第143話「ダンスのように生きる」

記事
コラム
・特別な存在になろうとする

・普通であることの勇気



哲人

「なぜ特別になる必要があるのか?



それは普通の自分が



受け入れられないからでしょう。



だからこそ、



特別によくあることが



くじかれたとき、



特別に悪くあることへと



極端な飛躍をしてしまうのです。



しかし、



普通であること、



平凡であることは、



ほんとうによくないことなのか。



なにが劣ったことなのか。



じつは誰もが普通なのではないか。



そこを突き詰めて考える必要があります。」



青年

「先生は、わたしに普通であれ、と?」

哲人

「自己受容は、



その重要な一歩です。



もし、あなたが



普通であることの勇気を



持つことができたなら、



世界の見え方は一変するはずです。



普通であることを拒絶するあなたは、



おそらく



普通であることを



無能であることと



同義でとらえているのでしょう。



普通であることとは、



無能なのではありません。



わざわざ自らの優越性を


誇示する必要などないのです。」


青年

「いや、特別であることを



めざす危険性は認めます。



しかし、あえて



普通であることを選ぶ必要がありますか?



誰の記憶にも残らない無益な人生を



過ごすために



自分はその程度の人間なのだと



満足しなきゃならないのですか?



冗談じゃない。



そんな人生、いますぐ打ち捨ててやる。」



哲人

「どうあっても特別でありたいのですね?」



青年

「違います!



いいですか、先生のおっしゃる普通を



受け入れることは、



怠惰な自分はを肯定すること



につながるのですよ!」



哲人

「つまり、人生には高慢なる目標



が必要だと。」



青年

「当たり前でしょう!」



哲人

「アドラー心理学の立場は違います。



人生を登山のように考えている人は、


自らの生を『線』として


とらえています。


そうではなく、



人生は点の連続なのだと


考えてください。


すなわち、



人生とは、連続する刹那なのです。




そして、



人生とは、



いまこの瞬間をくるくると



ダンスするように生きる、


連続する刹那なのです。



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目標はあったほうがいい。



ただ目標を立てようが立てまいが



とにかく、今日という1日を



今というこの瞬間をどう生きるか



その積み重ねでしかないのである。



未来をよくしたければ、



今をどうするか。




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