~③からのつづき~
午前中の診察を受けるために子どもたちを中学校に送り出すと、すぐにわたしたちも膠原病の先生のいる医院へ向かいました。
タクシー、電車、地下鉄…。
一体いくつ乗り換えたか記憶がはっきりしません。
関節の腫れた手では電車の手すりに摑まることもできず、スロープのわずかな傾斜すらバランスをとることもできないほどに足の指まで炎症が広がっていました。
呼吸器からの出血は、増えないものの止まる気配がありません。
真っ赤な血液を含んだ痰をテッシュに吐きながらの移動です。
「ごめん、もう歩けない。」
壁に寄りかかり目を閉じてしばしの休憩。
早く行かないと、早く原因を見つけて、早く元気にならないと。
気持ちばかりが焦るのに、数十メートルが歩けないのです。
こうしているわたしたちのすぐ前を忙しそうに会社に向かう人びとが通り過ぎていきます。
3月までは、わたしも同じように社会の一員だった。
いつからこんな風になってしまったのだろう。
何がいけなかったのだろう、何を間違えたのだろう。
寄りかかり目を閉じたわたしの目から涙があふれていました。
「歩ける?」
再び、脇からグイっと抱え上げてくれた夫。
たしか、駅前の医院と聞いていました。
実際には本当に徒歩数分なのかもしれませんが、もの凄く遠い距離に感じました。
やっと到着して渡された問診票を記入して、ほどなくして診察室へ。
”しっかりしないと!” やっとみつけた診察への扉じゃないか…。
奮い立たせる気持ちとはうらはらに体力は限界でした。
座っていることもままならず、診察机につかまらないと姿勢を保つこともできなかったのです。
問診票と自宅で書き出していった「これまでの経過」に目を通した先生は、いくつかの質問をするとおもむろに時計を見上げて言いました。
「まだ午後からの受付に間に合うから、○○大学病院に行きなさい。
川本君が午後の外来にいるから。絶対に今日行って。」
会計を済ませ○○大学病院あての紹介状を受け取りました。
再び電車移動をしたはずですが、その時の記憶はまったくありません。
そして、はじめての○○大学病院に入ります。
あふれかえる人、人、人。
ようやく空いた椅子に座って待つこと3時間。
川本先生にはじめてお会いしました。
「状態が良くないようなので、入院してしっかりと検査しましょう。
満床なので【緊急性有り】としてベッド待ちのリストに入れました。」
検査一式と入院手続きを済ませて帰宅できた頃には、すっかり日も暮れていました。
やっと前に進めた。ようやく診てもらえる。
気持ちも明るく、心なしか足取りも軽く感じた帰り道。
ですが、この時はまだ一月後に再び絶望の底に叩きつけられるとは
わたしも夫もまだ知らなかったのです。
~⑤へつづく~