~⑩からのつづき~
「かよ…。(港のある地名)に引っ越そう。
ごめん、先生に言われて気付いた…。
かよの病気は俺のせいだから。治すためなら、なんでもするから。」
突然の夫の言葉に動揺したことを覚えています。
「何言ってるの!?仕事は? どうするつもり? 子どもたちだって…。
こうきは受験生でしょ?しおりだってやっと中学校に慣れてきたのに!」
「かよの体が一番大事だろっ!!」
興奮したわたしの声に呼応するように、夫の言葉はまるで夕立の始まりを告げるカミナリのようにわたしの足元を揺らしました。
「……あいつらは…大丈夫だよ…きっと、なんとかなるよ……」
そうして、言葉を選びながらぽつりと言った夫は泣いていたのかもしれません。
わたしは出来るだけ静かにゆっくりと話しかけました。
「あのね、聞いてくれる?
あきらさん…わたしのこと信じてくれているよね?
全部が妄想だとは思ってないよね?」
夫が黙ってうなずくのを確認してから、わたしの考えを伝えたのです。
・あの日をさかいにいろんなことが体に起きて戸惑っていること
・妄想では説明のつかないことが確かに起きていて野中先生もそう言ってくれていること
・5月下旬のようにどこにも主治医がいない状態は避けたいと思っていること
・時間が経ったらほかの症状が出てきて診断につながるかもしれないということ
・正体不明の病気以外にも、もしかしたら本当にうつ病にもなっている可能性もあること
・処方される薬を飲むことでこの症状がどう変化するか自分でも確かめたいと思っていること
・今起きていることは家族のせいではないこと
・これ以上家族の重荷になりたくないと考えていること
時間をかけて伝えました。
もともと無口な夫は返事はないものの、黙って最後まで話を聞いてくれました。
大学病院を退院したのが、6月なかば。
翌日には紹介状を持って近くのクリニックを受診したのですが、やはり医師の診断は強い力を持つものです。
初めての診察の時から、わたしが症状を伝えると
「松本さん、あなたは、○○(大学病院)で妄想と診断されているんですよ。」
近くのクリニックでも、状況は入院中と同じでした。
お腹の触診、舌診など東洋医学らしい診察のあとでわたしが話しだすと電子カルテをパチッと閉じられてしまう…。
なぜか診察のたびに種類が代わる漢方薬を2~4種類処方されていました。
行く度に数千円がかかります。
クリニックには夫に付き添ってもらっていました。
何のために、毎週かかさず通院しているのか…。
分からなくなるほどでした。
大学病院を退院してちょうど1ヶ月がたった7月中旬の朝。
右手の人差し指の付け根が、赤く腫れあがっていました。
遠目に見ても真っ赤です。
左右で比べると別の人の手のように右手が大きく腫れていました。
漢方のクリニックには3日前に受診したばかりでした。
この手…。この手を先生に診てもらおう。
突然のことに夫は仕事の都合がつかず、わたしが一人で受診することになりました。
予約を早めてやってきた私をチラッと見た先生は、すぐに画面の方に向き直ってしまいました。
先生の視界を遮るように、顔のすぐ前に右手を出して大きな声で言いました。
「だから!腫れて痛むんです!!」
びっくりした先生は、突然差し出されたわたしの右手をはじめてじっくりと診てくれました。
「妄想で痛むのと、真っ赤に腫れて痛むのは意味合いが違いますからね…。
松本さん、○○(大学病院)から来たひとでしたね。一度、○○(大学病院)に戻りましょう。」
そう言うとクリニックから入院していた大学病院あての紹介状を書いてくださいました。
このクリニックは5回目の診察で終わりました。
これでやっとすすめる。
今度こそ、分かってもらえる。
元気だったころの自分に戻ることができる。
希望を胸に大学病院にもどることを決めたとき。
微熱が下がらず、腫れた手では箸も持てず、そしてなぜか洗濯機の操作が上手にできなくなっていました。
~⑫へつづく~