~⑬からのつづき~
林先生が処方した内服薬を前に、わたしは言葉を失いました。
カウンターの向こうでは、お薬の説明書きをもとに薬剤師さんが説明を続けています。
わたしはつい数週間前まで病院でナースとして勤務していました。
時には関節リウマチの患者さんの診察に同席することがあります。
『関節リウマチ』と初めて診断された方にリウマチの治療について医師から説明がおこなわれていました。
いく度となくそうした説明を聞いていたわたしは、エコー検査後に関節リウマチと聞いてから、自分が処方される薬について予想ができていたのです。
関節リウマチの治療薬は、メトトレキサートが国際的な標準治療薬として使われています。米国においてはそれが第一選択薬として推奨されています。
しかし、目の前に出された薬を見るとそれは、メトトレキサートではありません。
林先生がわたしに処方した薬はリウマチの治療薬ではあるのですが、通常処方される半分の量しかありませんでした。
つまり、成人1000mg/1日とされている薬が、わたしには500mg/1日で処方してあったのです。
”なぜ、こうも林先生は痛めつけるようなことをするのだろうか…。”
患者の立場で医師の処方に意見して、とおる道理はありませんから…。
ただ黙って薬を受け取りました。
今にも破裂しそうな心を抱えて病院を出ようとすると、バッグの中でスマホがマナーモードで着信を知らせていました。
いそいで病院の建物を出てスマホを見ると、それは父からのものでした。
20日も入院していて一度も会うことのなかった主治医の林先生は、外来でも信じられない態度であったこと。
処方された薬は、種類も量も納得いかないものであること。
感情をぶつけるように一気に話しました。
ですが父からの言葉は、思いもよらないものだったのです。
「お前さぁ、ちょっとばかり病院に勤めていたからといって生意気なんだよ!医者でもないくせに!診断がどうの薬がどうのこうのって…。少しは頭を冷やせっ!!」
かろうじて爆発させずに保っていたダイナマイト状態の心は、限界をむかえていました。
病院の前で口論するわけにもいかず、
「もういい。分かった!」と電話を切ってしまいました。
せっかく時間を見計らい心配して電話をかけてくれた父を傷つけてしまったのです。
父の世代は医師の言葉を絶対的に信用することが多いのでしょう。
『うつ病による妄想』この診断も両親はかたくなに信じていました。
大学病院を退院してしてからも時折り
「大学病院の医者がお前を精神病と言っているじゃないか、いい加減に認めたらどうだ。」
と説得するようなことをしていました。
もともと権威主義者でもある父には、わたしの言葉がただの戯言に聞こえても無理はありません。
でも、今回は我慢ができませんでした。
未熟ながらも積み重ねてきたナースとしての日々。
それすらも、たったひと言でひっくり返された。
そんな淋しさもありました。
怒りとも悔しさとも…ひと言は言い表せないドロドロとした感情を抑えることができません。
帰り道、ながれる景色を窓の外に見ながらわたしはじっと考え込んでいました。
処方された薬が納得できないのはさておいて、診断がついて治療がスタートしたことには変わりありません。
それは、希望につながることにほかならないのですが…。
膠原病(わたしの場合は関節リウマチとシェーグレン症候群)では説明のつかない症状があるのです。
とまらない血痰、ゆがんで見える視界や眩しさ、不眠、ひどい倦怠感や疲労感。
さらに住所を忘れてしまったり、洗濯機の操作が上手にできないこと、文章が理解できないこと。
ほかにもたくさんの異常がおきているのです。
そうか…。戦いはまだ終わっていないんだ。
肌を焼くように照り付けていた太陽はかたむき、あたりは夕暮れ時をむかえていました。
~⑮へつづく~