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第160話「立場と役割の違い」

この記事は、大貫智也のサラリーマン時代の話であり、ここからは、ただの従業員から店長になっていく過程、そして、店長になってからのことについて書いていきます。店長の仕事とは、『働く人の心を創る』では、そのために必要なこととは?シンプルに『信頼される』ということ。自分目線で、店長をするのではなく、従業員目線で、どんな店長であれば信頼できるかを常に問い続けること。これは別に、従業員のいうことを全て聞き、気に入られるようにしろ、というわけではない。人にやられて、嫌なことはするなこれである。自分は店長だから、とかを一切考えることなく店長も従業員も立場は何も変わらない。役割が違うだけである。これをしっかり理解して相手の気持ちに寄り添うこと。大貫が店長になって1番最初に決めたことは意外にも、あることだった。最後までご覧頂き、ありがとうございます。初回ブログは以下よりご覧頂けます。https://coconala.com/blogs/1957729/21724少しでも興味をもって頂けましたら、気軽にメッセージください。
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第159話「リーダーの役割」

この記事は、大貫智也のサラリーマン時代の話であり、ここからは、ただの従業員から店長になっていく過程、そして、店長になってからのことについて書いていきます。店長の仕事の本質とは?僕は、『働く社員、従業員の心を創る』だと思う。言い方を変えると働きやすい環境、やりがいのある環境給料や時給以上のものが得られる環境とも言える。実際、パートやアルバイトの人は、シンプルに言えば、お金を稼ぎにきている。ただ、稼げればどこでもいいわけではない。時給がいい、というのも一つの条件だと思うが、時給で仕事を選ぶ人は、今よりいい時給があればいずれそっちに行く。だから、時給は優先事項ではない。1番大切なことは、この店で働いていて良かった。と思える瞬間を何回店長、リーダーが用意することができるか。これに尽きる。続最後までご覧頂き、ありがとうございます。初回ブログは以下よりご覧頂けます。https://coconala.com/blogs/1957729/21724少しでも興味をもって頂けましたら、気軽にメッセージください。
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第158話「応援される自分」

この記事は、大貫智也のサラリーマン時代の話であり、ここからは、ただの従業員から店長になっていく過程、そして、店長になってからのことについて書いていきます。リーダーたるものなんでも知ってる、なんでもできるこれって重要なことである。質問されたことに答えられなかったら信用を失う可能性もある。ただ、完璧な人間なんていないだから、能力も重要な上でもっと大切なことは、『想い』である。リーダーとして・お店をどうしていきたいか・その中で、みんなにどうなって頂きたいか・それを実行すると何が起こるか単純にやれ!では、人はついてこない。『応援される自分になる』これが本当に大事である。どんなに有能な能力があっても応援される自分でなければ人が想像する以上の結果は残せないし、残らない。人が到底叶えられないと思う結果が出る時とは、結局、人の想いが通じ合ってる時である。会社からの要求云々の前に自分は、どうしたいのかどうなってほしいのかこれが何より大事。続最後までご覧頂き、ありがとうございます。初回ブログは以下よりご覧頂けます。https://coconala.com/blogs/1957729/21724少しでも興味をもって頂けましたら、気軽にメッセージください。
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第157話「1人では何もできない」

この記事は、大貫智也のサラリーマン時代の話であり、ここからは、ただの従業員から店長になっていく過程、そして、店長になってからのことについて書いていきます。自分のやりたいことをやる時間を増やすために・定時業務・会社からの要望を早く終わらせていく。その前に1番重要なことは、『チーム改革、組織改革時に根底にあるのは自分1人では、何もできない。ってことを理解しているかどうか。』結局、うまくいかないリーダーは全部1人でやろうとしているかうまくいかなくなってから部下や下の人に無理矢理お願いする。だから、信用されなくなるのである。そうではなく、最初からみんなに助けていただきたいってことを伝える。これは本当に重要なこと。だから、最初からみなに、同じゴールを設定し、方向性を合わせる。続最後までご覧頂き、ありがとうございます。初回ブログは以下よりご覧頂けます。https://coconala.com/blogs/1957729/21724少しでも興味をもって頂けましたら、気軽にメッセージください。
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第156話「オンリーワンな存在」

この記事は、大貫智也のサラリーマン時代の話であり、ここからは、ただの従業員から店長になっていく過程、そして、店長になってからのことについて書いていきます。店長になって1番初めに取り組んだことは、『時間を作る』ことその意味は、皆さんも含め1日の中の流れは①定時業務(朝礼、会議など)→毎日、毎週あるもの②会社からの要望→セールがあるから、それを売り込むための準備など③自分のやりたいことをやる時間→僕の場合、店長として店舗を良くするために取り組む内容この中で③をする時間を圧倒的に増やしたかった。確かに会社からの要望を実行していくことは大事。もちろん、これもやった。ただ、それだけでは他の人、他の店と何も変わらない。自分の独自性、自分のカラーを出す必要があり、それがやがて従業員の人に伝わるとオンリーワンな店になる。とにかく①.②を高速で終わらせる仕組みを構築したかった。続最後までご覧頂き、ありがとうございます。初回ブログは以下よりご覧頂けます。https://coconala.com/blogs/1957729/21724少しでも興味をもって頂けましたら、気軽にメッセージください。
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第155話「1番初めに取り組んだこと」

この記事は、大貫智也のサラリーマン時代の話であり、ここからは、ただの従業員から店長になっていく過程、そして、店長になってからのことについて書いていきます。1回目の店長は、10月から10月末までの1か月間。限りれた時間の中で自分のやりたいことを実感していく場所として最高の環境だった。同期には、改善計画書を出したことで軽く引かれたけどもともと軽く知っている中だったのでうまくいったと思う。伝説の営業所長の森さんには『V字回復』ってめっちゃプレッシャーをかけられましたがそれも含めて最高の経験でした。僕が店長になったこのお店はかなり売上が低かったので改善すればすぐに効果が出ると思いました。何より1番初めに取り組んだことは、『時間を作る』ことでした。その『時間を作る』の真意とは?続最後までご覧頂き、ありがとうございます。初回ブログは以下よりご覧頂けます。https://coconala.com/blogs/1957729/21724少しでも興味をもって頂けましたら、気軽にメッセージください。
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第154話「改善計画」

この記事は、大貫智也のサラリーマン時代の話であり、ここからは、ただの従業員から店長になっていく過程、そして、店長になってからのことについて書いていきます。大貫は10月から店長に任命された。そして、同じ店舗で働くのは、同期3名で、全員男子であった。そこで、全員が集まったときに大貫がしたことは、『寺○3丁目店、改善計画』をみなに配った。笑A4の紙で、15枚くらいあった。その中には、まず、コンビニはどこで儲けるのか?今後、何をしていくのか?どこが強み、弱みであるか?今、いるスタッフさんの特徴と今後の育成方針みなには、どんな社員であって欲しいか?このように多くのオーダーを出した。店長になりたくて大貫は、店長ノートを作成していた。店長ノートとは、店長になったときに取り組むことの一覧である。それから必要なものを全て、その改善計画書に込めた。改善計画に1番大切なことは、結局、大貫が店長をすることで『このお店をどうしたいのか?』という想いである。もはや技術なんてなかったので、オール想いであった。そして、店長としての日々が始まった。続最後までご覧頂き、ありがとうございます。初回ブログは以下よりご覧頂けます。https://coconala.com/blogs/1957729/21724少しでも興味をもって頂けましたら、気軽にメッセージください。
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第153話「店長スタート」

この記事は、大貫智也のサラリーマン時代の話であり、ここからは、ただの従業員から店長になっていく過程、そして、店長になってからのことについて書いていきます。10月から店長になる人は、約50人当時僕らがいた直営店の店長を一個上の先輩から引き継ぐわけである。そのなかで、多くの同期は、『店長になりたくない』と思っていた。それは、店長を発表をした後の雰囲気でわかった。人によっては、泣き出す人もいたりした。よっぽど嫌というか店長が務まるのか?の不安も結構あったと思う。かくいう大貫は、10月から店長に任命された。自分が半年間研修した店舗で 店長になることになった。期間は、1ヶ月。自分で店長になりたいと思っていたもののさて、どうするか?と思ったときに  僕はある行動に出ました。僕的には、結構当たり前だと思ったけど、それをやった同期は当時誰もいなかったと思う、いや、いないね。同じ店舗になった同期たちも少し引く、大貫がとった行動とは?続
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第152話「店長になれるの?」

この記事は、大貫智也のサラリーマン時代の話であり、ここからは、ただの従業員から店長になっていく過程、そして、店長になってからのことについて書いていきます。7.8月は殿堂入り店舗での研修。それが終わり、現実的に見えてきたのが10月に店長になるか、ならないかである。当時の僕ら新入社員は、職場体験という店舗以外に本社のいろんな部署や関東圏の営業所に約2ヶ月間、研修に行くことになっていた。当時、僕はBというグループで10.11月は本社への研修が決まっていた。しかし、10月から店長に任命される場合は、Cグループ、12.1月の研修グループの人と入れ替わる可能性があると人事部から言われていた。当時の僕はとにかく店長に最短でなりたかった。しかし、その一方で多くの同期はこう思っていた。その内容とは?続最後までご覧頂き、ありがとうございます。初回ブログは以下よりご覧頂けます。https://coconala.com/blogs/1957729/21724少しでも興味をもって頂けましたら、気軽にメッセージください。
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第150話「この本をどう活かすか?」

この記事は、大貫智也のサラリーマン時代の話であり、影響を受けた本の内容から考えるシリーズである。本から考えるシリーズの第一弾『嫌われる勇気』は、本日の投稿で最後になります。僕が本を読む上で1番大事にしていることは、『読んだことで、満足しない』です。多くの人は、セミナーや本、素晴らしい人との出会いをして『得た気づき』をそのままにしている人が9割だと思います。これは単純にもったいないです。そこで僕が実践していることは、・本から学んだことを3つに絞る・その3つを、日々の行動に変える・その行動を3週間継続する仕組みを作る・その行動を毎日振り返りするこれです。いうのは簡単ですが、実践するのは難しいかも。(そもそも、難しいと思ってる人は最初からできない。笑)僕の場合は、人から決められたことは ほとんどできません。笑その理由は、頭で分かっていても、腹落ちしていないから。なので、僕は腹落ちするまでひたすら深堀します。そもそも、本を読んだり、セミナーに出たり人に教えを乞う理由ってなんですか?『自分を変えたい、よくしたい』だと思います。そうでなければ、何の意味もないです。結局、自分を変革する方法は、『行動』しかありません。あなたは、勉強して自己満してませんか?何の意味もないですよ。続最後までご覧頂き、ありがとうございます。初回ブログは以下よりご覧頂けます。https://coconala.com/blogs/1957729/21724少しでも興味をもって頂けましたら、気軽にメッセージください。
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第149話「大貫が感じたこと」

この記事は、大貫智也のサラリーマン時代の話であり、影響を受けた本の内容から考えるシリーズである。今回は、大貫がこの本を読んで感じたこと、気づいたことを書いていきたいと思う。人生のタスクなるものが存在し、・愛のタスク・仕事のタスク・交友のタスクの3つが人生を決める上で非常に大きな要素を占める。また、アドラーは『全ての悩みは、対人関係である。』と言い切っている。人間は1人では生きていかないし、多くの人は、人に対して、何らかの悩みがある。そして、その多くは、過去の出来事が関係していることが実は多い。そのため、本人でも自覚していないことが多々ある。いま、奥さんを大切にできていないのは、あなたは、自分のお母さんを大切にしていないからである。と言われて、なるほど!!となる人は、ほとんどいない。過去に全ての原因があるとは思わないし、アドラーも原因論、トラウマを否定してる。ただ、過去に縛られて今もそれに苦しめられてる人をたくさん見てきた。あなたの悩みは、どこが根本の原因だと思いますか?この本の主人公の青年のような人を僕はこの2年でたくさん見てきました。・やる気はある・ただ、どうしたらいいかわからない・やりたいこともない・答えばかりを探してる・そもそも自分とは何か?・幸せとは何か?これを永遠に自分に問い続けている。そして、うまくいかない自分を見て、毎回、自分を責めている。自分を変えるってすごく難しく思える。変えなくてもいい。ただ、自分を戻しましょう。小学校の時の無邪気なあの頃の自分に。純粋に笑っていたあの頃の自分に。そうすれば、アドラーのいう『導きの星』他者貢献をし続ける自分になれます。もし、ど
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第148話「アドラーの言葉」

・自分だけの道・導きの星=他者貢献青年「自らの上空に他者貢献という星を掲げていればつねに幸福とともにあり、仲間とともにある!」哲人「そして、刹那としての『いま、ここ』を真剣に踊り、真剣に生きましょう。過去も見ないし、未来も見ない。完結した刹那を、ダンスのように生きるのです。誰かと競争する必要もなく、目的地もいりません。踊っていれば、どこかにたどり着くでしょう。」青年「誰も知らない『どこか』に!」哲人「わたしは長年アドラーの思想と共に生きていき、ひとつ気がついたことがあります。」青年「なんでしょう?」哲人「それは『ひとりの力は大きい』、いや『わたしの力は計り知れないほど大きい』ということです。」青年「どういうことでしょうか?」哲人「つまり、『わたし』が変われば『世界』が変わってします。世界とは、他の誰かが変えてくれるものではなく、ただ『わたし』によってしか変わりえない、ということです。」青年「わたしが変われば、世界が変わる。わたし以外の誰も世界を変えてくれない・・・ああ、わたしは悔しいですよ!心の底から悔しい!あと10年、いや5年でいいから早く知りたかった。」哲人「もう一度、アドラーの言葉を贈りましょう。『誰かが始めなければならない。他の人が協力的でないとしても、それはあなたには関係ない。わたしの助言はこうだ。あなたが始めるべきだ。他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく。わたしはあなたが水を呑んでくれたのだと、信じます。さあ、先を歩く若い友人よ、ともに歩こうではありませんか。」------------------------------------------誰かのせいに
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第147話「導きの星」

哲人「あなたはご自身の人生に迷っておられる。なぜ迷っているのか。それはあなたが『自由』を選ぼうとしているからです。すなわち、他者から嫌われることを怖れず、他者の人生を生きない、自分だけの道を。」青年「そうです!わたしは幸福を選び、自由を選びたい!」哲人「人が自由を選ぼうとしているとき、道に迷うことは当然あるでしょう。そこでアドラー心理学では、自由なる人生の大きな指針として『導きの星』というものを掲げます。」青年「導きの星?」哲人「旅人が北極星を頼りに旅するように、われわれの人生にも『導きの星』が必要になる。それがアドラー心理学の考え方です。この指針さえ見失わなければいいのだ、こちらの方向性に向かって進んでいれば幸福があるのだ、という巨大な理想になります。」青年「その星はどこにあるのですか?」哲人「他者貢献です。あなたがどんな刹那を送っていようと、たとえあなたを嫌う人がいようと、他者に貢献するのだという導きの星さえ見失わなければ、迷うことはないし、なにをしてもいい。嫌われる人には嫌われ、自由に生きてかまわない。」--------------------------------------人間は矛盾した生き物である。人から嫌われたくないと思えば、思うほど人から嫌われる。もういいや、自分らしく生きよう!と思うと、嫌われないものである。本当に、逆って大事。続最後までご覧頂き、ありがとうございます。初回ブログは以下よりご覧頂けます。https://coconala.com/blogs/1957729/21724少しでも興味をもって頂けましたら、気軽にメッセージください。
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第146話「一般的な人生は意味はない」

・いま、ここを真剣に生きる・深刻でなく、真剣に哲人「過去も未来も存在しないのですから、いまの話をしましょう。決めるのは、昨日でも明日でもありません。いま、ここです。もはや、議論は水辺に達しているでしょう。水を呑むかどうは、あなたの決心次第です。」青年「ああ、アドラー心理学、そして先生の哲学は、たしかにわたしを変えようとしているのかもしれません。わたしは、『変わらない』という決心をやめ、新しい生き方を、新しいライフスタイルを選ぼうとしているかもしれません。でも、でも、最後にもうひとつだけ聞かせてください。」哲人「なんでしょう。」青年「人生が連続する刹那であったとき、人生が、いま、ここにしか存在しなかったとしたとき、いったい人生の意味とはなんなのでしょうか?わたしはなんのために生まれ、この苦難に満ちた生を耐え抜き、死を迎えるというのでしょうか?その理由が、わたしにはわからないのです。」哲人「人生の意味とはなにか?人はなんのために生きているのか?ある人からこの質問を向けられたとき、アドラーの答えは『一般的な人生の意味はない』というものでした。そして、こう語ったあと、こう続けています。『人生の意味は、あなたが自分自身に与えるものだ』と。」青年「自分自身に与える?どういう意味です?では、教えてください!わたしはどうすれば、無意味な人生にしかるべき意味を与えられるのでしょう?わたしにはまだ、その自信がないのです!」-----------------------------------------なんのために生きているか?そんなことは、わかりません。笑だって、人によって違うから。誰かが、あな
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第145話「深刻ではなく、真剣である」

・過去、未来ではない・いま、ここを生きる青年「いま、ここを真剣に生きること、ありもしない線を設けないことたしかに認めますよ!ですが、先生、わたしには夢や目標も見つかっていません。踊るべきダンスさえわからない。わたしのいま、ここには、まったく無益な刹那しか存在しないのです!」哲人「目標など、なくてもいいのです。いま、ここを真剣に生きること、それ自体がダンスなのです。深刻になってはいけません。真剣であることと、深刻であることを取り違えないでください。」青年「真剣だけど、深刻ではない。」哲人「人生は、いつもシンプルであり、深刻になるようなものではない。それぞれの刹那を真剣に生きていれば深刻になる必要などない。そして、もう一つ覚えておいてください。人生はつねに完結しているのです。あなたも、そして、わたしもたとえいま、ここで生を終えたとしてもそれは不幸と呼ぶべきものでは ありません。」青年「もしも、わたしがいま、ここを真剣に生きていたとしたらその刹那はつねに完結した物であると、と?」哲人「そのとおりです。ここまでわたしは、何度となく人生の嘘という言葉を使ってきました。そして、最後に人生における最大の嘘はなにかを話しましょう。人生における最大の嘘、それはいま、ここを生きないことです。--------------------シンプルに悩みすぎるな!ってことだと思う。笑悩みを次の日にひきづらない。これができたらだいぶ楽になれると思う。続最後までご覧頂き、ありがとうございます。初回ブログは以下よりご覧頂けます。https://coconala.com/blogs/1957729/21724少しで
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第144話「強烈なスポットライト」

・人生は点の連続・ダンスのように生きる哲人「ダンスを踊っているいま、ここが充実していれば、それでいいのです。」青年「いまを踊れば、それでいい?」哲人「自分が劇場の舞台に立っている姿を想像してください。このとき、会場全体に蛍光灯がついていれば客席のいちばん奥まで見渡せるでしょう。しかし、自分に強烈なスポットライトを当てていたら、過去も未来も見えなくなるでしょう。われわれはもっといま、ここだけを真剣に生きるべきなのです。過去にどんなことがあったかなど、あなたのいま、ここにはなんの関係もないし、未来がどうであるかなど、いま、ここで考える問題ではない。いま、ここを真剣に生きていたら、そんな言葉など出てこない。-------------------今、この瞬間を全力で生きる。これって簡単そうに見えてとても難しいことである。それはなぜか?悩みが絶えないから。余計なこと、いらないこと、自分では変えられないことをひたすら悩んでしまう。では、どうしたら今、この瞬間を生きれるか?それは、自分の軸を決めること。あなたは、軸がありますか?続最後までご覧頂き、ありがとうございます。初回ブログは以下よりご覧頂けます。https://coconala.com/blogs/1957729/21724少しでも興味をもって頂けましたら、気軽にメッセージください。
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第143話「ダンスのように生きる」

・特別な存在になろうとする・普通であることの勇気哲人「なぜ特別になる必要があるのか?それは普通の自分が受け入れられないからでしょう。だからこそ、特別によくあることがくじかれたとき、特別に悪くあることへと極端な飛躍をしてしまうのです。しかし、普通であること、平凡であることは、ほんとうによくないことなのか。なにが劣ったことなのか。じつは誰もが普通なのではないか。そこを突き詰めて考える必要があります。」青年「先生は、わたしに普通であれ、と?」哲人「自己受容は、その重要な一歩です。もし、あなたが普通であることの勇気を持つことができたなら、世界の見え方は一変するはずです。普通であることを拒絶するあなたは、おそらく普通であることを無能であることと同義でとらえているのでしょう。普通であることとは、無能なのではありません。わざわざ自らの優越性を誇示する必要などないのです。」青年「いや、特別であることをめざす危険性は認めます。しかし、あえて普通であることを選ぶ必要がありますか?誰の記憶にも残らない無益な人生を過ごすために自分はその程度の人間なのだと満足しなきゃならないのですか?冗談じゃない。そんな人生、いますぐ打ち捨ててやる。」哲人「どうあっても特別でありたいのですね?」青年「違います!いいですか、先生のおっしゃる普通を受け入れることは、怠惰な自分はを肯定することにつながるのですよ!」哲人「つまり、人生には高慢なる目標が必要だと。」青年「当たり前でしょう!」哲人「アドラー心理学の立場は違います。人生を登山のように考えている人は、自らの生を『線』としてとらえています。そうではなく、人生は点の連続な
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第142話「普通であることの勇気」

・自己実現的な幸福・自らの幸福とは哲人「わかりました。このあたりについては、問題行動に走る子どもを例に考えるとわかりやすいかもしれません。多くの子どもたちは、最初の段階で特別によくあろう、とします。具体的には、親のいいつけを守って、社会性をもった振る舞いをし、勉強やスポーツ、習い事などに精を出します。そうやって親から認めてもらおうとする。しかし、特別によくあることが叶わなかった場合今度は一転して特別に悪くあろう、とします。」青年「なぜです?」哲人「特別によくあろうとすることも、あるいは特別に悪くあろうとすることも、目的は同じです。他者の注目を集め、普通の状態から脱し、特別な存在になること。それだけを目的としているのです。本来、勉強であれ、スポーツであれなにかしらの結果を残すためには、一定の努力が必要になります。ところが、特別に悪くあろうとする子ども、すなわち、問題行動に走る子どもたちは、そうした完全な努力を回避したまま、他者の注目を集めようとしています。アドラー心理学では、これを安直な優越性の追求と呼びます。」青年「非行に走る子どもたちもまた、安直な優越性の追求なのですか?」哲人「そうです。そして、親に叱れるこそ、問題行動をやめないのです。」青年「しかし、しかしですよ?すべての人間が特別によくあることなど、不可能ですよね?人間にはどうしたって得意不得意があるし、差がでてしまう。天才などこの世にごく一握りしかおらず、誰もが優等生になれるわけではない。だとすれば、敗れた者はみな特別に悪くあるしかない。」哲人「そうなのです。そこで、アドラー心理学が大切にしているのが、普通であることの
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第141話「特別な存在になること」

・いまこの瞬間から幸福になれる・最大の不幸は自分を好きになれない青年「先生はなんでも対人関係のなかに閉じこもってしまって自己実現的な幸福についてなにも語ろうとされない!わたしに言わせれば、それは逃げです!」哲人「なるほど。よくわからないのですが、あなたの考える自己実現的な幸福とは、具体的にどういうものでしょうか?」青年「わたしはまだ、自分がなにを求めているのか、将来なにをやりたいのか、よくわかりません。でも、なにかをやらなきゃいけないことはわかっています。いつまでも大学図書館で働いているわけにもいかない。生涯をかけてめざすべき夢を見つけ自己実現が達成できたときにこそ、わたしは真の幸福を実感するでしょう。」-------------------・なにをやりたいかわからない・目標がないこういう人がすごく多い気がします。目標とか、やりたいことは誰かが与えてくれるものではありません。では、どうやって探すのか。まずは、自分に向き合うことがはじめの一歩。嫌な記憶、嫌なことすらも一回向き合ってください。逃げていたら、ずっと迷子のままですよ。続最後までご覧頂き、ありがとうございます。初回ブログは以下よりご覧頂けます。https://coconala.com/blogs/1957729/21724少しでも興味をもって頂けましたら、気軽にメッセージください。
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第140話「この瞬間から幸福になれる」

・ワーカホリックの人・仕事を言い訳に、責任から逃れてる青年「先生はすべての悩みは対人関係の悩みであるとおっしゃっる。裏を返せば、われわれの幸福もまた、対人関係のなかにあるのだ、と。しかしわたしには、このあたりがまだ納得できません。人間にとっての幸福とは、たかだか良好な対人関係にあるのでしょうか?つまりわれわれの生とは、そんなちっぽけな安息や喜びのために存在しているのでしょうか?」哲人「あなたの問題はよくわかります。わたしがはじめてアドラー心理学の講演に出席したとき、講師は、次のように語りました。今日わたしの話を聞いた人は、いまこの瞬間から幸福になれることができます。しかし、そうでない人は、いつまでも幸福になることはできません。と。人間にとっての幸福とはなにか。これは哲学が一貫して問い続けてきたテーマのひとつになります。わたしは幸福の正体について、深く考えてきた。答えを探し求めてきた。けれども、『自分がどうやって幸福になるか?』については、必ずしも深く考えてこなかった。わたしは哲学の徒でありながら、幸福でなかったのかもしれない、と。」青年「なるほど。先生とアドラー心理学の出合いは、違和感から始まったのですね?」青年「では、聞きましょう。先生は結局、幸福になれたのですか?」哲人「もちろん。」青年「なぜそう断言できるのです?」哲人「人間にとって最大の不幸は、自分を好きになれないことです。この現実に対して、アドラーはきわめてシンプルな回答を用意しました。すなわち。『わたしは共同体にとって有益である』『わたしは誰かの役に立っている』という思いだけが自らに価値があることを実感させてくれるの
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第139話「ワーカホリックの人」

・調和を欠いた生き方・なににフォーカスするか哲人「対人関係がうまくいかないのは、ほんとうは自己受容や他者信頼、または他者貢献ができていないことが問題なのに、どうでもいいはずのごく一部にだけ焦点を当てて、そこから世界全体を評価しようとしている。それは人生の調和を欠いた、誤ったライフスタイルなのです。たとえば、ワーカホリックの人。この人たちもまた、明らかに人生の調和を欠いています。」青年「ワーカホリックが?なぜです?」哲人「ワーカホリックの方々は、人生の特定の側面だけに注目しています。おそらく彼らは仕事が忙しいから家庭を顧みる余裕がないと弁明するでしょう。しかし、これは人生の嘘です。仕事を口実に、他の責任を回避しようとしているにすぎません。本来は家事にも、子育てにもあるいは友人との交友や趣味にもすべてに関心を寄せるべきであって、どこかが突出した生き方などアドラーは認めません。」青年「ああ…。わたしの父が、まさにそんな人でした。ワーカホリックになって、ただただ仕事に打ち込んで成果を出す。そして、自分が稼いでいることを理由に家族を支配する。非常に封建的な人でした。」哲人「ある意味それは、人生のタスクから目を背けた生き方なのです。仕事とは、会社で働くことを指すのではありません。家庭での仕事、子育て地域社会への貢献、趣味、あらゆることが仕事なのであって、会社など、ほんの一部にすぎない。会社の仕事だけしか考えないのは人生の調和を欠いた生き方です。」続最後までご覧頂き、ありがとうございます。初回ブログは以下よりご覧頂けます。https://coconala.com/blogs/1957729/
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第138話「人生の調和を欠いた生き方」

・わたしが他者にのなにをしているか・生き方まで変えるには、生きた年数の半年かかる哲人「世の中は善人ばかりではありません。対人関係のなかで不愉快な思いにさらされることは、多々あるでしょう。しかし、このとき間違っていけないのは、いずれの場合も攻撃してくる『その人』に問題があるだけであって、決してみんなが悪いわけではない、という事実です。神経症的なライフスタイルを持った人は、なにかとみんな、いつも、すべてといった言葉を使います。みんな自分を嫌っているとかいつも自分だけが損をするとかすべて間違っているというように。もし、あなたがこれら一般化の言葉を口癖としているようなら、注意が必要です。」青年「まあ、思い当たるところはあります。」哲人 「アドラー心理学では、こうした生き方のことを人生の調和を欠いた生き方だ、と考えます。物事の一部分だけを見て、全体を判断する生き方です。」青年「人生の調和?」哲人「ユダヤ教の教えに、こんな話があります。『10人の人がいるとしたら、そのうち1人はどんなことがあってもあなたを批判する。あなたを嫌ってくるし、こちらもその人のことを好きになれない。そして10人のうち、2人はお互いにすべてを受け入れ合える親友になれる。残りの7人は、どちらでもない人々だ』と。このとき、あなたを嫌う1人に注目するのか。それともあなたのことが大好きな2人にフォーカスをあてるのか。あるいは、その他大勢である7人に注目するのか。人生の調和を欠いた人は、嫌いな1人だけを見て、世界を判断しています。」----------------何にフォーカスするのか。それだけで人生は大きく変わる。できたこと
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第137話「生き方まで変えるには」

・他者貢献・他者貢献とは労働青年「仕事には他者貢献の側面があることは認めましょう。ですが、表向きには他者に貢献しているといいながら結局は自分のためだとするロジックは、どう考えても偽善以外の何者でもありません。先生は、これをどう説明されるのです?」哲人「次のような場面を想像してください。ある家庭で夕食を食べ終わった後、食卓用の上に食器が残っています。子どもたちは部屋に戻り、夫はソファで座ってテレビを見てる。妻が後片付けをするほかない。しかも家族は、それを当然だと思っていて手伝う素振りも見せない。普通に考えれば、なぜ手伝ってくれないのか?なぜわたしだけ働かないといけないのか?という状況です。しかし、このとき、たとえ家族から『ありがとう』の言葉が聞けなかったとしても食器を片付けながらわたしは家族の役に立っていると考えてほしいのです。他者がわたしのためになにをしているかではなく、わたしが他者になにをできているかを考え、実践していきたいのです。自己受容、他者信頼、他者貢献はいわば円環構造として結びついています。ありのままの自分を受け入れるつまり自己受容するからこそ、裏切りを怖れることなく他者信頼することができる。そして他者に無条件の信頼を寄せて人々は自分の仲間だと思えているからこそ他者貢献することができる。さらには他者に貢献するからこそわたしは誰かの役に立っていると実感し、ありのままの自分を受け入れることができる。自己受容することができる。アドラー心理学の掲げる目標・自立すること・社会と調和して暮らせることこの行動を支える心理面の目標・わたしには能力がある、という意識・人々はわたしの仲間
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第136話「労働とは」

・他者信頼・ただ自分がどうするか青年「わかりました。じゃあ仮にわたしに自己受容ができたとしましょう。そして、他者信頼もできた、と。それでわたしにどんな変化があるというのです?」哲人「まず、交換不能なこのわたしをありのままに受け入れること。それが自己受容です。そして他者に対して無条件の信頼を寄せることが、他者信頼になります。自分を受け入れることができて、なおかつ他者を信頼することができる。この場合、あなたにとっての他者ては、どんな存在になりますか?」青年「……仲間、ですか?」哲人「そのとおりです。他者に信頼を寄せることは、すなわち他者を仲間だとみなすことにつながります。仲間だからこそ、信頼を寄せることができる。仲間でなければ、信頼にまでは踏み出せません。そして、もしも他者が仲間であれば、自分の属する共同体に居場所を見出すことにつながっていきます。「ここにいてもいいんだ」という所属感を得ることができるわけです。青年「つまり、『ここにいてもいいんだ』と思えるためには、他者を仲間だとみなす必要がある。そして他者のことを仲間だとみなすためには、自己受容と他者信頼の両方が必要になる、と。」哲人 「共同体感覚とは自己受容と他者信頼だけで得られるものではありません。そこには3つ目のキーワードである他者貢献が必要になってきます。仲間である他者に対して、なんらかの働きかけをしていくこと。貢献しようとすること。それが他者貢献です。つまり、他者貢献とは、わたしを捨てて誰かに尽くすことではなく、むしろわたしの価値を実感するためにこそなされるものなのです。」青年「他者に貢献するのは自分のため?」哲人「もっ
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第135話「信用と信頼」

・自己受容、他者信頼、他者貢献・変えられるものと変えられないもの哲人「自己への執着を他者への関心に切り替えていくとき、ぜったいに欠かすことのできないのが第2のキーワードが『他者信頼』になります。ここでは、信じるという言葉を、信用と信頼とに区別して考えます。まず、信用とは、条件つきの話なんですね。これに対して、対人関係の基礎は信用ではなく、信頼によって成立しているのだ、と考えるのがアドラー心理学の立場になります。」青年「その場合の信頼とは?」哲人「他者を信じるにあたって、いっさいの条件をつけないことです。無条件に信じる。それが信頼です。信頼の反対にあるものは、なんですか?懐疑です。仮にあなたが、対人関係の基礎に懐疑を置いていたとしましょう。他者を疑い、友人を疑いいったいそこから、どんな関係が生まれるでしょうか?アドラー心理学の考えはシンプルです。あなたはいま、『誰かを無条件に信頼したところで裏切られるだけだ」と思っている。しかし、裏切るのか裏切らないのかを決めるのは、あなたではありません。それは他者の課題なのです。あなたはただ『わたしがどうするか』だけを考えればいいのです。信頼することを怖れていたら、結局は誰とも深い関係を築くことができないのです。」--------------------------------人は鏡である。自分が相手を信頼したら相手は信頼してくれる。自分が必要以上に気遣うと相手も気遣う。逆にいうと、自分がしてほしいことを先に相手にやると返ってきます。まずは、自分から与える人になりましょう。あなたは、周りの人にどんな自分で接していますか?続最後までご覧頂き、あり
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第134話「幸福とはなにか?」

・横の関係を築く・ライフスタイルの大転換哲人「自意識がブレーキをかけ、無邪気に振る舞うことができない、という話。これは多くの人が実感している悩みかもしれません。ひとりであれば、誰もが王のように振る舞える。要するにこれも、対人関係の文脈で考えるべき問題なのです。『無邪気な自分』がいないのではなく、ただ人前でそれができないというだけのこと」青年「では、どうしたらいいのです?」哲人「やはり、共同体感覚です。具体的には、自己への執着を他者への関心に切り替え、共同体感覚を持てるようになること。そこで必要になるのが、自己受容・他者信頼・他者貢献の3つになります。まずは、自己受容から説明しましょう。最初の夜、わたしはアドラーの『大切なものはなにが与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかである』という言葉を紹介しました。覚えていますか?」青年「もちろんです。」哲人「自己肯定とは、できもしないのに『わたしはできる』『わたしは強い』と自らに暗示をかけることです。これは優越コンプレックスにも結びつく発想であり、自らに嘘をつく生き方であるともいえます。一方の自己受容とは、仮にできないのだとしたら、そのできない自分をありのままに受け入れ、できるようになるべく、前に進んでいくことです。自らに嘘をつくものではありません。」青年「ううむ、ポジティブなようにも聞こえるし、どこかネガティヴな響きも持った話ですね。哲人「そこでわたしは、『肯定的なあきらめ』という言葉を使っています。課題の分離もそうですが、『変えられるもの』と『変えられないもの』を見極めるのです。」--------------------
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第133話「ライフスタイルの大転換」

・感謝の言葉・自らの価値を感じる青年「いやいや、ご冗談もほどほどにしていただきたいですね。ここに存在しているだけで誰かの役に立っているとは、いったいどこの新興宗教ですか!」哲人「まさに共同体の問題について、アドラー本人に向かって同じような質問をした人がいました。このときのアドラーの答えはこうです。『誰かが始めなければならない。他の人が協力的でないとしても、それはあなたには関係ない。わたしの助言はこうだ。あなたが始めるべきだ。他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく。」青年「わたしはここに生きている。他の誰でもない『わたし』がここに生きている。しかし、自分に価値があると思えません。それは、対人関係が原因です。普段図書館でやっている仕事もわたしであろうが他の誰かであろうとあるいは機械であろうとなんの関係もない。誰ひとりとして『このわたし』のことを求めていない。そんな状態で、自分に自信が持てますか?自らに価値があると実感できますか?哲人「アドラー心理学から見た答えはシンプルです。まずは他者との間に、ひとつでもいいから横の関係を築いていくこと。そこからスタートしましょう。青年「馬鹿にしないでください。わたしだって、友人くらいいますよ。彼らとは横の関係を築けていますよ。」哲人「とはいえ、あなたは親や上司、また後輩やその他の人々に対して、縦の関係を築いているはずです。青年「もちろん、使い分けています。誰だってそうでしょう。」哲人「ここは非常に重要なポイントです。縦の関係を築くか、それとも横の関係を築くか。これはライフスタイルの問題であり、人間は自らのライフスタイルを臨機応変に使い分け
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第132話「存在のレベル」

・ありがとうと感謝の言葉を・うれしいと素直な喜びを青年「しかしですよ、はたして『ありがとう』の言葉が、勇気を取り戻すほどに大きな力を持ち得るものでしょうか?たとえ縦の関係からの言葉であったとしても、やはりほめられることのほうがうれしいと思いますが。」哲人「ほめられるということは、他者からよいと評価を受けているわけです。そして、その行為がよいか、悪いのかを決めるのは他者の物差しです。一方、ありがとうは評価ではなく、もっと純粋な感謝の言葉です。人は感謝の言葉を聞いたとき、自らが他者に貢献できたことを知ります。」青年「他者からよい、と評価されても貢献できたとは感じない?」哲人「そのとおりです。これは今後の議論にもつながってくるところですが、アドラー心理学はこの『貢献』という言葉を非常に重く考えています。」青年「どういうことでしょうか?」哲人「人は、自分には価値があると思えたときにだけ、勇気を持てる。」青年「自分には価値があると思えたとき?」哲人「いたって、シンプルです。人は『わたしは共同体にとって、有益なのだ。』と思えたときにこそ、自らの価値を実感できる。これがアドラー心理学の答えになります。共同体、つまり他者に働きかけ、『わたしは誰かの役に立っている』と思えること。他者からよい、と評価されるのではなく、自らの主観によって『わたしは他者に貢献できている』と思えること。そこではじめて、われわれは自らの価値を実感できる。青年「誰かの役に立ててこそ、自らの価値を実感できる。逆にいうと、他者に役立てない人間に価値はない。そうおっしゃるのですね?」哲人「あなたはいま、他者のことを行為レベルで見
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第131話「他者を評価しない」

・縦の関係ではなく、横の関係・援助=勇気付け哲人「人は他者からほめらめるほど、自分には能力がないという信念を形成していく。よく覚えていてください。青年「どこにそんな馬鹿がいますか?ほめられてこそ、自分には能力があることを実感する。当然じゃありませんか!」哲人「違います。もしあなたが、ほめてもらうことに喜びを感じているとすれば、それは縦の関係に従属し、『自分には能力がない』と認めているのと同じなのです。ほめることとは、能力のある人が、能力のない人に下す評価なのですから。ほめてもらうことが目的になってしますと結局は他者の価値観に合わせた生き方を選ぶことになります。あなたはこれまでの人生で、ご両親の期待に応えながら生きることにうんざりしてたのではなかったのですか?」青年「い、いや、まあ。では、具体的にどうアプローチすればいいのですか?ほめるのでもなければ、叱るのでもない。他にどんな言葉、どんな選択肢がありますか?」哲人「子どもでもなく、対等なパートナーがあなたの仕事を手伝ってくれたときのことを考えれば、答えはおのずと出てくるでしょう。たとえば、友人が部屋の手伝いをしてくれたとき、あなたはなんと声をかけますか?」青年「まあ、『ありがとう』と。」哲人「そう、パートナーに『ありがとう』と感謝の言葉を伝える。あるいは、『うれしい』と素直な喜びを伝える。『助かったよ』とお礼の言葉を伝える。これが横の関係に基づく勇気づけのアプローチです。」青年「それだけ、ですか?」哲人「ええ。いちばん大切なのは、他者を評価しない、ということです。評価の言葉とは、縦の関係から出てくる言葉です。もしも横の関係を築け
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第130話「自分には能力がない」

・叱ってもほめてもいけない・ほめるのは、上から見下す側面がある哲人「ほめることの背後にある目的とは、自分よりも能力の劣る相手を操作することなのです。他者をほめたりしかったりするのは、アメを使うのか、ムチを使うのかの違いでしかなく、背後にある目的は操作です。」青年「いやいや、そこは違いますよ。例えば、子どもの場合親からほめられたいことは無上の喜びでしょう?ほめてもらいたいからこそ、勉強をする。これは理屈を抜きにした、本能的な感情です!」哲人「誰かにほめられたいと願うこと。あるいは逆に、他者をほめてやろうとすること。これは対人関係全般を縦の関係としてとらえている証拠です。アドラー心理学ではあらゆる縦の関係を否定し、すべての対人関係を横の関係とするを提唱しています。」青年「それが同じではないけれど対等という言葉に表れているのですか?」哲人「そうです。対等すなわち横です。対人関係を縦の関係で見ていると、劣等感を感じます。アドラー心理学では、介入と援助を分けて考える必要があります。課題の分離の時の話を思い出してください。子どもが勉強すること。これは、子どもが自ら解決すべき課題であって親や教師が肩代わりできるものではありません。そして、介入とは、こうした他者の課題に土足で踏み込み、勉強しなさい。とかあの大学を受けなさいと指示することです。一方の援助とは、大前提に課題の分離があり、横の関係があります。勉強は子どもの課題であると、理解した上で、できることを考える。こうした横の関係に基づく援助のことをアドラー心理学では勇気づけと呼んでいます。」青年「人は他者からほめられたとき、自分には能力がある
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第129話「ほめてはいけない」

・関係が壊れることを怖れない・横の関係哲人「わかりやすいところで親子の関係を例に考えていきましょう。子育ての場面において、あるいは部下の育成などの場面でも、一般にはふたつのアプローチがあるとされています。叱って育てる方法とほめて育てる方法です。」青年「ああ、よく議論される問題ですね。」哲人「あなたは叱ることとほめることどちらを選びますか?」青年「もちろん、ほめて育てるべきでしょう。」哲人「なぜ?」青年「動物の調教を考えればわかります。『芸を身につける』ということをする場合叱られるからやる、とほめられたくてやる、では対象に向かうモチベーションがまったく違います。後者の場合、そこに喜びが加わっている。叱っていては相手を萎縮させてしまうだけです。ほまて叱るからこそ、すくすく伸びる。当たり前の結論でしょう。」哲人「面白い観点ですね。アドラー心理学の立場をご説明します。アドラー心理学では、子育てをはじめとするコミュニケーション全般について『ほめてはいけない』という立場をとります。青年「ほめてはいけない?」哲人「叱ることも認めません。ほめてもいけないし、叱ってもいけない。それがアドラー心理学の立場です。青年「いったいなぜ?」哲人「ほめるという行為の内実を考えてください。たとえば、わたしがあなたの意見に対してよくできました。とほめたとしましょう。この言葉、なんとなく違和感を覚えませんか?そうなんです。ほめるという行為には『能力のある人が、能力のない人に下す評価』という側面が含まれています。」--------------------------------ほめるのもダメ叱るのもダメこれは、初め
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第128話「横の関係」

・もっと大きな世界が広がっている・コップの外にいく哲人「学校なら学校という共同体のコモセンスで物事判断せず、より大きな共同体のコモセンスに従うのです。青年「でも、目の前の教師に異を唱えるのは、相当にむずかしいでしょう。」哲人「いえ、これは『わたしとあなた』の関係でもいえることですが、もしあなたが異を唱えることによって崩れてしまう程度の関係なら、そんな関係など最初から結ぶ必要などない。関係が壊れることだけを怖れて生きるのは、他者のために生きる、不自由な生き方です。」青年「まあ、いいでしょう。しかし、お気づきですか?先生は肝心なところに触れていません。つまり、『課題の分離』から『共同体感覚』へと進むための道筋ですよ。」哲人「ええ、大切なのはそこです。課題を分離することがどう良好な関係につながるのか?」つまり、どうすればお互いに強調しあって、協力し合うような関係につながるのか?ここで登場するのが『横の関係』という概念になります。」----------------------------------関係が壊れることを怖れていたら、今より深い関係になることはない。喧嘩するほど仲が良い、という言葉があるように自分のため、その人のために思っていることは言った方がいい。あなたは、自分の意見をちゃんと言っていますか?続最後までご覧頂き、ありがとうございます。初回ブログは以下よりご覧頂けます。https://coconala.com/blogs/1957729/21724少しでも興味をもって頂けましたら、気軽にメッセージください。
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第127話「より大きな共同体の声を聴け」

・世界の中心に君臨していない・わたしはこの人になにを与えられるか?青年「ちょっと整理させてください。対人関係の入り口には『課題の分離』があり、ゴールには『共同体感覚』がある。そして共同体感覚とは、『他者を仲間だと見なし、そこに自分の居場所があると感じられること』である、と。ここまではわかりやすいし、納得できる話です。でも、『共同体』なるものは宇宙全体に広がるという意味がわかりません。」哲人「ここでは、共同体の範囲が無限大なのだと考えればいいでしょう。たとえば、仮にあなたが学生で『学校』という共同体を絶対視していたとします。つまり、学校こそがすべてであり、わたしは学校があるからこそ、『わたし』なのだ、それ以外の『わたし』などありえない、と。しかし、当然、その共同体のなかでなんらかのトラブルに遭遇することはあるわけです。つまり、学校という共同体に対して『ここにいてもいいんだ』という所属感を持てない可能性は。」青年「ええ、ええ。大いにありえるでしょう。」哲人「このとき、学校こそがすべてだと思っていると、あなたはどこにも所属感を持てないことになります。しかし、ここで注目してほしいのは、『もっと別の共同体があること』『もっと大きな共同体があること』なのです。学校の外には、もっと大きな世界が広がっています。ひとたび世界の大きさを知ってしまえば、自分が学校に感じていた苦しみが、『コップのなかの嵐』であったことがわかるでしょう。コップの外に出てしまえば、吹き荒れていた嵐もそよ風に変わります。」青年「引きこもったところで、コップの外にはいけない、と。」哲人「はい。そこで覚えていてほしい行動原則が
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第126話「所属感」

・自分への執着・自己中心的な人哲人「他者からどう見られているかばかりを気にかける生き方こそ、『わたし』にしか関心を持たない自己中心的なライフスタイルなのです。」青年「ははっ、これは驚くべき発言ですね。」哲人「あなただけでなく、わたしに執着している人は、すべて自己中心的です。だからこそ、『自己への執着』を『他人への関心』に切り替えていかないといけません。」青年「たしかに、わたしは自分ばかり見ている。しかし、わたしの人生が一本の長編映画だとした場合、主人公は間違えなく『わたし』なのですよね?主人公にカメラを向けることがそんなに糾弾されるべきことなのですか?」哲人「自分の人生における主人公は『わたし』である。ここまでの認識は問題ありません。しかし、『わたし』は、世界の中心に君臨しているのではない。『わたし』は人生の主人公でありながら、あくまで共同体の一員であり、全体の一部なのです。われわれはみな『ここにいてもいいんだ』という所属感を求めている。しかし、アドラー心理学では、所属感とはそこにいるだけで得られるものではなく、共同体に対して自らが積極的にコミットすることによって得られるものだと考えます。」青年「積極的にコミットする?具体的にどういうことですか?」哲人「『人生のタスク』に立ち向かうことです。つまり、仕事、交友、愛という対人関係のタスクを回避することなく、自ら踏み出していく。自分の足で立ち、自分の足で対人関係のタスクに踏み出さなかればならない。『この人はわたしになにを与えてくれるのか?』ではなく、『わたしはこの人になにを与えられるか?』を考えなければならない。それが共同体へのコミ
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第125話「自己中心的」

この記事は、大貫智也のサラリーマン時代の話であり、影響を受けた本の内容から考えるシリーズである。・共同体感覚・幸福なる対人関係のやり方を考える哲人「共同体感覚のことを英語で訳すと『社会への関心』です。社会学が語るところの社会の最小単位は何だかご存知ですか?」青年「社会の最小単位?さあ、家族でしょうか。」哲人「いえ、『わたしとあなた』です。ふたりの人間がいたら、そこに社会が生まれ、共同体が生まれる。アドラーの語る共同体感覚を理解するには、まずは『あなたとわたし』を起点にするといいでしょう。」青年「そこを起点にどうするのです?」哲人「自分への執着を、他者への関心に切り替えていくのです。では、具体的に考えていきましょう。ここでは、わかりやすく自己への執着という言葉を『自己中心的』と言い換えます。あなたの頭のなかにある自己中心的な人とは、どんな人物でしょうか?」青年「まず思い浮かぶのは、暴君のような人物ですね。そして、暴君でなくても集団の輪を乱すような人物もまた、そう言えますね。」哲人「たしかに、一般的なイメージは、そのあたりでしょう。しかし、もうひとつのタイプを付け加えないといけません。じつは『課題の分離』ができておらず、承認欲求にとらわれている人もまた、きわめて自己中心的なのです。承認欲求の内実を考えてみてください。他者はどれだけ自分に注目し、自分のことをどう評価しているのか?つまり、他者をみているようで、実際には自分のことしかみていません。他者への関心を失い、他者を見ているようで、実際には『わたし』にしか関心がない。すなわち、自己中心的なのです。」----------------
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第124話「共同体感覚」

この記事は、大貫智也のサラリーマン時代の話であり、影響を受けた本の内容から考えるシリーズである。・カードはわたしが握っている・全体論哲人「対人関係は、課題を分離したところで終わるものではありません。むしろ、課題を分離することは、対人関係の出発点です。」青年「では、シンプルに結論だけお答えください。先生は課題の分離は対人関係の出発点だとおっしゃいました。じゃあ対人関係のゴールはどこにあるのですか?」哲人「結論だけ答えよというなら『共同体感覚』です。これはアドラー心理学の鍵概念であり、その評価についてもっとも議論が分かれるところでもあります。」青年「おもしろそうじゃありませんか。それで、どういう概念なのです?」哲人「他者のことを敵と見なすのか、あるいは仲間と見なすのか、という話をしましたよね?ここではもう一歩踏み込んだところを考えてください。もしも他者が仲間だとしたら、仲間に囲まれて生きているとしたらわれわれはそこに自らの居場所を見出すことができるでしょう。このように、他者を、仲間だとみなし、そこに『自分の居場所がある』と感じられることを、共同体感覚といいます。」そして共同体感覚とは、幸福なる対人関係のあり方を考えるもっとも重要な指標なのです。」----------------人は孤独を感じると弱くなる。人と繋がっているという感覚が非常に重要である。コロナの状況だからこそ人との繋がりをより大切にしてほしいです。あなたは、いろんな人と繋がっていますか?続最後までご覧頂き、ありがとうございます。初回ブログは以下よりご覧頂けます。https://coconala.com/blogs/19
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第123話「全体論」

・父に殴られたという過去・対人関係のカード哲人「課題の分離です。たしかに、父とわたしの関係は複雑なものでした。実際、父は頑固な人でしたし、あの人の心がそうやすやすと変化するとは思えませんでした。それどころか、わたしに手を上げたことさえ忘れていた可能性も高かった。けれども、わたしが関係修復の『決心』をするにあたって、父がどんなライフスタイルを持っているか、わたしのことをどう思っているかわたしのアプローチに対してどんな態度をとっているかなど、ひとつも関係なかったのです。たとえ向こうに関係修復の意思がなくても一向にかまわない。問題はわたしが決心するかどうかであって、対人関係のカードは常に『わたし』が握っていたのです。」青年「カード?」哲人「わたしは『父を変えるため』に変わったのではありません。それは他者を操作しようとする誤った考えです。わたしが変わったところで、変わるのは『わたし』です。」青年「課題の分離について考えました。それは結局『わたしはわたし、あなたはあなた』と境界線を引いていくような発想です。しかし、ほんとうにそんな生のあり方がほんとうに正しいといえますか?アドラー心理学の正式名称は『個人心理学』だとおっしゃいましたよね?そもそもおかしくないですか?」哲人「個人心理学のことを分解すると、語源的には『分割できない』という意味です。しかし、たとえばカッとなって他者を怒鳴りつけたときそれは『全体としてのわたし』が怒鳴ることを選んだのです。」青年「わたしがウェイターに怒鳴りつけた、あの話ですね?」哲人「ええ。このように人間をこれ以上分割できない存在だととらえ『全体としてのわたし』を
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第122話「対人関係のカード」

・嫌われることを怖れるな・幸せになる勇気=嫌われる勇気哲人「ひとつ親との関係を離させてください。わたしは幼いころから父との関係がうまくいきませんでした。」青年「お父様との関係が悪かったのはなぜですか?」哲人「小さいときに、父に引きずり出され、強く殴られました。しかも、何発も。」青年「その恐怖がトラウマとなって・・・」哲人「アドラー心理学と出逢うまでは、そう理解していたと思います。」青年「先生にはお父様との関係をよくしたくない、修復したくない、という目的が先にあった、と。」哲人「そうなります。」青年「ちょうどそこがお聞きしたかったんです!仮に因果関係が逆転したところで、具体的になにかが変わりました?だって、子ども時代に殴られた事実は変わらないものですよ?」哲人「これは対人関係のカード、という観点から考えるといいでしょう。原因論で『殴られたから、父との関係が悪い』と考えているかぎり、いまのわたしは手も足も出さない話になります。しかし、『父との関係をよくしたくないから、殴られた記憶を持ち出している』と考えれば、関係修復のカードはわたしが握っていることになります。わたしが『目的』を変えてしまえば、それで済む話だからです。」------------------------------変えられない事実として捉えるのか自分次第で変えられると捉えるのかこの差で、人は不幸にもなるし、幸せになる。起きた出来事は同じなのに。あなたはどっちを選択しますか?続最後までご覧頂き、ありがとうございます。初回ブログは以下よりご覧頂けます。https://coconala.com/blogs/1957729/2
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第121話「嫌われることを怖れるな」

・対人関係からの自由・自由とは、他者から嫌われること青年「な、なんですって?」哲人「あなたが誰かに嫌われているということ。それはあなたが自由を行使し、自由にいきている証であり、自らの方針に従って生きていることのしるしなのです。たしかに嫌われることは苦しい。できれば誰からも嫌われずに生きていきたい。承認欲求を満たしたい。でも、すべての人から嫌われないように立ち回る生き方は、不自由きわまりない生き方であり、同時に不可能なことです。自由を行使したければ、そこにはコストが伴います。そして対人関係における自由のコストとは、他者から嫌われることなのです。」青年「違う!ぜったいに違う!」哲人「きっとあなたは、自由とは組織からの解放だと思っていたのでしょう。他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを怖れずに、承認されないかもしれないというコストを支払わないかぎり、自分の生き方を貫くことはできない。」青年「先生は、わたしに『他者から嫌われろ』と?」哲人「嫌わることを怖れるな、といっているのです。わざわざ嫌われるような生き方をしろとか、悪行を働けといってるのではありません。そこは誤解しないでください。」青年「では、質問を変えましょう!いったい人は、自由の重みに耐えられますか?」哲人「嫌われたくないと願うのは、わたしの課題かもしれませんがわたしのことを嫌うかどうかは、他者の課題です。わたしをよく思わない人がいたとしてもそこに介入することはできません。幸せになる勇気には、嫌われる勇気も含まれます。その勇気を持ちえたとき、あなたの対人関係は一気に軽いものへと変わるでしょう。」------------
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第120話「傾向性」

・誰からも嫌われたくない・嘘をつき続ける人生を選ぶのか哲人「あなたは先ほど『誰からも嫌われたくない』ことを認め、『わざわざ嫌われたいと願う人間など、どこにもいない』と言いました。青年「ええ。」哲人「わたしだって、そうですよ。とはいえ、われわれの努力とは関係なく、わたしのことを嫌う人もいれば、あなたのことを嫌う人もいる。これもまた事実です。あなたは誰かから嫌われたとき、また嫌われているとのではないかと感じたとき、どのような気分になりますか?」青年「そりゃあ、苦しみのひと言ですよ。」哲人「他者から嫌われたくないと思うこと。これは人間にとって、きわめて自然な欲望であり、衝動です。近代哲学の巨人、カントはそうした欲望のことを『傾向性』と呼びました。本能的な欲望、衝動的な欲望ということです。それは坂道を転がる石のように生きることが『自由』なのかというと、それは違います。そんな生き方は欲望や衝動の奴隷でしかない。ほんとうは自由とは、転がる自分を下から押し上げていくような態度です。」青年「下から押し上げていく?」哲人「なんども繰り返しましたが、アドラー心理学では『すべての悩みは、対人関係の悩みである』と考えます。つまりわれわれは、対人関係から解放されることを求め対人関係からの自由を求めています。しかし、宇宙にただひとりで生きることなど、絶対にできない。ここまで考えれば、『自由とはなにか?』の結論も見えたも同然でしょう。」青年「なんですか?」哲人「すなわち、『自由とは、他者から嫌われることである』と。」最後までご覧頂き、ありがとうございます。初回ブログは以下よりご覧頂けます。https://c
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第119話「承認欲求=不自由」

・誰の課題なのか?・自分を変えることができるのは自分哲人「他者の期待を満たすように生きることは、楽なものでしょう。自分の人生を他人任せにしているのですから。しかし、自分の道を自分で決めようとすれば、当然迷いが出てきます。『いかに生きるべきか』という壁に直面しますから。青年「わたしが他者からの承認を求めているのはそこですよ。他者の目は、わたしにとっての道しるべなのです。」哲人「他者からの承認を選ぶのか、それとも承認なき自由の道を選ぶのか。あなたは承認欲求という言葉を使っていますが要するに誰からも嫌われたくないのでしょう。」青年「わざわざ嫌われたいと願う人間など、どこにいますか!」哲人「誰からも嫌われないためには、どうすればいいのか?答えはひとつしかありません。常に他者の顔色を窺いながらあらゆる他者に忠誠を誓うことです。しかしこれは、できないことをできると約束したり、取れない責任まで引き受けたりしてしまうことになります。無論、その嘘はすぐ発覚してしますでしょう。しっかり理解してください。他者の期待を満たすように生きること、そして自分の人生を他人任せにすること。これは自分に嘘をつき、周囲の人々に対しても嘘をつき続ける生き方なのです。」青年「じゃあ、自己中心的に、好き勝手生きろと?」哲人「課題を分離することは、自己中心的になることではありません。むしろ、他者の課題に介入することこそ、自己中心的な発想なのです。--------------------------------------------働き方にもこの話が言える。結局、人から言われたことを右から左にこなしていくだけだと他人と同じ
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第118話「対人関係の入口」

・他者の期待を満たす必要なんてない・課題の分離哲人「勉強することはこどもの課題です。そこに対して親が『勉強しなさい』と命じるのは、他者の課題に対して、いわば土足で踏み込むような行為です。これでは衝突を避けることはできないでしょう。われわれは『これは誰の課題なのか?』という視点から自分の課題と他者の課題とを分離していく必要があるのです。青年「分離して、どうするんですか?」哲人「他者の課題には踏み込まない。それだけです。」青年「それだけですか?」哲人「およそあらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むことあるいは自分の課題に土足で踏み込まれることによって引き起こされます。課題の分離ができるだけで、対人関係は激変するでしょう。」誰の課題かを見分ける方法はシンプルです。その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰か?を考えてください。もちろん、こどもが勉強しないときは援助はします。しかし、その先まで踏み込まない。ある国に『馬を水辺に連れて行くことはできるが、水を呑ませることはできない』ということわざがあります。アドラー心理学におけるカウンセリングが、また他者への援助全般もそういうスタンスだと考えてください。自分を変えることができるのは、自分しかいません。課題の分離は、対人関係の最終目標ではありません。むしろ、入口なのです。-------------------------------結局、人間なんて他人から言われたことはやらない。せめて、自分の決めたことはやろう。それができれば多くのことはうまくいく。あなたは、自分の決めたことはやりますか?続最後までご覧頂き、
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第117話「他者の課題」

哲人「あなたは他者の期待を満たすために生きているのではないし、わたしも他者の期待を満たすために生きているのではない。他者の期待など、満たす必要なんてないのです。」青年「い、いや、それはあまりにも身勝手な議論です。自分のことだけを考えて独善的に生きろとおっしゃるのですか?」哲人「ユダヤ教の教えに、こんな言葉があります。『自分が自分のために自分の人生を生きていないのであれば、いったい誰が自分のために生きてくれるだろうか。」と。あなたは、あなたの人生を生きています。誰のために生きているのかといえば、無論あなたのためです。そしてもし、自分のために生きていないのだとすれば、いったい誰があなたの人生を生きてくれるのでしょうか。われわれは、究極的には『わたし』のことを考えて生きている。そう考えてはいけない理由はありません。他者からの承認を求め、他者からの評価ばかりを気にしていると、最終的には他者の人生を生きることになります。」他者から承認してもらおうとするとき、ほぼ全ての人は『他者の期待を満たすこと』をその手段とします。適切な行動をとったらほめてもらえる、という賞罰教育の流れに沿って。しかし、たとえば仕事の主眼が『他者からの期待を満たすこと』になってしまったら、その仕事は相当苦しいものになるでしょう。なぜなら、いつも他者の視線を気にして他者からの評価に怯え、自分が『わたし』であることを抑えているわけですから。意外に思われるかもしれませんが、カウンセリングを受けに来られる相談者にわがままな方はほとんどいません。むしろ他者の期待、親や教師の期待に応えようとして苦しんでいる。いい意味で自分本位に振
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第116話「課題の分離」

・親との関係性・承認を求めてはいけない 哲人「他者から承認されることは、たしかに嬉しいものでしょう。しかし、承認されることが絶対に必要なのかというとそれは違います。そもそも、どうして承認を求めるのでしょう?もっと端的にいればなぜ他者からほめられたいと思うのでしょうか?」青年「簡単です。他者から承認されてこそ、われわれは『自分には価値があるのだ」と実感することができる。他者からの承認を通じて劣等感を払拭することができる。自分に自信を持つことができる。そう、これはまさに『価値』の問題です。」哲人「では、身近な場面で考えましょう。あなたが職場でごみ拾いをしたとします。それでも、周囲の人はまったく気づかない。あるいは、気づいたとしても誰からも感謝してもらえず、お礼の言葉1つかけてもらえない。さて、あなたはその後もごみ拾いを続けますか?」青年「むずかしい状況ですね。まあ、誰からも感謝されないのであれば、やめてしまうかもしれないですね。」哲人「なぜですか?」青年「ごみを拾うのは「みんなのため』です。感謝の言葉ひとつもらえない。だったらやる気も失せるでしょう。」哲人「承認欲求の危うさは、ここにあります。いったいどうして人は他者からの承認を求めるのか?多くの場合はそれは、賞罰教育の影響なのです。」青年「賞罰教育?」哲人「適切な行動をとったら、ほめてもらえる。不適切な行動をとったら、罰せられる。」青年「違います!わたしは教育を論じているのではありません。好きな人から認められたいと思うこと、身近な人から受け入れられたいと思うこと、これは当たり前の欲求です。」哲人「あなたは大きな勘違いをしています。
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第115話「他者からの承認」

・勇気の心理学・自らの手で選ぶ青年「今日は、自由について論じるという話でしたね。」哲人「ええ。自由とはなにか、考える時間はありましたか?」青年「それはもう、考え尽くしましたよ。どうも対人関係にはそれだけじゃ説明しきれない要素があるんです。」哲人「たとえば?」青年「いちばんわかりやすいのは親の存在でしょう。わたしにとっての両親は、どう考えても敵ではありません。ただし、うちの両親は厳しい人たちでした。特に兄と比較し、わたしを認めようとしなかった。その要請は大きなプレッシャーでした。」哲人「結局、あなたはどうされたのですか?」青年「大学進学までは、親の意向を無視できなかったように思えます。さすがに就職先だけは自分で選びましたが。」哲人「そういえば聞いていませんでいた。あなたの職業は?」青年「いまは大学図書館の司書として働いています。うちの両親としては、兄がそうしたように父の印刷工場を継いでほしかったようです。おかげで職を就いて以来多少関係がぎくしゃくしていますよ。もしも相手が両親でなければ、それこそ『敵』のような存在であればわたしはなにも悩まなかったでしょう。どれだけ干渉してこようと、無視してしまえばいいのですから。しかし、わたしにとっての両親は『敵」 ではありません。」 哲人「あなたは両親に対してどのような感情を抱きましたか?」青年「この学校ならさすがに認めてもらえるだろう、と」哲人「認めてもらえるとは?」青年「周りくどいですね。承認欲求ですよ。両親から認めてほしかったのですよ!」哲人「いまのお話について、アドラー心理学の大前提をお話しましょう。」アドラー心理学では、他者から承認を
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第114話「使用の心理学」

・自分の目的が変わっただけ・人生の嘘哲人「先ほどお話いした赤面症の女学生も、みな同じです。自分に嘘をつき、また周囲の人々にも嘘をついている。突き詰めて考えると、かなり厳しい言葉です。」青年「しかし、なぜそれを嘘だと断じることができるのです??』哲人「わたしはあなたの過去についてなんも知りません。ただ、わたしはひとつだけ知っています。」青年「なにを?」哲人「あなたのライフスタイル(人生のあり方)を決めたのは、他の誰でもないあなた自身である、という事実を。」もしもあなたのライフスタイルが他者や環境によって決定されているのなら、責任を転嫁することも可能でしょう。しかし、われわれは自分のライフスタイルを自分で選んでいる。責任の所在が明らかです。」いまわれわれが語るべきは、『勇気』の問題です!」アドラー心理学は、『勇気の心理学です』そして、もうひとつ付け加えるならアドラー心理学は『所有の心理学ではなく、『使用の心理学』です。」青年「つまり、あの 『なにが与えらているかではなく、与えられものをどう使うか』という言葉ですね。」哲人「目的論の立場に立って自らの人生を、自らのライフスタイルを、自らの手で選ぶのです。われわれには、その力があります。」---------------------------人はいつからでも変われる。それは、自分を認めて、受け入れたとき。過去に言い訳するのやめませんか?あなたは、言い訳人間ですか?続最後までご覧頂き、ありがとうございます。初回ブログは以下よりご覧頂けます。https://coconala.com/blogs/1957729/21724少しでも興味をもって
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第113話「人生の嘘」

・愛のタスクがもっともむずかしい・親子は頑強な鎖でつながれた関係青年「では、どうすればいいのですか?」哲人「いまの段階でいえるのは、逃げてはならない、ということです。どれほど困難に思える関係であっても、向き合うことを回避し、先延ばしにしてはいけません。たとえ最終的にハサミで断ち切ることになったとしても、まずは向かい合う。いちばんいけないのは、『このまま』の状態で立ち止まることです。」青年「わたしが他者を敵だとみなし仲間だと思えないのは、人生のタスクから逃げているせいだと。あれは結局どういう意味なのですか?」哲人「たとえば、恋愛関係にあった人と別れるときのことを思い出すとわかりやすいのではないでしょうか。恋人や夫婦の関係では、ある時期を境にして相手のやることなすことすべてに腹が立つようになることがあります。」青年「ええ。心当たりがあります。」哲人「これはその人がどこかの段階で『この関係を終わらせたい』と決心して関係を終わらせようとするための材料を探し回っているから、そう感じるのです。相手は何も変わっていません。自分の『目的」が変わっただけです。だからこそ、世界はいつでも危険なところになりうるし、あらゆる他者を『敵』とみなすことも可能なのです。」青年「では、わたしは人生のタスクを回避するため、もっといえば対人関係を回避するため、ただそれだけのために他者の欠点をでっち上げているのだと?そして他者を『敵』と思うことで逃げているだと?」哲人「そうなります。アドラーは、さまざまな口実を設けて人生のタスクかを回避しようとする事を指して、『人生の嘘』と呼びました。---------------
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第112話「愛のタスク」

・交友のタスク・親友、友達とは哲人「ここは2つの段階に分けれると考えてください。ひとつは、いわゆる恋愛関係ですね。そしてもうひとつが家族との関係、とくに親子関係になります。仕事、交友と続いてきた3つのタスクのうち愛のタスクがもっともむずかしいでしょう。たとえば友人関係から恋愛に発展したとき友達のあいだで許せていた言動が、恋人になった途端に許せなくなることがあります。青年「ええ。致し方ないところでしょう。」哲人「しかし、アドラーは相手を束縛することを認めません。相手が幸せそうにしていたらその姿を素直に祝福することができる。それが愛なのです。お互いを束縛し合うような関係は、やがて破綻してしまうでしょう。」青年「いやいや、それは不貞を否定しかねない議論です。だって、相手が幸せそうに浮気をしていたら、その姿までも祝福しろということになるではありませんか。」哲人「こう考えてください。一緒にいて、どこか息苦しさを感じたり、緊張を強いられるような関係は、恋であっても愛とは呼べない。人は『この人と一緒にいると、とても自由に振る舞える』と思えたとき、愛を実感することができます。ただし、恋愛関係や夫婦関係には『別れる」 という選択肢があります。長年連れ添った夫婦であっても、関係を続けることが困難であれば、別れることもできるわけです。ところが、親子関係では原則としてそれができない。恋愛が赤い糸で結ばれた関係だとするならば、親子は頑強な鎖でつながれた関係です。しかも自分の手には、小さなハサミしかない。親子関係のむずかしさはここにあります。--------------------------------
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第111話「交友のタスク」

・人生には3つのタスクがある・①仕事のタスク哲人「これは仕事を離れた、もっと広い意味での友人関係です。仕事のような強制力が働かないだけに、踏み出すのも深めるのもむずかしい関係になります。」青年「学校や職場のような『場」があればまだ関係も築けるんです。ところがそこから個人的な友人関係にまで踏み出すこと、あるいは学校や職場とは別の場所で友人を見つけること。これはきわめてむずかしい。」哲人「あなたには親友と呼べるような存在がいますか?」青年「友人はいます。でも親友と呼べるかというと・・・」哲人「わたしもかつてはそうでした。高校時代のわたしは友人をつくろうとせず、ひたすら本で学んでいました。心配に思った母は担当の教師に相談にいきました。すると教師は『心配はいりません。彼は友人を必要としない人間なのです。』といってくれたそうです。この言葉には、母もわたしも大いに勇気づけられました。」青年「友達を必要としない人間。。。では、先生は高校時代、ひとりの友人もいなかったのですか?」哲人「いえ、ひとりだけ友人がいました。友達が多いほどいいと思っている人は大勢いますが、はたしてそうでしょうか。友達や知り合いの数には、なんの価値もありません。これは愛のタスクともつながる話ですが、考えるべきは関係と距離と深さなのです。」青年「わたしにも、これから親友をつくることができますか?」哲人「もちろんです。あなたが変われば、周囲も変わります。変わらざるをえなくなります。アドラー心理学とは、他者を変えるための心理学ではなく、自分が変わるための心理学です。」------------------------------
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第110話「仕事のタスク」

・人生のタスク・自立すること青年「人生のタスクとは?」哲人「人生という言葉を、こども時代からさかのぼって考えてみましょう。こども時代、われわれは親から守られ、とくに働かずとも生きていくことができます。しかし、やがて『自立』するときがやってくる。いつまでも親に依存し続けるのではなく精神的に自立することはもちろん、社会的な意味でも自立しなにかしらの仕事ーこれは企業で働くといった狭い意味での言葉ではなくーに従事しなければなりません。アドラーはこれらの過程で生まれる対人関係を・仕事のタスク・交友のタスク・愛のタスクの3つに分け、まとめて『人生のタスク』と呼びました。青年「その場合のタスクとは、社会人としての義務ということですか?つまり、労働や納税といったような。」哲人「いえ、これはもっぱら対人関係を軸にしたものだと思ってくだいさい。ひとりの個人が、社会的な存在として生きていこうとするとき、直面せざるをえない対人関係。それが人生のタスクです。」まず、仕事のタスクから考えていきましょう。どんな仕事であれ、ひとりで完結する仕事はありません。仕事の対人関係は、成果というわかりやすい共通の目標があるので少しくらい合わなくても協力できるし、協力せざるをえないところがあります。」そして、この段階の対人関係でつまずいてしまったのがニートやひきこもりと呼ばれる人たちです。本人がどこまで自覚しているかは別として核にあるのは対人関係です。仕事そのものが嫌になったのではありません。仕事を通じて、他者から批判され、叱責されることかけがえのない『わたし』の尊厳を傷つけられることは嫌なのです。-----------
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第109話「人生のタスク」 2

・隠し持つ目的を考える・権力争いから降りる青年「わかりました。ただ、あの『すべての悩みは対人関係の悩みである』という言葉です。どうしてアドラーがそれほどまでに言い切っているのか、という点です。哲人「前回、あなたに足りないのは、幸せになる勇気だ、と話したのは覚えていますか?」青年「忘れようにも忘れられませんよ。」哲人「それで、どうしてあなたが他者を『敵』だとみなし『仲間』だと思えないのか。それは、勇気をくじかれたあなたが『人生のタスク』から逃げているせいですよ。」青年「人生のタスク?」哲人「そう。ここは大切なところです。アドラー心理学では、人間の行動面と心理面のあり方についてかなりはっきりとした目標を掲げています。」青年「ほう。どういった目標でしょうか。」哲人「まず、行動面の目標は『自立すること』と『社会と調和して暮らせること』の2つ。そしてこの行動を支える心理面の目標が『わたしには能力がある』という意識、それから『人々はわたしの仲間である』という意識です。」------------------------仕事でもうまく行く人は結局、自立している人。わからないことを聞くのはいいけど、その状態がずっと続いてると一生成長しない。自ら感じ、気づいて考えて、行動する。これをやれる人間になれるかどうか。あなたは、どんなタイプ?続最後までご覧頂き、ありがとうございます。初回ブログは以下よりご覧頂けます。https://coconala.com/blogs/1957729/21724少しでも興味をもって頂けましたら、気軽にメッセージください。
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第108話「隠し持つ目的」

・人生は競争ではない・競い争う場所から身を引く青年「いくら先生だって、さしたる理由もなく罵倒されたら腹が立つでしょう?」哲人「立ちません。」青年「嘘をついちゃいけません。」哲人「もしも罵倒されたら、その人の隠し持つ『目的』を考えるのです。直接的な罵倒にかぎらず相手の言動によって本気で腹が立ったときには、相手が『権力争い』を挑んできているのだと考えてください。」青年「権力争い?」哲人「人は、対人関係のなかで『わたしは正しいのだ』と確信した瞬間、すでに権力争いに足を踏み入れているのです。」青年「正しいと思っただけで?いやいや、なんて誇張ですか!」哲人「わたしは正しい。すなわち相手は間違っている。そう思った時点で、議論の焦点は『主張の正しさ』から『対人関係のあり方』に移ってしまっています。そもそも主張の正しさは、勝ち負けとは関係ありません。あなたが正しいと思うのなら、他の人がどんな意見であろうとそこで完結するべき話です。誤りを認めること謝罪の言葉を述べること権力争いから降りることこれらはいずれも『負け』ではありません。」--------------------------------いつも他人に勝とうとしている人がいます。そういう人はだいたい「他人』に怯えています。勝つことで、他人との間で存在意義を見出しているように感じる。極論、自分のことを『生きているだけで、価値がある。』そう思っていればいい。無いものばかりに目がいっているときは不幸せ。あなたは、何を持っていますか?続最後までご覧頂き、ありがとうございます。初回ブログは以下よりご覧頂けます。https://coconala.com
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第107話「誰とも競争しない」

・優越コンプレックス・偽りの優越感に浸る哲人「優越性の追求とは自らの足を一歩前に踏み出す意思であって他者よりも上をめざさんとする意思ではありません。」青年「人生は競争ではない、と?」哲人「ええ。誰とも競争することなく、ただ前を向いて歩いていけばいいのです。もちろん、他者と自分を比較する必要もありません。」青年「それは無理でしょう。」哲人「健全な劣等感とは、他者との比較のなかで生まれるものではなく、『理想の自分』との比較で生まれるものです。」青年「しかし、、」哲人「いいですか、われわれは誰もが違っています。われわれは、『同じではないけれど対等』なのです。」いまの自分よりも前に進もうとすることにこそ、価値があるのです。青年「あなたは、競争から降りた、つまり負けを認めたということですか?」哲人「違います。勝ちや負けを競い争う場所から身を引いたのです。自分が自分であろうとするとき、競争は必ず邪魔をしてきます。」----------------------------------シンプルな基準何か目標を達成した時に『理想の自分』と比較すること。・世の中でうまくいっている人・憧れの人・自分よりもすごい人上記のような人と比較してもただ辛くなるだけ。とにかく真似をして、吸収して、実行して理想の自分とのギャップを埋めていく。これの繰りかえしのみ。あなたは、誰と比較していますか?続最後までご覧頂き、ありがとうございます。初回ブログは以下よりご覧頂けます。https://coconala.com/blogs/1957729/21724少しでも興味をもって頂けましたら、気軽にメッセージください。
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第106話「優越コンプレックス」

・劣等コンプレックス・Aであるから、Bできない理論哲人「これは、劣等コンプレックスの持つもうひとつの側面です。自らの劣等コンプレックスを言葉や態度で表明する人『Aだから、Bできない』といってる人は、Aさえなければ、わたしは有能であり価値があるのだ、と言外に暗示しているのです。そして、劣等コンプレックスは、もうひとつの特殊な心理状況に発展していくことがあります。」青年 「なんですか?」哲人「あまり聞き覚えのない言葉かもしれません。優越コンプレックスです。」青年「優越コンプレックス?」哲人「強い劣等感に苦しみながらも、努力や成長といった健全な手段によって補償する勇気がない。かといって、AだからBできないという劣等コンプレックスでも我慢できない。できない自分を受け入れられない。そうなると人は、もっと安直な手段によって補償しよう、と考えます。」青年「どうやって?」哲人「あたかも自分が優れているかのように振る舞い、偽りの優越感に浸るのです。」たとえば、自分の手柄を自慢したがる人。過去の栄光にすがり、自分がいちばん輝いていた時代の思い出話ばかりする人。わざわざ言葉にして自慢している人は、むしろ自分に自信がないのです。アドラーは、はっきりと指摘します。『もしも自慢する人がいるとすれば、それは劣等感を感じているからにすぎないと」----------------------裏技なんて、世の中にない。結局、やるべきことをしっかりやった人しか勝つことはできない。今すごい人も昔はかなり苦労してるし努力してる。あなたは、誰にも負けないことは一つありますか?続最後までご覧頂き、ありがとうございます。初回ブ
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第105話「劣等コンプレックス」

・優越性の追求・劣等感とどう向き合うか青年「劣等感が強ければ、誰だってネガティブになって『どうせ自分なんて』と思うに違いない。だって、それが劣等感というものでしょう。」哲人「いえ、それは劣等感ではなく、劣等コンプレックスなのです。」青年「コンプレックス?つまり、劣等感のことですよね?」哲人「注意してください。現在、わが国では、コンプレックスという言葉が、劣等感と同義であるかのように使われています。これは完全な誤用です。劣等コンプレックスとは、複雑に絡み合った倒錯的な心理状態を表す用語で、劣等感とは関係ありません。」青年「具体的にはどう違うのでしょうか?」哲人「劣等感それ自体は、別に悪いものじゃありません。ここは理解いただけましたね?アドラーもいうように劣等感は努力や成長を促すきっかけになりうるものです。一方の劣等コンプレックスとは、自らの劣等感をある種の言い訳に使いはじめた状態のことをいいます。具体的には、わたしは学歴ぐ低いから、成功できないと考える。このように日常生活のなかで、『Aであるから、Bできない』という論理を振りかざすのは、もはや劣等感の範疇に収まりません。劣等コンプレックスです。」青年「いやいや、それはまっとうな因果関係ですよ!学歴が低ければ、就職や出世の機会も奪われる。社会的に低く見られ、成功できなくなる。言い訳でもなんでもなく、厳然たる事実ではありませんか。」哲人「違います。あなたのいうような因果関係について、アドラーは見かけの因果律という言葉で説明しています。本来はなんの因果関係もないところに、あたかも重大な因果関係があるかのように自らを説明し、納得させてもら
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第104話「優越性の追求」

・劣等感は、自分への価値判断に関わる言葉・主観的な解釈哲人「人は無力な存在としてこの世に生を受けます。そして、その無力な状態から脱したいと願う、普遍的な欲求を持っています。アドラーはこれを『優越性の追求』と呼びました。」青年「優越性の追求?」哲人「ここでは簡単に『向上したいと願うこと』『理想の状態を追求すること』と考えていただければいいでしょう。」これと対をなすのが、劣等感です。人は誰しも、優越性の追求という向上したいと思う状況にいる。なんらかの理想や目標を掲げ、そこに向かって前進している。しかし理想に到達できていない自分に対し、まるで劣っているかのような感覚を抱く。たとえば料理人の人々は、その志が高ければ高いほど『まるで未熟だ』『もっと料理を極めなければならない』といった、ある種の劣等感を抱くでしょう。」青年「たしかに。」哲人「アドラーは、優越性の追求も劣等感も病気ではなく、健康で正常な努力と成長への刺激である。と語っています。劣等感も、使い方さえ間違えなければ、努力や成長の促進剤となるのです。」------------------------------『人間の楽しみはできないことができるようになる』だと思っている。つまり、「できない」がスタートなのである。できなくていいのである。最初からできる人なんていない。もっと力を抜いていい。あなたは、完璧主義ですか??続最後までご覧頂き、ありがとうございます。初回ブログは以下よりご覧頂けます。https://coconala.com/blogs/1957729/21724少しでも興味をもって頂けましたら、気軽にメッセージください。
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第103話「劣等感」

・人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである・孤独を感じるのも他者がいるから哲人「では、対人関係についてちょっと角度を変えたところから話をしましょう。あなたは劣等感という言葉をご存じですか?」青年「愚問ですね。今までの話からわかるでしょう、私は劣等感の塊のような男ですよ。」哲人「具体的にどのような劣等感を?青年「例えば、新聞などを通じて同世代の人間が活躍している姿を見ると、どうしようもない劣等感を抱きますね。学歴や職業、それから年収など社会的な立場についても強い劣等感を持っているが、どこもかしこも劣等感だらけですよ。哲人「劣等感とは価値がより少ない、感覚という意味です、つまり、劣等感とかは自分への価値判断に関わる言葉なのです。自分には価値がないのだ、この程度の価値しかないのだといった感覚ですね。わたしの身長は155センチです。これは事実であって何かが欠けていたり劣っているというわけではありません。確かに155センチという身長は平均より低く、なおかつ客観的に測定された数字です。一見すると劣等生に思えるでしょう。しかし、問題はその身長に対して私がどのような意味付けを施すかどのような価値を与えるかなのです。私が身長に対して感じていたのは、あくまで他者との比較、つまり対人関係の中で生まれた主観的な劣等感だったのです。つまり、我々を苦しめる劣等感は、客観的な事実ではなく、主観的解釈なのだと。その通りです。私は友人の、お前には人をくつろがせる才能があるんだと言われて言葉に一つの気づきを得ました。主観には一つだけいいところがあります。それは自分の手で選択可能だということです。」--------
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第102話「人間の悩みは、対人関係」

・対人関係のなかで傷つくことを怖れている・悩みを消し去るには、宇宙のなかでひとりで生きる哲人「孤独を感じるのは、あなたがひとりだからではありません。あなたを取り巻く他者、社会、共同体があり、そこから疎外されていると実感するからこそ、孤独なのです。われわれは孤独を感じるのにも、他者を必要とします。すなわち人は、社会的な文脈においてのみ、『個人』になるのです。」青年「ほんとうにひとりなら、つまり宇宙のなかにただひとりで存在していれば、個人でもないし孤独も感じない?」哲人「理屈上ではそうなります。なにしろアドラーは、『人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである』とまで断言しているのですから。」青年「いま、なんとおっしゃっていました⁈」哲人「何度でも繰り返しましょう。『人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである。』これは、アドラー心理学の根底に流れる概念です。」青年「あなたは、対人関係から切り離された悩み、個人が個人としてもがき苦しむような悩み自己に向けられた悩みをすべて否定されるのですか?」哲人「個人だけで完結する悩み、いわゆる内面の悩みなどというものは存在しません。」------------------------------『人間の悩みはすべて対人関係の悩みである。』これを初めて見たときはかなりの衝撃だった。ただ、なんとなくしっくりきたのを覚えている。それはなぜか?1人で悩んでいるといってもそれは結局、人との比較や、人との関わりの中で生まれる悩みであるから。あなたの悩みの根源はなんだと思いますか?続最後までご覧頂き、ありがとうございます。初回ブログは以下よりご覧頂けます。https:
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第101話「あなたの目的」

・可能性の中で生きる・いまの自分を受け入れる哲人「そのあと、彼女はどうなったか?最終的に彼のほうから付き合ってほしいと告白されたそうです。もちろん、彼女が再びこの書斎にやってくることはありませんでした。赤面症がそのあとどうなったか、わたしは知りません。ですが、おそらくもう必要としなくなったでしょう。」青年「あくまでも、必要としなくなった、のですね。哲人「ええ。さて、彼女の話を踏まえつつ、あなたの問題を考えましょう。もうおわかりでしょう。なぜあなたが自分が嫌いなのか?それはあなたが他者から嫌われ、対人関係のなかで傷つくことを過剰に怖れているからなのです。」青年「どういうことです?」哲人「誰かから小馬鹿にされ、拒絶され、心に深い傷を負うことを怖れている。そんな事態に巻き込まれるくらいなら、最初から誰とも関わりを持たないほうがましだと思っている。つまり、『あなたの目的は、他者との関係のなかで傷つかないこと』なのです。わたしにはこういう短所があるから拒絶されるのだ、これさえなければわたしも愛されるのだ、と。青年「はは、見事に喝破されましたね。」哲人「はぐらかしてはいけません。」青年「このサディストめ!あなたは悪魔のような御方だ!そうです、たしかにそうですよ!わたしは怖い。対人関係のなかで傷つきたくない。自分という存在を拒絶されるのが怖ろしくてならないんですよ!認めようじゃありませんか!」哲人「認めることは立派な態度です。でも、忘れないでください。対人関係のなかで傷つかないなど、基本的にありえません。対人関係に踏み出せば大なり小なり傷つくものだし、あなたも誰かを傷つけている。アドラーはい
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㊗️第100話「わたしにできること」

・自分を好きにならない決心をしている・他の人の例を参考にこの問題を考える哲人「ひとりの女学生がやってきました。彼女の悩みは赤面症でした。人前に出ると赤面してしまう、どうしてもこの、赤面症を治したい、と言います。そこでわたしは聞きました。『もしもこの赤面症が治ったら、あなたは何がしたいですか?』すると彼女は、お付き合いしたい男性がいる、と教えてくれました。密かに思いを寄せつつも、まだ気持ちを打ち明けられていない男性がいる。赤面症が治った暁には、その彼に告白してお付き合いをしたいのだ、と。」青年「ひゅう!いいですね。」哲人「はたして、ほんとうにそうでしょうか?わたしの見立ては違います。どうして彼女は赤面になったのか。どうして赤面症は治らないのか。それは、彼女自身が『赤面という症状を必要としている』からです。青年「いやいや。なにをおっしゃっていますか?」哲人「彼女にとって、 いちばん怖ろしいこと、いちばん避けたいことはなんだと思いますか?もちろん、その彼に振られてしまうことです。失恋によって、『わたし』の存在や可能性をすべて否定されることです。つまり、可能性のなかに生きることができるのです。」哲人「彼女にかぎった話ではありません。受験生が『合格すれば人生はバラ色になる』会社員が『転職すればすべてうまくいく』と考える。しかし、それらの願いがかなったにもかかわらず、事態がなにひとつ変わらないことは大いにありえます。赤面症を治してほしいという相談者が現れたとき、カウンセラーはその症状を治してはいけません。そんなことをすれば、立ち直りはもっと難しくなるでしょう。アドラー心理学的な発想とは、そ
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