自己責任を改めて考えてみると・・・

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私は以前は自己責任論を振りかざす人たちが許せず嫌悪感を抱いていました。
政府や国が弱い立場の人たちを切り捨てるために都合よく言い立てているとしか思えなかったからです。
しかしながら、今はそのいわゆるサヨク的な考え方はどうかなぁ、と懐疑的になっています。

私は元々、イデオロギーというものを信じないと公言していました。
右だろうが左だろうが、人権思想だろうが、民主主義だろうが関係ありません。
今もその考え方は変わっていませんし、前より一層イデオロギーというものに警戒するようになりました。

今の私の考え方といえば・・・
自分でできることは自分でする、他者に頼りきりにならない、依存しない・・ところが自助の精神ですが、ごくごくまっとうな考え方だと思います。
穏健でまともな「保守」であると自認している私なのですが、別にイデオロギーに関係なく「人として当然のふるまい方」だと思っています。
ただし、自分の考えやイデオロギーを他人に押し付けるという行為は最も品のないものだと私は考えています。

「自分の蒔いた種は、自分自身で刈り取ることになる」
「天は自ら助くる者を助く」
古から語り継がれているこれら言葉の根底に流れているスピリットを失っては人は人でなくなると思います。

確かに自助努力ができる状況にない人たちが多くいることは事実です。
そんな困っている人たちに「自分で何とかせい」と自助を強いるのはもってのほかです。
しかし、他方で過剰な援助、自立心を損なうような支援も同罪です。
一部に「自分に起こっている問題の全部(あるいは大部分)は社会や国が悪い。あなたは悪くない。」という言説が広まったことがあります。
今はどうなんでしょうか?
これはこれで極端なもの言いですね。

私は社会が抱えている問題やシステムの欠陥等は腐るほどあると思っています。
でも、ある人が抱えている問題を全部自分以外のものせいにするのはどうでしょうか。
それに正しいか悪いかで物事をすべて判断する態度は様々な軋轢を生み出します。
要は今ある現実や世界に対する「気構え」をどうするかの話だと私はとらえています。
つまり、自分に起きた出来事をすべて自分の責任と引き受け、覚悟を定めるとどんな状況下でも道は開けるという思いを持ち続けるということです。
「自立して」「自律的」に生きるということをデフォルトにするのです。
この気構えがあれば、厳しい状況になって公助や共助に一時的に頼っても、その人の尊厳は冒されることはありません。
不幸やトラブルを「大きなもの(国家・社会等)」のせいによって起きていると考え、自分は悪くない、あるいはどうにもならない、としてしまえば本当にその状況はどうにもなりません。
自己責任で、自分の力で状況は善きように変えられる、と考えた方が力が湧いてくると私は思うのですが・・・
皆さんはどのように思われますか?


最後までお読みいただきありがとうございます。
あなたにすべての善きことが雪崩のごとく起きます。

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