第142話「普通であることの勇気」

記事
コラム
・自己実現的な幸福

・自らの幸福とは



哲人

「わかりました。



このあたりについては、



問題行動に走る子どもを例に



考えるとわかりやすいかもしれません。



多くの子どもたちは、



最初の段階で



特別によくあろう、とします。



具体的には、



親のいいつけを守って、



社会性をもった振る舞いをし、



勉強やスポーツ、



習い事などに精を出します。



そうやって親から認めてもらおうとする。



しかし、



特別によくあることが叶わなかった場合



今度は一転して



特別に悪くあろう、とします。」


青年

「なぜです?」



哲人

「特別によくあろうとすることも、



あるいは特別に悪くあろうとすることも、



目的は同じです。



他者の注目を集め、


普通の状態から脱し、


特別な存在になること。


それだけを目的としているのです。



本来、勉強であれ、スポーツであれ



なにかしらの結果を残すためには、



一定の努力が必要になります。



ところが、



特別に悪くあろうとする子ども、



すなわち、



問題行動に走る子どもたちは、



そうした完全な努力を回避したまま、



他者の注目を集めようとしています。



アドラー心理学では、


これを安直な優越性の追求と呼びます。」


青年

「非行に走る子どもたちもまた、



安直な優越性の追求なのですか?」



哲人

「そうです。



そして、親に叱れるこそ、



問題行動をやめないのです。」



青年

「しかし、しかしですよ?



すべての人間が



特別によくあることなど、



不可能ですよね?



人間にはどうしたって



得意不得意があるし、



差がでてしまう。



天才などこの世に



ごく一握りしかおらず、



誰もが優等生になれるわけではない。



だとすれば、



敗れた者はみな



特別に悪くあるしかない。」



哲人

「そうなのです。



そこで、アドラー心理学が大切にしているのが、



普通であることの勇気


という言葉です。」



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人は、みな誰かに注目されたい。



その感情をどの方向に使うか。



それだけで全然変わる。



一見、周りの人からみたら



悪いことも



その人にとっては正義である。




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