~⑭からのつづき~
原因不明の体調不良がおきてから、たくさん理不尽なことがらを耐えてきました。
家族のため、迷惑をかけている職場のため…。
一日も早く元気になってもとの生活に戻りたい。
そのことだけを思って過ごしてきました。
ですが、ついに父に対して感情を爆発させてしまったのです。
もう若くはない父を傷付けた申し訳なさ、そしてバッグの中には納得いかない『あの薬』。
何もかもすべてを投げ出してしまいたい心境で帰宅しました。
リウマチを見逃していた大学病院に対して、強い怒りをもっている夫にどう向き合っていこうか…。
そこもわたしの頭を悩ませていました。
「そんな病院には行くな!
ほかにもたくさん病院があるんだから!
俺がまともな病院を探すから!」
もっともな夫の説得の言葉でした。
ですが、わたしにはどうしても譲れない考えがあって通い続けたかったのです。
「弱めの薬だし半分の量しか出してもらってないけど、リウマチの薬に違いないからとりあえず飲んでみる。それで、効きが良くないと言ってみるから。」
と夫には納得をしてもらいました。
心身ともにギリギリの状態で翌日の朝からリウマチの治療薬がスタートしました。
期待値ゼロのあの薬。
痛みと微熱ひどい倦怠感で、生きるのも精一杯でした。
いま思えば自分には合っていなかった抗うつ薬の影響で衝動性が高まっていたわたし。
今後もあの敵キャラ林先生にかかわるのも、顔を見るのも耐えられそうにありませんでした。
薬を飲んでみると夫を説得したのに、数日後にはもう一度膠原病内科の外来を受診したのです。
予約外で受診したわたしは当日どの医師に診てもらえるか分かりませんでした。
とてもラッキーなことに川本先生の外来に呼ばれたのです。
膠原病の書籍を出している名医に紹介してもらい、初診で川本先生にお会いしてから約2カ月が経っていました。
「入院中には分からなかったリウマチが見つかりましたが、熱も痛みも悪化して困っています。」
そうお伝えすると川本先生は診療記録を確認してくださいました。
「え?この薬…。しかも1錠?
すみません。こちらでちゃんとした薬を出しますので…。
今後は僕が診ますから、すみません。」
何度も”すみません”と繰り返す川本先生には申し訳ない気持ちになりました。
川本先生が処方してくださったのはメトトレキサートでわたしの体格に応じた量でした。
やっと関節リウマチの国際的な標準治療薬がスタートしたのです。
当時は膠原病内科には3週間おき、精神科の野中先生の外来には2週間おきに通っていました。
関節リウマチと診断されたあと、なぜこれが『うつ病による妄想』と診断されてしまったのだろうか?
そのことがずっと気になっていました。
膠原病内科の林先生や安西先生だけでなく、精神科の先生も一緒に誤診したのではないか…?
どうしても確認してみたくなったのです。
「あの、野中先生。
入院中にうつ病と診断したのは別の先生なので…お聞きするのは申し訳ないのですが、どうしてわたしを『うつ病による妄想』と診断したのでしょうか?」
「これ、見てください。」
画面をくるりとこちらに向けて膠原病内科からの【ご高診依頼書】の一部を読み上げてくださいました。
「『内科的疾患は全て否定されていますので、あとは精神疾患しかありません。』ね?こう書かれているから診断したんでしょうね。痛みや血痰もすべてうつ病という意味ではなかったと思いますよ。」
野中先生はいつも誠実で、この説明も納得のいくものでした。
関節リウマチの治療が始まってからも不眠、頭がボーっとする、文章が理解できない、思考力・集中力の低下、眩しさ、視界のゆがみ。
そしてなによりひどい倦怠感と疲労感。
そのほかにも多くの不思議な症状が続いていました。
それらの多くは、うつ病の症状にも当てはまるものです。
野中先生もわたしをうつ病と思って抗うつ薬を処方しているようでした。
(本当にうつ病なんだろうか…?うつ病“だけ“なんだろうか。)
釈然としない心で、この先のことを考えていました。
この先にどんな未来が待っているか分からない。
とりあえずこの道を進んでみよう。
そう決心した時、子どもたちは夏休みにはいっていました。
息子のこうきは受験生、勝負の夏をむかえていたのです。
~⑯へつづく~