~⑲からのつづき~
2020年のはじめ、家庭では息子のこうきが高校卒業を間近に控えていました。
不安な気持ちでいっぱいだった中学の卒業時と比べると大人になって頼もしく成長していました。
高校入学当時からはじめたアルバイトや運動部での部長経験もこうきを成長させたのだと思います。
卒業する開放感からか、やや浮足立った生活を送るようになり母としては気の休まらない日々を過ごしていました。
娘のしおりは、高校に入学して部活動や電車と自転車を使っての通学に慣れるだけでも大変そうな時期もありました。
二学期になると高校生活にも慣れてきて、兄もお世話になっているスーパーで一緒にアルバイトを始めていました。
アルバイトにも慣れてきて3月に行われる部活動の発表会の練習が忙しくなってきた頃です。
2020年の2月には、新型感染症のニュースが毎日のように報じられるようになっていました。
世界中がパンデミックの恐怖を感じていたその頃。
わたしも再びはっきりとしはじめた不思議な症状に恐怖を感じていました。
前年の8月、関節リウマチの注射薬が半分になってから2カ月はほぼ体調の変化を感じていませんでした。
11月には視界のゆがみが強くなったことに気が付きます。
手指の関節が赤味をもって腫れるようになり、目眩や筋肉の痛みも感じるようになりました。
12月には倦怠感や疲労感がひどく座って過ごすこともツラくなっていました。
2月に入ると食欲もなく一日中横になって過ごすようになりました。
火にかけた覚えのない薬缶がシュンシュンと沸騰していたり…。
記憶がないのにお米が研いである…。
いくら冷蔵庫を開いても献立がたてられません。
あれだけ得意だったお料理ができないのです。
パンや洋菓子・和菓子…毎日たくさん作っては家族の帰りを待っていた日々を過ごしていたのに。
何ができるのか?どのように作っていいのか?書きためたレシピを見てもどうしても分からないのです。
「お夕飯のメニューが決められないの…。」
困り果てたわたしは夫に打ち明けました。
「じゃあ、2、3コ作れそうな候補をあげてくれれば俺が選ぶよ?」
「ちがうの、1コも浮かばないの。こんなにお肉もお野菜もあるのに。どうしても分からないの。」
当たり前にできていたことができなくなっていました。
むしろ、趣味というべきお料理ができなくなってしまって混乱していました。
優しく寄り添った言葉をかけてくれた夫もわたしの状況を理解できていないみたいです。
「頑張っても…どうしても、できないの…。」
泣き出したわたしを見て夫は困った顔をしていました。
4月には緊急事態宣言が出され、自粛・ステイホームの毎日になっていました。
これまでに経験していた不思議な症状のほかにも、両手両足の腱鞘炎が同時に起こりました。
新たに加わった症状にも通院すら難しい状況でした。
歩くことも物を持つことも、そして考えることもできなくなってしまったのです。
ついには、薬の管理も出来なくなりました。
飲み忘れる、飲んだことを忘れる…そう言えばナースだったんだよなぁ、わたし。
終わった、完全に壊れたんだな…。
なすすべもなくただ横たわって時間が過ぎるのを待っていました。
2020年6月 ある病気をとりあげた動画を観ることになりました。
動画に登場する患者さんはわたしと同じ症状を話していました。
専門家として招かれた医師も、まるでわたしのことを話しているように感じました。
あれ…これ、わたしのことじゃない?
不思議な症状そっくりそのままをおこす病気があったんだ!
夫が仕事から帰宅すると一緒に動画を観てもらうことにしました。
途中から食い入るように夫は画面に集中して観てくれていました。
「かよの病気は絶対これだよ。気持ちが悪いほどにそっくりだよ。」
そして、この動画をきっかけに奇跡のような出会いを経験するのです。
~㉑へつづく~