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junction ~わたしの人生を変えたこと⑳~

~⑲からのつづき~2020年のはじめ、家庭では息子のこうきが高校卒業を間近に控えていました。不安な気持ちでいっぱいだった中学の卒業時と比べると大人になって頼もしく成長していました。高校入学当時からはじめたアルバイトや運動部での部長経験もこうきを成長させたのだと思います。卒業する開放感からか、やや浮足立った生活を送るようになり母としては気の休まらない日々を過ごしていました。娘のしおりは、高校に入学して部活動や電車と自転車を使っての通学に慣れるだけでも大変そうな時期もありました。二学期になると高校生活にも慣れてきて、兄もお世話になっているスーパーで一緒にアルバイトを始めていました。アルバイトにも慣れてきて3月に行われる部活動の発表会の練習が忙しくなってきた頃です。2020年の2月には、新型感染症のニュースが毎日のように報じられるようになっていました。世界中がパンデミックの恐怖を感じていたその頃。わたしも再びはっきりとしはじめた不思議な症状に恐怖を感じていました。前年の8月、関節リウマチの注射薬が半分になってから2カ月はほぼ体調の変化を感じていませんでした。11月には視界のゆがみが強くなったことに気が付きます。手指の関節が赤味をもって腫れるようになり、目眩や筋肉の痛みも感じるようになりました。12月には倦怠感や疲労感がひどく座って過ごすこともツラくなっていました。2月に入ると食欲もなく一日中横になって過ごすようになりました。火にかけた覚えのない薬缶がシュンシュンと沸騰していたり…。記憶がないのにお米が研いである…。いくら冷蔵庫を開いても献立がたてられません。あれだけ得意だったお料理が
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junction ~わたしの人生を変えたこと㉒~

~㉑からのつづき~4年2か月ものあいだ原因がわからなかった不思議な症状がついに大きな進展をむかえました。偶然に視聴した動画から情報を得て、脳神経内科の先生の診察を受けるのです。その頃、なぜか両手両足同時におこった腱鞘炎。両手に装具、足元にはソールの厚いスニーカーを履いていました。それでも、痛みやシビレがひどく夫の手助けはありがたかったものです。通いなれた大学病院の慌ただしい印象とちがい、この神経内科の病院は時間が静かに流れているようでした。3時間くらい待ったでしょうか。ようやく通された診察室では、受診のきっかけとなったあの動画に出演されていたお医者さんが迎えてくれました。前日に支度した各検査結果、経過表、薬手帳を見せながらあの日から今日までのことをお伝えしました。既往歴や家族歴、誤診のことや精神科のお薬が合わなかったこと、そして自己判断で断薬したこともすべて…。小さくうなづき、電子カルテに打ちこみながら聞いてくださいました。先生「言葉がでないことがあるでしょ?献立も決められない…?自己注射を減らしてから悪くなったでしょ?」いくつかの質問をしながら、大学病院で撮った頭部MRIや脳血流検査の読影レポートに目を通していました。しばらくして、こちらに向き直ると先生「症状や経過をお聞きして、自己免疫疾患の既往もあるので、ほぼこの病気に間違いないと思います。」やっと分かったのか、そうか…4年間長かったな。”やっぱり”という気持ちと『原因不明のループ』から突然ぬけだした驚き。ひどくボーっとする頭で先生からの説明を聞いていました。先生「自己注射をもとの量にもどしつつ、神経内科からもお薬を出して
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junction ~わたしの人生を変えたこと㉓~

~㉒からのつづき~2020年6月4年以上、正体のわからなかった不思議な症状に『病名』がつきました。病名の有無と健康・不健康はあまり関係がないように思えます。病名がわかれば治療につながり、元気なころの自分にもどれると信じていました。検査入院した大学病院では「あなたは、病名を欲しがっているようにしか見えません。」と言われたこともありました。正しくない病名がついたせいで服用した薬のツラい副作用も経験しました。そして、この頃には両親と距離を置くようになっていたのです。父は当時現役で仕事をしていました。徹底した権威主義者の両親は、医師の言葉は間違いがないものと信じていたのです。リウマチなど膠原病の症状はとても良くなっているのに不調を訴えつづけるわたし。自宅でようやく家事をしている状態でした。行く先々でくり返される医師からの『異常なし』いつしか両親の目には、わたしの姿が怠けているように映ったようです。忙しく充実した日々を送っている姉との比較。「そうやって家にいて、働いている人に申し訳ないと思わないの?」そう聞いたのは母でした。そんなこと、わかってる…。子どもたちの運動会にも行けず、受験準備も満足にしてやれなかった。あの日から一度も旅行にも連れて行っていない。夫の休日もほとんどを通院の付き添いにつかってしまうこと。復職できなかった職場にも仲間にも申し訳なく、自分を責めてきました。だからそんなこと…とっくに分かっているから。些細なやり取りすらツラくなり、両親からの電話に出ることができなくなりました。怠け癖が付いてしまった娘を励まして更生させようとする、純粋な親心だったのかもしれません。ですがこ
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junction ~わたしの人生を変えたこと⑲~

~⑱からのつづき~長男こうきの高校入試をひかえて2017年は年明けから慌ただしく過ぎていきました。公立高校の入試日程は私立に比べるとおそく、合格発表・入学手続きを済ませると卒業式は間近にせまっていました。ようやく進路が決まって、落ち着いてきたこうき。息子の卒業式・入学式にはわたしも出かけることができました。わたしの体調は自己注射でかなり落ち着き、休みながらの家事や短時間の外出が可能になりました。夫の付き添いを頼りにしていた通院も自分で電車を使って行けるようになっていました。目に見えるように回復した関節と外分泌腺(涙・唾液)の炎症、不眠。一方で、やや回復傾向にあるひどい倦怠感や記憶力などの不思議な症状たち。それらは依然としてはっきりと症状として残っていたのです。膠原病内科の川本先生にもお聞きしてみました。ですが採血検査や画像診断も異常なく、不思議な症状の原因は分からないと。いつしか自分でもそれらを考えないようになっていたのです。家庭では進学・進級を迎えた子どもたちが日々成長していきます。母として成長を喜ぶかたわらで新たな心配ごとが次々と起こるのです。思春期の子育ての難しさを感じているうちに、時間は瞬く間に過ぎていきました。2カ月おきの通院は同じ薬を処方されるだけになって慢性期といえる状態でした。関節リウマチなど膠原病の症状はとてもよくなり、全身が痛かった身体は一か所も痛まなくなっていました。ですが、元気になったわけではないのです…。少し動くと疲れて立っていられなくなり、日に何度も横になって休みながら過ごしていました。2016年の春をさかいに、別人のよう変わってしまった身体。家族に
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junction ~わたしの人生を変えたこと⑱~

~⑰からのつづき~誤診がきっかけで服用してしまった抗うつ薬。この薬をやめたことで、イラだちや衝動性がおさまってきました。本来の性格を取り戻したことで、自身の身に起きたことを冷静に考えられるようになってきたのです。生物学的製剤の注射で大きな改善が認められた関節の症状と目や口の乾きの外分泌腺の症状。なぜか改善した不眠・引きちぎられるような筋肉の痛み・記憶の異常・献立や洗濯機の操作に戸惑う・連絡網の使い方が分からないなどの症状。ゆっくりであっても改善があったものも含めると一時の寝たきり状態からは比べ物にならないほどに回復しました。一方で、ひどい倦怠感や疲労感・ボーっとする頭・ゆがんで見える視界や眩しさ・集中力や文章理解力の低下などの症状は残っています。これらは、抗うつ薬を服用しても少しも良くなることはなく、うつ病の症状ではなかったことがはっきりしました。短時間の外出ができるようになり、目前にせまった息子こうきの高校受験の準備に参加しました。入試に記載する内申点が決まり、最後の進路面談にはわたしも同席したのです。反抗期のうえ、伸びない成績にふてくされていた息子をなだめるように担任の先生が親身になってくださいました。アドバイスを受けて、学校説明会にギリギリの日程で間に合ったのです。インフルエンザやノロウイルス感染症が心配されるなかで慌ただしく日々が過ぎていきました。入試に必要な書類の作成や提出に追われる中で、受験予定の高校の帰り道にわたしは駅の階段を踏み外してしまったのです。隣にいたこうきが咄嗟に腕を持ってくれなければ、そのまま転げ落ちてしまうところでした。この出来事をきっかけにひさしぶ
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junction ~わたしの人生を変えたこと①~

娘の中学校の入学式の朝、左腕に痛みを感じました。前日に支度しておいたセレモニースーツのハンガーに手を伸ばそうにも痛みで腕が上がらないのです。筋肉痛とも打撲とも違う、経験したことのない痛みでした。そこから、痛みは強さを増し痛む箇所が増えていきました。痛む体をかばいながら子育てと仕事を続けてきました。手指の関節炎と激しい疲労感で座っていることも出来なくなり、やむなく仕事を休職。この先、わたしの体はどうなってしまうのだろう・・・。子どもたちをこの先どうやって育てていこうか。大好きな仕事、大好きな仲間に迷惑をかけてしまう。不安と罪悪感でぐちゃぐちゃな心。突然、透明なアクリルケースにすっぽりと閉じ込められてしまったような、そんな感覚におちいりました。当たり前のように時は流れていて、これまで同様に社会は回っています。職場はきっと今日も慌ただしくて、子どもの学校では淡々と授業が進められているでしょう。たしかに、私もその社会の中にいるはずなのにアクリルケースの外に出ることができない。見えるのに触れることの出来ない閉塞感を感じた、8年前の5月半ば。何年経ってもこの季節になると胸がチクっとするのです。  ~②へつづく~
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junction  ~わたしの人生を変えたこと②~

~①からのつづき~痛みや炎症、倦怠感から始まった異変…。ほどなくして呼吸器からの出血が始まり、どうにもならない不安が全身を包みました。「わたしの体に、何かが起きている。」内科、整形外科、耳鼻科、内分泌代謝科、呼吸器科いったい、何件の医院/病院を訪ねたでしょうか。自分の足で受診できたのはじめの一ヶ月。日を追うごとに悪化して、しまいには脇からグイっと抱えられてようやく歩行ができるほどにまで体調が悪くなっていました。そんな時、地元の大きな呼吸器外科で珍しい血液検査項目が異常値を示している事を知ります。調べるとそこには、自己免疫疾患、呼吸器出血、膠原病などのワードがならんでいます。膠原病…。そうか、やっぱり。造影CTをしないと、他院への紹介ができないという担当の先生。すでに、食欲低下、嘔吐、下痢によってひどい脱水の状態で造影剤が投与できません。予定していた検査が中止になり、明らかに不機嫌な態度の先生。だるい、だるい。と座っていることもできない私に担当の医師は言いました。「患者はあなただけじゃないんです。いそがしいんです。ご主人、ちょっと。」廊下に呼び出した夫に「奥さんのことは、診れないから。ほかに行って下さい。」そう告げてすぐにその場を立ち去ってしまったそうです。(私はこの事実を数年後に知りました。)紹介状もなく、レントゲン写真も貸し出されず。ほかと言われても、どこに相談に行けばいいのかも分からないままに放り出されてしまった…。歩くこともままならなくなってしまった私を連れて、途方に暮れてしまったと。夫は、当時を振り返って言いました。見えない大きな力で、どんどんと悪い方向に誘導されている
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junction ~わたしの人生を変えたこと㉔~

~前回㉓からのつづき~膠原病内科の川本先生は2通の手紙を読み終えると電子カルテの入力に集中していました。4年以上も病気を見過ごしていたことの言い訳を考えているのでしょうか。それとも、他院での診断を持ち込んだわたしに立腹しているのでしょうか。川本先生の気持ちを想像しながら、じっと次の言葉を待っていたのです。息がつまるほどの緊張は、淡々とした川本先生の言葉でほぐれていきました。「とりあえず、脳神経内科の吉田先生の指示通りに注射の量を戻しますね。」結局、川本先生はこの病気については詳しくなく全面的に吉田先生の治療方針に従うかたちになりました。川本先生のお気持ちがわからないまま、不足分の注射薬を受け取って帰宅したわたしたち。混み始めた高速道路を自宅に向かいながら、病名の分からなかった4年間をふり返っていました。なん度も希望と絶望をくり返したこと、死後に解剖(献体)を望んでいたこと。まだ明るい夕方の街並みを見下ろしながら、二人は過去から未来の話へとふくらませていました。現在でも研究段階にあるこの病名には保険診療で使える治療薬は多くはないのです。この”生物学的製剤の注射”も新たに見つかった脳神経内科の病名では処方出来ません。あくまでも膠原病の治療として処方を受けるしかありませんでした。複雑な医療保険制度のなかでも有り難いことに治療を続けることができたことにホッとしました。そして、注射の量が元に戻ったたったこれだけのことで体調は目に見えて回復していきました。痛む関節は消えて、起きていられる時間がふえていきました。買い忘れや献立がたてられないなどの困りごとも減りました。両手両足の同時におきた腱
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junction  ~わたしの人生を変えたこと③~

~②からのつづき~この先、どの方向に進んでいいのかすら見えなくなってしまいました。早く元の身体に戻って仕事に行かないと…。わたしの体に一体何が起こっているのだろうか?その理由を知りたい、理由が分かれば治せるかもしれない。ぐるぐると頭の中で考えが巡っていました。焦りと不安の色をまとった重たい思考それらは脳内を占拠して、一秒もその考えから気をそらす事もできません。どっぷりと居座ってしまった焦りと不安の感情相反するように、身体に起こった異変は日を追うごとに強さを増し、また新たな不調が現れてきます。数週間前の身体に戻りたいと願うわたし。まるで嘲笑うように、進攻の手を緩めない正体不明の異変。それは恐怖心を抱かせ、もう一歩も進むことができない…。真っ暗闇で何も見えない。深い絶望と不安の中にいました。「ほかに行ってください。」とあっさり、放り出した呼吸器外科のお医者さん。せめて、○○科に相談しては?くらいのヒントでもくれれば違ったのかもしれません。その時に思い出したのが、呼吸器外科で引っ掛かったあの珍しい血液検査項目のこと。直後にわたしの現状を知った知人との電話で一筋の光となる情報を得ます。「膠原病かもしれないの?○○駅近くの医院で膠原病の本を書いたお医者さんが診察してるよ。」ご高齢のために週に数回しか外来診療をしていない先生でしたが、調べてみるととても評判の良い先生のようでした。この先生に診てもらおう。やっと方向が見えた安心感。繁華街のビルの一角にあるその医院。そこを訪ねるためには、駐車スペースの確保が必須でありました。結局は車を使うことができず交通機関を利用することになったのです。座った
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junction  ~わたしの人生を変えたこと⑤~

~④からのつづき~「お母さんは、病院のベッドがあいたら入院させてもらえるように頼んできたから、お前たちも協力するんだぞ。」「良かったね!」「早く元気になってね、お母さん。」喜んでくれる家族のようすに、うれしさとこの子たちを置いていく不安が半分づつでした。いつ入院してもいいように、翌日から少しずつ荷造りをスタート。パジャマや下着、タオル、洗面用具などを並べてチェックリストを見ながら準備しました。クローゼットの上の段から大きなスポーツバッグをおろして陰干しをしようと手に取ると、革製のチャームが触れました。去年の小6の宿泊学習の時にしーちゃんが付けたクマさんのチャームです。(外さないでこのまま病院に付けて行こう。)入院準備が整い、ふくらんだスポーツバッグを玄関の片隅に置いてしばらくすると電話がかかってきました。「お部屋の準備ができましたので、明日の11時までに入院受付にお越しください。」明日か…。予想よりも早いことの驚きと気がかりなのは家族のこと。いそいで夕食用の宅配弁当の手配を済ませました。戸締りやお洗濯ものについてのお願い事を書いて、見えるところに貼りだしました。今年から受験生、中3のこう君は部活で副部長になり新入部員のお世話に忙しいようです。妹のしーちゃんは中1です。はじめての部活動で新たなできごとに挑戦する日々です。二人とも6月半ばの運動会の練習を通して、新しいクラスメイトとも少しづつ打ち解け始めているようでした。後ろ髪を引かれる思いで、自宅を出て入院先の病院に向かいます。案内された病室のベッドには、   【  松本 かよ 様  】【主治医 林   担当医  安西 】あぁ、患
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junction  ~わたしの人生を変えたこと④~

 ~③からのつづき~子どもたちを中学校に送り出すと、すぐにわたしたちも膠原病の先生のいる医院へ向かいました。タクシー、電車、地下鉄…。一体いくつ乗り換えたか記憶がはっきりしません。関節の腫れた手では電車の手すりに摑まることもできずスロープのわずかな傾斜すらバランスをとることもできない。足の指まで炎症が広がっていました。呼吸器からの出血は、増えないものの止まる気配がありません。真っ赤な血液を含んだ痰をテッシュに吐きながらの移動です。「ごめん、もう歩けない。」壁に寄りかかり目を閉じてしばしの休憩。早く行かないと!早く原因を見つけて…早く元気にならないと。気持ちばかりが焦るのに、数十メートルが歩けないのです。こうしているわたしたちのすぐ前を忙しそうに会社に向かう人びとが通り過ぎていきます。3月までは、わたしも同じように社会の一員だった。いつからこんな風になってしまったのだろう。何がいけなかったのだろう、何を間違えたのだろう。寄りかかり目を閉じたわたしの目から涙があふれていました。「歩ける?」再び、脇からグイっと抱え上げてくれた夫。たしか、駅前の医院と聞いていました。実際には本当に徒歩数分なのかもしれませんが、もの凄く遠い距離に感じました。やっと到着して渡された問診票を記入して、ほどなくして診察室へ。”しっかりしないと!やっとみつけた診察への扉じゃないか…。”奮い立たせる気持ちとはうらはらに体力は限界でした。座っていることもままならず、診察机につかまらないと姿勢を保つこともできなかったのです。問診票と自宅で書き出していった「これまでの経過」に目を通した先生は、いくつかの質問をするとおも
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junction ~わたしの人生を変えたこと🈡~

~前回㉔からのつづき~2022年に脳神経内科の吉田先生から紹介された新たな治療法。すっかりあきらめていたあの不思議な症状に大きな効果がありました。耳鼻科の先生の言葉どおりに頭のボーっとする感じが軽くなっていきます。それまでは、いつも脳内に暗幕をかけられている感覚がありました。何をするにも重く暗い感じがしていたのです。それらの症状が良くなると同時に、著しい低下を感じていた集中力や思考力も回復を実感しました。気がつくと、献立に悩まなくなり洗濯機の操作ミスもなくなっています。特に困っていたのが文章を理解できないことでした。子どもたちが持ち帰る”学校からのお知らせ”や役所関係の書類は全く内容を理解できないでいたのです。こんな状態が長く続いているとそれが当たり前になるのか、家族にはずいぶんと助けてもらっていました。「保護者アンケートの紙で、書いて提出するものだよ。」「文化祭中止のお知らせだよ。」と、あらかじめ大まかな内容を伝えながら手渡すルールができていました。それでも分からない時には家族に読んでもらったり、頼れない時には一文づつ何度も読んでいました。指でたどったり、「/」や「。」をつけたり、重要と思われるところに蛍光ペンで印をつけて読む。それでも理解できない時には、声に出して読み上げると聴覚からも助けられるのでなんとか読めていました。ですが書類での手続きは、もっぱら夫にお願いしていました。字は読める、単語の意味も分かる。なのに、文章になると理解ができない。高次脳機能障害のひとつというこれらの症状も、この耳鼻科の治療により改善していきました。体調をくずして6年半、日常生活に困難があること
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junction ~わたしの人生を変えたこと㉑~

~⑳からのつづき~ずっと原因の分からなかった不思議な症状。それとよく似た症状を起こす「ある病気」の動画を見つけた2020年6月。身体に異変を感じてから4年2カ月もの時間が経っていました。動画内で知った病名をたよりにインターネットで情報を集めました。するとすぐに、ある支援団体のホームページにたどり着きます。動画内で取材を受けていた患者さんがその支援団体の活動を支えていらっしゃいました。ここに連絡すればきっと進める、何度もあきらめた未来がひらける…。でも、なかなか連絡することが出来ません。怖いのです。また同じように期待した分、落胆して大きく傷つくのではないかと。これまで、何件の医療機関を訪ねたことでしょう。診察・検査そして『異常なし』ずっとこのくり返しでした。勇気がなくて動き出せないわたしに、夫はそっと言いました。「ダメだったら、ふり出しに戻るだけじゃない?それならまた、そこからはじめればいいよ。」何度も壁にぶつかって、挫折しては泣いて。その度に家族と一緒に立ち上がってきました。ですが、生物学的製剤の自己注射がはじまってからの3年は、身体に残った不思議な症状から目を背けて暮らしていました。自己注射を減らしてから、徐々に体調をくずして数カ月。思うように動くことも、考えることもできなくなっていたのです。ひどくボーっとした頭で緊張する相手との電話は勇気のいるものでした。夫の応援もあり意を決して、その支援団体に連絡をしてみました。するとそこではインタビューを受けていたあの患者さんがお話をしてくださいました。・よく似た症状であってもこの病気ではないことも多い・診断がむずかしい病気である・海外
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junction ~わたしの人生を変えたこと⑩~

~⑨からのつづき~わたしの状態は一向に良くなることはなく経過しました。数日後には医師からの説明を聞くために夫が病院に来ることになっています。その朝の情報番組は女性フリーアナウンサーについてご主人が記者会見をするという話題でもちきりでした。美しい容貌と品の良い立ち振る舞いが好きで、以前からわたしは彼女のファンであったのです。なにか良くない事が起きたのではないかと心配しながら病室で記者会見を見ました。有名人カップルと知られたのご主人の悲痛な表情と『深刻』の一言。痛々しく、胸がつぶれるような苦しい気持ちになったことを覚えています。わたしの方は、数日前に始まった精神科のお薬の効き具合を診てもらうために精神科の2回目の診察を受けることになっていました。待っていたのは前回とは違う先生です。「あ、松本さん?はじめまして、野中です。よろしくお願いします。」目を見て優しく挨拶してくれた野中先生。なんとなく気を許せそうな、わずかな安心感をもちました。この病院では何を言っても伝わらない、そう心を閉ざしたはずなのに。激しい痛み、疲労感、倦怠感、不眠。ほかにもたくさんの不調がある…。一向に改善しないそれらの症状をお話してみました。「う~ん。お薬を変えてみましょうね。退院してもこちらに通院できますか?僕も心配ですのでいらしてください。」思いきって聞いてみました。「あの…妄想で涙は出なくなりますか?ひどい妄想だと肺から出血することもありえますか?」もちろん、聞かなくても答えは分かっていました。でも、聞かずにはいられなかったのです。「それはないですねぇ。そこは病棟の先生たちに頑張ってもらわないと困りますよね。
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junction ~わたしの人生を変えたこと⑦~

~⑥からのつづき~病棟の夜は長いものです。21時の消灯時間をすぎると、文字通り病室の照明は薄暗く足元灯が中心となります。そうしたほの暗さがより夜の長さを感じさせていたのかも知れません。初めての異変を感じたあの日、しーちゃんの中学校の入学式…。その日から、少しづつ眠りに入るのに時間がかかるようになっていました。ナースの仕事は立ち仕事です。日勤を終えて自転車に飛び乗ると、帰宅途中でお買い物を済ませて家路を急ぐ。休むことなく、家族の夕食の支度・片付け・入浴が終わるころにはもう 電池切れ です。横になった瞬間に眠りに落ち、すぐに朝になっていました。不眠に悩んだことなど一度もなかったのです。しかし、あの日を境にどんどん眠れなくなっていきました。入院したあともさらに不眠はひどくなる一方で、長い長いその不安な夜を病室のベッドの中で過ごしていました。布団を頭からかぶり、スマホでテレビを観たり…。家族や友人とメッセージでやり取りをしたり。それも、日付が変わるころまでのことでした。病室の薄いカーテンのすき間から、外の世界が見えます。10階の病棟から見下ろす繁華街のネオンは、まるで万華鏡の中を見ているようでした。眼下を行きかう自動車のライトは呼吸するかのように、規則性をもって煌めいています。左の向こうには、電車が長い車列をなして流れていきます。(あの電車に乗ればみんなの待つ家に帰れる…。自宅に帰りたい。)今にもあふれそうな涙をパジャマの袖でそっと拭い再び横になりました。(そうだ!)スマホで地図を開き、ストリートビューで自宅付近を探してみました。こう君としーちゃんが通った小学校が見えます。西門のすぐ左
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junction ~わたしの人生を変えたこと⑨~

~⑧からのつづき~安西先生の説明通りその日の夕食の少し前に精神科から処方された内服薬が届きました。薬剤師さんが丁寧に説明をしてくださいました。「お薬について、何か質問はないですか?」優しく聞いてくださったその質問に、言葉がつまり何も答えることができませんでした。(聞きたいことは、たくさんあります!いや、違う…。こんなにも痛むのに、ほかにもたくさんの症状があるのに。妄想って。納得できないんです!)心の中で叫んでも、どうしても声に出すことができませんでした。わたしが、なにを伝えてもムダなんだ。わたしの感じる症状すべてが『妄想』それで終わる。どんなに伝えても伝わらない…。つかもうとすればするほど、遠くに離れていってしまう無力感。わたしは理解してもらうことをあきらめて、静かに希望を捨てました。なにも伝えず、なにも求めず。壊れたままのわたしでも、家族さえ受け入れてくれるのならば、それでいい。決心したわたしは納得できないままその薬を飲むことにしました。しかし、その薬はわたしになんの変化ももたらしませんでした。 薬を飲むことでさらに具合が悪くなると思っていたのですが、まったく何の変化もないのです。もちろん、良い効果もありませんでした。いつもの時間に病室を訪れた安西先生は、「松本さん、昨夜は眠れましたか?」「いいえ、まったく眠れませんでした。」「もう少し様子を見ましょうね。」数日たっても良くなることはなく、相変わらず痛む関節や筋肉は増えていきました。さらにツラかったのは目と口の渇きが日を追うごとにひどくなっているのです。瞬きをするたびに、眼球がまぶたでこすれます。つねに水を口に含まないと、口の
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日常のこと ④  ~一生懸命はダメ~

 おはようございます! 松本 かよです☆もうじき全国的な梅雨入りですね。六月に入ってすぐにひさしぶりに「らっきょうの甘酢漬け」を仕込みました。1  らっきょうの根と茎を切って皮をむいて水洗い  2  酢、みりん、砂糖、塩、輪切り唐辛子をお鍋で煮立てて冷ます                  (好みの味にブレンドします)3  よく洗ったらっきょうを沸騰したお湯で10秒ザッと茹でる4  すぐにザルにあげて完全に冷ます5  清潔にした瓶にらっきょうを入れて2を注ぐ6  らっきょうが浮かないようにラップで落し蓋をして1カ月漬けるあら、簡単!わたしがらっきょうの甘酢漬けを作るようになったのは、ヒロちゃんのお宅でお手製のらっきょうの甘酢漬けをご馳走になってから。ヒロちゃんはわたしが結婚前後に勤めていた職場で知り合った方です。わたしの母と同世代の主婦・母・女性としての大先輩です。ヒロちゃんはお宅の庭に咲いた桜の花びらを塩漬けしたものを作っていました。それを分けていただいて、わたしと夫が婚約したさいの両家顔合わせでは、縁起物として知られる『さくら🌸湯』が席に花をそえました。「すごいねぇ、手作りできるんだ!」らっきょうの甘酢漬けが美味しくてパクパク食べるわたしに庭の物置からお漬物用のガラス瓶を持ってきてくれて「これ、持ってきな。」と持たせてくれて、5月から6月上旬の今がらっきょうの仕込み時であることを教えてくれました。「ヒロちゃんのうちから帰る途中でらっきょうを買って帰ろう!一生懸命にむいて漬けるね。」「かよちゃんさぁ、 くくくっ(笑)一生懸命にむいたら、らっきょうが無くなっちゃうよ。玉ねぎとお
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日常のこと ②  ~ぼくらはHERO~

こちらに、少しずつ書き込むようになって15日。私のブログなんてきっと誰も読まないだろう。と思っていました。そんな予想は外れ、ありがたいことに数名の方からメッセージをいただきました。「実は、わたしも…」と。教えてもらった私の方がビックリするような共通点がある方もいて、書いてみて良かったなぁと思っています。「ブログ読みました!体調はどうですか?」と心配してくださる声に、なんとうれしいことか…涙今から8年前のことを、思い出しながら…。自分の気持ちを整理しながらゆっくりゆっくりブログに書いていこうと思っています。ですが、あまりにもゆっくり過ぎて心配をかけ続けるのも気が引けるので(笑)きょうは私の現在を書いてみようと思います。発病したのは8年前の春。4年後にようやく病名が分かってがわかりました。体調の上下はあるものの、おかげ様で安定した状態で生活することができています。正しく診断されたことにより、対症療法であっても新たな薬が使えるようになったり、これまでの薬の量を調整していただけたこと。そして何よりも この身体の慣れてきた。う~ん、操縦のコツをつかんだ感じとでも言いましょうか。< 大丈夫 ...∥... 無理 >のオリジナル境界線が見えるように。<私の一日>娘を起こして、お弁当を持たせて「いってらっしゃい!」三人家族の洗濯物をして、あちこち適当に掃除。夕飯の支度をコツコツと。 以上!え?  少なっ!書いた自分でビックリ(笑)ひとつひとつの工程ごとに休みを入れて、一日かけてこなしています。野菜を出して洗う(休む)野菜を切る(休む)調理①(休む)調理②(休む)のように。すぐに椅子や布団に帰っ
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