~⑪からのつづき~
クリニックから入院していた大学病院あての紹介状を受け取ると、翌日には1カ月ぶりに膠原病内科の外来を受診しました。
予約を取らずに受診する患者は、当日診察している外来担当医にふり分けられます。
3時間以上待ってようやく通されたのは、初めてお会いする先生の診察室でした。
紹介状に目を通した先生は、静かに診察をすすめていきます。
肩、肘、手首、手指、膝、あご。
左右の関節を同時に、かなり慎重に触診していました。
”よかった…。今度こそ聞いてくれそうな先生だ。”
安心したわたしは今日まで伝えようのなかった症状をお話ししました。
・37,5℃前後の熱が下がらないこと。
・関節の腫れや痛みは広がっていること。
・引きちぎられるような筋肉の痛みは移動性で部位が変わること。
・目や口の乾きはさらに悪化していること。
・強い倦怠感・疲労感で普通の生活がおくれないこと。
・頭がボーっとしていて文章の理解ができないこと。
・視界が歪んで見えること。
・退院時にもらった止血剤を飲み切っても、血痰は止まらないこと。
圧縮された気持ちが噴き出すように、次々と言葉になって出てきました。
静かに聞いていた先生が、入院中の記録を見ながら聞きました。
「関節のエコー検査はやっていなかったんでしょうか?」
入院中に受けたエコー検査は、甲状腺のエコーだけでした。
「では、今日は採血をして関節エコーの予約を取って帰ってください。」
数日後の予約を取って帰宅しました。
やっと進んだ…。ようやく一歩進めた。
そして、検査当日。
体温は38℃近くに上がっていました。
梅雨の明けた暑い7月の日差しがさらに体を疲れさせ、やっとの思いで大学病院にたどり着きました。
暗くした診察室でおこなわれたエコー検査には、研修医の若い先生もふくめて4人の医師がいました。
エコーのプローベを準備していた女性医師が検査をしてくれました。
その後ろから画面を見守るように、3人の男性医師が立っています。
氏名の確認を済ませるとすぐに右手からエコー検査が始まりました。
温かなゼリーをつけたプローベがわたしの右手に当てられた瞬間に
「あぁーあ!」「うわっ、これ…。」
二人の男性医師が同時に言いました。
それらの声に動じることなく、女性医師は淡々と右手の検査を終えて、左手の検査に。
「全滅っすね…。」
そう言うと、大柄な男性医師が机の上の資料を見始めます。
「あれ?松本さん…最近まで入院してましたよね。」
わたしが病棟名と入院期間をお伝えすると、胸元から院内PHSを取り出して入院担当医だった安西先生を呼びました。
あわてて駆け付けたのでしょうか、それとも近くにいたのでしょうか?
安西先生はすぐに部屋に入ってきました。
機械からプリントアウトされたエコー写真をつかんだ大柄な先生は、安西先生を診察室の片隅に追い詰めていきました。
「おいっ!お前…。
松本かよさん覚えているよな!どうすんだよ、これ!!」
つかんだエコー写真を安西先生に突き付けているようです。
先生の大きな背中の向こうで、安西先生がどのような表情でなんと答えたのかは分かりませんでした。
そんな緊張する場面も聞こえていないかのように、表情一つ変えることなく女性医師はわたしの指の間のゼリーをホットタオルで拭いていました。
診察室のベッドに腰掛けて検査を受けていたわたしは、ズルズルと座っている姿勢が崩れていきました。
ついには、ごろんとベッドに横になってしまったのです。
やっと分かってもらえたという安堵の気持ちとひどい倦怠感。
そして、微熱の続くボーっとした頭で問い詰める先生の声を聞いていました。
”すごいな…体育館うらのヤンキーたちみたいな場面だなぁ…。”
「大丈夫ですか?起きれますか?」
と女性医師に起こしてもらいながら、のんきにもそんなことを考えていました。
その時はまだ、その後にまた大きな嵐に巻き込まれるとも知らずに…。
~⑬へつづく~