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――俺が見てるの、誰だと思ってる。

凪は、赤いリボンを握ったまま、しばらく動けなかった。悠真の言葉が、胸の奥で何度も響いている。――俺が見てるの、誰だと思ってる。その意味を、考えようとする。でも。考えるほど、怖くなる。もし。もし違ったら。期待した瞬間に、全部崩れてしまう気がした。凪は、小さく首を振る。「……違うよ。」声が、少し震える。悠真の目が、わずかに細くなる。「何が。」凪は、視線を落とす。廊下の床に、夕方の光が伸びている。「悠真は。」言葉が、少しずつ形になる。「やさしいから。」「わたしが落ち込んでると思って、そう言ってるだけ。」そう言いながら、胸の奥が痛む。本当は。違う答えを聞きたい。でも。聞いたら、もう戻れない。凪は、そっと言う。「だから。」その言葉が、出かかる。――わたし、少し距離を。その瞬間。「凪。」悠真の声が、少し強くなる。凪は顔を上げる。悠真は、真剣な顔をしていた。「勝手に決めるな。」その言葉が、まっすぐ胸に届く。「俺の気持ち、聞いてからにしろよ。」廊下の空気が、静かに止まる。凪の心が、大きく揺れる。聞いてしまったら。この恋は、もう後戻りできなくなる。凪は、息を吸う。そして。ゆっくり口を開こうとする。そのとき。階段のほうから、明るい声が聞こえた。「悠真!」二人が、同時に振り向く。陽菜だった。友達と笑いながら、階段を上ってくる。夕方の光の中で、その笑顔は、やっぱり明るかった。凪の胸が、きゅっと締まる。さっきまでの言葉が、急に遠くなる。悠真は、一瞬だけ凪を見る。凪は、小さく笑う。そして。一歩、後ろに下がる。その動きは、とても小さかった。でも。凪の心の中では、何かが静かに決まりかけていた。
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……わたしさ。……でもね。

凪は、赤いリボンをぎゅっと握ったまま、顔を上げた。悠真は、逃げない。まっすぐこちらを見ている。夕方の光が、廊下に長くのびる。凪は、ゆっくり言葉を探す。「……わたしさ。」声が、少しだけ小さい。でも、止めない。「悠真といると、楽しいよ。」悠真の目が、少しやわらぐ。「でもね。」凪は、窓の外を見る。グラウンドは、もうほとんど人がいない。その向こうに、陽菜の笑顔が、まだ頭に残っている。「陽菜って、すごいよね。」悠真の眉が、少し動く。凪は続ける。「明るいし。」「誰とでも自然に話せるし。」「……ああいう人、好きになると思う。」言いながら、胸の奥が、きゅっと痛む。でも。ここで言わないと、きっと、ずっと言えない。凪は、小さく笑う。「だからさ。」言葉が、もうすぐ出る。――わたしは。その瞬間。悠真が、ふっと息を吐く。「凪。」その声は、さっきより低い。「それ。」凪は、顔を上げる。悠真は、少し困ったように笑う。「全部、凪が決めてるだけだろ。」その言葉に、凪の心が、大きく揺れる。「俺、そんなこと一回も言ってない。」廊下に、静かな空気が流れる。凪の胸が、強く鳴る。まさか。そんなこと、考えてもいなかった。悠真は、少しだけ近づく。そして、静かに言う。「凪。」その目は、まっすぐだった。「俺が見てるの、誰だと思ってる。」その言葉が、凪の胸に、静かに落ちる。そして、凪の心は、また大きく揺れ始める。
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顕微鏡の向こう側

顕微鏡の光が、机の上だけを白く照らしている。凪は、もう一度ピントを合わせる。細胞は、ゆっくりと形を変えている。「すごいね、陽菜。説明わかりやすかった。」前の席の子が小さく声をかける。「そんなことないよ。」陽菜は笑う。でもその笑い方は、控えめで、誇らない。先生が、班の記録をのぞき込む。「班全体、よくできてるな。」陽菜がすぐに言う。「凪がまとめてくれたので。」自然に。迷いなく。凪は顔を上げる。「え、わたしは……」「字きれいだし、見やすいよ。」陽菜は本当にそう思っている顔をしている。悪意がない。計算もない。ただ、まっすぐ。凪の胸が、少し痛む。どうして。どうしてそんなに、きれいなんだろう。悠真が、記録用紙をのぞく。「ほんとだ。凪、助かる。」その声は、やわらかい。凪はうなずく。でも。その言葉は、どこか遠い。陽菜は、顕微鏡をもう一度のぞく。「ここ、もうちょっとはっきり見えるかも。」自然に悠真を呼ぶ。肩が、少しだけ近づく。触れない。でも、近い。凪は、自分の顕微鏡に目を戻す。視界が少し揺れる。わたしは。どう考えても。陽菜のほうが、いい。明るくて、やさしくて、空気を変える。わたしは、静かで、重くて、半歩引いている。顕微鏡の中で、細胞が分かれていく。きれいに、均等に。凪は思う。選ばれるのは、どっちだろう。そんなことを考える自分が、いやになる。実験は、まだ続いている。時間は止まっていない。でも、凪の中では、少しずつ、何かが沈んでいく。
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心だけが、まだ教室に残っていた

廊下から、陽菜の声が響く。「ゆうまー、はやく!」明るい声。移動は、もう始まっている。凪は席の横で立ち尽くしていた。鞄は持っているのに、足が動かない。悠真は一度、廊下へ出かけた。でも。凪がまだ教室にいることに気づいて、足を止めた。陽菜の声が、少しだけ近づく。「ゆうま?」間が生まれる。その“間”が、痛い。悠真は、ゆっくり教室に戻る。ドアの影が、少し揺れる。「……凪。」低い声。凪は振り向かない。振り向いたら、決めなきゃいけない気がする。触れない距離で、立ち止まる。手は伸びない。「昨日のこと。」凪の指が、鞄を強く握る。「ちゃんとするって言ったけど。」その言葉は、まだ曖昧なまま。逃げない。でも、何から?「凪がいなくなるのは、嫌だ。」はっきりした告白じゃない。でも、十分に重い。凪は、やっと振り向く。目が合う。近い。でも、触れない。廊下に、足音。陽菜が少し顔をのぞかせる。「もう行こ?遅れちゃうよ。」変わらない笑顔。凪は、小さく息を吸う。「……ちゃんとして。」昨日と同じ言葉。でも意味は違う。“曖昧にしないで。”悠真は、わずかにうなずく。凪は先に歩き出す。悠真の横をすり抜ける。触れないまま。赤いリボンが、やわらかく揺れる。ほどけない。まだ、ほどけない。廊下に出る。三人で歩く。並んでいるのに、均等じゃない距離。移動は続いている。でも。心だけが、まだ教室に残っていた。
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女の子、とっかえひっかえしてるみたいに見えるよ

翌日の放課後。教室の空気が、どこかざらついていた。悠真が席を立った瞬間、女子のひとりが、ふいに言った。「ねえ、ちょっとさ。」教室の視線が、ゆっくり集まる。「どういうつもりなの?」笑ってはいなかった。「陽菜とも帰ってるよね? 凪とも帰ってるよね?」空気が固まる。「女の子、とっかえひっかえしてるみたいに見えるよ。」ざわ、と小さな波。男子が軽く茶化す。「ひがむなよ。」笑いが起こる。でも、悠真は笑わなかった。ただ、一瞬だけ目を伏せた。その顔を、凪は見た。傷ついた顔だった。弁解も、反論も、しない。「そんなつもりじゃない」その一言さえ、飲み込んだ。凪の胸が、強く締めつけられる。“わたしのせいかもしれない”その考えが、頭を離れない。好きでいることが、悠真を追い詰めるなら。一緒に帰った時間が、彼を責める材料になるなら。わたしは——いないほうが、いいのかな。窓の外では、夕焼けが沈みかけている。悠真は静かに教室を出た。凪は、立ち上がれなかった。好きなのに。好きだから。動けない。それがいちばん苦しい。教室に残った夕陽が、赤いリボンを、やわらかく照らしていた。まるで、ほどけそうな糸みたいに。
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俺が見てるの、誰だと思ってる。

陽菜の足音が、廊下に軽く響く。凪は、まだ動けずにいた。悠真の言葉が、胸の奥で何度も揺れている。――俺が見てるの、誰だと思ってる。その意味を、考えないようにしていた。考えたら。きっと、期待してしまうから。凪は、小さく息を吐く。そのとき。「悠真?」陽菜の声が、すぐ後ろで止まる。凪は振り向く。陽菜は、少し驚いた顔をしていた。「どうしたの?」その声は、いつもと同じ明るさだった。でも。その明るさが、凪の胸を少しだけ苦しくする。悠真が答える。「いや。」少し言葉を探す。「ちょっと話してただけ。」陽菜は、凪を見る。その視線は、やさしかった。「凪、顔赤いよ?」思わず、凪は視線を落とす。「え?」自分でも気づかなかった。悠真が、少しだけ笑う。「ほらな。」凪は、慌ててリボンを触る。「ち、違うよ。」でも。胸は、まだ強く鳴っている。陽菜は、二人を見比べる。そして、少しだけ首をかしげる。「なんか。」小さく笑う。「わたし、邪魔だった?」その言葉に、凪の心が、また揺れる。違う。邪魔なんかじゃない。むしろ。凪は、そっと思う。――わたしが。その言葉が、また胸の奥で形になりかける。でも。そのとき。悠真が、はっきり言う。「違う。」廊下の空気が、少し止まる。悠真は、凪を見たまま言う。「まだ、話終わってない。」その一言で、凪の心は、また大きく揺れ始める。夕方の光が、三人の影を、長く廊下に伸ばしていた。
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――逃げるなよ。……逃げてないよ。

廊下の窓から、やわらかな夕方の光が差し込んでいた。凪は、まだ立ち止まったままだった。悠真の言葉が、胸の奥で何度も響く。――逃げるなよ。その一言が、思っていたよりずっと重い。逃げているつもりなんて、なかった。ただ。どう考えても。陽菜のほうが、いいと思っただけ。凪は、小さく息を吐く。「……逃げてないよ。」そう言ったけれど、自分でも、声が少し震えているのがわかった。悠真は、何も言わない。ただ、凪を見ている。その視線が、苦しい。やさしいから。まっすぐだから。凪は、ゆっくり言葉を探す。「悠真はさ。」少しだけ笑う。でも、その笑顔はうまく作れない。「陽菜といると、楽しそうだよ。」悠真の眉が、少し動く。「見ててわかる。」凪は、窓の外を見る。校庭は、もう少しずつ暗くなり始めている。「陽菜は明るいし。」「誰とでも自然に話せるし。」「……みんな、好きになると思う。」そこまで言って、凪は言葉を止める。本当は、ここから先を言うつもりだった。――だから。わたしは。でも。その瞬間。悠真が、静かに言う。「それで?」凪は、少し驚いて顔を上げる。悠真の目は、まっすぐだった。「それで、凪はどうしたいの。」その問いに、凪の胸が大きく揺れる。どうしたいの。そんなこと。本当は、ずっと前から決まっている。でも。それを言ってしまったら、全部終わってしまう気がした。夕方の光が、赤いリボンを、やわらかく照らしている。凪は、そのリボンをぎゅっと握る。そして、ゆっくり息を吸う。――言わなきゃ。その言葉が、もうすぐ、口からこぼれそうだった。
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――どう考えても、陽菜のほうが・・・

廊下の窓から、夕方の光が長く差し込んでいた。教室の床に、細い光の線がのびている。凪は、その光の中をゆっくり歩く。さっき更衣室で見た自分の顔が、まだ頭に残っている。普通。それだけ。でも。悠真は、そんな自分のことをどう思っているんだろう。ふと、後ろから声がする。「凪。」振り向く。悠真だった。窓の光を背にして立っている。凪は、少しだけ笑う。「どうしたの?」悠真は、少し困ったような顔をする。「さっきから、なんか変だろ。」その言葉に、胸がきゅっとする。やっぱり。気づいている。凪は、少し目をそらす。「そんなことないよ。」でも、声は少しだけ弱い。悠真は、少しだけ近づく。廊下の光が、二人の間に落ちる。「ある。」はっきり言う。「凪、今日ずっと変だ。」凪は、何も言えない。言ったら、全部こぼれてしまいそうだった。好き。でも。それ以上に、胸の奥にある言葉。――どう考えても。陽菜のほうが。その瞬間、階段のほうから、女子の声が聞こえる。陽菜だった。友達と話しながら笑っている。その笑顔が、廊下にふっと広がる。凪は、そちらを見てしまう。そして、悠真も、同じ方向を見る。ほんの一瞬。でも、その一瞬が、凪の心を大きく揺らす。胸の奥で、何かがゆっくり決まっていく。――やっぱり。わたしは、その言葉が、もうすぐ口から出そうになっていた。でも、その前に、悠真が、静かに言う。「凪。」凪は、顔を上げる。悠真の目は、まっすぐだった。「逃げるなよ。」その一言で、凪の心は、また大きく揺れ始める。
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どう考えても・・・

理科室の空気は、少しだけやわらいでいた。器具はほとんど片づき、机の上には、まだ温度の残った実験の気配だけがある。陽菜は、最後のスポイトを棚に戻す。「これで全部かな。」そう言って振り返ると、悠真がうなずく。「たぶん。」そのやり取りは、特別なものじゃない。でも、どこか自然で、すっと空気に溶ける。凪はノートを閉じる。紙の擦れる音が、やけに小さく聞こえる。悠真がふと、凪を見る。「凪、まとめ助かった。」短い言葉。やさしい声。凪は、少しだけ顔を上げる。「うん。」それだけ返す。もっと何か言えた気がする。でも、言葉はそこまでだった。陽菜が笑う。「ほんと、凪って字きれいだよね。」まっすぐな言葉。悪気なんて、ひとつもない。それが、いちばん胸に残る。理科室の窓から、昼の光が入る。まだ、明るい。なのに。凪の胸の奥では、ゆっくりと影が伸びていく。どう考えても。その言葉が、また浮かぶ。どう考えても――陽菜のほうが、悠真の隣に似合う。そんな考えをしてしまう自分が、少し嫌になる。悠真が、もう一度だけ凪を見る。何か言いかけて、でも、やめる。その一瞬を、凪は見逃さなかった。気づいてほしいのか。それとも、気づかれたくないのか。自分でもわからない。理科室の時計が、静かに秒を刻んでいる。同じ机。同じ時間。なのに。凪の心だけが、ほんの少しだけ、遠くへ行き始めていた。まだ、誰も気づかない距離。でも。その距離は、確かに、ここにある。
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言えない言葉のほうが、ずっと多い。

理科室の空気は、まだ静かだった。水道の音が、奥のほうで小さく響く。悠真が、流し台でビーカーを洗っている。蛇口の水が、ガラスに当たってやさしく跳ねる。陽菜は、スポイトを一本ずつ水で流している。「これ、乾かすところどこだっけ?」「そこ。」悠真が顎で指す。ほんの少しの会話。自然な距離。凪は、ノートを閉じる。ページの中には、細胞の図。きれいに書けている。でも。その“きれい”は、誰の記憶にも残らない気がした。陽菜は、試験管を棚に戻す。動きが軽い。迷いがない。理科室の空気に、すっと溶けている。「今日の実験、面白かったね。」悠真が言う。「うん。」陽菜が笑う。「顕微鏡って、ずっと見てられる。」その笑顔は、明るい。でも派手じゃない。ただ、自然。凪は思う。どう考えても。陽菜のほうが――その言葉が、胸の奥でまた形になる。悠真が、ふと凪を見る。「凪、どうだった?」声はやさしい。ちゃんと、聞いてくれている。「……うん。」凪はうなずく。「面白かった。」それは、本当。でも。言えない言葉のほうが、ずっと多い。三人は、同じ机にいる。同じ時間。同じ実験。それなのに。凪の胸の奥では、少しずつ、何かが静かに崩れていく。理科室の窓から、やわらかい光が入る。昼の光。でも凪の中では、まだ名前のない小さな“たそがれ”が、ゆっくりと始まっていた。
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“ちゃんとする”って、どうすることなんだろう。

理科室の前には、すでに列ができていた。陽菜が振り向く。「はやく、遅れちゃうよ?」凪は、歩き出す。悠真は、その一歩後ろ。三人で、理科室へ入る。実験台は四人一組。班は、固定のまま。——昨日と同じ。凪はほっとする。少なくとも、今日は“偶然”に裏切られない。でも。顕微鏡を準備する間、陽菜は自然に悠真の隣に立つ。自然すぎる距離。凪は、向かい側に立つ。触れない距離。先生の声が響く。「今日は細胞分裂を観察します。」光が落ちる。理科室は、少し暗くなる。顕微鏡の光だけが、机を照らす。陽菜が、嬉しそうに言う。「見えた!すごい。」悠真が、のぞき込む。肩が、少しだけ触れそうになる。凪は、目を伏せる。逃げない、って言ったのに。逃げられない距離が、ここにある。ふいに。悠真が、顔を上げる。凪を見る。ほんの一瞬。言葉はない。でも。“ちゃんとする”って、どうすることなんだろう。凪は、自分の顕微鏡をのぞく。ピントを合わせる。細胞が、ゆっくり分かれていく。ひとつが、ふたつに。きれいに、分かれていく。胸の奥が、少しだけ痛む。分かれるって、こういうこと?理科室の静けさの中で、赤いリボンが、わずかに揺れた。ほどけない。まだ。
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凪、最近ちょっと静かじゃない?

土曜日の教室は、どこか気が抜けている。授業は半分。空気も半分。凪は窓の外を見ていた。悠真は、少し離れた席で笑っている。陽菜の声も、混ざっている。それだけのこと。でも。胸の奥が、きゅっと狭くなる。「今日、帰る?」悠真の声。凪は、一瞬だけ目を伏せた。「……うん」並んで歩く。土曜の帰り道は、人が少ない。足音が、やけに響く。「昨日、ごめんね。」突然の言葉。凪の心臓が跳ねる。「寝落ちしてた。」軽く笑う悠真。悪気はない。わかってる。「ううん、大丈夫。」凪は、いつもの声を出す。でも。(大丈夫じゃなかった)その言葉は、喉の奥で消える。しばらく沈黙。夕方の空が、少しだけ曇る。「凪、最近ちょっと静かじゃない?」何気ない一言。でも、それが刺さる。“気づいてるんだ”でも。“わかってない”凪は、笑う。「そう?」それだけ。悠真は、それ以上踏み込まない。踏み込めない。踏み込む資格があるのか、わからないから。「じゃあ、また月曜。」月曜。たった二日なのに、遠い。「うん。」凪はうなずく。悠真は振り返らない。いつも通り。でも今日は、その背中が、少しだけ遠かった。帰り道。凪は、ポケットの中で拳を握る。“好き”が、こんなに静かに削れていくなんて。泣かない。叫ばない。でも、苦しい。空を見上げる。曇り空の向こうに、薄い光。“このまま、離れていくのかな。”初めて、その言葉が胸をよぎった。
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好きだから、 苦しい

凪は、部屋の灯りをつけないまま、スマホを握りしめていた。送った「私も」の文字が、画面の中で小さく光っている。既読は、まだつかない。(……寝ちゃったのかな)そう思った瞬間、胸の奥が、ひゅっと冷える。昨日も、今日も、「また話そう」と言ったのは悠真なのに。期待してしまう自分が、ばかみたいに思えてくる。時計の秒針が、静かに進む。部屋の中は、夕暮れから夜へと、ゆっくり色を変えていく。やがて——ピコン、と小さな通知音。心臓が跳ねる。『ごめん、さっき寝落ちしてた』その一文を見た瞬間、凪の呼吸が止まる。寝落ち。悪気はない。わかっている。でも。(私の「私も」は…… そのまま置いていかれたんだ)指先が、冷たくなる。続けて、もう一通。『最近ちょっと疲れててさ』言い訳ではない。正直な言葉。だからこそ、凪は何も責められない。「大丈夫だよ」そう打ちかけて、消す。本当は、「少しだけ寂しかった」そう言いたい。でも。重くなりたくない。迷惑になりたくない。凪は、深く息を吸う。『そっか。無理しないでね』それだけ送る。送信ボタンを押したあと、胸の奥に、じわっと熱が広がる。やさしい言葉を選んだのに、なぜか涙がにじむ。好きだから、優しくできる。でも。好きだから、苦しい。スマホを胸に抱き寄せて、凪は目を閉じる。暗い部屋の中、赤いリボンが、かすかに揺れた。この恋は、まだ終わっていない。けれど、凪の中で、何かが少しだけ、傷ついた夜だった。
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私は待つだけの恋はしないよ

夕暮れの廊下に、沈黙が重く落ちていた。凪の胸はまだ、告白の余韻で震えている。(言っちゃった……)悠真の目をまっすぐ見て、想いを伝えてしまった。後悔はない。でも、怖かった。悠真はしばらく黙ったまま、二人を交互に見つめていた。「……急にこんなことになって、ごめん」小さくつぶやく。「でも、ちゃんと考えたい」陽菜が一歩近づく。「悠真くん」その声はやさしいけれど、真剣だった。「考える時間はあげる。でもね……」一瞬、言葉を選ぶように唇を噛む。「私は待つだけの恋はしないよ」凪の胸がぎゅっと締めつけられる。(陽菜ちゃん……強い)悠真は驚いたように目を見開いた。「陽菜……」「好きだからこそ、動くの」そう言って、少し照れた笑顔を見せる。「悠真くんと、もっと一緒にいたい」その宣言に、空気が一気に熱を帯びた。凪は思わず手を握りしめる。(負けたくない……)でも、どう動けばいいかわからない。悠真は苦しそうに眉を寄せた。「二人とも……」声が震えている。「俺は、誰かを選ぶってこんなに怖いって知らなかった」その正直さが、余計に胸を締めつける。陽菜は少しだけ黙り、それから静かに言った。「じゃあさ」凪と悠真を見る。「明日、放課後」凪の心臓が跳ねる。「悠真くん、私と二人で帰ろう」突然の誘い。悠真は固まる。凪の息が止まりそうになる。(え……)陽菜は凪に向かって続けた。「その次の日は、凪ちゃんと帰って」凪の目が大きく開く。「それで……悠真くんがどんな気持ちになるか、     自分で感じて決めて」大胆だけど、どこまでも正直な提案。悠真はしばらく考え込んでから、ゆっくりうなずいた。「……わかった」その一言に、凪の胸がドクンと
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誰も悪くないのに、誰かが必ず苦しくなる空気

夕焼けがゆっくりと夜の色に変わりはじめていた。廊下には、三人の足音だけが響いている。誰も口を開かない。さっきの「正々堂々勝負しよ?」という陽菜の言葉が、凪の胸の中で何度も繰り返されていた。(勝負……)そんなふうに思ったことなんて、なかった。ただ静かに、悠真のそばにいられればそれでよかったのに。悠真がふいに立ち止まる。「……二人とも」凪と陽菜が同時に顔を上げる。「俺、誰かを傷つけたいわけじゃない」真剣な声。「でも……気持ちをごまかすのも嫌だ」凪の心臓が大きく跳ねる。陽菜も息をのむ。悠真は少しだけ視線を落とし、それから凪を見る。「凪といると、落ち着くんだ」その一言に、胸がいっぱいになる。でもすぐに、悠真は陽菜の方を見る。「陽菜のまっすぐさも、すごく大切に思ってる」陽菜の唇が、わずかに震えた。「悠真くん……」沈黙。誰も悪くないのに、誰かが必ず苦しくなる空気。凪は勇気を振り絞って口を開いた。「悠真……」声が小さく震える。「わたし、悠真のこと……」言いかけて、言葉が詰まる。怖かった。ここで言ってしまったら、もう今までには戻れなくなる気がして。その瞬間、陽菜が一歩前に出た。「凪ちゃん」やさしい声。「無理しなくていいよ。でもね……」少し照れたように笑って続ける。「私、悠真くんのこと、本気で好きだから」まっすぐな宣言。胸がぎゅっと締めつけられる。悠真は驚いたように目を見開いた。「陽菜……」「だから遠慮しないよ」陽菜はそう言って凪を見る。「凪ちゃんも、遠慮しないで」その言葉が、凪の心を強く揺らした。(遠慮しないで……)ずっと遠慮してきた。想いを胸にしまい込んで、静かにそばにいるだけで満足していた
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昨日止まった時間が、また動き出そうとしていた

悠真は、凪の机の横に立ったまま、ほんの一瞬だけ迷うように視線を落とした。そして、静かに口を開く。「……昨日」その一言に、凪の指先がピクリと動く。周囲にはクラスメイトの話し声。なのに、二人の間だけ音が遠い。「ありがとう」それだけ。短い言葉なのに、胸の奥にまっすぐ届く。凪はゆっくり頷いた。「うん……」一瞬、沈黙。そのとき――「おーい悠真!」後ろから友達の声が飛ぶ。悠真は振り返り、軽く手を上げる。「すぐ行く」そして、もう一度凪を見る。少しだけ近づいて、声を落とす。「放課後、昨日の橋で待ってる」凪の心臓が一気に跳ねる。——昨日の続き。——逃げられない続き。「……わかった」その返事を聞いて、悠真は安心したように小さく笑った。その笑顔が、凪の胸をぎゅっと締めつける。悠真が去ったあとも、凪はしばらく動けなかった。周りのざわめきが戻ってきても、心だけは夕焼けの橋に飛んでいた。——今度こそ、何かが変わる。そんな予感が、はっきりとあった。恋は、静かに始まるものだと思っていた。でも本当は、静かに、そして確実に一歩ずつ踏み込んでくるものだった。放課後のチャイムが鳴った瞬間、凪の胸が小さく跳ねた。教室が一気にざわつく。椅子を引く音。笑い声。部活へ向かう足音。その中で、凪は席を立ちながら、無意識に探していた。——悠真。窓の外に見える夕焼けが、もう昨日と同じ色に染まり始めている。すると、向こうから悠真が現れた。紺のブレザーに紺のズボン。無地の紺ネクタイ。いつも通りの姿なのに、今日はなぜか特別に見える。悠真は凪の前で立ち止まり、少しだけ視線を落とす。「……行こ」それだけ。なのに、凪は胸がいっぱいになる。二人は
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ああいう人が、悠真の隣にいたら、きっと・・・

体育の笛が、短く鳴る。女子が、ゆっくり動き始める。凪も、その列の中に入る。でも。胸の奥では、まださっきの光景が残っている。陽菜の笑顔。悠真の、やわらいだ表情。たったそれだけのことなのに。どうしてこんなに、胸が重くなるんだろう。女子の列が整う。先生が言う。「今日は軽くランニングからね。」グラウンドを、一周。みんなが走り出す。凪も走る。風が、頬を通り過ぎる。少しだけ、楽になる。でも。頭の中は、静かに同じことを繰り返している。――どう考えても。陽菜のほうが、似合う。走りながら、凪は前を見る。少し前を、陽菜が走っている。背中が軽い。足取りも、自然で。途中で振り返って、友達に笑いかける。その笑顔に、周りの空気がふっと明るくなる。凪は、思う。やっぱり。ああいう人が、悠真の隣にいたら、きっと。自然なんだろうな。体育が終わる。女子の更衣室は、少し騒がしい。凪は、ゆっくり制服に着替える。赤いリボンを結びながら、ふと、手が止まる。鏡の中の自分を見る。普通。ただ、それだけ。誰かを明るくするような笑顔も、自然に空気をやわらげる力も、きっと、ない。胸の奥で、その言葉がまた浮かぶ。――やっぱり。凪は、そっと目を閉じる。好きだから。好きだからこそ。その考えは、少しずつ形になっていく。放課後。廊下の窓から、夕方の光が入る。凪は、まだ知らない。この決意が、悠真の心を、大きく揺らすことになるなんて。そして。この恋が、ここから、静かに、大きく動き始めることを。
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どう考えても・・・

校庭には、春の風が流れていた。女子の列が、グラウンドの端に集まり始めている。凪は、フェンスのそばで足を止める。少し離れたところで、悠真も男子のほうへ歩こうとしていた。そのとき。凪の視線が、ふとグラウンドの向こうに向く。陽菜が、女子の友達と話している。何か言って、くすっと笑う。その笑顔につられて、周りの子たちも笑っている。凪は思う。やっぱり、明るい。無理をしている感じがない。ただそこにいるだけで、空気がやわらかくなる。そのとき。陽菜の視線が、ふっとこちらに向いた。悠真と目が合う。ほんの一瞬。陽菜は、小さく手を振る。呼ばない。ただ、それだけ。でも。悠真の表情が、少しだけやわらぐ。凪は、それを見てしまう。胸の奥が、きゅっとする。どうしてだろう。嫌なわけじゃない。むしろ、二人とも、いい人だと思う。でも。それでも。――どう考えても。その言葉が、また胸に浮かぶ。陽菜のほうが、明るくて、自然で、悠真の隣に似合う。凪は、そっと目をそらす。風が、制服のスカートを揺らす。体育の笛が鳴る。女子の列が動き始める。凪は、ゆっくり歩き出す。でも。胸の奥では、さっきよりもはっきりと、ひとつの考えが形になり始めていた。――やっぱり。わたしが、離れたほうがいい。まだ誰にも言わない。でも。その決意は、凪の心の中で、静かに、確かに、芽を出していた。
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この気持ちは、もう消えない気がした

校庭の風が、やわらかく吹いていた。グラウンドでは、もう体育の準備が始まっている。女子のグループの中で、陽菜が笑っているのが見えた。その笑い声は、ここまで届くような気がした。太陽の下で、陽菜はやっぱり明るかった。凪はフェンスのそばで立ち止まる。悠真も、少し遅れて足を止めた。「凪。」悠真の声。凪は顔を上げる。悠真は、少しだけ心配そうに見ている。「ほんとに大丈夫?」その言葉が、胸に落ちる。凪は、ほんの少しだけ笑う。「うん。」でも。その笑顔の奥で、もう一つの声が、静かに響いていた。――やっぱり。どう考えても。陽菜のほうが、似合う。あんなふうに笑える人が、悠真の隣には、きっといい。凪は、グラウンドを見る。陽菜が友達と走り出す。髪が風に揺れる。みんなの視線が自然に集まる。凪は思う。ああいう太陽みたいな人を、人は好きになるんだろうなって。凪は、そっと息を吸う。胸の奥で、静かに言葉が形になる。わたしが、引けばいい。まだ誰にも言わない。でも。この気持ちは、もう消えない気がした。悠真は、まだ気づいていない。凪の心の中で、小さな決意が、ゆっくり芽を出していることに。体育の笛が鳴る。グラウンドに声が広がる。凪は、ゆっくり歩き出す。その背中は、さっきより少しだけ、静かだった。
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どう考えても・・・

階段を下りると、校庭から春の風が流れ込んできた。体育の授業の声が、遠くで聞こえる。陽菜はもう、先にグラウンドへ向かっているはずだった。凪と悠真は、まだ体育館の前を歩いている。少しだけ、静かな道。悠真が言う。「さっきさ。」凪は顔を上げる。「理科のとき。」言葉が少しだけ止まる。「元気なかった?」凪の胸が、少しだけ強く鳴る。気づいてほしくなかった。でも。気づいてほしかった。そんな気持ちが、胸の奥で混ざる。「……そんなことないよ。」凪は言う。でも。その声は、ほんの少しだけ小さい。悠真は、少しだけ眉を寄せる。「そっか。」それ以上は、聞かない。それが、悠真のやさしさだった。でも。凪の胸の奥では、別の言葉が、ゆっくり形になっていく。どう考えても――陽菜のほうが、明るくて、かわいくて、悠真の隣に似合う。自分より、ずっと。凪は、グラウンドを見る。陽菜が、クラスの女子と笑っている。風に髪が揺れる。その姿は、遠くからでも目立つ。太陽みたいだと思った。自分とは、違う。凪は、胸の奥で静かに思う。――やっぱり。その言葉が、心の中に落ちてくる。好きだから。好きだからこそ。邪魔になりたくない。悠真の時間を、曇らせたくない。凪は、小さく息を吸う。そして、誰にも聞こえないくらいの声で思う。――わたしが、引けばいい。まだ、言わない。でも。その決意は、凪の胸の奥で、静かに、確かに、形になり始めていた。悠真は、まだ気づかない。凪が、少しずつ、離れようとしていることに。
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好きでいることが、少しだけ、苦しくなる。

先生の声が遠くで響いている。「観察できた班から、考察を書いていってください。」ペンが紙の上を走る音。凪は、静かに書く。字は整っている。乱れない。感情と違って。「ここ、どう書く?」陽菜が悠真に小さく尋ねる。「えっと……」悠真が考える。「分裂の段階で、核が――」ふたりの声は、低く、近い。凪は、書きながら聞いてしまう。聞かなくていいのに。陽菜は、うなずきながらメモをとる。「なるほどね。じゃあ、こうかな。」さらりとまとめる。自然に。凪は思う。わたしは、まとめる前に、迷う。言葉を選びすぎる。空気を気にしすぎる。陽菜は、まっすぐ。悠真は、そのまっすぐさを見ている。その目は、やさしい。凪は、胸の奥が少しだけ冷えるのを感じる。どうして。どうして、比べるんだろう。比べたくないのに。「凪、ここどう思う?」ふいに、悠真の声。顔を上げる。視線が、ちゃんと向いている。「え……」言葉が、一瞬遅れる。「いいと思う。」それだけ。もっと何か言えたはずなのに。陽菜が笑う。「凪、ほんと冷静だよね。」褒めている。ちゃんと。でも。凪の胸は、なぜか少し痛む。冷静。それは、明るくない、ということ。場を変えない、ということ。実験は、まだ終わらない。光は変わらない。三人は同じ机にいる。でも。凪の中で、“どう考えても”が、また一枚重なる。好きでいることが、少しだけ、苦しくなる。
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でも、それが一番ずるい気がする

悠真の指が、空をつかんだまま止まっている。触れなかった。触れなかったことが、何よりも重い。凪は、一歩下がったまま、視線を逸らさない。「……ごめん。」また、同じ言葉。謝られるたびに、胸が少しずつ削れていく。「俺、ちゃんとするって言ったけどさ。」悠真は、苦く笑う。「ちゃんとって、誰かを傷つけないことだよな。」凪の喉が、ひりつく。陽菜の笑顔が浮かぶ。明るくて、まっすぐで、何も悪くない子。凪も、何も悪くない。悠真も。それなのに。「俺、凪といると、楽なんだ。」その言葉は、刃だった。やさしい刃。「でも、それが一番ずるい気がする。」教室の空気が、静かに沈む。凪は、やっと笑った。ほんの少しだけ。「楽、って……いいことじゃないの?」声が震えないように、ゆっくり言う。悠真は、首を振る。「誰かが傷つくなら、楽って言っちゃだめだろ。」凪の胸が、ぎゅっと締まる。やっぱり。選ばなきゃいけないんだ。選ばれるか、選ばれないか。その間にいる時間は、長くは続かない。廊下の向こうで、また陽菜の声。今度は少し、不安そうな響き。「ゆうま……?」悠真は目を閉じる。一瞬。そして、凪を見る。「待ってて、って言ったら……」言葉が、途切れる。凪は、首を振った。「言わないで。」それを言われたら、動けなくなる。「ちゃんと、して。」やさしく、でも逃げない声。悠真の瞳が揺れる。やっと、指が下がる。距離が、戻る。でも。目だけは、離れない。「……わかった。」低い声。その“わかった”が、何を意味するのかは、まだわからない。凪は先に歩き出す。背中に、視線を感じる。振り返らない。振り返ったら、きっと、全部、壊れる。赤いリボンが、そっと揺れる。ほど
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ちゃんと、って……何だろうな。

悠真の指が、ほんの一瞬だけ動いた。凪の胸元——赤いリボンに、触れそうで、触れない距離。教室には、まだ誰も戻っていない。廊下のざわめきだけが遠い。凪は、視線を逸らさなかった。逸らしたら、終わる気がした。「……ごめん。」悠真の声は低く、かすれていた。何に対しての謝罪なのか、凪にはわからない。昨日のこと。陽菜のこと。それとも、自分の曖昧さに?「俺、ちゃんとするって言ったけどさ。」目が揺れる。悠真は、凪を見る。逃げない目。「ちゃんと、って……何だろうな。」その言葉は、独り言みたいだった。凪の胸が、ぎゅっと締まる。“わたしがいなければ”その考えが、また浮かぶ。でも。悠真の目は、昨日と同じだった。探している目。凪を。「凪はさ。」名前を呼ばれる。それだけで、心臓が跳ねる。「……行くなよ。」また、同じ言葉。今度は、はっきり。凪の指先が震える。好きだから。好きだから、逃げたい。好きだから、離れられない。「わたしは……」声が出ない。赤いリボンが、微かに揺れる。窓から入る光が、やわらかく触れる。そのとき。廊下から、陽菜の声。「ゆうまー?まだー?」空気が、戻る。悠真は目を閉じる。ほんの一瞬。そして、凪を見る。今度は、迷いが混じっている。選ばなければいけないことを、わかっている目。凪は、笑った。ほんの、少しだけ。「行って。」言葉は軽い。でも、胸の奥は、重い。悠真は、動かない。動けない。その沈黙が、いちばん甘くて、いちばん苦しい。次に動いたのは——凪だった。一歩、下がる。距離が、戻る。でも。悠真の指は、まだ、空を掴んでいた。
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……凪といる時間、当たり前みたいになってた。

月曜の帰り道。曇り空の下、二人の足音だけが並んでいる。少し近い。昨日より、半歩だけ。でも、触れない。凪は、自分の手をぎゅっと握った。触れたいわけじゃない。……少しだけ、触れたい。でも、いま触れたら、何かが変わってしまいそうで。「凪さ。」悠真が、前を向いたまま言う。「この前さ、寂しかったって言っただろ。」心臓が跳ねる。凪は、うなずく。「俺、ちゃんと考えた。」その言葉が、静かに落ちる。曇り空の下なのに、胸の奥だけ、少し明るくなる。「俺はさ……」そこで、言葉が止まる。風が吹く。赤いリボンが揺れる。「……凪といる時間、当たり前みたいになってた。」凪は、息を止める。「当たり前じゃないのに。」その一言が、やさしく、でも確かに響く。触れない。でも、距離が近い。沈黙が、さっきより温かい。「俺、ちゃんと向き合うから。」何に、とは言わない。でも、わかる。凪の胸が、じわっと熱くなる。まだ、約束じゃない。まだ、確信じゃない。でも。期待が、芽を出す。「じゃあ、また明日。」その「明日」が、前より少しだけ、楽しみになる。悠真が振り返る。ほんの一瞬だけ、目が合う。その視線に、“選ばれたい”という願いが、滲む。凪は、小さく笑う。不安は消えていない。陽菜の存在も、消えていない。それでも。この恋は、まだ終わらない。むしろ——ここからかもしれない。
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……ちょっとだけ、寂しかった。

月曜の朝。教室のざわめきが、少しだけ遠く聞こえる。凪は、自分の席に座ったまま、悠真の姿を視界の端で探していた。いる。いつもと同じ場所。いつもと同じ横顔。それだけで、少しだけ胸が温かくなる。(やっぱり、好きなんだ)苦しいのに。不安なのに。それでも、好きは消えない。休み時間。悠真が、凪の机の前に立った。「おはよ。」短い声。でも、目がまっすぐだった。凪の心臓が、ひとつ跳ねる。「……おはよ。」一瞬だけ、視線が絡む。その瞬間、昨日までの距離が、少しだけ縮む。悠真が、ぽつりとつぶやく。「昨日、なんか変だったよ。」凪は、息を止める。言葉にするのは、怖い。でも。逃げ続けたら、本当に遠くなってしまう気がして。「……ちょっとだけ、寂しかった。」小さな声。ほとんど、風に消えそうな声。でも、悠真には届いた。少し驚いた顔をして、それから、やわらかく笑う。「そっか。」それだけ。言い訳も、否定も、しない。「ごめん。」その一言が、胸に落ちる。凪は、泣きそうになる。泣かないけど。“ちゃんと、届いた”それがうれしい。昼休み。陽菜が、無邪気に笑っている。その声は、相変わらず明るい。でも、今日は少し違う。凪は、逃げなかった。悠真の隣に立つことも、目を合わせることも、やめなかった。好きでいることを、隠さなかった。それだけで、少しだけ、強くなれた気がした。放課後。帰り道。二人の距離は、昨日より近い。触れない。でも、近い。「凪。」「なに?」「俺さ、ちゃんと考える。」何を、とは言わない。でも、わかる。凪は、小さくうなずく。空は、まだ曇っている。でも。その向こうに、薄い光が見えた気がした。甘い。でも、まだ不安。それが、この恋。
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好きでいるだけなのに。どうして、こんなに苦しいんだろう

日曜の夜。凪は、ベッドに横になったまま、天井を見つめていた。昨日、並んで歩いた帰り道。距離は、たぶん変わっていなかった。でも。心の中では、確実に何かがずれていた。「最近ちょっと静かじゃない?」あの一言が、まだ残っている。気づいてる。でも、わかってない。それがいちばん苦しい。スマホの画面を開く。悠真とのトーク。昨日の「また月曜な」で止まっている。送ろうと思えば、送れる。「今なにしてる?」「明日さ」「おやすみ」でも。送ったら、何かが壊れそうで。“好き”が、軽く扱われてしまいそうで。凪は、画面を閉じる。同じ時間。悠真は、何度か凪のトーク画面を開いていた。何か言うべきか。いや、別に変なことは起きていない。ただ、“昨日の帰り道の沈黙”それが、妙に引っかかっている。でも。言葉にするほどの理由が、ない。だから、何も送らない。沈黙が、二人のあいだに横たわる。喧嘩もしていない。傷つける言葉もない。それなのに。距離だけが、ゆっくり広がっていく。凪は、目を閉じる。“もし、わたしがいなくなったら”悠真は、気づくだろうか。それとも。そのまま、日常は続いていくのだろうか。胸の奥が、ひりっとする。好きでいるだけなのに。どうして、こんなに苦しいんだろう。夜が、静かに更けていく。月曜が、近づいてくる。何も起きていない。でも。何かが、確実に変わり始めている。凪は、その予感だけを抱いて、眠れないまま目を閉じた。
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ねえ悠真くん、今度テスト終わったら一緒に帰らない?

夕焼けが沈み、教室には薄いオレンジ色の影が伸びていた。三人で並んだ机の上には、開いたノートと消しゴム。静かな時間のはずなのに、凪の心臓だけがやけに大きく鳴っている。「ここさ、この公式使うんだよ」悠真がそう言ってペン先を動かす。「へぇ〜!さすが悠真くん!」陽菜は目を輝かせて身を乗り出した。その拍子に、陽菜の肩が悠真の腕に軽く触れる。ほんの一瞬。でも、凪にははっきり見えた。悠真が少しだけ驚いて、でも離れなかったこと。胸が、ぎゅっと締めつけられる。(近い……)陽菜は気にした様子もなく、楽しそうに笑う。「悠真くんと勉強すると分かりやすいんだよね。    凪ちゃんもそう思わない?」突然振られて、凪はびくっとした。「え……う、うん」声が少し震えてしまう。悠真が心配そうに凪を見る。「大丈夫?」「うん、大丈夫だよ」そう言いながら、目をそらした。本当は全然大丈夫じゃない。陽菜はくるっと悠真の方を向いた。「ねえ悠真くん、   今度テスト終わったら一緒に帰らない?」凪の心臓が止まりそうになる。教室の空気が一瞬固まった。悠真は少し驚いた顔をして、それから困ったように笑った。「えっと……」その沈黙が、やけに長く感じる。凪は息をひそめて答えを待った。陽菜の瞳はまっすぐで、真剣だった。「私ね、悠真くんともっと話したいんだ」素直な気持ち。逃げ場のない空気。悠真はゆっくりと口を開く。「……ごめん」凪の胸が跳ねる。「約束があるんだ」「約束?」陽菜が聞き返す。悠真はちらっと凪を見る。「凪と、一緒に帰るって決めてる」その言葉に、凪の目が大きく見開かれた。陽菜は一瞬驚いたあと、少しだけ寂しそうに笑った。「そっか……そり
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この時間が続くほど……きっと苦しくなる

夕焼けの光が、教室の床をゆっくりと染めていく。窓際の席で、凪はノートを閉じたまま、外を見つめていた。背後から聞こえる、明るい声。「悠真くん、この問題さ……    ちょっと教えてほしいんだけど」振り向かなくてもわかる。その声の主は、クラスの人気者——陽菜(ひな)だった。悠真は少し困ったように笑いながら、それでも丁寧に椅子を引いた。「うん、どこ?」その声は、いつもと同じ。誰に対しても変わらない、誠実で優しい声。それが、凪には苦しかった。鉛筆が紙の上を走る音。二人の距離が、ほんの少し近づく。凪の胸が、きゅっと締めつけられる。(悠真は、悪くない)わかっている。悠真は誰かを選ぼうとしているわけじゃない。ただ、優しいだけ。陽菜は楽しそうに悠真の顔を見上げた。「悠真くんってさ、本当に優しいよね」「……そんなことないよ」「あるよ。クラスのみんなそう思ってるもん」照れたように視線をそらす悠真。その仕草ひとつで、凪の心は揺れた。(わたしは……どうしたらいいんだろう)声をかけたい。そばに行きたい。いつものように笑いたい。でも、足が動かない。この距離が壊れてしまいそうで。悠真が、遠くへ行ってしまいそうで。そのとき——悠真がふと、こちらを振り返った。夕焼けの中で、凪と目が合う。「……凪」小さく呼ばれた名前。それだけで、胸が熱くなる。陽菜も気づいて振り返り、にこっと笑った。「凪ちゃんも一緒に勉強しよ?」その笑顔は本当にやさしくて、嫌なところなんてひとつもない。だからこそ、凪は断れなかった。その瞬間、悠真がそっと凪の方へ近づく。「無理しなくていいよ」低く、穏やかな声。「凪が嫌なら、今日はやめよう」凪は驚いて
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恋は、誰も悪くなくても、 苦しくなるものなんだと知った

昼休みの教室は、いつもよりにぎやかだった。悠真の席のまわりに、自然と人が集まっている。その中心にいるのは、さっきから何度も見かける、あの女の子。明るい笑顔で、誰の話にもちゃんと頷いて、場の空気をふわっと明るくする。「悠真くんってさ、ほんと優しいよね」その言葉に、周りの子たちも笑う。「わかる〜」「困ってるとすぐ助けてくれるもんね」悠真は少し照れたように、「そんなことないよ」と首を振る。その様子が、なんだか微笑ましくて。凪は遠くの席から、その光景を見ていた。胸が、ちくりと痛む。——あの子、いい子だ。かわいいし、明るいし、悠真の良さをちゃんとわかっている。誰かを悪く言うこともなく、ただ純粋に悠真を慕っている感じが伝わってくる。だからこそ。凪の心は、余計に揺れた。——私より、あの子のほうが似合ってる。——悠真も、きっと楽しいよね。そのとき、女の子がふとこちらに気づいて、凪ににっこり笑いかけた。敵意なんて、まったくない笑顔。むしろ、「一緒に話そうよ」とでも言いたそうな、やさしい表情。凪は思わず、小さく会釈を返す。胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。——いい子すぎる。だから、奪いたくない。でも、失いたくもない。放課後。悠真は凪の隣を歩きながら、少し考え込んだように言った。「今日さ……」凪は心臓が跳ねる。「クラスの子たち、騒がしくてごめん」「迷惑じゃなかった?」凪は首を振る。「ううん……」迷惑なんかじゃない。ただ、少しだけ怖かっただけ。悠真は続ける。「あの子、明るくていい子だよな」その言葉が、凪の胸に静かに落ちる。——やっぱり、悠真もそう思ってる。「みんなに好かれるの、わかる」凪は無理に笑う。
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なのに、昨日までとは違う重さ

朝の光が、カーテンの隙間から差し込んだ。凪は目を開けて、一瞬だけ昨夜のことが夢だった気がして、すぐにスマートフォンを探す。画面をつけると、一番上に残っているメッセージ。「また明日」胸が、ふわっと軽くなる。——夢じゃなかった。布団から起き上がり、制服に着替えながら、鏡に映る自分を見る。いつもと同じ顔。なのに、目だけが少し違う。期待している目。学校へ向かう道は、昨日より少しだけ明るく見えた。教室に入ると、ざわざわとした朝の空気。凪は自分の席へ向かいながら、無意識に探してしまう。——悠真。いた。窓側の席で、いつも通りノートを広げている。その瞬間、悠真が顔を上げた。目が合う。ほんの一秒。なのに、昨日までとは違う重さ。逸らしたのは、ほぼ同時だった。心臓の音がうるさい。席に座っても、視線が気になって仕方ない。すると、机の上に影が落ちた。「……おはよう」悠真の声。凪はゆっくり顔を上げる。近い。昨日より、近い。「お、おはよう」短い挨拶。それだけなのに、空気が甘い。「昨日さ……」言いかけて、悠真が止まる。周りにはクラスメイト。少し気まずそうに、それでも笑う。「放課後、ちょっと話せる?」凪の胸が跳ねる。昨日の続き。今度は、逃げ場のない続き。「……うん」その返事を聞いて、悠真は安心したように小さく息を吐いた。そして自分の席へ戻っていく。凪はしばらく動けなかった。——なにを話すの?——また、近づくの?でも不安より、楽しみの方が大きかった。恋はもう、静かなだけじゃない。ちゃんと動き出していた。
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もう、逃げられない

スマートフォンを胸に抱いたまま、凪はベッドにごろんと横になる。天井を見つめると、さっきまで普通だった部屋が、少しだけ違って見えた。嬉しかった。たった一言。それだけなのに、心の奥がずっと温かい。画面をもう一度開く。新しい通知は、まだ来ていない。なのに、来そうな気がしてしまう。その予感だけで、胸がきゅっとなる。「……ばか」小さく呟いて、枕に顔を埋める。橋の上で近づいた距離。カフェで向かい合った時間。駅前で交わした約束みたいな言葉。全部が、ちゃんとつながっている気がした。スマートフォンが、また震える。今度は短く、軽く。画面に浮かんだのは――おやすみ。また明日。その一行に、凪の心臓が一気に跳ねる。ゆっくり、指を動かす。おやすみ。また明日ね。送信。既読がつくのは、ほんの一瞬だった。凪は思わず笑ってしまう。もう、逃げられない。でもそれが、嫌じゃなかった。布団をかぶって目を閉じる。夜は静か。なのに胸だけが騒がしい。恋は、音を立てずに始まるものだと思っていた。でも本当は、こんなふうに――静かに、でも確実に、心を占領していくものなんだ。凪はそのまま、小さな幸せを抱えたまま眠りについた。明日が来るのが、少しだけ楽しみで。
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気づいてほしいのに。気づかれたくない。

「あと五分で片づけてください。」先生の声が、少しだけ現実に引き戻す。陽菜が、顔を上げる。「早いね。」明るい声。そのまま、自然に器具をまとめ始める。「スポイト洗うね。」迷わない。悠真がビーカーを持つ。「これ、流してくる。」流し台のほうへ歩く。凪は、スライドガラスをそっと拭く。手元は丁寧。でも、どこか遠い。陽菜が、ふと凪を見る。「さっきの考察、すごく分かりやすかったよ。」やわらかい声。本気だ。「ありがとう。」凪は、少し笑う。ちゃんと笑えているか、自信はない。悠真が戻ってくる。「陽菜、これでいい?」名前を、自然に呼ぶ。凪は、その呼び方に、少しだけ胸が締まる。自分の名前は、少し慎重に呼ばれる気がする。それは、優しさかもしれない。でも。距離でもある。実験が終わる。顕微鏡の光が、ひとつずつ消える。理科室の明るさが戻る。三人は、同じ机に立っている。同じ空間。同じ時間。なのに。凪の中だけが、少しずつ沈んでいく。陽菜は、誰の隣にいても自然だ。明るい。やさしい。空気を変える。わたしは。どう考えても。その言葉が、また静かに重なる。悠真が、凪を一瞬見る。言いたいことがありそうで、でも言わない。凪は、視線をそらす。気づいてほしいのに。気づかれたくない。理科室の扉が開く。まだ昼の光。でも凪の中では、たそがれが、ほんの少しだけ始まっていた。
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“悠真は悪くないよ” “わたしが勝手に好きなだけ”

翌日。昼休みの教室は、いつもより静かだった。悠真は窓側の席で、ノートを開いている。陽菜は前の席で友達と笑っていた。凪は、自分の席からその様子を見ないようにしていた。“いないほうがいいのかな”昨日から、その言葉が消えない。チャイムが鳴る。次の授業は移動教室だった。みんなが立ち上がる中、凪はわざとゆっくり鞄を閉じる。そのとき。「凪。」低くて、少し迷いのある声。顔を上げると、悠真が立っていた。陽菜はもう廊下に出ている。教室には、ふたりだけ。「昨日さ。」それだけ言って、言葉が止まる。悠真は、目を伏せた。凪は、胸が痛くなる。また、飲み込むんだ。そう思った瞬間――「ごめん。」小さな声だった。凪は、息を止める。「ちゃんとしてないよな、俺。」ちゃんとしてない。それは、誰に対して?陽菜?凪?それとも――自分に?凪は、首を振りかけて、止める。本当は言いたい。“悠真は悪くないよ”“わたしが勝手に好きなだけ”でも。それを言ったら、全部、終わる気がした。沈黙が落ちる。廊下から、陽菜の明るい声が聞こえる。「ゆうまー!早くー!」悠真は、一瞬だけ凪を見る。その目は、昨日と同じだった。探している目。「……行くなよ。」かすれる声。凪の心臓が、強く跳ねる。「俺、ちゃんとするから。」ちゃんと。それが何かは、まだわからない。でも。凪は、小さくうなずいた。動けないはずの足が、今日は、少しだけ前に出た。ふたりで教室を出る。距離は、まだある。でも、昨日より、ほんの少しだけ。近い。
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私も……悠真くんが好き

夕焼けの廊下を歩きながら、凪は隣の悠真の気配を感じていた。いつもより近い距離。肩が触れそうで触れない、そのわずかな隙間。「……さっきのこと」悠真が静かに口を開いた。凪の心臓が跳ねる。「陽菜のこと、気にしてる?」図星だった。「う、ううん……」凪は小さく首を振った。でも、悠真は足を止めた。「凪」その呼び方が、いつもより真剣で。凪も思わず立ち止まる。夕焼けに染まる廊下で、悠真は凪の目をまっすぐ見つめた。「俺は、凪といる時間が好きだ」胸がぎゅっと締めつけられる。「陽菜はいい子だし、嫌いじゃない。でも……」一瞬、言葉を探すように視線を落とす。「凪とは、特別なんだ」その言葉に、凪の呼吸が止まりそうになる。(特別……)嬉しいのに、怖かった。この関係が変わってしまいそうで。そのとき——「悠真くーん!」廊下の向こうから、明るい声が響いた。振り向くと、息を切らした陽菜が立っていた。「忘れ物しちゃってさ!」陽菜は笑いながら近づいてくる。でも、その視線はしっかりと悠真を捉えていた。「さっきの約束、今度は絶対だからね」「……うん」悠真は戸惑いながらもうなずく。そのやりとりを見て、凪の胸がまた痛む。陽菜はふと凪を見て、少しだけ真剣な表情になった。「凪ちゃん」「な、なに?」「悠真くんのこと……好きでしょ?」空気が凍った。悠真も驚いて陽菜を見る。「ひ、陽菜……!」凪の顔が一気に熱くなる。「そ、そんな……」言葉がうまく出てこない。陽菜は一歩近づいて、やさしく微笑んだ。「隠さなくていいよ。私、わかるもん」そして、静かに続ける。「私も……悠真くんが好き」胸が大きく揺れる。三人の視線が絡み合う。夕焼けの光の中で、逃げ
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奪われるかもしれない、という怖さ

朝のチャイムが鳴り終わる頃、教室のざわめきが少しだけ落ち着いた。悠真の隣で、人気女子は楽しそうに何かを話している。声は聞こえないけれど、その笑顔だけで、場の空気がふわっと明るくなる。悠真はうなずきながら、時々小さく笑う。――あんな顔、見たことなかった。凪の胸が、きゅっと締めつけられる。(私といるときは、あんなふうに笑わないのに…)ペンを持つ指に、自然と力が入った。そのとき。人気女子が少し照れたように、悠真のノートを指さして何かを言う。悠真は一瞬驚いたあと、照れくさそうに目をそらしながら答えた。その仕草が、あまりにも自然で。凪の心に、小さな不安が芽を出す。(悠真は…私より、あの子のほうが楽しいのかな)笑顔の二人を見つめながら、凪は初めて知る感情に戸惑っていた。奪われるかもしれない、という怖さ。そのとき、悠真がふと顔を上げる。一瞬だけ、視線が凪と重なった。驚いたように、でもすぐにやさしく微笑む悠真。その笑顔に、凪の胸はさらに揺れる。(まだ…私のこと、見てくれてるよね?)けれど次の瞬間、悠真の視線はまた人気女子へ戻っていった。凪の中で、期待と不安が静かにせめぎ合う。この朝はまだ、恋が壊れる朝じゃない。でも――恋が試され始めた朝だった。昼休み。教室の空気が少しゆるみ、笑い声や椅子を引く音が混ざり合う。凪は席を立つタイミングを失って、ただノートを閉じるふりをしていた。その視界の端で――人気女子が、また悠真のほうへ歩いていく。今度はさっきよりも、少しだけ距離が近い。「悠真くん、お昼どうするの?」その声は明るくて、でもどこか緊張している。悠真は一瞬迷うように視線を伏せてから、穏やかに答えた。
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最近さ、悠真くんモテてない?

朝の教室は、いつもより少しだけざわついていた。窓から入る光は変わらないのに、空気だけが、どこか落ち着かない。凪は席に座りながら、ノートを開いたまま、文字が頭に入ってこない。——なんだろう。ふと顔を上げると、悠真のまわりに、いつもより人が集まっている。男子だけじゃない。女子も混ざっている。しかも、その中に——ひときわ目立つ女の子がいた。明るい茶色の髪をふわっと巻いて、笑うとえくぼができる、かわいい系。クラスでも人気の子。いつも友達に囲まれているような存在。その子が、悠真のすぐそばで、楽しそうに話している。「悠真くん、それほんと?」少し高めの声。悠真は困ったように笑って、頭を軽くかきながら答えている。その仕草が、凪にはなぜか胸に刺さった。——あんな顔、私には見せない。そう思った瞬間、自分でも驚くほど、心がきゅっと縮んだ。周りの女子がひそひそ話す。「最近さ、悠真くんモテてない?」「だよね。あの子も狙ってるっぽいよ」「絶対そのうち告白するよね」告白。その言葉だけが、やけに大きく耳に残った。凪は、ペンを握る指に力が入る。——そんなの、まだ……まだ何も始まっていないのに。なのに、もう終わりが近づいているみたいで。そのとき、悠真がふと顔を上げて、凪のほうを見た。一瞬だけ。いつもの静かな視線。でもその背後には、さっきの女の子の笑顔が重なって見える。凪はとっさに視線をそらした。胸の奥が、ざわざわして落ち着かない。——悠真は、きっと。あんな明るくてかわいい子のほうが、一緒にいて楽しいんだろうな。自分の静けさが、急に重たく感じた。チャイムが鳴って、人の輪がほどける。そのかわいい女の子は、去り際に悠真
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