浪費の正体は、消えゆく自分を救うための儀式
意志の弱さでも、家計簿の失敗でもない。2,000件のFP相談から見えた、止まらない買い物の裏にある「感情のメカニズム」を解き明かす。
日曜の夕方。17時を少し過ぎた頃のリビングには、穏やかな休日の空気が漂っている。夫はソファで野球中継を見ながら、時おり解説者の声に相槌を打つ。
妻はキッチンに立っている。洗い終わった食器を拭くふりをしながら、もう片方の手でスマホを強く握りしめている。
開いているのはクレジットカードのアプリだ。
画面に数字が表示される。心臓がドクンと一度、壁を殴るように鳴った。指先が急速に冷たくなる。スクロールする親指が、わずかに震えている。リボ払いの残高。先月よりも明らかに増えている。
「ねえ、何見てるの?」
リビングから夫の声が飛んできた。彼女は考えるより先にアプリを閉じ、レシピサイトの画面に切り替える。
「ん、明日の晩ごはん何にしようかなって」
自分の声が、どこか遠くの他人のもののように聞こえる。
怖いのは数字を見られることではない。また使ったのかという、あの静かな失望の目を向けられることだ。
あの目を向けられるくらいなら、一人で抱えていた方がましだ。そうやって飲み込んだ重さは、着実に彼女の息の根を止めようとしていた。
家計のコントロールを失うことは、世間一般では意志力の問題だと片付けられる。自制心がない。だらしない。家計簿をつけていないからだ、と。私は経営工学の修士号を持ち、実務のファイナンシャルプランニングで2,000件以上の相談を受けてきた。行動経済学の視点から、人の金融行動の裏側にある深層心理を長年分析している。
その膨大なケースを経た今、私は静かに
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