~⑥からのつづき~
病棟の夜は長いものです。
21時の消灯時間をすぎると、文字通り病室の照明は薄暗く足元灯が中心となります。
そうしたほの暗さがより夜の長さを感じさせていたのかも知れません。
初めての異変を感じたあの日、しーちゃんの中学校の入学式…。
その日から、少しづつ眠りに入るのに時間がかかるようになっていました。
ナースの仕事は立ち仕事です。
日勤を終えて自転車に飛び乗ると、帰宅途中でお買い物を済ませて家路を急ぐ。
休むことなく、家族の夕食の支度・片付け・入浴が終わるころにはもう 電池切れ です。
横になった瞬間に眠りに落ち、すぐに朝になっていました。
不眠に悩んだことなど一度もなかったのです。
しかし、あの日を境にどんどん眠れなくなっていきました。
入院したあともさらに不眠はひどくなる一方で、長い長いその不安な夜を病室のベッドの中で過ごしていました。
布団を頭からかぶり、スマホでテレビを観たり…。
家族や友人とメッセージでやり取りをしたり。
それも、日付が変わるころまでのことでした。
病室の薄いカーテンのすき間から、外の世界が見えます。
10階の病棟から見下ろす繁華街のネオンは、まるで万華鏡の中を見ているようでした。
眼下を行きかう自動車のライトは呼吸するかのように、規則性をもって煌めいています。
左の向こうには、電車が長い車列をなして流れていきます。
(あの電車に乗ればみんなの待つ家に帰れる…。自宅に帰りたい。)
今にもあふれそうな涙をパジャマの袖でそっと拭い再び横になりました。
(そうだ!)
スマホで地図を開き、ストリートビューで自宅付近を探してみました。
こう君としーちゃんが通った小学校が見えます。
西門のすぐ左奥には、飼育小屋があるはずです。
西門前を通り過ぎて大通りを右に行くと、ほらっ、あった!
見慣れた建物、わたしが暮らしていた自宅が映りました。
この中にあの子たちがいるんだ、もうきっとぐっすりと眠っているだろうな。
徐々に明るくなり、少しづつ病棟にいつもの活気が戻ってきました。
いつもと同じ時間に安西先生の回診がありました。
そこで、自宅の住所を思い出せなかったこと。
メガネを斜めにかけているように視界が歪んで見えること。
光が眩しく感じること。
本を読んでも文字が頭の上をすべっていくようで内容が理解できないこと。
時間の計算ができなくなったこと。
まったく眠れないこと。
筋肉や関節の痛み、下痢嘔吐、血痰以外にも気になる症状が出てきたことを安西先生にお伝えしました。
すると、安西先生は
「松本さん、精神科に診てもらうようにお願いしておきますから。」
じっと私の顔を見つめて
「は、はい…。」
と、わたしが答えるのを見届けるとすぐに病室を出ていきました。
精神科?
なぜ…?
説明を聞いている時の安西先生は、とても興味のなさそうな表情をしていました。
明らかに面倒くさそうな安西先生を思い出して、胸がざわつくような大きな不安を感じました。
いったい、わたしはこの先どうなってしまうのだろう。
一筋の光さえ見失っていました。
~⑧へつづく~