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junction ~わたしの人生を変えたこと⑮~

~⑭からのつづき~原因不明の体調不良がおきてから、たくさん理不尽なことがらを耐えてきました。家族のため、迷惑をかけている職場のため…。一日も早く元気になってもとの生活に戻りたい。そのことだけを思って過ごしてきました。ですが、ついに父に対して感情を爆発させてしまったのです。もう若くはない父を傷付けた申し訳なさ、そしてバッグの中には納得いかない『あの薬』。何もかもすべてを投げ出してしまいたい心境で帰宅しました。リウマチを見逃していた大学病院に対して、強い怒りをもっている夫にどう向き合っていこうか…。そこもわたしの頭を悩ませていました。「そんな病院には行くな!ほかにもたくさん病院があるんだから!俺がまともな病院を探すから!」もっともな夫の説得の言葉でした。ですが、わたしにはどうしても譲れない考えがあって通い続けたかったのです。「弱めの薬だし半分の量しか出してもらってないけど、リウマチの薬に違いないからとりあえず飲んでみる。それで、効きが良くないと言ってみるから。」と夫には納得をしてもらいました。心身ともにギリギリの状態で翌日の朝からリウマチの治療薬がスタートしました。期待値ゼロのあの薬。痛みと微熱ひどい倦怠感で、生きるのも精一杯でした。いま思えば自分には合っていなかった抗うつ薬の影響で衝動性が高まっていたわたし。今後もあの敵キャラ林先生にかかわるのも、顔を見るのも耐えられそうにありませんでした。薬を飲んでみると夫を説得したのに、数日後にはもう一度膠原病内科の外来を受診したのです。予約外で受診したわたしは当日どの医師に診てもらえるか分かりませんでした。とてもラッキーなことに川本先生の外
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junction ~わたしの人生を変えたこと⑭~

~⑬からのつづき~林先生が処方した内服薬を前に、わたしは言葉を失いました。カウンターの向こうでは、お薬の説明書きをもとに薬剤師さんが説明を続けています。わたしはつい数週間前まで病院でナースとして勤務していました。時には関節リウマチの患者さんの診察に同席することがあります。『関節リウマチ』と初めて診断された方にリウマチの治療について医師から説明がおこなわれていました。いく度となくそうした説明を聞いていたわたしは、エコー検査後に関節リウマチと聞いてから、自分が処方される薬について予想ができていたのです。関節リウマチの治療薬は、メトトレキサートが国際的な標準治療薬として使われています。米国においてはそれが第一選択薬として推奨されています。しかし、目の前に出された薬を見るとそれは、メトトレキサートではありません。林先生がわたしに処方した薬はリウマチの治療薬ではあるのですが、通常処方される半分の量しかありませんでした。つまり、成人1000mg/1日とされている薬が、わたしには500mg/1日で処方してあったのです。”なぜ、こうも林先生は痛めつけるようなことをするのだろうか…。”患者の立場で医師の処方に意見して、とおる道理はありませんから…。ただ黙って薬を受け取りました。今にも破裂しそうな心を抱えて病院を出ようとすると、バッグの中でスマホがマナーモードで着信を知らせていました。いそいで病院の建物を出てスマホを見ると、それは父からのものでした。20日も入院していて一度も会うことのなかった主治医の林先生は、外来でも信じられない態度であったこと。処方された薬は、種類も量も納得いかないものであるこ
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junction ~わたしの人生を変えたこと⑱~

~⑰からのつづき~誤診がきっかけで服用してしまった抗うつ薬。この薬をやめたことで、イラだちや衝動性がおさまってきました。本来の性格を取り戻したことで、自身の身に起きたことを冷静に考えられるようになってきたのです。生物学的製剤の注射で大きな改善が認められた関節の症状と目や口の乾きの外分泌腺の症状。なぜか改善した不眠・引きちぎられるような筋肉の痛み・記憶の異常・献立や洗濯機の操作に戸惑う・連絡網の使い方が分からないなどの症状。ゆっくりであっても改善があったものも含めると一時の寝たきり状態からは比べ物にならないほどに回復しました。一方で、ひどい倦怠感や疲労感・ボーっとする頭・ゆがんで見える視界や眩しさ・集中力や文章理解力の低下などの症状は残っています。これらは、抗うつ薬を服用しても少しも良くなることはなく、うつ病の症状ではなかったことがはっきりしました。短時間の外出ができるようになり、目前にせまった息子こうきの高校受験の準備に参加しました。入試に記載する内申点が決まり、最後の進路面談にはわたしも同席したのです。反抗期のうえ、伸びない成績にふてくされていた息子をなだめるように担任の先生が親身になってくださいました。アドバイスを受けて、学校説明会にギリギリの日程で間に合ったのです。インフルエンザやノロウイルス感染症が心配されるなかで慌ただしく日々が過ぎていきました。入試に必要な書類の作成や提出に追われる中で、受験予定の高校の帰り道にわたしは駅の階段を踏み外してしまったのです。隣にいたこうきが咄嗟に腕を持ってくれなければ、そのまま転げ落ちてしまうところでした。この出来事をきっかけにひさしぶ
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junction ~わたしの人生を変えたこと⑫~

~⑪からのつづき~クリニックからの紹介状を受け取ると、翌日には1カ月ぶりに膠原病内科の外来を受診しました。予約を取らずに受診する患者は、当日診察している外来担当医にふり分けられます。3時間以上待ってようやく通されたのは、初めてお会いする先生の診察室でした。紹介状に目を通した先生は、静かに診察をすすめていきます。肩、肘、手首、手指、膝、あご。左右の関節を同時に、かなり慎重に触診していました。”よかった…今度こそ聞いてくれそうな先生だ。”安心したわたしは今日まで伝えようのなかった症状をお話ししました。・37,5℃前後の熱が下がらないこと。・関節の腫れや痛みは広がっていること。・引きちぎられるような筋肉の痛みは移動性で部位が変わること。・目や口の乾きはさらに悪化していること。・強い倦怠感・疲労感で普通の生活がおくれないこと。・頭がボーっとしていて文章の理解ができないこと。・視界が歪んで見えること。・退院時にもらった止血剤を飲み切っても、血痰は止まらないこと。圧縮された気持ちが噴き出すように、次々と言葉になって出てきました。静かに聞いていた先生が、入院中の記録を見ながら聞きました。「関節のエコー検査はやっていなかったんでしょうか?」入院中に受けたエコー検査は、甲状腺のエコーだけでした。「では、今日は採血をして関節エコーの予約を取って帰ってください。」数日後の予約を取って帰宅しました。やっと進んだ…。ようやく一歩進めた。そして、検査当日。体温は38℃近くに上がっていました。梅雨の明けた7月の暑い日差しがさらに体を疲れさせ、やっとの思いで大学病院にたどり着きました。暗くした診察室でおこなわ
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junction ~わたしの人生を変えたこと⑪~

~⑩からのつづき~「かよ…。(港のある地名)に引っ越そう。ごめん、先生に言われて気付いた…。 かよの病気は俺のせいだから。治すためなら、なんでもするから。」突然の夫の言葉に動揺したことを覚えています。「何言ってるの!?仕事は? どうするつもり? 子どもたちだって…。こうきは受験生でしょ?しおりだってやっと中学校に慣れてきたのに!」「かよの体が一番大事だろっ!!」動揺したわたしの声に呼応するような大きな声。夫の言葉はまるで夕立の始まりを告げるカミナリのようにわたしの足元を揺らしました。「……あいつらは…大丈夫だよ…きっと、なんとかなるよ……」ぽつり、ぽつりと降り始めた雨のように夫は言葉をえらんで話してくれました。もしかしたら、泣いていたのかもしれません。わたしは出来るだけ静かにゆっくりと話しかけました。「あのね、聞いてくれる?あきらさん…わたしのこと信じてくれているよね?全部が妄想だとは思ってないよね?」夫が黙ってうなずくのを確認してから、わたしの考えを伝えたのです。・あの日をさかいにいろんなことが体に起きて戸惑っていること・妄想では説明のつかないことが確かに起きていて野中先生もそう言ってくれていること・5月下旬のようにどこにも主治医がいない状態は避けたいと思っていること・時間が経ったらほかの症状が出てきて診断につながるかもしれないということ・正体不明の病気以外にも、もしかしたら本当にうつ病にもなっている可能性もあること・処方される薬を飲むことでこの症状がどう変化するか自分でも確かめたいと思っていること・今起きていることは家族のせいではないこと・これ以上家族の重荷になりたくないと
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junction ~わたしの人生を変えたこと⑬~

~⑫からのつづき~女性医師に起こしてもらったあとで、エコー検査の結果を聞きました。・エコーでは、左右のすべての手指に明らかな炎症がみえた。・関節の滑膜に炎症が起っているので、関節リウマチに間違いない。・手指しか検査をしていないが、手首や足の関節痛もリウマチによるものと考えてよい。・関節リウマチだけではなくシェーグレン症候群も合併している。説明のあと、廊下で待つことになりました。しばらくすると、入院担当医だった安西先生が待合室のわたしのもとに来られました。大勢の患者さんたちがいる待合室の片隅で安西先生とわたしは一カ月ぶりにお話をしました。「松本さん…。入院時から関節痛をうったえていたあなたに、関節エコーのオーダーをし忘れました。膠原病内科医がリウマチを見逃しました。ごめんなさい。」今日までわたしを苦しめた安西先生からの謝罪でした。あの大柄なヤンキー先生がいてくれなかったら、安西先生はこの場面においても頭を下げることはなかったと思います。上品な言葉でわたしを拒絶し続けたプライドの高い安西先生。その先生との再会は、まさかの謝罪をきっかけにわたしの感情を軟化させました。伝えたいことがあり過ぎると、かえって言葉が出てこなくなるものです。できるだけ冷静に、先生に分かっていただけるように静かに話しかけました。「安西先生は、入院中に『あなたは、病名を欲しがっているようにしか見えません。』とおっしゃいましたが、わたしは病名が分かれば治療法があるかもしれないので、元気になりたい一心で病名が分かることを望んでいました。」目を見てじっと話を聞いてくださる安西先生を見て、わたしはホッとして話を続けました
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junction ~わたしの人生を変えたこと⑰~

注)今回のブログの内容は、自己判断での断薬について書いています。これは危険なことであり、再発の可能性が高まったり離脱症状が現れるなど悪化の原因になります。薬の服用は医師と相談のうえおこなってください。あくまでも、『誤診がもとで服用してしまったわたしのケース』としてご理解いただける方のみお読みください。~⑯からのつづき~「立派に死ぬこと以外、家族のためにわたしにできることはない。だから、子どもたちをお願いします。」振り返って考えると、めちゃくちゃとしか言いようのない宣言。当時はそれが真剣に考えた最良の答えと信じていたのです。そして顔を上げて言ってくれたのは 「苦しいときも楽しいときも家族はいつも一緒だ。」夫のその言葉はとても力強く、ありがたく感じました。頑固で不器用で口下手な夫が精一杯の応援として言ってくれたのでしょう。わたしには合っていなかった抗うつ薬の影響でこの時期は自殺願望を強くもっていたのです。未遂に終わったものの自殺を図ったこともありました。一日のほとんどの時間、回らない頭でじっと考えていました。リウマチの治療はこのまま続けていく。それで、きっと良くなる。 問題は抗うつ薬…あれを飲んでから、わたしがわたしじゃない。まるでエンジンを空ぶかしした自動車のようでした。 そしてほかの症状がさらに複雑になっているのです。そんな折、精神科の外来で野中先生と喧嘩をしてしまったのです。「まったく良くならないばかりか、どんどん薬が増えていくじゃないですか!この先も良くなると思えません。もう、いいです!」抑えられない感情を、野中先生にぶつけていました。「すみません、すみませんでした。」夫は
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junction ~わたしの人生を変えたこと⑩~

~⑨からのつづき~わたしの状態は一向に良くなることはなく経過しました。数日後には医師からの説明を聞くために夫が病院に来ることになっています。その朝の情報番組は女性フリーアナウンサーについてご主人が記者会見をするという話題でもちきりでした。美しい容貌と品の良い立ち振る舞いが好きで、以前からわたしは彼女のファンであったのです。なにか良くない事が起きたのではないかと心配しながら病室で記者会見を見ました。有名人カップルと知られたのご主人の悲痛な表情と『深刻』の一言。痛々しく、胸がつぶれるような苦しい気持ちになったことを覚えています。わたしの方は、数日前に始まった精神科のお薬の効き具合を診てもらうために精神科の2回目の診察を受けることになっていました。待っていたのは前回とは違う先生です。「あ、松本さん?はじめまして、野中です。よろしくお願いします。」目を見て優しく挨拶してくれた野中先生。なんとなく気を許せそうな、わずかな安心感をもちました。この病院では何を言っても伝わらない、そう心を閉ざしたはずなのに。激しい痛み、疲労感、倦怠感、不眠。ほかにもたくさんの不調がある…。一向に改善しないそれらの症状をお話してみました。「う~ん。お薬を変えてみましょうね。退院してもこちらに通院できますか?僕も心配ですのでいらしてください。」思いきって聞いてみました。「あの…妄想で涙は出なくなりますか?ひどい妄想だと肺から出血することもありえますか?」もちろん、聞かなくても答えは分かっていました。でも、聞かずにはいられなかったのです。「それはないですねぇ。そこは病棟の先生たちに頑張ってもらわないと困りますよね。
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junction ~わたしの人生を変えたこと⑨~

~⑧からのつづき~安西先生の説明通りその日の夕食の少し前に精神科から処方された内服薬が届きました。薬剤師さんが丁寧に説明をしてくださいました。「お薬について、何か質問はないですか?」優しく聞いてくださったその質問に、言葉がつまり何も答えることができませんでした。(聞きたいことは、たくさんあります!いや、違う…。こんなにも痛むのに、ほかにもたくさんの症状があるのに。妄想って。納得できないんです!)心の中で叫んでも、どうしても声に出すことができませんでした。わたしが、なにを伝えてもムダなんだ。わたしの感じる症状すべてが『妄想』それで終わる。どんなに伝えても伝わらない…。つかもうとすればするほど、遠くに離れていってしまう無力感。わたしは理解してもらうことをあきらめて、静かに希望を捨てました。なにも伝えず、なにも求めず。壊れたままのわたしでも、家族さえ受け入れてくれるのならば、それでいい。決心したわたしは納得できないままその薬を飲むことにしました。しかし、その薬はわたしになんの変化ももたらしませんでした。 薬を飲むことでさらに具合が悪くなると思っていたのですが、まったく何の変化もないのです。もちろん、良い効果もありませんでした。いつもの時間に病室を訪れた安西先生は、「松本さん、昨夜は眠れましたか?」「いいえ、まったく眠れませんでした。」「もう少し様子を見ましょうね。」数日たっても良くなることはなく、相変わらず痛む関節や筋肉は増えていきました。さらにツラかったのは目と口の渇きが日を追うごとにひどくなっているのです。瞬きをするたびに、眼球がまぶたでこすれます。つねに水を口に含まないと、口の
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