エビデンスにこだわりすぎないことで善きことがあるかもしれません

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ここ最近ですよね、「エビデンス」があるかどうか口やかましく言われるようになったのは。
特に「科学的根拠」あるいは「医学的根拠」には、あーだこーだ言う人が増えたような気がします。

私はテレビをほぼ観なくなって数年経つので、最近のニュースや情報番組の動向は分かりません。
私がテレビを観ていた最後の頃は、出ている人たちの多くはエビデンスがどうたらこうたら口角泡を飛ばす勢いでしたが・・・

確かに物事を判断するときにエビデンスを基にすることは大切です。
自分の主観や思い込みや独断・偏見で突き進んでは大方ロクな結果にはなりません。
周囲の人たちにも迷惑をかけます。

しかしながら・・・
あまりにもエビデンスにこだわりすぎるのはいかがなものか、と天邪鬼の私はついつい思ってしまうわけです。
エビデンスにこだわりすぎると・・・
視野が狭くなりませんか。
思い込みや偏見につながりませんか。
イデオロギーと同じような副作用を生みませんか。
・・とまあいろいろな思いが私の脳裏を過るわけです。
何より、自分の考えとか信念とかを私に押し付けたり強いたりするために、エビデンスを利用する(悪用ですね)人が私はどうも好きになれないのです。
というか、最も嫌う人たちです。

エビデンスを軽視したり無視して自分の主観や独断等に依った考えを押し通すことと、エビデンスを盲信した意見や考えを押し付けることとは、同じことです。
それにエビデンスというものは、特に科学的とか医学的エビデンスはこの世界(全宇宙と言った方がいいかもしれません)の真理のほんの一部しか解明できていない今の科学レベルに基づいたものにすぎません。

ここで私の個人的な体験を話します。
あくまで私個人の身に起こったことなので、あくまでこんなこともあるという感じで読んでください。
私は4年前までいくつもの難治性の病気を抱えていました。
担当医(数人変えましたがみな同じでした)は「絶対に治らない」と断言し、十数種類の薬を処方して私も従っていました。
詳細は省きますが、いろいろあって(突然の発作で死にかけた!)私は治療法を根本的に変えて、軽い症状は残るものの、ほぼ恢復しました。
血液検査でもオールクリアーで全く数値は異常なしとなりました。
担当した医師たちは悪くはありません。
あくまで医学的エビデンスに基づいた治療をしていたわけですから。
まあ、エビデンス医療なんてこの程度のものです。
でも、私はよくある現代西洋医学批判には与しません。

エビデンスに基づいた行動はほぼ現在の常識と同じものとなります。
ほとんどのケースでは問題はないのですが、時と場合によっては解決できない問題が生じることがあります。
その場合は「逆張り」的な策を講じると好転するかもしれないと心に留めておけばいいと思います。

今までエビデンス通り(言い換えれば常識的)に生きてきて、どうも幸福感を得られないとかうまくいってないとか感じているのであれば、自分が依ってきたきたそれらを根本から疑ってみると良い案が浮かぶかもしれません。
物事の判断基準を「楽しいか」「ワクワクするか」に置いてみて、行動様式やマインドセットを変えてみてはどうでしょうか。
あるいはもっとご自分の感覚や直観・直感を信じてそれに従ってみるのもいいかもしれません。
エビデンスに従うだけの人生なんて、何かつまらない・・・とそう思いませんか?


最後までお読みいただきありがとうございます。
あなたにすべての善きことが雪崩のごとく起きます。

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