~⑰からのつづき~
誤診がきっかけで服用してしまった抗うつ薬。
この薬をやめたことで、イラだちや衝動性がおさまってきました。
本来の性格を取り戻したことで、自身の身に起きたことを冷静に考えられるようになってきたのです。
生物学的製剤の注射で大きな改善が認められた関節の症状と目や口の乾きの外分泌腺の症状。
なぜか改善した不眠・引きちぎられるような筋肉の痛み・記憶の異常・献立や洗濯機の操作に戸惑う・連絡網の使い方が分からないなどの症状。
ゆっくりであっても改善があったものも含めると一時の寝たきり状態からは比べ物にならないほどに回復しました。
一方で、ひどい倦怠感や疲労感・ボーっとする頭・ゆがんで見える視界や眩しさ・集中力や文章理解力の低下などの症状は残っています。
これらは、抗うつ薬を服用しても少しも良くなることはなく、うつ病の症状ではなかったことがはっきりしました。
短時間の外出ができるようになり、目前にせまった息子こうきの高校受験の準備に参加しました。
入試に記載する内申点が決まり、最後の進路面談にはわたしも同席したのです。
反抗期のうえ、伸びない成績にふてくされていた息子をなだめるように担任の先生が親身になってくださいました。
アドバイスを受けて、学校説明会にギリギリの日程で間に合ったのです。
インフルエンザやノロウイルス感染症が心配されるなかで慌ただしく日々が過ぎていきました。
入試に必要な書類の作成や提出に追われる中で、受験予定の高校の帰り道にわたしは駅の階段を踏み外してしまったのです。
隣にいたこうきが咄嗟に腕を持ってくれなければ、そのまま転げ落ちてしまうところでした。
この出来事をきっかけにひさしぶりに眼科を受診してみました。
この頃は医療機関・医師に対して不信感を抱いていたのです。
きっと聞いてもらえない、どうせ治らない…と。
あきらめ半分で受診した眼科は子どもたちが小さい頃からお世話になった地元の女性医師です。
ゆがんで見える視界や眩しさと、4月からの一連の体調不良の経過をお伝えしました。
一通りの検査をおえて先生は、使用中のメガネの度数も合ってるし、眼科としては問題はなさそうと。
やはりここでも『異常なし』。
そして最後に先生は気になることを言ったのです。
「目から入った情報を映像として構成する部分に何か問題があるのかも…。脳神経の領域の話になります。」
あ…やっぱり、そうか。
ずっと心に引っかかっていた点と点が細い糸でつながったような感覚でした。
そんな折、またしても夫から通院先の大学病院をかえるように説得されます。
関節リウマチを見逃していたことが分かった時にも同じように言われていました。
ですが、わたしには譲れない考えがあって転院はせずにこの時もまだ通院していたのです。
「誤診したあげくにろくな謝罪もない。さらに合わない薬を飲まされていた。そんな病院になぜ通い続けるのか、俺は理解できない!」
今回は眼科の先生の言葉に力を得て、わたしの考えを伝えてみました。
「ほんとだよね。ほかの病院で診てもらった方がいいのかなってわたしも思う。」
言葉を選びながら説明を続けました。
「記憶のこととか、見え方のこととかもそうだし。本が読めないことも変だよね。検査しても異常なしって言われちゃうし。」
夫の返事は待たずにそのまま話を続けました。
「眼科で言われたんだけど、脳の中の異常かもって。わたしもそんな感じはしていたんだ。MRIにも映らない異常があるかも知れないって。」
夫はこちらを見て、この後にわたしが何を言うのかとじっと待っているようでした。
「画像に映らなくても、頭を開いて直接見たら異常が分かると思う。私が死んだら、解剖してほしい。」
その後は予想通りの大反対を受けました。
死んだ後のことよりも、生きてる今を大切にするようにと。
夫のその気持ちはありがたく受け止めつつ、わたしとってそれは譲れない思いに変わりありませんでした。
発病当時からのすべての画像やデータが○○大学病院にあるのです。
現代でも研究の進まない疾患は多く存在します。
また、奇病などと呼ばれて正体のわからないものも無数にあります。
”わたしのあとに続く同病の方のために献体(解剖)を希望する”
頑固な夫をはねのけるほどの強い覚悟を持ったころ、季節は早春。
梅の花が紅くふくらみ始めていました。
~⑲へつづく~