~⑳からのつづき~
ずっと原因の分からなかった不思議な症状。
それとよく似た症状を起こす「ある病気」の動画を見つけた2020年6月。
身体に異変を感じてから4年2カ月もの時間が経っていました。
動画内で知った病名をたよりにインターネットで情報を集めました。
するとすぐに、ある支援団体のホームページにたどり着きます。
動画内で取材を受けていた患者さんがその支援団体の活動を支えていらっしゃいました。
ここに連絡すればきっと進める、何度もあきらめた未来がひらける…。
でも、なかなか連絡することが出来ません。
怖いのです。
また同じように期待した分、落胆して大きく傷つくのではないかと。
これまで、何件の医療機関を訪ねたことでしょう。
診察・検査そして『異常なし』ずっとこのくり返しでした。
勇気がなくて動き出せないわたしに、夫はそっと言いました。
「ダメだったら、ふり出しに戻るだけじゃない?
それならまた、そこからはじめればいいよ。」
何度も壁にぶつかって、挫折しては泣いて。
その度に家族と一緒に立ち上がってきました。
ですが、生物学的製剤の自己注射がはじまってからの3年は、身体に残った不思議な症状から目を背けて暮らしていました。
自己注射を減らしてから、徐々に体調をくずして数カ月。
思うように動くことも、考えることもできなくなっていたのです。
ひどくボーっとした頭で緊張する相手との電話は勇気のいるものでした。
夫の応援もあり意を決して、その支援団体に連絡をしてみました。
するとそこではインタビューを受けていたあの患者さんがお話をしてくださいました。
・よく似た症状であってもこの病気ではないことも多い
・診断がむずかしい病気である
・海外に比べて日本は研究が遅れている
・現在の日本では正しく診断できる医師は10名ほどしかいない
・多くの無理解や偏見に苦しんでいる患者さんが大勢いる
その方は体調の悪いなかでもじっくりと丁寧に説明してくださいました。
わたしは、あらかじめメモに質問を書いていたのですが、言葉が出にくい症状もあったために電話中はとても緊張していました。
わたしのペースをゆっくりと待ってくださりありがたかったです。
そしてなによりも驚いたのは、わたしが暮らしている地域にこの病気の研究チームのリーダーをされているお医者さんがいることです。
この地域では有名な脳神経内科の病院でした。
思いきってその病院に電話をかけてみたのです。
外来の方に内容をお伝えして折り返しの連絡をまつこと数十分
病院)「可能でしたら明日の午前の外来に来られますか?」
なんと電話の翌日には研究リーダーの先生の外来で診てもらえることになったのです。
あわてて夫は仕事を調整して付き添ってくれることになりました。
わたしは、これまでの経過を説明するために採血結果や画像診断のレポートをそろえていました。
4年間で集めた検査データのなかには、知人の紹介で訪ねた”膠原病の本を書いた名医”に見せた自作の経過表もありました。
4年前に約5週間分の身体の異変を手書きでまとめたものでした。
筋肉痛や関節の腫れた部位、血痰、体温、受診した医療機関と受けた検査が記入してありました。
”この表を書いている時は4年も原因不明だなんて予想していなかったな...”
あれから、いろんなことがあった。
わたしのことだけじゃなくて、家族のこともいろいろあった。
苦しいことだけでもなかった、楽しいこともうれしいこともたくさん詰まった4年間。
しばらくは手を止めてボーっとする頭で過ぎた時間をふりかえっていました。
あっ、薬手帳や自己注射のノートも持っていかなくちゃ。
不安と期待で落ち着かない気持ちのまま翌日の診察にむけて準備をしました。
突然あらわれた希望の扉に、夫はいつもより子供と会話がはずんでいます。
翌日
「そろそろ行こうか!」夫と二人で病院に向かいます。
両手両足に腱鞘炎がおきていたので、歩行や車への移乗も手伝ってもらいました。
このときは2020年6月16日
日本で初めての緊急事態宣言の期間があけて3週間がたった頃でした。
~㉒へつづく~