でも、それが一番ずるい気がする
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コラム
悠真の指が、
空をつかんだまま止まっている。
触れなかった。
触れなかったことが、
何よりも重い。
凪は、一歩下がったまま、
視線を逸らさない。
「……ごめん。」
また、同じ言葉。
謝られるたびに、
胸が少しずつ削れていく。
「俺、ちゃんとするって言ったけどさ。」
悠真は、苦く笑う。
「ちゃんとって、誰かを傷つけないことだよな。」
凪の喉が、ひりつく。
陽菜の笑顔が浮かぶ。
明るくて、まっすぐで、
何も悪くない子。
凪も、何も悪くない。
悠真も。
それなのに。
「俺、凪といると、楽なんだ。」
その言葉は、刃だった。
やさしい刃。
「でも、それが一番ずるい気がする。」
教室の空気が、静かに沈む。
凪は、やっと笑った。
ほんの少しだけ。
「楽、って……いいことじゃないの?」
声が震えないように、
ゆっくり言う。
悠真は、首を振る。
「誰かが傷つくなら、楽って言っちゃだめだろ。」
凪の胸が、ぎゅっと締まる。
やっぱり。
選ばなきゃいけないんだ。
選ばれるか、
選ばれないか。
その間にいる時間は、
長くは続かない。
廊下の向こうで、また陽菜の声。
今度は少し、不安そうな響き。
「ゆうま……?」
悠真は目を閉じる。
一瞬。
そして、凪を見る。
「待ってて、って言ったら……」
言葉が、途切れる。
凪は、首を振った。
「言わないで。」
それを言われたら、
動けなくなる。
「ちゃんと、して。」
やさしく、でも逃げない声。
悠真の瞳が揺れる。
やっと、指が下がる。
距離が、戻る。
でも。
目だけは、離れない。
「……わかった。」
低い声。
その“わかった”が、
何を意味するのかは、まだわからない。
凪は先に歩き出す。
背中に、視線を感じる。
振り返らない。
振り返ったら、
きっと、全部、壊れる。
赤いリボンが、そっと揺れる。
ほどけないように、
ぎゅっと結び直す。
涙は、まだ落ちない。
落ちないまま、
歩いていく。