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junction ~わたしの人生を変えたこと⑳~

~⑲からのつづき~2020年のはじめ、家庭では息子のこうきが高校卒業を間近に控えていました。不安な気持ちでいっぱいだった中学の卒業時と比べると大人になって頼もしく成長していました。高校入学当時からはじめたアルバイトや運動部での部長経験もこうきを成長させたのだと思います。卒業する開放感からか、やや浮足立った生活を送るようになり母としては気の休まらない日々を過ごしていました。娘のしおりは、高校に入学して部活動や電車と自転車を使っての通学に慣れるだけでも大変そうな時期もありました。二学期になると高校生活にも慣れてきて、兄もお世話になっているスーパーで一緒にアルバイトを始めていました。アルバイトにも慣れてきて3月に行われる部活動の発表会の練習が忙しくなってきた頃です。2020年の2月には、新型感染症のニュースが毎日のように報じられるようになっていました。世界中がパンデミックの恐怖を感じていたその頃。わたしも再びはっきりとしはじめた不思議な症状に恐怖を感じていました。前年の8月、関節リウマチの注射薬が半分になってから2カ月はほぼ体調の変化を感じていませんでした。11月には視界のゆがみが強くなったことに気が付きます。手指の関節が赤味をもって腫れるようになり、目眩や筋肉の痛みも感じるようになりました。12月には倦怠感や疲労感がひどく座って過ごすこともツラくなっていました。2月に入ると食欲もなく一日中横になって過ごすようになりました。火にかけた覚えのない薬缶がシュンシュンと沸騰していたり…。記憶がないのにお米が研いである…。いくら冷蔵庫を開いても献立がたてられません。あれだけ得意だったお料理が
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junction ~わたしの人生を変えたこと⑮~

~⑭からのつづき~原因不明の体調不良がおきてから、たくさん理不尽なことがらを耐えてきました。家族のため、迷惑をかけている職場のため…。一日も早く元気になってもとの生活に戻りたい。そのことだけを思って過ごしてきました。ですが、ついに父に対して感情を爆発させてしまったのです。もう若くはない父を傷付けた申し訳なさ、そしてバッグの中には納得いかない『あの薬』。何もかもすべてを投げ出してしまいたい心境で帰宅しました。リウマチを見逃していた大学病院に対して、強い怒りをもっている夫にどう向き合っていこうか…。そこもわたしの頭を悩ませていました。「そんな病院には行くな!ほかにもたくさん病院があるんだから!俺がまともな病院を探すから!」もっともな夫の説得の言葉でした。ですが、わたしにはどうしても譲れない考えがあって通い続けたかったのです。「弱めの薬だし半分の量しか出してもらってないけど、リウマチの薬に違いないからとりあえず飲んでみる。それで、効きが良くないと言ってみるから。」と夫には納得をしてもらいました。心身ともにギリギリの状態で翌日の朝からリウマチの治療薬がスタートしました。期待値ゼロのあの薬。痛みと微熱ひどい倦怠感で、生きるのも精一杯でした。いま思えば自分には合っていなかった抗うつ薬の影響で衝動性が高まっていたわたし。今後もあの敵キャラ林先生にかかわるのも、顔を見るのも耐えられそうにありませんでした。薬を飲んでみると夫を説得したのに、数日後にはもう一度膠原病内科の外来を受診したのです。予約外で受診したわたしは当日どの医師に診てもらえるか分かりませんでした。とてもラッキーなことに川本先生の外
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junction ~わたしの人生を変えたこと㉒~

~㉑からのつづき~4年2か月ものあいだ原因がわからなかった不思議な症状がついに大きな進展をむかえました。偶然に視聴した動画から情報を得て、脳神経内科の先生の診察を受けるのです。その頃、なぜか両手両足同時におこった腱鞘炎。両手に装具、足元にはソールの厚いスニーカーを履いていました。それでも、痛みやシビレがひどく夫の手助けはありがたかったものです。通いなれた大学病院の慌ただしい印象とちがい、この神経内科の病院は時間が静かに流れているようでした。3時間くらい待ったでしょうか。ようやく通された診察室では、受診のきっかけとなったあの動画に出演されていたお医者さんが迎えてくれました。前日に支度した各検査結果、経過表、薬手帳を見せながらあの日から今日までのことをお伝えしました。既往歴や家族歴、誤診のことや精神科のお薬が合わなかったこと、そして自己判断で断薬したこともすべて…。小さくうなづき、電子カルテに打ちこみながら聞いてくださいました。先生「言葉がでないことがあるでしょ?献立も決められない…?自己注射を減らしてから悪くなったでしょ?」いくつかの質問をしながら、大学病院で撮った頭部MRIや脳血流検査の読影レポートに目を通していました。しばらくして、こちらに向き直ると先生「症状や経過をお聞きして、自己免疫疾患の既往もあるので、ほぼこの病気に間違いないと思います。」やっと分かったのか、そうか…4年間長かったな。”やっぱり”という気持ちと『原因不明のループ』から突然ぬけだした驚き。ひどくボーっとする頭で先生からの説明を聞いていました。先生「自己注射をもとの量にもどしつつ、神経内科からもお薬を出して
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junction ~わたしの人生を変えたこと⑯~

~⑮からのつづき~子どもたちは夏休みに入っていました。しおりは部活動の練習に通っています。はじめて接する『先輩』の存在に戸惑いつつも、春から始まった中学校の生活にすでに馴染んでいるように見えました。こうきは3年生なので、夏休みに入るとすぐに進路面談が予定されています。体調の良くないわたしの代わりに、夫が面談に行ったのですが細かなニュアンスが伝わらず、やきもきしてしまいました。高校見学や部活動体験など中学3年生の夏休みともなると親子で忙しいはずなのですが、そのどれにも行けません。思うように動けない事にイライラして、しだいに母としての自信を失っていきました。夏休みと同時にやっとスタートした治療。[膠原病と同時にうつ病も発病している]今のところ、そういう結論になっているのです。ですが、わたしには納得がいかないのです。簡単な時間の計算ができないこと、文章が理解できないこと、洗濯機の操作が上手くできないこと、そのほかにもたくさん症状があります。それらもすべてうつ病でしょうか。野中先生にお聞きしても「今は病気のことばかり考えているでしょ?だからだと思いますよ。」と説明を受けました。そうかなぁ、住所まで忘れるだろうか…見えている世界がグチャッとゆがんで見える、照明が眩しい。それだって、うつ病にしてはおかしい。精神科の野中先生にお会いするたびにそれらの症状をお伝えしました。すると退院時、安定剤が1錠と抗うつ薬1錠であったものが、症状をお伝えするたびに抗うつ薬が増えていきました。1錠が2錠、2錠が3錠へと薬が増えていくたびに焦りと衝動性が高まっていくのです。息子の大切な中3の夏に寝込んでいるわた
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junction ~わたしの人生を変えたこと㉓~

~㉒からのつづき~2020年6月4年以上、正体のわからなかった不思議な症状に『病名』がつきました。病名の有無と健康・不健康はあまり関係がないように思えます。病名がわかれば治療につながり、元気なころの自分にもどれると信じていました。検査入院した大学病院では「あなたは、病名を欲しがっているようにしか見えません。」と言われたこともありました。正しくない病名がついたせいで服用した薬のツラい副作用も経験しました。そして、この頃には両親と距離を置くようになっていたのです。父は当時現役で仕事をしていました。徹底した権威主義者の両親は、医師の言葉は間違いがないものと信じていたのです。リウマチなど膠原病の症状はとても良くなっているのに不調を訴えつづけるわたし。自宅でようやく家事をしている状態でした。行く先々でくり返される医師からの『異常なし』いつしか両親の目には、わたしの姿が怠けているように映ったようです。忙しく充実した日々を送っている姉との比較。「そうやって家にいて、働いている人に申し訳ないと思わないの?」そう聞いたのは母でした。そんなこと、わかってる…。子どもたちの運動会にも行けず、受験準備も満足にしてやれなかった。あの日から一度も旅行にも連れて行っていない。夫の休日もほとんどを通院の付き添いにつかってしまうこと。復職できなかった職場にも仲間にも申し訳なく、自分を責めてきました。だからそんなこと…とっくに分かっているから。些細なやり取りすらツラくなり、両親からの電話に出ることができなくなりました。怠け癖が付いてしまった娘を励まして更生させようとする、純粋な親心だったのかもしれません。ですがこ
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junction ~わたしの人生を変えたこと⑲~

~⑱からのつづき~長男こうきの高校入試をひかえて2017年は年明けから慌ただしく過ぎていきました。公立高校の入試日程は私立に比べるとおそく、合格発表・入学手続きを済ませると卒業式は間近にせまっていました。ようやく進路が決まって、落ち着いてきたこうき。息子の卒業式・入学式にはわたしも出かけることができました。わたしの体調は自己注射でかなり落ち着き、休みながらの家事や短時間の外出が可能になりました。夫の付き添いを頼りにしていた通院も自分で電車を使って行けるようになっていました。目に見えるように回復した関節と外分泌腺(涙・唾液)の炎症、不眠。一方で、やや回復傾向にあるひどい倦怠感や記憶力などの不思議な症状たち。それらは依然としてはっきりと症状として残っていたのです。膠原病内科の川本先生にもお聞きしてみました。ですが採血検査や画像診断も異常なく、不思議な症状の原因は分からないと。いつしか自分でもそれらを考えないようになっていたのです。家庭では進学・進級を迎えた子どもたちが日々成長していきます。母として成長を喜ぶかたわらで新たな心配ごとが次々と起こるのです。思春期の子育ての難しさを感じているうちに、時間は瞬く間に過ぎていきました。2カ月おきの通院は同じ薬を処方されるだけになって慢性期といえる状態でした。関節リウマチなど膠原病の症状はとてもよくなり、全身が痛かった身体は一か所も痛まなくなっていました。ですが、元気になったわけではないのです…。少し動くと疲れて立っていられなくなり、日に何度も横になって休みながら過ごしていました。2016年の春をさかいに、別人のよう変わってしまった身体。家族に
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junction ~わたしの人生を変えたこと⑭~

~⑬からのつづき~林先生が処方した内服薬を前に、わたしは言葉を失いました。カウンターの向こうでは、お薬の説明書きをもとに薬剤師さんが説明を続けています。わたしはつい数週間前まで病院でナースとして勤務していました。時には関節リウマチの患者さんの診察に同席することがあります。『関節リウマチ』と初めて診断された方にリウマチの治療について医師から説明がおこなわれていました。いく度となくそうした説明を聞いていたわたしは、エコー検査後に関節リウマチと聞いてから、自分が処方される薬について予想ができていたのです。関節リウマチの治療薬は、メトトレキサートが国際的な標準治療薬として使われています。米国においてはそれが第一選択薬として推奨されています。しかし、目の前に出された薬を見るとそれは、メトトレキサートではありません。林先生がわたしに処方した薬はリウマチの治療薬ではあるのですが、通常処方される半分の量しかありませんでした。つまり、成人1000mg/1日とされている薬が、わたしには500mg/1日で処方してあったのです。”なぜ、こうも林先生は痛めつけるようなことをするのだろうか…。”患者の立場で医師の処方に意見して、とおる道理はありませんから…。ただ黙って薬を受け取りました。今にも破裂しそうな心を抱えて病院を出ようとすると、バッグの中でスマホがマナーモードで着信を知らせていました。いそいで病院の建物を出てスマホを見ると、それは父からのものでした。20日も入院していて一度も会うことのなかった主治医の林先生は、外来でも信じられない態度であったこと。処方された薬は、種類も量も納得いかないものであるこ
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junction ~わたしの人生を変えたこと①~

娘の中学校の入学式の朝、左腕に痛みを感じました。前日に支度しておいたセレモニースーツのハンガーに手を伸ばそうにも痛みで腕が上がらないのです。筋肉痛とも打撲とも違う、経験したことのない痛みでした。そこから、痛みは強さを増し痛む箇所が増えていきました。痛む体をかばいながら子育てと仕事を続けてきました。手指の関節炎と激しい疲労感で座っていることも出来なくなり、やむなく仕事を休職。この先、わたしの体はどうなってしまうのだろう・・・。子どもたちをこの先どうやって育てていこうか。大好きな仕事、大好きな仲間に迷惑をかけてしまう。不安と罪悪感でぐちゃぐちゃな心。突然、透明なアクリルケースにすっぽりと閉じ込められてしまったような、そんな感覚におちいりました。当たり前のように時は流れていて、これまで同様に社会は回っています。職場はきっと今日も慌ただしくて、子どもの学校では淡々と授業が進められているでしょう。たしかに、私もその社会の中にいるはずなのにアクリルケースの外に出ることができない。見えるのに触れることの出来ない閉塞感を感じた、8年前の5月半ば。何年経ってもこの季節になると胸がチクっとするのです。  ~②へつづく~
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junction ~わたしの人生を変えたこと⑫~

~⑪からのつづき~クリニックからの紹介状を受け取ると、翌日には1カ月ぶりに膠原病内科の外来を受診しました。予約を取らずに受診する患者は、当日診察している外来担当医にふり分けられます。3時間以上待ってようやく通されたのは、初めてお会いする先生の診察室でした。紹介状に目を通した先生は、静かに診察をすすめていきます。肩、肘、手首、手指、膝、あご。左右の関節を同時に、かなり慎重に触診していました。”よかった…今度こそ聞いてくれそうな先生だ。”安心したわたしは今日まで伝えようのなかった症状をお話ししました。・37,5℃前後の熱が下がらないこと。・関節の腫れや痛みは広がっていること。・引きちぎられるような筋肉の痛みは移動性で部位が変わること。・目や口の乾きはさらに悪化していること。・強い倦怠感・疲労感で普通の生活がおくれないこと。・頭がボーっとしていて文章の理解ができないこと。・視界が歪んで見えること。・退院時にもらった止血剤を飲み切っても、血痰は止まらないこと。圧縮された気持ちが噴き出すように、次々と言葉になって出てきました。静かに聞いていた先生が、入院中の記録を見ながら聞きました。「関節のエコー検査はやっていなかったんでしょうか?」入院中に受けたエコー検査は、甲状腺のエコーだけでした。「では、今日は採血をして関節エコーの予約を取って帰ってください。」数日後の予約を取って帰宅しました。やっと進んだ…。ようやく一歩進めた。そして、検査当日。体温は38℃近くに上がっていました。梅雨の明けた7月の暑い日差しがさらに体を疲れさせ、やっとの思いで大学病院にたどり着きました。暗くした診察室でおこなわ
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junction  ~わたしの人生を変えたこと②~

~①からのつづき~痛みや炎症、倦怠感から始まった異変…。ほどなくして呼吸器からの出血が始まり、どうにもならない不安が全身を包みました。「わたしの体に、何かが起きている。」内科、整形外科、耳鼻科、内分泌代謝科、呼吸器科いったい、何件の医院/病院を訪ねたでしょうか。自分の足で受診できたのはじめの一ヶ月。日を追うごとに悪化して、しまいには脇からグイっと抱えられてようやく歩行ができるほどにまで体調が悪くなっていました。そんな時、地元の大きな呼吸器外科で珍しい血液検査項目が異常値を示している事を知ります。調べるとそこには、自己免疫疾患、呼吸器出血、膠原病などのワードがならんでいます。膠原病…。そうか、やっぱり。造影CTをしないと、他院への紹介ができないという担当の先生。すでに、食欲低下、嘔吐、下痢によってひどい脱水の状態で造影剤が投与できません。予定していた検査が中止になり、明らかに不機嫌な態度の先生。だるい、だるい。と座っていることもできない私に担当の医師は言いました。「患者はあなただけじゃないんです。いそがしいんです。ご主人、ちょっと。」廊下に呼び出した夫に「奥さんのことは、診れないから。ほかに行って下さい。」そう告げてすぐにその場を立ち去ってしまったそうです。(私はこの事実を数年後に知りました。)紹介状もなく、レントゲン写真も貸し出されず。ほかと言われても、どこに相談に行けばいいのかも分からないままに放り出されてしまった…。歩くこともままならなくなってしまった私を連れて、途方に暮れてしまったと。夫は、当時を振り返って言いました。見えない大きな力で、どんどんと悪い方向に誘導されている
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junction ~わたしの人生を変えたこと㉔~

~前回㉓からのつづき~膠原病内科の川本先生は2通の手紙を読み終えると電子カルテの入力に集中していました。4年以上も病気を見過ごしていたことの言い訳を考えているのでしょうか。それとも、他院での診断を持ち込んだわたしに立腹しているのでしょうか。川本先生の気持ちを想像しながら、じっと次の言葉を待っていたのです。息がつまるほどの緊張は、淡々とした川本先生の言葉でほぐれていきました。「とりあえず、脳神経内科の吉田先生の指示通りに注射の量を戻しますね。」結局、川本先生はこの病気については詳しくなく全面的に吉田先生の治療方針に従うかたちになりました。川本先生のお気持ちがわからないまま、不足分の注射薬を受け取って帰宅したわたしたち。混み始めた高速道路を自宅に向かいながら、病名の分からなかった4年間をふり返っていました。なん度も希望と絶望をくり返したこと、死後に解剖(献体)を望んでいたこと。まだ明るい夕方の街並みを見下ろしながら、二人は過去から未来の話へとふくらませていました。現在でも研究段階にあるこの病名には保険診療で使える治療薬は多くはないのです。この”生物学的製剤の注射”も新たに見つかった脳神経内科の病名では処方出来ません。あくまでも膠原病の治療として処方を受けるしかありませんでした。複雑な医療保険制度のなかでも有り難いことに治療を続けることができたことにホッとしました。そして、注射の量が元に戻ったたったこれだけのことで体調は目に見えて回復していきました。痛む関節は消えて、起きていられる時間がふえていきました。買い忘れや献立がたてられないなどの困りごとも減りました。両手両足の同時におきた腱
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junction ~わたしの人生を変えたこと⑪~

~⑩からのつづき~「かよ…。(港のある地名)に引っ越そう。ごめん、先生に言われて気付いた…。 かよの病気は俺のせいだから。治すためなら、なんでもするから。」突然の夫の言葉に動揺したことを覚えています。「何言ってるの!?仕事は? どうするつもり? 子どもたちだって…。こうきは受験生でしょ?しおりだってやっと中学校に慣れてきたのに!」「かよの体が一番大事だろっ!!」動揺したわたしの声に呼応するような大きな声。夫の言葉はまるで夕立の始まりを告げるカミナリのようにわたしの足元を揺らしました。「……あいつらは…大丈夫だよ…きっと、なんとかなるよ……」ぽつり、ぽつりと降り始めた雨のように夫は言葉をえらんで話してくれました。もしかしたら、泣いていたのかもしれません。わたしは出来るだけ静かにゆっくりと話しかけました。「あのね、聞いてくれる?あきらさん…わたしのこと信じてくれているよね?全部が妄想だとは思ってないよね?」夫が黙ってうなずくのを確認してから、わたしの考えを伝えたのです。・あの日をさかいにいろんなことが体に起きて戸惑っていること・妄想では説明のつかないことが確かに起きていて野中先生もそう言ってくれていること・5月下旬のようにどこにも主治医がいない状態は避けたいと思っていること・時間が経ったらほかの症状が出てきて診断につながるかもしれないということ・正体不明の病気以外にも、もしかしたら本当にうつ病にもなっている可能性もあること・処方される薬を飲むことでこの症状がどう変化するか自分でも確かめたいと思っていること・今起きていることは家族のせいではないこと・これ以上家族の重荷になりたくないと
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日常のこと ⑤  ~成績不振~

 急に蒸し暑くなってきましたね!新年度からの緊張も緩み、お疲れが出るころではないですか?皆さま、こんにちは! 松本 かよです。今日は、タイトルの「成績」についてのお話です。学生でなくなってからもう長い年月が経ってしまいましたが、成績という言葉を聞くだけでちょっとドキドキします。えぇ、もちろん、それは成績に関していい思い出が無いということです。ですが、こんなわたしにも一つだけ自慢できる成績をおさめたものがあります。それは、なんと!骨密度!10年くらい前に勤め先の病院の職員健康診断の時に測定してもらったところ、結果は驚きの平均点よりうえ!骨密度 104%という結果に。幼いころから乳製品が好きだったり、日焼けを気にすることなく外遊びができた昭和50年代の生まれというのも良かったのかもしれません。前回のブログ(junction~わたしの人生を変えたこと⑤~)に登場した姉のさえちゃんは神童と言われるほどの優秀な子供だったので、子どもの頃に成績を褒めてもらった記憶はありません。そのわたしが、大人になり唯一成績を自慢できることが見つかった!「え~っ!すごいじゃん。かよちゃん、牛乳好きだったもんねぇ。」と さえちゃんもめいっぱい褒めてくれました(笑)膠原病が見つかって半年後、主治医の先生から「骨密度を測りましょう。」とおすすめされました。「いえ!骨密度の成績だけは自信ありますから、大丈夫です。」ややドヤ顔で答えるわたしに先生は「あの…。ご病気の影響もありますから、一度測りましょう。」ふだんはとても優しい先生がそこまで言うならと、しぶしぶ受けた骨密度測定。そこで信じられない結果が出たのです。骨密
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junction  ~わたしの人生を変えたこと③~

~②からのつづき~この先、どの方向に進んでいいのかすら見えなくなってしまいました。早く元の身体に戻って仕事に行かないと…。わたしの体に一体何が起こっているのだろうか?その理由を知りたい、理由が分かれば治せるかもしれない。ぐるぐると頭の中で考えが巡っていました。焦りと不安の色をまとった重たい思考それらは脳内を占拠して、一秒もその考えから気をそらす事もできません。どっぷりと居座ってしまった焦りと不安の感情相反するように、身体に起こった異変は日を追うごとに強さを増し、また新たな不調が現れてきます。数週間前の身体に戻りたいと願うわたし。まるで嘲笑うように、進攻の手を緩めない正体不明の異変。それは恐怖心を抱かせ、もう一歩も進むことができない…。真っ暗闇で何も見えない。深い絶望と不安の中にいました。「ほかに行ってください。」とあっさり、放り出した呼吸器外科のお医者さん。せめて、○○科に相談しては?くらいのヒントでもくれれば違ったのかもしれません。その時に思い出したのが、呼吸器外科で引っ掛かったあの珍しい血液検査項目のこと。直後にわたしの現状を知った知人との電話で一筋の光となる情報を得ます。「膠原病かもしれないの?○○駅近くの医院で膠原病の本を書いたお医者さんが診察してるよ。」ご高齢のために週に数回しか外来診療をしていない先生でしたが、調べてみるととても評判の良い先生のようでした。この先生に診てもらおう。やっと方向が見えた安心感。繁華街のビルの一角にあるその医院。そこを訪ねるためには、駐車スペースの確保が必須でありました。結局は車を使うことができず交通機関を利用することになったのです。座った
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junction ~わたしの人生を変えたこと⑬~

~⑫からのつづき~女性医師に起こしてもらったあとで、エコー検査の結果を聞きました。・エコーでは、左右のすべての手指に明らかな炎症がみえた。・関節の滑膜に炎症が起っているので、関節リウマチに間違いない。・手指しか検査をしていないが、手首や足の関節痛もリウマチによるものと考えてよい。・関節リウマチだけではなくシェーグレン症候群も合併している。説明のあと、廊下で待つことになりました。しばらくすると、入院担当医だった安西先生が待合室のわたしのもとに来られました。大勢の患者さんたちがいる待合室の片隅で安西先生とわたしは一カ月ぶりにお話をしました。「松本さん…。入院時から関節痛をうったえていたあなたに、関節エコーのオーダーをし忘れました。膠原病内科医がリウマチを見逃しました。ごめんなさい。」今日までわたしを苦しめた安西先生からの謝罪でした。あの大柄なヤンキー先生がいてくれなかったら、安西先生はこの場面においても頭を下げることはなかったと思います。上品な言葉でわたしを拒絶し続けたプライドの高い安西先生。その先生との再会は、まさかの謝罪をきっかけにわたしの感情を軟化させました。伝えたいことがあり過ぎると、かえって言葉が出てこなくなるものです。できるだけ冷静に、先生に分かっていただけるように静かに話しかけました。「安西先生は、入院中に『あなたは、病名を欲しがっているようにしか見えません。』とおっしゃいましたが、わたしは病名が分かれば治療法があるかもしれないので、元気になりたい一心で病名が分かることを望んでいました。」目を見てじっと話を聞いてくださる安西先生を見て、わたしはホッとして話を続けました
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junction  ~わたしの人生を変えたこと⑤~

~④からのつづき~「お母さんは、病院のベッドがあいたら入院させてもらえるように頼んできたから、お前たちも協力するんだぞ。」「良かったね!」「早く元気になってね、お母さん。」喜んでくれる家族のようすに、うれしさとこの子たちを置いていく不安が半分づつでした。いつ入院してもいいように、翌日から少しずつ荷造りをスタート。パジャマや下着、タオル、洗面用具などを並べてチェックリストを見ながら準備しました。クローゼットの上の段から大きなスポーツバッグをおろして陰干しをしようと手に取ると、革製のチャームが触れました。去年の小6の宿泊学習の時にしーちゃんが付けたクマさんのチャームです。(外さないでこのまま病院に付けて行こう。)入院準備が整い、ふくらんだスポーツバッグを玄関の片隅に置いてしばらくすると電話がかかってきました。「お部屋の準備ができましたので、明日の11時までに入院受付にお越しください。」明日か…。予想よりも早いことの驚きと気がかりなのは家族のこと。いそいで夕食用の宅配弁当の手配を済ませました。戸締りやお洗濯ものについてのお願い事を書いて、見えるところに貼りだしました。今年から受験生、中3のこう君は部活で副部長になり新入部員のお世話に忙しいようです。妹のしーちゃんは中1です。はじめての部活動で新たなできごとに挑戦する日々です。二人とも6月半ばの運動会の練習を通して、新しいクラスメイトとも少しづつ打ち解け始めているようでした。後ろ髪を引かれる思いで、自宅を出て入院先の病院に向かいます。案内された病室のベッドには、   【  松本 かよ 様  】【主治医 林   担当医  安西 】あぁ、患
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junction  ~わたしの人生を変えたこと④~

 ~③からのつづき~子どもたちを中学校に送り出すと、すぐにわたしたちも膠原病の先生のいる医院へ向かいました。タクシー、電車、地下鉄…。一体いくつ乗り換えたか記憶がはっきりしません。関節の腫れた手では電車の手すりに摑まることもできずスロープのわずかな傾斜すらバランスをとることもできない。足の指まで炎症が広がっていました。呼吸器からの出血は、増えないものの止まる気配がありません。真っ赤な血液を含んだ痰をテッシュに吐きながらの移動です。「ごめん、もう歩けない。」壁に寄りかかり目を閉じてしばしの休憩。早く行かないと!早く原因を見つけて…早く元気にならないと。気持ちばかりが焦るのに、数十メートルが歩けないのです。こうしているわたしたちのすぐ前を忙しそうに会社に向かう人びとが通り過ぎていきます。3月までは、わたしも同じように社会の一員だった。いつからこんな風になってしまったのだろう。何がいけなかったのだろう、何を間違えたのだろう。寄りかかり目を閉じたわたしの目から涙があふれていました。「歩ける?」再び、脇からグイっと抱え上げてくれた夫。たしか、駅前の医院と聞いていました。実際には本当に徒歩数分なのかもしれませんが、もの凄く遠い距離に感じました。やっと到着して渡された問診票を記入して、ほどなくして診察室へ。”しっかりしないと!やっとみつけた診察への扉じゃないか…。”奮い立たせる気持ちとはうらはらに体力は限界でした。座っていることもままならず、診察机につかまらないと姿勢を保つこともできなかったのです。問診票と自宅で書き出していった「これまでの経過」に目を通した先生は、いくつかの質問をするとおも
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junction ~わたしの人生を変えたこと🈡~

~前回㉔からのつづき~2022年に脳神経内科の吉田先生から紹介された新たな治療法。すっかりあきらめていたあの不思議な症状に大きな効果がありました。耳鼻科の先生の言葉どおりに頭のボーっとする感じが軽くなっていきます。それまでは、いつも脳内に暗幕をかけられている感覚がありました。何をするにも重く暗い感じがしていたのです。それらの症状が良くなると同時に、著しい低下を感じていた集中力や思考力も回復を実感しました。気がつくと、献立に悩まなくなり洗濯機の操作ミスもなくなっています。特に困っていたのが文章を理解できないことでした。子どもたちが持ち帰る”学校からのお知らせ”や役所関係の書類は全く内容を理解できないでいたのです。こんな状態が長く続いているとそれが当たり前になるのか、家族にはずいぶんと助けてもらっていました。「保護者アンケートの紙で、書いて提出するものだよ。」「文化祭中止のお知らせだよ。」と、あらかじめ大まかな内容を伝えながら手渡すルールができていました。それでも分からない時には家族に読んでもらったり、頼れない時には一文づつ何度も読んでいました。指でたどったり、「/」や「。」をつけたり、重要と思われるところに蛍光ペンで印をつけて読む。それでも理解できない時には、声に出して読み上げると聴覚からも助けられるのでなんとか読めていました。ですが書類での手続きは、もっぱら夫にお願いしていました。字は読める、単語の意味も分かる。なのに、文章になると理解ができない。高次脳機能障害のひとつというこれらの症状も、この耳鼻科の治療により改善していきました。体調をくずして6年半、日常生活に困難があること
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junction ~わたしの人生を変えたこと㉑~

~⑳からのつづき~ずっと原因の分からなかった不思議な症状。それとよく似た症状を起こす「ある病気」の動画を見つけた2020年6月。身体に異変を感じてから4年2カ月もの時間が経っていました。動画内で知った病名をたよりにインターネットで情報を集めました。するとすぐに、ある支援団体のホームページにたどり着きます。動画内で取材を受けていた患者さんがその支援団体の活動を支えていらっしゃいました。ここに連絡すればきっと進める、何度もあきらめた未来がひらける…。でも、なかなか連絡することが出来ません。怖いのです。また同じように期待した分、落胆して大きく傷つくのではないかと。これまで、何件の医療機関を訪ねたことでしょう。診察・検査そして『異常なし』ずっとこのくり返しでした。勇気がなくて動き出せないわたしに、夫はそっと言いました。「ダメだったら、ふり出しに戻るだけじゃない?それならまた、そこからはじめればいいよ。」何度も壁にぶつかって、挫折しては泣いて。その度に家族と一緒に立ち上がってきました。ですが、生物学的製剤の自己注射がはじまってからの3年は、身体に残った不思議な症状から目を背けて暮らしていました。自己注射を減らしてから、徐々に体調をくずして数カ月。思うように動くことも、考えることもできなくなっていたのです。ひどくボーっとした頭で緊張する相手との電話は勇気のいるものでした。夫の応援もあり意を決して、その支援団体に連絡をしてみました。するとそこではインタビューを受けていたあの患者さんがお話をしてくださいました。・よく似た症状であってもこの病気ではないことも多い・診断がむずかしい病気である・海外
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junction ~わたしの人生を変えたこと⑰~

注)今回のブログの内容は、自己判断での断薬について書いています。これは危険なことであり、再発の可能性が高まったり離脱症状が現れるなど悪化の原因になります。薬の服用は医師と相談のうえおこなってください。あくまでも、『誤診がもとで服用してしまったわたしのケース』としてご理解いただける方のみお読みください。~⑯からのつづき~「立派に死ぬこと以外、家族のためにわたしにできることはない。だから、子どもたちをお願いします。」振り返って考えると、めちゃくちゃとしか言いようのない宣言。当時はそれが真剣に考えた最良の答えと信じていたのです。そして顔を上げて言ってくれたのは 「苦しいときも楽しいときも家族はいつも一緒だ。」夫のその言葉はとても力強く、ありがたく感じました。頑固で不器用で口下手な夫が精一杯の応援として言ってくれたのでしょう。わたしには合っていなかった抗うつ薬の影響でこの時期は自殺願望を強くもっていたのです。未遂に終わったものの自殺を図ったこともありました。一日のほとんどの時間、回らない頭でじっと考えていました。リウマチの治療はこのまま続けていく。それで、きっと良くなる。 問題は抗うつ薬…あれを飲んでから、わたしがわたしじゃない。まるでエンジンを空ぶかしした自動車のようでした。 そしてほかの症状がさらに複雑になっているのです。そんな折、精神科の外来で野中先生と喧嘩をしてしまったのです。「まったく良くならないばかりか、どんどん薬が増えていくじゃないですか!この先も良くなると思えません。もう、いいです!」抑えられない感情を、野中先生にぶつけていました。「すみません、すみませんでした。」夫は
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junction ~わたしの人生を変えたこと⑨~

~⑧からのつづき~安西先生の説明通りその日の夕食の少し前に精神科から処方された内服薬が届きました。薬剤師さんが丁寧に説明をしてくださいました。「お薬について、何か質問はないですか?」優しく聞いてくださったその質問に、言葉がつまり何も答えることができませんでした。(聞きたいことは、たくさんあります!いや、違う…。こんなにも痛むのに、ほかにもたくさんの症状があるのに。妄想って。納得できないんです!)心の中で叫んでも、どうしても声に出すことができませんでした。わたしが、なにを伝えてもムダなんだ。わたしの感じる症状すべてが『妄想』それで終わる。どんなに伝えても伝わらない…。つかもうとすればするほど、遠くに離れていってしまう無力感。わたしは理解してもらうことをあきらめて、静かに希望を捨てました。なにも伝えず、なにも求めず。壊れたままのわたしでも、家族さえ受け入れてくれるのならば、それでいい。決心したわたしは納得できないままその薬を飲むことにしました。しかし、その薬はわたしになんの変化ももたらしませんでした。 薬を飲むことでさらに具合が悪くなると思っていたのですが、まったく何の変化もないのです。もちろん、良い効果もありませんでした。いつもの時間に病室を訪れた安西先生は、「松本さん、昨夜は眠れましたか?」「いいえ、まったく眠れませんでした。」「もう少し様子を見ましょうね。」数日たっても良くなることはなく、相変わらず痛む関節や筋肉は増えていきました。さらにツラかったのは目と口の渇きが日を追うごとにひどくなっているのです。瞬きをするたびに、眼球がまぶたでこすれます。つねに水を口に含まないと、口の
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日常のこと ②  ~ぼくらはHERO~

こちらに、少しずつ書き込むようになって15日。私のブログなんてきっと誰も読まないだろう。と思っていました。そんな予想は外れ、ありがたいことに数名の方からメッセージをいただきました。「実は、わたしも…」と。教えてもらった私の方がビックリするような共通点がある方もいて、書いてみて良かったなぁと思っています。「ブログ読みました!体調はどうですか?」と心配してくださる声に、なんとうれしいことか…涙今から8年前のことを、思い出しながら…。自分の気持ちを整理しながらゆっくりゆっくりブログに書いていこうと思っています。ですが、あまりにもゆっくり過ぎて心配をかけ続けるのも気が引けるので(笑)きょうは私の現在を書いてみようと思います。発病したのは8年前の春。4年後にようやく病名が分かってがわかりました。体調の上下はあるものの、おかげ様で安定した状態で生活することができています。正しく診断されたことにより、対症療法であっても新たな薬が使えるようになったり、これまでの薬の量を調整していただけたこと。そして何よりも この身体の慣れてきた。う~ん、操縦のコツをつかんだ感じとでも言いましょうか。< 大丈夫 ...∥... 無理 >のオリジナル境界線が見えるように。<私の一日>娘を起こして、お弁当を持たせて「いってらっしゃい!」三人家族の洗濯物をして、あちこち適当に掃除。夕飯の支度をコツコツと。 以上!え?  少なっ!書いた自分でビックリ(笑)ひとつひとつの工程ごとに休みを入れて、一日かけてこなしています。野菜を出して洗う(休む)野菜を切る(休む)調理①(休む)調理②(休む)のように。すぐに椅子や布団に帰っ
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膠原病知ってる?

膠原病とは、私たちの免疫系が正常な結合組織を攻撃してしまう自己免疫疾患の総称です。この疾患にはさまざまな種類があり、代表的なものには全身性エリテマトーデス(SLE)、強皮症、多発性筋炎などがあります。これらの病気は、個人によって症状や進行の仕方が異なるため、日常生活にさまざまな影響を与えることがあります。このブログでは、日常生活での経験や苦労、そして膠原病と向き合うための様々な戦略を紹介します。日常生活の工夫膠原病を患っていると、疲労感や関節痛などの症状が頻繁に現れることがあります。自分の体のリミットを理解し、バランスの取れた生活を送るために日常生活での工夫を行っています。例えば、十分な休息を取ることや、適度な運動を行うこと、ストレスを軽減するためのリラクゼーション法を取り入れることなどです。 病気との向き合い方 膠原病を患っていると、時には辛い思いや挫折感を感じることもあります。しかし、ポジティブな思考を持ち、病気との向き合い方を工夫することで乗り越えてきました。自分の限界を受け入れつつ、できることに焦点を当てること、サポートを受けることの重要性などを記事で共有しています。 心のケア膠原病は身体だけでなく、心にも影響を与えることがあります。膠原病を患っている他の人々とのつながりを作ることも、心の健康に良い影響を与えると感じています。 このブログを通じて、膠原病を患っている人々やその家族、また興味のある人々に情報とサポートを提供することを目指しています。膠原病という難病に立ち向かう人々が互いに励まし合い、より豊かな生活を送れるような献立作成もしているので、お気軽にご相談ください
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血液サラサラのお薬ワーファリン

こんにちは、木下愛理紗(ありさ)です( ..›ᴗ‹..)ようやくココナラを再開できそうです!(この文章を何回書いたんだろう…💦)先月の半ばに「抗リン脂質抗体症候群」の診断を受けましたさすがにもう病気は増えないだろうと気を抜いていたところにちょっとシャレにならない病気が増えてフリーズでした(o_o;;)こちらの病気体のあちこちで血栓ができまくるので脳梗塞や心筋梗塞を引き起こす中々怖めの病気でしたそれをどうにかするのがワーファリン!真ん中の毒々しい赤色のシートがそうです(ㆁᴗㆁ*)このお薬を飲んで血液検査の数値が2.5まで上がるように調節します!2錠から飲み始め・・・毎週一錠ずつ増え現在5錠飲んでいますが…数値がなかなか上がりません(>︹<)💦下のなんとなくオサレなお薬はSLEの再発を防いでくれます今の私は「寛解状態」という活火山だけど噴火してない状態?症状が比較的落ち着いている、この状態を維持しよう作戦です!さて、今回主役のワーファリン結構日常生活で厄介な存在です(;'∀')ワーファリンの血栓を予防する作用は「ビタミンK」によって阻害されるので食事では避けた方がいいですこのビタミンは緑黄色野菜、緑の葉っぱ系と納豆に多く含まれています!なんと納豆は食べてから48時間も効果を阻害するらしく…「今後、一生納豆食べないでね」とお医者さんに言われたくらいですあとは、アシタバやクロレラ、青汁など普段から食べないものなので問題はないのですが…ただ、ホウレン草やモロヘイヤも食べられないのは残念ですあとは抹茶や緑茶の粉末もダメです💦血圧下げる緑茶を飲んでいたのに…(/ω\)食品を買うと
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突然の病気の告知…心と向き合い方

こんにちは、木下愛理紗(ありさ)です今日、1月に肺血栓で入院した病院で病気の告知を受けました(o_o;;)この時疑いだった「抗リン脂質抗体症候群」が確定診断となりました私は最近食事を見直し、血圧も下がってきていたのです…これは、血圧の薬はなくなるかも…!さらに血栓の「血液をさらさら」にする薬も必要なくなる!今まで病気の症状はあるのに検査結果からSLE(私の持病の一つ)があるため診断しきれないなど原因結局わかりませんでした( > ᴗ <;;)ゞという結果が多かったのですしかし今回は…「今回の肺血栓、原因は抗リン脂質抗体症候群です           薬を飲んでもらうことになります」おっと!予想外です💦それはいつまで飲めばいいですか?「おそらくこれからずっと飲むことになります」「薬を飲まないと脳梗塞になる可能性が高いです」 入院中からお世話になった優しい先生話し方も丁寧で安心感がある先生その先生の口からこんなに断定的な言葉が…( º^º; )とびっくりしつつ頭の中では「抗リン脂質…?詳しく知らない、薬の副作用は?病気がまた増えた、薬を一生飲む、食事療法頑張ってきたのに」と先生の言葉を聞きながら全然違うことが頭に浮かんでいました病気に対しての不安薬の副作用についての不安日常生活における不安病気を告げられた時患者の精神状態は極めて不安定になることが多いと思います中には「ようやく原因が分かった」と安心する人もいるかもしれませんが結局、病気を持ってしまった不安は生まれます今回、病気を突然告げられ自分が初めて病気を告知されたときのショックを思い出しきっと同じように悩む人もいるかも
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病気を誘発する理由

医者は自身が受け持つ患者と似た病気にかかりやすいと言われます。 毎日病気の映像を見て今後どういう経過をたどっていくか誰よりも理解していますよね。 引き寄せの法則に似ていませんか。 自分が意図するしないに関係なくイメージとして焼きつきますよね。 焼きついたそれを自霊と表現しています。
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乾燥ってつらい

こんにちは!みーです。前回、湿度が上がってきましたね~と書きましたが、今回まとめるのは「乾燥」についてです。空気の乾燥ではなく、体のお話です。(※前回、「次回は睡眠についてまとめる」と記載していたのに、テーマ変更して申し訳ありません💦)そもそもなぜこのテーマにしようと思ったかと言うと…じつは私、「シェーグレン症候群」の持病があるんです。〇膠原病〇シェーグレン症候群👩‍⚕️膠原病 膠原病ってご存じでしょうか?「こうげんびょう」と読みます。 ひとつの病気ではありません。 免疫機能の異常によって、全身のあらゆる臓器に炎症が起き、臓器の機能障害をきたす「自己免疫疾患」の病気の総称です。 代表的なものに、・関節リウマチ・全身性エリテマトーデス・シェーグレン症候群・全身性強皮症などがありますが、まれな疾患も含めると数十種類あり、これらの多くは国が定める難病に指定されています。 症状は病気によっても患者さんによっても様々です。😷シェーグレン症候群 患者の多くが女性で、発症年齢は40~60歳代に多いというのが特徴です。 日本には約7万人いると言われていますが、症状が軽くて不調を感じながらも病院を受診せずに過ごしている人も多くいるため、実際は10万人~30万人いると推定されています。  遺伝的要因や環境要因、女性に多く発症することから女性ホルモンの要因が考えられていますが、これらが関連しあって発症すると考えられています。  ほかの膠原病の合併が見られない「一次性シェーグレン症候群」と、ほかの膠原病に合併する「二次性シェーグレン症候群」に分けられますが、ここでは「一次性シェーグレン症候群」について
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