junction ~わたしの人生を変えたこと⑯~

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コラム
~⑮からのつづき~

子どもたちは夏休みに入っていました。


しおりは部活動の練習に通っています。


はじめて接する『先輩』の存在に戸惑いつつも、春から始まった中学校の生活にすでに馴染んでいるように見えました。


こうきは3年生なので、夏休みに入るとすぐに進路面談が予定されています。


体調の良くないわたしの代わりに、夫が面談に行ったのですが細かなニュアンスが伝わらず、やきもきしてしまいました。


オープンキャンパスや部活動体験など中学3年生の夏休みともなると親子で忙しいはずなのですが、そのどれにも行けません。


思うように動けない事にイライラして、しだいに母としての自信を失っていきました。

夏休みと同時にやっとスタートした治療。


[膠原病と同時にうつ病も発病している]


今のところ、そういう結論になっているのです。


ですが、わたしには納得がいかないのです。


簡単な時間の計算ができないこと、文章が理解できないこと、洗濯機の操作が上手くできないこと、そのほかにもたくさん症状があります。


それらもすべてうつ病でしょうか。


野中先生にお聞きしても

「今は病気のことばかり考えているでしょ?だからだと思いますよ。」


と説明を受けました。


そうかなぁ、住所まで忘れるだろうか…見えている世界がグチャッとゆがんで見える、照明が眩しい。


それだって、うつ病にしてはおかしい。


精神科の野中先生にお会いするたびにそれらの症状をお伝えしました。


すると退院時、安定剤が1錠と抗うつ薬1錠であったものが、症状をお伝えするたびに抗うつ薬が増えていきました。


1錠が2錠、2錠が3錠へと薬が増えていくたびに焦りと衝動性が高まっていくのです。


息子の大切な中3の夏に寝込んでいるわたし。


家族に迷惑をかけている自分がどうしても許せないでいたのです。


また、残念なことに関節リウマチの標準治療薬メトトレキサートはわたしには効果があるように思えませんでした。


病気の勢いが強かったせいもありますが、ステロイドを併用しても進行がとまりません。


パンパンに腫れた膝が曲がらず、下着を自力で変えることもできないのです。


手指に起きていた炎症は肘、そして肩にまでどんどん体の中心に向かって広がっていました。


リウマチの治療がスタートして9週後には生物学的製剤の自己注射も追加になったのです。


2週間おきに自宅でパチンっとボタンを押すだけで簡単に注射が打てます。


結果としてこの注射がわたしの体にはとても合っていたようです。


2週間に1本、1カ月にたった2本の注射だけで悪化の一途であった病状が一気に【回復】に転換したのです。


これまでペンを握ることができないので、ハンカチで縛って文字を書いていました。


そのハンカチすら口を使わないと縛れませんでした。


日常生活動作の多くができなかったのに毎日少しづつ…ほんの少しづつ腫れが引き、できることが増えていきました。


そして血痰のことですが、自己注射が始まる前に腫れあがった膝に対してステロイドの静脈注射をしてもらったことがあります。


その注射をさかいにあれだけ止まらなかった血痰はピタリと止まりました。


生物学的製剤の注射にも慣れてきました。


”この注射は効いている”そう実感できたのは4回目の注射がすんだころ。


カレンダーは11月になっていました。

夏の大会を最期に部活を引退したこうきはしだいに荒れていきました。


夜中に家を抜け出して自転車で遠くまで行っていたこともあります。


そうしてトラブルを起こしては学校から連絡がきていました。


ひとり進まない進路活動、伸びない成績に荒れる気持ちも分かります。


自宅では母親が寝込んでいるのですから、無理もありません。


多忙な仕事に加え、わたしの通院の付き添いで手いっぱいの夫にはこれ以上は頼めませんでした。


”ごめんね、こう君。役立たずのダメなお母さんだね。”


少しづつ腫れが引きリウマチの回復が見えたとはいえ、ひどい倦怠感と疲労感、ボーっとする頭。


そのほかの不思議な症状も続いていました。


これまで何度挫折をしてもその度に立ち上がり、元気になる道を探してきました。


勤め先の病院を休職したのは5月中旬のことでした。


就業規則では休職期間を6ヶ月間と定められていたのです。


元気になって復職するという目標は果たせることなく消えたのです。


目標を失ったわたしには、もう一度立ち上がる力は残っていませんでした。


ある日夫に、本音をぶつけていました。


「消えたいんだよ…。
働けなくなって…医療費もたくさんつかってさ。
家族にも、これ以上の迷惑はかけられない。」


うつむきながらじっと聞いている夫はとても疲れた顔をしていました。


「あきらさんにも、申し訳ないと思っていて…。
ほとんど寝たきりの生活で、なんにもできないし…。
立派に死ぬこと以外、家族のためにわたしにできることはない。
だから、子どもたちをお願いします。」


ものすごく身勝手な決意を『誠意』と信じて真剣に伝えた2016年11月。


ニュースでは<アメリカ大統領選挙 ドナルド・トランプVSヒラリークリントン>の動向を伝えていました。

~⑰へつづく~

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