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私は悪人です

いつもありがとう(^o^)今回の内容は極々、一部の方にしか関係のない話になると思います。それでも問題なければ、続きをお読みください。私のことを少しでも「良い人」だと感じてる人は、ご注意ください!私は「悪人」です。私は、「欲」で、できています。「欲の塊」です。「欲」が邪魔されると、腹が立ちます。嫉妬もします。傲慢にもなります。どうしようもない愚かな人間です。そのことを教えてくれたのがお釈迦様であり、親鸞聖人です。どこの宗教団体にも属していませんし属したいとも思いませんが私が求めてる「答え」を教えてくれる偉大なる「師」=メンターということです。神様や仏様は「お金を必要としない」という当たり前のことを理解しています。コンビニのレジでお金を払ってる神様や仏様を見たことがないからです。って言うか神様や仏様は、人の姿をしていない。宇宙の法則?自然の摂理?エネルギー?どれが正解かは知りませんがそのようなことだと認識しています。で、タイトルにある「私は、悪人です。」に戻りますが悪人であることを認めた上でそんな私でも「幸せに、なれるんだろうか?」「幸せになる資格って、あるんだろうか?」と考えました。そんな人間の姿を見て「悩み苦しみの絶えない愚かで哀れな者たちをどうにかして救いたい」と気が遠くなる程の年月をかけて願われ神通力を手に入れられたのが阿弥陀如来様でした。(弥陀の本願)私は阿弥陀如来様の力(他力)によって極楽浄土へ連れて行かれる身であることを知らされました。(他力による導きがなければ「六道」という悩み苦しみの世界を永遠に輪廻転生する身であった)死後の世界を心配する必要がなくなった残りの人生
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「自己責任」という言葉の残酷さ

これは、僕の親しい人にはよく言っている話しですが、 「自己責任」という言葉ほど残酷なものはないと思っています。 よくあることとして、 なにかの進路や選択を後悔して悩んでいる人に 「自分で選んだ道でしょう?」などと 軽々に言う人がいますけど、 僕はそんな残酷なことは言えないのです。 確かにそれは自分が選択したことかもしれませんが、 その人に「すべての」選択肢が用意されていた上で、 あえてそれを選んだというわけではないと思うからです。 人にはそれぞれ事情があります。 家庭の事情。 経済的な事情。 そのときの社会の情勢。 などなど。 そういう複雑な背景があって、 その中で人は、 「限られた」選択肢の中から、なんとか選択しているわけで、 その選択を「まったくの自己責任」というように言われても 困ってしまいます。 というか、そういう事情を考慮しないで 「自分の選んだ道じゃないか」とか 「自己責任なんだから」 という短絡的な物言いは 極めて残酷ではないかと思う次第です。 例えば、生まれてきた家庭の経済状況で、 その子どもへの教育にかけられるお金はまったく違ってきます。 別の言い方をすれば、 どういう家に生まれてきたかで、 そもそものスタートラインが全然違うわけです。 そういう例からしても、 「自己責任」などという言葉を 軽々しく使ってほしくないと思いますし、 僕は使いません。 いや、「使えない」と言った方がいいのかもしれません。 そんなふうに考えていますので、 「自己責任」という言葉は 僕の嫌いな三つの言葉のうちのひとつになっています。 残りの二つは?って? それはまた別の話しで(笑) お
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♪続々・重要な独り語り(今後について)・ 最終章

♪冒頭加筆 = ご報告から。“☆ひとつ” の最低評価を、取引先さまからようやく頂戴できました。 この行為には送り主側にも勇気(ちょっと違うかな?)が求められます。 この点では素直に感謝しています。ちなみに私はできない(=しない姿勢)ため、このような評価しか思い浮かばない場面では、黙って過ごしています。 負の感情をお届けしてしまった事実に対しては、真正面から受け止めさせていただきます。 謝罪すべきと判断すれば、速やかにその旨を文字にしてお届けしています。 その必要は無い、と判断した場合には、いわゆるスルーです。 衆目の中で子どもの口喧嘩を展開する趣味はありません。 誓って強がりではなく、これまでお約束的に “☆☆☆☆☆(5つ)” が続いた1年数ヵ月でした。 「或頁生って三文字はどうしても受付けられない & 勘弁してほしい!」 そんな方々が一定数存在してこそ、真逆の方々と相互信頼関係を築けると考えます。 意図的に不快感を振りまいているつもりはありませんが、個性が際立てば自ずと意見がわかれるのは、人物像だけではありません。 *価値観や相性そして相手に向き合うスタンスの合致 / 不合致。 これに尽きると考えます。 実は今年に入ったあたりから、意識的にココナラでのやり取りに際し、それまでよりも厳しい(=鋭角的)な対応を意識していました。 それが早くも反映されたのか or 偶然だったのか、答えを急ぐことはないでしょう。 大衆にソッポを向かれてしまい、新たな出会いに恵まれなくなったとすれば、自業自得です。あくまで画面上に限ったことですが、今回 "満点会員" の荷物を下ろすことができたことで
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責任から逃れることが自立、成長の機会を奪う

「つい可哀想で助けちゃうんですよ。」相手の責任を自分が負わない。自己満足で相手の自立、成長の機会を奪わない。でも相手が自ら責任を取る手助けはする。これこそ相手の成長の支えになる。自分の課題は自分で、だけど一人じゃない。リーダー、また親としてこういう存在が理想的と思います。でも責任負わせるのって、可哀想じゃない?責任を負うことがその人の成長と自信に繋がります。自立とは自分で自分の選択と行動の結果、責任を所有することです。自己完結すること。一人で負いきれないような責任も確かにある。その責任を逃れることでなく、全うできるよう上司や親は支えになれると良いですよね。責任逃れをしていると可能性も広がらない強みを最大限活用する理論、ウェルスダイナミクスの自己分析には自分のレベルを示すものがあります。各レベルにはそれぞれ課題があります。最初にレベルの課題こそ、今回のテーマである「責任」なんです。以降のレベルの土台ともなる責任、これが確立していないと後の可能性も広がらないんです。
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「自由とは責任の範囲である」責任を果たすことで人生が自分のものになる

コーチングで本質に「自由とは責任の範囲である」と気づくことで、救いより絶望を感じてしまう人がいます。長らくの他責体質でこれを受け止められない、受け入れられない場合、アレルギーのように反応する。これは本人次第で変える事ができるけど、良し悪しじゃなくこれこそ本人の選択なんですよね。真の自立は人生の責任を負うことウェルスダイナミクスには、社会的役割、立場、価値観、そして責任の範囲を示す「スペクトル」というレベルがあります。このスペクトルには各レベルにおいての課題が示されますが、ここでの大きなテーマが「責任を果たす」なんです。これが人生においての真の自立の第一歩。重たいように感じますが、これが確かなものになると、人生が自分のものになったような手応えが得られます。それが「自由」なんですよね。生き方は誰かに決めてもらうものではない生き方は本人の責任の範囲の趣味性なので、それに良し悪しはないんですよね。ただ、自由や変化を求めるならば代償が伴う。得られるものがあれば失わなければならないものがある。そしてそれを選ぶのは自分。この選択は誰にも委託できないんですよ。きっかけは他人からもたらされても、決めるのは自分。このサービスでは、自分の今の役割、立場において果たすべき課題が分かります。それをクリアしてこそ、人生の主役になる事が出来ます。
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常識で制限されるあなたの生き方

「そういうもんだから」「そうするべきでしょ」「普通は」…常識という言葉で責任逃れをする人。自分の頭で考えず、自分の選択に責任を負わない。自由とは責任の範囲のことですが、こういった人にはそもそもその境界線がないんですよね。生き方を常識という頼りないものに委託しちゃダメですよ。生き方の基準は自分が決めるウェルスダイナミクスの自己分析ツールの一つ、スペクトルレベルは社会的役割、立場、価値観、経済力などの指標です。自分のレベルが分かると共に、そこで必要な課題も明示されます。その課題の中に「基準を決める」というのがあるんです。これは生き方の選択基準になる価値観のこと。サラリーマンから個人事業主、フリーランスになる過程にこの課題があります。それは、会社に属する生き方から自分一人で社会に立つために必要な基準なんですよね。注:このレベルに良し悪しはなく、自分の幸福度を基準に選ぶものです。自分の人生に責任を負うことで得られるもの生き方は人それぞれで良し悪しはない。定められた常識という範囲の中で生きていくことも一つの選択です。ただ、自由の範囲も定められることを受け入れる必要があります。常識に縛られず、自分の生き方を選ぶことはその選択に責任を負うことになります。でもその手応えとやりがいは格別だったりします。このサービスではあなたの課題を明確にし、生き方の方向性、基準を定めていきます。
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フリーランスは自由?そのイメージだと恐い結果に

フリーランスは自分との戦い、自由って軽くない。常に自制、欲望とのせめぎ合い。自分の行いがそのまま人生に反映される。これは恐いですよ。ただ…得られるものも大きい。自分の責任、選択によって得られた成果、それは自信につながります。成果に至るプロセスは、誰よりも自分が知っていますからね。人生の可能性広げるには、まず自分自身を整える先に書いた通り、自分の行いがそのまま未来の結果を生み出していきます。とすると、より良い結果を生み出す原資、土台は自分自身ということになるんですよね。ウェルスダイナミクスには、社会的役割、立場、価値観、経済力のレベルが分かる「スペクトル」という指標があります。スペクトルは自分のレベルが分かると共に、レベルごとに必要な課題も明示されます。このスペクトルレベルの最初の段階で提示される課題は・お金を測定する・行動を正す・義務を果たすといった3つのテーマ。人としての基本。これはまさに「自制」に他ならないですよね。この3つをしっかり果たすことにより、後の成長、可能性の広がりがまるで変わってくるんです。人生は極めてシンプル仕事のみならず人生もシンプルな原因と結果、因と果です。もう一度言いますがとてもシンプルな原則。やったこと、選択、決断がそのまま結果として形になる。フリーランスとして表現しましたが、これはサラリーマンも全く一緒。厳しくもあるが、人生の主導権は自分のものということも教えてくれます。こちらのサービスは、人生を自ら切り開き自由を得るためのプロセスをお伝えするものです。
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人間関係のあらゆる問題が解決するたったひとつのこと

責任の領域、境界線です。これが世の中のさまざまな人間関係においての原因だと思っています。まず責任について。責任を負わせないことはその人にとって害になります。これは子どもでも、部下でも。個人が負うべき責任は負う。気持ちは分かるけど、助けてあげることは本人のためにならない。助けるのは「一人じゃ背負いきれないこと」についてのみ。個人の責任の範囲は人間関係において不可侵の領域なんです。責任の範囲が分かり、線引きができるようになるウェルスダイナミクスの自己分析、特性診断「プロファイルテスト」を受けていただいたクライアントさまが、「自分の役割が分かって人付き合いの線引きができるようになった」とおっしゃっていました。これは確かにそうで、自分の性格、特性、価値観などが分かると、領域のようなものが見えてきます。そこが自分のパーソナルスペースというか、自分と他の人の間に境界線を引き、自分が世の中に示す役割、責任の範囲にもなるんですよね。領域、境界線を守ればいざこざは起きない個人の責任の範囲、その領域については何にも先んじて学ぶ、また教える人間関係の基本だと思ってます。極論、この領域、境界線をわきまえていれば、人間関係のあらゆる問題は解決するんじゃないでしょうか。責任を負わせすぎるのはもちろん、負わせないのも大きな問題だったりします。このサービスでは、まさに今回のテーマである領域、境界線が分かるようになります。人間関係でヘトヘトな方、ラクになるかもしれませんよ。
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投資も婚活も自己責任

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迷走

朝・・目が覚めてしまった。頭や体は重く、視界さえぼんやりとしている。それでも、動かなければ。起き上がると、吐き気とめまいが襲った。当たり前だよね・・睡眠薬100錠も飲めば永眠できると思ったのに罰が当たった。。その頃の私は、ほぼ何も食べられず摂食障害になっていた。朝ごはんの用意をしながら、ただぼんやりと考えていた。そうだ・・証拠を残さなければ!思いついたのは「ボイスレコーダー」本来、買い物をするときは 夫であるあの人に買いたいものを伝え許可が出れば、カード払いをしていた。私はすぐに車を走らせ、家電量販店に行った。思考能力は、ほぼ無かった。車の運転も道順も覚えていない。ボイスレコーダーを手にし、レジに向かった。初めて、あの人に内緒で買い物をした。この際だから、ありったけの家電製品を買おう。そう思い、今まで欲しかった美容グッズやドライヤーをかごに入れレジに向かった。合計金額が出て、カードを渡した。店員から言われた言葉「あの、お客様?カードが使用できませんと出ますが・・」 え?さっき使ったカード・・・店員は続けて言う「先ほどこのカードでお買物されましたよね?」「はい」 「おかしいですね・・磁気不良なのでしょうか・・」私は震えた。カードが止められたのだ。。。「すみません、今手持ちの現金がないので後で買いに来ます。一旦戻していいですか?」「かしこまりました、またのご来店をお待ちしています。」家に着くと、あの人が家にいた。「勝手に買い物してんじゃねーよ!カードは紛失したと言って使えない様にした。残念だったな」「だったら、私の通帳返して!母からの仕送りを返して!!」「通帳なら返してやるよ。」そ
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5〜11歳への接種💣親が握る子供の命と健康そして幸せ

カバー画像は🤳ナカムラ先生note2022年コロナはどうなるかより親が自らの過ちに気付くのは、常に悲劇が起こった後である。仮に強制接種になったとする、その時は一思いに葬られたい。このワクチンを体に入れて生きていく事に私は、精神的に耐えられそうにないtypeだから💔この海兵隊の方の投稿を見た時💘強く共感しました※その時の動画提供者が見つからなかったので 写真はMayo97さんのRumbleからお借りしました。 Mayo97さん有難うございます💝感染予防ゃ重症化予防、死なない為に接種する人が見たら接種を拒否して喜んで死ぬって、何言ってるんだか意味不明でしょうネッ😳知った上で接種する方の中には、遺書を残す方々もいる 今回のワクチンお子さんをお持ちの方々にとって何の為のワクチン接種か 考える機会となる事を願って〜泉大津市長の南出 賢一氏からのMessageをお届けします〜一体何から子供を守るというのか⁉️コロナによる死亡以上のワクチン接種による重篤な副反応とワクチン接種後の死亡riskを負わせてまで💣南出市長、いつも有難うございます💝知らなかった、という理由で悲劇が軽減するなら救われるけど知らなかった事に容赦ないのが現実🤣私達には自由意志が与えられています選択するのは自分 完全に自己責任 の状況に置かれています結果に対し、自分や誰かを責めたところで 無かった事には出来ません自分で蒔いた種は自分で刈る❣️とてもsimpleな法則にして、尊い教えですょネッ😄💖
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爆チン接種の理由…それは世の中の流れ💔 流されるナッ

心配して下さってる方もいるでしょうか?必死の訴えも全く届かなぃまま今日、兄の爆チン接種予約日を迎えてしまぃました昨夜準備した資料を、今朝📬仕事の前に兄の家に届けその足で一旦仕事へ行きましたがお昼には帰宅し、今度は医師への資料を準備し勿論ノーマスクで、接種会場である市役所の兄の元へ押し掛けました(最後の最後まで、泣きべそかきながら)ノーマスク、数人がかりで取り押さえられそぅになりましたょ😵この紋所が目に入らぬか❗️とお守りを見せながらマスクの強要は憲法違反ですよっ‼️と告げると全員退散😳小さな印籠の効果抜群私の必死な姿が怖かったのかも(笑)一刻を争ってましたからだって接種前に💉兄を止めなきゃなんですもん問診医の方へファイザー社の研究計画書を渡すも英語が読めなぃ🙉結局私が口頭で説明(したんじゃ意味なぃのに〜ッ🤣)この秋、義理の姉が出産を控えていますファイザー社が出してる警告文書にある妊婦が爆チン接種していなくても、爆チン接種者からの環境暴露による妊娠の異常な結果についてetc…問診医の方とのやり取りを録音させて頂きましたYouTubeにしなぃと、ここで聞いて貰えないのょね私には高ぃhurdleです(笑)challengeするのでしばしお待ち下さぃ🙇‍♀️どんなやり取りだったかと言うと問診医『推奨する事はしていません、私この爆チンは反対してますので』『私はこの爆チン自体は打ちたくないです、患者さんにも打ちたくない』Wow❣️接種会場の問診医が言っちゃう〜⁉️ここ迄言い切る問診医の方の言葉さえ、兄には届きませんでした🙈💔私  『先生自体は接種されないんですか?』問診医『それはちょっとも
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2020東京オリンピック

改めて57年ぶりの東京での開催新型コロナウイルスが世界的に猛威を振る中、無観客開催と決まり200カ国以上の国から選手団が派遣されての実現に、本当に素晴らしいことと思います選手にとって一生に一回あるかないかの晴れ舞台絶対に参加したいという強い思いがあったからこその集合エネルギーによる実現(執着ではなく、純粋な想い)また、無観客開催を余儀なくされ、いろいろな制限がある中で、準備してこられた関係者の方々の努力、精神は頭が下がります通常開催とは大変異なり、開催そのものが危ぶまれ、決定は遅れ、準備も思うように進まず相当な難題があったかと推測しますしかし、この環境下で、できる限りのおもてなしで開催できる国、それが日本経済的に考えると、観客なしの運営となると他の国では、かなり高い確率でそもそも開催が出来てはいなかったのではないか?!今回のオリンピック開催に関しては、いろいろな意見、思惑各国のしがらみがある中でいろいろな意見がたくさんあり。。。”約束を守る 責任を果たす”という日本人のDNAが、開催を実現させたのではないでしょうか?今回の東京オリンピックの開催は、大きな意味があるように思います今回、東京オリンピックが1年遅れで、開催できたことは、”何かとても象徴的な新しい時代への始まりの兆し”と捉えることができるのではないでしょうか?3次元から、5次元へ次元上昇⇒世界中、多くの人が、SNSで、空間を超えて繋がる歴史学者によると、世界の文明は800年ごとに入れ替わって、西へ西へと変遷してきてるそうです(西洋から東洋へ文明が移行)経済優先の大量生産資本主義(大量消費)から地球環境を重視しすべての自
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会社では教えてくれない営業術 115 自己責任って?

今日もご覧いただきありがとうございます。営業トレーナー&アンガーマネジメントコンサルタントOffice M & Rの坂山一哉です。今日は自己責任について書いてみたいです。上長の頃、メンバーから相談を受けました。得意先でやってみたいことがあるが了解を得られるかと。社内コンプライアンス的にはギリギリでしたが私の決断はNO。どうしてもダメですか?っていうから、ダメとしか言いようがない。その彼はしぶしぶ引き下がって行きましたが、後日勝手に実行していました。何故それが判ったかというと・・・その彼との同行時に得意先の方がポロっと仰ったんですね。そして彼に聞きました。「あかんって言ったのに、なんでやったんや」と。彼曰く、「所長があかんと言いましたが、顧客が喜ぶと思って」と。「顧客が喜ぶんやったら、俺の指示は関係ないんやな」聞くと「私の自己責任です。何かあれば全て私が責任を取ります」って言うのです。実はこの相談事、コンプライアンス部には事前に確認をしたのです。コンプライアンス部の判断は、ギリギリセーフ。でも今後アウトになる可能性もあるので出来るならやらないで欲しいでした。では何故私が彼にさせなかったか?その内容が、顧客が要望しているもの。彼自身が考えたことではなかったからです。もし彼がやったら、そういう事例を作ってしまうことになる。そして競合他社にも広がる可能性もあり、彼の有り難みも薄くなる可能性もあある。また彼がやりたい!っていう理由は、顧客から嫌われたくない!これが1番の要因だったからです。でもやっちゃいました。そして「自己責任です」と言うのです。この言葉を聞いた時、正直めっちゃ怒
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「~させられた」を消す

おはようございます。コージィ高橋です。 本日のマインドセットは「「〇〇させられた」という言葉を自分の人生から抹消しろ」です。 内容は「「~させられた」という言葉を消そう。 これは、依存している人の共通言語。   「して」いるのは自分。   無意識でやっている自分に気づかないのも自分。 気づいて、活かす人は、こういう言い方にはならない。」というものです。 このマインドセットが書いてあるカードを読んで、何か嫌なことがあった時、「人のせい」にしがちなのは、人間の本能なのかもしれないなぁ、と思いました。私も、実生活の中で「人のせいにしたくなる」瞬間があります。   例えば昨日は、使う用事があって、配送業者さんに段ボールを注文して、夜7時~9時に持ってくるように電話で依頼してOKをもらったんですが、夜8時くらいに電話があって、「今日は無理です」と言われてしまいました。   今日受け取って、スムーズに用事を済ませたかったので「話が違うじゃないか...」と思いました。   「配送業者さんに「スムーズに送れない状況」にさせられた...」となる所かもしれませんが、自分の責任として捉え直し、「自分自身の準備をもっと早くしておけば...」とすれば、自分の「入念に準備して滞りなく進める力」を高められます。 本能の逆を行って、「何があっても自分の責任」とすることで、大きな人になることができ、見える世界が変わっていくんだと思っています。今日も、一緒に最高の一日にしていきましょう♪ 読んでいただいて、ありがとうございました^^
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『「自己責任論」の抱える矛盾』~汝の隣人を愛せよ~

現代は自己責任論が大手を振ってまかり通っている社会である。 すべては自己責任と言ってはばからない人たちで日本社会は溢れ返っている。 しかし、そういう人たちは果たして理解しているのだろうか。 自己責任論というものはやがては自分自身の問題となるということを。 誰でも色々な理由で危機的状況に陥ることはあるはずだ。 数年前にシリアでイスラム国に人質として拘束されたジャーナリストの後藤健二さんは、自己責任論により日本国民から見捨てられ、イスラム国により処刑された。 「そんな所に勝手に行ったお前が悪い」という声が多く、結果的に見殺しにされたのである。 私はそのニュースを知り、とても悲しい気持ちになった。 現代の日本の閉塞感の原因はそういったところにあるのではないだろうか。 少し失言してしまった芸能人や著名人をネットではここぞとばかりに叩く。 現代日本が不寛容社会と言われるだけのことはあると思う。 自己責任論を声高に叫ぶ人たちは、自分がそういう立場に立ったときのことを考えていない。 誰でも怪我や病気であっという間にビンチに陥ることはあるはずだ。 或いは社会不適合者みたいに言われる人たちも、一昔前の日本ならちゃんと社会の一員として認められていた。 そういった人たちを現代日本の社会は徹底的に叩きのめし、社会から抹殺する。 もう一度言う。 自分自身がそういう立場に陥ることだって充分に有り得る話なのだ。 そういう社会から抹殺された人たちが大量殺人などを起こしたとして、そこに私たちの責任は一切ないと果たして言い切ることができるのだろうか。 社会には連帯責任というものが必ずついて回る。 私たちの社会がそ
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50%自分原因説

"100%自分原因説"というものが、一時期とても流行っていましたね。これはどちらかというと"引き寄せの法則"等をわかりやすく解説する、スピリチュアル的な主張から生まれた言葉なので、意味合いはちょっと違うのかもしれませんが(でも「良いことも悪いことも"すべて"本人が引き寄せている」というのは、やっぱり逃げ道がなくてしんどい気がする)……良くも悪くもその人に降りかかるものは基本的に"自己責任"である、という考え方(自己責任論)が、最近の日本では随分苛烈に信仰されているなぁと思うのです。私が一時期通っていた起業セミナーでも、「我が身に起きることの全ての責任は自分にある」と考え、想定外の出来事からもとにかく何かしらプラスの意義を見出すポジティブマインドを教わりましたし、私もその頃は「なるほど!」とヤル気に満ちていたものでした。確かに道なき道を切り拓いてゆくには、受け身でいるばかりでは何も始まらないので、そのくらいのパワフルな考え方が理に適っていることも、とてもよく理解できます。でも、"自己責任論"って、あくまで自らが信じて実行するのは良いとしても、他人に押し付けすぎてしまうのは非常に危険なものだと、昨今つくづく実感するのです。それに……自分で実行し続けるにも、ずっとこればかりではきっと、ぶっちゃけ疲れちゃうんじゃないかなぁと思ったのでした(´-ω-`)(私が怠惰なだけかもしれないけど)現在は新型コロナウイルスの感染拡大で世界中が混乱している状況ですが、その中で「感染は自己責任」と言い切ってしまう風潮も日本には一部あり、なんだか優しくないなぁと息苦しさを感じてしまいます。今回のウイルスに
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基準に”使えるかも”は必要か?

いつもご覧くださり、ありがとうございます♡モノを捨てています。しかし、自分のモノ捨ての判断基準に「もしかしたら、使えるかも」があります。これは本当に困った基準でモノを取っておくことにしよう、ってなっちゃう困った基準です。例えば、仕事で取引先の方がお年賀に持ってきてくださった手帳。何も書いていないんですよ~使ってないんですよ~コレ、使えるかも基準で残したものです。でも考えてみたら、取引先が勝手に私の家に持ってきて、勝手に置いてった。そんなもので、自分が選んだものではないんですよ。ただ、私は受け取りました。ありがとうございます、、、って言って。こんなものを自分の手元に残す、これは自分の考えとは違うところから来たモノなのです。勝手に入ってきた。でも受け取ったのは自分。あー!気が付いた。私が悪いんですね。私がきちんと断らないから、自分ちに入れることを決めたのは自分。結局私の責任か。ふむう。書いているうちに、整理がつきました。ありがとうございますって受け取ったのは私。私の責任なのです。わかりました、自分の責任で捨てます。気が付くことができて、ありがとうございます。皆さんも、ブログかいてみませんか?心の整理がついてとてもいいと思います♪今日も私の話につきあってくれてありがとうございます♡ではまた!
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【不安と本気さは正比例する】

日常的スピリチュアル、安田です。 本気になればなるほど 不安も大きくなるのです。 不安は感じたくないのですが 努力をすればするほど 不安が大きくなるのです。 適当に歩んでいる人は 不安は少ないのです。 なので、不安が絶えない人は それだけ本気だということです。 本気になるというのは 逃げ道を無くすことなので 恐怖が伴うのです。 本気になれない 真剣になれないというのは 単に適当な性格という ことではないのです。 根底心理が恐怖なので その恐怖を越えてまでも やりたいことでなければ 本気にはなれないのです。 本気力は育てることが できるのですが 本気力を育てるには より大きな目的意識が 必要なのです。 自分次元のことで 本気になることの方が ある意味、大変なのです。 なぜなら 視野が狭い次元で 本気になるというのは 行き場がない プレッシャーを感じるからです。 より大きな目的のために 本気になることで 漠然とした視野になるのですが 全体目的のために個体目的を 本気で全うすることができるのです。 本気になると 不安が大きくなることは 避けることはできないので どうせ不安を感じるのであれば より大きな次元のことで 不安を感じてください。 同じ「不安」という単語でも より大きな次元の不安を 感じていくことで 自分次元の意識を 越えることができるのです。 私たちの歩みは 自己責任の全うなのですが 意識、志は より大きな目的の 次元が必要なのです。 より大きな目的のために 自己責任を全うすることが 歩みの原動力になるのです。 そして どうせ本気になるのであれば より大きな次元のことで 本気
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【主役意識で歩む時代】

日常的スピリチュアル、安田です。 何かを作り上げるには 主役と脇役が必要なのですが 現実の歩みの中では 主役意識が必要なのです。 たとえ、脇役のような 歩みをしていたとしても 主役意識が必要なのです。 なぜなら 主役意識でないと 受け身になってしまい 自分軸の確立が できなくなってしまうからです。 自分の歩みというのは 全て自分が主役なのです。 脇役の歩みの中でも 脇役を主役で歩んでいるのです。 主役意識で歩むことで 今の瞬間に集中し 投入することができるのです。 主役意識の歩みによって 現実をつくる意識が できるようになります。 現実の環境を変えるというと 難しく感じますが 現実をつくるとなると 何となくでもできる気がするのです。 主役というのは 受け身ではないので つくれる歩みができるのです。 主役意識で歩むことで 自分軸の確立ができ 自分軸を基準にして 歩むことができるのです。 主役というのは 主体的に歩まなければ 何も進まないのです。 芝居には主役 脇役がありますが それぞれの持ち場では 主役になって歩まなければ 芝居を進められなくなってしまうのです。 私たちには使命という 持ち場が与えられているので その使命を全うするためには 持ち場での主役意識が必要なのです。 派手に目立つことだけが 主役なのではなく 目立たなくても 持ち場では主役になるのです。 自己責任を全うするにも 主役意識が必要なのですが 主役意識で歩むことで 同じ環境でも見え方が 変わってくるのです。 現実の環境を変えるのは 簡単ではないのですが 環境を見る角度は いくらでも変えることが できるのです。 主
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【先駆けて失敗する人の使命】

日常的スピリチュアル、安田です。 先駆けて歩む人は 多くの失敗をします。 それこそ 10回中9回は失敗するし 100回中99回は失敗するのです。 大量行動すれば 大量失敗するのですが その失敗体験は 自分のためだけの 体験ではないのです。 大量の失敗ができたというのは 大量の行動ができたということであり 大量の行動は導かれることで できたということです。 「行動が大事」ということは 誰でも知っていますが 行動ができない場合があり 導かれない場合もあります。 環境が与えられていても 行動ができない 努力ができない人もいます。 自己責任ではあるのですが 自己責任と悟れる人もいれば 悟れない人もいるのです。 全てが決まった通りに 導かれるのではないのですが 導かれなければできないこともあります。 先駆けて歩める人には 開拓する使命があるのです。 開拓というのは 誰も行ったことがない道を 歩むことなので 多くの試行錯誤と工夫をしながら 多くの失敗体験をしていく中で 新しい道を開くことができるのです。 今の時代に 誰も行ったことがない 道というのは 無さそうなのですが 自分の中では 初めてのことであれば 開拓しているということです。 人それぞれで環境 状況が違うので 他の人と同じようには 歩むことはできません。 時代の変化も早いので 過去の事例が通用しないので 開拓的に歩むしかないのです。 先駆けて歩んで 失敗する人の使命は 後からついてくる人が 失敗しないための 道をつくる使命があります。 完全に失敗することを 回避することはできませんが できる限り失敗しないように してあげる使命があ
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【平凡な歩みが許されない人】

日常的スピリチュアル、安田です。 平凡な歩みを願っても、求めても 実現できない人には 大きな使命があります。 ただ大きな使命が あったとしても 自己責任で 努力をしていかなければ 使命を全うすることが できないのです。 平凡な歩みは許されないし 使命が大きいので 自己責任の基準が高いという あまりにも理不尽なことが 与えられる人がいます。 ある意味 使命を全うする道しか 残されていないのに 厳しい歩みが 求められるのです。 他の人、周りの人と比べたら それこそ「やってられない」のです。 使命が与えられる背景には 自分次元では考えられない 背景があるのです。 使命を悟れる人には 歴史的な背景があるので より大きな目的を 目指すことができるのです。 与えられた使命は 自分次元で考えては いけないのです。 今の自分次元で 考えるのではなく 長期視点で考えながら 使命を全うするための 準備をしていく時期が 与えられるのです。 いくら使命が大きいといっても すぐには全うできません。 大きな使命であればあるほど 準備の期間が長くなります。 使命を悟った人は 平凡なことを 求めてはいけないのです。 平凡なことが許されないので 必然的に使命を全うする 方向に向かうしかないのです。 他の人には 平凡なことが 許されていても 使命を悟った人には 許されないのです。 なので、良い意味で 諦めるしかないのです。 諦めて使命を全うする 努力をするしかないのです。 安心安定や平凡さを 求めるのではなく 投入する歩みをしていきながら 誰よりも努力することを 意識していくしかないのです。 基準高く歩める人には
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【主体的に歩めない原因を分析する】

日常的スピリチュアル、安田です。 主体的に歩むことが 願われている時代なのですが 主体的に歩めない人が多いのです。 主体性というのは 性格ではありません。 外向的、内向的という 性格はありますが 主体性は性格ではないのです。 誰でも、主体性を 持っているので 主体的に歩めるように なっています。 主体的に歩めない原因は 自分の歩みに責任を 持ちたくないからなのです。 自己責任を 放棄しているので 主体的に歩めないのです。 どんな人にでも 自己責任があります。 自分で努力をしなければ 成長することはできないのです。 自分の成長には 自分で責任を 持たないといけないのです。 他の人、周りの人が 成長するかどうかは どうでもいいし どうすることもできません。 自分が成長することで 影響を与えることはできますが 責任に対しては 干渉することはできません。 自己責任というと 重く感じてしまうのですが どう努力が できるかなのです。 努力が大事 必要であることは 誰でも知っています。 知っていても できない人が多いし 続けられない人が多いのです。 努力は始めないと意味がないし 続けないと意味がありません。 基本的な努力は 学ぶこと 実行すること 瞑想、運動なのですが どれも意図的に やらなければできません。 主体的に歩むというのは 意図的に歩むことなのです。 意図的に歩むには 意識が必要なのです。 「努力をする」という 意識ができないと 主体的に歩むことは できないのです。 誰でも成長欲求を 持っているのですが 主体的に歩めなければ 成長欲求を満たすことは できないのです。 今の時代は 成
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【成長欲求を優先させる】

日常的スピリチュアル、安田です。 欲求というのは早く満たしたいのですが 成長欲求を優先させて 満たすようにしてください。 成長欲求は努力をすることで 満たすことができるのですが 成長欲求を満たすことに 集中していくことで 充実した努力が できるようになります。 今の時代の波動は 成長することが 願われています。 成長というのは 分かるようで分かりにくいのですが 心霊的な成長が 願われているのです。 心霊というのは 自分の魂のことをいいます。 どんな人でも 自分の魂があり その魂を成長させるために この世で歩んでいるし 生きているのです。 心霊的な成長は この世で生きている期間に できるのです。 霊的世界に行ってからは 協助することによって 心霊的な成長ができるのですが 協助というのは 簡単にはできないのです。 協助には原理原則の 基準があるので その原理原則を この世の人が悟れないと 協助することはできないのです。 多くの人は 奇跡的なことを 漠然と願っていますが 奇跡的なことというのは 原理原則からズレてしまうので 危険なのです。 霊的な協助は 最善を尽くして 努力をした分しか 協助することはできません。 心霊基準が上がることで 自分の成長の段階を 悟ることができます。 心霊的な成長というのは 感じる境地であり 悟る境地でもあるので 一人一人で感じて 悟るしかないのです。 どのようにすれば 心霊が成長できるのかは 誰でも知っていることなのです。 今は時代の恩恵によって 成長を悟ることができ 成長欲求の満たし方も 分かるようになっています。 人それぞれで 感じる境地が違うので
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【転換を願える時期】

日常的スピリチュアル、安田です。 転換することを 求めていかなければ 転換することはできません。 ただ、転換するというのは 変化することでもあるので 願えそうで願えないのです。 変化を願える時期もあれば 願えない時期もあるので 常に転換を願えないのが 私たちの心理でもあるのです。 転換が願える時期は 自分の力ではどうにもできない時期に 転換を願うことができます。 自分の力の限界に達したときに 転換することを願えるのです。 転換することを 願うことができれば あとは時間だけの問題なのです。 願った通りの歩みが 自然にできるようになるので 時間だけの問題なのです。 転換の必要性を 知っていても 転換することが できないのです。 必要性を腑に落とすことが できなければ 求めることは できないのです。 転換できないことで 悩んでいる人が多いのですが 転換できないことが 問題なのではなく 転換することを願えない 求められないことが 根底の問題なのです。 転換することを 願えるようになるために 最善を尽くす歩みが 必要なのです。 何をするにしても 最善を尽くしていくことで 自分の無力さを 悟ることができ 転換したくなり 願えるようになり 求められるのです。 今は転換時代なのですが 時代が転換されている中でも 転換が願えるかどうかは 自己責任になるのです。 いくら時代が 転換時代になっていても 時代の変化に 合わせるか 合わせないかは 自己責任になります。 時代の変化には 絶対に逆らうことは できないのですが 頑なに逆らってしまう 人がいるのです。 愚かと言えば 愚かなのですが そうさせる何
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【直感で選択をする時代】

日常的スピリチュアル、安田です。 今は答えが無い時代なので 直感で選択する意識をしてください。 直感の質は成長段階で 上がっていくので 今の基準の直感を 選択していけばいいのです。 直感が教えてくれることは 必要なことなのです。 失敗や恥をかくことが 必要な人には そのようなことを 直感が教えてくれるのです。 直感的に歩むのは ある意味、苦しいのです。 直感の基準は 常に高いので 高く見えることを 教えてくれるのです。 直感が教えてくれるのは 損をするか、得をするかは どうでもいいことを 教えてくれるのです。 今は損得基準で 選択ができない時代なので 損得を考える前に 直感的に決めた方がいいのです。 どんなことを 選択するにしても 完全完璧の選択は できないのです。 何を選ぶにしても 決めるにしても メリットもあれば デメリットもあるのです。 直感的に選択するというのは 軽い気持ちで選択する ということです。 大抵、直感的に歩んでいる人は 考えていません。 その場の思いつきで決めて 歩んでいるのです。 私たちの思考は 今の基準でしか 思考することはできません。 学んできたこと 知っていることを基準に 思考しているのです。 知識が無いのに 思考だけするのは 無理なことなのです。 今の基準に見合った 思考しかできません。 なので、考える前に 選んでしまった方がいいし 決めてしまった方がいいし 実行してしまった方がいいのです。 直感的に歩めるようになれば 即実行することができます。 今はやってみないと 分からないので 実行してしまった方がいいのです。 ある意味 実行してしまえば こっ
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【コントロールができないことは心配しない】

日常的スピリチュアル、安田です。 コントロールができないことを 心配するのは無駄なことなのです。 無駄な心配をしてしまうと 感情が流されてしまい 前に進めなくなって しまうこともあります。 コントロールが できないことというのは 自分以外の人と 結果なのです。 逆にコントロールが できることは 原因をつくることと 自分なのです。 コントロールが できないことは 諦めるしかないのですが コントロールが できることには 集中することができ 投入することができるのです。 何がコントロールできて 何がコントロールできないのかは 誰でも瞬時に 判断することが できるのです。 心配するというのは エネルギーが奪われるのです。 コントロールが できないことを 心配することで エネルギーだけが 消耗してしまうのです。 なので 無駄な心配になるのですが 私たちの無意識は コントロールができないこと 無駄なことを心配したいのです。 心配したいことを 心配してしまう 心理があるのですが 無駄な心配という 自覚ができないと いつまでも 心配し続けてしまうのです。 心配したい心理は コントロールをしたい心理と 単にいい人でいたいだけなのです。 そして コントロールが できないことを 心配する人は 自己責任を 放棄しています。 私たちは自分の責任を 全うすることだけで 精一杯なので 他の人の心配までする 余裕が無いはずなのです。 自己責任というと 重荷に感じる人がいますが どんな人にも 自己責任があり 自己責任からは 逃れることはできません。 学ぶこと 瞑想すること 運動すること 実行することは 全て自己
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【霊的に高い波動を出す】

日常的スピリチュアル、安田です。 見えないことが 価値視される時代は 「波動」がより 価値視されるようになります。 波動というのは 文字通り「波の動き」 なのですが 海の波のように 動き続けています。 いくら私たちが 何もしていなくても 身体の中の波は 動き続けているのです。 その波を大きくするには 実行が必要なのです。 実行することで 霊的に高い波動を 出すことができるのです。 海に波が必要なのは 波がないと水が腐るからです。 同じように 私たちも波がないと 腐ることはないにしても 衰えていくのです。 霊的波動は 霊的世界にいる 霊人が出すのではなく この世の私たちが 出していくことなのです。 現実的な努力をしていくことで 霊的な波動を出すことができるのです。 高い基準の霊的な波動を 出していくことで 高い基準の霊人と 基準を合わせることが できるようになります。 先に高い波動を投入することで 真空状態をつくることができ その真空が自然に 埋まるようになります。 現実的に 高い波動というのは 希望と可能性を 与えることをいいます。 嘘でもハッタリでも 希望と可能性を与えられる人は 波動が高いのです。 愚痴、泣き言、不平不満、言い訳 というのは、最も波動を下げるのです。 湧き上がってくる思いは 仕方がないのですが 言葉で発信しなければ それ以上は大きくなりません。 私たちの一言というのは 霊的に大きな影響を 与えているのです。 単に感情が流されて 余計なことばかりを 言っていると 霊的な基準を 下げてしまうのです。
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【達成感を積み重ねる習慣】

安田です。 達成感を感じることで 充実感を感じることができます。 1日1日を 確実に歩み 積み重ねている感覚があると 毎日を充実させることが できるようになります。 私たちの成長は 習慣によって 成されていきます。 成長は一気には 成されません。 毎日の小さな 積み重ねによって 成長することが できるのです。 1日1ミリの成長を 感じることができれば それだけでも 充実感を感じられます。 充実感は 自己満足でもいいのです。 自己満足も 同じ基準では 満足できなくなり おのずと基準が 上がっていくのです。 これからの時代は 自分で基準を上げていき 自己成長させていくことが 求められていきます。 成長というのは 自己責任なのです。 成長には 多少の痛みが 伴うので 成長を強制させることは できないのです。 学ぶことにしても 実行するにしても 意図的な努力が 必要なので 時には痛みを 感じることがあります。 達成感、充実感は 何かを乗り越えることで 感じることができます。 山の頂上を目指す 途中過程は苦しいのですが 頂上に辿りつくことで 達成感を感じ 充実感を感じられます。 私たちの歩みは 毎日、小さな山を 登っているようなものです。 日常の中では 大したことは できないのですが 日々感情からの誘惑や 外からの刺激の中で 小さな山を 乗り越えています。 歩み切る歩みを 積み重ねることで 達成感を積み重ねることが できるようになります。 ただ日常の歩みは 流されやすいのです。 流されないためには 毎朝、何をやるのか
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【「時間がない」という言い訳ができない】

安田です。 無駄な時間が省かれることで 時間に余裕が出てくるので 「時間がない」という 言い訳ができなくなります。 むしろ時間がありすぎて どう管理し、使ったらいいのかで 悩む人が多くなっていきます。 私たちは時間管理を 学んでいないので 時間が余ってしまうと どう使ったらいいのかが 分からないのです。 今からの時代は 自己管理、時間管理は 自己責任になっていきます。 自己責任に対しては 言い訳ができなくなります。 実際は今までも どうにもできない言い訳で あったのですが 反射的に言い訳を してきたのです。 大抵の言い訳は どうにもできないことであり 意味がない言い訳なのです。 今の時代の環境は 言い訳ができないのです。 なぜなら、いくらでも 学ぶことができるし いくらでも行動 努力ができるからです。 これから 無駄な時間が 省かれていき さらに言い訳が できなくなります。 言い訳ができなくなるので やるしかないのですが 言い訳の癖が 残っていると 時間があっても 何もできなくなります。 自己責任は 暇と孤独の中から 全うすることが できるのです。 今まで暇と孤独が 与えられなかった人は 自己管理、時間管理が 簡単ではないのです。 管理されることに 慣れてしまうと 受け身でいることに 慣れてしまうのです。 時代の変化によって 環境が変化し 今までの価値観が 崩れていくので 切り替えないと 変化に対応できないのです。 強制的に変化を させられると 気持ちがついて いけなくなるのですが 変化というのは 必然的に起
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【集中する時間を決める】

安田です。 どんなに集中力がある人でも 全ての時間に集中することは できません。 集中というのは 意図的に時間を決めることで 集中することができます。 今、何に集中し これから何に集中するかを 明確に決めることで 集中力の発揮ができます。 いちいち決めるとなると 面倒に感じる人もいますが 決めないで 集中ができないと 意識が燦爛としてしまうことが より面倒になります。 集中力というのは 鍛えて身につける 力なのです。 元々集中できる人がいて 集中できない人が いるのではなく 集中力を鍛えることで 身についていくのです。 身体を鍛えるのと同じで 集中力も意図的に鍛えないと 身についていかないのです。 これから 自己管理、時間管理が 求められてくるので 同時に集中力を 自分で身につけることも 求められてきます。 誰にも縛られない 自由な時代になるというのは 自分で決めないと 何もできなくなり やることがなくなります。 私たちは 決められた環境で 教育を受けて 育ってきたのです。 子どもの頃は 適度に決めてあげる ことは必要ですが 決める力を 身につけることも 必要なのです。 自分で決めることができないと 思考が停止してしまい ただ言われたこと 指示されたことしか できなくなってしまいます。 自分の集中力は 自分で身につける しかありません。 どんな力でも 意図的に決めて 努力をしなければ 身につかないのです。 とくに 今からの時代は 誰も何も指示してくれないので 自分で決めないと やることがないのです。 まずは 「この時
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