,「4分のネタを予選1回戦のために2分にする」という苦しみに似ていると思いますまともな漫才をしようと思うと,ネタ時間2分というのは本当にギチギチでかなり苦しいです。それでも,「1回戦だから仕方ない」と割り切ってやっているコンビも結構いるのではないかと思いますが,和牛のお二人がそれに近い感覚で4分ネタをやっていたとすれば,それは本当に苦しいことだと思います。1回戦だけなら割り切れますが,その感覚で最後までやらないといけないわけですからM-1を完全に卒業したお二人が,なんとなく晴々としたかんじで漫才をしているようにも見えるのは,気のせいではないのかもしれません
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和牛はわざと「伏線回収漫才」を作っているわけではない

和牛といえば「伏線回収漫才」という印象が強いですが,水田さんからすると「ウェディングプランナー は確かにそうだけど,それ以外はわざわざ『伏線回収』と言うようなネタではない。みんな普通にやっている範疇。ゾンビのネタも後半大きな笑いがくるだけ」という感覚のようです和牛は二人で話しながらネタを作っているので,「今回は伏線回収で作ろう」みたいな形から入る作り方はあまりしないのだと思います。相方と話しながらいろんな方向に転がっていくから おもしろいという感覚なのかもしれませんその結果いろんなタイプのネタができますし,ネタ作りも飽きずにできると思うので,会話しながら作るのは理想的なネタの作り方だと思います。ただこれは,どんなコンビでもできる作り方ではありませんが・・・
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漫才における「説得力」とは?

一年前の記事ですが,プラス・マイナス岩橋さんによるルミネ通信 vol.32 「和牛・水田の魅力とは?」がものすごくいいです!まず,岩橋さんの漫才に対する熱い思いがいいです!そういう岩橋さんだからこそ語れる「水田さんの漫才に対する熱い思い」が溢れています「1日2日でできた漫才やないですよ。場数と実績に裏付けされた説得力が違う」って,ほんとそう思います!和牛のお二人は,M-1のためにネタを作っているわけではなく,日頃から何年もネタを育て続けていますから,それはもう説得力が違いますよね結局,毎日毎日コツコツ,何年何年もひたむきに取り組むコンビが勝利するのが漫才なのだと思います。和牛だけでなく,プラス・マイナスもそういう漫才師ですよきっと
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長尺漫才ができないコンビ

「賞レース に縛られている」と感じる漫才師は結構多いと思いますが,和牛のお二人の縛られ方はちょっと特殊だと思います。劇場での長尺漫才が得意だからこその縛られ方,長いネタをどうやって3,4分に収めるのかという苦悩と戦い最近の漫才師は,「長尺漫才をやれ」と言われてもできないコンビも結構います。長尺の一本ネタはできないので,持ちネタを何本か繋げたりします若手は持ち時間が少ないという事情もありますが,最近はYouTubeなどで自由に好きなようにネタを披露する場もありますから,短いネタばかり作るのではなく,長尺漫才もどんどんやったほうがいいと思います。「和牛のような漫才師になりたい」と思っているコンビは特に
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和牛とジャルジャルは化け物?

和牛もジャルジャルも「化け物」と言われることがありますが,この二組を見ていると,こうなるために必要なものは単なる実力を超えた部分にあるのではないかという気持ちになりますある程度の実力が必要なのは当然のことですが,それ以上に漫才やコントが好きというか,もう好きというより人生そのものというか,空気くらい普通にあるけどないと死んでしまうくらい大切なものというか,この二組にとっての漫才やコントはそういうものなのかもしれませんネタをたくさん作るのも普通のことで,たくさんやればやれるほど当然実力は上がり,だからといって「もうこれくらいでいいや」という感覚は一切ないからいつまでもやり続ける。「もう空気吸うの飽きたから吸わなくていいや」なんて思うことはないのと同じように,ある意味あたりまえのように漫才やコントを続け,結果いつまでも実力が上がり続けるみたいな・・・自分にとって漫才やコントがそこまでのものではない芸人からすると「化け物」のような二組ですが,こういう同じ価値観を持った相方に出会えたことが,何よりもすごいことだ思います
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和牛の"超早口漫才"の真相をご存じの方がいらっしゃたら教えてください!

和牛はかなりの早口で漫才をすることができて,それでいて二人ともちゃんと聴き取れるしゃべりができるのはすごいことだと思いますただ,結果的に最後の出場となった2019年のM-1予選3回戦では,驚くほどの早口でしゃべっていて,それをみたときは心配になってしまいました普通はここまではやらないというか,ここまでの早口でちゃんと聴き取れる漫才ができるコンビはそもそも少ないと思うので,普通はこれはできない場合が多いと思うのですが,和牛はできちゃうんですよねこの年は敗者復活から決勝に上がった和牛ですが,3回戦のような早口ではなかったので安心しました。3回戦は3分なので相当ギチギチで,苦肉の策的なかんじで超早口漫才をやったのかもしれません(真相をご存じの方がいらっしゃったら教えてください)
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和牛の漫才は一回目より二回目のほうが"おもしろい"

一般的に漫才は,初見が一番おもしろく,ネタバレするとウケが悪くなるネタ が多いですが,和牛の漫才は,一回目より二回目のほうが「おもしろい」と感じるネタが多いような気がしますこれには,ネタが丁寧に作られていて,フリの部分も丁寧で少し長めで説明が多めであることが関係しているのかもしれません。フリが丁寧で長めだと,その分最初の笑いが起こるまでの時間が長くなり,初見だとハラハラすることさえあります。二回目以降であれば,このあとドンッと大きな笑いがあると分かっているので安心してみれますし,「このあと来るぞ」という期待感を高める時間になるので,まだ笑いが起きていないフリの部分からもう楽しくなってきますM-1では一回目が一番おもしろいネタのほうが有利なのかもしれませんが,一生漫才を続けていくのであれば,何回もみればみるほどおもしろく感じられるネタのほうが,断然有利だと思います
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和牛は相方と本音で言い合える理想的な関係?

居眠りの件で川西さんに公開説教[?]されたことがある水田さんですが,その後の健康状態などは良好なのかどうか気になりますナインティナインの場合は,ずっと相方に注意できない状況が続き,岡村さんの失言によってようやく矢部さんが本音を言える機会が訪れたというかんじでしたが,売れれば売れるほど,ちゃんと注意してくれる相方がいるというのは本当に大切なことだと思います和牛の場合は,ネタ作りや普段の漫才に関しても本音で言い合える関係性を築いてきて,漫才のこと以外でも本音で言い合えるとすれば,それは理想的な関係だと思います。相方がいないと漫才はできませんし,結局すべてが漫才につながっているので,言うべきことが言えない関係だと,それが原因で漫才ができなくなってしまうことにもなりかねませんから
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予定調和的なメタ漫才?

和牛の「たん熊とラグビー」というネタは,かなり独特でおもしろいです「たん熊」と「ラグビー」という話題が同時に出てくるというのがまず独特すぎますが,これは,水田さんと川西さんそれぞれの得意な話題です。二人で話しながらネタを作るというスタイルだからこそできたネタなのだと思いますもう一つ独特なのは,メタ漫才的要素が含まれていることです。お互い自分の得意な「料理」と「ラグビー」のちょっと専門的な話を入れて,それがそれぞれフリにもなっているところが予定調和的なかんじがしますたぶん,この説明ほぼ伝わらないような気がしますが,和牛の「頑張っていきましょう」というネタは本格的なメタ漫才ですが,「たん熊とラグビー」にも少しそういう要素が入っているという話です(この説明でもたぶん分かりにくい。すみません)
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きっちり漫才とアドリブ満載漫才

和牛のライブでの漫才について,「今日はきっちり漫才」というような表現が使われることがあります。M-1での和牛の漫才しか知らない方からすると,「和牛はきっちりとした漫才しかしない」という印象かもしれませんが,実際はそうではありません。劇場では大抵,アドリブ満載でものすごく楽しそうに漫才をしていますそれでも時々,劇場でもアドリブをあまり入れないM-1的な漫才をすることがあって,劇場でのいつもの和牛を知っている方は,「今日はきっちり漫才なんだ」と感じます私はアドリブ満載の漫才が大好きですが,そういうコンビが時々きっちり漫才もやってくれると,違った見応えがあっていいですよね。和牛の漫才は飽きないし,「何度もみたい」と思うのは,こういう変化に富んだみせ方ができる腕があるからだと思います
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漫才を続けるための壁「健康問題」

「おじいちゃんになっても」というより「死ぬまで漫才を続ける」と本気で思っている和牛のお二人。それを実現するためのモチベーションは十分すぎるほどあるような気がしますが,一番の問題はやはり健康ですよね漫才師ではなくても,誰だって「健康でいたい」と思っていますし,結構気をつけてはいても,何があるか分からないのが健康問題。自分の健康だって維持できるか分からないのに,漫才の場合は二人ともそれなりに健康じゃなきゃいけませんし,声もそれなりに出る状態でなきゃいけません。これはかなり大変なことだと思いますそういうことも考えて,テレビの仕事はそこまで入れないようにしているというのもあるのかもしれませんね。無理すると本当に漫才ができなくなってしまう可能性ありますから
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身の回りで起こるあらゆるものを題材にできるのが漫才の強み

和牛がM-1で披露した「ゾンビ」のネタは,「尊厳死」というテーマを扱っているのでしょうか?私は「これ,徘徊の話?」と一瞬思ったりもしましたが,以前,ハイスクールマンザイの「リモート漫才教室」でこのネタを作ったときの話をしていて,「ライブまで時間がなくて『作りやすそうなテーマでいくか』というかんじで選んだテーマ」と言っていたので,少なくとも元々は,「尊厳死」や「徘徊」などの重たいテーマを意識して作ったわけではなさそうですでも,漫才というのは生活に根ざした芸ですから,自分たちの身の回りで起こっているあらゆるものがテーマになり得ます。和牛のお二人が新ネタを作り続けるかぎり,様々な題材を漫才にしてくれるのではないかと思います
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しゃべくり漫才が苦手なコンビが「歌ネタ」を作るの?

「歌ネタ」というのは「掛け合いがあまりうまくないコンビが作るネタ」というイメージがありました。「本当はしゃべくり漫才でバンバン掛け合いをやりたいけど,どちらかが,もしくは二人ともそこまでの技量がなくていろいろなネタを試すようになり,歌ネタも作ってみた」みたいな和牛の場合は,今ではもうそれはそれは掛け合いがうまいコンビなのは言うまでもありませんが,昔から「掛け合いがあまりうまくないコンビ」という印象はなかったので,「わざわざ歌ネタやらなくてもいいのに」と思ったこともありましたが,「歌が好きだから自然とそういうネタもできた」というかんじなのでしょうか?(詳しい方いらっしゃったら教えてください)歌ネタばっかりだと「もっと普通の漫才やってよ」と思ってしまいますが,和牛の場合,めちゃくちゃうまい掛け合い漫才もバンバンやって,歌ネタもおもしろいというのはもう「すごい」としか言いようがありません
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「純粋に好き」というモチベーション

和牛のお二人は,M-1で3年連続最終決戦の3組に残り,いずれも「優勝は和牛では?」という声が上がるほどの出来でしたが,3年連続で2位。それでもその次の年にもM-1に挑戦しています。これはすごいことです。なぜそんなことが可能だったのかを考えてみました和牛のお二人も,M-1を意識したネタ作りもされていたとはいえ,基本的にはM-1のためにネタを作っているわけではなく,おもに劇場で漫才をやるためにネタを作っています。そして,二人で話しながらネタを作るというスタイルゆえに,同じパターンのネタはあまりありませんM-1では「去年と同じパターンのネタ」はあまり評価されないので,同じパターンのネタしかなかったとしたら,「今年は無理だな」という雰囲気になると思いますが,和牛の場合は自然といろんなパターンのネタを作れたことも,3年連続2位という快挙につながっていると思いますあとは単純に,漫才が好きなんだと思います。二人とも。二人が同じくらいめちゃくちゃ漫才が好きだったので,M-1に挑戦し続けるモチベーションを保てたのではないかと思いますこれだけの結果を残しながら優勝できなくても,漫才に対して燃え尽きた様子はまったく見受けられないのは,純粋に漫才が好きなんですよねきっとやっぱり純粋って強い
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「感動する漫才」とは?

「漫才に感動など必要ない。爆笑こそ正義」という考え方もよく分かりますが,私は感動する漫才が大好きです(感動と言っても,泣けるとかそういうことではなく,完成度が高いネタという意味です)和牛の漫才はまさにそんなかんじで,最初から最後まで爆笑というよりも,じっくり聴かせる部分もあったりします。ただおもしろければいいという感覚ではなく,矛盾が生じないようにフリなども丁寧に作ってあって,その部分は笑いは少ないものの,話芸でしっかり聴かせることによって成立させているというかんじですこういうネタは,「よくできてるなぁ」という感動を生じさせ,何回もみたくなります。爆笑ネタも好きですが,私はこういうネタのほうがもっと好きです
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「正統派しゃべくり漫才コント」という分類

マヂカルラブリーの漫才で話題になった「あれは漫才なのか」という #漫才論争 ですが,以前は和牛の漫才に対してもそんな論争がありましたM-1での和牛のネタがほとんど「漫才コント」だったことと,川西さんの「役から出ずにツッコむスタイル」ゆえに,論争の的になったのだと思います。「あれは漫才じゃない」と言う人もいれば,「漫才だけど正統派じゃない」と言う人も結構いました私は以前から勝手に,和牛の漫才コントを「正統派しゃべくり漫才コント」と呼んでいます。コントとして役を演じてはいても,役から出なかったとしても,あれは完全に漫才の掛け合いですし,あの凄まじい掛け合いは完全に正統派だと思います「掛け合い」に注目すれば,マヂカルラブリーのネタが漫才なのかどうかはよく分からなくなってなってくるかもしれませんが,和牛のネタは漫才だということはよく分かると思います
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漫才のネタを"丁寧"に作るとどうなる?

ネタを作るときに「整合性や一貫性を持たせること。嘘をつかないことを意識している」という言葉の通り,和牛のお二人はとても丁寧にネタを作っていますボケというのは,「とにかくおもしろいことを言えばいい。変なことをすればいい」と思っている方もたまにいらっしゃいますが,一貫性なく変なことを言い続けると,漫才の作品性は失われます(あえてそういうはちゃめちゃな漫才をするというのも一つの芸風とも言えますが・・・)和牛のお二人はこれを意識して丁寧にネタを作っているので,何度もみたくなるのだと思います。作品なんですよねほんとに「はちゃめちゃで刹那的な漫才が好き」という方もいると思いますが,私は作品性が高いネタが大好きです最後は好みですが・・・
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個性を活かせばいろんなタイプの漫才が作れる

和牛は5年連続で,かまいたちは3年連続で,M-1のファイナリストになっていますが,どちらのコンビもパターン化した漫才をやっていないというのも,連続で決勝に進出できたことと関係があると思います。同じパターンだと,「去年と同じようなやつね」と思われて,ネタとしてはおもしろくてもそこまで評価されないことが多いからですこの2組がなぜいろいろなタイプのネタを作れるのかというと,それは,個性を活かした漫才をしているからだと思います。水田さんと山内さんの個性は似ている要素があるような気がしますが,その個性をそのまま漫才で爆発させ,川西さんと濱家さんはそれに翻弄されながらも漫才のうまさでさばいていく。このやり取りが心地いいんだと思いますこの2組が同期というのが,なんなんでしょうねぇ。ただただすごすぎます・・・
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うまい漫才師の何を真似すると漫才がうまくなる?

和牛の漫才に憧れて,本気で漫才師を目指している方もたくさんいらっしゃると思います。漫才にかぎったことではありませんが,なんでも最初は憧れの人の真似をして,少しずつ上達していきます漫才の場合,「真似をする」というと,話し方や言い方を真似する,つまり,モノマネをしたくなるかもしれません。最初はモノマネから入ってもいいんですが,モノマネ芸人ではなく本気で漫才師を目指す場合には,話し方や言い方は自分らしくある必要があります和牛の漫才でぜひ真似をしてほしいと思うのは,「掛け合い」です。特に,和牛のしゃべくり漫才の掛け合いを真似してみると,テンポの良さや間の取り方のうまさから,多くのことを学べると思いますものすごくうまいです
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芸人の「顔ファン」ってダメなの?

「和牛は顔ファンが多い」などと言われたりします。「おもに芸人の容姿が好きなファン」のことを少しバカにしたかんじで「顔ファン」と言ったりしますが,私はこの言い方が嫌いですそもそも人をバカにする言い方というのが嫌ですし,「顔ファン」であること自体は何も問題ないのに,「なんでわざわざそこを批判する必要があるんだろう?」と思います問題があるとすれば,「容姿を重視しすぎてあまりネタを聴いておらず,変なリアクションをしてまわりに迷惑をかける人もいる」ということだと思います。これは,なぜそれが良くないのかを親切丁寧に教えるべきことであって,「顔ファンだから」と批判しても,お互い嫌な気持ちになるだけで,無益だと思います教えられても聞く耳の持たない人はどの世界にもいますが,親切丁寧に教えたら聞いてくれる人もたくさんいます。そんな人と意外と仲よくなれたりすることも,結構あると思います
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和牛といとこい漫才の共通点

「和牛の漫才はいとこい漫才に似ている」という声をよく聞きます。若い方はあまり知らないかもしれませんが,「いとこい漫才」というのは夢路いとし・喜味こいし‬という伝説の兄弟漫才師の漫才のことです和牛といとこい漫才の共通点としてよく挙げられるのが,「テンポ」と「品の良さ」です特に晩年のいとこいさんは,「ゆったりとした漫才をしている」と感じている方も結構いらっしゃるようですが,話し方がゆっくりなだけで,テンポはかなり速いです。和牛の漫才もこの点でよく似ていますいとこいさんは「上品」ということで有名でした。和牛のお二人も「品がある」とよく言われます。それは人柄から滲み出るものだと思いますが,テンションも関係あると思います。勢いとか,奇をてらった方法で笑いをとろうとするのではなく,落ち着いた雰囲気で,ネタそのもののおもしろさと話芸で勝負する。そんなところもよく似ていると思います
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漫才があるから通じ合える関係

昔は,仲が悪いコンビも多かったですが,最近は仲がいいコンビが増えてきました仲がいいといってもいろんな仲のよさがあって,友達のように仲がいいコンビもいますが,和牛のお二人の場合は,「漫才あっての仲のよさ」というかんじがします私事ですが,私が一番最初にコンビを組んだ相方とはそんなかんじでした。「漫才がなかったらたぶん仲よくなっていなかっただろうな」と今でも思います。自分がよく仲よくなるタイプとは違うかんじの人だったからです。それでも,「二人の間に『漫才』があるから通じ合える」,そんな感覚でした和牛のお二人には友達のような仲のよさもあるのかもしれませんが,「漫才があるから通じ合える」という雰囲気をものすごく感じます。完全に私の主観ですが・・・
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同じパターンの漫才を何本も作りたくなる誘惑

M-1でもそうでしたが,「和牛は毎回違うタイプのネタをやってすごい」という声をよく聞きます。でも,会話をしながらネタを作るという和牛のスタイルであれば,いろんなタイプのネタができるのは当然のことのような気がします多くの漫才師は会話をしながら作っているわけではないので,一つウケのいいネタができると,同じパターンの台本を何本も書きたくなります。ウケるか分からない違うタイプのネタを作るより,そのほうがウケる可能性が高いからですしかし,会話というのは日常生活においてもそうですが,いつも同じパターンの会話をするということはまずありません。ですから,会話をベースにネタを作れば,いろんなタイプのネタができあがるのは当然です同じパターンのネタは飽きられる危険性がありますし,演じる側が飽きてしまうこともあります。ですから,和牛のようなネタの作り方のほうが,末長く漫才を続けられるのではないかと思います
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「二人で死ぬまで漫才を続けること」こそが和牛の目標

漫才というのはそもそも,できるだけ余計な言葉を省いてネタを作っていくものです。漫才台本を書いたことがあって,それを何度も推敲したことがある方ならお気づきだと思いますが,「これは必要だ」と思っていたセリフも,工夫することでかなりの量省くことができますただ,和牛のM-1用のネタの作り方はちょっと特殊で,最初から4分のネタを作るのではなく,10分くらいで演じるとちょうどいい長尺漫才を縮めているので,相当な量のセリフを省く必要があります。10分がベストだと感じているネタであれば,6分も省かなければいけないので,これはかなりきつい作業だと思います。それもあって,お二人も「漫才が楽しくない」と感じた時期もあったようですし・・・ラストイヤーの今年も「M-1は出ません」とかまいたちの番組で断言しておられましたし,昨日でM-1のエントリー受付も終わってしまいました。和牛のM-1が,本当に終わりましたね昨日のチーキーズでのお二人の反応を見ても,まだまだ続く長い漫才人生の中での決定の一つとして「ラストイヤーもM-1に出ない」と二人で決めただけの話で,大事なのは「二人で死ぬまで漫才を続ける」こと,そこに焦点が合っているからこその清々しさのようなものを感じました
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漫才は二人の関係が対等でないと・・・

和牛のように,相方と完全に対等な関係で一緒にネタ作りをするコンビはそこまで多くないと思いますが,これは理想的なネタの作り方だと思います漫才は二人の関係が対等でないとみにくいですし,そういうコンビは大抵解散してしまいます。もちろん,一緒にネタを作らなくても,ネタを書く側が相方の良さを120%引き出すようなネタを書ければ対等な漫才ができるので何も問題ありませんが,これがなかなか難しい・・・和牛のように,漫才に関してお互いなんでも言い合えるコンビというのは本当にいいですね。でも,相方とそういう関係になるためには,二人の実力が拮抗していて,笑いの好みや目標や方向性もかなり一致していないといけないので,そんな相方を見つけるのは簡単なことではありませんそう考えると,水田さんと川西さんが出会いこうしてコンビを組んでいるというのは,すごいことだと思います
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和牛が漫才で特に緊張するのはどんなお客さん?

ハイスクールマンザイ2020リモート漫才教室 [動画 48:56~]「和牛はいまだに緊張するの?」という質問の答えがとても良かったので抜粋します川西:「元気すぎるお客さんの場合に,自分らのネタの温度感とフィットするかなぁ。どうやって話聴いてもらえばいいかなぁ。どうしようかな」と思って緊張する水田:「今求めてるテンションのネタじゃないやろうけど,ちゃんとしっかり引き込んで笑いにできるかな」みたいな川西:「くまだまさしさん激ハマり大ウケの直後,出囃子なったら出たくないなぁ」って思う水田:「全然違うやつ今からいきます」みたいなお客さんの反応が重すぎるのも難しいとも言っていましたが,「元気すぎるお客さんのほうが緊張する」というのはいかにも和牛らしい回答だなと思いました
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お客さんの"笑い方問題"

一際目立った笑い方をするお客さんがいると,漫才や劇場の雰囲気がおかしくなってしまったり,まわりのお客さんが嫌な思いをすることがあります。こういう場合に,漫才師の腕が発揮されることがあります和牛のお二人はそんな状況で,「今日はヤマキジがおる」というふうに「キジ」と表現し,ネタの途中で何回かキジに触れることによって対応したことがあったようです和牛のお二人にどこまで「お客さんを教育する」という意識があったのかは分かりませんが,これも一種の「教育」だと思いますし,劇場での楽しみ方についての教育も,ある程度必要だと思いますそれにしても,劇場に来たすべてのお客さんに楽しんでもらえるように,誰も嫌な思いをしないようにもっていくというのは,漫才師の鑑だと思います(一際目立った笑い方をする人は「なぜそういう笑い方をするのか」がずっと気になっています。何か情報がありましたら教えてください)
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