「自己責任」という言葉の残酷さ

記事
コラム
これは、僕の親しい人にはよく言っている話しですが、
「自己責任」という言葉ほど残酷なものはないと思っています。

よくあることとして、
なにかの進路や選択を後悔して悩んでいる人に
「自分で選んだ道でしょう?」などと
軽々に言う人がいますけど、
僕はそんな残酷なことは言えないのです。

確かにそれは自分が選択したことかもしれませんが、
その人に「すべての」選択肢が用意されていた上で、
あえてそれを選んだというわけではないと思うからです。

人にはそれぞれ事情があります。
家庭の事情。
経済的な事情。
そのときの社会の情勢。
などなど。
そういう複雑な背景があって、
その中で人は、
「限られた」選択肢の中から、なんとか選択しているわけで、
その選択を「まったくの自己責任」というように言われても
困ってしまいます。

というか、そういう事情を考慮しないで
「自分の選んだ道じゃないか」とか
「自己責任なんだから」
という短絡的な物言いは
極めて残酷ではないかと思う次第です。

例えば、生まれてきた家庭の経済状況で、
その子どもへの教育にかけられるお金はまったく違ってきます。
別の言い方をすれば、
どういう家に生まれてきたかで、
そもそものスタートラインが全然違うわけです。
そういう例からしても、
「自己責任」などという言葉を
軽々しく使ってほしくないと思いますし、
僕は使いません。
いや、「使えない」と言った方がいいのかもしれません。

そんなふうに考えていますので、
「自己責任」という言葉は
僕の嫌いな三つの言葉のうちのひとつになっています。

残りの二つは?って?
それはまた別の話しで(笑)


おしまい♪
サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す